2019年02月25日

あの社会学者二人がアメリカを語る

こんばんは。

  最近、ニュースで目立つのは、「専門家によると」という、分かったような、分からないようなコメントです。

  ちょっと眉つばだと思うのは、どんなネタでも専門家が登場してもっともらしく語る所です。専門家に困った時には、自局の報道部の責任者を登場させて語るわけですが、むしろ、専門家よりも日頃取材で勉強している取材チームの方が我々に近くて分かりやすいのではないかと感じます。もっとも、放送局側としては自局でリスクを抱え込むことになるので、できるだけコメントは第三者からもらいたいと考えるわけですね。

  なぜこんな話題を持ち出したかと言えば、ベストセラーを連発する二人の社会学者がまたまた面白い対談本を上梓したからです。お二人の対談はいつも刺激的ですが、同じ社会学者でも、別の視点から語れば異なる知見も有り得るのだろうな、とも感じたからです。

「アメリカ」

(橋爪大三郎 大澤真幸著 河出書房新書 2018年)

  このお二人の社会学者による対談はこれまで何冊も読んできましたが、その基本となるのは宗教です。特に橋爪氏は自らもキリスト教の信者であり、キリスト教を始めとしてイスラム教、仏教など、世界の宗教への造詣が深い碩学です。そこを起点として、中国や戦争などを分析する本も上梓しており、ブログでもご紹介している通り、興味深い著書をたくさん書き上げています。大澤氏との対談では、大澤氏が様々な疑問や解説を橋爪氏にぶつけ、橋爪氏が受ける刀を翻らせることにより議論を深めていくとの形で話が展開されていきます。

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(対談「アメリカ」 amazon.co.jp)

  お二人の対談は奥深い知見に裏打ちされて、時に目からうろこがおちて、とても刺激的です。

【刺激的と正確性のあいだ】

  学問とは、これまでに発見されていない事実、または定説にはない真実を探求するものと認識していますが、現代の学問には科学的なアプローチが必要不可欠となっています。科学的なアプローチとは、様々な現象やデータから仮説を立て、その仮説が真実であることを実験または観察によって立証する、とのプロセスを言います。

  先日ご紹介した「縄文探検隊の記録」を読んでいた時に、一言で科学的と言っても分野によって事実は異なることがある、と知りました。それは、縄文時代に起源を持つ漆に関する知見です。縄文時代の遺跡から漆による加工品が各地で見つかっています。漆の技術は長い間中国から伝来したと語られていましたが、北海道の縄文時代の遺跡から9000年前の漆の加工品が発見され、漆加工は日本固有の技術であるとの説が有力になりました。

  そこで、論議になったのは漆の材料となる漆の木は、当時の日本に生息していたのかどうか、との問題です。そこで、論議を繰り広げたのは植物考古学者の鈴木さんと考古学者の岡村さんです。岡村さんは、北海道の遺跡で縄文時代に中国でも発見されていない漆の文化が見つかったのだから、漆の木が当時の北海道に生息していたと考えるべきだ、と語ります。

  しかし、植物考古学者の鈴木さんは、この時代の北海道の気候と当時の植物の生息域の研究から、あてはなる地層から漆の木が生息していた証拠が見つかっていないことを理由に、現時点では当時の北海道に漆の木が自生していたとは言えない、と語ります。岡村さんや夢枕獏さんは、これだけの状況証拠があれば、生息していたとの考え方が取れるのではないか、と主張するのですが、鈴木さんは植物学者としてそれを認めるわけにはいかないと言い、議論は平行線のまま終わりました。

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(7000年前の縄文漆器 urushi-joboji.com)

  科学的という意味で、岡村さんも鈴木さんも同様な立場にいます。事実、岡村さんも石器具の年代測定に関しては非常に厳密で、その石器具が出土した遺跡の年代鑑定がなされていなければ、器具の年代を特定してはいけない、と厳しい矜持を語っています。逆に、植物考古学者の鈴木さんであれば、石器具の年代想定に関しては状況証拠によって年代を語ることがあり得るのかもしれません。立場が変われば、説は変わるのです。

  今回ご紹介する対談では、お二人のアメリカに関する仮説が飛び交い、本当に刺激的で面白いのですが、そこで語られる知見が定説なのかどうか、我々には確信を持つことができません。

  しかし、とてつもなく巨大な木を語りつくそうと思った時に、はるかに離れた枝先と枝先の関連性や違いを事細かに語ると、何のことを語っているのか理解さえおぼつかなくなります。そうした意味ではお二人の対談は、まず太い幹のさらに年輪の核をいきなり語ります。そして、核心を分かりやすく話す場合、同じ木のことを話していても幹の事情が枝葉の事情と異なることも多くあります。この本は、語られる言葉がはても刺激的ですが、その多義性をよく理解したうえで読む必要があるのではないでしょうか。

  ニュースのツマに出てくる「専門家」の話も、専門家の立場によって語る言葉が異なります。「専門家」との言葉に惑わされないよう十分に注意して耳を傾ける必要がありそうです。「専門家の選択」そのものがそのマスメディアの主張になりかねないからです。

【日本人とアメリカ人は分かり合えない?】

  毎日、世界に突飛な話題を提供しているトランプ大統領ですが、我々日本人にとっては、この地球上でもっとも重要な関係を保つ国の首長です。

  アメリカは、江戸時代が終わりを告げた時から、日本にとって最もかかわりの深い国となりました。日本に捕鯨の中継地点を探す目的で訪問し、結果として開国を迫ったのもアメリカならば、日本に対しABC包囲網を狭めることで突出をせざるを得ないように追い詰めたのもアメリカです。さらに終戦後には占領軍として日本を統治し、良くも悪くも日本を、アメリカを中心とする資本主義経済に巻き込んだのも、核兵器の傘のもとに同盟国として日本の安全保障の鍵を握っているのもアメリカなのです。

  そこに、かなり変わり者の大統領が出現したわけですが、日本にとってのアメリカの重要性が少しも変わるわけではありません。しかし、日本はアメリカのことをどれだけ理解しているのでしょうか。アメリカ合衆国の独立宣言が公布されたのは、1776年です。個人的な感覚では、ついこの間アメリカ建国200年のお祝いが大々的になされたばかり。(実際には、今年で建国243年です。)建国してからの歴史は、時間的には我が国の江戸幕府の歴史と大して変わらないのです。

  しかし、短い歴史であるがゆえに複雑な国であることは間違いありません。なぜならば、この国の基盤はヨーロッパ、しかもイギリスにあるからです。世界史の授業で習ったとおり、今のアメリカが建国されたのは、イギリスのピューリタンと呼ばれたキリスト教集団がピルグリムファーザーズとして、メイフラワー号に乗ってアメリカのニュー・プリマスに上陸したことに端を発しています。

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(アメリカ上陸 メイフラワー号 wikipediaより)

  キリスト教は一神教であり、2000年以上の歴史を持ちます。その中で、イギリスのキリスト教の歴史はさらに複雑な経緯をたどっています。イギリスのクロムウェルが起こした民主革命はピューリタン革命と呼ばれていますが、ピューリタンとはキリスト教の中の派閥で清教徒のことを指します。なぜ、ピューリタン革命の起きた国からピューリタンの一派が新大陸へと渡ることになったのか。

  キリスト教徒にとって宗教的な動機は何よりも強く歴史を動かしてきました。アメリカという国の歴史は短いのですが、アメリカ建国の動機づけとなったキリスト教徒の歴史ははるかに長く、アメリカを知るためには、宗教革命でプロテスタンとが生まれ、さらにイギリスでプロテスタントのルター派が核となり、そこからピューリタンが生まれた歴史を知る必要があると言います。

  この本は、第一章でアメリカを形作ったプロテスタント、ピューリタンとキリスト教会の教えとその社会的な影響を分かりやすく説明してくれます。日本人には、神の存在とその解釈が「死」と「生」に直結していることが理解できませんが、キリスト教ではカトリックとプロテスタントの間に命を懸けた戦いが繰り広げられており、アメリカの歴史と文化はプロテスタント、特にピューリタン以降のキリスト教(神)に根付いているのです。そのキリスト教の普遍性と個別性という二律背反の世界にいるアメリカは、我々にとって本当に分かりにくい世界なのです。

【プラグマティズムはアメリカだ!】

  世界史の勉強をした方は、近代の文化としてアメリカの哲学である「プラグマティズム」という言葉を聞いたことがあると思います。この本の第2章は、アメリカをアメリカとして成り立たせている哲学と言えるプラグマティズムをキーワードにしてアメリカを読み解こうとする試みです。

  「プラグマティズム」とは、日本語に訳すと実用主義や実際主義と表記されます。これまでの哲学は、「真理」を追究していくプロセスですが、それは端的に言えばドグマとの戦いです。ドグマは宗教用語で教条主義のことですが、教条主義は、ある教義の「誤謬」を問題とすることです。つまり、科学的姿勢にもつながることですが、この世の中にはどこかに「真の真実」があり、今、真実と思われていることは、「真の真実」から見れば「誤謬」かもしれない。

  近代の科学は、「真実」の追求は仮説を提唱して、実験や観察によってその仮説が事実、または真実であることを立証していく姿勢のもとに発展してきました。これこそが科学的プロセスであり、哲学的姿勢でもある、というのが我々の価値観となっています。例えば、コペルニクス的転回の天動説や、ニュートン物理学を覆す特殊相対性理論は、まさにこれまでに実証された「真実」のさきに、「真の真実」があったことが証明された事象です。そして、素粒子はそのさきにさらなる真実がある事を示唆しています。

  「プラグマティズム」では、そうした「真実」への「誤謬」を追求することを保留します。世の中には、「最大限の真理」と「限定的な真理」があるというのが「プラグマティズム」の哲学者ジェイムズの考え方です。大澤氏の「プラグマティズム」解説では、これまでの哲学も踏まえた難解な論述が展開されますが、端的に言うと「限定的真理」という考え方が「プラグマティズム」を代表していると思えます。

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(「プラグマティスム」を記したジェイムスの肖像)

  つまり、「真理」とは限定的にあらゆる場面で遭遇するものを言っても良く、我々が毎日行う行動の結果が効果的で幸福に通じるものであれば、その結果を真理と言っても良いのだ、という実用的な考え方が「プラグマティズム」なのです。(あまりに単純化したので、心配な方はぜひ本書の詳しい解説をお読みください。)

  現代の経営の世界では、ブーカという複雑系の考え方がリスク管理の基本と考えられていますが、「プラグマティズム」の考え方は、いわば世の中が極端に相対化されていけば、世の中に「真の真理」というものはなく、すべてが「真理」となり得るのだ、と叫んでも決して間違いではない、ということです。キリスト教プロテスタントの勤勉を良しとし、蓄財し儲けることは神も認めていることだ、という考えは、結果が良ければそれを真理として考えても良いのだ、という「プラグマティズム」の考え方と相性が極めて良いのです。

  アメリカは、世界のスタンダードを追求して普遍性を求めながらも、アメリカとしての特殊性をより深めていこうとしています。その二律背反性がアメリカを分かりにくくしている、というのが碩学のお二人が我々に教えてくれる事実です。そして、その二律背反性の背景と理由をこの本は解き明かしてくれます。

【我々日本人とアメリカ】

  この対談のまとめは、我々日本人がここまで掘り下げてきたアメリカとどのように付き合っていけばよいのか、が議論されていきます。その中で、まず重要なことはアメリカの物の見方や行動様式を体得することだと言います。大澤さんも「日本は、アメリカへの精神的な依存度において、世界でも突出していると同時にアメリカを理解していない程度においても、突出している。」と語ります。

  確かに我々はアメリカの根底にあるものが分かりません。この本は、そんな無知識な我々にアメリカとは何かをその本質から解き明かしてくれます。アメリカを知ること、それが日本人にとってアメリカと向き合うための第一歩になるのです。

  それでは今日はこの辺で。これから不安定な天気が続きますが、皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 22:14| 東京 ☀| Comment(0) | 評論(対談) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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