2019年02月10日

町山智浩 80年代のカルト映画を斬る

こんばんは。

  実は、この本を買ったのは一年以上前でした。

  著者の町山智浩さんの映画評論は、その視点がユニークで読めば目からうろこが落ちるようにワンダーを感じることができます。ブログでも紹介しましたが、2016年に上梓された「トラウマ恋愛映画入門」がとても面白かったので、本屋めぐりの中で見つけたこの本も手に入れたのです。

「<映画の見方>がわかる本 ブレードランナーの未来世紀」

(町山智浩著 新潮文庫 2017年)

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(文庫「ブレードランナーの未来世紀」amazon.co.jp)

  なぜしばらく本棚に飾られていたのかと言えば、出版社の意図が商業的に見えたからです。この本の表紙は、1982年公開のときのレイチェル(ショーン・ヤング)になっていますが、その姿が「ブレードランナー 2049」に登場したホログラムのアンドロイド、ジョイを思わせて絶妙です。なんとなく、新作についての評論が含まれていると思って買ったのですが、残念なことに登場する映画は古い映画だったのです。

  確かに前作の「ブレードランナー」が評論に含まれていますが、この本が上梓されたのは2005年。どうやら、「ブレードランナー 2049」の公開に併せて文庫化され、本屋さんに平積みされていたようです。文庫化まで12年。それって、ずっと単行本が売れていたのか、それとも、すでに過去の本となっていたのか、どちらでしょうか。そして、その経緯がわかってからしばらく本棚に眠っていたのでした。それが先日、本棚から呼ばれたような気がして久しぶりに手に取ったのです。

  さすが町山さん、「はじめに」を読んだ途端、その面白さに引き込まれました。

今回、町山さんが論ずる映画

・デヴィッド・クローネンバーグ監督「ビデオドローム」

1983年)

・ジョー・ダンテ監督「グレムリン」(1985年)

・ジェームズ・キャメロン監督「ターミネーター」

1984年)

・テリー・ギリアム監督「未来世紀ブラジル」(1985年)

・オリヴァー・ストーン監督「プラトーン」(1987年)

・デヴィッド・リンチ監督「ブルーベルベット」(1986年)

・ポール・ヴァーホーヴェン監督「ロボコップ」(1988年)

・リドリー・スコット監督「ブレードランナー」(1982年)

80年代のカルト映画とは】

  町山さんは、この本を上梓する前に一冊の本を出しています。その本は2002年に出版された「映画の見方がわかる本」の第一弾でした。こちらの本は、1967年の「2001年宇宙の旅」から始まり1970年代の映画について語る本です。町山さんは、1970年代を映画作家つまり監督の時代と語っています。

  皆さんは、ジェームス・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」という映画をご存知でしょうか。

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(BL「素晴らしき哉、人生」 amazon.co.jp)

  この映画は1946年の映画ですが、アメリカではこの映画はおなじみです。なぜなら、この映画はアメリカではクリスマスに必ず放映され、クリスマスはこの映画を見ながら家族で暮らすことがスタンダードとなっているからです。映画のストーリーは、この本の「はじめに」を読んでもらいたいのですが、この映画にはアンチユートピアの世界が天使によって語られるシーンが出てきます。(「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で過去を変えられてしまったマーティがもどった、ビフが牛耳る暗黒の現代世界を思い起こしてください。)

  そこで町山さんは、今回の本を1980年代に作られたカルトな映画を語る本だと語ります。その心を町山さんは、80年代のカルト映画は、「素晴らしき哉、人生!」で天使が語るアンチユートピアな世界を語っているのだ、と分析します。それは時代の要請だったのか。アメリカ在住の町田さんならではの見立てであり、この映画評論のユニークさはまさにその視点あるのです。

  はじめに語られる「ビデオドローム」からそのユニークな評論は爆発します。

  クローネンバーグの「ビデオドローム」は、全く分からない映画。その理由は、監督が制作にあたって脈絡なく作品を仕上げており、監督自身も分からない作品なのだ、と語ります。町田さんによれば、クローネンバーグは変わった人間で、自分が心から楽しいと思うことを表現するという我々と同様の考えを持ってはいるのですが、彼が心から楽しいと思うことが我々とはかなり異なるのです。

  例えば、彼はいわゆるホラー映画で商業的に成功しますが、監督自身はそれをホラー映画とは思っておらず、むしろ自らの内面をドキュメンタリーのように表現した作品だと考えているのです。そこには、拷問やセクシャル表現、暴力、不条理などを当たり前だとする世界があるのです。町山さんは、監督の生い立ちから映画製作の考え方までを綿密に語り、わけのわからない映画のあらすじを映画に沿って述べていきます。

  クローネンバーグは、少年時代からカフカの小説が好きだったそうですが、カフカの作品には人の不条理がまるでドキュメンタリー小説のように描かれています。人は、理解できないものに出会った時に二つの反応を見せます。ひとつは、わからないものはわからないものとして了解する姿勢。そして、もう一つは、自分がわからない理由を見つけようとする姿勢です。

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(クローネンバーグ監督「ザ・フライ」ポスター)

  カフカの作品の解釈は、まさに二つの見方からなされています。カフカの翻訳者は前者の姿勢を取ります。私が敬愛するカフカの翻訳者、ドイツ文学者の池内紀さんはカフカの手稿からほぼすべての作品の日本語訳を完了し、2002年に日本翻訳文化賞を受賞しています。カフカの作品に対する姿勢は、わからないことをそのまま表現することを徹底しています。その作品では、どこにも辿りつくことができない主人公が辿りつくために生きる不条理が語られているのです。

  逆に、その不条理の理由を明らかにしようとするのは、文学者や評論家です。不条理という言葉は、実存主義的小説を書いたカミュやサルトルが使い始めましたが、彼らは不条理を小説として書くと同時に哲学や評論として分析しました。カフカの小説は、まるで夢を物語るように我々の合理的な思考をはぐらかしながら進んでいきます。カミュも小説「異邦人」で、主人公ムルソーの不条理を描いていますが、同時に「シジフォスの神話」という評論でその訳を分析し、解説しています。

  クローネンバーグ監督は、自ら脚本を書いたストーリーにも拘わらず、「ビデオドローム」を自分でも訳が分からない作品と言っています。しかし、町山さんは、訳の分からないストーリーを丹念に追いながら、登場人物たちのモデルとなった実在の人物を比定することでその意味の一端を解説してくれます。そして、最後に作品が公開されたずっと後でクローネンバーグ監督が見出したこの映画の訳を語ってくれるのです。

【素晴らしき哉、映画!】

  さて、80年代に時代をみせてくれたカルト映画の魅力は尽きません。この本では、その映画が時代に示した「何か」をそれぞれ提示してくれていますが、それ以外でも、その作品や監督にまつわる隠れエピソードやレアな情報をたくさん披露してくれています。それを読めば、映画の面白さが倍増すること間違いなしです。

  取り上げられた監督たちの中でも出世した監督とそうでない監督の明暗が見事に分かれます。ジェームズ・キャメロン監督は、低予算の「ターミネーター」の大ヒットで一躍有名となり、その後には「タイタニック」、「アバター」とアカデミー賞に名を連ねます。また、オリヴァー・ストーン監督も「プラトーン」が長年タブーと言われていたベトナムを描く映画で大ヒットを記録し、アカデミー賞を獲得。名作「74日に生まれて」での更なる成功に繋げています。

  この二人の巨匠に共通しているのは、映画という夢を追い求めようとする姿勢と夢をあきらめない執念です。キャメロンは、最初の恋人と結婚し学校を中退しましたが、昔、映画製作を目指したころの夢が忘れられず、自ら撮影した短編SFを売り込んで弱小プロダクションに入社します。そこで得た「殺人魚フライングキラー」の監督でしたが、この作品は監督を降ろされたうえに、あらゆる人々から酷評されました。キャメロン監督は、ショックに寝込んだほどで、失意の中で「ターミネーター」の脚本を執念で書き上げたと言います。

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(キャメロン監督「ターミネーター」ポスター)

  この作品は、アーノルド・シュワルツネッガーの出世作としても有名ですが、最初、彼が出演を売り込んだのはターミネーター役ではなく、人間側でサラを守るカイル役だったというのは驚きでした。キャメロンは、シュワちゃんと食事を共にしたときにこの申し入れを断ろうとしていました。しかし、あることがきっかけで、キャメロンは彼がターミネーター役にピッタリと閃いたと言います。そのエピソードは本を読んでのお楽しみです。

  また、オリヴァー・ストーンの「プラトーン」に対する想いはキャメロンのさらに上を行きます。それは、実際に彼がベトナム戦争に従軍した経験が彼の人生にもたらしたものが原動力となっていました。彼が「プラトーン」の脚本を書き上げたのは1977年のことと言います。彼はこの脚本を様々な映画会社に送りましたが、当時ベトナム戦争を映画化しようとする会社は皆無でした。それから10年の間、オリヴァー・ストーンは脚本が映画になることを待ち続けたのです。

  一方、「グレムリン」をヒットさせたジョー・ダンテ監督はマックス・バニーアニメにはまりすぎたことが裏目に出て、その後はヒット作にめぐまれていません。また、「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアム監督は、商業的な売り上げは振るわなかったものの批評家の間で高い評価を受けましたが、その後の作品で、自らの脚本や演出に強くこだわるために制作者サイドと常に軋轢を起こしており、思うような映画が撮れていない状態が続きました。カルトな映画は、興行成績や想いとはなかなか結び付かないのです。

  そして、ここから語られるデヴィド・リンチ監督の「ブルーベルベット」、ポール・ヴァーホーヴェン監督の「ロボコップ」、リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」の3作の評論は圧倒的な迫力で我々に迫ってきます。

  この中で、ヴァーホ−ヴェン監督はその名前からわかる通りオランダの監督ですが、そのあまり過激な映像からオランダの映画界から批判を受け、ハリウッドへと渡ってきた経歴を持ちます。しかも彼をアメリカに呼んだのは、彼の作品を見てその映像に才能を見出したスピルバーグだったのです。それはさておき、最後に語られる3作品はどれもそれぞれ異なる意味で1980年代のアメリカを象徴する映画だったと町山さんは語ります。

  かの「素晴らしき哉、人生」で天使が主人公に見せるアンチユートピアの世界。この3作品はまさにアメリカの観客に1980年代のアンチユートピアをスクリーンに映し出したのです。1940年代から50年代にかけてアメリカはソ連と対峙しながらも世界の超大国として資本主義世界の中で我が世の夢を謳歌してきました。そこで制作されてきた映画は、アメリカンドリームを映し出し、科学の進歩による技術革新、人間の夢は必ず叶うという思想、そして、勧善懲悪を観客に語ってきました。

  しかし、1980年代、映画は人間の持つ生き物としての負の姿、核の力で世界を抑制しようとする権力志向、そして、ポストベトナム戦争によるトラウマなど、様々な問題がアメリカ社会に渦巻きます。ここで語られる3人の監督の作品は、それぞれにアメリカ社会、そして人類が直面する様々な矛盾を映像によって抉り出し、観客の前にぶちまけているのだ、と言うのです。

  特に公開当時こそ興行成績は振るわなかったものの、その後、じわじわとカルト的な人気を博し、伝説のように語られる「ブレードランナー」。この作品は、あまりにも時代の真実をあからさまに語っていたこと、それを語るために監督があまりに多くのメッセージをつぎ込んだことで、一度見ただけではなかなか理解できない作品でした。

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(スコット監督編集「ブレードランナー」ポスター)

  町山さんが次々に明らかにしていく「ブレードランナー」の真実は、この映画がなぜわかりにくいのか、この映画がなぜ時代を映しているのか、この映画がなぜポストモダンなのか、ハリソン・フォードはなぜアンチヒーローでなくてはならなかったのか、その答えを我々に提示してくれるのです。

  この本を読むと、映画と言う芸術が我々を夢中にしてくれる理由がよくわかります。最近の町田さんは、映画評論としては少しライトな路線を走っていると思いますが、また、こうしたコアな映画評論にも挑戦してもらいたいと思うのは、私だけでしょうか。

  映画って、本当に奥が深く、面白いものですね。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 19:08| 東京 ☀| Comment(0) | 評論(映画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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