2018年12月29日

宮城谷昌光 項羽と劉邦に挑む

こんばんは。

    昔、学校で「漢文」の時間に必ず習うのは、司馬遷の「史記」でした。その中でも誰もが知っているのは「四面楚歌」の場面です。

  中国統一王朝を築いた「秦」が始皇帝亡きあとに弱体化し、陳勝・呉広の乱が勃発。かつて秦に攻め滅ぼされた楚の国では、項梁が楚王を立てて秦への復讐の烽火を上げました。しかし、秦の智将である章邯は劣勢の中、油断した項梁を奇襲によって殲滅してしまいます。項梁の甥であり、後継とみなされていた項羽は、まだ20代でしたが、楚王を頂いて項梁の跡をついで秦への復讐を継続したのです。

  一時は、100万もの兵を従えて秦の首都を制圧し、秦の皇帝一族を殲滅した強兵を誇る項羽でしたが、同じ楚王のもとで盟友として秦を攻めていた劉邦と敵対し、天下をかけて攻防を繰り返すことになります。そして、項羽は何度も劉邦を窮地に追い込みながらも、逆に劉邦に追い詰められることとなります。

  各地域の王たちを味方に引き入れた劉邦は、「漢」を名乗り、ついに垓下の地にて項羽を包囲します。垓下の地で、漢軍に取り囲まれ愛妾の虞姫とともにいた項羽は、砦の中で東西南北から楚の歌が流れてくることに気づきます。その歌は、包囲している漢軍から聞こえてくるものであり、自らの兵が漢軍に取り込まれたことを悟り、自らの命運が尽きたと知って最後の宴席を設けます。ここで、項羽は一編の詩を謳います。

ryuuhou07.jpg

(「劉邦」挿絵の虞美人 haradatunao.comより)

力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)
時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず)
騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき)
虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん)

  この詩に歌われている騅(すい)とは、項羽と共に戦場を駆け項羽の常勝の闘いを支えた名馬です。そして、虞は、項羽の愛妾である虞美人です。「虞や虞や 汝をいかんせん。」この嘆きの詩に虞美人も唱和し、そこにいた項羽の臣下たちも皆、涙を流したのです。

  誰もが知る「項羽と劉邦の戦い」。あの宮城谷昌光氏が、ついにこの戦いを小説として完成させました。今週は、毎日新聞に連載され、読者を魅了した宮城谷昌光氏の小説を読んでいました。

「劉邦」(宮城谷昌光著 文春文庫全四巻 2018年)

【「項羽と劉邦」を描く】

  宮城谷さんの小説は本当に面白いのですが、今回のテーマは少し違和感を覚えます。いきなり、巻末の話で恐縮ですが、著者の「連載を終えて」を読んで、その違和感の正体を知ることが出来ました。氏の描く中国史の世界は、主人公である人間が志を持って輝いていることが大きな魅力となっています。「重耳」、「孟嘗君」、「晏弱・晏嬰(晏子)」、「呂不韋(奇貨居くべし)」、「楽毅」、「太公望」と、どの小説を採っても主人公の企望と志、さらには徳望が、宮城谷氏の小説の魅力であることに間違いありません。

  ところが、劉邦の評判を考えると若い時から無頼な人間で、学問や儒教は大嫌い、中原の農家の出身で生まれも育ちも庶民そのものです。それが、周囲の人間にかつがれていつの間にか皇帝の地位に就いてしまう。どうにも捉えどころのない人間に思えるのです。

  宮城谷氏自身も、以前から劉邦には魅力を感じることがなく、むしろ項羽の強力な軍団に迫られてもなお城を守りぬいた斉の名主である田横を「香乱記」で描くなど、劉邦を描かずに来た、と述べています。この小説の執筆が決まった後も書き出すことに逡巡し、迷っていたそうです。そうした中で見出したのが、漢書の列伝の記載だったそうです。確かに劉邦や項羽の周りには魅力ある人物が数えきれないほど登場します。その人々が劉邦をして漢王朝を開かせたと言っても過言ではありません。

  今回の小説の魅力は劉邦とそれを囲む人々の活躍なのですが、面白さの秘密を巻末の「連載を終えて」を読んで納得した次第です。

  ところで、「項羽と劉邦」と言えば、思い出すのは司馬遼太郎さんの名作です。司馬さんは、小説を書くときにその時代の輪郭を思い描きながら執筆していく形をとります。この小説でも項羽と劉邦を描くにあたって、この両者の争いが中国史の中でどのような史観から繰り広げられたのか、に想いを馳せています。それは、中国では膨大な数の人民を食わしていくことのできる人間が天から王朝をひらく天機を与えられる、という史観です。

ryuuhou04.jpg

(新潮文庫「項羽と劉邦」 amazon.co.jpより)

  司馬さんは、こうした視点を持って若き項羽の活躍と凋落、さらには劉邦の天下取りをデテイルを大切にしながら描いていきました。私もかつてこの本を読んで、二人の漢(おとこ)の生きざまに興奮したことを覚えています。宮城谷さんにとっても敬愛する司馬遼太郎さんの著作は、執筆する前には大きなプレッシャーであったと推測されます。果たして、宮城谷氏はこの歴史をどのように描くのか、興味は尽きません。

【宮城谷版「項羽と劉邦」】

  この小説で、興味深かったのは題名です。

  宮城谷さんが題名に名前を冠するときには、その人間の存在そのものがすでに物語になっていることが多いように思えます。そうすると、「項羽と劉邦の戦い」と呼ばれる時代を小説で描こうとすれば、題名jは「劉邦」にはならないのではないかと感じました。氏の小説でも複数が描かれる時には、「奇貨居くべし」、「青雲はるかなり」、「沙中の回廊」など、題名にも工夫を凝らしています。今、一番面白い「呉越春秋」も主役は伍子胥(ごししょ)と越の范蠡(はんれい)であり、その題名には「湖底の城」という小説を象徴する名前が採られています。

  しかし、小説を読み終わって、いかにこの題名が小説そのものを現しているかが、良くわかりました。それは、司馬さんの小説へのアンチテーゼだったのかもしれません。この小説は、確かに「項羽と劉邦の戦い」を描いてはいるのですが、そこには項羽の側からの視点はわざとはずされており、宮城谷氏はこの物語をあえて劉邦の側から描いているのです。例えば、鴻門の会で、劉邦は同じ楚に仕えるものとして項羽に挨拶すべくその陣を訪れますが、項羽の軍師である范増は、宴会を催した項羽に対してこの機会に劉邦を暗殺することを提言します。

  しかし、項羽は劉邦への敵意を露わにすることがありません。三度項羽に目配せをしても反応はなく、業を煮やした范増は席を外し配下の項荘を呼び、祝いの剣舞を劉邦に贈るふりをして劉邦を殺すように命じます。ここは小説の中でも読みどころのひとつですが、項荘が命に従って剣舞を始めると、その不穏な空気を読んだ項伯は劉邦を守るべく、自らも剣舞を舞い項荘の企みを阻止するのです。この緊迫した場面でも宮城谷氏は項羽の視点を無視します。物語は、劉邦とその部下の視点で進んでいき、項羽側では、軍師である范増の考えが語られるのみなのです。

  逆にこの場面では、劉邦の部下たちは大活躍を演じます。

  このとき劉邦とともに項羽の元を訪れていたのは、劉邦の盟友であり趙の国の再興を希望する参謀格の張良でした。宴会にて、范増の企てに危殆を感じた張良は宴席を抜けると外に控えていた猛将である樊噲(はんかい)にその企みを告げます。劉邦の危機を悟った樊噲は、宴会の席に押し入り、自ら項羽に戦勝の祝い酒を所望します。その豪快な姿を気に入った項羽は、樊噲に大きな杯で酒を振る舞うとともに豚肉の塊を差し出すと、剣で肉を切り刻みペロリと平らげます。あまつさえ、樊噲は劉邦がここまで戦ってきた正当性とそれを認めない項羽の不合理を滔々と述べて、項羽を唸らせます。

ryuuhou06.jpg

(「劉邦」挿絵の樊噲 haradatsunao.comより)

  張良と樊噲の機転で宴会を抜け出した劉邦は、古くから劉邦の御者を勤めていた夏侯嬰の戦車に飛び乗るとそのまま自らの城に逃げ延びたのです。

  宮城谷版「項羽と劉邦」は、その題名の通り、秦滅亡の後に漢王朝を起こした劉邦がなぜ皇帝になることができたのか、その疑問を、劉邦自身を描くことで解き明かす物語なのです。つまり、劉邦とその仲間たちの企望や夢やその生き方が、そのままこの小説の魅力となっているのです。

【「劉邦」に人は集う】

  さて、宮城谷氏の中国小説は、司馬遷の「史記」に描かれる古代中国を舞台としています。しかし、中国史で古代とはいつまでのことを指しているのでしょう。古代という概念は、もともとヨーロッパ史の研究で語られる概念だそうですので、それを中国に当てはめること自体に無理があるようです。中国古代はどこまでか。諸説あるようですが、@戦国時代の終焉(秦朝の成立)A秦の滅亡B前漢の滅亡、のどれかに当たるということです。

  宮城谷氏の小説は、白川静氏の甲骨文字研究に強くインスパイアーされており、そこには古代のアミニズムやジャーマニズムが色濃く反映されています。例えば、「太公望」は、殷商王国を滅ぼし、周王朝を切り開くことに軍事戦略家、将軍として貢献した呂尚を主人公としていますが、両親を商に殺された呂尚が幼い兄弟たちを連れて森の中を彷徨っていると、舞い踊る不可思議な巫女たちの一群と出会い、生きる力を得る場面が描かれています。幻想的なシーンですが、この時代はまさにアミニズムとシャーマニズムの時代でした。

  劉邦の時代が古代なのか古代を脱しているのか、わかりませんが、諸子百家の時代を経ていることを考えれば、古代のシャーマニズムを脱しつつあることは明らかに思えます。しかし、中国には天から徳を認められたものだけに王となる、との考え方があります。宮城谷氏は、この小説をそうした幻想的な場面から始めています。(以下、ネタばれあり)

  それは、劉邦がその名前である季で劉季と呼ばれている時代です。

ryuuhou03.jpg

(文庫版「劉邦」第二巻 amazon.co.jpより)

  秦時代の行政は、大きな単位の郡の下に県という単位があり、その中に最も小さい行政区として亭があります。劉季は、義理人情を重んじる義侠家になりたくて無頼な行動をしていたのですが、長じてから沛県の亭の一つを任され、泗水亭長に任命されています。ある日、劉季は、泗水亭長として、秦に反旗を翻した暴徒である寧君一味を探索し、拿捕するように命じられます。その探索を行っている最中、不思議な出来事が起きるのです。

  一方、秦の始皇帝は不老不死を追い求めいていたことで知られており、不死の薬を求めて様々な地域に人を派遣していました。それと同時に、始皇帝は自分の後に皇帝となる人材を事前に葬ろうと策を講じます。

  秦王朝には方士と呼ばれる人々が役に就いていました。方士とは方術を操る人々の事ですが、方術とはいわゆる魔術に近い力を操る事です。彼らにかかると、錬金術や不老不死の製薬、念力、読心術、予言、星占い、人の気を見ること、などが現実のものとなるのです。始皇帝は、自らに変わり将来皇帝となる人間を探し出し、早期に抹殺するために方士を各所に派遣します。方士たちは、将来の皇帝である五彩色を発する人物を探し出し、同行する剣の達人にそのものを暗殺させるために各地を旅しているのです。もしも、五彩色の気を放つ人物を見つけることが出来なければ、方士が剣士に殺される羽目に陥るのです。

  その方士たちが沛県を彷徨しておると、なんと遠方に五彩色が輝いていることに気づきます。彼らは、その光を逃すまいと草むらをかき分けて光に向かって進みます。すると、川辺に一人の男が佇んでいるのが見えました。五彩色の輝きはその男から発せられたものだったのです。やっと未来の皇帝とおぼしき人物に行き会うことができた方士は、剣士にその男の抹殺を命じました。

  反逆者である寧君を探索する劉季は、ひとり野営地から抜け出して物思いに浸りながら川辺に佇んでいました。そのとき、背後に殺気を感じます。最初の一撃はかわしましたが、対峙した相手の技量は劉季をはるかに超えています。とっさに逃げだしますが、相手は一枚上手です。俺の人生は、ここで終わるのか。劉季は、自らの最後を覚悟します。

  果たして劉邦の運命やいかに。その伏線の妙はみごとです。

  劉邦は、ここから数奇な運命をたどることになりますが、彼の周囲には何故か様々な人間が集まってきます。宮城谷氏は、そこに集まる多彩な人々を劉邦との絆を含めて細やかに描いていきます。第一巻で登場するすべての人間が、この小説の最後まで躍動します。そして、その人々と劉邦の夢は、すべての市井の人を解放し、住みやすい世を実現することだったのです。

  宮城谷さんの小説は、本当に面白い。皆さんもこの小説で、人の絆の不思議をお楽しみください。生きる勇気がじわじわと湧いてきます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

にほんブログ村⇒プログの励み、もうワンクリック応援宜しくお願いします。


posted by 人生楽しみ at 20:01| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: