2018年09月24日

安部公房と過ごした20余年の軌跡


こんばんは。

  「安部公房」という名前を久しぶりに平積の棚で見つけて、思わず買ってしまいました。著者は、山口果林という女優です。写真を見ると、「ああ、この女優さんか。」と分かる程度の認知度でしたが、この女性が安部公房とそこまで深く愛し合っていた、というのは驚きでした。

  今週は、安部公房と自らの人生を描く女優の自伝本を読んでいました。

「安部公房とわたし」

(山口果林著 講談社+α文庫 2018年)

【安部公房と山口果林】

  現在の日本では、ノーベル文学賞候補と言えば「村上春樹」の名前があがりますが、私の世代では、ノーベル賞候補と言えば安部公房でした。氏は、1993年に68歳で亡くなっています。この本の著者、山口果林さんが安部公房と出会ったのは18歳のときと言います。年の差は23歳と書かれているところからは、出会った当時安部公房は、41歳だったと思われます。

  安部公房には、真知さんというれっきとした奥さんがいて、「ねり」というお嬢さんもいます。ということは、この女優との恋愛は、不倫だったことになります。なんだか、女性週刊誌の記事のように聞こえますが、この本は暴露本ではなく、山口果林さんの自伝です。他の自伝と異なるのは、その女優人生に介在したあまりにも大きな芸術家の存在です。彼女にとって、安部公房は人生の伴侶であり、さらにその前半では彼女の師でもあったのです。

  安部公房は、彼女が演劇を学んだ桐朋学園短期大学で講師をしており、先生と生徒の関係でした。その後、彼女は卒業して俳優座に所属しますが、その芸名である山口果林の命名者も安部公房でした。彼は、左右対称の漢字が好みで、言われてみればこの名前も左右対称です。1970年代に安部公房は「安部公房スタジオ」を立ち上げて、自ら舞台を創っていくことになります。山口果林は、このスタジオにも主演女優として参加しています。

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(文庫「安部公房とわたし」amazon.co.jpより)

  さて、この自伝の目次を見てみましょう。

プロローグ

第一章 安部公房との出会い

第二章 女優と作家

第三章 女優になるまで

第四章 安部公房との暮らし

第五章 癌告知、そして

第六章 没後の生活

エピローグ

  ノーベル賞候補作家との不倫。この本は、安部公房が亡くなって20年後に上梓されました。本を読むとわかるのですが、安部公房は晩年、ひとりで箱根の別荘に住み、奥さんの真知さんとは没交渉となっていました。ただ一人、果林さんとは、常にコンタクトを取り、可能な限り一緒に過ごしていたことが記録されています。上梓されたのは、2013年のこと。奥様は、安部公房が亡くなった同じ年に亡くなっています。

  生前、安部公房は真知夫人と離婚することを果林さんと約束していたと言います。その約束は、ノーベル賞受賞の後ということになっていましたが、その報を待つことなく、安部公房は突然帰らぬ人となってしまったのです。しかし、この本を読むと二人にとってどこかの時点で、結婚という形にあまり意味がなくなっていたように思えます。

  安部公房夫妻が亡くなってから20年後。果林さんは、一心同体ともいえる安部公房と自らの人生を一冊の本として残しておきたかったに違いありません。

【安部公房という芸術家】

  安部公房の名前を見て、この本を買ってしまったのは、安部公房が私にとってかけがえのない作家だったからです。私の読書歴は、SFから始まったと言っても間違いではありません。小学校の図書館で、少年向けのルパンやホームズを読んでいましたが、中学校のときに友人が貸してくれた本が普通の本を読むきっかけとなりました。それは、星新一氏の「妄想銀行」でした。

  星新一氏は、日本のSF界では草分け的な存在ですが、生涯に残した1001編のショートショート作品は、この分野における日本文学の金字塔と言っても過言ではありません。その面白さにすっかり魅了され、「人造人間(ボッコちゃん)」、「ようこそ地球さん」、「悪魔のいる天国」、「ボンボンと悪夢」と次々に読破しました。

  そするうちにSFの魅力にとりつかれ、筒井康隆や小松左京、はたまた、アイザック・アシモフ、レイ・ブラッドベリ、アーサー・C・クラーク、フレドリック・ブラウンと世界は広がっていきました。そこに現れたのが、SF作家、安部公房だったのです。そして、私の読書歴は安部公房からフランツ・カフカへと進んでいったのです。

  現れた、というのは大いに語弊があります。安倍公房はその時すでに文学上の大作家だったのです。

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(世界SF全集 第27巻 安部公房と月報)

  氏が、SF小説の傑作「第四間氷期」を発表したのは1958年で、出会った時には発表から15年がたっていたのです。氏は、1940年代末に文壇にデビューし、1950年に発表した短編「壁−S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞しました。その後発表された小説群は、SFや純文学という枠をはるかに超えた不思議な世界観と「世界とは何か」という根源的な問いを発し続けています。

  私がSFにはまったころに「世界SF全集」なる全35巻からなる画期的な全集が発売されていました。日本人では、星新一、小松左京、筒井康隆などが編まれていましたが、この中の第27巻が安部公房だったのです。この本には、安倍公房の代表作が網羅されていて、感動に包まれながら読み進んだことをよく覚えています。

  その作風は、シュールレアリズムとも寓話的ともいわれますが、詩人でもある氏の表現は詩的なディテールの積み重ねと叙事的な表現で我々を作品世界へと没入させてくれます。例えば、初期の代表作「デンドロカカリヤ」を読めば、その面白さがすぐにわかります。

  「デンドロカカリヤ」とは、菊のような葉をつけた植物で、正式な名称をデンドロカカリヤ・クレピディフォリアといいます。小説の主人公は、コモン君という普通の青年です。デンドロカカリヤとは、日本の緯度には生息しない植物であり、日本では極めて貴重な存在です。この小説の中で、コモン君は何度もデンドロカカリヤに変身してしまいます。変身したのちにも、裏返しとなった顔をひっくり返すことで、人間に戻ります。

  小説には、デンドロカカリヤに変身したコモン君をつけ狙う謎の男が登場します。植物園の園長であるKは、変身したデンドロカカリヤを自らの植物園に取り込もうとして、コモン君を付け狙います。小説では、コモン君が自らの変身の意味を見つけようと図書館で「植物への変身」について、調べます。そこで見つけたのは、ダンテの「神曲」。その変身は、自殺者が受ける罰なのです。

  さらにギリシャ神話の神々が重なってきます。

  この小説は、小説としての安倍公房の原点と言ってもよいと思いますが、この全集には、この小説や「第四間氷期」の他にも、火星人?が登場する「人間そっくり」や手術によりロボットR62号に改造される機械技師を描く「R62号の発明」、自らのための家を探してさまよい続ける男を描いた「赤い繭」など、この全集には安倍公房の初期の傑作が網羅されています。

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(新潮文庫「デンドロカカリヤ」amazon.co.jp)

  1960年代から安倍公房は、舞台演劇の世界に活躍の場を移していきます。雑誌等に発表する小説は数少なくなりますが、その後は長編の書下ろしを中心に執筆活動を続けていきます。その代表作には、「砂の女」(1962年)、「他人の顔」(1964年)、「燃えつきた地図」(1967年)、「箱男」(1973年)、「方舟さくら丸」(1984年)があります。

  小説家、安倍公房を追いかけていた私としては、1970年代に「箱男」を読んで以来、小説世界から離れてしまった氏の名前は遠く離れていってしまい、途中、珍しい時代もの「榎本武揚」を読んだ程度で、その名前からすっかり遠ざかってしまいました。

【山口果林と安部公房】

  こうした安部公房と20年以上も一緒に多くの時間を共有していた女性が、いったいどのように安部公房を語るのだろう、そんな興味から読み始めた本でしたが、この本は安部公房を語る本ではなく、女優として仕事をしてきた山口果林という女性が安部公房と知り合ってからの年月をどう生きてきたかの記録でした。

  その筆致は、とても抑制されていて、演技者として舞台の主人公を把握して的確に演じようとする女優の方法論が表れているようです。自伝に劇的な効果を与えるために、プロローグから安部公房が亡くなった日に起きた出来事を語っており衝撃的ですが、それは単なる演出にしかすぎません。自伝は、安部公房とのなれそめから始まって、自らの生い立ち、安部公房との暮らし、その最後の日々。そして、安部公房が亡くなった後の自らの立ち位置へと淡々と語られていくのです。

  正直に言えば、第二章の出会いと恋愛時代から第三章のおいたちにかけては、その淡々とした記述に飽きてしまい、読み進むのが億劫になった場面がありました。この本では、これまで安部公房の影響なのかそれとも自らのポリシーなのか、生活のメモを取ることが生業となっていたようで、まるでドキュメンタリーのように果林さんの進んできた人生の日付と起きた出来事が並びます。

  しかし、その効果が発揮されるのが、第四章以降です。安部公房は1980年代に自宅を離れ、箱根の別荘で隠遁生活に入り一人創作活動に専念したと言われています。しかし、二人は仕事以外のすべての時間を、果林さんの自宅と箱根の別荘での暮らしに費やしていきます。そして、安部公房も素直に二人の時間を大切にしていたことがよくわかります。

  そして、そこの乱入した安部公房の前立腺がんの告知とその転移。二人にとっての最も深刻な時間ですが、そこでも筆者の淡々とした筆使いは変わることがありません。そして、その企まざる効果が第四章で胸に迫ってくるのです。前立腺がんの影響で尿閉となり救急車を要請したときの一言、「東大医学部時代の友人の診断で、前立腺癌が判明していたらと残念でならない。」との記述に胸を突かれます。

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(単行本「安部公房とわたし」amazon.co.jp)

  この本は、一人の女性が最愛の芸術家と過ごした日々と女優としての自らの暮らしをつづったドキュメンタリー作品です。その淡々とした筆致の中に安部公房が望んだ人生のディテールの記述と、一人の女性の人生が我々の胸に迫ってきます。

  読み終わった後に一人の人間の告白を語られた後の深いムーブメントがいつまでも残ります。


  この本には、山口果林さんの人生を感じる感動のみではなく、知られざる安部公房を知る、という大きな意味も含まれています。例えば、1975年から池袋西武百貨店8階の西武美術館で上演された「イメージの展覧会」で、その音楽をピンク・フロイドと同じシンセサイザーで自ら作ったこと。

  同じ舞台で演じられた前衛劇、「人さらい」の公演チラシの中にある眼鏡に印刷された「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」という言葉が、「箱男」から引用されたこと。日常の会話で、「人間はサルじゃない。」という言葉が、安部公房のよく語る一言だったこと、などなど。

  「安部公房」に惹かれて手に取った本でしたが、思わぬ感動を味わうことができました。興味のある方は、ぜひ一度手に取ってみてください。そのドキュメントに胸が騒ぐよい本です。

  今年の9月は、地震もあり台風や秋雨前線のためにいつもに増して、不安定な気候が続きます。皆さん、体に気を付けてご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 21:01| 東京 ☁| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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