2017年11月09日

宮城谷昌光 春秋の呉越を描く!(その4)


んばんは。


  トランプ大統領のアジア歴訪がはじまりました。


  トランプ大統領の支持基盤は、労働者を中心としたアメリカファーストに賛同する人々です。労働市場を脅かす移民の制限やアメリカの貿易赤字の元凶となっているアメリカへの廉価な輸出国への貿易不均衡の是正は、これまでの移民の国アメリカや自由貿易主義を否定するパラダイムシフトです。


  しかし、今回のアジア歴訪で、トランプ氏はアジアの脅威となっている北朝鮮の核保有問題に焦点を当て、その他のことについては一旦脇に置いている感があります。


  特に安倍総理大臣とのパートナーシップはとても強固との印象です。ゴルフ外交も含めて、滞在中の食事はほとんど安倍総理が同席していました。貿易不均衡問題についても、TPPやFTAには直接触れることなく、アメリカの戦略へ機器の購入を前向きに行う、との同意に留まりました。さらに、拉致被害者と対面することで、日本国民へのアピールも忘れませんでした。


  それに比べて、韓国のムン・ジェイン大統領との関係は微妙です。安倍総理と一緒の席では終始笑顔であったトランプ氏が、ムン大統領と同席している間、常に鉄仮面のように表情がないことが印象に残ります。


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(韓国での首脳会談 asahi.com) 


  それにしても韓国政府は、トランプ氏との晩さん会で、竹島近海で取れたエビ料理をふるまったり、前パク大統領が将来に渡る解決を約束した慰安婦問題を蒸し返すように、晩さん会に元慰安婦の女性を招待するなど、日本に対しての遺恨をアメリカ大統領との晩さん会に持ち込みました。


  菅官房長官もこの行為に牽制球を投げていましたが、韓国の反日感情のあおり方は相変わらずえげつないと言わざるを得ません。確かに韓国では、国内の世論を反日によって固めてきた歴史があり、代々義務教育の場で日本の侵略戦争を教え込んでいる背景もあり、世論の支持を得るのに反日感情に訴えることが政治的に有利であることは理解できます。


  しかし、ムン大統領は日韓首脳会談に臨んで、「日韓関係を未来志向で進める。」。日韓合意についても、「(日韓合意を)わが国民の大多数が情緒的に受け入れられない現実を認め、両国が共同で努力し賢く解決していく。他の関係発展に障害になってはならない。」と発言しています。


  今回の竹島問題や従軍慰安婦問題をアメリカとの外交の場に持ち込むやり方は、日米首脳会談での確認事項に泥を塗るようなものだと思われます。韓国の国内での世論の問題をアメリカとの外交の場に持ち込むことは、理性ある行動とは思えません。このような行動で、世論のガス抜きを行わなければならない状況なのだとすれば、ムン大統領の政権運営も危ういものと言えるのかもしれません。


  さて、次の訪問先は中国となりますが、習主席は、もっぱらトランプ氏との個人的な信頼関係の構築に重点を置いています。前回ご紹介した本の中で山本氏は、習近平氏は外交がヘタであると述べています。習氏は、太子党であり国内の勢力争いに力を注ぎ、主席就任まで海外との接点はほとんどなかったといいます。


  もちろん、党の幹部であり過去には海外訪問を行っていますが、党の研修での留学先もアメリカの農場でのホームステイであり、外国語も苦手です。また、習氏は、一度離婚していますが、前の奥様は元英国大使を務めた人物のお嬢さんで英語が堪能でした。1982年には奥様が英国に留学しましたが、習氏は同行せず、国内にとどまりました。


  今年の4月。習氏はトランプ氏のフロリダの別荘で夕食会に招かれました。この席で、トランプ大統領はシリアのアサド政権への攻撃を習氏に伝えました。習氏は、しばらく沈黙した後、「もう一回言ってくれ。」と返し、「女性や子供を殺すことは許されない。」としてアサド政権へのミサイル攻撃に理解を示した、と言われています。アメリカ側は、アサド政権への攻撃を伝えることで、北朝鮮への攻撃があり得る事を暗に示唆したわけですが、習氏にはまったく伝わらなかったようです。


  習氏は、外交の場ではもっぱら党が用意したシナリオに沿った行動に終始し、自ら外交の場でオリジナリティーを顕示するには至っていないようです。


  しかし、今回は自らのテリトリーでの外交となります。世界遺産である故宮を貸し切りにしてトランプ氏を喜ばせたのはさすが共産党の総書記です。今回は、北朝鮮問題と経済的な相互利益が会談の焦点になると言われていますが、両者がどのような駆け引きを行うのかに注目が集まります。世界の2大超大国のトップ二人の会談には目が離せません。


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(貸し切り故宮での両首脳 yahoonews)


  ところで、つい世間話に走りましたが、前回からの中国つながりで、今週は古代中国の春秋時代を描く宮城谷昌光さんの小説を読んでいました。


「呉越春秋 湖底の城 六」(宮城谷昌光著 講談社文庫 2017年)


  現代中国の習近平国家主席は、中国皇帝を模して中興の祖として着々と布石を打っています。中国の思想的な基礎は孔子が祖となる儒教思想ですが、孔子が活躍したのは周王朝の流れを汲んだ魯の国でした。魯は、春秋時代に大国である晋・斉・楚に取り囲まれて翻弄され、孔子が亡くなった紀元前479年の後、紀元前249年に楚に併合されて消滅します。


  しかし、孔子の思想は「論語」などの著作により継承され、「儒教」として漢代には国家の教学として採用され、その後「五経」を経典として中華の思想の中心となりました。


【呉越春秋 伍子胥を描く】


  宮城谷さんが描く呉越春秋は、孔子が壮年期を迎える時代が舞台となります。


  この大河小説の前半は、伍子胥を主人公に物語が語られていきます。時代は、春秋の大国「楚」の平王の時代。紀元前528年から楚は平王の時代となります。伍氏は、その王の宰相を勤めた家系であり、伍子胥の父親である伍奢は、平王の太子建の太傅(家庭教師?)を勤めていました。


  平王は、兄霊王の留守中にクーデターを起こして王に即位した人物で、帰還できなくなった霊王は一人山中をさまよって亡くなったと言われています。


  その平王は、太子建の妃を秦から迎えることとしますが、その妃の美しさに目がくらみ自分の妃としてしまいます。さらには、太子建がそのことを恨みに思うことを恐れて、太子建を遠方に追いやってしまいます。太子建の太傅であった伍奢は、平王に「わが子を信じるべき」と進言するもかえって疎んじられ、投獄されてしまうのです。


  紀元前522年。伍奢と長男の伍尚は、ついに処刑されてしまいます。


  宮城谷さんの呉越春秋は、こうした史記の記述を踏まえて、伍子胥の半生を小説として語っていきます。第一巻から第二巻は、伍子胥が父と兄のもとで人格を磨いていく物語となります。伍子胥の懐深い人格形成とその徳を慕って集まってくる人々。さらに元盗賊である永翁から船の操作術を学ぶなど、宮城谷さんの筆は偉丈夫の伍子胥の骨格の成長を追っていきます。


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(呉越春秋第6巻 amazon.co.jp)


  平王とその宰相は、五奢の処刑に当たって長男である伍尚と次年である伍員(伍子胥)をおびき出して、もろとも処刑してしまおうともくろみます。そのことを知った伍子胥は、処刑の当日、仲間たちと共に父と兄を救いに監獄へと侵入します。しかし、その監獄の備えは固く、救出劇は失敗。父と兄は処刑され、伍子胥は流浪の人となるのです。


  伍子胥が流浪の人となってから数年の間、伍子胥は楚の周辺国を巡ります。ひとたび宋の国に入った伍子胥は、亡命した太子を追ってさらに鄭の国へと向かいます。宮城谷さんの名著「重耳」にもつながる流浪の日々。その中で、伍子胥は様々な人と会い、大きな徳を積んで成長していきます。この中では、託す人と託される人を描く宮城谷さんの筆が見事です。


  さて、鄭の国に匿われていた太子と涙の再会を果たす伍子胥。しかし、太子は鄭の国内でクーデターを企てて志半ばにて処刑されてしまいます。太子を失った伍子胥でしたが、危地を脱し、呉の国へとたどり着きます。


【伍子胥の復讐への道】


  今回の第6巻は、呉越春秋 伍子胥編のクライマックスとなります。


  呉の将軍であり、呉王の叔父でもあった公子光の右腕となった伍子胥。楚の平王に父と兄が殺されてから苦節7年。紀元前515年。仕えていた公子公がクーデターを起こします。公子光は、クーデターに成功。呉王 闔閭として即位します。その手に汗握る経緯は、ぜひとも第4巻でお楽しみください。


  伍子胥は、流浪の旅の途中で偶然、行き倒れとなっている男を救います。その男の名は、孫武。その兵法は、その後「孫子」として語り継がれることになります。伍子胥は、斉の国で兵法を教えていた孫武を迎えに行き、その教えを記した手記を闔閭に献上します。そして、呉国は、伍子胥と共に兵略の天才である孫武を将軍として迎えることになるのです。


  この第6巻は、楚への復讐を誓った伍子胥の想いがついに実現することになるのです。


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(伍子胥の像 wikipediaより)


  宮城谷さんの物語において、その戦いは最も生き生きと語られます。この巻では、兵法の天才孫武と楚の内情と地理を良く知る伍子胥が、楚に攻め入る呉軍を率いてめざましい戦いを繰り広げます。戦いの舞台は、大別山。いわいる紀元前506年の柏挙の戦いです。


  宮城谷さんは、その戦いの筆を戦いに至るきっかけから語り始めます。この時代、楚の国の近くには蔡という小国がありました。


  蔡は、周から分かれた伝統ある国でしたが、何度も楚に責められ、楚の属国となっていました。あるとき蔡の昭王は煌びやかな衣装を貢物として楚の国に朝献のため訪問します。当時、楚では吝嗇な子常が宰相として権力をふるっていました。昭王は、貢物とした衣装と同じものを身に着けて楚を訪れていました。


  その衣装に目を付けた子常は、その衣装を自分にも貢いでほしいと暗に匂わせたのです。そして、それに応じなかった昭王を楚の国に監禁してしまうのです。昭王の側近は、監禁を解いてもらうためにその衣装を子常に貢ぐことを進言します。ついに折れた昭王は、高価な衣装を置いて楚から出国しますが、そのことを恨み、2度と楚には足を踏み入れないと誓います。


  その後、楚に追い詰められた蔡の昭王は、呉に救援を求めたのです。


  呉の伍子胥は、同じく楚の隣国である唐が同じように楚から圧力をかけられているところに目をつけて、楚への攻略に加担するよう唐に持ちかけます。蔡と唐からの要請を受ける形で、呉はいよいよ楚に攻め入ることになります。


  宮城谷さんの筆は、ここから一気に佳境へと突入します。


  孫武のすべてを見渡した戦略のもと、伍子胥を右腕とした呉の闔閭は、数万の軍勢を率いて楚に攻め入ります。その見事な戦いは、宮城谷さんの流れるような筆遣いでお楽しみください。


  この巻の面白さは、それだけではありません。闔閭が留守の間に呉の首都に越の允常の軍勢が押し寄せてきます。しかし、将軍である孫武は、すでにそのことを見越していました。


  さらに、楚の首都である郢を陥落させた闔閭軍は、随へと逃げた楚王を許します。しかし、そこに楚の時代に伍子胥の親友であった申包胥が登場。自らのすべてをなげうって秦の国に救援を乞いに楚王の親書を持って渡ります。


  秦は、楚王を救援するのか。さらに楚では、闔閭の弟であるやんちゃな扶概をそそのかして、呉の首都で自らが呉王として立つように仕向けるのです。


  息をつく暇もなく展開する呉の戦いの物語。間違いなくこの巻は、この長い物語の白眉を飾ります。ちなみにかの有名な「死者を鞭打つ」の故事も宮城谷さんの筆によって、この巻で描かれることになります。


  本当に宮城谷さんの古代中国は面白い。皆さんもぜひこの湖底の城で、宮城谷ワールドをお楽しみください。夜が更けることを忘れること間違いなしです。


  それでは皆さん、今日はこの辺で。季節は冬へと向かいますがどうぞお元気で。また、お会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 20:36| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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