2017年09月24日

宮城谷昌光 三国志外伝を読む


こんにちは。


  国の力は民力と言われます。中国国家統計局のHPによると、20171月現在の中国の人口は、 138271万人になったそうです。


  その中国の国内総生産(GDP)は、112182億ドル(名目)となっており、世界で第2位の経済力を誇ります。もちろん、人口は世界第1位です。ちなみに、1位のアメリカは、185691億ドル、3位の日本は49386億ドルとなっています。(2016年統計-IMF基準による)


  国民一人あたりのGDPという点では、アメリカが57436ドルで世界の第8位、日本が38917ドルで世界22位となっていますが、中国は8113ドルと世界では74位となります。中国では、習近平政権が「一帯一路」戦略を柱として、過去のシルクロードにおける流通経路の再構築と海のシルクロードによる線での経済発展をめざし、着々と投資と回収を広げています。


  一人あたりのGDPが小さいということは、それだけ経済に伸びしろがあることを意味しており、2016年に中国が設立したアジアインフラ投資銀行(AIIB)をテコとして、「一帯一路」戦略は着々と成果を挙げつつあります。


  さらに4000年の歴史。歴史が長く、人口が多いということは、それだけ国が多士済々であることを意味します。オリンピックの選手にしても、同じトレーニングを積むとした場合、その裾野が1万人と100万人では、100万人の方が世界最先端の記録に挑む選手の生まれる確率は100倍も高くなります。やはり、中国には、たくさんの英雄が生まれる素地があるということですね。


  さて、今週は宮城谷昌光さんが中国を描く三国志本を読んでいました。


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(文春文庫「三国志外伝」 amazon.co.jp)


「三国志外伝」(宮城谷昌光著 文春文庫 2016年)


【「三国志」の世界】


  宮城谷さんの「三国志」は、20015月に月刊誌「文藝春秋」において、連載が開始されました。その後、書き継ぐこと12年。20137月号にてこの大作は完結したのです。以前にこのブログでも書きましたが、我々が良く知る「三国志」は活劇物語で、「三国志演義」(現在は「三国演義」とされる。)を原作としています。


  吉川英治さんの「三国志」は、もはや古典となっていますが、「三国志演義」は、明代にまとまった講談であり、漢王朝の血をひく好漢「劉備玄徳」と漢王朝を支配し専横を振るう「曹操孟徳」の王朝をかけた戦いを描きます。人形劇やゲーム、現在では、スマホゲームまで、その人気は留まるところを知りません。


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(映画「レッドクリフpartU」ポスター)


  一方の正史「三国志」。こちらは、魏・呉・蜀による三国時代が終焉を迎え、司馬氏による「西晋」が中国を統一したのちに記された歴史書です。ちなみに、著者は、司馬氏に仕えた陳寿。「三国志」は、光武帝が建国した「後漢王朝」の後の時代を記録しています。余談になりますが、陳寿の「三国志」は、その成立がとても早く、後漢王朝の歴史を記録した「後漢書」よりも150年も早く成立していたといいます。


  ともあれ、陳寿の「三国志」は、中国の歴史を正式に綴った「二十四史」の一誌に数えられており、「魏書」・「蜀書」・「呉書」に分けて記載された史書なのです。宮城谷さんは、「三国志」を書き始める前に10年近い年月を準備に費やしたとインタビューで語っています。娯楽小説である「三国志演義」ではなく、歴史小説である「三国志」を書く。


  その覚悟は、小説家として遠大な志であったと改めて驚きます。


  その証左として、氏は2001年のインタビューで、「私が書くのはあくまで正史としての『三国志』でして、演義もの、つまり読み物として成立した『三国志演義』の世界ではありません。ですから、大活劇ものを期待する読者には少々違和感があるかもしれませんね。」と語っています。


  さらに2013年には、「連載をはじめた頃は、それまでの『三国志』の厖大な読者を、すべて敵にまわすような感じがしてこわかった。演義こそが三国志だと思っている、熱心なファンたちを説得できるだけの筆力がなければ、「宮城谷の書く三国志は嘘だ」と最初から無視されてしまいます。孤立無援ともいえる戦いを前に、いろいろな恐怖感に襲われていました。」とも語っています。


  宮城谷さんの小説の魅力は、歴史に刻まれた人物の人生を見事に描くところにあります。それは、古代中国の史書に記された人間の事跡から、その信条、情熱、決意、行動を立体的な視点から再構築し、我々の前に提起してくれます。さらに、その人物の周囲に集まる人々の視点を多層的に描く筆力に大きな度量を感じます。人は決して一人でことを成すことはできません。そこには、ともに同じ目的を持つ仲間、相棒やライバル、さらには愛する人、家族が共に生きています。


  宮城谷さんの三国志は、歴史に沿いながらも中国の英雄たちが、誰とともに生き、何を成し遂げたか、「史書」に描かれた事実を基本として、その史実にさらなる解釈を加えて深く物語っていきます。


【三国志外伝の面白さ】


  「三国志」を彩る英雄は、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫堅、孫権となりますが、三国が鼎立する以前には、後漢王朝の衰退に従い、たくさんの人物が登場します。宦官政治による腐敗に挑戦し、逆襲にあって命を落とした何進。何進の後を受けて、宦官掃討を実行した袁紹。袁紹と共に大勢力を有した袁術。黄巾の乱を大軍により制圧し、そのまま洛陽を制した董卓。


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(映画レッドクリフでの劉備玄徳 avex.co.jp)


  そこにいよいよ、自らの軍を率いていた曹操孟徳が登場します。その頃、呉の孫権の父、孫堅は都を牛耳る董卓討伐の軍を起こし、見事に洛陽奪回を果たします。長安に遷都した董卓。董卓の横暴を止めるために殺害を計画した王允。王允の一味となり董卓を殺害した呂布。こうして、軍閥であった袁紹、袁術と曹操孟徳との戦いの火ぶたが切って落とされます。


  宮城谷さんは、こうした「三国志」の中心を担う登場人物たちが織りなす世界をダイナミックに描いていきますが、小説の中で描く人物たちの数には限界があります。後漢王朝の存続と三国鼎立の物語に役割を果たす人物たちは、宮城谷三国志の中でそれぞれその魅力を発揮していきますが、そこに名前が記されない人物たちも存在します。


  今回の「三国志外伝」には、そうした人々が描かれています。


  この本の序で、宮城谷さんは「『三国志』を書いているあいだに、そういうことを全く考えなかったわけではない。たとえば、権力者や政治の中心に近づきながら、遠ざかり、逃避行を続けざるを得なかった者がいれば、そのあとを追いたくなった。その苦難を知りたくなった。」と語っています。


  また、それに続いて、「三国志」の筆をおいたあと、呉の国力が熱する前に亡くなった太史慈なる人物を引き合いに出し、「かれの倫理観と志望のありかたは輝きを持っており、時代の潮流の外にいても、無視してよいはずがない。」とその思い入れを語っています。


  こうして、本編では語り切れなかった12人の人生にスポットを当て、一人一人を語るのが本書なのです。著者の想いを書き綴る人物伝が面白くないはずはありません。


【魅力富む人物たち】


  この本には、後漢時代末期から三国時代に生きた12人の人生が描かれています。目次の通りその名前を挙げると、王粲、韓遂、許靖、公孫度、呉祐、蔡琰、鄭玄、太史慈、趙岐、陳寿、楊彪、劉繇。この中で、唯一見知っているのは、史書「三国志」の著者である陳寿の名前ですが、我々が知らずとも、すべての人物たちに語るべき人生があるのです。


  宮城谷さんが、その人生を書き残したいと考えた人物は、多士済々です。最初に取り上げられる王粲(おうさん)は、後漢時代に名を成した大詩人です。この詩人は、魏の曹操の下で力を発揮することになるのですが、宮城谷さんはその人生の遍歴を追っていきます。


  この人物は、非常に醜悪な容貌と小さな体躯の人間として描かれています。しかし、その見た目に惑わされず、その才覚と才能を見抜いて目をかけ、引き立てていき、生かす人間が歴史の中にいます。そうした「徳」の高い人物が人を統べるに足る人物になることがよくわかります。


  この編の中で、王粲に目をかけた大学者に蔡邕がいます。蔡邕(さいゆう)は、学者として多彩な知識を有しており、後漢王朝に仕えて、董卓に重用された人物です。


  宮城谷さんは、同じ時代を生きた人々のつながりを別の作品にもつなげています。6編目に登場する蔡琰(さいえん)は、大学者蔡邕の娘であり、この小説に唯一登場する女性です。父親の蔡邕は世に大悪人と評判の高い董卓に仕えました。董卓は、漢王朝を私物化したとして王允と呂布によって誅殺されます。


  董卓に仕えていた蔡邕は、王允に対して董卓を懐かしむような発言を行い、逆鱗に触れて投獄され、心ある人々の救済の弁にもかかわらず獄死してしまいます。そして、娘の蔡琰は父親の死後、数奇な運命をたどることになるのです。彼女は、後漢王朝の混乱に乗じて都に攻め入ってきた異民族によって、連れ去られてしまうのです。


  琴と学問に長け、美しい女人の運命はいかに。もちろん、この短編にはワンダーな結末が待っています。


  この本には、文化人として名を遺した傑人を描いた作品とともに、官人、軍人として名を成した人々の人生も描かれています。


  2編目に置かれている韓遂は、後漢末に王朝と相対峙した梟雄です。宮城谷さんの筆は、後漢末の皇帝のもとで王朝が崩壊していく中、韓遂が冷静に王朝の行く末を判断し、自らがたつ時期をじっくりと見計らう様を見事な筆致で描いていきます。そして、韓遂がついに兵を挙げたのは、意外な出来事が発端でした。


  さすが、宮城谷さんが描くワンダーは我々を魅了してくれます。この短編は、韓遂亡き後に曹操に仕えた韓遂の腹心であった成公英と曹操の見事な会話で締めくくられます。


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(映画レッドクリフ 曹操孟徳ポスター)


  この短編集には、「三国志」の陰に隠れていた魅力ある人々の人生が語られます。宮城谷さんは、当時の中華の背景を語るために、短編ごとに様々な創意工夫を行っています。


  たとえば、三国時代に高句麗に近い遼東郡を収め、そこに王国を築いた公孫度の章。公孫度は、董卓に仕えた大将軍 徐栄の推挙により遼東太守となります。宮城谷さんは、読者を小説に巻き込むためにこの編の前半を徐栄の記載に充てています。


  確かに、徐栄は後漢史のなかで、唯一曹操軍を撃破し、孫堅軍をも敗走させた将軍なのです。


  また、三国が鼎立する以前の後漢末に、呉の国となる江水の南、九江郡を治めていた劉繇(りゅうよう)。そこでは、劉氏が「斉の孝王」の子孫であり、さらには漢楚戦争で項羽を下し、漢王朝を開いた劉邦からの氏の歴史を語っていきます。なぜなら、混乱の時代、人物の信頼度はその先祖の出自に大きく依っていたからなのです。



  さて、人口の話に戻れば、後漢末(157年)の中国は戸籍により5600万人の人が住んでいた、そうです。しかし、後漢末の混乱から三国が鼎立した263年の戸籍によれば、その人口は767万人と記録されています(魏:443万人、呉:230万人、蜀:94万人)。100年間の間に5000万人近い人口が減少した時代。


  そこで見事な人生を生きた人々を、宮城谷さんは追っているのです。宮城谷さんの中国は、いつ読んでも魅力にあふれています。


  世間にはいつのまにか秋の風が吹くようになりました。昼と朝晩の気温差がとても大きくなります。体調には十分に気を付けて、元気にお過ごしください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 14:13| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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