2017年04月30日

森史朗 司馬遼太郎の指南書を読む


こんばんは。


  日本人の心を描く歴史小説をあまた上梓してきた司馬遼太郎さんが亡くなってから、早いもので20年が過ぎました。そのときに生まれた子供たちがすでに成人式を終えていることを思えば、今の30代以下の方々に「司馬遼太郎」は、名前は聞いたことがあっても、過去の小説家となっているのではないでしょうか。


  しかし、日本人として毎日を生活するときに司馬遼太郎さんが、その歴史の中で考察してきた「日本人とは何か」との思索は、混迷する現代だからこそ真摯に理解して生かしていく必要があるように思えます。


  今週は、元司馬番の編集者が書いた司馬遼太郎本を読んでいました。


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(「日本人を学ぶ」amazon.co.jpより)


「司馬遼太郎に日本人を学ぶ」(森史朗著 文春新書 2016年)


【司馬遼太郎とは何者?】


  私が本読みとして幸せだったのは、学生時代に司馬遼太郎と出会えたことでした。


  そもそもは、織田信長が本能寺の変で明智光秀に弑され、さらに中国大返しで近畿に戻った秀吉が、天王山で光秀を倒して天下人となった歴史がダイナミックで、戦国時代から江戸時代に至る歴史が大好きだったところから司馬さんの小説を読み始めました。


  そんな経緯なので初めて読んだ司馬さんの小説は、「国盗り物語」でした。この小説は、すでに司馬遼太郎がベストセラー作家となったのちの作品で、まさに氏の油がのりきっていた時代の作品です。この小説が文庫化されたのは、1971年ですので、私が読んだ時にはすでに重版を重ねていたことになります。


  その面白さは天下一品。その題名が表す通り、一介の油売りから身を起し美濃の国を手に入れた斎藤道三、尾張の弱小大名から桶狭間の戦いで今川義家を打ち破り、近隣の国々を次々に従え、日本国を手に入れるまでになった織田信長、そして、その信長を本能寺の変で打ち取った明智光秀。この三者の人生をみごとに描いて、物語ります。


  今回ご紹介する本にも出てきますが、司馬遼太郎は、歴史小説作者の目線について、ビルの屋上から下界を見下ろすと道路や行きかう人たちの先までが見とおすことができる、そうした俯瞰する視点で小説を書いている、と語っています。


  司馬さんの小説には、語り部としての視点と、歴史家としての視点、という二つの視点が存在しています。登場人物とその周辺の人々が織りなす出来事を語り部として語りながら、日本人の歴史として、その人物やその場面を俯瞰した時にどう考えられるのか、が司馬さんの見方で語られていくのです。


  さらにその小説には、たくさんの余談が登場します。しかし、その余談は、決して閑話休題なのではなく、歴史的視点を語るときに大きく参考となる事象なのです。司馬さんの中では、小説で語りたいことを補足するために「余談」は欠くべからざるものなのです。


  その作品群は、日本の激動期の歴史を生き抜いた男たちを描き、日本のあらゆる時代を縦横無尽に渡り歩いていきます。


  私の好きな作品でたどれば、平安末期の「義経」からはじまり、室町時代の北条早雲を描いた「箱根の坂」、安土桃山では黒田官兵衛を描いた「播磨灘物語」、司馬さんが一番好きだという秀吉を描いた「新史太閤記」、天下分け目の戦いを時代の目で描いた名作「関ヶ原」。


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(「播磨灘物語」第一巻 amazon.co.jp)


  江戸時代の始まりとして家康を描いた「覇王の家」、江戸時代の大商人高田屋喜兵衛の生涯を描いた「菜の花の沖」。どの作品も主人公たちを史実に則りながら、司馬さんの深い想いとともに描いています。


  そして、幕末から明治にかけては、渾身の名作群が並びます。我々に新たな坂本竜馬を見せてくれた「竜馬がゆく」。同じ幕末を生きていた新選組の土方歳三を描き出した「燃えよ剣」。この2作品は、昭和30年代並行して書きすすめられており、同時に連載されていた作品です。そして、この二作品により、昭和の司馬遼太郎ブームが巻き起こったのです。


  その先には、幕末に江戸幕府側で壮絶な戦いに散った越後長岡藩の河合継之助を描いた「峠」、大村益次郎を描いた「花神」、などが続きますが、司馬さんの小説は、しばしばNHK大河ドラマで取り上げられ、高い視聴率を誇りました。


  明治大正にかけては、「翔ぶが如く」「坂の上の雲」。この二作品は、それぞれに明治時代と大正時代を描いていますが、そのアプローチはまったく異なります。


  「翔ぶが如く」は、明治維新を成し遂げたのち、日本人が明治を開いた生みの苦しみを語っています。描かれるのは、薩摩の盟友であった西郷隆盛と大久保利通。そこでは、長州や土佐も含めた討幕側の人間が対立し、ついには西南戦争を引き起こしたアンシャンレジームの歴史が描かれています。いったい西郷隆盛とは日本人にとって何者だったのか。


  一方で、「坂の上の雲」は、明治から大正にかけて現代に繋がる豊後革命を起こした正岡子規、陸軍と海軍で日露戦争の参謀を勤めた秋山好古・真之を主人公とした一大叙事詩です。あまりに有名な作品であえて語る必要もないのですが、この小説の面白さは、主人公が今の愛媛県、松山藩で育った3人であるところです。松山と言えば、夏目漱石が「坊ちゃん」の舞台に選んだ土地ですが、漱石が醸し出したユーモアが、なぜかこの小説にもつながっているような気がするのです。(あくまでも個人の感想です。)


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(NHKドラマ「坂の上の雲」DVD amazon.co.jpより)


  こうして思い起こすと、我々日本人が司馬遼太郎の作品を持ったことの幸せを改めて感じます。


【司馬遼太郎を何から読むか】


  さて、今回読んだ本は、膨大な司馬遼太郎の作品をどんな順番で読んだらよいのかを語る指南書です。著者の森史朗さんは、かつて文芸春秋社において司馬番を勤めていたと言います。現在は、戦史家として数々の著作を上梓しています。さすが、司馬さんの謦咳に触れた元編集者だけあって、司馬さんの描く世界をご本人の語りを交えながらみごとに我々に伝えてくれます。


  森さんは、司馬さんを知らない若者たちのためにナビゲーターとして案内をするつもりでこの本を上梓しました。67遍に渡る膨大な作品をどんな順番で、どのように読み解いていけばよいのか。この本には、森さんの司馬さんへのリスペクトと愛情が詰まっており、司馬さんの小説や随筆を知る我々には、その胸が熱くなる想いが伝わってきます。


  その目次は、


第1章 想い出の司馬遼太郎さん

第2章 第一冊目は、『燃えよ剣』からはじめよう

第3章 第二冊目は、いよいよ『竜馬がゆく』に挑戦してみよう。

第4章 第三冊目は、『最後の将軍』で、徳川将軍家を学習する。

第5章 第四冊目は、『世に棲む日日』で、長州藩の動きを知る。

第6章 維新史の締めくくりは、『翔ぶが如く』で、西郷隆盛の謎を考える。

第7章 司馬作品を散歩する。

第8章 歴史大作『坂の上の雲』は、日本人への遺言だ。

第9章 なぜ、ノモンハン戦の執筆を断念したか。

第10章 司馬さんと太平洋戦争

付章 最後の手紙


  司馬遼太郎の作品に魅了されてきた我々には、目次を読んだだけでも心が躍るような気持ちになります。そして、第1章で語られる編集者時代の司馬さんのエピソードを読むと「やっぱり司馬さんはそうだったんですね。」と思わず声をかけたくなります。


  司馬さんの歴史小説に対する矜持と周囲の人々への優しさは、ぜひこの本で味わってください。


  この本では、各章で著者が司馬ファンとして、また司馬番として知ることができたエピソードを各所で語ってくれます。例えば、第7章の「司馬作品を散歩する」では、司馬遼太郎の小説世界にはなぜ日本の古代史が登場しないのかが文芸界の裏話として語られます。


  昭和の時代、同じ小説家で日本の古代史に強く興味を持っていた大御所がいます。それは、かの松本清張さんです。松本さんは司馬さんがデビューする頃にはすでに流行作家となっていて、司馬さんがデビューしたのちには、卑弥呼の謎や邪馬台国の謎に挑んでいました。


  この章では、司馬さんと松本さんの対談秘話が語られていて、我々を楽しませてくれます。


【司馬遼太郎へのラブレター】


  この本を読み終えて思うのは、この本は司馬遼太郎の作品のガイダンスという体を取っているものの、その実は司馬遼太郎を愛してやまない森さんの司馬さんへのレクイエムだった、ということです。


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(故 司馬遼太郎氏の画像 atpress.ne.jpより)


  第10章の司馬さんの思いへの思い入れ。司馬さんはかの理不尽な太平洋戦争に対し、自らの変質してしまった日本に大きな憤りをかかえつつ、それを作品にしようとアプローチを続けていました。司馬さんの小説は、どれを読んでもその終わりには、人間が最も幸福を監視感じるさわやかさが匂っています。


  あの戦争では、そうした匂いを醸し出せるような人物をどうしても見出すことができなかったのです。ノモンハン事件にしろ、太平洋戦争にしろ、かの戦争に突入していった日本は、司馬さんの人間性と本質的に相いれないものだったことがよくわかります。


  森さんは、司馬さんが太平洋戦争を執筆していたら、その寿命は短くなっていた、と語ります。そして、司馬さんの描く太平洋戦争を読みたかった、と簡単に語ってはいけないのではないか、との疑問を提示します。それは、その後の随筆「この国のかたち」で、歪み、調子狂いとなってしまった日本の姿が語られたことで十分だった、との言葉ににじみ出ています。


  この本は、司馬さんの謦咳に触れた人たちが皆感じたであろう愛情に対して語った、司馬さんへの手紙のようなものなのです。


  司馬遼太郎は、私にとって本読みとして最も偉大なアイドルです。そして、この本でそのアイドルの最後の姿を読むことができ大きな感動を味わうことができました。司馬さんの作品は、我々日本人にとって本当に楽しめる、そして貴重な贈り物なのです。


  この本を読んで、一人でも多くの日本人が司馬遼太郎の作品に感動をしてくれることを心から願って今日はお別れします。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年04月22日

宮城谷昌光 春秋の呉越を描く!(その3)


こんばんは。


  宮城谷さんが描く春秋時代の呉越。今週は、待ちに待った文庫本の第5巻を読んでいました。


「呉越春秋 湖底の城 五」(宮城谷昌光著 講談社文庫 2016年)


【伍子胥 復讐の行方】


  第四巻は、雌伏の時を過ごしていた伍子胥とその一行がいよいよ呉の国の公子光のもとで信頼を得て勇躍する姿が描かれて、みごとに次作へと続く終わり方でした。(ここからネタバレとなりますが・・・)


  公子光は、呉王である僚の父親の兄の息子であり、呉の軍を仕切る将軍となっています。第四巻のクライマックスは、公子光が呉王僚に対して起こしたクーデターです。公子光は、呉の王のいとこに当たります。公子光の祖父には4人の息子があり、その中で最も優秀な末っ子の李礼に王を継ぎたかったのですが、李礼がこれを拒んだことから公子光の父である諸樊が王となり、その後に弟の余祭、さらに弟の余昧に王位を継ぎ、最後に李礼が王になることとなっていたのです。


  ところが、余昧が李礼に王を継ごうとしたとき、李礼は王となることを拒み国外に出奔してしまったのです。そこで余昧は息子を跡継ぎとし呉王僚が誕生しました。公子光は、長男の息子である自分が跡を継ぐべきだと考えており、虎視眈々と自らが王となる機会をうかがっていたのです。


  そして、紀元前515年の夏、ついに公子光は、宴席に臨んだ呉王僚を殺害し、自らが呉王闔閭(こうりょ)となったのです。このときに刺客となったのが、伍子胥が推挙した鱄設諸だったのです。こうして、伍子胥は呉王闔閭の補佐役となり、かねてからの復讐を成し遂げることが可能となりました。宮城谷さんは、熟練の筆でこの出来事を見事に描きました。


  その手に汗を握る場面は、ぜひ文庫本第四巻で味わってください。


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(「湖底の城 五」講談社文庫 amazon.co.jpより)


  ところで、伍子胥の復讐とはどのようなものだったのでしょうか。


  伍子胥の一族は、代々楚王に仕える一族でした。伍子胥の祖父五挙は、楚の王である荘王の重臣として信頼された人物で、父五奢も楚の平王に仕え、平王の太子建の太傅を命ぜられていたのです。ところが、平王の側近であった費無極は、直言清廉で人望もある五奢をなきものとし、実権を握ろうと企てます。


  あるとき費無極は、平王に命ぜられ太子建の花嫁を娶るために秦に出向き、秦の姫君を連れて帰ります。しかし、その姫君があまりにも美しかったため平王に取り入って平王の夫人にしてしまいます。こうして費無極は平王の側近となりますが、次世代の王、太子建の恨みを恐れて、平王に太子建が謀反を企てていると讒言を行います。


  その讒言を信じた平王は、太子建を廃嫡としてしまうのです。このときに「実の息子を信じるべき」と進言を行った五奢は、費無極と平王に疎まれ、囚われの身となります。さらに費無極と平王は、五奢の一族を壊滅させるために五奢のみならず、長男の尚五と弟の員五(伍子胥)をおびきよせたうえで、一族全員を殺害しようと考えます。


  平王(楚)対伍子胥の戦いは、ここから始まります。


  父と兄を殺害された伍子胥は、楚から逃れると楚の平王に復讐を誓うのです。伍子胥は、2mを超える偉丈夫ですが、その仁徳もなみはずれています。その深い懐と人の才能を見抜く目を持って、放浪の旅を続ける間に様々な人々と絆を深め、呉に至り、ついに呉王の腹心となるのです。


  宮城谷さんの筆は、伍子胥のたどる苦難の道をまるで教養小説のように描いていくのです。


【孫武(そんぶ)と孫臏(そんびん)


  唐突ですが、「孫子」と言えば、兵法書として最も有名であり、かの毛沢東も愛読したといわれています。日本でも源義家や武田信玄をはじめ、日本海海戦でバルチック艦隊を破った東郷平八郎も戦いに当たっては「孫子」の思想を学んでいます。


  「百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして兵を屈するは善の善なるものなり。」や「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。」、はたまた、「善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。善く守る者は、敵、その攻むる所を知らず。」などの言葉は、まさに「孫子」のエッセンスを語るものとして有名です。


  その「孫子」の原型を形作ったのが、春秋時代に伍子胥と共に呉の闔閭に仕えた孫武だったのです。この第五巻ではいよいよ伍子胥が孫武を迎え入れて、「呉」の軍を強化し、勝つための戦略を作り出していくことになるのです。


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(「孫子」を手にした孫武像  wikipwdiaより)


  ところで、宮城谷さんのファンの方は、孫武と聞いて、もう一人の孫子を思い出すのではないでしょうか。


  そうです。宮城谷さんの名作孟嘗君」(講談社文庫)。「孟嘗君」は、呉越よりも後の戦国時代に覇者であった「斉」の国を舞台にした本当に面白い小説です。この小説のキモは、主人公が孟嘗君の育ての親である商人、白圭(初めの名は風洪)であるところです。そして、この小説の中ほどに登場するのが、もう一人の孫子、孫臏(そんびん)です。


  孫臏は、浪人であった龐涓(ほうけん)と共に兵法を学んでいました。そののち、龐涓は魏の国に登用され将軍となります。孫武の子孫ともいわれる孫臏の兵法の才を恐れた龐涓は、こともあろうに孫臏を魏に誘い出し、あらぬ罪を着せて投獄します。その才能への嫉妬もあったのでしょうか。孫臏は、両足を切断され、額に入れ墨を入れられるという刑に処せられます。


  白圭は、商人特有の情報網から、孫臏が幽閉されていることを聞き、魏の国へ救出に向かいます。処刑され、身動きもとれない孫臏を救った白圭は、斉の将軍である田忌のもとを訪れ、様々な人脈を駆使して、孫臏が田忌将軍の客となるように取り計らいます。


  田忌将軍の客となった孫臏は、瞬く間に才覚を現して斉王の戦略顧問へと登用されます。


  孫臏が登用されるときのエピソードは、ぜひ名著孟嘗君」でお楽しみください。


【馬陵の戦い】


  孫臏は、斉の国の軍事顧問として「趙」の国に攻め込んだ魏と戦い(桂陵の戦い)、大勝します。そして、十余年が経ち、魏の龐涓が今度は軍を立てて「韓」に攻め入ります。「韓」から救援を求められた斉王は、田忌を将軍とし、軍師を孫臏として大軍を預けて魏を攻めるよう命じます。その数十六万。いよいよ龐涓と孫臏の宿命の対決が実現するのです。宮城谷さんは、この戦いを孟嘗君(このときは、まだ田文)の初陣として描いています。


  桂陵の戦いでは、魏軍の本体は趙の国に攻め入っており、本国の守りが手薄となっていました。孫臏は、そのことを見抜いて直接魏の国に攻め入ることで勝利を手にしました。しかし、前回の愚を犯したくない龐涓は、本国にも大軍を残して遺漏のない体制で挑みます。そして、攻め入ってきた斉軍を二つの軍によって挟撃しようとしたのです。


  そのことを知った孫臏は、急ぎ兵を撤収し斉に向かって退却を始めます。斉軍の退却を知った龐涓は全軍で追撃し、斉軍を壊滅に追い込もうとします。


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(「孫臏」の像 amazon.co.jpより)


  ここで軍師である孫臏は追撃する龐涓のおごる気持ちを利用します。


  退却するさなか、孫臏は野営する兵士たちの焚火の跡を毎夜、少しずつ減らしていきます。そのことで、斉軍に脱走者が発生し、軍の規模と士気が大きく下がっているように見せかける戦略です。龐涓はまんまとこの作戦にはまります。斉軍が弱体化していると見た龐涓は、追撃するスピードを上げるため、歩兵を後方に置き、騎馬軍のみで追撃します。


  斉軍は、追撃する魏軍がどの程度の速度で追ってくるのかを計算し、次の野営地で魏軍に対し罠を仕掛けます。馬陵は山に囲まれた谷状の地形となっており、夜には暗闇で何も見えなくなります。孫臏は、月のないくらい夜に斉軍の弓矢部隊を山裾に隠し、馬陵を取り囲むように配置しました。そして、その谷地の目立つ大木に大きな板をぶら下げます。


  その板に刻まれていたのは、「龐涓この樹の下で死せん」との言葉でした。


  夜、馬陵についた龐涓は、樹木につるされた奇妙な板があると斥候から報告を受けます。その板に何が書いてあるのかを見るために松明を掲げさせ、その文言を読んだ瞬間、松明をめがけて無数の矢が放たれたのです。豪雨のように降り注ぐ矢にみまわれた魏軍は、パニックとなり大混乱に陥ります。


  強兵を誇る魏軍もこの戦略に浮足立って壊滅します。そして、龐涓も自らの不明を恨みながら自害します。


  宮城谷さんの筆にかかると、龐涓と孫臏の息が詰まるような戦いが大きなスケールと迫力をもって描かれていくのです。


  ああ、思い出すとまた孟嘗君」が読みたくなります。


【いよいよ孫武登場】


  さて、話を「湖底の城」に戻しましょう。


  第五巻は、呉王闔閭の側近となった伍子胥が、強大な隣国斉に王の使者として出向くところから始まります。かつて雌伏の時期に兵法の碩学である孫武と出合った伍子胥は、時期が来た時には必ず迎えに来ることを約して孫武と別れました。


  呉には、外交を任されていた大人である李子がいます。李子は、クーデター後の国内整備で呉の民が疲弊しており、すぐに兵を起こせる状態にはないことを諭します。そのうえで、楚に攻め込むためには、北方の大国斉が楚との戦いに中立を保ってくれることが必要となります。そのために斉と信義を深めておくことが必要であり、王はまず斉に使者を送るべき、と提言したのです。


  王は、その使者に伍子胥を指名します。当時の斉の宰相は、その徳により名前がとどろいている晏嬰です。晏嬰を始め斉の要人との面談を終えて、斉に帰還する途上に孫武の住む地に立ち寄り、孫武を斉へと連れ帰ります。


  このとき、孫武の兵法を書にしたためて呉王闔閭に献上し、事前に孫武の戦略の大きさを知ってもらおうと考えます。そうして、旅の途中に孫武は「孫子」の元となる著作を完成させるのです。さらに孫武のもとで養育してもらった小洋も見事な成長を見せて呉へと帰還します。


  事前に献上された「孫子」を読んだ闔閭から伍子胥のもとにいた孫武に迎えの使者が訪れます。その間丸2日。即断即決の呉王にしては、時間がかかります。そのことを孫武に図ると、孫武はこともなげに「王は私の力をどのように試すかを考える時間が必要だったのでしょう。」と所見を述べます。


  そして、その所見の通り、呉王は驚くような試験を用意していたのです。


  そのワンダーは、皆さんもこの第五巻を読んで味わってください。時間を忘れて読みふけること間違いなしです。



  さて、今月はノラ・ジョーンズのライブ(武道館)と元イエスのジョン・アンダーゾン、リック・ウェイクマン、トレバー・ラビンのライブ(オーチャードホール)に参加してきました。ノラ・ジョーンズの包みこまれる声に癒され、イエスミュージックに明日への元気をもらってきました。


  寒暖差が例年よりも厳しい春がやってきましたが、皆さんも人生の楽しみを味わって元気にお過ごしください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年04月17日

鼎談 歴史からの伝言を読む


こんばんは。


  近現代史は、まだ定説として定着していない、という点がダイナミックで面白い。もちろん、定説となっている近世以前の歴史も最前線の歴史学者の皆さんによって、定説が覆ることも多く、それを面白おかしく紹介する先生もたくさんいます。


  しかし、近現代史には、埋もれている資料や読み込まれていない資料も数えきれないほど存在しており、次々と新たな事実が明らかになり、常に歴史に厚みが増していく点に、大いなるワンダーを感じることが出来ます。


  以前、加藤陽子氏の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」をご紹介したときにも感じましたが、自らの国が現在どんな経緯のもとに存在しているのかを我々がキチンと認識していないと、民主主義はうまく機能しないのではないかと強く感じます。


  民主主義とは、一言でいえば多数決です。選挙という、究極の多数決で国がまわっている現実を見れば、多数決の命運を握る半分以上の選挙民がキチンとした知見を持っていなければ、日本という国は成り立ちません。そして、国の永続的な未来を創るためには、現在の社会と人を認識する力が必要となります。


  そして、現在を認識するには、少なくとも明治維新以降、特に太平洋戦争に向かっていった日本の歴史と戦後の歴史を知る必要があります。特に学校教育における歴史の時間が大変重要であり、明治維新以降の歴史をはしょってしまう日本の学校教育は、そもそも民主主義を担う人材を育てていないといえるのではないでしょうか。


  今週は、近現代史を語る鼎談本を読んでいました。


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(「歴史からの伝言」amazon.co.jpより)


「歴史からの伝言−日本の命運を決めた思想と行動」(加藤陽子 佐藤優 福田和也著 扶桑社新書 2012年)


【鼎談を読む楽しみ】


  話し言葉というものは、人が頭で考えたことがそのまま流れ出てくるものであり、文章に比べて軽やかで自由奔放です。それゆえに対談本や鼎談本は、テンポが速く、読みやすいのです。特に対談の場合に、テーマが二人にとって常日頃からディープであれば、ネットサーフィンのように次から次へとワンダーな話題が飛び出します。


  飲みに行った席での会話でも、近況や天気や健康の話をしていても徐々に話が弾んで、政治情勢の話や文化論、好きな趣味の話になれば話題が次から次へと広がってしまい、気づくと何の話をしていたのかわからなくなることがままあります。


  先日も本好きの先輩と久しぶりに飲んでいて、佐藤優さんの話をしているうちに文化論の話になりました。


  韓国のパク・クネ大統領逮捕の話と北朝鮮のミサイル発射の話から、なぜか日本人は果たしてオリジナルな文化を創造することが出来るのか、日本人の文化は歴史的に模倣の文化であり、模倣を極めたものが果たして純粋なオリジナルと言えるのか、ヨーロッパ文化は本当にオリジナルなのか、との論議になり、仕舞には最初に話し始めた趣旨はなんだったのか、二人で一生懸命思い出す始末でした。


  気が付くと店は閉店の時間となっていて、4時間半も論議していたことになります。まあ、飲み会はそのためにあるので、しっかりストレス発散になったのですが、二人が肝心の本の話をし忘れたことに気付いたのは、店を出た後だったのです。


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(北朝鮮のミサイル発射 asahi.comより)


  飲み会であればよいのですが、時々、仕事のプレゼンの中で、理解を得ようと必死になり、よけいな話までしてしまうことがあります。打ち合わせが終わり、後になってから「あそこでの表現は誤解を招いたかもしれない。」「キチンと趣旨を理解してもらうには、こう話した方がよかったのでは、」などと、余計なことを考えてしまうこともよくあります。


  対談本ではまだ二人なので修正もききますが、鼎談本では、軽快に話が進んでいくと誰もが新たな知識を話題にし、そういえば、ところで、新たな話題が現れ、いったいテーマの結論は何なのか、だれも整理することなく終わってしまうことが出てきます。さらには、読んでいる方では新しい知識についていくのに必死で、肝心の「だからなんなのか」まで頭がついていかないこともあります。


  あれっ、と思って読み返してみると、実は結論のない放談であり、論議が尻切れトンボになっていることもあります。


  今回の鼎談は、いずれも知の世界で活躍する3巨頭によって行われました。


  まずは、フランス文学を中心に日本近代史も含めて過激な評論で名を知られる文芸評論家の福田和也さん、そして、元外務省のインテリジェンスオフィサーで近代史、宗教、地政学など広い知見を誇る佐藤優さん、さらには、東大文学部で近代史を専門としている歴史学者で分かりやすくディープな知見を教えてくれる加藤陽子さん。


  日本の知性を代表するともいえるこの3人は、ともに1960年生まれ。まさに遠慮なしの鼎談が展開されていきます。


【近代歴史からの伝言とは?】


  今回語られるのは、戦中から戦後にかけての日本の近代史です。


第1章 尾崎秀実から再考する「東亜協同体」の可能性

第2章 皇室の母性と天皇の超越性

第3章 日米安保と沖縄の五十年

第4章 ポスト安保の思想と運動

第5章 危機下の宰相―原敬と“おとな”の政治

第6章 平沼騏一郎―「複雑怪奇」な機会主義者

第7章 排外主義はどこにあるか?―幕末、言語、TPP


  皆さんは、この目次を見てどのくらいピンとくるでしょうか。登場人物を簡単におさらいしてみましょう。尾崎秀実と言えば、第二次世界大戦の行方に大きな影響を及ぼしたと言われるスパイ事件、ゾルゲ事件でリヒャルト・ゾルゲとともに逮捕され、終戦の直前に処刑された人物です。尾崎は、当時政府の政策に深くかかわり多くの提言を行いましたが、その論客としての知見は当時から一目置かれていました。今回は、獄中での様子も含めたその思想の変遷が語られます。


  昭和天皇については、その激動のご生涯から様々な識者が様々に語っていますが、この本で鼎談の中心となるのは、映画「仁義なき戦い」や「二百三高地」などで有名な脚本家である笠原和夫氏の未発表の脚本である「昭和の天皇」です。生前、「大日本帝国」、「日本海大海戦 海ゆかば」などの脚本を書いた氏が、どのように昭和天皇を描いたのか、興味は尽きません。


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(ダーウィンとリンカーンの胸像と昭和天皇 tanken.comより)


  第三章、第四章では、戦後の近代史の中で、若者たちをも巻き込んだ「安保闘争」とその後を、当時の宰相であった岸信介、佐藤栄作の思考や行動を通じて論じていきます。ポスト安保では、文化運動としての「若い日本の会」が話題となり、石原慎太郎、江藤淳、吉本隆明などが語られていきます。


  そして、原敬と平沼騏一郎。原敬は、第一次世界大戦終結の年に内閣総理大臣となり、大正デモクラシーを背景に自由な政策を進めましたが、1921年に東京駅でテロリストによって刺殺されました。一方の平沼騏一郎は、法曹界出身で枢密院の議長などを歴任した後で、第二次世界大戦中に総理大臣となります。しかし、ソ連とのノモンハン事件と独ソ不可侵条約の締結の責任を取る形で、たったの8か月で総辞職しました。


  さて、この本の鼎談が行われたのは、2009年の11月から2011年の10月にかけてです。その間には、あの東日本大震災があり、さらにTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が大きな話題となっていました。この本の最後の章は、TPPの話題から国家や人の排他主義の問題を取り上げています。


【自由奔放な知見の表明】


  この本は、どのページを開いても3人の得意分野からの知識と知見が次々と語られていき、とめどない世界が繰り広げられていきます。すべてのページでワンダーが語られていくのですが、鼎談には事前にテーマが決められていて、3人は事前に話題の中心となるテキストを読んでから鼎談に臨んでいるようです。


  そこで語られる文献はワンダーです。


  特に近代史では、それぞれの人が手記や日記を残しており、その中に歴史では語られることがない事実が記されていて本当にワンダーです。尾崎の章では、中国の民族問題が中心話題となりますが、そこに登場するのは、堀田善衛の「上海日記」。第二章では、「小倉庫次侍従日記」や226事件で銃殺された西田税(みつぎ)の「無限私論」。


  さらに、沖縄と安保の話の中では、様々な記録や書籍とともに岸信介の手紙や佐藤栄作の日記が紹介されます。同じ兄弟でありながら、獄中で一度命を捨てた岸と末っ子で要領のよい佐藤の比較はなるほど、ワンダーな話題でした。


  加藤さんの得意分野である原敬と平沼騏一郎の章では、「原敬日記」、「平沼騏一郎回顧録」が登場します。平沼騏一郎は、日中戦争当時にインテリジェンスを駆使して、英米との協調拡大を目論んだ政治家として注目されていますが、おおむねの意見としては、日本翼賛、保守派とラベリングがなされています。


  しかし、ポツダム宣言の受諾による無条件降伏を決す御前会議にて、戦争継続に反対し、終戦の日にテロリストに襲われて自宅を焼失した事実を知ると、右翼、保守派にも様々な立場があり、人の生き方には一言では表しきれない多くの思想と行動があるのだと、改めて思い起こされます。



  ところで、あまりにも奔放な鼎談のおかげで、この本を活字として読むときにはどうしても議論が分散されて集約されないもどかしさを感じます。鼎談の始まりには、福田さんがその会のテーマを語って始まるのですが、話題は常に拡散して短い時間の鼎談で、意見が集約されることがありません。


  本来、本となる場合には章ごとにテーマと結語が必要であり、それがないと「本」ではなく、単なる知識と知見の羅列に終わってしまいます。これは、出版社の企画段階での段取りの悪さもあります。各章を織りなす鼎談は時間が決められているはずで、短時間であっても結語は必要です。


  このページ数で、「じゃあ、テーマはこれなのであとは自由に」としてしまうと、「歴史からの伝言」とのタイトルと各対談の中身がとてもアンバランスに感じられてしまいます。


  最後は、辛口になってしまいましたが、この本には現代の日本の知を代表するお三方の鼎談。今まで知らなかった近現代日本のワンダーが詰まっています。歴史の知に興味のある方は是非ご一読ください。新たな知識に出会うことができるはずです。



  熊本の大震災から1年がたちます。昨日、NHKで熊本城の復興を特集していましたが、400年以上前の熊本築城の時、大地震による知見から「武者落とし」なる石垣築造の技術が構築されたとの事実には驚愕しました。日本の技術は、昔から世界に誇るものがあったのですね。


  仮設住宅にはまだたくさんの人が避難生活を余儀なくされています。一日も早い復旧を祈念して本日はお別れします。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2017年04月05日

三上延 ビブリア古書堂 栞子さんお幸せに!


こんばんは。


  時間は誰にでも平等に流れる、と言います。親と子も、先輩と後輩も終生変わることなく、一緒に年を取っていきます。


  しかし、フィクションの世界では、作品の中で独自の時間が流れていきます。サザエさんは30年たっても変わらぬ若奥さんです。北鎌倉を舞台とするビブリア古書堂の物語も、作品世界の中では固有の時間が流れています


  今週は、ついに最終作となったビブリア古書堂シリーズの第七巻を読んでいました。


「ビブリア古書堂の事件手帖7−栞子さんと果てない舞台」(三上延著 メディアワークス文庫 2017年)


【栞子さんとたくさんの謎解き】


  ビブリア古書堂の主人篠川栞子さんが、太宰治の本「晩年」の初版本を巡り、公園の階段から突き落とされて足を骨折したのは、2010年の7月でした。我々の世界では、その第1巻から数えると7年もの時間が経過しています。しかし、ビブリア古書堂の篠川栞子さんと五浦大輔くんの間では、二人がその事件の後に知り合ってから、まだ1年しかたっていません。


  いよいよ最終巻に当たる第7巻が発売され、その濃密な1年間で徐々に明らかになった栞子さんの大きな謎が、ワンダーとともに明かされることになります。


  名探偵のいるところに事件あり、とは名探偵コナンのセリフですが、この小説では、「栞子さんのいるところに本の謎あり」、とのセリフがぴったりです。たった1年の間に栞子さんが解き明かした謎は、20にもわたります。第1巻で4つの謎、第2巻でも快調に4つの謎、少しパワーダウンした第3巻では、栞子さんの母親、第二の主人公ともいえる篠川智恵子のエピソードを含む4つの謎が解き明かされています。そして、初の長編小説となった第4巻は、江戸川乱歩をキーワードとしていくつもの謎が重なります。


  長編ですので、いくつもの謎解きが仕掛けられていますが、その中心となる謎は2つとなります。第5巻は、再び短編でつづられますが、ここでは篠川智恵子と栞子さんがまるで謎解きで勝負するように重なります。この二人を織りなす3つの断章に繋がれて、3つの謎が提起され、謎解きがなされていきます。そして、いよいよ前作の第6巻。ここでは、第1巻の謎が回帰するかのごとく太宰治にまつわる謎が長編で展開されます。


  第6巻では、栞子さんが自ら関わった太宰治の「晩年」の謎とさらに太宰治の研究会であった「ロマネスクの会」に秘められた謎に挑みます。その第6巻では、パートナーである五浦大輔と栞子さんを襲った犯人の意外なつながりが判明し、さらには篠川家の古書にまつわる歴史が篠川智恵子を通じて語られていくことになるのです。


  ビブリア古書堂シリーズの1年間の歩みの中では、栞子さんと大輔くんは恋人同士になるとともに20もの謎が栞子さんの本に対する深い造詣と名推理とによって解決されてきたのです。その天下一品の面白さは、著者の才能の成せる業です。


【華麗なる古書一族】


  第7巻は、三上さんにしては珍しく、前作から2年近くの時間をかけた長編です。シリーズの最後を飾る本作は、それに相応しい、ワンダーな作品に仕上がっています。もちろん、この作品だけでも十分に楽しむことが出来ますが、これまでのシリーズで伏線となっていた謎が次々と明らかになっていくという意味では、シリーズを読んでいればより大きなワンダーを味わうことが出来ます。


ビブリア0701.jpg

(「ビブリアシリーズ第7巻」amazon.co.jpより)


  まず、前作で栞子さんと大輔くんを危機の陥れた栞子の祖父祖母の一族の謎、突然失踪した母、篠川智恵子の謎がすべて氷解するというワンダーな面白さに心が躍るとともに、随所にこれまでの6冊で登場した人々が登場し、ファンにとっては楽しくページが進んでいきます。第1巻で「せどり」やとして登場したホームレスだった志田も再び登場して大輔くんを助けてくれます。


  作品の舞台となっているのは栞子さんのお父さんが経営していた「ビブリア古書堂」ですが、栞子さんの母方の一族が今回の本の中心となります。母親の篠川智恵子は、これまでも切れ味鋭く様々な古書の謎にかかわっており、その颯爽とした姿が本当にカッコよかったのですが、本作では、まさに準主役級の活躍を見せ、最後まで魅力的なキャラクターとして輝いています。


  智恵子−栞子の「本」、とくに「古書」への思い入れと愛情はどこから生まれているのか。昔、山崎豊子さんのベストセラー小説に「華麗なる一族」という作品がありましたが、このシリーズの背景には智恵子の父親である久我山尚大の一族が横たわっていたのです。


  智恵子は久我山夫妻の実の子ではなく、久我山と別の女性の間にできた子供でした。前作では、久我山尚大の未亡人である久我山真理が太宰治の「晩年」を巡る事件で糸を引いていたわけですが、第7巻では、満を持して一族の始まりである久我山尚大が登場することになります。登場と言っても、現時点で尚大は亡くなっています。いったい何が・・・。


  この本のプロローグには尚大らしき人物が登場します。


  そして、一族に残したメッセージ。それは、全く同じ大きさ、形をした赤、青、白の表装を施した、開かずの本だったのです。その本が、一族の謎を解き明かしていくとともに本作のトリッキーな謎に直結してきます。


【シェイクスピアのフォリオ?】


  今回、主役となる本はシェイクスピアのファースト・フォリオです。


  フォリオとは、全版の紙を二つ折りにして4面に印刷した紙を製本したもので、二つ折り版と呼ばれています。シェイクスピアの時代、二つ折り版の印刷技術はまだまだ稚拙であったらしく、シェイクスピアの戯曲36編が3巻の全集としてフォリオで出版されたことは、文学界でも印刷業界でも画期的な出来事だったといいます。


  あれ、シェイクスピア? たしか先日ご紹介したチャーリー・ラヴェット氏の小説「古書奇譚」でもシェイクスピアにまつわる本がその主役となっていました。そこで取り上げられていた稀覯本は、シェイクスピアの自筆の草稿を含んだ古書でした。イギリスでは、ファースト・フォリオ自体は割合一般的な話であるために、あえてより希少な本を謎として取り入れたのでしょう。


  しかし、我々日本の古書界においては、海外物はメジャーとはいえません。実際に私もファースト・フォリオとは、初耳でした。ビブリア古書堂もついに海外の稀覯本へと世界を広げていくのです。


  ファースト・フォリオとは、世界初のシェイクスピア全集(フォリオ)の初版本という意味です。出版された年は、1623年。この年は、シェイクスピアの没後7年に当たります。20164月にイギリスのスコットランド・ビュート島で、このファースト・フォリオの1冊が新たに発見され、鑑定の結果、間違いのない本物とわかり大きな話題となりました。この時点で、現存するファースト・フォリオは、234冊になったといわれています。


ファーストフォリオ01.jpg

(「ファーストフォリオ」表題ページ wikipediaより)


  果たしてその価値はどのくらいなのか。2001年のザザビーズのオークションにファースト・フォリオが出品されたときには、なんと6.4億円で落札されています。ファースト・フォリオの印刷部数は、750部と推定されており、廃棄されたり焼失したものを考慮したとしても、まだまだ未発見のものがどこかに存在する可能性があります。


  その1冊が日本にあるとしたら。考えるだけでもゾクゾクしてきます。(この先ネタバレあり。)


【謎のアンティーク商登場】


  さて、前回の事件から間もないころ、ビブリア古書堂に、あかぬけた老人が訪ねてきました。その人物は、如才のない面持ちで舞砂道具店の吉原喜市と名乗り、ある品物を栞子さんと五浦大輔の前に差し出します。その品は、前作で大輔が大けがをする原因となった太宰治の「晩年」初版本でした。


  吉原喜市は、横浜でアンティークショップを営んでいますが、海外古書の販売も手掛けており、今回、久我山書房の本を所有していた未亡人久我山真理の蔵書をすべて買い取ったというのです。栞子さんは、第1巻で「晩年」を巡り、その所有をもくろむ犯人から付け狙われて大けがを負わされています。


  吉原が手に入れた「晩年」は、すでに栞子さんが所有している初版本とは別の「晩年」初版本なのです。そして、その本は前作で、栞子さんを傷つけた犯人から依頼され、手に入れて売り渡すことを約束した本だったのです。栞子さんが買い取ろうとしていた「晩年」は、いつの間にか吉原喜市に手に渡っていたのです。


  しかし、その「晩年」は何としても手に入れなければなりません。吉原喜市は、慇懃に笑みをたたえながらも、その本を望外の金額で売りたいと申し出てきたのです。その金額は、なんと800万円。いかに貴重な初版本と言っても相場をはるかに上回る金額です。しかし、栞子さんに選択の余地はなく、やむなくその金額で買い取ることになります。


  商談が成立し、「晩年」を引き渡す吉原。そして、店を去る際に吉原は、1冊の古い小冊子を二人に渡します。その小冊子の題名は「人肉質入裁判」。著者は井上勤、1883年の著作です。当然、大輔には何の本やらわかりませんが、栞子さんにはすぐにわかります。それは、日本で初めて翻訳されたシェイクスピアの名作「ベニスの商人」だったのです。


  得体のしれない吉原喜市。彼は、これまでの栞子さんの行動や篠川智恵子の動きを逐一知っているようです。いったい、どんな目論見があって彼はビブリア古書堂に近づいてきたのでしょうか。栞子は、「晩年」を売ることが吉原喜市の真の目的ではないことを見抜きます。


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(「読書する栞子さん」 biblio.jpより)


  ここから、久我山尚大が残した謎を巡って、栞子さんと大輔くん、篠川智恵子、吉原喜市の3つどもえの戦いが繰り広げられることになります。


  シェイクスピアは17世紀の人です。現在とは違い、当時の演劇では女性は舞台に上がる風習はありませんでした。作品には女性がたくさん出てきますが、すべての女性は男が演じていました。また、17世紀では製本は、印刷とは異なる技術であり、古くなった本は、その装丁が古くなると中味のみを取り除き、新たな装丁を施したといいます。


  今でもブックオフなどでは、買い取った本は、汚れた四方をきれいにするために背表紙以外の三を裁断してきれいにします。中味を残して装丁を新たにする場合にも、その三を裁断することは当たり前に行われていました。すると、何百年もの間にファースト・フォリオの大きさは少しづつ小型化していくことになります。さらに再製本時には、作品の順番を入れ替えて製本することもあるといいます。


  ファースト・フォリオに秘められた数々の謎。その謎解きは、まちがいなくビブリアシリーズの最高峰と言っても過言ではありません。



  これまでにも、古書店同業者で行われるオークションはこの小説の舞台となってきましたが、この最終巻では、我々の知らない古書取引の現場が舞台となり、大いなるワンダーが繰り広げられます。そして、感動のラスト。皆さんもこの本で、「本」にまつわるワンダーを心行くまでご堪能ください。感動が訪れること間違いなしです。


  著者の三上さんは、あとがきで、このシリーズは一区切りがついたものの、今後も番外編やスピンオフ作品は書いていくつもり、と語っています。その作品に一日も早く出会えることに期待して、今回はお別れしたいと思います。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年03月29日

伊福部昭 音楽を愛する心


こんばんは。


NO MUSIC,NO LIFE.(音楽なくして、人生は成り立たない。)


  この言葉は、音楽を心から愛する人にとっては座右の銘の一つだと思います。かくゆう私も「人生楽しみ」の筆頭は音楽です。


  今週は、音楽を語る伊福部昭氏の本を読んでいました。


「音楽入門」(伊福部昭著 角川ソフィア文庫 2016年)


【音楽なくして人生は】


  さて、皆さんはどんなジャンルの音楽に心を動かされるのでしょうか。


  私が今、一番はまっているのはクラブ系のフュージョンジャズです。かつては、フュージョンと呼ばれてジャズとロックの融合がジャズミュージシャンの間で一世を風靡しました。古くは、超一流のジャズミュージシャン(キーボード:本田竹嚝、サックス:峰厚介、ベース:川端民生、ドラムス:村上寛、ギター:大出元信)によるユニット「ネイティブ・サン」。その音楽は、卓越したスピリットとテクニックで我々を魅了してくれました。


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(フュージョンの名盤「native son」amazon.co.jpより)


  当時、「スクウェア」や「カシオペア」がいきなり学生バンドからフュージョンバンドとしてデビューしていましたが、「ネイティブ・サン」は一味違いました。彼らは一人一人がスタンダードジャズのインプロビゼーションでジャズファンをうならせていたミュージシャンであり、テーマさえ決めておけば一晩中でもセッションを続けられる実力の持ち主でした。


  その疾走する音楽は、アルバムはともかく、ライブであれば一度として同じ演奏はないほどのインプロビゼーションを繰り広げていたのです。ミュージシャン自らが心でグルーブする疾走感が、何よりの魅力でした。彼らが、フュージョンの名演奏を世に送り出すと同時に、渡邉貞夫や日野皓正、さらにはラテンの松岡直也などが、次々とフュージョンの名アルバムを残したのです。


  今、この流れを汲む日本のミュージシャンたちが活躍しています。2013年にデビューして、昨年、車のCMでブレイクした「Suchimos」(ボーカルが「ヨンス」と呼ばれていますが、韓国は関係なく、神奈川県藤沢出身のバンドです。)は、シャカタクを彷彿とさせるセンスのよいボーカルと編曲で、我々を魅了してくれます。ジャズフィールドでは、昨年「東京ジャズ」に出演した「Fox Caputure Plan」(日本のバンドです。)も卓越したテクニックでポストフュージョンを牽引してくれています。


  最近ライブではまっているのは、ギターライブです。今、フラメンコギターの沖仁さんがジャズギターの渡辺香津美とデュオライブを繰り広げています。オリジナル曲も疾走感があり素晴らしいのですが、サイモン&ガーファンクルの「スカボロ・フェア」やラベルの「ボレロ」などがお二人の手にかかると見事なジャズフラメンコに変身し、我々を魅了してくれます。


  昨年の7月のライブでは、なんと演歌の名曲「津軽海峡冬景色」、ジョン・レノンの「カム・トゥギャザー」も飛び出し、ワンダーでした。


  今年の2月には、やはりジャズギタリストの小沼ようすけさんが、元オルケスタのピアニスト塩谷哲さんと行ったデュオライブに行ってきました。小沼さんは、10年ほど前に藤沢に転居して大好きなサーフィン三昧の日々を送っているそうです。そのときからワールドミュージックに興味を持ち、昨年発表したフレンチカビリアンのミュージシャンとパリで録音したアルバムは、ニューフュージョンアルバムの傑作です。


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(ニューアルバム「Jam Ka Deux」amazon.co.jpより)


  このライブは、お二人のジャズマインドがみごとな化学反応を引き起こし、ピアノの和音をギターがしっかりとバックアップし、ギターのピッキングスケールをピアノがユニゾンするという夢のような美しいインプロビゼーションを楽しむことが出来ました。


  さらに同じ月にTBS赤坂シアターで行われたギターサミットも素晴らしいギターライブでした。フラメンコギターの沖仁さんとジャズギターの渡辺香津美さん、そして、ロックギターのSUGIZOさんのギタートリオライブです。かつて、スーパーギタートリオと言えば、ジャズのアル・ディ・メオラ、フラメンコのパコ・デ・ルシア、ロックのジョン・マグラグリンによるライブが定番でした。


  今回の3人のトリオは、スーパーギタートリオを彷彿とさせる「地中海の舞踏」や「スペイン」でも迫力の演奏を聞かせてくれました。しかし、それよりも素晴らしかったのは、LUNA SEAのギタリスト&バイオリニストであるSUGIZOさんのギターです。沖仁さんとデュオで繰り広げたフラメンコ風の曲では、パッションにあふれる演奏に圧倒されました。(本人にいわく「えせフラメンコ」)さらには、SUGIZOさんと香津美さんの「千のナイフ」やおなじみ「ラウンド・ミッドナイト」など、心が躍るような演奏が続きます。


  音楽の話をはじめると留まるところを知りません。今回は、本の紹介なので、好きな音楽の話はまた今度にしましょう。


【映画音楽とクラシック】


  さて、伊福部昭さんは2006年に91歳という長寿で亡くなりましたが、作曲家としてたくさんの管弦楽曲、器楽曲、吹奏曲、さらには舞台曲(バレエ音楽)を世に残している日本を代表する作曲家の一人です。映画音楽の作曲者としても著名で、1947年から1991年まで、数百曲を映画のために書き下ろしています。


  特に有名な曲は、1954年に公開された伝説の名画「ゴジラ」の楽曲です。東宝のゴシラシリーズの曲はほとんどが伊福部さんの手によるものですが、ゴジラのみならず、「海底軍艦」、「サンダ対ガイラ」さらには大映の名画「大魔神」シリーズの楽曲にも伊福部さんが作曲した名曲が使われています。


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(東宝映画「サンダ対ガイラ」ポスター)


  昨年公開された庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」では、「ゴジラ」のオリジナル・バージョンが映画を大いに盛り上げていました。伊福部さんはモーリス・ラベルを大いに敬愛しており、テーマが繰り返されながら徐々に変奏を加え盛り上がっていく「ボレロ」の手法は、「ゴジラ」の楽曲の中でも大いに生かされていたようです。


  伊福部さんは、音楽作曲の技術を独学で学んだといいます。なんと12歳の時から音楽をやるのならば作曲を行うべき、との言葉に従い、作曲をはじめ、19歳の時にはギターのための曲やピアノ曲を完成させたというから驚きです。その後、海外や国内で賞を取るなど、数々の現代クラシックの楽曲を手掛けてきました。


  今回の本は、そんな伊福部さんが「音楽とは何か」を綴った音楽本です。上梓されたのは1951年。1946年に伊福部氏は東京音楽大学の作曲科の講師を務め、このときの教え子には芥川也寸志さんや黛敏郎さんがいたそうです。そして、映画音楽の仕事を始めたのが1948年。このころは、30代後半の最も脂の乗り切った時期であり、この本もそのころに記されたものです。


  ちなみにはじめて上梓されたときの題名は、「音楽入門−音楽鑑賞の立場」でした。


  誰もがご存知の「ゴジラ」は1954年の公開ですので、ちょうど40歳の年に伊福部昭はコジラを作ったことになります。「律動」と「日本民族の音」、この二つが彼の特徴と言われていますが、「ゴジラ」の音楽はまさにそれを現したみごとな楽曲でした。(先日、「シン・ゴジラ」に感激し、思わずサントラCDを購入してしまいました。これでいつでも「ゴジラ」を聞くことが出来ます。)


  今回、文庫で再版されたのも「シン・ゴジラ」のヒットにあやかったものと思われますが、本屋でみつけた瞬間に購入しました。


【音楽を聴くということ】


さて、目次をみると、


はしがき

第一章 音楽はどのようにして生まれたか

第二章 音楽と連想

第三章 音楽の素材と表現

第四章 音楽は音楽以外の何ものも表現しない

第五章 音楽における条件反射

第六章 純粋音楽と効用音楽

第七章 音楽における形式

第八章 音楽観の歴史

第九章 現代音楽における諸潮流

第十章 現代生活と音楽

第十一章 音楽における民族性

あとがき


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(伊福部昭「音楽入門」amazon.co.jpより)


  この本で語られているのは、音楽を聴くときの考え方(姿勢)です。


  象徴的に語られるのは、「純粋音楽」と「効用音楽」の差異です。伊福部さんは映画音楽も多く手掛けてきており、純粋に音楽として聴く「純粋音楽」と演劇や舞踊、映画で使われる「効用音楽」とは鑑賞方法が異なるといいます。「効用音楽」の中には、広い意味で古代からの詩歌やシャーマニズム、宗教歌などで使われていた楽曲までも含まれています。


  歴史的には、「純粋音楽」が創り始められたのは近世ヨーロッパであると語ります。


  音楽を司る要素には、「律動」「旋律」「和声」の3つの要素があると分析しますが、氏が作曲するときに重要視していたのは、「律動」です。律動とはリズムのことですが、それは鼓動であり手拍子に通じます。今でいえばロックのドラムスに当たるものですが、「ゴジラ」の音楽では、この「律動」が大きな効果を帯び、ゴジラと不可分の一体をなしていました。


  氏は、音楽を聴くときの姿勢として、多くの評論に見られるような「音楽ができた背景」、「音楽の修辞語による解説」、「作者の経歴」を求めるのは間違いだと語ります。特に「純粋音楽」は、すべての付随物を考えることなしに「音楽」そのものに向き合うことが正しい聴き方だと言うのです。この本は作る側の記述を避けており、直接の言及を控えていますが、真に聞く価値がある純粋音楽は、題材や素材を超えて音楽として心を打つ音楽であるべき、との考えが見えてきます。


  サティの「ジムノペティ」とリヒャルト・シュトラウスの「ツァラストラはかく語りき」を比較して、純粋音楽への態度を解説するくだりは、氏の音楽に対する姿勢がよくわかり、思わずニヤリとしてしまいます。サティの音楽は私も含めて敬愛する人がたくさんいます。かの坂本龍一さんもサティの音の繊細さを敬愛しています。伊福部さんは、「ツァラスストラ」がニーチェの著作を再現しようとして純粋音楽としては失敗しているとみなしていたようです。


  この本の精神は、ライブに行くとよくわかります。心から楽しめるライブは、音楽に躍動感やエモーション、ムーブメントが備わっているものです。逆にそうしたものを感じることが出来ないライブは、楽しむことが出来ずに時間を持て余してしまいます。


  伊福部さんは、できる限り平易に、しかも合理的(科学的?)に我々に音楽への向きあい方と必要な知識を語ってくれます。


  とても面白い本でしたが、やはり時代を感じるところもいくつかあります。例えば、音楽の歴史の中で、「現在の若い女性たちが・・・ジャズ音楽を好んで踊るのを退廃的だと」との記述があるのですが、この本はロックンロール以前の本なのです。今や尋ねることはできませんが、伊福部さんはロックの隆盛に対してどのように評価していたのか、ぜひ聞いてみたいところです。


  この本の最後に、1975年のインタビューが掲載されています。伊福部さんの生の声が聞こえてとても楽しいのですが、割とシャイなのは生まれ年のなせる技なのでしょうか。「ゴジラ」のくだりで、楽曲のことはあまり覚えておらず、ゴジラの声やゴジラの足音の効果音に苦労したことが記憶に残っているとのこと。やはり、プロの仕事とはそういうものなのか、と妙に納得しました。



  音楽を愛する皆さん、少し心を安らかにしてこの本の声に耳を傾けてください。音楽を聴くとはどういうことなのか改めて考える時間を持つことが出来ます。「NO MUSIC,NO LIFE.」とはまさに伊福部さんのためにある言葉だと改めて心を動かされます。


  季節はいよいよ春。新たな出会いの季節が巡ってきました。皆さん、花粉と体調に気をつけて元気に新年度をお迎えください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年03月25日

40億人が信じる一神教とは?


こんにちは。


  先日(318日)、フランスのオルリー空港で、女性兵士の銃を奪おうとした男がフランスの兵士に射殺されるという事件が起きました。パリでは2015年の同時多発テロ以来、非常事態宣言を延長しており、この日も空港では治安部隊が警戒を続けていました。この事件を受けて、空港や接続するターミナルは閉鎖され、利用者は避難し、ケガ人はありませんでした。


  この男は、以前からフランス警察に過激な思想を持つとしてマークされていたそうです。今のところ、組織的な背景はなさそうですが、女性兵士ともみ合った時に「アラーのために死ぬ。」と叫んでいたとの発表がありました。アラーは、イスラム教が頂く唯一神であり、この男はイスラムの過激思想に染まっていたことは間違いないようです。


  イスラム=テロとのラベルは、決して正しいと思えませんが、9.11.のテロのときにブッシュ大統領がテロはイスラム過激派によって引き起こされたことから報復を宣言し、アメリカ国内ではイスラム教徒は敵だとの世論が幅を利かせていたのは、記憶に新しいところです。


  つい一昨日もロンドン国会議事堂の近くで男が車で人をはね、さらにナイフを持って警察官に切りかかり、その場で射殺されるという事件が起こりました。こちらもイスラム過激派のテロとされており、ヨーロッパ全体がテロの脅威に震撼しています。


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(ロンドン テロの現場 asahi.comより)


  トランプ米大統領が2度にわたって発した大統領令では、アメリカを脅かす過激派の入国が差し止められています。アルカイダやISによるテロが過激なイスラム教の思想に染まっていることは明らかな事実ではありますが、イスラム教徒すべてが否定されるには、明らかに誤っています。しかし、我々日本人にとって、イスラム過激派の行動は理解の範疇を超えており、何を基準にしてイスラム過激派に対峙すべきなのか、まったくわかりません。


  今週は、そんな一神教を語る対談本を読んでいました。


「あぶない一神教」(佐藤優 橋爪大三郎著 小学館新書 2015年)


【橋爪大三郎氏 宗教を語る】

  2011年に上梓された「ふしぎなキリスト教」は、社会学者の橋爪大三郎氏がナショナリズムの研究者である大沢真幸氏と対談によってキリスト教を解き明かしていく、とてもワンダーな対談本でした。橋爪氏は、自らもキリスト教徒であり、ユダヤ教から説き起こされる歴史を踏まえた解説は、本当に面白く,

ワンダーなものでした。


  氏は、その後も「ゆかいな仏教」「世界は宗教で動いている」で、我々に宗教の意味するところとその重要性を語ってくれました。その橋爪氏が、今回は、今を時めく元外務省分析官である佐藤優氏と一神教と日本を巡って、様々な知見を語り合う本を上梓しました。佐藤優氏は、様々な分野に深い知見を持っていますが、大学時代には同志社大学の神学部でキリスト教を専攻し、研究していたそうなのです。


  もちろんご本人もクリスチャンですが、対談の中では、「過去の伝統や遺産だけにしがみつく宗教に、私は魅力も将来性も感じません。」と語っており、教条主義の宗教研究者とは一味違うようです。


  今回の本は、どっしりと一神教の基本的な仕組みを語る橋爪氏とあらゆる知を俯瞰しようとする佐藤優氏が丁々発止と語り合うとの内容であり、随所にワンダーを感じることが出来ます。


  その目次は、次のとおり。


まえがき(佐藤優)

序章 孤立する日本人

第一章 一神教の誕生

第二章 迷えるイスラム教

第三章 キリスト教の限界

第四章 一神教と資本主義

第五章 「未知なるもの」と対話するために

あとがき(橋爪大三郎)


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(「あぶない一神教」amazon.co.jpより)


【目からうろこの対談】


  この本で語られる一神教とは、ユダヤ教とキリスト教そしてイスラム教です。ユダヤ教の神はヤハウェ、キリスト教の神もユダヤ教と同じ、イスラム教の神は皆さんもよくご存じのアラーです。


  我々日本人が一神教を理解できないとの事象を佐藤優氏は、ISに自ら渡航し、人質となって殺害されたジャーナリストの後藤健二氏の動機を例に語ります。後藤氏は、軍事会社の経営に当たる湯川遥奈氏が仕事で渡航し拘束されたことをうけ、彼を救うために単身ISへと侵入しました。我々は、その動機を様々に憶測し、なぜ後藤氏が身の危険を顧みずに死地に入ったのかの理由を忖度します。しかし、どう考えてもその真の理由を納得することが出来ません。


  佐藤氏は、キリスト者として彼が渡航した動機を語ります。それは、彼が「湯川氏を救いに行きなさい。」という神の声を聴いた、というのです。一神教の神は、全知全能の神です。神は、人を作り、この世界の万物を創造した創造主です。その創造主から語られた指示は、キリスト者にとっては守らなければならない指示だった、それが後藤氏をしてISに行かせたのです。


  そのことは、キリスト者には十分に理解できているので、ヨーロッパ社会は後藤氏の行動に理解と敬意を表したのだ、と言います。一方、ISもイスラム教徒いう一神教であるからにはそのことを十分に理解しており、理解しているからこそキリスト者としての後藤氏を殺害したのです。キリスト教対イスラム教の戦いが、イスラム過激派の正義であることがそのことの根底にあるわけです。


  この本で、お二人は対立するキリスト教とイスラム教を分析し、一神教はあぶないと語りますが、同時にこうした一神教の論理や価値観を理解することが出来ず、表面的な論理だけで外交を行う日本は、もっとあぶないと警鐘を鳴らします。


  さて、この本の前半はどちらも一神教であるキリスト教とイスラム教の違いを語ることで進んでいきます。


【キリスト教とイスラム教】


  キリスト教はもともとユダヤ教から派生した宗教です。どちらも経典は聖書。ユダヤ教は旧約聖書が経典となっており、キリスト教は旧約聖書と新約聖書を合わせた聖書が経典となります。どちらもヤハウェを唯一の神としており、この世のものは我々人間も含めてすべてが、全能の神によって創造されたものです。


  預言者とは、神と人の間に立って神の言葉を人に伝える役目を担います。キリスト教を複雑にしているのは、キリストの存在です。彼は、預言者で人であると同時に磔の刑で亡くなった後に神として復活します。そこで、キリストは神の子=メシア(救世主)となるわけです。キリストは、人間なのか神なのか。この対談を読むとキリスト教を研究する神学においてそこが大きな問題であることが良くわかります。


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(マンテーニャ画「キリストの磔刑」wikipediaより)


  イスラム教では唯一神であるアッラーの神は直接人間に語りかけてくれません。その聖典であるクルアーン(コーラン)は、預言者であるムハンマドが神から授けられた言葉を綴ったもので、アラビア語で記されています。イスラム教はある意味では非常に明快な宗教です。それは、神の教えはすべてクルアーンに書かれており、このクルアーンのとおりに行動し祈ることが、イスラム教の信仰とイコールになるからです。


  さらに、この対談の中で印象的なのは、神様が我々人間をどうやって裁くかがキリスト教とその他二つの宗教とは違うとのくだりです。キリスト教で我々人間は、その存在自体がすでに罪を背負っていると考えます。それが、いわいる「原罪」というものです。


  イスラム教では、原罪との考え方はなく、死ぬ時に神の前で生前の行為の是非が秤のように計られて、天国に行くか地獄に行くから決められるわけですが、キリスト教ではこの原罪があるために教会の執り成しによって、生前の原罪への身の処し方が問題になるのだといいます。


  カソリックでは、教会で免罪符が売られ、金さえ出せば原罪があってもキリスト≒神に善行を認められて天国に行ける、として教会や僧侶が金儲けにまい進しました。そこで、聖書の教えに帰ろうとの精神から宗教改革がなされ、プロテスタントが生まれました。アメリカは、プロテスタントのピューリタンが作った国なのです。


  イスラム教にとって、死はけっして恐ろしいものではなく、クルアーンに記されている行為を実践さえしていれば必ず天国に行けます。クルアーンには「ジハード」という言葉があり、「神の道に奮戦、努力すること」をイスラムの成すべき行為としています。そもそもは、生き方を示した言葉ですが、イスラム共同体が脅かされたときには、それを守ることも「ジハード」として語られます。


  キリスト教の文化圏が拡大し、イスラム共同体への脅威となった時にイスラム教徒は、クルアーンの記述に従い「ジハード(聖戦)」によって共同体を守らなければならないのです。キリスト教文化によるイスラム教文化への脅威が「ジハード」という言葉に象徴されているのです。そのことで、命を落としたとしてもクルアーンの教えを実践したわけですから、皆天国に行けることとなるわけです。


【一神教の論理を語る】


  対談の中で提示される佐藤氏の語りは納得できます。それは、イスラム教=テロとの発想は間違っている、との言葉です。ISやアルカイダなどのテロ集団は、イスラム教の中でもほんの一部の宗派にすぎないということです。佐藤氏は、過激派のほとんどは、スンナ派の中の八ンバリー派、その中でもワッハーブ派のイスラムだと語っています。


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(天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド  wikipediaより)


  同時にイスラム教でなくとも過去からそれぞれの宗教内に殺人やテロ、戦争を厭わない宗派がおり、それはキリスト教でも、仏教でも、神道でも変わらない、と言います。確かに、宗教とはもともと苦しい人生を歩んでいく中で、一筋に光を見出して生き抜くために頼る知恵のようなものだったはずなのです。にもかかわらず、人類の歴史は宗教戦争の歴史でもあるわけで、これは宗教の問題というよりも、むしろ人間の本質にかかわる問題なのかも知れません。


  この対談の後半戦は、キリスト教の歴史を語りながら近代から現代にかけての問題をイスラム教とも比較しつつ論議していく内容となっています。


  橋爪氏は、アメリカにいた時にユニテリアン教会に通っていたといいます。ユニテリアン教会はキリスト教の教会ではありますが、キリスト教を実証的に検証する会派で、イエス・キリストは神ではなく人間であったことを是としています。この教会は、極めて自由度が高く、キリスト者でなくとも所属することが出来、信者には様々な人が受け入れられているそうです。


  聖書がすべてというファンダメンタリストには許しがたいことだと思いますが、現在でいうところのLGBTやジェンダーをすべて受け入れています。キリスト教の教義では、男色は罪として禁じられていますが、この教会ではゲイもレスビアンも問題なく受け入れているそうです。


  橋爪氏は、今後こうしたキリスト教のあり方が肯定されるかどうか、神学に宥和的な研究を期待したいといっています。


  対談はその後近代社会の中で一神教が果たしてきた役割に関する論議に至り、宗教改革でのルターの過激な思想やマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、トマス・ホッブスの「リバイヤサン」、そして、近代神学の大家であるカール・バルトの神学論と現代が抱える資本主義と宗教の問題など縦横無尽に語られていきます。



  この本は、現代の世界の出来事を読み解くには宗教の知識を持たなければいけないと、我々に警鐘を鳴らしてくれます。そして、そこに必要なのは単なる知識ではなく、知識と知識をつなげる総合知なのです。皆さんもこの本でぜひ知の対談を味わってください。ワンダーを知ること間違いなしです。


  さて、その日本の代表ですが、ワールドベースボールクラシックでは、日本が準決勝で強敵アメリカに惜敗したものの、全メンバーの全霊を尽くしたプレーに心から感動しました。すばらしかった。また、サッカーではWCアジア予選で、初戦で敗退したUAEに見事な勝利を収めました。アウェーでの勝利は、ハリルホジッチ監督の戦略と選手起用が光りました。これからの戦いが楽しみです。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2017年03月15日

中野京子 ルーヴル美術館を巡る


こんばんは。


  ルーヴル美術館と言えば、映画「ダビンチ・コード」のラストシーンを思い出します。


  イエス・キリストとマグダラのマリアの謎にせまったラングドン教授が、ナポレオン広場に屹立するガラス製のピラミッドに最後の象徴を見出すところで映画は終了します。このピラミッドが建築されたのは1988年のこと。夜にはライトアップされ、その美しい姿を浮かび上がらせるピラミッド。さらに、地下のショッピングモールには、木製の逆ピラミッドが据えられています。


ルーヴル01.jpg

(夜のルーヴル美術館 wikipediaより)


  2つのピラミッドは、正ピラミッドが「男性のシンボルである剣」を表し、逆ピラミッドが「女性のシンボルである聖杯」を表しているといいます。そして、2つのピラミッドが重なると古代イスラエルの王ダビデとソロモンの象徴と言われる六芒星となるのです。


  ラングドン教授は、専門である象徴宗教学の知識を駆使して歴史の謎を解き明かすのです。


  今週は、ルーヴル美術館に所蔵される代表的な絵画を紹介する本を読んでいました。


「はじめてのルーヴル」(中野京子著 集英社文庫 2016年)


【中野さんとルーヴルの思い出】


  中野京子さんは、ドイツ文学者と紹介されていますが、数えきれないほどの絵画に関する本を上梓しています。そのきっかけは、2007年に上梓した「怖い絵」という本です。この本は評判となりシリーズ化され、「怖い絵2」や「怖い絵3」など、毎年出版されていました。


  さらには、ブルボン王朝、ハプスブルグ家、マリー・アントワネット、ロマノフ王朝など、歴史を背景とした名画シリーズも上梓されています。その絵画の歴史に関する造形は深く、わかり易い文章と相まって、数々の名作を「謎」をキーワードに解説してくれています。


  とたくさんの著作を読んだように書いていますが、実は中野京子さんの本は、大好きな印象派に関する本以外には一冊も読んでいません。言い訳になりますが、モットーとして名画とは実物を自分で鑑賞すべきもので、人の話を真に受けると絵画の印象が大きく変わってしまう、と考えています。そんな考えがあって、本屋さんで「怖い絵」とか「名画の謎」との書名を見ると、つい引いてしまうのです。(中野さん、ごめんなさい。あくまでも個人の感想です。)


  しかし、絵画の展覧会に行くのは大好きで、このブログでも印象派やフランドル絵画(フェルメール)を中心に、これまでも絵画の素晴らしさを紹介してきました。確かに美術展に行くと、ヨーロッパ絵画の歴史や由来を知っていると、絵画の背景を知ることが出来、より深く絵画の感動を味わえることも確かです。


  かつて、ルーヴル美術館を訪問した時には、ハンムラビ法典やミロのヴィーナス、サモトラケのニケなどの歴史的価値に興味を抱いていたため、そちらの感動が先に立ち、絵画にまでは手が回っていませんでした。それでも、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の前では、その微笑と淡い色遣いに心から感動し、絵の前で長い間たたずんでいました。


モナリザ01.jpg

(人類の至宝「モナ・リザ」wikipediaより)


  そのおかげで、ツアーの仲間たちは私を置き去りにして行ってしまい。気が付いた時には迷子になっていたという、笑えない笑い話を体験しました。途方に暮れて美術館の監視員の方に「Where is exit?」と聞いたのですが、冷たく「I can’t speak English」と返されました。そのときには、慌てていて「そうですか。」という感じでしたが、後でその返事が英語であったと思い至り、えらく腹が立ったのを覚えています。フランス人は依怙地なんだ。


  30年以上も前の話なので、今では英語も通じるのでしょうね。


  本屋さんでこの本を見つけた時に、そんな思い出がよみがえってきて思わず手に取ってしまいました。そして、パラパラとページをめくるうち、一昨年国立新美術館で「ルーヴル美術館展」が開催され、フェルメールの「天文学者」が来日した時に、前売り券を手に入れていたにもかかわらず、あまりの忙しさに行けなかったくやしさが蘇り、思わず手に取った本を購入してしまったのです。


  ルーヴル美術館が誇る有名絵画の中でも、中野さんが是非とも見るべきと推薦する絵画の数々がこの本の中で紹介されていきます。ちょっと残念なのは、中野さんが自著を読んだファンを意識して、すでに別の本で紹介した絵画を除いている点です。しかし、ルネッサンス期、バロック期の絵画については有名画がひしめいており、ヨーロッパ絵画の変遷を知る上でも非常に楽しく読める本でした。


【ルーベンスはねつ造者?】


  中野さんの絵画本は、歴史や画家のエピソードを踏まえており、読み物としても楽しめます。この本では、ルーヴル美術館で展示されている並み居る絵画の中から、17のテーマに沿って名作の数々が語られていきます。


1. なんといってもナポレオン―ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』

2. ロココの哀愁―ヴァトー『シテール島の巡礼』

3. フランスをつくった三人の王―クルーエ『フランソワ一世肖像』

4. 運命に翻弄されて―レンブラント『バテシバ』

5. アルカディアにいるのは誰?―プッサン『アルカディアの牧人たち』

6. 捏造の生涯―ルーベンス『マリー・ド・メディシスの生涯“肖像画の贈呈”』

7. この世は揺れる船のごと―ボス『愚者の船』

8. ルーヴルの少女たち―グルーズ『壊れた甕』

9. ルーヴルの少年たち―ムリーリョ『蚤をとる少年』

10. まるでその場にいたかのよう―ティツィアーノ『キリストの埋葬』

11. ホラー映画―作者不詳『パリ高等法院のキリスト磔刑』

12. 有名人といっしょ―アンゲラン・カルトン『アヴィニョンのピエタ』

13. 不謹慎きわまりない!―カラヴァッジョ『聖母の死』

14. その後の運命―ヴァン・ダイク『狩り場のチャールズ一世』

15. 不滅のラファエロ―ラファエロ『美しき女庭師』

16. 天使とキューピッド―アントワーヌ・カロンまたはアンリ・ルランベール『アモルの葬列』

17. モナ・リザ―レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』


    絵画好きの方は、この目次を見ただけで胸が高鳴ることと思いますが、中野さんの名調子はテーマごとに我々を魅了してくれます。例えば、第六章で取り上げられるルーベンス。宮廷画家として彼ほど有名な画家もいませんが、中野さんは彼が宮廷画家としていかに有能であったかを語っています。


    17世紀初頭のバロック期にルーベンスほどヨーロッパにその名を轟かせた芸術家はまれでした。彼は幼少期から青年期をベルギーのアントウェルペンで過ごし絵画を学びますが、早くからその絵画に大きな才能を発揮して二十歳そこそこで一人前の絵師としてギルドの一員となっています。その後、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの芸術を学ぶためにイタリアを訪れ、すぐに地元の有力者が彼のパトロンとなります。


    ルーベンスは、絵画のみにとどまらず書籍や骨とう品にも造詣が深く、なんと7か国語を話すことが出来たそうです。その才能を見込まれ、彼は外交官として各国へと派遣されました。イタリアからアントウェルペンに移り住むとそこで大規模な工房を主宰し、彼の絵を求めて各国の王室や教会から様々な注文が工房へと舞い込みます。


    さて、このルーヴル本で紹介されるのは、ルーベンスの24点の連作である「マリー・ド・メディシスの生涯“肖像画の贈呈”」です。この章で語られる中野節は、これぞ中野京子ともいえる名調子です。ルーベンスは、ネーデルランド地方を中心に今でもヨーロッパでは最も人気のある画家の一人です。中野さんは、ルーベンスの絵画人生を「ねつ造の生涯」と名付けます。


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(ルーベンス「肖像画の贈呈」 wikipediaより)


    それは、彼の才能をたたえた独特の言い回しです。イタリアやスペインでルネッサンス期のあまたの芸術を模写したルーベンスは、それをみごとに自らのものとし、総合的なルーベンス絵画へと昇華させたというのです。さらには、その上昇志向は留まるところを知りません。


    マリー・ド・メディシスは、当時権勢を誇ったフランスの国王、アンリ4世の王妃でした。王の死後、彼女は自分の生涯と亡き夫アンリ4世の生涯をそれぞれ24点の絵画にして描くことを依頼します。中野さんは、なんのドラマのないメディシスの生涯を宮殿に飾る絵画にするなど、普通の芸術家であれば面白くもない仕事だと言い切ります。


    しかし、ルーベンスは、その面白くもない人生を素晴らしい絵画に仕上げて宮殿で披露すれば、ルーベンスの名前はますます世に広がると考えたといいます。そして、その連作がルーヴルに収蔵されることになったのです。連作の一枚「肖像画の贈呈」。その美しさとその後の顛末は、ぜひこの本でお楽しみください。


【ルーヴルで名画を見よう】


  ルーヴルはあまりにも広大で、絵画だけでも7,500点が収蔵されているといいます。何の準備もなく訪れれば、すべてを鑑賞するのに何週間もかかるに違いありません。この本はルネッサンス期とバロック期に限られてはいるもののルーヴルで見ておくべき名画がキチンと紹介されています。しかもそこに中野さんならではのうんちくが加わります。


    さらには、紹介される名画には、その絵がルーヴルのどこに展示されているかの情報が図面入りで掲載されています。絵画紹介としてこの本を読むのも楽しみですが、この本を手にルーヴル美術館を訪れればその楽しみが倍増すること間違いなしです。


    中野さんの他の著書で詳しく紹介されている名画はこの本には掲載されていませんが、そこは中野さんの丁寧なところ。この本の「あとがき」には、他の著作で紹介されたルーヴルの名画のリストが著作名と共に掲載されています。ジェリコーの名作、「メデュース号の筏」などなど。


    名作と言われる絵画は、美術の本やインターネットでいくらでも鑑賞することが出来ます。しかし、写真では実物の感動はけっして味わうことが出来ません。私が最もそのことを感じたのは、2年前に行ったオルセー美術館展でのことです。そこには、マネの「笛を吹く少年」が展示されていました。この絵は、何度も写真で見ており、あまり強い印象がありませんでした。ところが、実物を前にして、その絵から発せられるオーラに絵の前を動くことが出来なかったのです。


マネオルセー01.jpg

(マネ「笛を吹く少年」 wikipediaより)


    背景のみごとに濃淡を表した一面のグレー。その何の変哲もなく見える背景さえもがマネの描こうとした光と影が油絵具の質感を持って胸に迫ってくるのです。その背景のオーラの中に、制服を身に着けて横笛を吹く少年が生き生きと浮かび上がってきます。その生真面目そうな表情。そこからはまるで屹然とした笛の音が聞こえてくるようでした。


    中野さんはこの本のレンブラントの章で、写真でよく知っている有名絵画の実物を目の前にした人は3つのうちのどれかの反応を示すと語っています。


    第一は印刷された画像との違いはさほど感じず、好きな作品は好きな作品のまま確認して安心感を得て終わる。第二は、現物への幻滅。写真からイメージしている方が素晴らしく、実物がまがい物に見えてくる。そして、第三に印刷ではとうてい知り得なかったオーラに圧倒され、本物の凄味に驚愕せざるを得ない。とのパターンです。さて、皆さんはいかがでしょうか。



    皆さんもこの本を読んで、ルーヴル美術館へ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。美術館に足を運びたくなること間違いなしです。


    季節はいよいよ春めいて、今年も桜の開花が楽しみな時期になりました。花粉には十分気を付けて元気でお過ごしください。WBC(野球の話です。)も連日白熱した試合が繰り広げられています。石川も菅野も山田も秋山も中田も筒香も大活躍ですね。世界一が楽しみです。


それでは皆さんお元気で、またお会いします。



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2017年03月07日

都築政昭 黒澤映画とは何か


こんばんは。


  黒澤明監督は、海外でいち早く評価された監督の一人です。


  1950年(昭和25年)に公開された「羅生門」は、平安時代を舞台に人間のエゴイズムを描いた作品ですが、残念ながら日本での興行成績はその難解さからふるいませんでした。当時、黒沢が所属する東宝では労働争議が起きており、映画が撮れる状況ではなく、黒澤は大映でこの映画を撮りました。


  ちょうどその年、ヴェネチア映画祭とカンヌ映画祭から日本映画の出品を依頼され、「羅生門」は候補作に上がりますが、そのときは辞退を決めています。しかし、ヴェネチア映画祭から日本作品の出品を頼まれたイタリフィルムの社長ストラミジョーリ氏は、何本かの作品を見ていく中で「羅生門」に感動し、何とかこの作品をヴェネチア映画祭に送るよう動きます。


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(映画「羅生門」復刻版ポスター)


  大映側は出品に反対しますが、ストラミジョーリ氏は、自費で英語字幕をつけて出品したといいます。ヴェネチア映画祭で上映された「羅生門」は、観客の大絶賛を受け、1951年ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞したのです。授賞式には日本人はだれも出席していなかったといいます。さらにこの作品はその年の第24回アカデミー賞でも、現在の外国語映画賞に当たる名誉賞を受賞しています。


  芸術の世界で、本当に才能のある日本人を評価するのは、いつもきまって日本人以外です。黒澤明は、その後にも1952年の「生きる」では、ベルリン国際映画祭で上院特別賞を受賞。1954年には、あの「七人の侍」がヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。その後も名だたる国際映画祭で様々な賞を受賞しています。


  今週は、「世界のクロサワ」を語る本を読んでいました。


「黒澤明の映画入門」(都築政昭著 ポプラ新書 2016年)


【世界が認めたクロサワ映画】

  黒澤明は、1998年に21世紀の幕開けを見ることなく亡くなりました。晩年には、5年に1作品のペースで映画を撮っていたので、私が映画を見るようになってから公開された映画は、当時のソ連で撮った「デルス・ウザーラ」、「影武者」、「乱」など数少ない作品でした。


  以前から洋画にはまっていたので、黒澤明の作品はあまり見ていませんでした。ところが、本当に面白く何度も見た映画の監督たちが、皆口をそろえて黒澤の映画に大きな影響を受けたと聞いて、改めてその影響の大きさに驚いたのです。


  「荒野の七人」や「荒野の用心棒」が、黒澤映画「七人の侍」、「用心棒」をアレンジした映画であることは知っていましたが、スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコテッシなどが、皆黒澤映画にインスパイヤーされて作品を作っていたとは本当に驚きです。


  「スター・ウオーズ」の第一作が黒澤の「隠し砦の三悪人」をヒントにしており、あのR2−D2C-3POのコンビがこの映画の太兵と又七を模していたとは有名な話です。また、スピルバーグの作品でも「未知との遭遇」、「レイダース/失われたアーク」、「シンドラーのリスト」などの映画で、黒澤作品からインスパイヤーされたシーンがあると言います。


  199080歳の時に黒澤明は、アカデミー賞の名誉賞を受賞しました。授賞式の時、両脇にジョージ・ルーカスとスティーヴン・スピルバーグが並ぶなかで、黒澤は挨拶をしました。「・・・私はまだ映画がよくわかっていない。映画という、素晴らしく、美しいものをしっかりつかむのは難しい。今後も作品作りに全力を尽くすことで、今回の名誉に応えたい。」


  映画にすべてをささげ、全力を尽くした黒澤明監督の生涯がこの言葉に凝縮されている気がします。


【世界の黒澤映画 入門】

  この本は、長年黒澤明について取材し、何冊も黒澤監督に関する本を上梓してきた都築政昭氏が黒澤明のエッセンスを平易に描いた作品です。各所に黒澤明監督の語った言葉がちりばめられており、黒澤明の全貌をその語りから浮かび上がらせています。


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(「黒澤明の映画入門」 amazon.co.jpより)


  さて、この本の目次ですが、


プロローグ

第一章 世界が熱愛する黒澤映画

第二章 人間賛歌―黒澤ワールド

第三章 映画づくり―自然に、自然にがモットー

第四章 黒澤映画の名作選―15作品

第五章 映画を志す人たちへ

エピローグ


  昔、ジャズサックスの渡辺貞夫さんがどこかのCMで、「ジャズっていうのはね。フロ入ってる時もメシ喰っている時もすべてがジャズなんだよね。」と語っていましたが、一流を目指す人は皆おなじなのかもしれません。この本のプロローグには、「僕から映画を引いたら何も残らないよ(笑い)」との言葉が紹介されています。


  また、黒澤が完全主義者と語られることに対するコメントとして、「僕なんかスタンリー・キューブリックやルキノ・ヴィスコンティなんかに比べれば、完全主義者どころか、不完全主義者もいいところですよ。僕はただ、映画という美しくて素晴らしいものの奴隷です。」と語っています。


  こうして、都築氏はいきなり黒澤明の言葉を借りて、黒澤とはどのような存在だったのかを我々に語り掛けてくれるのです。


  さらに、第一章以降に語られる黒澤の映画に対するこだわりと情熱は半端ではありません。


  映画は脚本が面白くなければ、絶対に良い作品にはなりません。ルーカスの「スター・ウォーズ」が大ヒットし、それを模して造られた数々のスペ−スオペラ映画がはずれたのは、ルーカスが作った物語がいかに優れており、脚本化した時に彼がいかに数々のこだわりを持ったかの証左だと思います。


  実は、黒澤明もほとんどの作品を自らまたは共同執筆で脚本化しています。それもそのはず、彼が助監督としてついた山本嘉次郎監督は、当時の黒澤助監督にシナリオについて教えていたのです。


  「山さんは、『立派な監督になるためには、まず人生のいろんな経験を積むことによって本物と偽物を判別する目を養うこと』と言う。それから具体的に、本当の監督になっていくためには『第一にシナリオが描けなければならない』と言う。シナリオと編集が、ある意味で映画の生命を握っているようなものなんだ。」


  黒澤が映画の助監督となったのは、戦前の話ですが、助監督をこなす傍ら黒澤は脚本の執筆に時間を惜しむことなく、「達磨寺のドイツ人」、「静かなり」などの作品を書き、当時の映画雑誌に掲載されたと言います。さらには、「静かなり」、「雪」というシナリオは、当時の内閣情報局の募集に応募して、情報局賞を受賞したのです。


  黒澤は、ドストエフスキーやゴーリキー、シェイクスピアなどの作品を読み、そこから感動を通じて人間が形作る物語とは何かを学んだのだと言います。特にドストエフスキーへの尊敬の念は、崇拝と言っても過言ではないのかもしれません。このしっかりとした脚本を作る力が、「生きる」、「羅生門」や「七人の侍」などの名作を生み出したのです。


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(「七人の侍」DVD amazon.co.jpより)


【名場面を作る力】


  この本では、黒澤明の実際の言葉を使い、彼がどうやって世界に通じる名作の数々を作り出していったのか、が様々な角度から語られていきます。


  黒澤が最もこだわったのは、観客にとって映画の場面が自然に、さらに自然にみえることでした。それは、演出の点でも、キャメラの点でも、編集の点でも、音楽の点でも作品を重ねるにしたがって進化していきました。


  「どの映画もどの作品も、撮り終ってみると不満足です。不充分なのですね。思うように撮れたり、考えていたとおりの映画が出来上がったことは一度だってありません。」


  「まあ、一本の仕事が終わると、心の中を風が吹き抜けるようなね、そうゆう状態になるんですよ。この人たちともう二度と会えないということですね。俳優さんにはまた会えるけど、勘兵衛なら勘兵衛という人にはもう二度と会えないわけでしょう。その人物のことを一生懸命書いてきて、撮影中、毎日毎日、一緒に暮らしてきたわけでしょう。その人と別れちゃうとゆう思いですよ。それが、すごく悲しい気がするんですよ。」


  黒澤明は、一本一本の映画を全身全霊をもって生み出し、作り上げて、常にもっと自然に、もっとリアルにと高みを目指して作品を重ねてきました。それは、俳優たちへのリハーサルであり、たくさんのキャメラと望遠レンズを多用する手法であり、本番での火も水もいとわない現場での姿勢につながっているのです。


  その壮絶な現場主義の現場は、ぜひともこの本で味わってください。それぞれの作品を作り出していくときのエピソードは驚き以外の何物でもありません。



「いの〜ちみ〜ぢか〜し、恋せよ乙女」


  この歌を口ずさみながら自らが渾身の力を振り絞って作り上げた公園のブランコで、渡辺は雪に降られています。映画「生きる」のラストシーン。渡辺はこのままなくなったのかもしれません。この映画のラストシーンを思うとき、なぜか一本の映画のラストシーンが胸に浮かんできます。それは、イタリア映画、ピエトロ・ジェルミ監督の名作「鉄道員」のラストシーンです。


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(映画「鉄道員」DVD amazon.co.jpより)


  鉄道機関車に全身全霊をささげた運転士アンドレアが、末っ子の幼いサンドロの助けで職場の仲間たちと和解し、絆を取り戻した家族が団らんする姿を隣の部屋に見ながら、ギターを手にベットで息を引き取るラストシーン。そこにあの哀愁漂う音楽が静かに流れていきます。「生きる」のラストの感動は、ここに重なってきて目頭が熱くなります。


  奇しくもピエトロ・ジェルミ監督は、1951年に「越境者」という映画で、ヴェネチア国際映画祭でセルズニック賞を受賞しています。同じ年に黒澤明も「羅生門」でヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞しているのです。


  イタリアも日本も第二次世界大戦の敗戦国であり、灰燼に帰した国で復活をかけて働く人々。その真実を描く二人の監督には、同じように観客に伝えたい人の心の本当の姿が見えていたのかもしれません。やはり、映画とはいつも時代を映しているのです。


  偉大な監督の映画への姿勢。この本には、世界に通じる映画作家の才能と努力の軌跡が刻まれています。黒澤映画を知らないあなたもぜひこの本で黒澤監督を知ってください。名だたる名作を見たくなること間違いなしです。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年02月28日

チャーリー・ラヴェット 古書籍界の聖杯とは


こんばんは。


  古書をこよなく愛する人と言えば、ビブリア古書堂の篠川栞子が思い浮かびます。北鎌倉の古本店、ビブリア古書堂の美貌の女主人は、アルバイト店員である純朴な青年五浦大輔とともに本にまつわる人々の謎を鮮やかに解き明かしていきます。


  稀覯本に愛情を寄せる人たちは、どこか変わっている人が多いようです。栞子さんも強度の人見知りで、初対面の人には話ができず、いつも消え入りそうな声でしか話ができません。しかし、ひとたび本の謎にかかわるや、まるで人が変わったように饒舌になり、秘めたる謎を次々と解き明かしていくのです。


  ビブリアシリーズは、すでに6巻を数えていますが、ついに最終巻が今月発売となりました。ファンとしては、すぐに読みたいところですが、「完結編」と言われてしまうと読むのが惜しい気がして逡巡してしまします。


  その代わりというわけではありませんが、今週は、イギリス版ビブリア古書堂の物語を読んでいました。


「古書奇譚」(チャーリー・ラヴェット著 最所篤子訳 集英社文庫 2015年)


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(「古書奇譚」集英社文庫 amazon.co.jpより)


  ビブリア古書堂シリーズは、いわいるライトノベルの系列ですので軽いタッチで書きすすめられていますが、イギリス版のこの本は、重さはないもののかなり構成が複雑になっています。もともと海外物は名前を覚えるのに苦労します。登場人物は、当たり前ですが英語表記であり、翻訳されるとすべてがカタカナで表記されます。


  カタカナで、たくさんの人物が登場すると日本人には覚えるだけで一苦労。読んでいる途中に何度も登場人物を確認してしまいます。幸い海外物では、最初に登場人物が表紙裏などに羅列されており、そこに戻れば人物を確認することが出来ます。主人公やそのパートナーは容易に覚えることが出来ますが、章が変わり人物名から始まる場合には、人名を覚えるのが大変です。


【若き傷心の古書籍商ピーター】

  この小説の主人公は、ピーター・バイアリー。彼はアメリカ人ですが、いきさつがあってイギリスにわたり、古書を扱う書籍商を営んでいます。彼はまだ30歳前後ですが、つい半年前に最愛の妻、アマンダを亡くし、失意のどん底にいます。もともと人付き合いが苦手で、街を歩いていても人が多ければ人の目を避けて歩道の端をそそくさと歩くほどの人見知りなのです。(いわいる重度の本オタクなのですね。)


  妻を亡くしてからのピーターは、仕事をする気力も失せて家に引きこもり、アマンダの両親や数少ない友人たちからの留守番電話にさえ答えようとしません。彼のカウンセラーであるストレイヤー医師は、彼を心配していくつかの課題を彼に与えています。


  そこには、「仕事を再開すること」、「仕事を通して人と親しくなること、仕事のために人を遠ざけないこと」、そして、「新しい知り合いを作ること」と書かれていました。


  そんなある日、彼の留守番電話に仕事の依頼が舞い込みます。電話の相手は、ジョン・アルダーソン。自宅にある古書を売りたいとの依頼です。留守番電話は肝心の住所が途中で途切れていましたが、イーヴンロードとの地名はそれほど遠くではありません。ストレイヤー医師の言いつけを守る意味でも仕事を始めなくては、とピ−ターはその住所に徒歩で向かいます。


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(「古書の聖地」ウエールズのヘイ・オン・ワイ  wikipediaより)


  めざすイーヴンロードにたどり着くと、そこに建っている屋敷は住む人もいない古く荒廃したものでした。ピーターは、その敷地にあるキャンピングカーをみつけ、大きな声で「ジョン・アルダーソンさん」と呼びかけます。すると、いきなりライフル銃がぶっぱなされたのです。


  「その名前をおれの前で口にするな。」と恐ろしい剣幕で追い払われます。ピーターは、わけもわからずほうほうの体で逃げ出しますが、この銃を持った男トマス・ガードナーと、留守番電話で古書の買い取りを依頼したジョン・アルダーソンは、古くからの因縁で互いに憎悪する仲だったのです。それはまるで、ロミオトジュリエットでおなじみのキャピュレット家とモンタギュー家のようですが、このお隣どうしの暦年に渡る憎悪がこの小説の大きな伏線となるのです。


【本の世界の聖杯とは?】

  小説は、主人公ピーターを中心に3つの時代のエピソードが交互に語られて進んでいきます。ひとつは、古本の買い取りを依頼され、そこで発見したある古書の真実を追い求めていく現在のピーター。そして、二つ目の物語は、8年前。大学に入ったピーターが、古本に魅せられていく過程と最愛の妻アマンダと出会い、お互いに愛を育んでいく姿を描きます。


  そして、3つめのストーリーが古書奇譚。それは、イギリスの17世紀後半、ロンドンが舞台です。その頃のロンドンでは、舞台劇が流行っていました。特にウィリアム・シェイクスピアというストラトフォード生まれの男が、演劇の作者として、また俳優として有名になっていました。その作品は常に劇場を満員にし、多くのファンを集める一方で、文壇では、その名声に嫉妬する作家たちがシェイクスピア批判を繰り広げていました。


  この本を読むまで全く知りませんでしたが、シェイクスピアには、有名な謎があります。それは、シェイクスピアの諸作は、シェイクスピアが書いたのではなく、シェイクスピアを語る複数の人間によって書かれたものであり、劇作家のシェイクスピアという人物はいなかったという説です。


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(シェイクスピアの肖像 wikipwdiaより)


  ちなみにシェイクスピアが生まれたとされるストラトフォードに記録される名前は、「シェイクスピア」ではなく、「シャクスピア」であり、この人物はシェイクスピアとは別の人物であるとの説も主張されています。


  そうした説を唱えている学派を「反ストラトフォード派」と呼ぶそうです。


  シェイクスピアの記録として、現在4つの署名と遺言書が認められていますが、「反ストラトフォード派」の人々は、その署名が4つとも大きく異なること、遺言書には彼の創作した作品に一切の言及がないこと、を挙げて実際に作品を書いた人間は別人としています。実際にシェイクスピアの生まれた日も彼がどこで何を学んできたかも、さらには、彼がどんな思想を持っていたかも、すべてが謎に満ちています。


  この本の中でも語られていますが、「反ストラトフォード派」の研究者の中には、シェイクスピアが実際に書いたと証明される文章や書簡が発見されれば、今すぐにでも自説を撤回する用意がある、と宣言している学者も多いようです。


  もしも、シェイクスピアの直筆による草稿が発見されれば、その値段は想像を絶するものとなり、その学術的価値は計り知れないものとなるはずです。つまり、古書籍業界の中で、シェイクスピアの直筆原稿は考古学会のキリストの「聖杯」に匹敵するほどの重要さを備えていることになります。


  この小説の中で、複層的に描かれる「古書奇譚」のストーリーは、17世紀後半から現在まで続く、シェイクスピアの直筆のメモが書かれた「バンドスト」というロバート・グリーンが記した物語の初版本の変遷なのです。ちなみに、ロバート・グリーンはシェイクスピアを「我々の羽毛で着飾った成り上がりの鴉」と批判しています。


  「バンドスト」は、シェイクスピアの演劇「冬物語」の下敷きとなった物語だったのです。


【ピーターの気弱な人生】

  さて、この本でタペストリーのように紡がれる第2のストーリーは、大学1年生の時からイギリスに渡るまでのピーターの人生です。それは、人見知りで気の弱いピーターがどんな人生を歩んだかが描かれていきます。


  ピーターは、リッジフォ−ド大学の図書館でのちの人生を決定づける2つの出来事に遭遇します。


  この本のメインテーマは、題名のとおり「古書奇譚」ですが、彼が入学したリッジフォード大学には、創始者でもあるアマンダ・デヴェローが生涯をかけて収集した貴重な古書コレクションが保存されていました。


  そのコレクションを保管しているのは、特別募集室。あるとき、大切な本の修理を募集室の古書再生係りに依頼したことから、この募集室の仕事に応募することになります。ここの試験にもシェイクスピアが登場します。おかれた古書の深遠な歴史に心を動かされたピーターは、みごとに試験に合格し、古書のエキスパートであるフランシス・ルランのもと働くことになるのです。このときからピーターにとって古書探求は人生をかけるテーマとなるのです。


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(イエール大学の稀覯本図書館 大学HPより)


  さらに、ある日図書館で見初めたアマンダ。その美しさと本を読む姿に魅せられたピーターは、毎日書架の横に佇んでアマンダを見つめ続けます。そのことに気付いたアマンダは、ある日読んでいた本の間にピーターへの手紙を挟み込みます。そして、出会った二人は、お互いに惹かれあい愛を育んでいくことになるのです。


  気の弱く、人見知りのピーターを常にアマンダがリードする形で、二人の愛情は深まっていきます。男性から見れば、うらやましい限りなのですが、女性から見るとこんな都合の良い女性は世の中にいるわけがない、と感じるかもしれません。はたして、この恋愛は著者の実体験なのか否か、興味がわくところです。


  アマンダの誕生日。ピーターが彼女だけのために選んだ特別なプレゼント。誕生日はちょうどイースターの日と重なります。誕生日の夜の素敵なエピソードには誰もが心を奪われること間違いなしです。


  もちろん、人生がすべてバラ色なわけもなく、幸せを分かち合った二人にはあまりにも早い別れが訪れます。あまりにも早く亡くなったアマンダですが、彼女は亡くなった後も常にピーターを守護していました。その愛情は皆さんもこの素晴らしい小説で味わってください。



  この小説は、ビブリオ・ミステリーと銘打たれています。古書籍の探求とミステリー。古書にまつわる謎と殺人事件の謎、そしてロマンス。この三つが交錯する中で迎えるラストシーン。その面白さがこの小説の大きな魅力となっています。


  この小説の最初の謎は、ピーターが古書店の本の間から最愛の妻アマンダに瓜二つの水彩画を見つけるところから始まります。B..との署名があるエリザベス朝時代の水彩画。いったい100年以上前の水彩画になぜ最愛の妻の面影を見出したのか。


  ここから始まる物語は、次々に謎を深めていき、最後には見事な謎ときと大円団が待っています。初春の宵。ぜひ皆さんもこのビブリオ・ミステリーを楽しんでください。ビブリア古書堂の物語とは一味違ったワンダーを感じるに違いありません。


  季節はいよいよ春へと動いていきます。花粉の動向は気になりますが、明るい季節に向かって歩き出しましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年02月24日

濱嘉之 情報官黒田 新情報室発足


こんばんは。


  ブッカーズソーダをこよなく愛する警視庁の情報室長、黒田純一の活躍を前回読んでからかれこれ3年が経とうとしています。いったい黒田情報室長は3年間も何をやっていたのでしょうか。なんと、黒田室長はこの間、アメリカやヨーロッパの情報機関や政府機関で3年間みっちり研修を受けていたのです。


  今週は、久しぶりに書き下ろされた濱嘉之氏の情報官シリーズの6作目を読んでいました。


「警視庁情報官 ゴーストマネー」(濱嘉之著 講談社文庫 2016年)


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(「ゴーストマネー」講談社文庫 amazon.co.jpより)


【初心に帰った第6作】


  久しぶりの黒田調査官の物語は、濱さんの国際情勢の見立てから始まります。この作品は、情報官シリーズが初心に戻ったように思えます。プロローグでは、事件の始まりを描きますが、第一章は黒田純一の3年ぶりの帰国が語られます。


  そして、帰国したとたんデビュー作で描かれた警視庁情報室と同じシチュエーションへと突入します。それは、新たな警視総監直属の組織、新警視庁情報室の発足です。第一作で黒田が室長となった情報室は、室長が交代し続いていますが、本来の機能を発揮できていないようです。今回帰国した黒田を待っていたのは、新たな情報室の設立でした。


  次期警視総監と目される高石副総監は、警察庁の人事課長と新たな情報室に配属される100名の情報室メンバーを選定し、黒田の帰国を待ち構えていたのです。そのメンバーは、次期警視正を目指す警視庁内のエリートたちでした。


  黒田情報官は、卓越した人脈と情報感覚でこれまで「政府要人の贈収賄を暴き」(第1作)、「中国に漏えいされたイージス艦建造の情報を防ぎ」(第2作)、「国際詐欺事件を暴いて、警視庁に仕掛けられたテロを未然に防ぎ」(第3作)、「国際的な臓器売買のシンジケートと暴力団、さらに大物政治家の癒着を暴き」(第4作)、「世界規模のサイバーテロの謎を解き、事件を解決」(第5作)してきました。


  その間に黒田は、情報室室長から小笠原警察署の署長、再び情報室室長、秋葉原警察署長と順調に出世街道を歩み、今回3年間の国際研修によって世界の現場を体験してきたのです。数々の事件を解決していく過程で、黒田が部下を育成してきた実績もこれまでのシリーズに精緻に描かれてきました。そんな黒田を100人規模の新たな情報室室長として、警視正候補のエリートを鍛えさせ、育成させようとしたのは、警視庁という組織として慧眼と言えるのではないでしょうか。


  そうした意味で、この第6作は新たな黒田情報官シリーズの始まりとなる予感を覚えます。これからシリーズのよりスケールアップした展開が期待されます。


  この3年間で、黒田情報官は国際感覚と多くの人脈を手にして帰国しました。アメリカでは、CIAやFBIだけではなく、偽造紙幣やサイバーテロなどを扱うシークレットサービスで研修を受け、イギリスではMI6による実地研修、さらには、モサドのクロアッハに伴われて危険が伴うイスラミックステーツの本拠地にまで潜入しています。


  帰国直前にイスラエルで、第二次大戦中リトアニアの大使館で6000名ものユダヤ人の命を救った日本のシンドラーこと杉原千畝を記念するスギハラストリートの命名式にも参加します。杉原千畝ファン?としては、その会話に思わずほくそ笑んでしまいました。


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(早稲田大学内 杉原千畝記念碑 wikipediaより)


【黒田純一 国際情勢を語る】


  本来、小説の面白さはストーリーテリングにあります。


  これまでの情報官シリーズは、プロローグでいきなり難事件が勃発し、インテリジェンスオフィサーである黒田情報官があらゆる知識と人脈と見立てを次々に繰り出し、犯人を追いつめていくストーリーが秀逸でした。それに加えて、ヒューミント(人による諜報)、シギント(通信やインターネットによる諜報)、オシント(報道、ニュースによる諜報)を駆使して犯罪者に迫っていく手法がその面白さを際立たせていました。


  今回の黒田は、一味違います。


  3年間の研修後帰国した黒田は、会う人ごとに国際情勢の見立てを質問されます。特に帰国前のモサドのエージェント、クロアッハとの会話は、直近の国際情勢を次々と語っていきます。国民投票でEU離脱が決定したイギリス。キャメロン首相のパナマ文書を発端とした人気凋落は、離脱投票の大きな要因だと語ります。


  また、アメリカ大統領選挙の情勢やフランスがテロリストに狙われる背景、ドイツのEU内での孤立化、などなどが饒舌に語られます。日本に帰国した後も、いきつけの小料理屋でCO2排出権取引を語るかと思えば、地球温暖化対策への中国共産党のご都合な主張などにも言及します。インテイジェンスに関して言えば、アメリカではシークレットサービスがサイバー攻撃への対応をアメリカ各州に組織をいきわたらせて民間までを巻き込んで行っている状況を語り、日本の脆弱さに警鐘を鳴らします。


  黒田純一情報室長も警察の中では、警視正から警視長へと昇進し、現場の指揮官から徐々に組織のマネジメントを行う役割へと変わっていく中では、これからシリーズの展開は新しい局面を迎えるのかもしれません。


【新たな事件の勃発】


  さて、ホームズ以来、名探偵は事件を引き寄せるといわれています。黒田純一もしかり。彼が行くところかならず大事件が起こります。今回も彼の帰国を待っていたかのように大事件が勃発します。事件は、いつもと同じく、プロローグから始まります。


  皆さんは、1500億円分の1万円札を想像できるでしょうか。


  今回、黒田を待っていたのは1500億円の盗難です。その盗難が起きたのは日本の中央銀行である日本銀行です。


  日本銀行は、日本国の貨幣を発行し国内で流通させる業務を司っています。硬貨については、使えなくなることはあまりありませんが、紙幣は老朽化したり、破損するなど損傷します。日銀は、使えなくなった紙幣を回収し、廃棄する仕事を行っています。廃棄の方法は、原則としてシュレッダーによる破砕ですが、場合によって溶解処理を行うこともあります。今回、損傷した紙幣1500億円分が消えてなくなったというのです。


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(日本橋にある日銀本店 1896年築 wikipediaより)


  日本の紙幣は、偽造防止のために特殊な紙が使われています。黒田は、アメリカのシークレットサービスでの研修で、偽札作りや紙幣についても学んできました。紙幣を廃棄するためのシュレッダーは特殊な歯を使っています。シュレッダーはアメリカ製ですが、アメリカの紙幣と日本の紙幣は紙質が異なるためシュレッダーへのストレスが異なります。


  今回の事件は、そのシュレッダーが故障し、溶解廃棄のために製紙会社に紙幣を運搬する際に発生しました。しかし、1500億円の紙幣は重さとして10トン。溶解廃棄をする製紙会社には、大型貨物に積むコンテナに乗せてトラックで配送します。紙幣の運搬は、厳重な警戒のもとで行われます。コンテナは、防犯カメラやGPSで常時監視され、万全の体制が敷かれているはずでした。ところが、今回、10トンの紙幣が運搬中に消えてなくなったというのです。


  さらに黒田情報室長にはもう一つの犯罪の捜査がミッションとして加わります。


  それは、偽造クレジットカード情報に基づく、コンビニATMからの同時多発現金盗難事件です。全国の17都道府県のコンピニATMから同時に18億円に上る現金が引き出されました。それは、組織的に計画された新手の詐欺事件です。南アフリカの銀行が発行するクレジットカードの情報がハッキングされ、偽造されたカードによってある朝数時間の間に1700台のATMから18億円もの現金が引き出されたのです。(どこかで聞いた犯罪ですね。)


  防犯カメラにより、実際に引き出しを行った「出し子」と呼ばれる何人かが逮捕されましたが、逮捕された人間をつなげる黒幕の情報は探索することが出来ず、この事件は行き詰っています。情報室にこの事件の解決がミッションとして課せられたのです。


  1500億円の略奪と18億円の不正引き出し事件。黒田情報室はこの難事件をどうやって解決していくのでしょう。


【情報室のインテリジェンス】


  新たな情報室は、インテリジェンスのプロフェッショナル黒田のもと、各組織から集まった警視正たちを駆使して2つの事件の犯人を追っていきます。


  まずは、黒田自身が警視庁のもつビッグデータから捜査の糸口をさぐっていきます。ATMの引き出しで、使われていたのは南アフリカの銀行のクレジットカードの情報です。黒田はこの銀行のオンラインシステムを構築したのが中国系のIT企業出ることを突き止めます。そして、データからこの銀行が以前マネー・ロンダリングの疑いにより、業務停止処分を受けています。


  その時の記録からそのとき、銀行の東京支店が指定暴力団福比呂組のヤミ金融と関係を持っていることが分かりました。日本の指定暴力団と中国のIT企業グループ。黒田は、そこにきな臭いにおいを嗅ぎつけます。


  さらに1500億円の札束の強奪。黒田は、日銀に赴き、当時の防犯カメラのモニター映像とGPSの衛星放送の受信電波を確認します。すると、映像がある場面で微妙にぶれていることを発見します。それは、1秒以内のこまズレですが、黒田が見逃すことはありませんでした。その画像が切り替わる時間と同時にGPSの電波にも微妙なノイズが記録されていました。


  なんと、モニター画面もGPSの記録も見事にすり替えられていたのです。


  今、世界中でGPSを利用した「ポケモンGO」が大流行しています。一時あきられた感がありましたが、ポケモン金、銀モンスターが投入されて、新たなポケモン目当てにゲーマーが戻ってきたのです。しかし、こうしたGPSゲームがとんでもないソフトウェアを生み出します。


  それは、GPS位置偽装ソフトです。例えば、このソフトによって自分がアメリカにいることを偽装すれば、ゲーマーはアメリカにしか出現しないポケモンを自分の部屋にいながらゲットすることができます。今回の廃棄紙幣盗難事件に使われていたのは、このGPS位置偽装ソフトだったのです。


  事件を追っていくに従い、そこに浮かび出てきたのは中国の反習近平派閥である中国裏のマフィアの影でした。中国の裏金融を牛耳る地下銀行と暗黒社会。黒田率いる新情報室のエリートたちは、ヒューミント、シミント、シギントとすべての経験と技術を生かし、独自の方法で彼らに挑んでいくのです。


  さすが、作者濱氏の分身ともいえるスーパー情報マン黒田。その活躍にはほれぼれします。難を言えば、あまりに諜報の現実で事件を追っていくために、小説が本来持つべき描写力に乏しいことでしょうか。それを差し引いたとしても黒田情報官の活躍はやっぱり面白い。


  みなさんもこの小説で、インテリジェンスの面白さを味わってみてください。くせになること間違いなしです。


 それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年02月19日

アリス・ロバーツ 人類20万年の旅路2


こんばんは。


  前回に引き続いて、人類を遡る驚きの旅路、ノンフィクション本の紹介です。


「人類20万年 遥かなる旅路」(アリス・ロバーツ著 野中香方子訳 文春文庫 2016年)


  この本は2009年から放映されたBBC(英国放送協会)の番組「The Incredible Human journey」の取材のために企画された旅に基づいた著作です。2013NHKでもEテレで「地球ドラマティック」として、放映されました。(だいぶん編集されており、しかも3作のみの放映で、あまり評判は良くなかったようですが・・・)


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(特集番組のDVD BBCHPより)


  これまで、我々ホモ・サピエンスは北京原人やジャワ原人、ネアンデルタール人などの旧人類から進化したとの多地域進化説が人類学者たちの定説でした。しかし、遺伝子技術の発展により、ミトコンドリアDNAを追うことによって、我々ホモ・サピエンスがアフリカの一人のホモ・サピエンスから生まれたことが分かりました。


  現在いる72億人の人類は、一人のイブから生まれた人属の中で唯一生き残った種だったのです。「人類は皆兄弟」という笹川さんの言葉は、理想ではなく科学的真実だったのです。


  アフリカで生まれた人類は、どのようにして出アフリカを果たして世界中へと広がっていったのでしょうか。


【インドからオーストラリアへ】


  科学とは、仮説をたて、実験や証拠の提示などにより、その仮説が真実であることを実証するプロセスと概念を言います。ロバーツ博士の人類拡散の旅は、「科学」そのものです。実際にホモ・サピエンスが出アフリカを果たし、すべての大陸へと拡散したとの仮説を真実とするためには、実験と証拠が必要となります。


  アフリカからユーラシア大陸に向かった我々の祖先は、二つのルートを取ったと言われています。それは、アラビア半島の北側からイスラエルに抜けるルートとアラビア半島の南側の海岸寄りを抜けてインドへとつながるルートです。


  出アフリカが7万年から6万数千年前に成されたと考えられる理由は、イスラエルのスフール遺跡から出土したホモ・サピエンスの化石の年代測定によってほぼ定説となっています。しかし、インドから先の東南アジアでは、科学的証拠となる化石が発掘されていません。そこで発掘される考古学的な証拠は、ホモ・サピエンスが加工したと推定される石器類なのです。


  考古学での研究では、過去の気象を知ることが真実を突き止めるために欠くべからざる要件となっています。現在、海底コアの採取(細い管を何百mもの海底に突き刺して、過去の地質を採取します)により、数万年の単位で地球の気象のシミュレーションが可能となっています。


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(オーストラリアの遺跡で発掘された頭蓋骨 BBCHPより)


  ホモ・サピエンスがインドから海沿いをオーストラリアに向かって移動したのは、遺伝子情報では65千年も前とされます。しかし、現在見つかっている最古の遺跡は45千年前のものです。そのギャップを埋めるには、ミッションリングの発見が必要不可欠です。


  65千年前には、気候が冷えて水分は多く凍っていたために、海岸線は今よりもずっと先にありました。そのため、当時の洞窟や住居跡は、現在、海底130mに沈んでいるというのです。今後、海底の遺跡が発掘されれば、ホモ・サピエンス拡散の足跡が証明されるかもしれません。


  ホモ・サピエンスはどうやって海上を移動したのか。その当時、海は今よりもずっと狭く、インドからオーストラリアへの海域も今よりも、舟での移動が容易ではなかったのか?こうした仮説に基づいてロバーツ博士は当時のいかだを再現して、実際にオーストラリアへ海上での移動を試みます。


  そういえば、日本の国立科学博物館でも3万年前に日本人が海を渡って日本列島にやってきた、との仮説を実証するために「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を企画しました。昨年末、プロジェクトでは、第一回の検証として古代に制作が可能であった草舟による航海を試みています。


  この日、与那国島に自生しているヒメガマという草で編んだ舟に7人が乗り、二艘の船でまずは与那国島から西表島への航海にチャレンジしました。人力で櫂によって漕ぎながらの渡航を行う計画。はじめのうちは順調でしたが、難敵は黒潮でした。舟は海流という大きな自然の力に阻まれて、残念ながら航路を大きく逸脱し途中で中止を余儀なくされたのです。


  一方、ロバート博士は10時間25分をかけて海を渡り、オーストリア大陸側の島へとたどり着きます。この長い旅の間、ホモ・サピエンス「単一起源説」を唱えるロバーツ博士は、「多地域進化説」をとなえる考古学者といかだの上で顔を突き合わせることになります。


  オーストラリアでは、45千年前の遺跡や古代人が描いた岩絵のギャラリーへと飛行機を使って向かいます。オーストラリアは、もともとアボリジニの国でした。現在の彼らが描く絵と古代の岩絵の共通点はワンダーを生み出します。


【北京原人は中国人の祖先か?】

  第三章で、ロバーツ博士は出アフリカの第2のルートを追って、ユーラシア大陸を東北に向かいます。たどり着いたのは、人間が住む北限に近いシベリアです。博士は、この地でも狩猟時代のホモ・サピエンスを体験します。トナカイの遊牧によって暮らすエヴェンキ族の暮らしは過酷です。冬には気温がマイナス50℃にもなる世界。ここでのトナカイは、まさに神からの贈り物なのです。


  最北の果てで遊牧民族の実態と4万年前のホモ・サピエンスの足跡をたどった博士は、いよいよ中国へと足を踏み入れます。中国では、1921年に周口店の森林で20万年前ともいわれる北京原人の化石が発見されました。それ以来、この国の考古学者たちは北京原人を中国人の祖先と考えています。


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(中国の稲作を体験するロバーツ博士 BBCHPより)


  博士は、中国の考古学者であり、多地域進化説を唱える呉(ウー)博士と共に北京原人の化石を調べに北京の国立学術館へと足を運びます。20万年以上昔のホモ・エレクトスの化石にロバート氏は心から感動します。しかし、その科学的検証の姿勢はあくまでも客観的です。解剖学者として、古生物病理学者として、ホモ・サピエンスの頭蓋とホモ・エレクトスの頭蓋の比較論を精緻に繰り広げていきます。(やはり、博士は「単一起源説」論者でした。)


  次に訪れる桂林の遺跡では、石器による検証が行われます。東アジアで発掘される石器は、ホモ・サピエンスのものでもヨーロッパに比べて発展が停滞していることがわかっています。通常、ホモ・サピエンスの石器は原人の石器よりも創意工夫が優れており、道具としてより精緻に加工されていきます。ところが、東アジアの石器はホモ・サピエンス時代の石器として、原人の石器とあまり変わらないのです。


  中国の多地域進化説では、この石器の未進化こそがホモ・エレクトスが現代人に進化した有力な証拠であるといいます。それは、ホモ・サピエンスが拡散して東アジアに入ってきたのであれば、石器も進化するはずであり、ホモ・サピエンスは東アジアに入ってきていない証拠だというわけです。この説にロバーツ博士は実際に石器の進化がなぜ起きなかったのかを検証していきます。その見事な実証は、ぜひこの本でお楽しみください。(石器に代わるものとは、あの植物です。)


  上海におけるY染色体を利用した遺伝子科学による中国人の祖先検証も読みごたえ抜群です。


【ヨーロッパのホモ・サピエンス】


  意外なことにヨーロッパに我々ホモ・サピエンスが到達したのは東アジアなどに比べて遅かったといいます。出アフリカが10万年前から6万年前の時代に成されていたにもかかわらず、ヨーロッパに到達したのは約4万年前だそうです。そこには、地理的な条件に加えて氷河期や氷間期を含めた気候的な要素が大きいようです。


  博士は、ルーマニアで4万年前の頭蓋骨化石が発見された洞窟を訪れます。しかし、この洞窟は水浸しの細長い通路をはるかにとおり、上り坂を上がっていった地上近くの地底の水たまりまで続いています。博士は、かつてここを発掘した科学者たちと共に果敢に挑戦しますが、そこは首まで水につかる地底の池を越えていかなければなりません。何度も首まで水につかりながら進みますが、最後にはあまりに深い池に阻まれて、発掘現場までには到達できません。


  博士は、その洞窟での探検を切り上げて、その洞窟で見つかった化石を保管する研究所に向かい、実物を自分の目で確かめます。4万年前のホモ・サピエンスの頭蓋とホモ・エレクトス(旧人)であるネアンデルタール人の頭蓋の違いは何か。実は、我々ホモ・サピエンスより以前にヨーロッパにはネアンデルタール人がヨーロッパに渡っていたのです。


  ネアンデルタール人は、ヨーロッパにおいては先住民でしたが、3万年前には絶滅したといわれています。ここでの学説上の論点は、ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか。また、我々とネアンデルタール人は交流があったのか。交流があったならば、果たして混血があったのか。


  我々ホモ・サピエンスは「アフリカのイブ」から生まれ出た単一の人属ですが、もしも混血があったのであれば我々にもネアンデルタール人の血が受け継がれているのかもしれません。


  ヨーロッパにおける人類拡散の謎を巡る旅は、ますますその謎を深めて続いていくのです。


【人類最後の到達地 アメリカ】


  ロバーツ博士は、いよいよ最後に我々ホモ・サピエンスが足を踏み入れたアメリカ大陸へと上陸します。アメリカ大陸は、ヨーロッパから見れば15世紀に新大陸として発見されたわけですが、2万年以上も前にベーリング海峡を渡ったホモ・サピエンスにとって、その発見は単なる侵略と征服以外の何物でもありませんでした。


  博士は、まずカナダでの古代の遺跡を探索しますが、ここでもアメリカの先住民族との触れ合いを忘れません。インディアンといえば、西部劇にも出てくる円錐形のテントがおなじみですが、ロバート博士はシベリアでの旅で過ごしたエヴェンキ族のテントとそれが驚くほど似ていることに大きな興味を抱きます。


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(アメリカの先住民の長と語る BBCHPより)


  果たして、アメリカ大陸への最後の拡散は、どの時代にどのルートから行われたのか。焦点は、古代の気象による検証に至ります。ホモ・サピエンスがアラスカへと渡ったと推定される2万年前、この地域は広く大きな氷に包まれていました。現在のベーリング海峡は、海岸線の後退により大きな陸続きとなっており、ベーリング陸橋(ベーリンジア)と呼ばれています。


  さらに北アメリカ大陸は、ほとんど氷で覆われておりロッキー山脈を挟んで西側のコルティレラ氷床と東側のローレンタイド氷床に覆われていたのです。ホモ・サピエンスはどうやって氷床で阻まれたアメリカ大陸を南へと移動できたのでしょうか?


  博士は、北アフリカの遺跡を巡り、その足跡を数々の化石や石器から検証していきます。そこで、カギを握ったのは、なんと植物の種の化石だったのです。


  そして、最後に博士はブラジル、そしてチリへと旅立ちます。酷寒の地から灼熱の地へ、そしてまた酷寒の地へ。そこで出会ったのは、モンゴロイドとは似ても似つかないホモ・サピエンスの頭蓋骨です。ホモ・サピエンスはシベリアから渡ってきた一派だけではなかったのか、謎が深まります。


  さらにチリのアメリカ大陸最古といわれる遺跡で、博士はアメリカ大陸で最古の文化と呼ばれる「クロヴィス文化」よりも古いホモ・サピエンスの「文化」と出会うことになるのです。



  アリス・ロバーツ博士とともにたどる人類遥かなる旅。本当にワンダーの連続でした。サイエンス本の面白さにひとつは、最新の研究を踏まえて、さらなる発見を追っていくことです。この本で語られる「ホモ・エレクトスであるネアンデルタール人と我々ホモ・サピエンスの交配はほとんど行われていなかった。」


  この説の最新説には注目です。


  この本は、本当に読み応えのあるサイエンス・ノンフィクションでしたが、科学の醍醐味に数々のワンダーを感じる面白い本でした。みなさんもぜひ、この実践と検証の旅をお楽しみください。我々ホモ・サピエンスの未来に勇気がわいてくること、間違いなしです。


  季節は極寒と暖かさが繰り返す不安定な時期となりました。インフルエンザと花粉に警戒が必要です。くれぐれもご自愛ください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2017年02月12日

アリス・ロバーツ 人類20万年の旅路1


こんばんは。


  今、この地球と呼ばれる星には、72億人の人間が生きており、毎日増え続けています。


  昔、地理の授業で世界の人口の話をしている時には40億人とか50億人とかと聞いていましたが、世界のどこかでいつもヒトが増え続けているという事実には驚きます。


  世界の人口ランキングというものも存在しており、2015年現在で第1位はご存じ中国の137千万人。第2位は、インドの129千万人。3位以下は、いきなりケタが減ってアメリカの32千万人となっています。


  以下、4位はインドネシアの25千万人。5位はブラジルの2億人。ちなみに日本は10位で126百万人。9位はロシアの143百万人となっています。統計資料によれば、世界の人口は、1分間に137人、1日で20万人、1年で7千万人増えているそうです。


  もちろん、人口の増加はプラス面とマイナス面があり、世界経済を見渡せば人口の多い国において、ヒット商品が出回ればそれを販売している企業は巨万の富を手に入れることができます。一方、地球の資源には限りがあり、エネルギー、食糧が足りなくなれば人類の未来は暗いものとなります。二酸化炭素が増加することによりオゾンホールが破壊され、地球の温度が一気にあがることで生命体に危機が訪れることもあり得ます。


  この地球上には、数限りない生命が息づいていますが、人間は間違いなくこの星のうえでは最強の生物となっています。いったい我々人は、どのような歴史を経てこれだけの繁栄を謳歌することになったのでしょうか。人間と一言で言っても、人種や民族による差別の問題は、いまだに各国に蔓延しています。先日もアメリカ大統領に就任したトランプ氏は、7か国の人々をアメリカに入国禁止とする大統領令を発し、世界中に物議を醸しだしました。


  今週は、こんな我々がどんな歴史をたどって現代に至っているのか、人類発祥からの歴史を旅したノンフィクションを読んでいました。


「人類20万年 遥かなる旅路」(アリス・ロバーツ著 野中香方子訳 文春文庫 2016年)


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(「・・・遥かなる旅路」文春文庫 amazon.co.jpより)


【我々の祖先を遡る】


  ところで、以前に分子生物学の本で、DNAによる遺伝子解析を利用して、人間のさまざまな謎に迫る本をご紹介しました。その中では、現在の我々ホモ・サピエンスのDNAを調べることで、人類のルーツを探ることができることが記されていました。


  我々の細胞の中には、ミトコンドリアが存在しています。通常、遺伝子を形作るDNAは、世代が変わると遡ることができなくなります。しかし、ミトコンドリアの中にあるDNAは、母親から子供に変容することなく受け継がれていきます。つまり、このミトコンドリアDNAを追っていけば、その人間の母方の系列を遡っていくことができるというのです。


  さらに、父方の家系については、男の性を決定するY染色体の系列を調べることで、やはり世代をさかのぼっていくことが可能となっています。


  これまで、ホモ・サピエンス(我々、現人類)に繋がる化石は様々な場所で見つかっています。北京原人やピテカントロプス・エレクトス(ジャワ原人)、ネアンデルタール人などが有名ですが、こうした人属の旧人や原人たちのどれかがホモ・サピエンスの祖先ではないか。中国などでは、北京原人こそが中国人の祖先であるとして、中国人の純血性を強く主張しています。


  しかし、現代人のたくさんのサンプルからミトコンドリアDNAをたどっていった結果、驚くべきことが発見されました。それは、ホモ・サピエンスはこれまで見つかったすべての旧人、原人とは異なり、たった一人の母親から生まれ出て繁殖したとの説です。その母親は、アフリカ出身であり、人が生まれた神話「アダムとイブ」をイメージして、「アフリカのイブ」と呼ばれました。


  つまり、現在、世界の大陸のすべてに生息する72億人のホモ・サピエンスは、20万年前にアフリカに生まれた一人のイブから始まっているということです。そして、どこかの時点でアフリカを脱出したホモ・サピエンスはユーラシア、中央アジア、オーストラリア、ヨーロッパ、シベリア、アメリカ大陸へと広がっていったのです。


  果たして、アフリカで生まれたホモ・サピエンスは、いつの時代にどのルートを通って世界中に散らばっていったのでしょう。


  この本は、その謎を解くために、すべての大陸を旅したノンフィクションなのです。


【なぞに挑む科学者たち】


  この本の著者、アリス・ロバーツ氏は1973年イギリス生まれの医師であり解剖学者。古生物病理学の博士号を持ち、バーミンガム大学の教授を務めています。氏は、科学ドキュメンタリーの世界ではBBCの番組でナビゲーターを務めています。この本は、そのBBCのテレビ番組の作成のために行った世界を股にかけての取材旅行が元となっています。その番組の題名は、「The Incredible Human Journey」(驚くべき人類の旅)。日本では、2013NHKEテレ「地球ドラマティック」で放送されました。


  アリス・ロバーツ氏は、若く美貌の女性科学者であり、文芸春秋社の紹介文でも、「英国の美人人類学者が出アフリカから南米到達までを踏査する。」と記されています。この本のサイトやBBCのサイトでは、氏の写真が紹介されていますが、確かに綺麗です。


  この本は、人類のすべての世界大陸への人類拡散の謎を追っていくドキュメンタリーです。その科学者としてのアプローチに容姿は関係ありません。インターネットでは、「美人人類学者」との文春のコピーにたくさんの人が反応して、「美人は関係なーい。」と批判しています。


  まあ、確かに容姿は関係ないし、美人か否かは見る人の感性によって異なるので、わざわざ本の紹介に乗せる必要がないのですが、このコピーを見て興味をそそられる男女も少なくはないと思います。出版社としては一人でも多くの人に興味を持ってもらうためには必要なことで、目くじらを立てても仕方がないのではと思います。


  しかし、この本はそんな喧噪とは全く関係のない、純粋なサイエンス・ノンフィクション作品です。


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(ナビゲーター ロバーツ博士 イギリスBBCサイトより)


(目次)

序文

第一章 すべての始まり アフリカ

第二章 先祖の足跡 インドからオーストラリアへ

第三章 遊牧から稲作へ 北アジア・東アジア

第四章 未開の地での改革 ヨーロッパ

第五章 そして新世界へ アメリカ

旅の終わりに


  博士は、自らも古生物病理学者ではありますが、この旅ではナビゲーターに徹しています。その旅は、ホモ・サピエンスがいつアフリカで誕生し、いつ、どのルートを経て世界中に拡散してったのか、を科学的に探求していきます。それぞれの大陸で訪れるのは、現代に残る最も古い種族であり、はたまた古代のホモ・サピエンスの化石が発見された洞窟や住居跡、さらには海を渡ったと聞けば古代の舟までに及びます。


  そして、訪れる各地で博士を迎えてくれるのは、その地で真摯に古代人類学を研究する研究者たちです。彼らは、考古学者であり、古代人類学者であり、古代遺伝子学者です。すべてが権威のある科学誌「ネイチャー」に新発見の論文が掲載されるような、現在の知の権威たちです。そこでのやり取りは、ホモ・サピエンスの歴史に対する最先端の知見です。


  アリス・ロバーツ氏の素晴らしいところは、現地住民たちやまったく異なる説を唱える科学者たちの言葉をフラットによく聞いて、その道理を認めていく姿勢です。


  今や遺伝子科学におけるDNA研究は、ホモ・サピエンスの遺伝的事実をつきとめているものとほとんどの科学者から認められています。しかし、古代人類学に関して偉大な発見をした科学者でも「多地域進化説(または地域連続説)」を主張する一派が存在します。それは、「アフリカのイブ」説である「アフリカ単一起源説」と真っ向から反対する説です。


  氏は、各大陸への旅の中で、様々に旧人類を研究する科学者たちにその研究について質問を投げかけますが、その答えを真摯に受け止めようと努力しています。それは、相手が真剣に研究した労苦を根拠にして唱えた説である限り、その人に対する畏敬を込めていることの証ではないかと思います。


  この本が常に明るい先見性に満ちているのは、氏のそうした姿勢が全編に貫かれていることが大きな要素になっているのだと思います。


【アフリカそして出アフリカ】


  序文にて、ホモ・サピエンスの基本的な知識と、この本で探求される技法(考古学、化石、石器、年代測定、遺伝子研究)を紹介したのち、博士はいよいよホモ・サピエンス発祥の地、アフリカ、ナミビアのンホマの地に降り立ちます。


  そこでは、ホモ・サピエンスとしてもっとも古代の姿を現代に残していると考えられているブッシュマン(サン族)の元を訪れます。ここで、博士は古代ホモ・サピエンスがどんな言語でコミュニケーションを行っていたのかに大きな興味を寄せます。また、ホモ・サピエンスが直立歩行した後にアキレス腱や尻の筋肉を進化させてきたわけを考察していきます。


  そして、ケープタウンにて遺伝子学における「アフリカのイブ」のワンダーに触れたのち、いよいよ最も古いホモ・サピエンスの化石と石器を調査する旅へと向かいます。それはエチオピアのオモ川下流の断層。そこは、195000年前と測定されたホモ・サピエンス最古の化石が発掘された場所なのです。


ホモサピエンスVSネアン01.jpg

(ホモ・サピエンスとネアンデルタール人(右)の違い wikipedeiより)


  さらに氏はホモ・サピエンス最古の歴史を追って、20万年前のホモ・サピエンスが加工したと思われる石器の発掘現場である南アフリカへと向かいます。化石と聞くとあたかも地層がむき出しになっていればそこに簡単に発見できると想像しがちですが、数十万年間、骨や遺体が石化して残るためには、奇跡的な条件が整わなければなりません。


  氏は、その奇跡が発見された場所を実際に訪れて発見と研究の現場を検証していくのです。


  第一章のクライマックスは、出アフリカの軌跡です。アフリカで生まれたホモ・サピエンスはいったいいつ頃に、どのルートをたどってアフリカを出て、世界へと拡散していったのか。氏は、出アフリカの最前線であるイスラエルのスフールの遺跡へと足を進めます。ロマンあふれる数万年も前のホモ・サピエンスの出アフリカ。


  そのワンダーは、皆さんもぜひこの本で味わってください。


  あまりに本が面白いので、アッという間に紙面が尽きてしましました。この後の美人科学者の活躍は、引き続いて次回お送りします。本当に科学はワンダーですね。


  季節の上では春を迎えましたが、梅は咲いても桜はまだまだ待ち遠しい季節です。特に日本海側では大雪と強風で大荒れの天気が続いています。皆さん、くれぐれもお大事にご自愛ください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年02月05日

渡邉義浩 三国志は「呉」から語られる


こんばんは。


  先日、いつものとおり本屋さんの棚をなにげなく見ていると、「呉」と「三国志」との表題が目に飛び込んできました。そういえば、しばらく「三国志」の世界を忘れていたなあ、と著者を見ると、以前にも読んだ「三国志学会事務局長」の肩書を持つ渡邉さんの本ではありませんか。


  今回の本は、青春新書からの発売。このシリーズはビジュアルをふんだんに使い、わかり易いので、複雑な三国志のストーリーを俯瞰するにはもってこい。すぐに買い求めました。


「呉から明かされたもうひとつの三国志」(渡邉義浩著 青春新書 2016年)


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(「もう一つの三国志」amazon.co.jpより)


【「三国志」の時代とは】

 中国の歴史は、秦の始皇帝が中国を統一し、その後項羽と劉邦の争いにより、漢が成立したところが一つのポイントとなります。中国は、「天子」と「徳」が歴史を紡いできましたが、紀元0年を境に前後で成立した漢。その後漢も2世紀末には最期を迎えます。幼い「天子」を擁立した宦官と摂政たちが権力争いを繰り広げ、政治は機能しなくなります。


  184年。ついに「太平道」を唱える集団が朝廷に反旗を翻します。「太平道」の信者は、中国全土に及んでおり、教祖である張角をリーダーとした「太平道」の反乱は全土に広がりました。この反乱の鎮圧には、その後三国志に登場する覇権を争う登場人物がすべて登場することになるのです。この反乱は、黄巾の乱と呼ばれています。この混乱に乗じて首都洛陽を占拠したのは、軍閥の親玉である董卓でした。


  後漢はこの後も存続しますが、乱世の時代に後漢乗っ取りを目指したのは、宦官を支配した何進。何進が宦官に殺害された後には、豪族の袁術、袁紹兄弟が覇権を争うことになります。189年からの数年は、董卓とその養子呂布、袁紹、袁術が戦いを繰り広げ、まさに乱世が続きます。


  その中で、台頭したのはその後に「魏」の皇帝となった曹操です。曹操は、董卓を殺害した呂布や袁術と対立しますが、彼らに勝利し着々と勢力を蓄え、200年に有名な官渡の戦いで袁紹を破って中原を制覇することになるのです。


  この間、「蜀」の皇帝となる劉備は一時曹操の配下にいましたが、曹操に反旗を翻したことで官渡の戦いの前に追放されています。一方、この年、孫家を拡大させてきた孫堅の息子、孫策が合戦中に受けた傷が悪化して亡くなり、弟の孫権がその跡を継いでいます。


  我々が「三国志」として思い浮かべるのは、中原から天下統一を目指した「魏」の曹操の活躍と、関羽や張飛と桃園の誓いで義兄弟となり、三顧の礼で諸葛孔明を軍師として迎えた「蜀」の劉備との闘いです。三国志の中で、「呉」が印象に残るのは、映画にもなった「赤壁の戦い」での孫権と周瑜の姿。「呉」は、「三国志」の中ではマイナーな感じがぬぐえません。


【「呉」から見る三国志】

  この本の面白さは、これまでの三国志演義では、曹操や劉備玄徳のわき役との印象が強い「呉」を中心に三国志を語るところにあります。


  「呉」は、三国の間では西南の地域(江東)を統治する国であり、中国文化の中心であった中原からは遠く離れた地域となります。しかし、この地域は戦国春秋時代には強国であった「楚」の支配地域であり、宮城谷昌光さんが最新作「湖底の城」で描いている呉越の戦いの舞台でもあります。春秋時代には、兵法の指南書と言われる「孫子」を表した孫武もこの地域の出身であり、小説にも登場しています。


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(「曹操」辻村寿三郎HPより)


  「呉」の国の礎となった孫堅は、自らを孫武の子孫と称していたといわれていますが、その出自は貧しかったようです。「呉」の国を興して初代皇帝についた孫権は、父孫堅が築いた勢力をその死後引き継いだ兄孫策の跡を継ぎ、その基盤の上に「呉」を打ち立てたのです。


  この本は、三国志を「呉」と孫氏から語っていくのです。


  265年、魏の宰相であった司馬炎は、魏の元帝から皇位の禅譲をうけて「晋」を打ち立てます。それに先立つ263年に魏の司馬昭は、蜀に軍を送り首都成都を陥落させ蜀は滅亡します。そして、280年、晋は大軍を擁して呉に攻め込み、ついに「呉」は滅亡します。ここに三国時代は終焉を迎えますが、三国の中で「呉」は最後まで生き残った国だったのです。


  「三国志」は、司馬氏が「晋」を建て三国が統一された以降に司馬氏に仕えた陳寿が編纂したと言われています。「三国志演義」は、明の時代に読み物として書かれたもので、我々がよく知る劉備玄徳、関羽、張飛の物語や諸葛孔明の逸話のほとんどは、フィクションとして作られた話だそうです。


  「三国志」は、司馬遷の「史記」にはじまる中国王朝の史書と呼ばれる記録であり、宮城谷さんの「三国志」はこの史書をもとに描かれた小説です。「三国志」には、「魏書」、「呉書」、「蜀書」という3つの国の物語をひとつの史書にまとまたものと言われています。この本の著者は、この中の「呉書」をひもとくことで、改めて「三国志」の世界を再構築しているところが大きな特徴です。


【孫氏の呉の国とは】

  史書「三国志」は全65巻で構成されています。その内訳は、「魏書」30巻、「蜀書」15巻。「呉書」20巻となっており、「呉書」は「晋」に皇帝の位を禅譲した「魏書」に次ぐ巻数を得ています。「呉書」の第1巻は、「呉」の前史として父親の孫堅、兄の孫策の業績が記されています。第2巻は、初代皇帝であった孫権の書。そして、第3巻では、孫権ののち皇帝となった孫亮、孫休、孫皓の記録が記されます。


  そして、残りの17巻には、皇帝の夫人をはじめとして、王族、さらには「呉国」にかかわった様々な人々の列伝が記されています。


  この本は、「呉書」の記載に基づき、そのエッセンスを年代記のように語っていくのです。


(目次)

序章 孫氏一族と呉国

第一章 孫堅、中原に雄飛す

第二章 孫策、江東を駆ける 

第三章 孫権、江南に覇を唱える 

第四章 「その後」の孫呉


  この本では、各章ごとに「呉国」の歴史にてポイントになった、年代を追った合戦をキーに「三国志」を彩った英傑の活躍が描かれます。しかも、すべての項(合戦)に図解が描かれており、その合戦の意味を解説してくれています。


  さらに、各項のコラムでは、「名将の逸話」と題して、その年代に関わる名将の逸話を語っており、歴史のトリビアを味わうことができます。


    さて、人が短い人生の間にことを成すとは、どうゆうことなのか。「呉国」の歴史から「三国志」を見た時に感じるのは、ことを成すときに人生の長さは関係ないという感慨です。


【孫堅、孫策父子が礎を築く】

  まったく無名で貧困にあえいでいた孫堅が世に出たのは、17歳のときでした。ある出来事で、その才覚が認められ、地方の尉(警察官)に任命されます。その後、20代の後半には、黄巾の乱制圧のために軍に加わり、目覚ましい成果を挙げることで、出世街道を歩みます。候となった孫堅は、袁術に認められ、軍団を率いて戦い続け、ついには董卓が支配する首都洛陽を落します。その後も袁術のもとで、領土拡大を続けていきますが、油断があったのでしょう。


  襄陽で劉表配下の黄祖に勝利した時、勝利を収めたその夜に一人で敵情を視察します。そこには、黄祖の部下が潜んでいました。孫堅は、そこで矢で射抜かれて亡くなります。そのとき、孫堅は37歳という若さでした。


  そのまま孫氏の名前が歴史から消えていても不思議ではありませんでした。しかし、孫堅の志は、息子の孫策へと引き継がれていきます。父孫堅が亡くなった時、孫策は17歳。それは奇しくも父が尉に任命された年と同じです。父孫堅が亡くなったことで孫堅軍団は解体し、袁術の軍に吸収されることになります。


  しかし、父のDNAを見事に引き継いだ孫策は、部隊を率いての戦いに実力を発揮して頭角を現します。そして、19歳の時には、袁術に乞うて父のもとにいた孫軍団を返してもらいます。そのときの軍団はたったの1,000名ですが、その中には父の時代からの優秀な人材が含まれていたのです。孫策は、袁術の部下として戦いに成果を挙げると同時に、さらなる人材の発掘に努めます。


  5,000人までに拡大した孫策軍。その中には、だれもが名前を知る張昭と周瑜という無二の才能を持つ英傑が含まれていました。195年、袁術のもとからの独立の機会を狙っていた孫策は、揚州をめぐって対立していた劉繇(りゅうよう)の討伐を自ら志願します。袁術は孫策の才覚を警戒していましたが、勝っても負けても損はしないと考え討伐を許可します。


  ここでも勇猛さと統率力を発揮した孫策は、みごとに劉繇を打ち破り、呉の基礎となる江東の制覇を成し遂げるのです。しかし、父のDNAは争えません。その後、制圧した江東地域を拠点に版図を拡大し、江南をも支配地としますが、そこに落とし穴がありました。


  200年。いよいよ曹操のいる許都を攻めようと計画しているときに刺客に襲われます。勇猛果敢な孫策は、その場で3人の刺客を葬りますが、一人が放った矢に顔を射抜かれて傷を負います。そして、その傷がもととなり孫策も26歳の若さで帰らぬ人となるのです。


  孫策は、死の床で自らの後継者に弟の孫権を指名します。そして、最も頼りにしていた周瑜と張昭を孫権の後見として、何事もこの2人に相談するよう遺言します。後を託された孫権は、このとき19歳という若さでした。孫権は、二人の補佐役の策をよく実現し、208年の赤壁の戦いでは、蜀の劉備玄徳と同盟し、軍師諸葛孔明とともに周瑜とその部下黄蓋の智謀により見事数十万人を擁する曹操を打ち破ったのです。


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(「孫権」辻村寿三郎HPより)


  そして、229年に孫権は呉の皇帝に即位し、3国が並立することとなるのです。


  孫権は、252年に亡くなりますが、この後三代の皇帝が後を継ぎ「呉」の国は続いていきます。


  この本では、孫氏による「呉」から三国志を描いていますが、孫氏の元には江東・江南を傘下に収め、支配するために多くの名将たちが集まっていました。この本では、そうした名将の活躍も見逃してはいません。「呉」の支柱と言われる張氏、陸氏、朱氏、顧氏など、様々な名将の逸話が描かれています。特に張昭や陸遜の志と活躍は、宮城谷さんであれば長編小説に仕上がるのではないかと思われます。


  さらには、劉備玄徳の軍師、諸葛孔明の一族が、「蜀」だけではなく、「呉」でも「魏」でも活躍していたとの事実は、この本でのワンダーです。例えば、孫権に仕え、その死後には摂政として「呉」の政策を担った諸葛恪は諸葛孔明のいとこ。また、その父である諸葛墐は孔明の兄であり、蜀との同盟に大きな力を発揮して「呉」の大将軍となりました。



  この本は、これまで知っていた「三国志」の世界に新たなワンダーをもたらしてくれます。三国志に興味のあるあなた、ぜひこの本を楽しんでください。「三国志」を読むことが一層楽しくなることに間違いありません。宮城谷三国志を読むのが待ち遠しくなります。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年01月29日

吉野準 インテリジェンスに必要な器


こんばんは。


  ジャーナリズムは、常にニュースバリューのある出来事を報道することに目を向けています。


  安倍首相は、外交でのアピールもそつなくこなします。今年に入っての注目はアメリカでのトランプ氏の大統領就任ですが、そのことも踏まえて、安倍さんはアジア諸国への訪問を行いました。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領のもとを訪問しました。ドゥテルテ氏は、徹底した覚せい剤の取り締まりで支持率を高め、国際的にも注目される首脳の一人です。


  安倍さんは、家族を大切にする大統領の質素な自宅を訪問し胸襟を開いて会談を行いました。最初の訪問国にフィリピンを選び、南シナ海問題の国際法による解決をアピールしたのです。日本では中国と尖閣列島の問題で対立しており、その後歴訪したインドナシア、ベトナム、オーストラリアの訪問で南シナ海問題を取り上げたのは、日本の安全保障にとっては効果的な外交であったと評価されました。


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(ドゥテルテ大統領と安倍首相夫妻 asahi.comより)


  ジャーナリズムは、安倍さんの経済政策とトランプ大統領への対応を大きく取り扱っていますが、安倍さんの安全保障政策に対してはまるで終わった出来事かのように沈黙しています。


  ちょうど3年前、安倍総理はアメリカにその設立を約束した日本版NSC(国家安全保障会議)設立のための法案、そしてそのために必要な特定秘密保護法案を成立させましたが、その後の安全保障への対応はほとんど報道されていない状況です。


  国家安全保障会議は、国家安全保障局のもとで情報の収集を行い、判断は首相、官房長官、外務大臣、防衛大臣の「4大臣会議」にて行われる仕組みとなっています。日本が直面する安全保障の課題としては、北朝鮮からのミサイル・核の攻撃、中国や韓国の尖閣諸島、竹島に対する行動、ロシアの北方領土への対応、などがあげられますが、今後、大きな焦点となるのは日本国内、または在外邦人に対するテロリストによる攻撃ではないでしょうか。


  日本の国益に即した安全保障を考えるとき、もっとも必要な事はインテリジェンスです。それは、諜報と翻訳されますが、国家安全保障会議で政策を判断するには、「日本国」を取り巻く情勢に対する正確でディープな情報と的確な分析が不可欠です。特にイスラミック・ステイトに代表される過激テロに対応するにはインテリジェンスこそが日本国民を守る唯一の武器になるといっても過言ではありません。


  今週は、現在の日本に最も必要なインテリジェンス組織に関する本を読んでいました。


「情報機関を作る 国際テロから日本を守れ」(吉野準著 文春新書 2016年)


  日本の情報機関というと代表的な組織は内閣調査室ですが、実は日本の各省庁は情報の大切さを十分にわかっており、法務省にも外務省にも防衛省にも警察庁にも警視庁にも情報収集と分析を業務とする組織が存在します。こうした情報機関がキチンと国益のために機能しているか、と言えば疑問です。


  かつて、後藤田官房長官は中曽根内閣で内閣官房6室制度の発足に当たり、各省庁出身の室長を前に五訓と呼ばれる訓示を行いました。


○省益を忘れ、国益を想え

○悪い、本当の事実を報告せよ

○勇気をもって意見具申せよ

○自分の仕事でないというなかれ

○決定が下ったら従い、命令を実行せよ


  まさにインテリジェンスオフィサーのためにあるような言葉ですが、各省庁のもとで縦割りとなっている情報機関では、とても実現できるようには思えません。


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(国益を思う後藤田正晴氏 bs-asahi.co.jpより)


  「官僚主義」という言葉がありますが、それはこの五訓と反対のことをする場合をいう言葉です。「省益を想い、国益を忘れ」、「悪い、本当のことは隠ぺいする」、「事なかれ主義で意見具申を避ける」、「それは自分の仕事ではないと言い逃れる」、「決定が下ってもなお文句を言い、実行しない」日本の官僚主義は、一つの伝統になりつつあるのではないでしょうか。


  フラットに世界の国々を認識し、我々一人一人の日本人の安全を考えた時に必要なのは、省庁という縦割り組織を超えて、日本国民の安全のために、広く、深く真の情報を収集し、的確に分析して意見具申ができる情報機関なのではないでしょうか。


  この本の著者は、1993年に第79代警視総監を務めた吉野準氏です。氏は、警察庁時代に現場の警察官を永く経験したのち、ベオグラードで外交官を勤めました。その後、県警の本部長や警察庁の警備局長なども務めており、現場経験も豊かです。さらには、内閣総理大臣秘書官も経験しており、日本の公安情報に関してはエキスパートと言えます。


  生まれ年を見ると、氏は当年とって82歳になりますが、その情熱は決して衰えていません。


【インテリジェンスの実際】

  インテリジェンスには、大きく分けてヒューミントとそれ以外の方法による諜報があります。ヒューミントとは、まさに人と人(人脈)によって情報を収集していく手法。この本では、別の手法として電話や通信、インターネットなどによる諜報、「シギント」が紹介されています。インテリジェンスには他にも公に公開されている情報から諜報を行う手法「オシント」や衛星や偵察機を使い画像解析を行う「イミント」などがあります。


  当然、情報機関ではこれらの方法が専門的に行われるわけですが、吉野氏は、インテリジェンスの基本活動であるヒューミントに絞って情報機関に必要なものを語っていきます。


  日本の情報収集、分析機関で唯一逮捕権を行使できるのは警察です。そのなかでも著者も身を置いていた公安部隊は、要人警護からテロ対策まで日本の治安を守る前線部隊として日夜活躍しています。吉野氏はこの本で、生の現場経験を踏まえて、情報機関に必要なヒューミントのノウハウを語ってくれるのです。


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(吉野準著「情報機関を作る」 amazon.co.jpより)


はじめに ヒューミントの現場から

第1章 情報で勝負する

第2章 ヒューミントの工程表

第3章 ヒューミントの同業組合

第4章 歴史を動かした大物スパイ

第5章 防諜体制をいかに築くか

第6章 ヒューミントのための組織と人材


  日本は国際諜報に関して、まさに弱みを持っています。一昨年に起きたイスラミック・ステイトによる日本人2名の人質事件。日本は、アメリカやトルコを通じ、全力で拘束された二人の情報を収集し、なんとか人質の生還をめざしました。ところが、情報収集もままならず、当然ながらテロ組織に常に先手を取られて、結果として2名の尊い命が犠牲となりました。


  ジャーナリストの後藤健二さんは人質を救うことを目的に現地に入った結果の惨劇でした。


  このことで、最も学ぶべきことは国際テロに対して、直接情報を得る手足を持たず、他の国の情報を頼りにするだけでは、独立国として国民の命を守ることができないという事実です。


  吉野氏は、日本は歴史的に見て情報を悪いものとみているといいます。それは、江戸時代に培われた庄屋制度と隣組制度です。氏は、そのことを語るのに司馬遼太郎氏の講演を引用します。曰く「およそ情報というものは水田農業の農村においては重要なものではなかったのです。それどころか情報というものは時に平和を害するものであり、庄屋が握りつぶすべきものでありつづけた。そういう社会がずっと続いてきた」


  そんな日本の国ですが、吉野氏はインテリジェンスの不可欠さを説くとともに国際社会において日本が国際テロを防ぐためには、情報機関の創設がなくてはならないと語るのです。


【ヒューミントの工程表そして同業組合】

  情報機関といえば、アメリカのCIA、ロシアのSVR、イギリスのMI6、イスラエルのモサドなどが頭に浮かびますが、吉野氏は日本にもこうした情報機関をつくるための工程表を提示します。この本の主眼はヒューミントにあるので、当然ながら組織を作るために必要な人のリクルートから工程表は語られていきます。

  

  具体的な中身は本に譲るとして、この本の面白さは様々に語られる事例と本です。事例としては、日本赤軍ハイジャック事件やソウルオリンピックにおける北朝鮮のテロ未遂事件などが氏の経験した事件として生々しく語られます。また、私も大好きでハマったフレデリック・フォーサイスの本から諜報の事例がみごとに語られていきます。「オデッサファイル」や「第四の核」などは、世界の情報機関に教科書として利用されているといいます。


  インテリジェンスのリクルートに肝要な言葉「マイス」とは一体何でしょうか。


  「MICE」とは、マウスの複数形ですが、諜報の世界ではリクルートに必要な4つの要素なのです。まず、MMONEY。お金です。まず、情報も人もお金で動くことはご存じのとおりです。次のIは、IDEOLOGY。つまり、イデオロギーとは思想・信条のことです。自由主義と共産主義は、スパイが裏切るときの大きな動機となります。


  Cとは、COMPROMISEのこと。本来の意味は、譲歩する、和解するという意味ですが、諜報の世界では、「醜聞(スキャンダル)による強要」との意味になります。つまり、弱みを握ってリクルートするということです。某自衛官が陥ったハニートラップは中国の得意技だそうです。最後のEは、EGOのことです。人間だれしも自尊心や自惚れる気持ちを持っています。組織の中で正当に評価されないとの不満はリクルートの時には大いに役立ちます。


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(ソ連の英雄 スパイゾルゲ記念切手 Wikipediaより) 


  こうしたワンダーがこの本には満載されているのです。


  さらに、同業組合の章では、なぜ日本に情報機関が必要かを実感させてくれます。


  かつて、ある警察官が日本赤軍のダッカ乱射事件の解決のために海外へといったときに日本に情報機関がないために動きが取れなかった、とのテレビ番組でのコメントが紹介されます。「事件後、警察庁に対策本部ができ、私もその一員として各国の情報機関を回って歩いたのですが、(どこへ行っても)3つのことを言われました。」


  「第一に、あなたは警察でしょう。情報機関じゃないでしょう、と言われた。相手になかなか入り込めず苦労しました。」「次に言われたのは、もし情報を提供したらそちらは何をくれるのか、と。こちらには代わりにあげるものがないのです。」「三つ目に、お国では差し上げた情報の秘密は守れるのですか、と言われた。(当時はまだ)秘密保護の法律がなかったのです。」


  まさに情報機関のない国は、世界の諜報から相手にされないとの事実がここに語られています。


  この章では、ギブ・アンド・テイク、サード・パーティ・ルール、インテリジェンス・オフィサーのカヴァー(身分の秘匿)、情報源の秘匿など、情報機関でのあたりまえのルールが語られていき、情報機関独自の立ち位置が明確にされていきます。


  第四章では、実在したスパイが紹介されます。日本の情報をソ連に送り続けたソ連の英雄リヒャルト・ゾルゲ。キューバ危機の時代、ソ連のフルチショフ書記長の情報をソ連からアメリカに送り、キューバ危機を回避させたソ連GRUのペンコフスキー大佐。アンドロポフからゴルバチョフへと書記長が変わる中、ソ連の情報をイギリスへと流し、最後にはイギリスへと亡命した英雄ゴルディエフスキー。こうした人々の実録が語られていきます。



  この本は、手に汗を握るような記事とビジネスの企画書のような記事とが、交互に現れて、情報機関の必要性と現実にそれを創生することのノウハウを見事に語っていきます。国際関係による諜報が国益を左右する現代、皆さんもこの本を読んで情報機関の必要性を改めて認識してはいかがでしょう。一日も早い機関の創設が待ち望まれます。


  それでは今日はこの辺で、寒くなったり暖かくなったり極端な天気が続きます。インフルエンザも流行っていますので、皆さんお体にはくれぐれもご自愛ください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 23:32| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月22日

福岡伸一 ハカセの最新エッセイを読む


こんばんは。


  生物学に携わる先生は、皆不思議な感性をもっているのかもしれません。


  構造生物学者の池田清彦さんは、人気のテレビ番組「ほんまでっかTV」で、天然な評論でさんまさんの笑いを引きずり出していますが、生物(特に昆虫)に対する思い入れは、他の追随を許しません。そのエッセイは、ワンダーな発想が随所にちりばめられており、思わず笑ってしまいます。


  また、2007年から2009年にかけて、分子生物学と人類の関係を自らのワンダーとともに記した新書を上梓し、一躍ベストセラー作家の仲間入りをした福岡伸一さんもちょっと変わった生物学者です。氏は、優しく知的な文章を駆使して分子生物学と自らの人生を、みごとなエッセイにまとめて読者を魅了します。


  氏は、エッセイで自らを「福岡ハカセ」と自称していますが、科学者でありながら絵画や文学に対しても豊かな感性を発揮し、すべてを結び付けて様々に語っていきます。特にオランダの画家フェルメールには造詣が深く、世界に散らばる30数点のフェルメールを全点踏破するほどのフェルメール好きです。


  今週は、その福岡ハカセのエッセイ、最新本を読んでいました。


「やわらかな生命 福岡ハカセの芸術と生物をつなぐ旅」(福岡伸一著 文春文庫 2016年)


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(「やわらかな生命」文春文庫 amazon.co.jpより)



【生命の仕組みのワンダー】


  最近、家族が薬剤関係の仕事に就いたため、家では薬の名前が飛びかっています。息子が歯医者に行って親知らずを抜いてくると、みんながもらった薬の名前を聞き出します。「エッ、ボルタレン?その痛み止めが出るのなら、マスイが切れたらすごい痛みがおそってくるよ。」と脅します。初めて、親知らずを抜いた息子は、その「スゴイ痛み」に恐れをなし、バイト先に電話してお休みにしてしまったほどです。(その後、マスイが切れても大きな痛みは襲ってこずに、収入が減ったと嘆いていました。)


  薬の話題は、我々の生きる力に直結しています。


  先日も風邪をひいて熱が出たので、医者に行ったところ「抗生物質」が処方されました。私自身は、抗生物質を飲めば熱が下がり、のどの痛みも治まるので、「抗生物質」は直接風邪の菌を殺して症状を緩和してくれるものと、勝手に考えていました。


  ところが、薬学に携わる娘は、「抗生物質は、直接症状に効くわけじゃないからね。」と、サラリと驚くべきことを言うのです。


  話を聞けば、「抗生物質」は、我々の体の免疫性を補助する役割を果たすもので、いわば、現在かかっている病気以外の細菌に感染しなくなるようにする薬だ、ということなのです。現在の症状以外の細菌への抵抗力を増すだけで、あれだけ症状が緩和されるとは、改めて人間の持つ免疫力の偉大さを痛感しました。


  ところで、皆さんの中にも毎年の花粉症に閉口している方がたくさんいると思います。福岡ハカセも重度の花粉症のようで、エッセイの中には花粉症の話題も登場します。花粉症は、スギ花粉による症状が有名ですが、人によって反応する花粉の種類が異なるようです。


  福岡ハカセは、花粉症の仕組みを簡単に解説してくれます。


  人間の免疫は、本来無害のものには反応しませんが、スギ花粉を有害なものと認識してしまうため、免疫が反応し鼻水や涙が大量に発生することになるようです。花粉症の薬は、スギ花粉に反応するレセプターを薬によって先に蓋をしてしまい、免疫が反応しないようにするのです。花粉の種類が異なると蓋をするレセプターが異なるため効かないようです。


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(花粉症とレセプターの仕組み)


  もう一つ、花粉症を和らげる方法は、免疫が花粉を有害と認識しなくするために、日ごろから少量の花粉を体内に入れることで、免疫の反応をなくしていくやり方です。免疫が寛容になれば、花粉への反応が抑えられ、花粉症が収まっていくわけです。免疫が寛容とは不思議な話です。


  花粉に対して免疫が寛容になってくれれば、花粉症は軽くなるわけですが、人間の体内にある免疫は、家主に似て年を取ると不寛容になるそうです。残念ながら、福岡ハカセの免疫は、すでに寛容である年齢を超えているようです。


【生物と科学と芸術のトリビア】


  このエッセイは、2008年から週刊文春に連載されている福岡ハカセのコラムをまとめた本の第3弾です。文庫のページにして、1編は約3ページですが、毎回、ハカセの知るワンダーを盛り込んでおり、そのトリビアに思わず次々と読み続けてしまいます。


  最近、ぐっさんこと山口智充さんが父親役で、息子たちに歩きながらトリビアを語るTVCMが放映されています。いわく、「マンボウは一度に3億個も卵を産むって、知ってた?」、「そうなの?」、「こおろぎの耳は前足にあるって、知ってた?」、「そうなの?」。とお父さんが子供たちに語ると、子供たちは尊敬のまなざし。それに続いて、会社の名前を言うと、なぜか子供の方がその会社のことをよく知っている、というお父さんの自尊心をくすぐるようなCMです。


  このコラムの福岡ハカセも、まるでCMのお父さんのようにトリビアを次から次へと語ってくれます。


  今回のキーワードは「生命」


第一章 日常と生命

第二章 野生と生命

第三章 科学と生命

第四章 色彩と生命

第五章 地図と生命

第六章 学びと生命


  第一章は、我々の日常に近いところでのワンダー。毎年受ける健康診断。ハカセは、血糖値の値が危険値に近づいていることがわかります。ここから話は、肝臓の機能へと進んでいきます。肝臓は、体に必要な物質の調整を司ります。それは、人が食料を手に入れられない状態でもなんとか糖分を体内に送る役目を果たします。日頃は、体に必要な糖分を油に変えて脂肪として格納し、糖分が補給されなくなると脂肪を糖分に変えて体に供給するのです。


  人間の体に糖分が足らないとき、肝臓はアクセルを踏んで糖分を増産します。それでは、体に糖分が増えすぎたときに肝臓はブレーキを踏んでくれるのでしょうか?残念ながら糖分のブレーキは、満腹感意外にありません。おなかがいっぱいになると人は糖分を取ることを控えます。しかし、そのブレーキはあまりも頼りになりません。


  何故、肝臓はアクセル機能しか持っていないのでしょう。それは、人類が経験してきた数百万年の歴史の中で、食物がなく糖分不足で幾度となく生命の危機を体験してきた時間がアクセル機能を育んできたのです。人の体は、そもそも現代日本のような飽食の時代を想定していないのです。


  第二章の野生と生命の話は、昆虫採集オタクであったハカセの面目躍如たる話題であふれています。トンボの恋愛行為について、雄雌で、「く」の字と「し」の字で繋がり、まるでハートのような形を作って愛を育む話。関東育ちのハカセが関西ではじめてクマゼミの鳴き声のシャワ-を浴びた話から、生物分布への話へと拡がる展開。ダンゴムシはどうやって集団になるのかなどなど、くめども尽きぬ命のワンダーが語られていきます。


  福岡ハカセと言えば、「生物と無生物のあいだ」(講談社新書)で描かれた、人間がいかに生物科学を築いてきたか、のワンダーを思い出します。科学と生命の章では、ハカセが京都大学時代に学習会として立ち上げたサンガー会の話が白眉です。その名は、唯一ノーベル化学賞を二度受賞した生化学者フレデリック・サンガーに由来しています。


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(名著「生物と無生物のあいだ」amazon.co.jpより)


  サンガーは、1950年代タンパク質の精製要素であるアミノ酸の配列を決定する方法を考案し、タンパク質がアミノ酸の結合物であることを確定しました。その功績によりノーベル賞を受賞します。さらに、ノーベル賞受賞をものともせずに研究をつづけ、遺伝子の決定要素であるDNAの塩基配列の決定法を発明し、生物科学の研究に再度パラダイムの変換をもたらし、1980年に2度目のノーベル賞を受賞します。


  サンガーは、その後も研究を深め、遺伝子地図を保管するDNAと並んで遺伝子に重要な役割を果たす、その地図を利用するために働くRNAの配列決定法までを開発しました。彼は、2013年に95歳で亡くなりましたが、もう少し長生きをしていれば、3度目のノーベル賞を受賞したといわれています。


  ハカセが生物科学の歴史を語るとき、その情熱とワンダーに心が動かされます。


【フェルメールとレーウェンフック】


  福岡ハカセが心から愛するフェルメールの話題も当然語られています。


  このブログでは、フェルメールが来日するたびにその感動を紹介しているのでおなじみかと思います。フェルメールはオランダ、デルフトで生まれ育った光と青を描いて唯一無二の画家です。福岡ハカセは、フェルメール好きが高じて、そのすべての絵画をデジタル技術により稠密に復元し、年代順に展示する美術展を開催したほどです。


  この本の「色彩と生命」に登場するフェルメールには心躍りました。


  フェルメールは、デルフトの美しい青空を描くためにガラス質の粉であるスマルトを使い見事な青を実現します。さらに、かの「真珠の耳飾りの少女」のターバンの青を描くために青い宝石であるラピスラズリの粉を使っています。それにより、フェルメールは他の誰も表現したことがない青を手に入れることに成功したのです。


  この静の青を動の青へと進化させたのが、百年後の日本で浮世絵を世界の芸術に高めた葛飾北斎でした。そこで使われた「ベロ藍」と呼ばれた染料です。なぜ、フェルメールの青は動かず、北斎の青は動いたのか。ハカセは、科学的にその謎を語ってくれるのです。


  福岡ハカセがフェルメールに目覚めたのは、同じときにデルフトに生まれたレーウェンフック研究がキッカケでした。


  レーウェンフックは、世界で初めて自作の顕微鏡を使って微生物を研究したといわれています。フェルメールの描いた「天文学者」、「地理学者」はレーウェンフックがモデルとも言われています。ハカセは、レーウェンフックの研究が世に出ることになったいきさつに思いを馳せるのです。レーウェンフックのオタク度には注目です。


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(フェルメール「天文学者」Wikipediaより)


  第五章、第六章では、私も大好きな須賀敦子さんとベネチィアの話題が語られ、さらには、カズオ・イシグロさんの印象、化石や原石コレクターの話、さらにはジャレット・ダイヤモンドさんとの対話などが流れるように語られていきます。



  福岡伸一氏の根底には、常に「動的平衡」の思想が横たわります。生命は、人間も含めて日々すべての細胞を死滅させ、新たに生まれ変わらせることによって生きています。それは、生命が40億年をかけて生き残るために打ち立てた究極の戦略です。「動的平衡」とは、生命体がたゆまぬ変化を生み出すことによって今ここに存在していることを指します。その壮大な営みを考えれば、人間ごときが考えるたいていのことは「たいしたこと」ではないとさえ思えます。


  福岡ハカセの文章は、まるで文学や哲学のようにして科学的という、訳の分からない魅力を包含しています。氏は、進化論だけでは生物は語れない、生命は物質の塊であるが、物質をどのように集めても生命にはならない、そこには何か別の要素がある、と考えています。


  この本は、肩の凝らないエッセイ集ですが、福岡ハカセには、渾身のサイエンス書を期待しています。是非とも、分子生物学の最前線を平易に熱く語ってほしいと思います。よろしくお願いします。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 22:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする