2019年11月11日

人類の起源=宗教の起源?ですか

こんばんは。

  先日、いつもの本屋さん巡りをしているとき、おもわず表題にひかれた本がありました。その題名は、「人類の起源、宗教の誕生」です。

  ブログに訪れていただいている方はご存じですが、「人類の起源」にまつわる本をみると読まずにいられない性分です。それが考古学でも歴史学でも社会学でも解剖学でも化学でも、なぜ人類が生まれたのか、との謎ほどスリリングでワンダーな謎はありません。近年は、DNA研究によってアフリカで最初の人類が立ち上がり、その後、世界中へとグレートジャーニーによって広がっていったとの説が強く支持されているようですが、それだけが真実なのではありません。

  我々ホモ・サピエンスは唯一の人類でないことも事実のようです。

  猿から猿人、類人猿、人類への進化。そこからホモ・サピエンスまでの道のりは絶滅の歴史である、と言われています。定説では、700万年前に霊長類は、人とチンパンジーに分かれたといいます。そして、700万年の間に人は人として進化し、チンパンジーはチンパンジーとして進化したと考えられています。チンパンジーは、よく人と比較されていて同じ仲間なのになぜこんなに違うのか、と語られますが、700万年前の別れたときに比較するのならまだしも、700万年進化した後の生物を並べてみてもその比較自体がナンセンスと言われても仕方がありません。

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(有名チンパンジー「プリンちゃん」asahi.com)

  現在、考古学的研究ではホモ・サピエンスと同じ枝にいた人類は、少なくとも25種はいたと考えられています。ところが、我々、ホモ・サピエンスのみがこの地球上に生き残り、他の種族たちはことごとく絶滅してしまったというのです。我々と最も近い兄弟といわれるネアンデルタール人は、最も近年まで生きていた人類です。ホモ属がこの2種になったのは約5万年前、さらにネアンデルタール人が絶滅したのは、約4万年前といわれています。

  ネアンデルタール人は、我々よりも大きな脳を備えており、その大きさもホモ・サピエンスより大きく力もあったようです。なぜ、我々は生き残り、彼らは絶滅したのか。やっぱり、「人類の起源」は最もワンダーな話題なのです。

  さて、そんなことで今週は京都大学の総長である人類学者と同志社大学神学部の宗教学者による最新の対談本を読んでいました。

「人類の起源、宗教の誕生‐ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき」

(山極寿一 小原克博著 平凡社新書 2019年)

【宗教は人間独自のものなのか】

  宗教とは何か。あまりにも広大な設問ですが、私にはまったく答えを見つけることができません。日本人の場合には、「鰯の頭も信心から」といわれるように八百万(やおよろず)の神をすべて神と崇めている多神教で、この世のものにはことごとく神様がいるわけですから、これを宗教と呼べば、ますます得たいが知れなくなります。ただ、どんな神であろうと、信じることが原点であり「ありがたや、ありがたや」との言葉そのものが宗教ではないか、とも思います。

  無節操な日本人に比べて、一神教は壮絶であり、残酷です。同じキリストを信じる宗教でも、カトリックとプロテスタントに分かれ、争いを起こして何年にもわたりあまたの人を殺してしまいます。キリスト教とイスラム教に至っては、十字軍やヨーロッパ侵略、インドのムガール帝国まで、まるで世界を奪い合うような長い歴史を持っています。どちらの神が正しいのか、が戦争に至る文化は日本人には永久に理解できないのかもしれません。

  ただ、宗教に政治が絡んでくると殺し合いが起きることはうなずけます。日本でも信長や秀吉ははじめのうち、異質で珍しい文化が交易として有効だとの考えからキリスト教を受容していましたが、キリスト教徒が為政者に逆らったとたん、キリスト教徒を弾圧し、鎖国にまで至ったのです。さらに、仏教の歴史としても信長は一向一揆を禁止し、盾突く一向宗を根こそぎ焼き殺すという暴挙までを起こしています。仏教は神を信じるわけではありませんが、自らが悟ることで極楽浄土が開けるとの信仰は、特異な位置づけにある宗教だと思います。

  さて、宗教の定義は不明ですが、ますは「信じる」ことが宗教の要件であることは間違いないようです。よくわからないのは、「信じる」とは苦悩から救われる、とか幸せが訪れる、とか願いが叶うとか、なにか現世的なものが伴うから信じるのではないのでしょうか。無償の祈りや信心というのは現代人にはわかりにくいものです。一神教の場合には、神はどうやら絶対のもののようで、そのことが現世のご利益とは関係のない「信心」を生み出すようです。

  ただ、「幸せになる」ことが現世の利益であるとすれば、すべての宗教はそこに行きつくことを目的にしているのかもしれません。

  この本を読もうと思った動機は、人類の起源への好奇心もさることながら、定義不明の宗教のことが少しは理解できるかもしれないとの思いもあったのです。

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(「人類と宗教対談」amazon.co.jpより)

  この本の目次を紐解いてみましょう。

1章 人類は「物語」を生み出した

2章 暴力はなぜ生まれたか

3章 暴走するAIの世界

4章 ゴリラに学べ!

5章 大学はジャングルだ

(補論)

◎人間、言葉、自然――我々はどこへ向かうのか  山極寿一

◎宗教が迎える新しい時代  小原克博

  大学の研究者の対談というと、堅い話を想像しますが、このお二人の対談は一味違って最新の知見に基づいた自由な語り合いが繰り広げられます。第1章は、題名そのままにホモ・サピエンスがなぜ唯一の人類として生き残ったのか。そこに宗教はあったのか、が語られます。

  皆さんは、渋谷の駅前に鎮座する忠犬ハチ公の物語をよくご存じだと思います。人が何者かを信じ、祭り、祈ることが宗教のはじまりとすれば、犬は何かを信じることがあるのでしょうか。ハチは、毎日夕方になると大学から帰宅するご主人、上野教授を待って渋谷駅に通っていました。ところが、ある日上野教授は大学での講義中に脳溢血で帰らぬ人となってしまいました。そのことを知らないハチは、毎日渋谷駅で上野教授の帰りを約10年に渡って待ち続けました。

  果たして、犬は何かを信じて渋谷駅で約10年もの間ご主人を待ち続けたのでしょうか。

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(東京大学のハチと上野教授 asahi.com)

  我々人類は、その昔長らく狩猟生活を続けていました。その中で、子供を育てるために相互に協力し、集団生活を始めたことが生き残りの大きな分岐点であったといわれています。集団は、洞窟を住処として生活していましたが、彼らは洞窟に素晴らしい壁画を残していました。先史時代の洞窟壁画は世界各地で発見されていますが、最も有名なものは2万年前に描かれたとされるラスコーの洞窟画です。その中には、みごとな写実画もあれば、デフォルメされた象徴画にみえる画もあるのです。

  象徴的な画は、そこにはアミニズムやシャーマニズムの匂いが漂います。アミニズムは、動物に霊魂を見出して祭るものであり、シャーマニズムは、巫女が霊的なものに祈り憑依することによって儀式を行い、祈りをささげるものです。宗教のはじまりを明確にすることは難しいようですが、お二人は少なくとも人類は狩猟時代には宗教的な意識を持っていたのではないか、と語ります。

【宗教のもたらすもの】

  ホモ・サピエンスが集団化していく過程で、宗教は共同体の倫理として形作られたと言います。最初は、集団の狩猟により移動生活していた我々も、農作物を育てる生活がはじまると、集団で定住するようになります。すると、共同体の人数は倍々ゲームで増えていくことになり、大集団を統率するための規範が必要となります。人が共同体をうまく統率できるのは、150人が限界だそうです。それを超える集団になると、何らかの規範が必要で、宗教はその1つになったのです。お二人は、それを「共同体のエシックス(倫理)」と語りますが、それは確かです。

  人が農耕牧畜により大集団で定住すると、そこには境界が生まれます。境界が生まれ、農作物による蓄財がはじまると、その富を狙って境界を越え強奪する行為が生まれます。狩猟時代、ホモ・サピエンスは槍や弓などの武器を使って狩猟を行っていましたが、武器を同じ人間に向けるようになったのは、農耕牧畜による定住以降のことだそうです。

  宗教が共同体のエシックスだとしても、そこに争いを戒める教えがあるにもかかわらず、なぜ宗教が戦争を引き起こすのでしょうか。対談では、明確な答えが用意されています。それは、宗教が政治や権力に使われたときに争いが起きるとの答えです。もともと宗教は、時の権力者の通年とは異なる教えを説いてきました。ところが、権力が宗教の力を利用しようとしたときに、そこには争いが勃発するのです。なるほど、宗教自体に戦いの要素があるのではなく、宗教が手段となったときに人は争うということです。なるほど納得です。

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(ベラスケス作「ブレダの開城」80年戦争より)

  この対談に面白い話がありました。それは、サルの話です。サルは、群れで生活しており、ボスが異なる群れ同志では、なわばりや食べ物を巡って争いが勃発する場合も多くあります。いがみあう2つの群れが争っていた時に、その間を年寄りのおばあさんザルが通過をしました。闘争中の群れは、おばあさんザルに手を出さないばかりか、おばあさんザルが通ると争いが止んだというのです。

  人間の場合でもいさかいの原因となった出来事について、年寄りは過去に同様の原因で争いが起きたことを経験しています。その年寄りが、経験に基づいて争いの仲介を行うと、当事者はそのことが過去に解決していたことを知り、争いが収まるというのです。含蓄のある話だと思っていたら、そのおばあさんザルは、喧嘩をしていたボスザル、両方の祖母だったのかも、とのオチで思わず笑ってしまいました。

  さて、人類学と宗教学の、汲めども尽きぬ対話は縦横無尽の広がりを見せて進んでいきます。人は、科学によって驚くべきスピードで進歩を重ねてきました。科学は、あらゆる現象の原理を明らかにし、すべてを見える化していきます。お二人の話題は、宗教が担っていた共同体のエシックス(倫理)は、科学の見える化と資本主義によるグローバル化によってその役割と意義を失いつつある、との方向に進んでいきます。

【人類と宗教はどこに行くのか】

  そして、お二人の話はAI社会となっていく我々の未来へと進んでいきます。

  対談の終盤でキーとなるのは、西田幾多郎の哲学、「善の研究」です。人間は、言葉を編み出した時からものごとを抽象化することを覚え、抽象化した言葉を語り伝えていくことであらゆる事象を共有化する術を身に付けて発展してきました。抽象化するとは、言い換えれば仮想化すること、つまりヴァーチャル化することです。

  科学の発展は、実証できない仮説を信じない世界を生み出しました。つまり、科学的に証明されないような事象を我々は不信感をもって見るようになります。人工知能は、我々が言葉で著わすものについて、それを膨大なデータとして蓄積し、分析することによって、これまで人間にはできなかったシミュレーションや未来予測を可能にしました。しかし、人工知能には我々が肉体で感じる意識を持つことはありません。そして、お二人の対談は、今、ホモ・サピエンスが直面している言葉による抽象概念の極大化というとてつもなく大きな危機へと進んでいくのです。

  この対談は、最後に「大学」という場が持つ可能性についての話に至り、読み物的に終了してしまうのですが、最後に用意されたお二人の論考が拡散された対談をもとの場所に引き戻してくれます。そして、そもそも命は何を求めてきたのか、との深遠な話に向かっていくのです。


  今年は、台風や豪雨のせいで日光の紅葉も元気がありません。被災した地域の皆さんも、まだまだ復興には程遠いと思います。世界じゅうのたくさんの人々はいつも被災している皆さんを応援しています。一日も早く生活が戻ることを心よりお祈りしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年10月29日

宮城谷昌光 呉越宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに冠水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

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(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

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(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

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(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越の闘いの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、呉王の不在を守る闔閭の弟、夫概に呉王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との闘いはここからが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はその戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

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(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも小説の中で丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年10月21日

元木大介 二宮清純 長嶋巨人を語る

こんばんは。

  先日、日本のエースといっても過言ではない大投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。長嶋茂雄さんが鳴り物入りで立教大学から巨人に入団した時、当時国鉄スワローズのエースだった金田さんが、長嶋さんを開幕戦で4打席4三振に打ち取りプロの意地と実力を見せつけた試合は今でも伝説となっています。

  当時金田さんは、長嶋さんのスィングの鋭さに「いつかは打たれる、負けるものかと思って、さらに猛練習をやった。」と語っています。一方の長嶋さんも「いつも“打倒・金田”を目標にやってきた。」と語ります。その後、お二人はチームメイトとなりましたが、お二人の切磋琢磨が昭和のプロ野球を隆盛に至らしめたといっても良いのかもしれません。金田さんの400勝という数字は、プロ野球の金字塔として永遠に語り継がれる勝ち星に違いありませんが、そこに刻まれた数々のドラマこそが金田さんの生きた証であろうと思います。金田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

  合掌

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(長嶋4三振の力投 hochi.news.より)

  今年のプロ野球は、何といっても原辰徳氏が巨人の監督に復帰したことが話題の中心でした。私としては、巨人があまりにも強いとプロ野球はつまらなくなると思っているので、原監督の就任をあまり歓迎していませんでした。というのも原さんは2度の監督経験の中で7度のリーグ優勝を果たし、そのうちの2回は3連覇というとんでもない実績を上げているのです。さらに日本シリーズでも巨人を3度日本一へと導いているのみならず、日本代表を率いても世界一に輝くという素晴らしい実力を誇っているのです。

  原監督が就任したセリーグでは、ここのところ緒方監督率いる広島がリーグ三連覇を成し遂げてきました。これまで広島は、2017年に日本ハムに敗れ、2018年にはクライマックスシリーズでDeNAに敗れ、昨年はソフトバンクに敗れるという厳しい戦いを強いられており、今年こそは日本一になりたいとシーズン前から気合が入っていました。しかし、今年のカープは、安定しません。4月には39敗で最下位、5月には驚異の11連勝、交流戦でも絶好調でした。ところが、交流戦後には9連敗を喫し、最後には阪神とクライマックス進出をかけた3位争いにも敗れて4年ぶりのBクラスとなりました。

  その成績の責任を取って緒方監督は今シーズンで監督を辞任しましたが、その功績は決して色あせることはありません。一方で、今年の巨人は原さんが監督となって、5年ぶりのセリーグ優勝を勝ち取り、現在日本一をかけてソフトバンクと一騎打ちを演じています。年初から原監督が求めていたのは、「勝ちにこだわること」でした。そのために、新たなコーチ陣を招集して勝つための野球を徹底してきたのです。原巨人の打撃コーチ兼内野守備コーチとして招集されたのが元木大介氏です。元木さんは、生え抜きの巨人コーチであるとともに、一癖も二癖もある選手として、巨人の勝利に貢献してきました。

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(原巨人5年ぶりのセリーグ制覇 daily.co.jp)

  今週は、その元木大介氏がスポーツライターの二宮清純氏と長嶋巨人について語った対談本を読んでいました。

「長嶋巨人 ベンチの中の人間学」

(元木大介 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

【“くせもの”元木とは何者?】

  巨人ファンの皆さんは、紹介するまでもなく元木大介氏のことをよくご存じだと思います。私の印象は、いつもベンチで声を出しており、ここぞというときには試合に登場してチームの勝ちに貢献する変わり者という感じです。本の紹介の前に少しそのプロフィールを紹介しておきましょう。

  1990年、巨人のドラフト1位は、この元木大介氏でした。しかし、このドラフトには隠れた物語がありました。元木さんは、上宮高校時代3回甲子園に出場。高校通算の本塁打は24本。甲子園でホームラン6本の記録は、清原和博氏に続く歴代2位タイの記録なのです。その前年のドラフトで、元木氏は巨人入団を希望していましたが、1989年の1位指名は大森剛氏であり、他球団からの指名を受けることとなったのです。巨人軍を志望していた氏は、他球団からの誘いを断り1年間ハワイに野球留学をして、翌年のドラフトに臨んだのです。

  元木さんは、2005年に故障が続いたことと球団若返りとの方針から戦力外通告を受けました。その実績と33歳という年齢から他球団からの誘いがありましたが、巨人以外の球団でプレーすることを良しとせず、この年のペナントレースを最後に15年の選手生活にピリオドを打ちました。

  元木さんの巨人選手時代は、ほぼ第二次長嶋監督時代に重なります。1990年から3年間は藤田元司監督でしたが、1994年から2001年までの9年間、監督は長嶋さんでした。さらにそこからは、第1次原監督時代に入ります。長嶋さん時代の巨人は、大物スラッガーを次々に獲得した時代です。落合博満、ジャック・ハウエル、広澤克実、石井浩郎、清原和博、小久保裕紀、名前を見ただけで驚く戦力です。元木さんの時代、打線は全員が4番バッターであり、普通のプロの選手では打撃力で勝負すれば生き残ることができません。

  元木さんは、長嶋監督をして「くせ者」と呼ばれる選手となりました。それは、バッターとして打席に立てば勝負強いバッチングを披露し、走者として塁に出れば盗塁で相手をかき回し、守備に至ってはどのポジョンでもすべてこなします。守備に至っては、2塁、3塁、ショートはすべてのシーズンで試合に出場し、2000年からは1塁手も務めています。さらに2000年からは外野まで守っています。その守備率は極めて高く、その手堅い技術にも目を見張ります。さすが、「くせ者」と呼ばれる所以です。

  そんな元木大介さんから野球の話を引き出そうとしたのがスポーツライターの二宮清純さんです。元木さんは、4番打者がひしめく巨人軍でどのように生き抜いてきたのか。2019年シーズン。原監督は、なぜコーチに元木大介氏を招聘したのか。対談は、汲めども尽きぬ面白さで進んでいきます。

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(ベンチの中の人間学 amazon.co.jp)

【そのとき時代はどう動いたか】

  この本の目次をご紹介します。

第1章 長嶋巨人のすごい面々

第2章 俺が生き残る道

第3章 華やかさの裏で

第4章 長嶋巨人・ベンチの中の地図

第5章 やるからには勝つ!

  2013年に東日本大震災からの復興をかけて楽天イーグルスを優勝に導いた、星野仙一さんが亡くなってから早くも1年半が過ぎようとしています。星野さんは、中日ドラゴンズ生え抜きの投手で、打倒巨人に闘志を燃やした男の中の男でした。氏は、1988年と1989年に中日の監督としてセリーグ優勝を果たし、その後、不振にあえいでいた阪神タイガースの監督に就任し、2003年には見事優勝に導きました。

  星野さんと元木さんの間には、不思議な縁があります。星野さんが阪神の監督だった時代。星野さんは「巨人で一番嫌だった選手は元木」と語っていたそうです。元木さんが試合に出てくれば、必ず何かを仕掛けてくる、という意味です。まさに「くせ者」だったわけです。実は、星野氏は生前、元木さんをカル・リプケンU12世界野球大会(12歳以下の国際大会)の日本代表監督に推薦していたそうで、2018年、元木氏は監督に就任し、日本代表を優勝に導いたのです。

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(2013宙に舞う星野監督 rakuteneagles.jp)

  この本でも、勝つための野球に必要な技術、メンタルについて元木さんは熱く語っています。まず、打者として相手に嫌がられるために何をしたか。二宮さんは、代打の神様といわれた阪急高井選手のエピソードを紹介します。高井選手がいつも持ち歩いていたノートには、対戦投手のくせがびっしりと書き込まれていたそうです。なくて七癖といいますが、人間には必ずくせがあり、球種も含めて投手のくせを見極めれば少ない打席でも安打を打つことは可能だ、と語ります。特に元木さんが磨いたのは右打ちの技術。球種やコースを見極めることができて、右打ちに徹すれば何とかなる、それが「くせ者」の打席の極意だそうです。

  しかし、どれほど球種やくせを見極めても、打てない投手はいます。それが、当時横浜ベイスターズを日本一へと導いたリリーフピッチャーだった大魔神です。大魔神といえば佐々木主浩投手ですが、その魔球ともいわれたフォークボールはわかっていても打てないフォークだったといいます。その落ち方が半端でないばかりではなく、ストレートを投げるフォームとフォークを投げるフォームが全く同じで、どちらが来るかがわからないことが空振りにつながるのです。

  長嶋監督は、横浜がリードしている試合で大魔神がマウンドに上がると、ダッグアウトから引き揚げて試合を見なかったといいます。この本では、このエピソードにまつわる、オチが語られていますが、その長嶋さんらしいエピソードは、ぜひ本編でお楽しみください。

【ワンチームで勝つために】

  話は変わりますが、昨日のラグビーワールドカップの準々決勝。日本は、4年前のワールドカップ、世紀の大どんでん返しで勝利した南アフリカと戦いました。前半戦を35と僅差で折り返した日本代表でしたが、ベスト8後の戦いは、やはり特別な舞台だったようです。南アフリカは、これまで何度も準々決勝の舞台を経験しており、そこで勝つためには何が必要かを知り抜いています。試合前、南アフリカノヘッドコーチは、我々は日本戦を心配していない。日本は確かに素晴らしいチームだが、ベスト8は初めての経験だ。我々は多くの経験を持っている、と話しています。後半戦は、まさにその通りの展開になりました。

  この試合でショックだったのは、サイドラインからのスローインがほぼすべて南アフリカ側にホールドされてしまった点です。さらに、これまで日本では少なかった反則が多発し、後半には続けざまに3つのペナルティーゴールを決められてしまいました。いったいベスト8からの戦いに必要なものは何なのか。ラグビー日本代表の戦いは、新たなフェイズに突入したのです。

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(最後の挨拶をする日本代表 nippon.com)

  それはともかく、ワンチームの戦いは間違いなく我々に生きる勇気を与えてくれました。ありがとう日本代表。これからがたのしみです。

  さて、本の話に戻ります。

  元木さんには、野球の「くせ者」としての一面のみではなく、人としてチームに貢献するという一面があります。この対談では、元木さんの人としてチームに貢献したエピソードが数知れず語られていきます。まず、数々の実績をひっさげて巨人に入団した落合博満さん。入団するや元木さんは、ベンチでもバスの中でも落合さんの隣に座る羽目になったそうです。落合さんはなぜか元木さんを気に入っていつも隣にいたそうです。遠征の時には、元木さんが買ってきた雑誌をいつも読んでいて、時にはリクエストがあったとのエピソードも披露しています。

  驚いたのは、落合さんの後に入団した清原和博さんは、それに輪をかけて元木さんを気に入っていたとの話です。清原さんのキャッチボールの相手は入団以来変わらず元木さんで、元木さんがけがなどでお休みの時は、清原さんもキャッチボールをしなかったほどだったといいます。バスにのるときには、年次が高い選手は窓側に座るそうですが、元木さんは落合さん、清原さんの隣にずっと居たために、いくら年次が進んでも永遠に通路側に座ることになった、との嘆きには思わず笑ってしまいました。

  さらに外人選手に最も声をかけていたのが元木さんだったそうです。詳しくは本を読んでのお楽しみですが、人とのコミュニケーションも元木さんにとっては「勝つために必要なことの一つ」との精神には驚きました。

  最後の章では、今期、原巨人のコーチとしての抱負が語られていくわけですが、マイウェイ・マイペースの若者たちが主力となる巨人軍で、どうすれば「勝つ」ことへのこだわりが醸成されるのか、その答えはぜひこの対談で確かめてください。今年のリーグ優勝の理由の一端が垣間見えるかもしれません。

  今年の日本シリーズにはあまり興味がわきませんでしたが、この本のおかげで日本シリーズの楽しみがひとつ増えました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年10月14日

日本古代史は塗り変わるのか?

こんばんは。

  我々日本人のメンタリティはいったいどこに源流があるのでしょうか。

  先週は悲喜こもごもの1週間でした。リチュウム電池の開発に不可欠な研究を行った吉野彰氏のノーベル化学賞受賞に感動したのもつかの間、日本のはるか南に発生した台風19号が海水温の高さから勢力を拡大し、60年ぶりの凶暴な台風として日本を襲ったのです。関東、東北では37河川、51か所で堤防が決壊し、たくさんの尊い命が失われました。改めて、ご冥福をお祈りいたします。

  まだ天気は不安定で、被災した多くの方々も安心できる状態ではなく、被災したすべての皆さんにお見舞い申し上げます。我々もいつも心を寄せています。皆さん、くれぐれもご自愛ください。

  そうした中、横浜ではラグビーワールドカップ1次予選最終戦となる日本対スコットランド戦が開催されました。試合開始に当たっては今回の台風で亡くなった人々への黙とうがささげられ、日本代表は今回の被災地の人々への想いを胸に戦かったのです。日本代表は、前回大会で敗れたスコットランドにみごと雪辱を果たし、2821で勝利してベスト8を勝ち取ったのです。FWの重さと強さ、オフロードパスのスピード、チームとしての一体感、どれをとっても日本の強さが本物であることが実証されました。

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(オフロードパス 稲垣選手のトライ asahi.com)

  ところで、今回のワールドカップのおかげで、我々日本の持つ様々な文化が世界中に発信されています。

  9月21日(土)、ニュージーランド対南アフリカ戦で勝利を収めたニュージーランド代表の「オールブラックス」が、観客への熱烈な応援に対する感謝の表現として全員で「おじぎ」したことがことの発端でした。その後、各代表チームが次々とお辞儀を繰り広げ、今回のワールドカップは「お辞儀大会」と呼ばれているそうです。海外では、握手が文化となっていますが、握手は自分が武器を持っていないという表明にもなっているそうです。握手は、近づいて手を合わせなければ成立しませんが、「お辞儀」はどんなに離れていても交わすことが可能な礼儀です。「お辞儀」が日本の文化として世界に認識されることは、とてもうれしいことです。

  また、今回のワールドカップでは、選手のロッカールームが試合後みなきれいに整っている、と言われています。以前、なでしこジャパンがサッカーのワールドカップでどのスタジアムでも試合後のロッカールームが美しいことで話題となりました。ラグビーの選手は紳士的と言われますが、日本に来た時には日本の清潔な文化を見習おうとしているのかもしれません。サポーターが試合終了後、スタジアムの観覧席を清掃して帰る文化と同じく、日本の礼儀は世界で称賛を浴びているようです。

  日本を訪れる外国人は、日本の安全を得難い文化として驚いているといいます。

  以前、大阪の部門が社長賞を受賞し、役職員に対する表彰状を3本筒に入れて東京から大阪に運ばなければなりませんでした。その日はあいにくの大雪で、自宅から歩いて駅に着くまでに雪ですっかり濡れてしまいました。悪いことは重なるもので、東京駅までの電車は大雪で遅れが出たために立錐の余地がないほどの超満員だったのです。不用意にも表彰状の筒を紙袋に入れて持っていたことが事件のきっかけでした。両手に荷物をもって満員電車で右に揺られ、左に揺られ。さらに途中の駅では降りる人を優先して、一度駅に降りてから再び乗り込みます。何駅目までかは、表彰状を気にして、荷物の無事を確認していました。

  そして、超満員電車は、東京駅へと到着します。降車する大勢の人ともに電車から駅に出てほっとして階段へと向かいます。ふと気が付くと右手に下げた紙袋が妙に軽いのです。手元見ると、紙袋は確かに手に持っています。ところが紙袋は濡れて底が抜けており、手に残っているのは紙袋の残骸だけだったのです。そこにあったはずの表彰状の筒は影も形もありませんでした。おそらく、満員電車の中か、どこかの駅で一度降りたときに落としたか、いずれにしてもショックでした。

  筒に入っているとはいえ、あの超満員電車ですから何人もの人に踏まれて表彰状は原形をとどめていないに違いありません。ショックに打ちひしがれました。しかし、3日ほどたったころ、会社にJRから電話がかかってきたのです。相手先は遺失物の保管係でした。表彰状が3本届いているが、落とし主はだれかとの問い合わせだったのです。係員の方は、表彰状に書かれた社名と職員名を見て、わざわざ連絡先を調べて連絡してくれたのです。

  そのときほど日本人に生まれてよかったと思ったことはありませんでした。

  日本を訪れる外国人が一様に驚くのは、忘れ物が手元に戻ってくることだそうです。皆さんにも経験があるかもしれませんが、定期券パス、携帯電話、文庫本などなど、ホテルや飲食店での忘れ物や落とし物は、届け出さえしていれば相当の確率で手元に戻ります。時にはお財布までも中身までが無事に戻ってくるほどです。昔から日本では、水と安全はただ、と言われてきましたが、これも日本人であるが故の素晴らしい文化とメンタリティなのだと思います。

  日本の古代にロマンを感じるのは、こうしたメンタリティを持った日本の国がどのようにして出来上がってきたのか、そのはるかなプロセスを知りたいと思うからなのかもしれません。こんなことを想いながら今週は日本の古代史を語る本を読んでいました。

「古代史講義【戦乱編】」

(佐藤信編 ちくま新書 2019年)

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(ちくま新書 古代史講義シリーズ amazon.co.jp)

【歴史の教科書は正しくない?】

  最近、本屋さんの棚にちくま新書の歴史講義シリーズをみかけるようになりました。昨年は、古代史講義と昭和史講義が上梓され、漠然と興味をひかれていましたが、先日新刊が発売されたのを発見しました。今回は「戦乱編」とのこと。ふと中身を見れば、15の講義が並んでいます。思わず引き込まれたのは、見慣れない戦乱の名称が並んでいる点と、著者が15人いることでした。つまり、それぞれの戦いについて別々の研究者が新たな視点で古代の戦乱を語っているということです。もともと日本の古代史好きとしては興味があるところを「戦乱」と限定されるとますます興味をそそられます。思わず購入してしまいました。

  最初からその目次をたどると、第1章は「磐井の乱」、第2章は「蘇我・物部戦争」、第3章は「乙巳の変」と続きます。572年に起きたとされる「磐井の乱」も大和朝廷が中央集権化される以前の戦いであり、巻頭から興味深い題材が取り上げられています。神様系の催事を取り仕切った物部氏が仏教を推進していた蘇我氏に敗れ、物部守屋が殺された事件は、丁未の乱と呼ばれますが、この章の著者はあえて「蘇我・物部戦争」と語ります。

  皆さんは、「乙巳の変」と言われてピンときますか。

  私は何のことやら全くわかりませんでした。そんな戦いは日本史で習った記憶がありません。この題名を見たときに、「これ以上立ち読みするよりも、買って読んだ方が落ち着くなあ。」と感じたのが、この本を「今月の1冊」に入れた動機です。この変の読み方は、「いっしのへん」または「いつしのへん」だそうです。読むこともかなわない戦乱です。

  これが日本で最も有名な戦いであったのは驚きでした。実は、この変は「大化の改新」として習った政変のことだったのです。645年。皇極天皇の治世。聖徳太子亡き後権力の中枢を担っていた蘇我氏は、自らの一族内の古人大兄皇子を跡継ぎにしようと聖徳太子の息子である山背大兄皇子を殺害し、その血を絶やしてしまいます。その横暴と権力を恐れた中大兄皇子は、反蘇我氏である中臣鎌足(のちの藤原鎌足)などと共謀し、蘇我入鹿の暗殺を企てます。時は朝鮮からの使者が来日し、その儀式が執り行われる当日でした。

  皇極天皇の御前には、剣を身に付けていない蘇我入鹿が座しています。入鹿の暗殺の合図は、石川麻呂が天皇への上表文を読み上げたときでしたが、剣をもって入鹿を惨殺すべき佐伯子麻呂は事の恐ろしさに身が縮んでしまい、現れません。さらには、上表文を読む石川麻呂もあまりの緊張に汗が出て声が震えてしまいます。不審に感じた入鹿が、どうしたのかと尋ねます。「大王の前で緊張しているのです。」と答えたその刹那、槍をもって潜んでいた中大兄皇子が飛び出ました。同時に小麻呂も飛び出し入鹿を切りつけ殺害します。

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(蘇我入鹿斬殺 乙巳の変 wikipediaより)

  切りつけられた入鹿は皇極天皇のもとに逃れながら「私に何の罪があるか。お裁きください。」と訴えたといいます。中大兄皇子が天皇に向かって「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしたのです。」と告げると、天皇は立ち上がり、部屋を出ていったと伝えられています。

  その後、中大兄皇子は暗殺された入鹿の父親である蘇我蝦夷を急襲し、自宅を包囲すると蘇我蝦夷は自刃し、蘇我一族は滅亡しました。

  「大化の改新」とは、この暗殺事件ののちに中大兄皇子が天皇を中心とした中央集権制度を確立するために様々な施策を実行し、改新の詔を発布するなどの一連の改革のことを指していたのです。この「大化の改新」のスタートとなった事件が、すなわち「乙巳の変」だったのです。

  この本は各章を気鋭の研究者が担当し記述しているところに特色があります。「乙巳の変」の執筆は成蹊大学の教授である有富純一さんです。これまでこの事件は、皇太子擁立を巡る蘇我氏と藤原氏の権力争いとして描かれてきましたが、今回は日本から離れて国際的時代背景の中に位置づけられます。当時の日本は、朝鮮半島と強いつながりがありました。

  かの有名な白村江の戦いが行われたのは663年。この事件が起きたのは、その18年前。そもそもこの事件の舞台となった朝鮮半島からの使者も三韓の使者だったのです。三韓とは、当時、朝鮮半島を治めていた新羅・百済・高句麗の三国を指しています。白村江の戦いは、新羅が百済との戦いにおいて唐に支援を頼み、百済からの救援要請を受けた日本が援軍を送った戦いです。

  当時の朝鮮半島では、百済でも新羅でもクーデターが起きており、日本の権力争いもそうした朝鮮半島の不安定な争いが大きな影響をもたらしており、当時の日本はそれだけ朝鮮半島との絆が太かったといえます。特に古人大兄皇子を跡継ぎとするために画策していた蘇我氏は、新羅型の統治を目指しており、敵対していた中大兄皇子は高句麗型の統治体制を目標としていたというのです。この本の面白さは、こうした最新の視点をふんだんに取り入れた解説が次々と展開されるところにあります。

【塗り変わっていく古代の歴史】

  「大化の改新」のみならず、この本ではこれまでの日本史の常識に次々と疑問が投げかけられます。587年、蘇我馬子が物部守屋率いる物部氏を滅ぼした戦い。我々の世代はこの戦いを仏教を広めようとした蘇我氏が神道を司る物部氏を滅ぼした宗教戦争だと習いましたが、事実は全く異なっていたようです。また、810年。兄太上天皇と弟嵯峨天皇が皇位を争った政争。平城太上天皇が平城京に遷都した嵯峨天皇と争いになった有名な変ですが、これは「薬子の変」と学校で習いました。それは、太上天皇の寵愛を受けた藤原薬子が太上天皇をそそのかしたためにそう呼ばれているわけですが、今は「平城太上天皇の変」と呼ばれていると言います。

  その理由はぜひこの「古代史講義」で確かめて下さい。さらに大河ドラマにもなった平将門の変と、同時に起きた藤原純友の変。この変は、彼らの政権への反乱が931年から937年の承平年間に始まり、次の天慶年間まで続いたことから承平天慶の乱と呼ばれています。ところが、実は単なる天慶の乱だというのです。思わずその記述に没入してしまいました。すると、驚いたことに明治時代にこの乱は天慶の乱と呼ばれていたのです。驚きでした。

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(平将門を描く大河ドラマ amazon.co.jp)

  この古代史戦乱の中で個人的に最も面白かったのは、平安京政権対東北蝦夷の闘いです。このブログでもご紹介していますが、私は高橋克彦氏の東北古代歴史小説の大ファンだからです。その3部作は、大河ドラマにもなった「炎立つ」、蝦夷の英雄アテルイの半生を描いた「火怨」、豊臣秀吉に盾突いた東北の武将を描いた「天を衝く」。さらにその前史となる「風の陣」を加えれば4部作となります。

  この本には、まさにアテルイの時代となる対蝦夷(えみし)38年戦争、そして奥州藤原3代の礎となった前九年合戦・後三年合戦が解説されています。小説の基礎となった歴史的事実。改めて高橋克彦氏が描いた小説世界が思い出されて感慨がひとしおでした。

  日本の古代史に興味のある皆さん。ぜひこの本を紐解いてください。学校の日本史で習った歴史が塗り変わること間違いなしです。

  改めて、台風19号で被災した方々。本当にお大事にお過ごしください。心からお見舞いとそして応援を申し上げます。

  それでは皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


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2019年10月06日

濱嘉之 黒田情報官 北との闘い

こんばんは。

  2010年に登場した警視庁を舞台にした情報官の活躍を描く濱嘉之氏の「警視庁情報官」シリーズも7冊目を数えました。前作で、警視正に昇進し情報分析室の室長となった黒田純一。その新作が2年ぶりに登場しました。これまでのファンとしては「買わないという選択はないやろう。」とのCMどおり、見つけたその日に手に入れました。

「警視庁情報官 ノースブリザード」

(濱嘉之著 講談社文庫 2019年)

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(「警視庁情報官 ノースブリザード」amazon.com)

  前回のブログ(2017年)で、主人公の黒田純一がマネジメント職となり、この先、小説としての語り方が変わるのでは、とご紹介しました。その通り、黒田情報室長は、部下200人のうちキャリア職の警部補6名を手足のように使い、彼らを、次世代を担うインテリジェンスオフィサーとして育てていきます。一方で、自らは、これまで培ってきた人脈をフルに活用して、日本を取り巻く東アジアの情勢を諜報していきます。

  今回の作品は、スリリングなエンタメ小説を期待する読者にとっては、チョット退屈な小説かもしれません。

【習中華人民共和国の台頭】

  インテリジェンスといえば、今、香港では「自由」を守ろうとする住民たちが中国を強く意識する政府に対して、毎週のように大規模なデモを行っています。ことの発端は、現香港政府が逮捕した犯罪者を本国に引き渡す条例を施行しようとしたことでした。

  香港がイギリスから中国に返還されたのは、199771日のことです。返還のもととなったのは、1984年の英中共同宣言でした。共同宣言では、1)外交、安全保障を除いて大幅な自治権を認める。2)資本主義制度と生活様式も50年間変えない、という「一国二制度」が合意されました。その宣言に基づいて、1990年には、香港特別行政区の憲法ともいえる香港基本法が中国の全国人民代表大会で採択されました。

  この年の前年に中国では悪名高き天安門事件が発生しています。香港基本法の採択は、天安門事件を契機に香港からの移民希望者が急増したことや国際社会からの非難を踏まえてのものとも考えられます。返還までの間、中国政府と香港行政庁(長官はイギリスから派遣)間では返還後の自治権により二制度をどのように維持するかで協議が続けられました。そんな中1991年には、香港立法評議会(国会)の選挙が実施され、結果は民主派勢力の圧倒的な勝利となります。

  この結果に警戒感を強めた中国は、1995年、150人からなる香港返還準備委員会を発足させ、民主化派が多くを占める香港立法評議会に変わる臨時立法会の設置と400名からなる推薦委員会の設置を定めました。ちなみに英中共同宣言では、「香港の最高責任者である香港特別行政区長官は、選挙または協議によって選出され、中央人民政府が任命する」とされています。

  香港返還20周年を機に長官に選出された林鄭氏。香港特別行政区の長官は、定数1200人からなる選挙委員会によって選出されますが、この選挙委員会はそのメンバーの3/4が新中国派で占められており、今回の選挙でも林鄭氏は、新中国派から777票を獲得して長官となりました。この選挙でリベラル派の曽氏が獲得した票は365票です。ちなみに世論調査では、曽氏の支持率は56%、林鄭氏の支持率は30%でした。

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(1997年の香港返還式典 news.line.me)

  犯罪者引渡条例に反対する市民デモは、日に日にその参加者が増大。数万人規模のデモは、6月には200万人にまで拡大しました。中国は、人民解放軍を隣の杭州市に配置し、訓練を行うなど香港市民への圧力を強めていますが、今のところ香港行政府によるデモの鎮静化を第一義としています。デモの拡大と混乱(空港の占拠など)に苦慮した林鄭氏は政府として犯人引渡条例の撤廃を表明しましたが、時すでに遅く、デモの要求は民主化に向けてさらにエスカレートしています。

  先日、ついに香港自治政府の警察官がデモ参加の若者に対して拳銃を発砲し重傷を負わせました。さらに昨日は続いて私服警官がデモ隊に発砲し市民にけがを負わせたのです。デモ市民の一部が暴徒化し、最初の銃撃も警官が鉄パイプを持った若者に襲われたことから身を守るために発砲した正当防衛である、と香港政府は発表しています。しかし、拳銃を使った銃撃は明らかに弱者への脅迫であり、殺人未遂です。拳銃が素手の暴力に対する正当防衛であるはずはありません。

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(若者に発砲する警察官 sankei.com)

  中国は、自らが自国内と宣言している地域が香港以外にもあります。それは、中華民国と呼ばれている台湾です。呼ばれているというのは、台湾は、アメリカが現在の中国と国交を樹立し、1971年公式に国連を脱退したことから、国際社会では「中国」と認識されなくなったことを指しています。台湾は、現在、15か国との間で国交を保っていますが、日本もアメリカに倣いすでに国交は断絶しています。

  台湾は当然ながら中国からは独立していると主張していますが、中華人民共和国である中国は、台湾を自国の一地域と考えています。問題は、台湾がそれを受け入れるか否かです。以前、中国の経済力が弱かったころに、台湾は中国の数倍の経済力を有していました。ところが、ケ小平氏の政策により経済特区が設定されるや中国は驚くほどの経済成長を実現し、アッという間に世界第2位の経済大国となったのです。

  台湾にとって、よりどころであった経済的優位を失ったとき、中国は本物の脅威として目前に立ちはだかることとなったのです。民主主義、資本主義を根本とする台湾。50年間の資本主義制度を保証された香港。香港で自由が保障されるか否か、は台湾に直結する問題となったのです。中国がこの二つの地域をどのように自らの中に取り込んでいくのか。戦争を仕掛けるわけにはいかない同胞に対して、中国はどのような姿勢で臨むのか。民主主義、自由主義を標榜する自由な国、日本にとって中国のメンタリティと方針は、もっともインテリジェンスセンスが問われる問題なのです。

【日本のインテリジェンス】

  さて、現在の日本にとって東アジアでの課題は、朝鮮半島と中国との距離です。

  朝鮮半島では、今、日本は北朝鮮も韓国も敵に回した状況となっています。良い悪いの問題はおいておくとして、徴用工問題に端を発した日韓の問題は今や泥沼といってもよい状態に陥っています。政府同士が不仲でも民間同士で交流が途切れなければまだ救いがあります。韓国では、日本製品の不買運動が蔓延し日本製品を買うには相当な勇気が必要なようです。人気が高い日本製ビールの輸出量は、対前年比で97%減と壊滅的です。さらに日本への韓国旅行者の数も7月には7.6%減少しています。

  北朝鮮との間には日本人拉致問題が横たわっており、この問題で解を見つけられないがぎり、日本は北朝鮮と関係を持つことはできません。北朝鮮は、今や核実験を何度も行い、単距離長距離ロケットの発射も行った結果、核兵器を使用する能力を獲得したと思われます。北朝鮮と韓国の間は、現在休戦中であり、朝鮮戦争はいまだに続いている状態は解決されていません。韓国の文政権はさかんに南北統一を口にしていますが、北朝鮮にしてみれば絵にかいた餅ほどの実現性も感じていないというのが現実ではないでしょうか。

  核兵器を開発した時点で、北朝鮮は対話の相手をアメリカに絞りました。アメリカとの対話のためにピョンチャンオリンピックと韓国を利用して、みごと仲介者として味方にすることに成功し、今や韓国を全く無視して、アメリカと3度の首脳会談を行うことに成功しています。その北朝鮮のバックにいるのは、今や世界に2国となった共産主義国の中国です。北朝鮮は、一時期、親中国派の高官を粛正するなど独裁化段階で中国の不興を買いましたが、アメリカとの交渉の過程で中国側の顔を大いに立てて、その関係を修復しました。

  現在、中国はその数千年の知恵から、敵対するアメリカの同盟国である日本を自らの陣営に近づけようと親日外交を繰り広げていますが、経済的利益の連帯以外で日本とは相いれるものではありません。その意味で、日本の外交は、常にアメリカの掌の中にあるといっても過言ではありません。では、日本はアメリカと同じ穴の中にいれば安泰なのでしょうか。

  そんなわけはありません。

  よく言われることですが、トランプ大統領は北朝鮮のロケットがアメリカ本土に届かなければ、単距離ミサイルが何度打ち上げられようが痛くもかゆくもないといえます。しかし、日本は単距離ミサイルであっても本土を攻撃される距離に存在しているのです。しかも、韓国はこともあろうに日本との防衛協定であるGSOMIAの継続を拒絶しました。日本は、原発施設を攻撃されれば壊滅的被害を受けます。(もちろん、人為的に占拠される恐れもありますが・・・)

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(大統領府のGSOMIA破棄発表 tokyo.np.co.jp)

  中国や朝鮮半島は、地政学的に日本とつながっています。そうした意味で、日本は国を守るためのインテリジェンスを磨いていく必要があるのです。

  日本は、戦後、民主主義を標榜する国へと転換しました。その転換は同時に権力による国民への監視を弱める変化をもたらします。国民への監視を弱めることは、イコール外国人への監視を弱めることにもつながります。平成に日本では一度も武力を使った紛争、戦争が起こりませんでした。しかし、日本は本当に安全なのでしょうか。そこでは、大震災が起き、地下鉄サリン事件が起き、国民の危機が発生しています。

  そうした危機が、人為的に起こされる危険はないのか。日本が平和利用を目的として開発した技術が盗まれて軍事転用されるリスクはないのか。世界中が日本の原子力技術やロケット技術、はたまたAI技術、遺伝子技術をのどから手が出るほど欲しがっているのです。

  日本は、冷戦のさなかからスパイ天国と揶揄されます。現在のテロリストたちが徘徊する世界を認識したとき、日本に絶対に必要なのはカウンターインテリジェンスをになう情報機関です。今回の本は、改めて私たちのその危機感を思い起こさせてくれます。

【ノースブリザードとは?】

  今回の小説を小説と呼ぶかどうか、議論が分かれるところかと思います。というのも、第3章くらいまで、小説にはほとんど展開がないからです。黒田情報官は室長と言う立場もあって、今回は北海道やアメリカに諜報のために出張します。そこで、ロシアのエージェントやイスラエルのエージェントに北朝鮮情勢をヒアリングします。そこで交わされる会話は、現在の東アジア情勢の最前線に他なりません。

  そこでは、ほとんど見立てと諜報へのうんちくが延々と語られます。私のようなインテリジェンスオタクには思わずのめりこむような話なのですが、面白い小説ファンにとっては何の展開もなく、まったくワクワクしない語りだと思います。

  しかし、第4章から物語は動き始めます。北朝鮮の諜報員が日本に潜入していることが黒田情報官の活躍で判明します。ここからの展開は、これまでのシリーズをほうふつとさせる展開が待っています。やはりこのシリーズは、日本のインテリジェンス小説としては秀逸なのではないでしょうか。インテリジェンスに対するうんちくに興味のある方は手に取ってみることをお勧めします。

  スパイ小説に意外性や意外な展開を求める方には、第3作目あたりがおすすめです。


  ところで、またまたラグビーワールドカップの話です。サモア戦、迫力満点でしたね。この勝利を見ると日本の強さが本物であることがよくわかります。フィジカルが強く、ペナルティねらいのサモアに対して、日本は本当に冷静かつ力強い戦いを繰り広げました。後半13分頃まで、26対19。日本とサモアの点差は7点差。ワントライで同点です。それでも日本は4トライによる勝ち点1までも狙っていたのです。最後の連続スクラムからの松島選手のトライには、体が震えるほど感動しました。

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(松島選手のラストトライ asahi.com)

  「ONE TEAM」の合言葉通りの闘いに熱烈喝采です。ガンバレ、日本!!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年09月30日

藤原正彦 教養は世界を救えるか?

こんばんは。

  ここのところ広島で仕事が佳境に入ってきており、毎月出張しています。

  先月、広島で仲間と夜飲み会をしていました。そこは焼き鳥専門店で何十種類もの串焼きがリーズナブルな金額で出てきます。一串のお肉は小ぶりなのですが、一品5本セットになっていてお得感があります。たまたま集まったのが5人だったので、メニューの頭からすべてオーダーすることで、次々に注文しました。

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(広島と言えば「広島城」 travel.mynavi.jp)

  メンバーは、男2人、女性3人でしたが、東京から3人、地元2人、年齢層も20代から60代と幅広い構成です。ちょうど、全国の参議院選挙の直後だったので話題は選挙の話となりました。日頃、投票率の低さを嘆いていた私は、流れで「なんで皆、選挙に行かないんだろうね。」と話を振ったのですが、どうも反応が思わしくありません。まず、20代の女性に聞くと、笑いながら「忙しくて、行きそびれちゃった。」とのこと。さらに40代の女性、60代の女性に振ると、「なんだか行きそびれました。」と笑ってごまかします。

  飲み会の席なので、なごやかにその話題は終わって婚活話になりましたが、内心ちょっと驚きました。集まった人たちは、一緒に仕事をしている仲間で大いに教養ある人たちです。にもかかわらず、参議院選挙の投票率は、5人のうちの2人で40%だったのです。なるほど、全国の投票率が48.8%だったのも肯けます。10代の投票率や20代の投票率の低さが話題になりますが、そもそも世界の情勢、国の政治の在り方に対する興味が薄いことが大きな問題です。

  その興味はいったいどうすれば高まるのか。

  今週は、かつて「国家の品格」がベストセラーとなった数学者、藤原正彦氏の続編ともいえる評論を読んでいました。

「国家と教養」(藤原正彦著 新潮新書 2018年)

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(新潮新書「国家と教養」 amazon.co.jp)

【教養とは何か】

  「教養」という言葉で思い出すのは、「教養小説」です。私が持つイメージは、トーマス・マンの傑作である「魔の山」です。この小説は、ダボスにある結核のサナトリウムを舞台にしています。20世紀初頭、結核はいまだ不治の病で、結核と診断されてサナトリウム行を命ぜられた人間は、その限定された世界で人生を生きざるを得ないのです。主人公であるハンス・カストルプはいとこの見舞いに行ったときに自らも結核と診断され、そのままサナトリウムで7年にも及ぶ療養生活を生きることになるのです。

 ハンスは、このとき23歳。まだ無垢な青年といってもよい年代です。このサナトリウムには、様々な背景を持った様々な人々が称揚しており、食事の度にその人物たちがときには軽妙に、ときには深刻に、ときには滑稽にえがかれていくのです。例えば、ロシア人のショーシャ夫人はとても美しい女性でハンスは、彼女への思いに悩まされることになります。はたまた、サナトリウムでは、理性を重んじハンスの教育者を自認する啓蒙的な思想家セテムブリーニ、その対照的なイエズス会のナフタが登場します。ナフタは、テロリズム革命と独裁による神の国を説く、過激な思想家であり、ハンスを自らの陣営に引き込もうとします。

  サナトリウムは、まさに人生の縮図です。ハンス・カストルプは、こうした環境の中で、知識と体験を身に着けて成長していきます。7年間のサナトリウム生活は、無邪気なハンス・カストルプを一人前の成人に仕立てていきます。この小説の完成までにマンは12年の歳月を費やしています。その解釈は様々ですが、小説は、成長しサナトリウムを卒業したハンスが、兵士として第一次世界大戦の最前線に立つところで終了します。

  以前にご紹介しましたが、トーマス・マンはドイツを心から愛する市民として、第一次世界大戦においては、反戦主義者に対してドイツ民族とドイツ文化の擁護を説きました。しかし、戦後、ヒトラーが登場し、独裁政権を確立するや一転してヒトラーの政策を批判します。その結果、マンはスイスに亡命し、その地で終焉を迎えることとなります。ドイツ的教養によるナチス批判。それは歴史上の真実を物語ります。

  教養小説といえばゲーテの「ウィルヘルムマイスター」が最も有名ですが、人が人格を形成していく中で「教養」が重要な役割を果たしていくという意味で「教養小説」というカテゴリーは極めて象徴的である、と言えます。

  この本のテーマである「教養」とはいったい何を意味するのでしょうか。

【日本人にとっての教養】

  本書の著者である藤原正彦氏の本業は数学者ですが、今年76歳になる碩学です。ご両親は小説家の新田次郎氏、作家の藤原てい氏であり、1977年にはアメリカ留学中の生活を記したエッセイ「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。その後も数学教授を続けながら数々のエッセイを上梓し、2005年に上梓した「国家の品格」は270万部を超えるベストセラーとなりました。数学者による大和魂と武士道、日本語の大切さを説く提言に驚いたことをよく覚えています。

  13年ぶりに見たその続編ともいえる題名に、喜びを隠せずにすぐに手に取りました。

  今回のテーマは、人間、そして国にとって「教養」がどれだけ大切なものかを歴史を俯瞰しながら説いていく藤原正彦氏ならではの提言的評論となっています。

  その第一章は、今の日本の状況を憂う過激な状況認識から始まります。かつて、日本のGNPを世界第2位まで上昇させた高度経済成長は日本の勤勉さと終身雇用制度から生まれたといわれました。日本は、トヨタの看板方式に代表される品質向上運動で「KAIZEN」との言葉を世界にとどろかせ、「JAPN AS NO.1」とまで言われたのです。

  その頂点は、バブル絶頂期と重なります。バブルとバブル崩壊を生み出したのは、自由主義経済が実体経済を超えて土地を評価し、過剰な高金利への貸し出しに躍った架空経済そのものだったのです。バブルがはじけ、過剰な不動産価格が暴落、それを担保とした過剰な貸付金は、すべてが不良債権と化したのです。

  バブル崩壊であえいだ日本経済に目を付けたのは同盟国アメリカでした。

  日本に蔓延した不良債権には、外資系のファンドがハゲタカのように群がり、二束三文となった不良資産をその担保となった土地や企業価値がマイナスとなった企業とともに買い漁っていきました。それは、自由主義経済においては当然の出来事でしたが、その後、日本の企業は日本の文化に根差した企業経営を放棄しました。

  アメリカでは、金融工学に基づいた投資ファンドが経済のイニシアティブを握り、サブプライムローンを売りまくることになります。そして、アメリカは日本の金融経済を自由化するよう政府に圧力をかけてきました。この本の見立ては、当時の小泉首相が竹中平蔵金融担当大臣とダッグを組んでアメリカの要求を受け入れて、郵政民営化を推進した、と語ります。金融自由化と郵政民営化は、日本経済に変換をもたらしました。

  企業は、徹底的な効率化を進め、これまでの終身雇用を見直して正社員には能力と成果で処遇を決める年棒制へと移行します。さらに人件費による経費圧迫を軽減するため、正社員の雇用を非正規社員の雇用に切り替えていきました。その結果、世の中には福利厚生の枠外であり、なおかつ退職金などの一時金とは無縁の雇用者層が形成されました。それは、格差の拡大に他なりません。かつて、日本はウサギ小屋に住む総中流化社会と揶揄されましたが、現在の非正規労働者層の増大は中流を消し去り、持つものと持たざる者の格差社会を出現させたのです。

  我々は、政治を司る者も経済を司る者も、目の前の危機への対応、組織の生き残りに必死になり、アメリカの経済至上主義に迎合するあまり、日本にとって真に大切なものを見失っているのではないか。人としての確かな教養が希薄になり、数千年をかけて培ってきた日本人のアイデンティティを保つことができなくなっているのではないか。

  藤原さんの危機感はそこにあります。

【人類が培ってきた教養とは】

  「教養」を構成する要素とは何か。

  藤原さんは、そのモデルを西洋の文化に求めていきます。地球上で歴史的に最も早く「教養」が培われていったのはギリシャ文明かもしれません。そこには、プラトンやアリストテレス、ピタゴラスなど、教養としての文化が百花繚乱、花開きました。そこには、「哲学」というコンセプトの中に、詩や歌劇、物語などの文学、物理学、天文学、数学などの自然科学が包含されていました。それは、まさ「教養」にふさわしいものとして紹介されます。

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(ギリシャ神ゼウス「ファンタジア」 asahi.com)

  ギリシャの教養は、そのままの形でローマに引き継がれ、それは神聖ローマ帝国を経てイスラム教文化へと継承されていきました。ヨーロッパでは中世という停滞の時代を迎え、科学的な進歩は滞りました。それを打ち破ったのは、フィレンツェのメヂチ家によってもたらされたルネッサンスでした。そこでは、文学、音楽、建築、そして自然科学と「教養」となるすべての事柄が復活することとなるのです。

  こうして歴史の中で培われてきた「教養」ですが、「教養」が持つパワーとは何なのでしょうか。海外での経験が多くある著者は、ヨーロッパにおける教養が国によって異なることを、事例をもって教えてくれます。ドイツでは、ゲーテやトーマス・マンをはじめとして、多くの教養小説がつくられましたが、ドイツの教養とはどのようなものなのか。

  この本は、「教養」の大切さを教えてくれますが、第三章で語られるのはドイツの教養です。日本は、教育制度や軍隊制度、政治形態など多くを19世紀のドイツ帝国に学んできました。しかし、ドイツは、最初の地球規模の殺戮ともいえる第一次世界大戦を引き起こしました。ドイツは敗北し、未曽有の戦争を抑止するために国際連盟が発足します。ところが、ワイマール共和国となったドイツには、ヒトラーが登場し、ナチス・ドイツが政権を取る事態となりました。独裁者ヒトラーは、ヨーロッパを巻き込む戦略戦争を開始し、再び世界は殺戮が蔓延する第二次世界大戦へと巻き込んでいったのです。果たして、「教養」は無力だったのか。

  一方、アジアの片隅でドイツと同盟を組み、中国大陸に侵略したのは日本でした。著者は、日本が太平洋戦争に突入したのは、アメリカの大きな戦略の一環に陥れられたとの見解を語っていますが、果たしてそれは真実なのか。ドイツから「教養」を学んだ日本も「教養」によって戦乱を回避することができませんでした。なぜ?その理由はぜひこの本で紐解いてください。

  前回、日本語と日本の文化を覚醒させるべく熱い想いを語った藤原さんですが、今回は「教養」をキーワードに日本人に警鐘を鳴らします。それは、「教養」の持つパワーです。皆さんもこの本で「教養」の持つ歴史とパワーを味わってください。明日からの心の持ち方が変わるかもしれません。

  やっぱり投票率向上に必要なのは、「教養」なのでしょうか。


  閑話休題

  9月28日のラグビーワールドカップ、日本代表対アイルランド戦。すごかった。トライを防いだ二人タックルの連続守備。本来スクラムからのペナルティを狙ってくるアイルランド相手にスクラムで互角に渡り合い、さらにペナルティを勝ち取る力強さは脱帽でした。長距離で角度のあるペナルティキックを連発した田村優選手、逆転トライを決めた俊足の福岡堅樹選手。すべての選手がひとつになった本当に素晴らしい試合でした。

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(逆転トライ!福岡選手 nishinippon.co.jp)

  でも何と言っても最年長、浪花のトンプソンルーク選手と連続してキャプテンを務めたリーチ・マイケル主将の貢献が大きかったと、勝手に感動していました。この勢いで、次の強敵サモアも撃破して、決勝トーナメントへの切符を手にすることを心から願うばかりです。ガンバレ、日本!!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年09月22日

ダン・ブラウン AIとシンギュラリティを描く

こんばんは。

  ダン・ブラウン氏が描く宗教象徴学者、ラングドン教授シリーズもついに第5作目を迎えました。そのうち3作品はトム・ハンクスがラングドン教授を演じて映画化され、大ヒット作品になっています。前作「インフェルノ」では、フェシリティ・ジョーンズが知的な美女、シエナを演じてすっかり魅了されたことは記憶に新しいところです。今回の作品もこれまでの作品に勝るとも劣らず、素晴らしい謎解きとサスペンスを詰め込んだジェットコースター小説で、一気に読み終わりました。

「オリジン」

(ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 上中下巻 2019年)

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(文庫版「オリジン」上巻 amazon.co.jp)

【我々生命はどのように生まれたのか】

  今回、ラングトン教授が巻き込まれる事件は、ハーヴァード大学での教え子であり友人の科学者エドモンド・カーシュの大発見に起因します。その大発見は、かつてコペルニクスが「それでも地球は回っている。」と唱えた地動説やチャ−ルズ・ダーウィンに「この説が受け入れられるのには種の進化と同じだけの時間がかかりそうだ。」と言わしめた進化論に匹敵するほどの衝撃を我々に与える発見だといいます。それは、まさにパラダイムの変換をもたらすレベルの発見です。

  ダン・ブラウンのラングドン教授シリーズの大きなテーマのひとつは、宗教と科学の葛藤です。我々日本人は、昔から八百万(やおよろず)の神になれており、科学の数だけ神様がいるのでは、程度の認識しかありませんが、一神教を信じる人々には神と科学の葛藤は何よりも重大な問題をはらんでいます。それは、唯一神はいるのか、いないのか、との究極のクエスチョンです。

  現在、日本が誇る小惑星探査機はやぶさ2が、小惑星「りゅうぐう」に到達。小惑星の表層に金属級を打ち込み、内部の岩石流を採取するという世界初の試みが実行されています。タッチダウンと呼ばれる2回の着陸によって、はやぶさ2は小惑星の表層の岩石だけではなく、地中にある深層の岩石までを採取するという快挙に成功したのです。この技術は、世界唯一のものなのです。

  まもなくはやぶさ2は、小惑星を離れ日本への帰路につきます。予定では2020年の年末にはと急に帰還する予定ですが、帰路はまた3億kmの宇宙をたった一人で航行するわけですが、JAXAのプロジェクトメンバーの力を結集して、ぜひとも無事に帰還してほしいと思います。

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(着陸するはやぶさ2のCG AV.watchHPより)

  さて、このはやぶさ2は、「太陽系の生命の秘密に迫る」ことができるといわれています。我々の地球では、現在数えきれないほどの命が青く美しい星に息づいています。しかし、そもそもこの地球で命はどのように生まれたのか、その謎は解けていません。無機物からなぜ有機物が生まれたのか。科学によるアプローチは行き詰まり、現在では地球で最初の命につながる物質は地球外から隕石によってもたらされたのではないか、との仮説が唱えられています。

  この仮説は何によって実証されるのか。「りゅうぐう」が軌道を回る宇宙の環境は、地球に生命が生まれたと考えられる46億年前と同じ状態にあります。地球の最初の命に隕石がかかわっていたとすれば、その時代と同じ環境にある「りゅうぐう」の岩石には、生命につながる物質が含まれているかもしれない。そして、実際の岩石を研究することで、我々生命誕生の秘密が明かされるかもしれないのです。

  人間を創造したのは、宇宙から飛来した物質なのか、それとも神なのか。それは、宗教と科学が争う最も深遠な問題なのです。我々は、いったいどこから来たのか。今回の「オリジン」の主人公エドモンド・カーシュの発見は、この質問に答えを出すものだったのです。

【AIとシンギュラリティ】

  皆さんはNHKのEテレで、「人間ってなんだ。超AI入門」というプログラムがあるのをご存じでしょうか。この番組は、毎回テーマを設けてテーマに対して現在AIがどこまで技術的に進んでいるのか、を語っていく番組です。例えば「会話する」という場合、相手の言葉を理解して返事をすることができるAIは、人の会話に含まれる「共感」という感性を理解できるのか。会話の中で重要な「共感」とはそもそもどんなものか、AIにその意味が理解できるのか、そのひとつひとつを分析しながら解説していきます。この番組は、すでに3シリーズ目に突入しています。

  この番組のナビゲーターを務めているのが、東京大学大学院教授の松尾豊氏です。松尾氏は、現在のAI開発の最前線にいる最先端の研究者です。その解説はとてもスリリングで、ディープ・ラーニングというAIの開発技術もわかりやすく解説してくれます。AIは、もともとコンピューター技術がその礎となっています。ヒトの脳と同じことをコンピューターでできないか。それがAIの出発点だったのです。

  人間の脳内では、1千億個と言われるニューロンという神経細胞が需要細胞との間でシナプスと呼ばれる電気信号を発することで、様々な活動を行っています。このシナプスという電気信号は数兆という桁で信号の発信を行っていることがわかっています。AIの技術では、脳内の信号のやり取りをコンピューターによって人工的に作り出そうとする試みです。それには、人間の右脳の動きと人間の感情や行動を分析し、シナプスそのものを解析することが必要となります。

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(三越受付のAI「地平アイこ」 toshiba-clip.com)

  コンピューターを使ったAIでは、数量的に人間の脳に追いつくために爆発的な技術進歩が必要となります。そして、その技術の進歩は、恐ろしいスピードで進んでいます。私の世代は、社会人になるころには携帯電話どころか、パソコンさえ実用的ではありませんでした。職場で使うのは、せいぜいワープロで、よく企画書をワープロで作りました。しかし、1990年代に入るとパソコンが職場に登場し、ウィンドウズ95がOSデビューを果たすや、パソコンは当たり前のように日常に入り込んできました。

  携帯電話も平成の初期にはまだ普及しておらず、もっぱら駅の伝言板で待ち合わせ時の連絡を取っていました。ところが、パソコンと機を同じくしてポケベルに変わって携帯電話が一世を風靡し、携帯電話は10年もたたないうちにジョブスのiPhonにとってかわられたのです。今や世の中はスマホの時代です。発売当初のパソコンでは、ハードディスクの容量もメガバイトの時代でしたが、アッという間にテラバイトの時代へと進化したのです。

  電子機器の進化は倍々ゲームのように速度を速め、パソコンやスマホに使われる集積回路の発展は、20年間で1万倍という劇的進化を遂げるといわれます。(ムーアの法則)。この法則から、未来学者のレイ・カーツワイル氏は「シンギュラリティ」が2045年に出現する、と主張しました。「シンギュラリティ」とは数学の用語で「特異点」のことを言います。つまり、その先のことは人知を超えており不明、ということです。なぜ、2045年なのかといえば、そのときにコンピューターの能力が、人間のニューロンが発するシナプスの発信数を上回ることになるからです。

  つまり、コンピューター(AI)が人間の脳を超えたときに何が起きるかは誰にもわからないということなのです。いったい、シンギュラリティを迎えた人類は、その先どこへ行くのでしょうか。この本の主人公エドモンド・カーシュは、新たな発見でこの重要な問いにも答えを出したのです。

  ラングドン教授シリーズ第5弾「オリジン」の主人公、エドモンド・カーシュはラングドン教授の教え子ですが、未来学者、実業家として天才的な発想と技術によって世紀の発見を成し遂げます。それは、「我々はどこから来たのか。そして、どこに向かうのか。」この根源的な疑問に明確な答えをもたらす発見だったのです。

【ラングドン教授の舞台はスペイン】

  ラングドン教授シリーズの魅力は、「宗教と科学」とともに様々な芸術と芸術都市です。その舞台はバチカン、パリ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールなど、ヨーロッパの歴史と文化を司った都市となります。ラングドン教授はそうした都市を追われながらもまさに飛んで歩くのですが、今回、舞台となったのはスペインです。スペインは、共和国政府との内戦にフランコ将軍が勝利し、1939年に独裁国となりました。

  フランコ将軍が支配した独裁政権は、1975年、フランコの死まで続きます。そして、フランコの死後、ファン・カルロス1世が国王に即位し、現在のスペイン王国が成立します。新憲法の下で総選挙が行われ、2院生の議会政治が行われていますが、バスク地方やカタルーニァ地方は歴史的に異なる文化を持っており、自治権を持っていますが常に分裂のリスクを抱えています。2014年、ファン・カルロス1世は王位継承に署名して息子のフェリペ6世が王位につきました。

  このシリーズの巻頭には、毎回「事実:この小説に登場する芸術作品、建築物、場所、科学、宗教団体は、すべて現実のものである。」との言葉が掲載されていますが、今回もスペインの現代が余すことなく描かれています。

  スペインのビルバオという街をご存じでしょうか。今回、ラングドン教授が招待されたのはビルバオにあるビルバオ・グッゲンハイム美術館です。グッゲンハイム美術館といえば、ニューヨークにある美術館を思い浮かべますが、美術館を運営するソロモン・R・グッゲンハイム財団は、世界各地に分館を開設しているのです。ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、ビルバオの再開発と軌を一にして街の再生の目玉として計画されました。1997年に開設されるや、建築家フランク・オー・ゲイリー氏による斬新な建築が大きな話題となり、年間100万人の観光客が世界中から押し寄せているといいます。

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(ビルバオ・グッゲンハイム美術館 vajracat.com)

  このシリーズに登場する建物は、どれも小説の舞台として大いなるワンダーをもたらす舞台装置として働きます。このビルバオ・グッゲンハイム美術館もその例にもれませんが、ダン・ブラウン氏はさらに驚きのシチュエーションを作り出します。この美術館の館長となっているのは、美貌かつ才能豊かな美女、アンブラ・ビダルです。アンブラは、次期スペイン国王となるフリアン王子の婚約者なのです。

  ラングドン教授を招待したのは、世界を変える発見をしたエドモンド・カーシュでした。カーシュは、自らが発見した世紀の科学的新事実をこの美術館から全世界に発表しようと企画していたのです。ネタばれはここまでですが、今回もラングドン教授は警察をはじめ、あらゆる組織から追われることになるのですが、この逃避呼応を共にするのがスペインを代表する美女アンブラ・ビダル嬢なのです。

  スペインといえばもっとも有名な芸術家といってもよいのはアントニ・ガウディです。そして、その集大成ともいえる作品が、サクラダ・ファミリア。今回の作品で焦点となる芸術家はガウディです。カーシュが発見した人類最大の謎は、カーシュが敬愛していたガウディにその秘密が隠されているのです。ガウディの有名な建築に現在観覧が可能な住宅、カサ・ミラがあります。この建物は、世界遺産でありながら賃貸住宅であるという変わった建物なのですが、エドモンド・カーシュは、なんとこのカサ・ミラの2フロアを期間限定で賃借し、自宅として利用していたのです。

  このシリーズの例にもれず、ラングドン教授とアンブラはあらゆる組織から追われることになるのですが、このカサ・ミラの居室を探索するシーンは、まるでガウディの部屋の訪問記のようで緊張とワンダーがみごとに融合しています。さらに、カーシュの秘密はサクラダ・ファミリアに眠っていることがわかり、二人は今だ建築中の巨大な教会へと向かいます。

  サクラダ・ファミリアはガウディの思想が凝縮された傑作です。かつて、逢坂剛は、名作「カディスの赤い星」で工事中のサクラダ・ファミリア内での追跡劇を描いており、その緊迫感にページをめくる手に思わず塚らが入りました。あれから30年を経て、ラングドン教授がこの教会のはるかに伸びる階段で刺客と戦うことになるのです。手に汗を握るシーンは、ぜひ本編でお楽しみください。

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(ガウディ作 サクラダ・ファミリア wikipediaより)

【そして謎はどこに向かうのか】

  さて、このブログではネタばれを最小限とすることをポリシィーとしていますが、この小説の面白さを損なわない範囲で最も大きな謎を2つお話しします。

  世界にパラダイムの変換をもたらす発見を成し遂げたエドモント・カーシュ。この人物のモデルはスティーブ・ジョブスとも、シンギュラリティの生みの親レイ・カーツワイルとも言われていますが、その有り余る才能は、ある人々に大きな危機感を抱かせます。そして、晴れの舞台、多くの招待者の前で一世一代のプレゼンテーション開催の最中に一発の銃弾によって命を失うことになります。暗殺者は明示されていますが、彼を操っている黒幕は誰なのか。この謎が、小説の全編を貫いています。

  そして、もう一つの謎は、カーシュの発見そのものです。世界を震撼させる世紀の発見とは何なのか。その発見は、我々がどこから来て、どこに向かうのか、という永遠の謎に解を与えるというのです。

  二つの謎と「宗教と組織と芸術」。ラングドン教授シリーズは、汲めども尽きぬ面白さです。また、この文庫版の解説は、あの「超AI入門」でナビゲーターを務める東大大学院教授の松尾豊教授です。その解説もこの小説の楽しみを倍増させてくれます。皆さんお楽しみに。

  ダン・ブラウンの小説は、文句なく面白い!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 22:19| 東京 🌁| Comment(0) | 小説(海外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月15日

ロングセラー 「京都の謎」

こんばんは。

  昨年、紅葉の時期には早いと思いつつ訪れた古都、京都。その訪問記は、昨年末に一日目のワンダーをお知らせしたまま、途切れていました。その後、名古屋に長期出張したり、桜の季節には弘前城、角館を訪ねて雨の桜いかだに感動し、伊豆のジオパークを巡り、黒部立山アルペンルートで立山の星空を眺めたり、とワンダーを重ねて、ついつい京都のことを報告せずにここまで来てしまいました。

  500回を迎えたときに「しばらく京都の話をします。」と書いておきながら、まったくお話しできず内心忸怩たるものがありました。京都旅行は、昨年(2018年)114日から34日の工程でした。事前に紅葉の状況を確認していたのですが、どの情報を見ても「まだ青い」マークが並んでいました。しかし、京都は盆地。東西南北の山々は高台になっているので山沿いにある名刹の紅葉は燃えているのではないか、そう思って旅に出たのです。

  ところで、先日、本屋さんで文庫棚を眺めていると、「京都の謎」という本の表紙が目に飛び込んできました。著者に日本史では有名な奈良本辰也氏の名前が高野澄氏と並んで記されています。思わず手に取ると、昭和47年に上梓された本の再販でした。京都の思い出も冷めやらぬ中、それほどのロングセラーならば読むにしかず、と思い、購入しました。さすがに面白い。

「京都の謎」

(祥伝社黄金文庫 奈良本辰也 高野澄著 2019年)

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(祥伝社黄金文庫「京都の謎」 amazon.co.jp)

  本を読んでいて、まず思い出したのは京都旅行のことでした。

【京都の紅葉は格別です】

  旅の1日目は、以前にブログでご紹介した通りですが、2日目には私が40年来夢に見たお稲荷さんの総本山である伏見稲荷を訪れました。そこでは、奈良線の伏見稲荷駅からすぐのふもとから頂上の一の峰まで数千本の朱色の鳥居が並んでおり、そこを歩いていくのは荘厳な体験です。今は、外国人が多い観光スポットとなっていますが、1000年以上も前に清少納言がここを上ったのかと思うと歴史ロマンに心が躍ります。

  伏見山は標高233mなので、それほどの行程ではないと思っていましたが、実際に一の峰まで登るのは運動不足の体には結構キツイ行程です。入口にある本殿から右手に進むと、まず有名な千本鳥居が始まります。ここから奥社奉拝所までは人・人・人。英語とフランス語とイタリア語とスペイン語、さらには中国語と韓国語。まるで万国博覧会の様相を見せます。写真を撮ると人の間に顔が出ているので、その混雑度合いがよくわかります。

  それでも奥社奉拝所から熊鷹社に至ると徐々に観光客は減っていき、四ツ辻から先は、写真も人が入らずに撮影することができるようになりました。しかし、人の数に反比例して登り坂は急になり登るのがしんどくなるのは当然なのかもしれません。それでも、はるかに見渡せる朱色の鳥居のトンネルと、展望台から見える京都の遠望は見事で、自然に清新な気持ちが沸き上がってきます。

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(伏見稲荷大社の延々と続く朱稲荷)

  伏見稲荷を満喫したために時間は午後3時を過ぎてしまいました。この日のもう一つの目的が醍醐寺です。時間短縮のため、駅前からタクシーを奮発しました。閲覧時間終了直前に駆け込み、誰もいない境内で、かなり色づいた紅葉と有名な五重塔を見ることができました。

  11月5日は紅葉には早く、こちらはまだいろづいたばかりという状況でした。さて、翌日ですが、6日は紅葉を期待して北山方向を歩きました。地下鉄の終点である国際会館の駅からバスで修学院へと向かいます。

  修学院離宮よりも北に行くと赤山禅院というお寺があるというので、まずはそちらに足を延ばしました。少し山間にあるためか、赤山禅院の紅葉は満開一歩手前。そのもみじの美しさに息をのみました。実はこのお寺は神社と一体になっており、最も古い七福神の神様が祭られており、その由緒に思わずほっこりでした。ガイドブックでは、赤山禅院から修学院離宮はそれほどの距離ではないと書かれていましたが、実際に歩くとかなりの時間がかかります。

  修学院離宮は、天皇陛下にゆかりの離宮なので、その管轄は宮内庁となります。その入り口に行くと、1400から宮内庁による離宮の案内があるとのことで、まだ数人の空きがあるのでぜひとのお誘いを受けました。有難く申し込むと、見学には身分証明書が必要とのこと。さもありなん。実は離宮に入場するためには事前の予約が必要だったのです。ラッキーでした。1時間30分ほどでしたが、紅葉も7分ほどで美しく、枯山水も本山水も備えた情緒あふれる離宮内を堪能できたのです。皆さんも訪問の際には事前の予約をお忘れなく。

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(宮内庁管理 修学院離宮の紅葉)

  ところで、京都での旅情報ですが、京都には地下鉄とバスの乗り放題乗車券があるのをご存じでしょうか。観光名所や紅葉名所はこの件があればほとんど訪問が可能です。券には、1日券と二日券があり、観光するにはとても経済的です。我々は、3日目と4日目にこの2日券を利用し、便利でお得を実感しました。京都最後の日程は、南禅寺と禅林寺です。

  地下鉄の東西線、蹴上駅で降り、歩くこと7分〜10分の距離にあります。こちらからは南禅寺の三門手前の参道の横に出る道なのですが、そこに至るまでがなかなか見どころにあふれています。まずは、「ねじりまんぼ」と呼ばれるレンガでできたトンネルを抜けると近道です。この日は様々な施設の特別拝観日が重なり、途中にある「大寧軒」、「金地院」などの施設が公開されており、その癒しの庭に感動します。

  そして、南禅寺。三門の手前から参道に出て南禅寺を望むと、その荘厳な三門と本堂に圧倒されます。そして、その背景にはみごとな紅葉を見ることができ、これぞ京都という景色に目を見張ります。三門をはじめ見どころは満載ですが、その奥にある疎水のアーチは、壮大で見事です。この近代建築が、京都古来の南禅寺となじんでいる風景が新たな京都を表現していると思うと感慨もひとしおでした。

  11月7日。あらゆるサイトで紅葉には早いと書かれていたにもかかわらず、南禅寺と次に訪れた禅林寺の紅葉は満開一歩手前の華やかな色付きを誇っていました。禅林寺の参道を歩く時からすでに寺院内の紅葉が塀の上に広がっており、それほど多くはない観光客がまぶしげに紅葉を見やっています。そして、敷地内に入るとみごとな紅葉が我々を迎えてくれます。永観堂は中への拝観が可能ですが、永観堂自体もその建築と広大なお堂が見事なのですが、中からはるかに眺める紅葉にひときわ風情を感じました。

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(ほぼ満開に近い禅林寺の紅葉)

  早い時期で期待が薄かった京都の紅葉でしたが、修学院離宮と禅林寺の紅葉は、それは鮮やかな色合いを見せてくれ、感動しました。この時期、どこもほどほどの人出で、どこの学芸員の方もゆったりとした時間の中で話を聞かせてくれ、ゆっくり京都を楽しむことができました。京都に行くなら、少し早めの時期がお勧めです。

【そして、「京都の謎」】

  本の紹介のつもりが、すっかり京都の旅の報告となってしまいましたが、初めて読んだロングセラー「京都の旅」は、著者の名調子もあいまってさすが古典的な面白さに舌を巻きました。基本的には、歴史の沿ってその謎を提起していくわけですが、その「謎」は、著者が読者に提起する問いかけにほかなりません。

  奈良本辰也氏といえば、明治維新前後の歴史的人物を語れば右に出る方のいない京都派の歴史学者です。吉田松陰、高杉晋作などを新書で著し、林家辰三郎と並んで有名です。かといって、この本が歴史学者の書いた難しい本かといえば、そうではありません。むしろ、よき相棒の高野澄氏とともに、京都のことをこよなく愛する著者たちが、ユーモアを込めてわが町のことを語る、という体で本当に楽しく読むことができます。

  いったいどんな謎が語られるのでしょうか。ここで一気に目次をみてみましょう。

  「なぜ桓武帝は平安遷都を急いだか」、「なぜ東寺が栄え、西寺は消えたか」、「なぜ天神様が学問の神様になったか」、「なぜ白河上皇は賭博を禁止したか」、「なぜ『平家物語』は清盛ご落胤を説くか」、「なぜ鞍馬山は天狗の巣になったか」、「なぜ義仲は六十日天下で終わったか」、「後白河法皇は本当に建礼門院を訪ねたか」、「西芳寺の“枯山水”は古墳の跡だ」、「銀閣寺は義政の妻のへそくりで建った」、「大文字送り火は誰が始めたか」、「なぜ秀吉は聚楽第を破壊したか」、「なぜ“京おんな”は心中が嫌いか」、「井伊直弼は愛人をスパイに仕立てた?」、「志士はどこから活動資金を得たか」、「孝明天皇ははたして毒殺されたのか」、「なぜ明治幼帝は倒幕を決意したか」、「なぜ京都に日本初の市電が走ったか」。

  さすが、京都を愛するお二人が選んだ謎です。平安遷都1200年といわれたのはついこの間でしたが、この本は、平安時代から始まって平家による武士の時代の幕開け、室町時代の銀閣寺から豊臣秀吉、さらには大政奉還を経て明治時代まで、18の謎が京都の土地を中心に論ぜられることになります。そこには、うんちく有り、ロマン有り、事件有り、サスペンス有り、と様々な要素が絡まりあって楽しめる記事となっています。

  また、それぞれの章には、ゆかりの寺社や碑などが地図とともに紹介され、そこに登場する人物たちも示されます。今年の春、東寺の講堂に収められた国宝の仏像曼荼羅が上野にやってきて展覧会が開催されました。昨年、11月に訪れたライトアップ公開時も講堂に安置された21体の立体曼荼羅仏像を見ることができましたが、その圧倒的な迫力に魅了されました。

  東寺は、794年に平安京が誕生したときに西寺とともに建立されました。ところが、今、新幹線から五重塔を眺めることができる東寺はその名を知られていますが、西寺はすでにその姿を見ることはできません。第2章では、その謎が語られますが、まずは京都駅を中心とした洛内の地図が登場します。地図には、東寺は当たり前として、「羅生門跡」、「西寺跡」、「将軍塚」、「神泉苑」、「船岡山石碑」の場所が記されています。さらにこの章の登場人物、弘法大師(空海)、守敏大徳、嵯峨天皇、淳和天皇の4人の名前が紹介されます。

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(美しい東寺のライトアップ)

  東寺と西寺、そこをまかされたカリスマ大師の処世術はどんなものだったのか、2人の天皇と2つの寺の因縁は何だったのか。その謎が名調子とともに語られていくのです。

【京おんなとスパイ、そして明治維新】

  今年は、平成から令和へと年号が変わり、新しい時代に突入しましたが、令和にちなんで太宰府の天神様が大盛況となったようです。この本でも天神様の謎が語られます。日本人には絶大な人気を誇る「平家物語」を題材とした謎が4つも取り上げられているのは、必然でしょうか。平家物語フリークの私には、うれしい限りです。さらに、悪女といわれる日野富子は悪女までは言い過ぎだ、との話。そして、豊臣秀吉と京都の話など、興味が尽きることはありません。

  しかし、この本で本当に面白かったのは、幕末から明治維新に至る謎です。

  まず、京おんなの話。皆さんは、吉野太夫という京都で有名な女性をご存じでしょうか。「太夫」というくらいですから、花魁です。その名称は、花魁中の花魁で舞踊、箏・三味線もよくし、教養溢れる花魁のみに許される名称です。特に二代目吉野太夫はその美しさとともに伝説となっている花魁です。その面白さは、いきなり同じ江戸期に有名であった女性と並べたところです。

  江戸代表は火事と喧嘩は江戸の花といわれる中で恋のために火付けをした八百屋お七、難波の代表は曽根崎心中のモデルとなった天満屋お初。江戸と大阪と京都。江戸時代の3人の女性からひも解く京おんなの謎は、この本の中でも白眉の章でした。

  最後の章は、明治維新で天皇陛下を失った京都がどのようにそれを乗り越えたのかが語られます。ここで語られるのは、琵琶湖から京都に新たな水路を構築し、京都を再生する遠大なプロジェクトにかけた男たちの物語です。その名は、京都疎水。京都旅行の時に南禅寺で見た壮大な上水道施設、疎水の記憶がよみがえり、その謎ときに感動でした。

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(南禅寺境内に凛と立つ疎水の流水路)

  ロングセラーの本には、それだけの魅力があることを知らされた面白い本でした。皆さんも一度京都のロマンに浸ってみてはいかがでしょうか。改めて、京都に行きたくなること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年09月07日

美術展 松方コレクションの絢爛と光芒

こんばんは。

  日本に近代西洋美術の美術館を設立したい。

  日本には油絵を描いている若者がたくさんいる。彼らに本物の西洋美術を見ることができるようにしてやりたい。あの松方正義の次男、松方幸次郎がこうした志を持ったのは、1914年に勃発した第一次世界大戦の最中でした。当時、川崎造船所の社長であった松方は、軍艦需要の拡大に乗って軍艦受注によって莫大な財を築き、その資金をもってヨーロッパで名画と呼ばれる絵画を大量に購入したのです。

  1916年にロンドンに渡った松方は、画家のフランク・プラングィンと意気投合し、ヨーロッパでの絵画収集に熱意を注ぎ、そのコレクションを麻布に建設する「共楽美術館」で展示するとの構想を企画したのです。その後、1927年までに松方は、8000点の浮世絵のコレクションの購入も含めて、約10000点の絵画を購入したといわれています。1921年にジヴェルニーに住んでいたモネのもとを訪れて意気投合し、誰にも譲らなかった「睡蓮」を手に入れたエピソードは世に知られています。

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(プラングィン画「松方幸次郎」 美術館所蔵品目録より)

  現在、国立西洋美術館で開催されている「松方コレクション展」では、このときに収集された絵画のうち代表的な絵画や彫刻が、150点以上にわたり展示されています。

  しかし、展示会でも紹介されている通り、松方コレクションは1927年の昭和恐慌のあおりを受けて悲惨な運命に翻弄されました。ワシントン条約による軍縮などによる造船不況、さらに世界恐慌による不況からその年、川崎造船所は倒産します。そして、日本にあった松方コレクションの西洋美術品は債務整理のために売り立てにかけられました。このときに、1000点に及ぶ作品が散逸したといわれています。

  そして、さらなる悲劇がコレクションを襲います。戦時中、日本では海外からの輸送貨物に同じ価値の関税をかける「10割関税」が適用されており、松方コレクションはロンドンとパリにも保管されていました。ロンドンには、約900点の作品が保管されていましたが、1939年に火災により焼失してしまいます。パリに保管されていた400点の作品は、当時ロダン美術館に寄託されていましたが、ナチス・ドイツの侵攻による没収を恐れた日置釘三郎が自宅のある郊外のアボンダンに疎開させました。

  疎開のおかげによりコレクションはナチス・ドイツによる略奪は免れたものの、ドイツの同盟国であった敵国資産として、フランス政府により没収されてしまったのです。戦後、日本政府は絵画の返還交渉を開始します。1951年サンフランシスコ講和が締結された際、首相であった吉田茂はフランスと返還を要求し、コレクションは返還されることとなります。フランス政府は、これらの絵画のうち重要なものはフランスに留め置き、残りを日本に「寄贈」すると語っており、その認識は擦りあいませんでした。フランスは、日本にコレクションを「寄贈返還」するにあたり、コレクションを展示する美術館を建造しそこに保管することを条件としたことから、1959年、国立西洋美術館が建造されて作品は無事に日本に帰ってきたのです。

  先日、連れ合いと一緒に念願の「松方コレクション展」に足を運びました。

【美術展はモネの「睡蓮」から】

  今回の美術展の特徴は、松方幸次郎が傑作絵画を収集したそのプロセスごとに絵画や彫像が展示されている点にあります。そして、そのプロローグは、最も有名なモネとの邂逅と彼が夢見た「共楽美術館」の構想からはじまります。はじめに目に飛び込んでくるのは、モネの「睡蓮」です。この連作はモネが生涯描き続けたモチーフですが、1916年のこの作品は湖畔を描きこんだ藍のような淡い青を基盤として、そこに可憐な睡蓮の花が点描され、様々な色の光が乱舞しています。モネの晩年の光への印象がよみがえるようで、松方の美術への思いがしのばれます。

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(モネ画「睡蓮」収蔵品目録より)

  さらに進むと、コレクションのきっかけとなった画家フランク・プラングィンが描いた松方幸次郎の瀟洒な肖像画が展示されています。松方は、とてもリラックスした表情でパイプをくわえています。その横には、同じくプラングインが描いた「共楽美術館」の絵が飾られています。回廊のような建物の中にはアトリュウムが広がっており、松方とブラグィンが思い描いた夢の美術館が現実のもののように想起されます。

  第1章は、1916年にロンドンに渡り、はじめて絵画の収集に本腰を入れた時期に獲得した作品が中心に展示されています。そのきっかけとなった画家ブラグィンの作品に続いて、制作年代の記載のない作品が並んでいます。15世紀ころの宗教画の技法で描かれた絵が続いていきます。

  その中で、目を引いたのはジョン・エヴァリット・ミレイの「あひるの子」と題された作品でした。端正な表情で真摯に前を見つめる幼い少女の全身が描写され、その筆致の繊細さが少女の生きる力を感じさせ、とても魅了されます。ちなみに、足元に「あひる」の人形が2体配されており、その題名が絶妙です。

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(ミレイ画「あひるの子」 所蔵品目録より)

  もうひとつ、こちらはとても大きなキャンパスに描かれた羊狩りの描写です。酪農家の夫婦の農作業を描写した1枚ですが、たくさんの羊がこの作業を見守り、広い納屋と、見つめる羊たちを表した構図が斬新です。風俗画になるのでしょうが、ミレイの落穂ひろいなどに通じる表現描写に目を見張ります。

  第2章は、幸次郎が集めたコレクションの中でも収集が佳境に入る第一次世界大戦を表現した絵画が集められています。スケッチのような小作品に凛々しい兵士の肖像や見送る民衆、近代戦の武器などがスケッチされています。心に響くのは、この章の最後に飾られた2点の絵でした。大きなカンヴァスに描かれていたのは、抱擁して唇を寄せ合う男女とそれを囲うように取り巻く人々です。男は、軍服にヘルメットをかぶっており、兵士であることがわかります。題名は「帰還」。

  その隣に掛けられた青い服を着た女性が墓石の前にひざまずいています。その横には、娘とその孫と思える少女が佇んでいます。その絵は、リュシアン・シモンの「墓地のブルタニュの女たち」。戦争で最愛の人を失った悲しみが絵から浮かび上がってくるようです。

  そして、展示は第3章「海と船」へと続きます。ここには、テーマに合わせるような大型の作品が展示されています。すぐに目に入ってきたのは、大きなカンヴァスいっぱいに描かれた明るい海と大きな戦艦です。絵の作者は、ウジェーヌ=ルイ・ジロー。題名は「裕仁殿下のル・アーブル港到着」。その絵のまばゆいような海の青は、このシーンを描くように依頼した松方の誇らしげな気持ちが絵に表れているようです。隣に展示された同じ大きさの「ヴィレルーヴィルの海岸、日没」がかもしだす落ち着いた海と夕暮れの風景がみごとなコントラストを演出しており、その素晴らしい展示に心を奪われました。

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(ルイ・ジロー画「裕仁殿下の〜」所蔵品目録より)

  この章で展示されているのは6枚の絵画ですが、どの絵も人の背ほどもある大きなキャンヴァスに描かれており、その迫力に圧倒されます。

【ロダン、モネ、クールベそしてルノアール】

  ここから美術展は一挙に佳境を迎えます。第4章は松方が特に収集に情熱を燃やしたロダンの彫刻が一気に展示されています。「考える人」、「接吻」、「私は美しい」、「瞑想」、「フギット・アモール」と人の造形を流線形になぞらえて力強く彫刻した作品が、次々と我々に感動を与えてくれます。「考える人」は、あの有名な「地獄の門」の上部に形作られた座像ですが、部屋の奥には、「地獄の門」のマケット(第三構想)も展示されており、捜索のプロセスまでもが想像されるように展示されています。

  数々のロダンの造形に驚かされながら展示が過ぎていくと、第5章の展示には、さらなる感動が待っています。章題は「パリ 1921年〜1922年」。この年、松方は美術評論家の矢代幸雄などと画廊を巡っていました。そこで松方はここに展示される素晴らしい絵画を購入したのです。最初に目に飛び込んでくるのは、アンソニー=ヴァンダイク・コプレー・フィールディングの筆による大きな風景画、「ターベット、スコットランド」です。まるで、印象派を思わせるような、山間の湖が美しく照らされる光景は雄大です。そして、モネの若き日の写生画「並木道」。深い緑の並木が続く道。その構図と色合いにモネの覚悟が垣間見られる一枚です。

  その隣には、心に染み入るようなルノアールの絵画が展示されていました。

  「帽子の女」。背景はカーテンなのでしょうか。青と黄色の淡い色彩を背にしてつばの広い帽子を優雅にかぶった白いドレスの女性がソファに座って右手を椅子の背にかけています。その表情は、ルノアールが得意とする柔らかく静かに微笑んでいるように見えます。見た瞬間にルノアールとわかる、その明るい筆遣いと絵の具の流れ。個人的にはこの展覧会の一番の感動を味わいました。さらに進んでいくと、その先には明るい向陽がまぶしいような「陽を浴びるポプラ並木」と美しい田舎の雪景色をとらえたモネの「雪のアルジャントゥイユ」の2枚が並んで展示されています。

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(ルノアール画「帽子の女」所蔵品目録より)

  やられました。「ポプラ並木」は連作で、以前の展覧会でもその明るい情景に心が躍るようでしたが、今回もモネが見出した光の表現が心をとらえたのです。ここから美術展は怒涛の展開を見せてくれます。クールベの「波」、モネが晩年にロンドン旅行中に描いた「ウォータールー橋」、「チャーリング・クロス橋」、ジヴェルニーで描いた傑作「波立つプールヴィルの海」、「舟遊び」などが次々と目の前に現れます。

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(モネ画「雪のアルジャントゥイユ」収蔵品目録より)

  さらに、松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたとき、フランスに留め置かれたゴッホがこの美術展のために上野に帰ってきたのです。その絵は名作「アルルの寝室」です。ガランとしたベッドと椅子が明るい黄土色の色彩で描かれた絵は、ゴーガンと二人で過ごしたアルルへの思いが込められているように感じられて、そこはかとない郷愁を感じます。この絵の先には、ちょうどゴッホと別れたころに描かれたゴーガンの「扇のある静物」が展示されており、二人の思いがしのばれる後世になっています。この2枚は、ともにオルセー美術館からこの展覧会のために送られた作品で、その意気な計らいに感謝です。

  そのゴッホの「アルルの寝室」と並んで展示されていたのは、同じ年の作品「ばら」です。幻想的な明るい緑の森を背景にして美しく咲くバラの花がいくつもちりばめられていて、今回の美術展の中では、一押しのゴッホです。とても強い印象が心に残り、ついポストカードを買ってしまいました。ちなみにオルセー美術館からは、セザンヌの「調理台の上のポットと瓶」も出品されており、今回の美術展を盛り上げてくれています。

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(ゴッホ画「ばら」所蔵品目録より)

【売り立ての絵画と戦後の寄贈返還】

  美術展は、いよいよ最終章へと向かっていきます。

  第6章では、1923年にコペンハーゲンの実業家ハンセンコレクションを購入した時の絵が展示されています。実は、このときに購入した絵は川崎造船の清算時にほとんどが散逸し、今回は様々な場所から出品された作品が展示されています。ドガの「マネとマネ婦人像」は北九州市立美術館から、珍しいマネの「自画像」とシスレーの「サン=マメス 六月の朝」はブリジストン美術館から、モネの「積みわら」は倉敷にある大原美術館からの出店。どの絵も印象派を語る中では欠かすことができない名作です。

  第7章は「北方への旅」と題されています。1921年にベルリン、スイスに「足を延ばした折に手に入れた北欧の画家の作品がここに展示されています。オランダ絵画として有名なフリューゲルやファン・ネン・デールの風俗画やドラクロアの作品が心に響きます。ここで最も目を引いたのは、あのムンクの「雪の中の労働者たち」です。縦223cm×横167cmの巨大なカンヴァスに描かれた労働者たちの姿は強い迫力をもって我々に迫ってきます。雪の中を歩く黒い服と帽子を身にまとった労働者の集団の描写は、何に突き動かされたものなのか、想像が膨らみます。

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(ムンク「雪の中の労働者たち」所蔵品目録より)

  美術展の最後は、コレクションが歩んだ運命を象徴する絵画で締めくくられます。1959年松方コレクションがフランス政府から「寄贈返還」されたときのニュース映像が会場に流されており、そのときを忍ばせる絵画が展示されています。マティスの「長椅子に座る女」やスーティンの「ページ・ボーイ」は作品の重要性からそれぞれフランスに止め置かれ、今回はバーゼル美術館、ポンピドー近代美術館から出品されました。ルノアールの「アルジェリア風のパリの女たち」は、政府の強い要請により現在は国立西洋美術館の所蔵となっている名作です。

  マネの「嵐の海」は、2012年にナチス・ドイツに強奪された絵画とともに画商のグルリットの自宅で発見され、彼の死後にベルン美術館に遺贈された作品だといいます。どの絵も傑作なのですが、コレクションの経緯を知るにつけ、絵画の運命にも思いをはせることとなり胸を突き動かされます。

  美術展のエピローグとして展示されるのは、松方幸次郎がモネから直接購入したという晩年の作品「睡蓮、柳の反映」です。この作品は、2016年に変わり果てた姿で発見されました。絵画の上部半分は老朽と痛みから逸失し、株半分も汚れで何が描かれているのかさえ判別できません。しかし、美術館のキュレーターは2年をかけてこの絵画を修復、その下半分がみごとによみがえったのです。それは、香川県直島の地中美術館に展示されている「睡蓮」を思い起こさせます。

  さらに、失われた上部も今回、様々な人々の尽力によって、デジタルコンテンツとして蘇りました。

  その経緯は、NHKスペシャルの「モネ 睡蓮(すいれん)〜よみがえる“奇跡の一枚”〜」で特集されたので、ご覧になった方も多いと思います。

  今回の美術展は、日本にもヨーロッパの絵画に胸を打たれ、その収集に奔走した人物が存在したことを改めて思い起こさせてくれる素晴らしい企画です。もちろん、印象派や点描画に象徴される西洋絵画の魅力も余すことなく伝えてくれ、改めて数々の名画の魅力を我々に教えてくれます。

  国立西洋美術館が松方コレクションのために建てられたものであることを、今回初めて知りましたが、当日は企画展とは別に1階、2階で繰り広げられる常設展も鑑賞してきました。こちらには、松方コレクション展には出展されなかった名画があふれんばかりに展示されています。1930年代の宗教画から始まり、印象派につながるクールベやシスレーの絵画、さらには20世紀に花開いたキョビズムや象徴絵画まで、その歴史をたどるがごとく名作が額を連ねています。

  上野での松方コレクション展は、今月の23日までです。まだ見ていない方はぜひ足を運んでみてください。絵画が好きな方には、名画の感動が待っています。また、歴史好きの方には日本の絵画史に残る出来事が詰まっています。絵画の魅力と知的興奮にあふれた美術展。人生が豊かになること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年08月15日

朝日新聞が描くプーチン像とは?

こんばんは。

  アメリカにトランプ大統領が登場してから、国際社会は殺伐とした状況を呈しています。

  トランプ大統領の登場が世界に対立の構図を導き出しているのか、世界の煮詰まった状況がトランプ大統領を生み出したのかは、ニワトリが先か卵が先か、との議論と同様となりますが、世界の保守化、右傾化、独裁化は、相当に危機的な状態を生み出しています。アメリカとロシア、トルコやイラン、ベネゼイラや北朝鮮、そして韓国、中国、とリーダーが強い権力を手にして「独裁」に近いパワーを行使していることが、世界を軋轢と格差の世界へと導いています。

  第二次世界大戦によってこの地球、そして人類は大きな痛手を蒙りました。もちろん、アジアで侵略行為を行い、武力で帝国主義を敷衍しようとした日本は、その過ちを二度と繰り返すことのないように国際連合のルールや国際法を順守して平和国家を貫かならなければなりません。それは必要なことですが、世界の独善は日本を置きざりにして、どんどん深みに沈んでいきます。

  イランや中国VSアメリカ、ヨーロッパ連合(EU)VSイギリス、NATO諸国VSロシア、イランVSサウジアラビア、ウクライナVSロシア、日本VS韓国。どの対立も、お互いが自らの正当性を前面に押し出して、一歩も譲ろうとしません。特にアメリカのトランプ大統領は、オバマ前大統領が8年間で成し遂げてきた「平和」や「格差是正」、「自由と平等」への変革政策をことごとく否定しています。国内政策は独断と偏見に満ちており、すべての判断基準が自らの支持層が喜ぶか否かを中心として、成果を上げる取引(ディール)のために働いているとしか思えません。

  国際社会においてもその姿勢は変わらず、オバマ前大統領が交わした協定や条約を次々に否定しています。最も恐るべき破棄は、ロシアとの間で結ばれた中距離核兵器廃棄条約からの離脱を表明したことであり、さらにはイランの核保有を制限するために結ばれたイラン核合意からも離脱すると言う、世界を震撼させるような決断を下したのです。

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(核兵器廃棄条約破棄を語る asahi.com)

  国際法から言えば、条約や協定は国と国の約束であり、政権が変わったとしても国家が存続する限りその約束には拘束力があります。基本的には、相手との合意がなければ、離脱、破棄は行わないことがルールとなっています。しかし、国際社会とはそれぞれの国家の意志と主権が基本となっており、一国の判断を強制力を持ってやめさせることはできません。従ってトランプ大統領が行う意思表示は、アメリカの意思表示としては有効となってしまうわけです。

  こうした国際的な規範を飛び越えた意思表示は、韓国のムン大統領もトランプ大統領と同様に行っています。韓国では、政権が変わるたびに前政権を犯罪者扱いして落としめすことが通例になっています。そうした意味では、国内では前政権をすべて否定して新たな政策を行うことで国政が一新されます。しかし、どんな政権であっても、前政権が国際社会で行った約束は継続して守らなければなりません。過去、互いの国の政治家たちが両国の未来のために必死に考えて締結した約束を、様々な理屈をつけて無視することは国際的には許されません。

  国と国の信頼関係は、政権を超えて約束を守ることで築かれていきます。

  ところが、韓国のムン政権は1965年に両国で結ばれた「韓国と(日本)の請求権・経済協力協定」を無視しています。この協定は、過去からの様々な歴史的な課題を互いが認識し、歴史認識問題や竹島の領有権問題をあえて棚上げにして、互いの国の発展のために合意した協定です。さらに、パク前大統領は、慰安婦支援財団を日本の支援金で立ち上げ、日韓慰安婦問題を解決することに合意しましたが、ムン政権はこの合意もその効力を認めず、なんと財団の解散という国際社会では考えられない無謀な政策を実行しました。

  世界の国々は、韓国と日本の個別の問題については国際的な外交ルールからコメントを行わず、静観する姿勢を貫いています。

  日本は、国際社会においては国際連合のスキームを尊重するいわいる大人で優等生を貫いています。一度結ばれた協定は2国間では有効であるとの原則に基づき、韓国が元徴用工の問題で日本企業に賠償を請求し、その資産を差し押さえる判決が出ても、日本は、協定に基づいて二国間協議を要請。これを韓国が無視すると、さらに協定に基づいて、第三国の委員を含む仲裁委員会の設置を申し入れました。

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(日本をひたすら非難するムン大統領 sannkei.com)

  韓国は、こうした国際協定に基づいた要請をことごとく無視したにもかかわらず、日本が韓国を貿易「ホワイト国」からはずすと発表したとたん、「両国間の協議」を申し入れてきました。その国際法的に非常識な振る舞いは、国際的な規範をないがしろにする暴挙と言っても良い行動です。日本と韓国の不幸な過去に対する認識の違いはそれとして、少なくともルールに対しては何らかの答えを発信するべきです。都合の悪いことは無視して、都合の良い時には相手の不作為を非難する、これほど品位のない行動は、まるで19世紀の帝国主義時代の振る舞いです。

  国も人も、まず誠実な態度がなければ信頼を築くことができません。過去の約束に対して、韓国がすべて無視し続けるとすれば、韓国と日本の間では何も生み出すことが出来なくなるに違いありません。公式には無理でも、民間ベースでは水面下でお互いの肯首ができないものでしょうか。我々は草の根の国民として、それを求めています。

  さて、今の国際社会ではあまりに身勝手ばかりがまかり通っているので、思わず話が長くなってしまいました。しばらく、仕事が忙しくなってブログが更新できませんでしたが、まずは先週読んだ本をご紹介します。

「プーチンの実像 孤高の『皇帝』の知られざる真実」

2019年 朝日新聞国際報道部著 朝日文庫)

  この本の題名は大向こうをうなされる大袈裟なものですが、プーチンをして「孤高の『皇帝』」と呼ぶことはとても的を射たものと思えます。

  2018年318日。この日、ウラジミール・プーチン氏は第4代のロシア大統領を選ぶ選挙でなんと76%という驚異の得票率を獲得して当選しました。2012年の就任から第二期目の大統領を担うこととなり、その任期は2024年までとなります。2000年にロシア共和国の大統領に就任したプーチン氏は、3選を禁止する憲法の規定により2008年に大統領をメドヴェージェフ氏に譲ります。しかし、氏は目処ヴェージェフ大統領から首相の指名を受けると、影の大統領としてロシアに君臨しました。

  つまり、プーチン氏は2000年から実質24年間ロシアの国に君臨することになるわけです。

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(朝日文庫「プーチンの実像」 amazon.co.jp)

【プーチン氏は「皇帝」なのか】

  私のプーチン氏の印象は、長い間諜報機関KGBと不可分の一体でした。KGBは、泣く子も黙る旧ソ連の諜報機関で、アメリカのCIAと熾烈な諜報戦を繰り広げたことで有名です。その国家の存続までを懸けたインテリジェンスは、フリーマントルの小説に描かれたように手に汗を握る物語です。その裏の裏までを見抜いたヒューミントや非合法な手段による拉致や洗脳、さらには暗殺など、それは人間の体力と知能の究極曲を求める世界です。

  そのKGB出身のウラジミール・プーチン。得意の柔道も含めて、まるでスーパーマンのような印象でした。さらに2012年に大統領に再登板した後には、チェチェン問題やウクライナ問題で、メディアに対して徹底的な統制を強めたこともその神秘的な恐ろしさに拍車をかけていたのです。

  そうしてこの本の「実像」というワードに惹かれて、この本を手に取ったのです。

  この本は2015年にプーチン大統領が安倍総理大臣の求めに応じて、安倍さんの故郷である山口県の長門市を訪問するにあたって、朝日新聞紙上に連載された特集記事が基本になっています。ジャーナル(新聞記事)の特徴は即時性にあります。そうした意味で、この本はジャーナリスティックな記事としては古いものとなります。しかし、改めてノンフィクションとして上梓されたこの本には、ジャーナルを超えた普遍的な価値を持つ記述が数多く記されています。特に、プーチン氏を良く知る人々との多くのインタビューは、プーチン氏がリーダーとして国際社会に登場してから今日までの彼を様々な視点から描き出すことに成功しています。

  「知られざる」との言葉は少々大袈裟と感じますが、この本は現在ロシアの「皇帝」にも見えるプーチン氏の実像に、確かに近づいているように思えます。

【ウラジミール・プーチンの登場】

  この本は、全体を4つのテーマに分けています。

  第一部、第二部は、KGB職員からソビエト連邦崩壊を経て、エリツィン大統領の後を受けて新生ロシア共和国の大統領となるまでの経歴を、当時、周辺にいて彼を良く知る人々へのインタビューによって語っていくとの構成を取っています。さらに第三部は、大統領、首相としてロシアのステイタスをどのように高めてきたのかをコソボ、チェチェン、ウクライナの問題を軸に語っていきます。そこには、大統領に就任してからの理想と現実とのかい離の間でロシアのステイタスを高める道を選択したプーチン氏の姿が語られていきます。

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(平和条約締結の難しさを語る会見 mainichi.com)

  まず、意外であったのは「KGB」職員としてのプーチン氏の姿です。彼は、我々がイメージする諜報機関のインテリジェンスオフィサーではなく、どちらかと言えば有能な事務職員であったという事実です。もちろん、彼は少年時代からKGBに憧れて、その夢を実現したという意味で、KGBの中枢を担うべき人材であったのですが、ソビエト連邦のKGBに対しては様々な疑問を持っていた、というのです。

  そして、1989119日、歴史に残る「ベルリンの壁崩壊」が起こりました。

  崩壊の直接の引き金は、子の日東ドイツ政府が発表した西ドイツと東ドイツの旅行の自由化です。この発表に反応した群衆が、ベルリンの壁を破壊し、東ドイツの市民たちが東ドイツ政府の各機関に自由を求めて押し寄せることになったのです。東ドイツには、悪名高き秘密警察のシュタージがありました。125日、自由を求めてドイツ統一をめざす群衆がドレスデンのシュタージ支部を襲いました。

  このとき、プーチン氏はドレスデンのKGB支局に勤務していました。群衆はシュタージ支局に押し寄せた後、隣の敷地にあるKGB支局に迫ります。支局は極秘文書で満ち溢れています。その時に建物から群衆の前に現れたのが将校の制服に身を包んだプーチン氏だったのです。彼は、興奮する群衆を前にして静かにしかし毅然とした態度で彼らを説得しました。「ここに侵入することは断念しろ。武装した同僚にここを守るように指示した。もう一度言う、立ち去れ。」そこから放たれたオーラに熱気に満ちた群衆も冷静さを取り戻し、そこを去っていったと言います。

  この本の第1章は、このときに群衆のリーダー役を担っていたダナードグラプス氏の証言から始まります。さらにKGB時代にプーチン氏の同僚であったウラジミール・ウソリツェフ(仮名)のインタビューも交えて旧ソ連時代のプーチンの姿を浮き彫りにしていきます。

【プーチン大統領の誕生】

  ソ連崩壊の後、彼は何をしていたのか。ロシアは、新たに共和国となりエリツェン大統領が選挙に勝ち政府を打ち立てます。しかし、エリツェンは体調に大きな不安を抱えていました。彼に万が一のことがあったときにはだれを後継者にするべきなのか。意外なことに、エリツェン氏の後継候補にプーチン氏が上がったのは、彼が忠誠心の強い、しかも最も操りやすい人間だと周囲が見ていたからだというのです。

  その彼が、どうのようにしてその後にロシア共和国の中で権力を握り、2018年の選挙で76%もの支持を得るまでになったのか。ロシアを自由の国に変貌したかったその理想とそれを西側諸国に受け入れられなかった挫折。さらには、チェチェン紛争やウクライナ問題で変貌していった愛国者プーチンの姿。そして、柔道を介して日本を愛するプーチンの姿や「人」とのつながりをとても重視する人間プーチンの姿。この本は、様々なプーチン大統領の顔を余すところなく描いていきます。


  この本が上梓された2015年の時点では、北方領土問題と平和条約の問題は安倍総理の在任中には糸口が見えてくるのではないか、との淡い期待があったことがよくわかります。しかし、トランプ大統領や習金平総書記が対立の姿勢をあらわにし、ヨーロッパ対ロシアの図式が鮮明になる中、日本の置かれた状況は複雑さを増し、課題の解決は難しさを増しています。

  しかし、こんな時にこそ我々は正しくプーチン大統領のバックボーンを認識する必要があります。この本は、おそらくプーチンのある面から見た実像を明らかにしていると思います。そして、それは貴重な一面であることに間違いありません。みなさんもこの本で現代のキーマンの姿を知ってください。今後の外交の見立てに役立つこと間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年07月14日

恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その2)

こんばんは。

  面白い小説を読んでいると、いつまでも終わって欲しくないためにページをめくる手を押さえたくなる時があります。前回からご紹介しているこの小説は、まさにページをめくる手を止めたくなるほど緊張感にあふれる小説です。それもそのはず、そこに描かれているのは、12日間に渡って100人近いピアニストの中から1人の優勝者を決める芳ケ江国際ピアノコンクールのすべてなのです。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  ところで、コンクールと言えばこの本を読んでいる間にうれしいニュースが飛び込んできました。世界的にも有名なピアニストの登竜門、チャイコフスキー国際コンクール。先日行われた第16回コンクールのピアノ部門で日本人が27年ぶりに2位入賞の快挙を成し遂げたのです。その日本人とは、東京音楽大学3年生で20歳の藤田真央さんです。藤田さんは、2017年に18歳でクララ・ハスキル国際ピアノコンクールで優勝したとの経歴の持ち主。

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(コンクール第2位 藤田真央さん spice.eplusより)

  音楽の神に祝福されたピアニストの快挙に思わず拍手してしまいました。

【心憎い小説の演出】

  さて、前回、著者の恩田さんがこの著書に込めた様々な工夫についてお話ししましたが、それ以外にも著者の仕掛けはプロフェッショナルであり、数えきれません。

  普通、クラシック音楽のファンでなければ国際コンクールと言っても故中村紘子さんの本で有名になったチャイコフスキー国際コンクールや最近生誕200年として、各地で話題となった国際ショパンコンクールの名前をかろうじて知っている程度です。ましてや、日本で行われるコンクールがどんな日程で、どんなプログラムで実施されるのか、知る由もありません。

  著者は、小説を読むうちに素朴な疑問がいろいろ湧き上がることを考えて、小説が始まる前に事前知識を我々に開示してくれます。まず、コンクールがどのような曲で行われるのかとの情報です。それは、参加するコンテスタント(競技参加者)たちがエントリーするための課題の一覧です。

  第一次予選:@バッハ平均律クラヴィーア曲集より1曲。ただし、フーガが三声以上のものとする。Aハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタより第1楽章または第1楽章を含む複数の楽章。Bロマン派の作曲家の作品より1曲。*演奏時間は合計で20分をこえてはならない。

  ちなみに超絶技法を持つ19歳のイケメン、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの第一次予選のエントリー曲は、@バッハ「平均律クラヴィーア曲集第一巻第六番」、Aモーツァルト「ピアノソナタ第十三番第一楽章」、Bリスト「メフィスト・ワルツ第一番 村の居酒屋の踊り」と記されています。

  こうして、コンクールの予選本選のエントリー課題曲の条件と小説で描かれる4人のコンテスタントのエントリーした実際の課題曲が一覧表で示されているのです。これを見るだけで、我々はこのコンクールの奥深さと、高島明石、栄伝亜夜。マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵がこの12日間にどんな曲で演奏に挑んでいくのか、その姿が浮かび上がってくるのです。

  一次予選は20分の演奏ですが、第二次予選は40分未満、第三次予選は60分以内、と予選が進むに従ってその力量を問われることとなり、さらに本戦は、小野寺昌幸指揮、新東都フィルハーモニー管弦楽団とピアノ協奏曲を共演し、ソリストとしての存在感を問われることになります。特に第二次予選では興味深い課題が仕組まれています。それは、このコンクールのために作曲された新作のピアノ曲を演奏するとの課題です。

  今回お題となる曲は、菱沼忠明作曲の「春と修羅」。

  皆さんこの題名からピンとくるものがあると思います。そう、この曲はみちのくの作家宮沢賢治が書き記した詩集の題名です。このブログでもご紹介した「ビブリア古書堂の事件手帖」にもその初版本が登場しましたが、この作品には24歳で亡くなった妹トシとの別れを謳った「詠訣の朝」やトシとの交流を描いた作品など、その壮絶な心象風景が謳われています。この曲をどのように解釈し、その息吹を表現するのか、それが第二次予選のハイライトとなるのです。

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(「春と修羅」初版本 中古本サイトより)

  小説で丁寧に描かれていく主人公たちの優勝を目指す演奏は、読者に提示されたそれぞれのエントリー曲が次々と登場し、我々をコンクールの世界へといざなってくれるのです。そして、高島明石、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵。4人のコンテスタントがそれぞれの個性と人生を振り返りながら、音楽の表現者として驚くほどの成長を遂げていきます。その姿に我々は手に汗を握って小説世界に没頭します。

【伏線、そして第三の視点】

  この文庫本には、下巻の最後に、この小説が雑誌に連載されていた当時の裏話を編集者が描いた解説が掲載されています。それを読むと、まず恩田さんの「国際ピアノコンクールを最初から最後まで小説にしてみたい。」との執筆の動機が語られています。小説を読み終わると、まさに著者の言う通りのことがこの小説に描かれていることが分かります。

  しかし、日本で行われるピアノコンクールをその最初から最後まで描いた小説が、なぜこれほど面白いのでしょうか。そして、なぜこの小説が恩田陸さん待望の直木賞を受賞し、さらに2度の受賞はないと言われていた二度目の本屋大賞を受賞したのでしょうか。

  もちろん、前回お話しした多彩の登場人物たちの視点をちりばめて、たくさんの個性豊かな登場人物がそれぞれの言葉でコンクールや演奏を語ることが、この小説の大きな魅力となっていることに間違いはありません。それにしても、だれでも親しめるわかりやすい言葉で語られているこの小説。恩田さんがこの作品の中にいかに数々のドラマを練りこんでいるのか、それを語っていきましょう。(以下、かなりのネタばれあり)

  ここまで、この小説の主人公であるコンテスタント4人についてご紹介しましたが、この小説は、それだけでは語れないほど多層的です。前回、高島明石の奥さんの語りを紹介しましたが、この小説ではピアニストの家族や師匠のほかにも大切な語り部が存在しているのです。それは、コンテストの行方を左右する神のような審査員の存在です。

  この小説が面白いのは、小説が一つの謎解きのような構造を持っていることです。

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(文庫「蜜蜂と遠雷」下巻 amazon.co.jp)

【仕掛けられた謎とは?】

  この小説に仕掛けられた最も大きな謎は、16歳のコンテスタント「風間塵」そのものです。彼は、プロローグにも、エピローグにも登場するのですが、彼の存在そのものがこの小説の謎そのものとなっているのです。謎には、それを解き明かす探偵が必要です。この小説では、コンクールの審査員たちが謎を解く探偵としての役割を果たしているのです。

  最近のハリウッド映画では、エンドロールに撮影ユニットのスタッフが数多く紹介されます。例えば、ロケ地によって、ロンドンユニット、ニューヨークユニット、トウキョウユニットなどと撮影班やクリエーターたちがそれぞれ映像を作り上げていきます。それと同様にこの魅力あふれる小説では、審査員ユニットがそれぞれの予選において、小説の謎解きを担っているのです。

  審査員を代表するのは、嵯峨三枝子という国際的な一流ピアニストです。小説の冒頭、「エントリー」の章では、フランスのパリで行われたコンクールのオーディションの光景が描かれます。このオーディションの審査員である三枝子、セルゲイ・スミノフ、アラン・シモンの3人は、若き謎のピアニストを目の当たりにするのです。

  その名は、「ジン・カザマ」。

  三枝子は、エントリーシートでこの名前を見た時、そのエピソードに目を奪われます。そこには、「師事した人」としてユウジ=フォン=ホフマンの名前が記されていたのです。ホフマンは、最近鬼籍に入った世界的なピアニストであり、その演奏はすでに伝説と化していたのです。さらに、そこには推薦状ありと記されています。5歳からホフマンに師事。伝説のホフマンは弟子を取らないことでも有名です。いったい「ジン・カザマ」はどんな演奏を聞かせるのか、その演奏を前に三枝子の鼓動は高まっていきます。

  「ジン・カザマ」は、最後の演奏者。ところが、時間になっても本人は登場してきません。会場が戸惑う中、しばらくすると本人が息せき切って現れます。現れたのは、子供と見違えるような少年でした。その幼い笑顔に驚く三枝子ですが、ピアノの前に座り鍵盤に指を置いた途端、三枝子はその演奏に心をえぐられるような衝撃を覚えたのです。

  オーディションの審査員3人は健啖家であると同時に無類の酒好きで、その審査も保守本流から遠く離れた破天荒な評価をすることで名が知れていました。その3人は、「シン・カザマ」の衝撃的な演奏を聴いた後、伝説のピアニスト、ホフマンの推薦状の内容について語り合います。その内容は・・・。

「皆さんに、カザマ・シンをお贈りする。

 文字通り、彼は『ギフト』である。おそらくは、天から我々への。

 だが、勘違いしてはいけない。試されているのは、彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。彼は劇薬なのだ。仲には彼を嫌悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。

 彼を本物の『ギフト』にするか、それとも『厄災』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。」

  「ジン・カザマ」の弾く、モーツァルト、ベートーヴェンを聴いて三枝子は怒りに身を震わせます。「こんな音楽を私は認めない。」 三枝子は、審査に当たって彼の演奏を0点としますが、他の審査員が満点に近い点をつけたことで、彼はオーディションに合格。本番の芳ケ江国際ピアノコンクールにコンテスタントとして登場することになったのです。

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(浜松国際ピアノコンクール 大ホール actcity.jpより) 

  いったい「ジン・カザマ」とは何者なのか。彼は、コンクールでどんな演奏を聞かせてくれるのか。その謎は、最後まで我々にこの小説を楽しませてくれるのです。

【音楽の魅力を描く】

  素晴らしい語り部は、物語を魅力的にしてくれます。

  恩田さんは、この小説にこれまで培ってきたすべてを注ぎ込んでいます。そのプロットももちろんですが、その中にちりばめられる音楽にかかわる様々なエピソードにも心を奪われます。

  審査員の一人である高名なピアニスト、ナサニエル・シルヴァーバーグは、イギリス人でありながらアメリカのジュリアード音楽院で教授を務めています。彼は、三枝子の元夫であると同時に、コンテスタントであるマサル・カルロス・レヴィ・アナトールの師匠でもあります。彼は、かつて伝説のピアニスト、ホフマンの押しかけの弟子でした。「シン・カザマ」はそのホフマンの弟弟子。しかし、自らの弟子マサルの強力なライバルでもあるのです。彼の存在が、ジンとマサルの対決をさらに盛り上げてくれます。

  また、本選でピアノコンチェルトが演奏される場面では、新東都フィルハーモニー管弦楽団を指揮する小野田昌幸のこんな述懐も披露されます。以前のコンクールでは、4人のコンテスタントが全員ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」をエントリーしたことがあり、4人のコンテスタントに対して同じテンションで演奏をしなければいけないと分かっていても、4回目には緊張感を維持することが大変だったと語ります。コンクールを担当する指揮者は、人知れぬ苦労があるのだ、と思わず同情してしまいました。

  そして、この小説で最も重要な役割を担っているのは、音楽の神様です。音楽の神様は、いったいコンテスタントたちに何をもたらすのか。この小説のテーマは、そこに尽きるのです。そして、小説の題名にもそのテーマが通底しています。「蜜蜂と遠雷」、それは音楽以前の音そのものを表わしているのです。


  音楽が好きな方もそうでない方も、ぜひこの小説で「音楽と人」のすばらしい関係を味わってください。興奮と感動を味わうことができること請け合いです。ただし、夜に読み始めると、必ず徹夜になってしまうのでお気を付けください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年06月29日

恩田陸 音楽の神様は誰とともに?(その1)

こんばんは。

  恩田陸さんは、これまで様々なアプローチで、吉川英治新人賞、日本推理作家協会賞、山本周五郎賞など数々の賞を受賞しています。その恩田さんが2017年、ついに直木賞を受賞しました。その作品は、「蜜蜂と遠雷」。この作品は、直木賞と共に恩田さんとしては2回目の本屋大賞をも受賞しました。いったいどれほど面白い本なのでしょうか。その「蜜蜂と遠雷」がついに文庫で発売されたのです。

  いつも本の話題で盛り上がる本好きの先輩も単行本で読んで、大推薦。ずっと推薦本リストに載っていました。本屋さんで文庫本を見て、すぐに購入したのは当然でした。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

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(文庫「蜜蜂と遠雷 上巻」 amazon.co.jp)

【クラシック音楽の素晴らしさ】

  音楽を文章にすることは難しい。

  クラシックは、再現芸術です。まず、楽譜を書いた作曲家がおり、演奏家はその楽譜に従って自らの解釈や想いをその音に乗せて音楽を奏でます。さらにオーケストラが奏でる音楽の場合には、そこに指揮者による楽譜の解釈が加わることになるのです。そのために、同じ作曲家の音楽でも演奏家や楽団、指揮者によって時には全く別の音楽に変身してしまう場合もあるのです。

  例えば、最も好きなブラームスの交響曲第一番にしても、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルの交響曲全集は知られていますが、イギリス人らしい軽快なブラームスはあまり趣味に合いません。ダニエル・バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団のブラームスは、低音域を響かせようとする解釈が曲の美しさをとどめているところに難があり、先日亡くなった大御所ロリン・マゼール指揮、クリーブランドファイルのブラームスは、華やかに歌い過ぎていて納得できません。

  やっぱり、1959年にカール・ベームがベルリン・フィルを指揮したグラムフォン録音のブラームが最高でした。ブラームスは、ベートーヴェンの交響曲の偉大さにプレッシャーを感じて作曲家として名を成したのちにもなかなか交響曲を書くことができませんでした。若き日に交響曲のために書いたスコアは、ピアノ協奏曲やレクイエムに転用され、第1番が完成したのは構想から21年を経た43歳のときだったのです。そこに込められたベートーヴェンを継承しつつ新たな交響曲を創るとの思いは、粘着質なブラームスの中では、濃淡と起伏にとんだこの第1番にいかんなくあらわされています。

  もう何十年もこのベームの盤を超えるブラームスを聴くことが出来なかったのですが、先日、ついにベームを超えるブラームスを耳にしたのです。それは、ライブで味わったドイツ・カンマーフィルのブラームスでした。指揮者はパーヴォ・ヤルヴ。その解釈は、出だしの荘厳な弦楽器から魂に響くかのような張りと深みを備えた重層音から始まり、その戦慄が唄うような管楽器に見事に引き継がれ、古典とロマンを繰り返しあざやかな音を届けてくれました。音楽に最も心を動かされた瞬間でした。

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(「ヤルヴィ指揮 ブラームス1番」 amazon.co.jp)

  話は横道にそれてしまいましたが、指揮者によってオーケストラが奏でる音がまったく異なるように楽器の場合には演奏家によって曲は全く別の顔を持つようになります。先日、ファジル・サイのベートーヴェン「熱情」を聴きましたが、彼の心の底からわき出るような荒けづりなピアノの音は、ベートーヴェンのスコアを超えて、演奏家の情念を我々に聞かせてくれました。アルゲリッチ、ポリーニ、内田光子、アシュケナージ、ツィマーマンとすべてのピアニストが名ピアニストですが、同じ「熱情」は一つとしてありません。

  一人の演奏者が、作曲家が残した楽譜をどのように解釈、消化して音として表現するのか。それは、その演奏を聴けば分かります。しかし、こうした再現芸術の素晴らしさを言葉や文章で伝えるにはどうしたらよいのでしょう。かつて、文豪トーマス・マンは、「ファウスト博士」を執筆するときに、主人公であるアドリアン・レーヴァーキューンのピアノ演奏を表現するために、音を文章にする訓練を積んだと言います。ノーベル賞作家にして、音楽を文章や言葉に翻訳することは非常に難しい仕事だったのです。

【音楽と人のための小説】

  今回の小説は、国際ピアノコンクールにおけるピアニストたちの闘い?を描いた大作です。そのコンクールは日本国内で最も有名な「芳ケ江国際ピアノコンクール」です。3年に1度芳ケ江市で開催されるコンクールは、そのオーディションが世界各国で行われ、そこで選ばれた90人のピアニストが優勝を勝ち取るために芳ケ江市に集い、その演奏を競うイベントです。恩田さんは、ここに参加する4人の若者たちの活躍を中心に、「エントリー」、「一予選」、「二次予選」、「本選」と4つの章に渡って描いていくのです。

  それにしても、演奏家のタマゴたちが競い合う国際ピアノコンクールを描いた小説が、直木賞や本屋大賞を受賞できるのか。とても不思議です。この作品の執筆量は半端ではありません。文庫本では、上巻454ページ、下巻491ページというボリュームですが、その物語の面白さに一気に読み進んでしまいます。その面白さに読み始めるともう止まらないのです。

  最初に読み始めたときに、思わず表紙を見直して著者の名前を確認してしまいました。著者は、確かに恩田陸さんです。見返してしまったのは、これまで読んだ恩田さんの文章と、全く異なる筆運びだったからです。小説は、ピアノコンクールへの「エントリー」と題された章からはじまります。描かれるのは、16歳の少年です。名前は明かされません。見知らぬ外国の街で、時間に遅れないように急ぐ少年の描写。

  そうです。小説はコンクールに参加する若い音楽家たちを描くことを中心に進行していきます。コンクールの参加者は、一番年上の若者が28歳、最も若いコンテスタント(参加者)は15歳。その世代の闘いが描かれます。そこに審査員や参加者の師匠もからんできます。こうした小説には、それにあった文体が必要です。恩田さんは、これまで築き上げてきた小説作法や文体の中で、この小説のための文章を紡ぎ出したのです。それは、これまでの小説にはない、平易でリズミカルな文章だったのです。

  さらに、恩田さんはこの小説を面白くするために様々な技法を駆使しています。各章にはエピソードごとに小見出しが創られています。その見出しが、また見事に音楽を描く小説らしい見出しとなっています。例えば、「第二次予選」と題された章のエピソード見出しは、「魔法使いの弟子」、「黒鍵のエチュード」、「ロンド・カプリチオーソ」、「音の絵」、「ワルキューレへの騎行」、「月の光」、「虹の向こうに」、「春の祭典」、「鬼火」、「天国と地獄」、と音楽ファンならば、思わずほくそ笑んでしまう題名が続いています。

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(「魔法使いの弟子」のミッキー YouTubeより)

  そして、恩田さんが小説家としてのプロの技を発揮しているのは、その表現です。この小説には、本当に多くの登場人物が登場するのですが、著者は数多くのエピソードを別々の登場人物の視点から描いていくのです。当然、語り部によってその文体も変わっていきます。

  この小説の主人公の一人、高島明石は26歳の会社員です。彼は、ピアニストでもありますが、結婚し子供が出来てある楽器メーカーに就職して日々の仕事に励んでいます。しかし、芳ケ江国際コンクールエントリーの記事を見た時に、これまで抑えてきた音楽への探求心が頭をもたげます。ピアニスト、音楽家としてもう一度だけコンクールに挑戦してみたい。その想いを周囲の人々に打ちあけ、奥さんの協力も得て、芳ケ江国際ピアノコンクールにエントリーしたのです。

  彼を取り巻くエピソードの多彩さに我々は思わず小説世界に引き込まれていきます。彼がピアノの世界へと導かれたのは、世の中の音に俊敏な耳を持つ田舎のおばあさんでした。蚕小屋を営むおばあさんは、蚕の葉をかむ音の中で良質の繭を養蚕していました。家にあったピアノを弾き始めた明石は、ピアノを弾いた時の自分の心の中を見抜くおばあさんの耳の良さに驚きます。そして、明石の音楽への熱意を知ったおばあさんは、貯金をはたいて明石にグランドピアノを買い与えてくれたのです。

  さらに明石を取り巻く人々も描かれます。高校時代の様々なエピソード。明石の高校時代の同級生である雅美は、いまテレビ局で仕事をしています。彼女は、良く知る明石がピアノコンクールにエントリーしたことを知り、取材を申し入れます。その申し出とは、エントリー後、実際にコンクールで競い合う姿をドキュメンタリー番組にしたいので、映像も含めて取材させてほしいと言うものでした。かつての同級生の願いを快く聞き入れた明石。そこから雅美の取材が始まります。

  コンクールに挑む明石の姿は、いくつもの視点から描写されていきます。本人の視点、同級生であり取材者でもある雅美の視点、審査員の視点、明石の奥さんである満智子の視点、そして作者の視点。こうした多彩な視点と多彩な文体が我々をコンクールの世界へと導いてくれるのです。特に心を動かされたのは、満智子の視点です。

  「第一次予選」。明石のエントリーナンバーは22番でした。コンクールの初日は日曜日でしたが、一日16名が演奏するコンクールで、明石の演奏は2日目の月曜日に予定されていました。ところが、数名の辞退者がでたために明石の演奏日は初日に繰り上がったのです。教師をしている妻の満智子は平日には演奏を聴きに来ることができませんが、日曜日であればホールに足を運ぶことができます。コンサートの初日、満智子は息子を実家に預けて会場を訪れます。

  高島明石の第一次予選の演奏曲は、バッハの「平均律クラヴィーヤ第一巻第二番」、ベートーヴェン「ピアノソナタ第三番第一楽章」、ショパン「バラード第二番」の3曲です。会場に時間に追われながら到着した満智子は、久しぶりに夫の音楽家、演奏者としての姿を目の当たりにします。そして、その演奏が始まるやその旋律に乗って、満智子の心に様々な思い出が駆け巡ります。明石との結婚に関して女友達からあびせられた心ない皮肉。眠る時間を削って練習を続け、それでも不安になる夫の姿。子供に本を読んでやるときの優しさのこもった声。様々な思いが音楽によって浮かび上がり思わず涙ぐみます。そして、その演奏が終わった時にある言葉が湧き出てきます。「あたしは音楽家の妻だ。あたしの夫は、音楽家なんだ。」

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(「浜松国際ピアノコンクールCD」タワーレコードHPより)

  我々は、音楽家明石のエピソードに引き込まれ、小説世界の虜になるのです。

【音楽の神様と人間の物語】

  恩田さんは、コンクールに参加する若者たちの中の4人の参加者を主人公にしています。一人は高島明石。その他の3人にも素晴らしいエピソードの数々が用意されています。まず、20歳の女性ピアニスト栄伝亜夜。そして、アメリカのジュリアード音楽院の学生である19歳のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。彼は、日本、ラテン、フランス人の血を引く混血児ですが、眉目秀麗を絵にかいたような長身のイケメンです。そして、今回のコンクールの台風の目になるであろう16歳の少年、風間塵。

  この他にも、なんと初日の1番の札を引いてしまったロシアのピアニスト、アレクセイ・ザカーエフ、マサルと同じくジュリアード音楽院に在籍し、常にマサルをライバルとして見ている超絶パワーの女性ピアニスト、ジェニファ・チャンなど、多彩な登場人物がコンクールを盛り上げていきます。

  上巻では、このコンクールの第二次予選の中盤戦までが描かれますが、音楽の神様は果たしてどのコンテスタント(コンクール挑戦者)に微笑むのか。第二次予選がはじまってからの二日目、音楽の神様が我々の前に出現します。

  本当にこの小説はみごとに音楽の姿を描き出しています。

  本題に入る前に紙面が尽きてしまいました。続きは次回に持ち越しです。

  それでは皆さん元気で、またお会いします。


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2019年06月23日

二人の異才が語る生死(しょうじ)とは?

こんばんは。

  皆さんは、「生死(しょうじ)」という言葉をご存知でしょうか。

  漢字としては当然知っているのですが、「しょうじ」という仏教の言葉としては、全く知りませんでした。今週読んだ対談本は、いきなりこの言葉の説明から始まります。

「生死(しょうじ)の覚悟」

(高村薫 南直哉著 新潮社新書 2019年)

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(新潮新書「生死の覚悟」 amazon.co.jp)

  本屋さんでこの新書を見つけたときに、やっとお二人の対談が上梓されたか、と感激しました。というのも、お二人ともにファンであることもさることながら、以前にブログでご紹介した通り、このお二人の間には不思議な因縁があるからなのです。それは、高村薫氏の上梓した小説に登場する曹洞宗の禅僧が南直哉さんに瓜二つに描かれたことにあります。南直哉さんの禅房内でのあだ名は「ダース・ベーダー」でした。驚いたことに小説の登場する禅僧のあだ名も同じ「ダース・ベーダー」だったのです。

【はじめに言葉ありき】

  高村薫さんは「マークスの山」で直木賞を受賞して以来、合田警部補シリーズを上梓し続けており、その稠密な人物描写と迫力のある情景描写、卓越したプロットはますます冴えわたっています。直哉僧のそっくりさんが登場するのは、シリーズ3作目の「太陽を曳く馬」です。この本が上梓されたのは2009年ですので、そこからがお二人の出会いと言っても良いのかもしれません。この小説が上梓されてから、直哉さんは、あまりにその設定がリアルであったため、禅房内で情報漏えい者の疑いを持たれたそうです。

  対談は、まずその疑いを払しょくするため、その確認から始まります。直哉さんは、失礼ながらと前置きをして重ねて取材の有無を問いただしますが、この小説の設定はすべて高村さんの脳内から想像されたものだと言うことが判明します。直哉さんは、プロの小説家の想像力のすさまじさに脱帽でした。

  南直哉さんは、現在、福井県の霊泉寺住職、青森県の恐山菩提寺院代を務められており、多忙な生活を送られています。氏は、「言葉」を、仏教を考え、伝えるために非常に重要な手段ととらえています。それ故、これまでに自らが考えて考え抜いてきた様々の事を、ときにはエッセイ風にときには論文風に世に問うてきました。

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(福井県 霊泉寺 fuku-e.comより)

  この本には、2011年の初めての対談、2018年の7年ぶりの対談、そして、その間にお二人が執筆した道元禅師に関わる文章と、お二人の書評が掲載されています。

  高村薫さんはもちろん言葉のプロフェッショナルですが、お二人の文章を読んでいると言葉の持つ意味の大きさを改めて思い起こします。「はじめに言葉ありき」とは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」における最初の一言ですが、言葉は神様とともに存在したほど根源的なアイテムです。人間(ホモ・サピエンス)は200万年前に誕生したと言われます。

  類人猿から派生した第3のチンパンジーが我々人類ですが、地球上のすべての生きもののなかで我々が生き残ったのは、我々の祖先がグループ内のコミュニケーションによって協働することを覚えたことによるものだそうです。コミュニケーションは、最初表情や声であったはずですが、それが言葉として通じ合ったときに最強の協働が生み出されたのだと思います。

  言葉は、あらゆるものを共有化する名前であるとともに表現そのものです。それは、人の気持ちを表すこともできれば、環境を共有化することができ、人の姿や美しい風景をも表すことができます。さらに、ものごとの理や哲学、科学までをも深めることができるのです。人類の進歩と調和は言葉によってなされたと言っても過言ではありません。

  この本では、仏教を巡って言葉のプロフェッショナルである高村薫さんと異色の禅僧である南直哉さんが、「死と(表裏一体の)生」について、語り合い、道元と互いの上梓した本を評論するというコラボレーションが実現します。

【言葉はどこまで語れるのか】

  ところで、題名にもなっている「生死(しょうじ)」ですが、この本の中表紙にはこの言葉の定義が記されています。

  「生死(しょうじ)」 生まれることと死ぬこと。また、いのちあるものが生まれることと死を繰り返すこと。(略)仏典においても、生死の連続は苦と捉えられており、さらに、仏教においては、生死の繰り返しは、我々人間の煩悩に起因すると考えられたため、煩悩を滅失することにより、生死の連続からの解放が可能になるとされた。このように生死は、迷いのただなかにある我々自身のあり様を比喩的に表現したものである。生死の超克は苦の終焉であり、それは涅槃と等値となり、仏教の目指すべき目標とされる。(岩波仏教辞典  第二版)

  さすが辞典だけのことはあり、迷いなく説明がなされています。

  最初に掲載されたこの説明とはうらはらに、お二人の語る「生きることと死ぬこと。」と仏教の関わり方は、一筋縄ではいきません。そもそも高村薫さんは、「自分には信心がない。」と言い切ります。曹洞宗の禅僧の前で、いきなりこんなことを語ることにも驚きますが、もっと驚くのは、直哉さんが「私も同じです。」と答える所です。

  読み進むにつれて、この対談の奥深さが見えてきます。

  このお二人は、立場は異なれど、これまでの生き方の中で、常に懐疑と共に生きてきました。その懐疑とは、「なぜ」と問うことです。直哉さんが出家して曹洞宗永平寺の門をたたいたのは、「自分はどうして生まれてきたのか」、「自分とは何なのか」という心からの疑問に行き詰まったことがその理由だと言います。その答えは住職となった今も出ないと言います。

  一方の高村薫さんは、物心ついた時から「信心」が身につかず、人が仏様や神様に両手の平を合わせている姿を見て、その心持を理解することができないので、今でも自分は「信心」のない悪人(宗教的な)であることが常に心に引っかかっていると言います。そんな高村さんにとって「死」をつきつけられたのは阪神淡路大震災でした。あるとき、突然数千人もの命が奪われる大災害。命を失った人、家族を失った人とそうでなかった人を何が分けたのか。

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(小説「太陽を曳く馬」上巻 amazon.co.jp)

  その答えがあるはずのない問を目の前にして、高村さんは仏教に近づいたと言います。

  明治維新以降、日本は近代化による富国強兵を国是としてきました。その中で、脈々と根付いてきた思想は科学的合理主義でした。つまり、すべての事を合理的な行動(実験)や論理的分析によって解明し、真理(またはそこに至る仮設)を言葉で説明するとの考え方でした。高村薫さんは対談の中で、みずから疑問に感じたことを理性で分析・分解して言葉で言い表すことが身についていると語ります。しかし、「信心」やそのきっかけとなる「死」について語る言葉を持てないことに引っかかっていたのです。

  直哉さんもその話を受けて、同意します。

  出家して禅僧になることは、自分にとって「賭け」だったと言います。その意味は意外です。曹洞宗の教えは仏教の基本となるもので、殺生を禁止しています。直哉さんは、出家前に自らの生きる意味を見いだせない、死とは何かが分からないときに最後には自殺という選択肢があった、と語ります。ところが、自殺は殺生となります。つまり、出家して禅僧となることは自殺という選択肢を捨てることになるのです。

  みずからの疑問を根底まで問い続けたときに「生きる」という選択肢しかありえない世界は、直哉さんにとって「賭け」だったわけです。直哉さんが出家したのは1984年ですので、それ以来35年間、その「賭け」は続いているわけです。今のところ、その疑問の答えは言葉として語ることはできないのです。最初の対談の終わりの部分に至って、やっと「生死の覚悟」という題名の必然性が匂ってきたように思えました。

【「生死の覚悟」とは?】

  対談の間に挟まれた断章も2つの対談に結びついていきます。

  まず、曹洞宗の開祖である道元禅師にかかわる話が相互に登場します。私は無調法で、道元の著作である「正法眼蔵」を読んだことがありません。高村薫さんの言によれば、この本は75巻本と12巻本にわかれており、75巻本は難解そのもの、12巻本は分かりやすいと言います。しかし、その難解さはただならぬものがあるようです。

  高村氏曰く、「さてそれでは、どこがどう難題なのかと言えば、まさに無いと言い、有ると言い考えるなと言い、考えろと言い、考えないことを考えろと言う、自己にとらわれない心身のありよう自体を言語化している点である。」、「そもそも『正法眼蔵』は、道元自身が禅定の果てに達した身心脱落の非言語的宇宙そのものに、今度は自覚的に近接し、その全容を言い当てんとする言葉の集まりである。つまり、言語以前・存在以前を言語化し、『空』から諸々の事物を現成させる営みであるが、それにしても、言葉で言い当てられないものを言い当てる言葉とは、実際にはどんな言葉だろうか。」

  東日本大震災の傷跡が人々の心に重くのしかかる中で、高村さんは道元の言葉に思いをはせるのです。そして、それに呼応するように直哉さんの「正法眼蔵」解説が続きます。

  我々が仏教や禅に対していつも疑問に思う「悟り」。いったい「悟る」とはどうゆうことなのか。道元禅師が「正法眼蔵」の中で語る、「悟り」とは何か。直哉さんは、「悟り」を「人の実在」に例えて道元禅師のパラドックスのような文章を読み解いてくれるのです。

  そして、いよいよ2018年のお二人の対談が始まります。この間に高村薫さんは、「空海」という作品と「土の記」という大作を上梓しています。そして、直哉さんは「超越と実存 『無常』をめぐる仏教史」という氏独自の視点から描いた仏教の歴史本を上梓しています。加えていえば、この本は、昨年度の小林秀雄賞を受賞しています。

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(南直哉著「超越と実存」 amazon.co.jp)

  対談の前の断章には、南直哉さんが書いた「空海」の書評が掲載されており、さらに、高村薫さんの「超越と実存」の書評が続いています。これが枕となり、お二人の対談はその著書に対する深堀から始まります。

  後半の対談は、現代社会が抱えている危殆を互いの考えと体験から分析していくことになります。

  お二人は、前半の対談で語られた通り、「生死」への懐疑と「宗教」への懐疑の深さを確認していくことから対話を深めていきます。

  平成最後の年に地下鉄サリン事件など最悪の犯罪人を生み出した宗教集団「オウム真理教で数々の犯罪に手を染めた幹部たちの死刑が執行されました。それは、まるで「オウム真理教事件」を平成とともに幕引きをしてしまおうとするかのような刑の執行でした。お二人は、なぜこのような団体が宗教を語り、なぜ多くの若者たちがその教えに心酔し洗脳されてしまったのか、を解き明かさずに事件を終えてしまったことを痛烈に批判しています。

  令和の時代は、深く物事を問うことを忘れつつあります。人々は、インスタグラムやYou Tubeなどの視覚的な情報への反応に偏重し、文章もツイッターやフェイスブック、ラインなどの短絡的な短いセンテンスが世界中を席巻しています。すべてが瞬間芸や一発芸のような世界の中で、物事を深く問い、考察することが薄れてきたことに間違いありません。

  お二人の対談は、「生死」や「宗教」を語りながら、こうした社会に警鐘を鳴らしています。今、児童虐待やいじめ、衝動に任せた無差別殺傷事件など、自らに理由を深く問うこともなく発生する事件が多発しています。この本は、人はなぜ生きるのかを問うとともに、現代に欠けている何かをみごとに語ってくれます。

  皆さん、ぜひお読みください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

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2019年06月18日

長岡弘樹 警察学校は過酷な世界!?

こんばんは。

  皆さんは電車で手持無沙汰のときにどうしていますか。

  今やスマホをいじっている人が圧倒的に多く、情報系の検索、ゲーム、テレビドラマの視聴、音楽鑑賞とあらゆるものをスマホで楽しんでいます。最近は、スマホでマンガを読んだり、本を読んだりしている人も珍しくなくなりました。都心の鉄道では、ドアのうえに液晶画面が備えられており、ニュースや気象情報、広告など様々な動画が乗客を楽しませてくれます。

  それと同時にひまつぶしになるのが、車内広告です。

  社内に吊られている広告は満員電車の中でも良く見えますし、毎朝人に押しつぶされながらもドアの窓に張られている広告には目が行ってしまいます。マンションなどの不動産、商業施設やお店のバーゲン情報、週刊誌の中刷り広告が多いようですが、ときどき変わった広告を見ることもあります。そうした中で、本の広告も見受けられます。本の広告は、大手の出版社よりも話題の実用書などを出版している個性的な版元の方が多いようです。

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(週刊文春 中吊広告 syukanbunsyun.jp)

  もう6年ほど前になりますが、JR東日本の京浜東北線に小学館が広告を出していたことに気づきました。広告は、車両端の座席(優先席になっていることが多い)のわきの壁に透明なプラスチックケースに入って掲載されていました。そこには、紺色の色彩の中を歩くバックを下げた男が描かれた本が掲載されていました。本の題名は「教場」。著者は、長岡弘樹と書かれています。「異色の警察小説」、「ベストセラー」、「週刊文春ミステリーベスト10 第1位」との文字が躍っています。どうやら警察学校を舞台としたミステリーのようでしたが、その怪しいイメージが気になって、いつか読んでみたいと思ったのです。

  それからは、通勤電車で見るたびに気になって、本屋めぐりのときにも平置き棚に積まれた「教場」がいつも気になっていましたが、まずは文庫になるまで我慢しようと素通りしていました。そして、2015年にはついに文庫化がなされます。はじめて文庫本を見てから本屋さんに行くたびに手に取っていたのですが、いつも優先したい本があって、ついつい日延べしてきたのです。

  そして、今週、ついに読みました。

「教場」(長岡弘樹著 小学館文庫 2015年)

【小説の舞台は警察学校】

  まず、「教場」とは何か。それは、普通の学校でいえばクラスの事を意味します。1組、2組などのあのクラスのことです。「教場」とは警察学校におけるクラスの名称。例えば、この小説には植松という教官が登場しますが、彼が担任を務めるクラスは、植松教場と呼ばれるのです。

  警察学校というと、まるで公立の高校や大学のように聞こえますが、誰もが入れるわけではありません。この学校の生徒は、警察官の採用試験に合格した人間です。彼らは、この学校で警察官として必要な技能や知識、法律などを半年間に渡り身に着けて警察官としてデビューするのです。学校であるからには、入学して卒業するわけですが、この小説で描かれるのは、警察官になるための厳しい教練の場です。

  舞台も警察小説と言ってもきわめて斬新な場所であり、人間を描くにも多様な人生、そして人間関係が渦巻いています。ミステリーと言えば謎解きのワンダーが肝になりますが、この舞台ではあらゆるところに謎を創りだすことが可能です。しかも警察学校は閉鎖的な空間であることが一層の効果を引き立てます。

  この小説は、短編連作の形を取っています。

目次を追うと

1話 職質、第2話 牢問、第3話 蟻穴

4話 調達、第5話 遺物、第6話 背水

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(文庫版「教場」 amazon.co.jp)

  小説の奥深さは作者によって周到に用意されています。まず、登場人物の背景が多種多様。警察学校の生徒は、警察官登用試験に合格した人間です。つまり、そこには様々な職業を経験した人物が集まっているのです。元学校の教諭、元インテリアデザイナー、元ボクサー、などこれぞれが個性にあふれています。そして、学校は寄宿舎となっており、携帯電話や免許書は日常生活の中で取り上げられて、所持することは許されません。また、外出も許されておらず、課題宿題が常に課されています。

  こうした環境で様々な謎が提示され、ワンダーが醸し出されるのです。

  そして、各話に共通する人物がいます。それがこの教場を担任する風間公親です。白髪で義眼を入れたような目つき、温厚でありながら絶対的な迫力を持つ警務官です。実は、2020年の初めにこの小説はフジテレビでテレビドラマとして放映されるとのことです。各話で謎解き役を担う風間を演じるのは、あのキムタク(木村拓哉)だそうです。原作からはイメージがわきませんが、どんなドラマになるのか、楽しみです。

【一味違ったミステリー】

  このミステリーは設定自体も変わっていますが、その語り方もまた一味違います。

  著者の長岡さんは、著作のインタビューで自らのスタイルを「書きすぎない」ことと語っています。というのは、あまり説明はしないということです。廊下を歩いている時に後ろに人の気配がしたとします。後ろにいるのは誰なのか。作者は当然誰かを知っているので語ろうと思えば語れるわけですが、あえて語りません。さらに、振り向けばそれが誰なのかはすぐに分かるわけですが、この著者はなかなか振り向かせないのです。

  この小説では、ミステリーらしく、心理的な圧迫や物理的な暴力がところどころに描かれます。

  担任の風間公親は温厚で暴力を振るいませんが、副担任である須賀は武道専任教官であり、柔道6段という猛者です。警察学校にはさまざまな規則があり、課題も多いので罰則は枚挙にいとまがありません。校庭10周の駆け足や腕立て伏せなどは、日常茶飯事です。例えば、4歩以上の距離を移動するときに生徒は必ず駆け足をすることが義務付けられています。須賀は、その違反者を見つけると柔道場に呼び出して、何本も投げ技を懸けて生徒をあざだらけにしてしまいます。

  第1話で宮坂定は毎日の授業で味方になっていた同級生に恨まれて、自殺の道連れに命を失う恐怖にさらされます。また、第2話で元インテリアコーディネーターの楠本しのぶは、駐車場施設に呼び出されて設備の間に足を挟まれ、骨を折られてしまいます。しかし、長岡さんはその結果、最後に彼らがどうなったのかを描きません。

  我々は、「エッ、いったいどうなったんだ。」と戸惑いを覚えます。

  そこが作者の狙いです。短編連作の面白さを創るために長岡さんはわざと謎を残して短編を終了します。短編は、それぞれ1話完結なのですが、この小説では同じ学校、同じ教場での出来事が連なっていますので、次の話を読んでいくと前話で残された謎が、さりげなく語られていくことになるのです。しかし、風間教官にまつわる謎はどこまでも続いていきます。

  さらに作者は風間教場の生徒たちに様々な恐怖を語らせます。

  特に象徴的なのは、第1章で語られる問答です。風間教官が宮坂に対して、「警察学校とはどんなところだと思うか」と問いかけます。その答えは「篩(ふるい)」。つまり、警察学校とは、警官になるための厳しい課題に耐えられない人間を振るい落とすために存在する、ということです。確かに第1章では、41人いた第98期入学者は、5月の時点ですでに37名になっていることが語られているのです。

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(警視庁警察学校 wikipediaより)

【エンタメとリアリティの間】

  警察と諜報機関。そこに求められる技術と能力は似たものがあります。もちろん、警察官にずば抜けた語学力や変装能力は求められませんが、職務質問や追跡術、射撃術などは警察官にも必要な技術となります。柳広司氏の小説「ジョーカーゲーム」に描かれる陸軍中野学校の様子と相通ずるものがあるのかもしれません。

  この小説に登場するのは、職務質問、取り調べ技術、交番勤務、水難救助、パトカーの運転技術、射撃技術など警察官が持つプロの技術がさりげなく書き込まれています。

  例えば、警察官が街で不審な人物をみつけたときの職務質問。「すみません、ちょっといいですか。」と話しかけてから、相手の名前を聞き出し、その間にも相手からの攻撃を未然に防ぐような職務質問のテクニック。なるほどと読んでいると、前提として警察官の姿を不意に見せるなど、驚かせて最初の相手の反応を的確にとらえることが最も重要だ、との奥深い話も語られています。

  交通機動隊の所属する神林警部補が登場するパトカーの運転技術講習会でのエピソードもワンダーです。そのパトカーには覚せい剤が隠されているとの設定で、覚せい剤の在りかを探すことが課題として課せられます。意外なほど簡単なところに隠されている、との教官のヒントから、ありとあらゆる場所を探しますが、覚せい剤はみつかりません。果たしてどこに隠されているのか、その答えは本書で確かめてください。

  小説はフィクションではありますが、こうしたリテイルの描写が小説に臨場感や迫力を醸し出します。

  第4章には、風間教場の生徒の中で調達屋が登場します。閉鎖社会の中で、本来手に入らないものを調達する男。この話を読んで思い出したのは、戦争映画の傑作「大脱走」です。

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(映画「大脱走」1963年 ポスター)

  第二次世界大戦下のドイツ。ドイツは連合国軍の捕虜が各地で脱走を企てることに手を焼き、脱走常習者を一所に集めて鉄壁の監視体制を引くことにしました。スタラグ・ルフト北捕虜収容所。しかし、「敵後方のかく乱」を職務とする連合軍の捕虜たちは、前代未聞250名の脱走計画を企て、収容所を脱走するのです。

  この映画は、史実をもとにした映画で、その登場人物たちに当時のスターを振り分けて、その練りに練った脚本で大ヒットを記録しました。スティーブ・マックィーン、ジェームス・ガーナー、チャールス・ブロンソン、ジェームス・コバーン、デビッド・マッカラムなど、それぞれが大活躍した見事な作品でした。

  収容所の脱走計画は、収容所内から3本のトンネルを掘り、250名を脱走させるものでしたが、脱走後に全員が国境を超えるためには周到な準備が必要です。まず、脱出後に着る衣服、偽造の身分証明書、さらに近隣の詳細な地図、完ぺきなドイツ語。そうした綿密な脱走計画の中で、必要な物資の調達を担ったのは仕入れや屋と呼ばれるアンソニー・ヘンドリー(ジェームス・ガーナー)だったのです。

  ダバコから始まり、様々な衣服となる生地からトンネルを掘るために必要なフイゴなどの道具の材料に至るまで、あらゆるものを調達します。そこには、詐欺師まがいのコミュニケーションテクニックと駆け引きが必要です。偽造身分証明書作成のために人の良いドイツ軍の看守を自室に誘い込み、身分証の入った財布をみごとに手に入れる場面では、思わず喝さいを送りました。

  この小説に出てくる調達屋は、映画と違い「調達」と引き換えに恫喝のような行為を続けますが、最後にはそれによって墓穴を掘ることになります。


  この小説は、謎の教官風間公親による教育小説と見られたり、生徒たちの成長を物語る学園小説、などとも呼ばれているようですが、基本的にはこれまでになかったユニークなミステリー小説です。警察学校を描くという意味でもこれまでなかったワンダーを味わうことができます。警察小説に興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。その怖さも含めて楽しめること間違いなしです。

  豪雨と暑さが交互に襲ってきます。災害対策と体調管理にはくれぐれもお気づかい下さい。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年06月13日

堺屋太一 「楽しい日本」を創造する

こんばんは。

  堺屋太一さんが亡くなったとの報を受けたときに、我々は時代を照らす光を失った、との思いに打たれました。

  昨年、2025年の大阪万博の開催が決まりましたが、1970年の大阪万博では、当時通産省の官僚であった堺屋氏がプロデューサーの役割を務め、みごとに大成功を収めました。その後、1975年、官僚時代にエネルギー問題を中心に据えた小説「油断」で作家デビュー。さらに近未来小説「団塊の世代」を上梓し、日本のすべてを左右する、団塊の人口分布による未来予測を小説とし、日本の行く末に警鐘を鳴らしたのです。今や団塊の世代は年金世代となり、日本の財政経済に大きな影響力を発揮しています。

  1985年に上梓された「知価革命」は、第三次産業の次に来る価値観を予言した書として当時大ベストセラーとなり、多くの識者の目を開きました。私もこの本によって堺屋フリークになりました。さらに2004年(平成16年)には平成時代の未来を予測した「平成三十年」を上梓するなど、常に日本を見通す小説を上梓し続けました。

  また、現在の経済目線で書かれた歴史小説「峠の群像」は、日本の年末の風物詩「忠臣蔵」を経済的な側面から描き出し、歴史に新たな光を当てることになりました。この小説は、1982年、NHKの大河ドラマとなり、日本の忠臣蔵に新たなページを加えたのです。また、1996年には、氏の「豊臣秀長-ある補佐役の生涯」、「鬼と人〜信長と光秀〜」、「秀吉 夢を超えた男」の3部作を原作とした「秀吉」が大河ドラマとなり、堺屋さんの名前はすっかり有名になりました。

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(歴史小説「峠の群像」 amazon.co.jp)

  個人的には、関ヶ原の合戦を描いた「大いなる企て」が一押しです。この小説は、成り上がった小大名でありながら、秀吉の懐刀として活躍した石田三成が主人公ですが、彼がプロジェクトリーダーとして如何に徳川家康を向こうに回して、関ヶ原の戦いを構築したのかを描いています。それは、様々な博覧会、とくに大阪万博を成功させた堺屋さんならではのプロジェクト成功ノウハウが詰まったみごとな歴史小説でした。

  堺屋さんは、小渕内閣で民間登用として3代に渡り経済企画庁長官を務め、現在でも続いている市井の人々に景気の状態をインタビューする「景気ウォッチャー調査」を導入しました。このブログでも紹介した「世界を創った男 チンギス・ハン」は、堺屋歴史小説の集大成で、世界の半分を支配する体制を築いたチンギス・ハンの生涯を描いた渾身の小説でした。

  今年の2月、氏の訃報に接したときに一瞬にこうした記憶がかけめぐり、寂しさが心に染み入りました。1月には梅原猛さんが93才で亡くなり、今回、改めて人の寿命には限りがある事を感じました。世代が変わる中で、こうした先人たちが書き残した様々な知恵を次の世代が引き継いでいくことが必要ですね。

  今週は、本屋さんで見つけた堺屋太一さんの最後の著作を読んでいました。

「三度目の日本 幕末、敗戦、平成を越えて」

(堺屋太一著 祥伝社新書 2019年)

【堺屋太一が残した日本への警鐘】

  堺屋太一さんは、小説という手法で近未来の日本に起きる危険な兆候を提示してきました。また、同時に日本がたどってきた近世以降の歴史をひも解き、現在の視点で分析することによって近未来を予測し、日本に数々の提言を行う書も上梓しています。後者の代表的な著作が「知価革命」でした。

  この書は、これまで我々が経験してきた産業革命・近代工業化の過程を分析し、これから来る時代は「知価」による産業革命が起きる、と語ったのです。このときの日本の経済発展史への分析は氏のその後の著作の基本となっています。そして、最後の提言となった本作にもその分析は存分に生かされています。

 まずは、今回の本の目次です。

はじめに

1章「二度目の日本」は、こうして行き詰まった

―私たちは今、ここにいる

2章第一の敗戦

―「天下泰平」の江戸時代から「明治」へ

3章富国強兵と殖産興業が正義だった

―「一度目の日本」の誕生と終幕

4章敗戦と経済成長と官僚主導

―「二度目の日本」の支配構造を解剖する

5章「三度目の日本」を創ろう

―二〇二〇年代の危機を乗り越えるために

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(最後の著作「三度目の日本」amazon.co.jp)

  この本で、堺屋さんは近代日本は今日までに二度の敗戦を経験し、間近には三度目の敗戦が迫っていると警鐘を鳴らします。ここでいう「敗戦」とは、「一国の国民または住民集団が、それまで信じてきた美意識と倫理観が否定されること」と氏は定義します。つまり、「敗戦」とはそれまで信じていた価値観が大転換を迎えることを指すのです。そして、日本にとっての三度目の「敗戦」は、東京オリンピックの後の景気の大きな減速によってもたらされる、と予測します。

  2020年、目の前に迫っている価値観の大転換とは、具体的に何を示すのでしょうか。

  それは、第二の日本を形作ってきた価値観が通用しなくなることとイコールです。堺屋さんは最後の提言を我々の今の価値観がどのように創られてきたのかをひも解くことから始めます。

  1970年に開催された大阪万博では、そのテーマ「人類の進歩と調和」が思い出されます。そのとき私は小学校6年生で東京に住んでいたため、万博に行くことはできませんでしたが、岡本太郎氏の太陽の塔に象徴される、盛大なお祭りのことは良く覚えています。万博(EXPO70)には、その開期180日間に、6420万人以上の人々が来場しました。一日平均35万人もの人が会場に訪れたこととなり、その盛況ぶりには驚くばかりです。ちなみにディズニーランドとディズニーシーの一日の入場者数は平均8万人と言いますので、その盛況ぶりが良くわかります。

  堺屋さんは、この日本万国博覧会の仕掛け人であり実質的なプロジェクトリーダーでした。第二の日本の価値観(美意識と倫理観)はこの万国博覧会をキッカケに日本の隅々までいきわたったのです。この本の第1章は、日本万国博覧会からはじまります。それは、当時の価値観の中心であった「規格大量生産時代」の始まりだったのです。

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(EXPO70の象徴「太陽の塔」kano-cd.jp)

【日本は「豊かさ」を実現したが、】

  元官僚の堺屋さんですが、「知価革命」も含めて日本の官僚の功罪については手厳しく批判を重ねています。第1章では、工業社会の実現にむけて日本の官僚がいかにヴィジョンをたて、その基本方針を組立てて日本に敷衍させていったが語られていきます。

  今の日本は、「平和に、豊かに、安全に」暮らせる天国だ、と堺屋氏は語ります。そして、ここに至るまでの昭和、平成のプロセスを分析します。それは、終戦によって「一億玉砕」から「平和国家、民主国家」へと価値観が一変した日本がどのように第二の日本を創ってきたかとの歴史になります。堺屋氏ももともと通産省の官僚ですが、昭和の時代、官僚の会話は変化した、と言います。

  マッカーサー率いるGHQの占領統治のもとで、日本は価値観の変換によってあらゆる場面で判断を求められました。「民主主義」への変換のための教育、企業統治、戦犯の取り扱い、独立、朝鮮戦争への立ち位置、GNPの拡大。日本のかじ取りのための決断は官僚では下すことができません。こうした時代、官僚の会話は、「俺はすぐに官邸に行ける。」、「官邸の秘書官と知り合いだ。」など官邸との近さを自慢する話題がほとんどだったと振り返ります。

  しかし、高度成長経済への方向性がハッキリし、田中角栄首相の「日本列島改造論」の頃には官僚たちが交わす会話の内容は変わっていったと言います。それは、「大臣の意見はそれとして、本当のところどうする?」、などという会話が交わされて、日本の政策は我々が決めるのだ、との自負が当たり前のようになったことを意味していました。

  つまり、官僚主導の政策が日本の方向を決めていたのです。堺屋さんは第1章で、日本の官僚が推進してきた5つの基本方針を紹介します。それは、「東京一極集中」、「流通の無言化」、「小住宅持ち家主義」、「職場単属人間の徹底」、「全日本人の人生の規格化」です。

  この本の第1章は、日本の優秀な官僚たちが日本経済を発展させて如何に規格化された「豊かさや安全」を作り上げてきたかが語られています。例えば、「流通の無言化」とはどのような政策だったのでしょうか。工業化社会の一つの目標は商品の「規格大量生産」です。そのためには、生産=供給のみならず、消費も大量規格化しなければなりません。官僚の発想として、消費が大量規格化されていない状況は「第三次産業の生産性が低い」と語られます。

  「生産性が低い」とは何かというと、消費の現場で商品が売れていくスピードが遅いということです。それは、買い物に行った主婦が店員とおしゃべりをしてなかなか消費が進まない状況をさしています。そこで、官僚が行ったのは、大量消費型の流通=世間話なしで商品が売れていく無言の流通を実現することだったのです。つまり、スーパーマーケットの普及です。スーパーでの買い物は、商品を選んでカゴに入れ、レジに並んで精算します。この間、店員とお客さまの間で世間話が交わされることはなく、効率的に消費が進んでいきます。

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(規格消費スーパーマーケット wikipediaより)

  堺屋さんの筆は、高度成長期以降、どのようにして官僚が主導権を握り、「大量規格型工業化社会」を実現してきたかを語っていきます。企業に関して言えば、東京一極集中を実現するために、各業界の団体について東京に本部を置くことを義務付けるなどの政策を規制によってすすめてきた事実には驚かされます。そうした政策の積み重ねは、令和となった日本に様々な弊害をもたらしました。

  安定成長・低成長の時代、こうした官僚の発想は害悪と化します。「東京一極集中」によって、地方都市はことごとく人口減少に見舞われ画一化されてしまいました。「流通の無言化」によって地域の商店街はシャッター通りと化し、無人化が進みました。日本には、「小住宅」があふれ核家族化が進み「人の知恵」は継承されなくなります。少子化はこの政策がもたらした副作用です。職場単属人間が世の中に蔓延して、家庭を顧みない仕事人間ばかりが世間を闊歩しています。さらに人の人生までもが規格化されて、人は決められた道を歩むことを是とするように変わりました。

  我々は今や行き詰ってしまった第二の日本を変えて、楽しい未来を目指す第三の日本を創造する必要があるのです。堺屋さんはそれを語るためにこの本を上梓しました。

  平和による静かなる社会が200年以上も続いた江戸期の日本は、外国からの圧力によって新たな時代を知り、明治維新によって一度目の価値観の転換を迎えました。第2章と第3章で、堺屋さんは第一の価値観の大転換(敗戦)とその後に起きた第一の日本の発展を語ります。そして、太平洋戦争での第二の敗戦。そこから復活してきた第二の日本も第4章で語られるように第三の価値観の大転換を求められています。


  この本の第5章では、今や帰らぬ人となった堺屋太一さんが三番目の日本で指針とすべき価値観を語っていきます。そこはこれまで官僚たちが創ってきた数々の規制を打ち壊し、日本人一人一人が人生を生き生きと楽しんで生きることが必要な価値観なのだ、と語るのです。

  堺屋太一さんの著作は、これまで我々の目を大きく啓いてくれました。氏の遺言となった本作品ですが、最後の提言はタイムアップとなってしまったようです。しかし、その予見はこれまでにも増して鋭いものとなっています。果たして日本は「地獄」を見ることになるのか。

  その後をつないでいくのは、今を生きる我々の使命となります。皆さんもこの本を読んで、これからの生き方を考えてみてはいかがでしょうか。日本の未来を見ることができるかもしれません。

  改めて堺屋太一さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

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