2019年01月19日

米中朝から始まるインテリジェンス

こんばんは。

  トランプ大統領がアメリカファーストを標榜して登場して以来、国際社会のパラダイムが地殻変動のように揺れ動いています。

  その影響はあらゆる事象に波及していますが、最も深刻なのは二酸化炭素の排出量増加です。この地球温暖化に対しては、1994年に締結された気候変動枠組条約に基ずいて、これまで21回の気候変動枠組条約締結国会議が開催されてきました。この会議は、COPと呼ばれ、2015年にパリで開催されたCOP2121回目のCOP)において、パリ協定が採択されたのです。

  これまで、この会議では過去にCO2を排出し続けてきた先進国が削減目標を明確にして取り組む姿勢を明確にしてきたのに対して、開発途上国はこれからCO2を排出して発展していくために、削減目標に難色を示し、なかなか削減の目標が同意されませんでした。しかし、パリ協定では、これまで合意してこなかった中国とアメリカがこの協定に合意し、その結果すべての条約国が世界で初めて協定に合意したのです。それは、この条約にとってまさに画期的な事でした。

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(パリ協定締結を喜ぶCOP21 mainichi.com)

  その削減目標は、それぞれの国の事情により異なりますが、すべての国が2030年までにCO2を含む温室効果ガスの排出量の削減目標を定めることに合意し、協定とされたのです。この協定の目的は、産業革命以降の地球の気温上昇を2度未満に抑え、1.5度未満とすることをめざすこととされています。

  地球の平均気温の上昇は、そこに生きる生命にとって危機的な影響を与えます。温暖化により南極や北極、さらには標高の高い地域の氷が大量に溶け出して海水のレベルが上昇します。さらに海水温度の上昇により洪水やハリケーンの異常発生が起こります。さらには、農作物や酪農による生産が大きく毀損され、大きな食糧危機が発生します。当然、世界中の生態系に変化が起きることから食物連鎖に変動が起きて、我々人類が存続できなくなる可能性が高くなります。

  ちなみに世界自然保護基金(WWF)によれば、1度以上上昇した場合の影響を「サンゴ礁や北極の海氷などのシステムに高いリスクがあり、マラリアなど熱帯の感染症の拡大」と表しています。さらに2度に上がると、「作物の生産高が地域的に減少する。」としています。貧富の差が大きな国やGDPが小さな国では紛争がますます多発し、人々が悲惨な状況にさらされることになるのです。

  パリ協定は、決して万全な合意とは言えませんが、世界中の国々が地球の危機認識を共有し2030年までに努力していくことを確認し合う、という意味で画期的な枠組みなのです。

  ところが、201761日、あろうことかトランプ大統領はアメリカの利益にならないことを理由にパリ協定からの離脱を宣言したのです。トランプ大統領は、温室ガス削減の目標を守るためにアメリカは2040年までに3兆ドルの損失を蒙り、650万人の労働者が雇用を失う、と演説しました。さらには、協定に対して「中国、ロシア、インドはこの協定に何も貢献しないのに、アメリカが何十億ドルも払うのは不公平だ、」とも語っています。

  世界の首脳は、この脱退をのきなみ非難しています。

  極端な言い方をすれば、自国ファーストとは自国の短期的な繁栄と選挙での勝利のためには、地球が滅びても構わない、との意見表明に他ならないのです。

  こうした目の前の利益・わがまま戦略は、貿易赤字に対する対応にも存分に表れています。そのターゲットとして生贄となったのは中国でした。先日発表された2018年度の中国対アメリカの貿易黒字は史上最高となる3,233億ドルです。対前年比で117.2%にもなるとのことで、この発表により一時凍結されている中国製品に対する関税率のアップは再び注目を浴びそうです。

  トランプ大統領は、明らかに国際社会のステイタスとして中国をアメリカのライバルとして意識しているようです。関税戦争はその最たるものですが、東シナ海の領海権の問題やデジタル通信技術による世界の席巻に対してアメリカの優位を継続させようと様々な手を打っています。先日、カナダ国内で世界一の携帯技術を持つファーウェイの最高財務責任者(CFO)の逮捕はその現実を世界に知らしめました。

  米国の要請に従い逮捕に踏み切ったカナダは、中国からの報復に晒されています。中国は、自国に滞在するカナダ人を13人も逮捕。さらには、麻薬の密輸により懲役15年の刑を言い渡されたカナダ人に対し裁判のやり直しを行い、死刑判決を言い渡したのです。これだけ露骨な報復も驚きですが、中国はアメリカ相手にどの分野においても1歩も引かない構えを見せています。貿易戦争に対しては、国際社会の場で反保護主義の旗振り役を務めているように見えますが、トランプ以前には考えられなかった光景が繰り広げられています。

  今週は、こうした日米衝突の情勢をインテリジェンスによって語る対談本を読んでいました。

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(新書「米中衝突」 amazon.co.jp)

「米中衝突 危機の日米同盟と朝鮮半島」

(手嶋龍一 佐藤優著 中公新書ラクレ 2018年)

【米朝関係が日本にもたらすもの】

  お二人の対談は、昨年、同じ中公新書ラクレから「独裁の宴」と題された対談が上梓されたばかりでした。しかし、前回の対談の後に米朝関係は劇的な展開を見せたのです。それは、2018年の2月に開催された韓国のピョンチャンオリンピックから始まりました。もともと韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は金大中大統領のもとで太陽政策を推進していた腹心でした。当時から北朝鮮融和派であり、北朝鮮にも融和へのサインを送り続けていました。

  北朝鮮の金正恩委員長は、2017年には中距離核ミサイルの開発に国を挙げて取り組み、核実験を積み重ねるわ、ミサイルの発射実験を続けるわ、アメリカを標的とした核開発をあからさまに進めてきました。それが、ピョンチャンオリンピックを境として、一転、核兵器の放棄をちらつかせて、トランプ大統領との直接会談に意欲を見せたのです。さらに驚くことに金委員長をののしっていたトランプ大統領も、一転直接会談に前向きに応じたのです。

  金委員長とトランプ大統領の豹変ぶりに全世界が唖然としました。

  その結果、韓国の文大統領は北朝鮮との対話の道を切り開いたことで国民の支持を広げ、さらにはトランプ大統領との仲介役としてそのプレゼンスを大いに高めました。もちろん、金委員長はしたたかで、アメリカとの交渉が進むとみれば、節目、節目に中国を訪問して習金平主席と対談を重ねて中国の後ろ盾を賢明にも強めています。傍から見ると、東アジアの外交政策でイニシアチブを取っているのはまるで金委員長であるがごとく錯覚してしまいそうです。

  日本はこの急展開の中で、拉致問題という大きな課題を抱えながら打つ手もなく立ち尽くしているように見えるのは私だけでしょうか。

  今回の対談は、前作でこの急展開の可能性に言及していたお二人の見立てが実現したことを受けて、この急展開後の東アジアについて、インテリジェンスを駆使して語った最新刊となります。

さて、まずは目次を見てみましょう。

第1章「北朝鮮」が炙り出す日本のインテリジェンス

第2章OSを共有する米朝トップが「歴史的合意」を演出した

第3章韓国を取り込み、アメリカを拘束した―米朝「共同宣言」を読み解く

第4章日本の援助などいらない!?北朝鮮が狙うカネとカジノ

第5章夕景の北朝鮮 そしてグレートゲームの日は昇る

第6章38度線が崩れ日本は米中衝突の最前線になる

第7章戦略なきトランプ 日本に「カード」はあるのか

  最初に本の表題を見たときに、この対談のねらいは貿易戦争で対立する米中の今とこれからを語っているのかと思いました。しかし、読み進むと、基本的な内容は急変する東アジアにおいて、北朝鮮と米国の関係の変化が日本にどのような影響をもたらすのか、を分析しており、日本の留意すべき点を指摘する、とのスタンスに貫かれています。

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(シンガポールでの米朝首脳の握手 asahi.com)

  まず、その前提として語られているのは北朝鮮と韓国が融和して、38度線が氷解した時に、日本の地政学的な位置づけが大きく変化する、との見立てです。これまで、朝鮮半島は朝鮮戦争によって南北に分断され、アメリカが冷戦時に設定した東西世界の境界が38度線に暫定されたとの歴史を持っていました。事実、朝鮮戦争はまだ停戦状態で絵秘話条約は締結されていない状況です。つまり、朝鮮戦争は終了しておらず、今もまだ戦争状態が継続しているのです。

  北朝鮮が、アメリカに平和条約の締結を望んでいるのは、戦争が続いている限り、北朝鮮の存在は保障されておらず、戦争を終結させることにより、北朝鮮の国体が歴史的に保障されることになるからなのです。そして、平和条約が締結され、韓国と北朝鮮の融和が進めば、東アジアの地政学は大きく変化すると言うのです。

【日本に必要なインテリジェンス】

  東アジア情勢の急展開に対して日本がどのようなスタンスを持っているのか、安倍総理大臣の発言を聴いても、菅官房長官の会見を聴いても、河野外務大臣の発言を聞いても、まったく理解することができません。トランプ大統領が就任した時に、真っ先にトランプラワーでゴルフクラブを手渡した安倍さんの迅速な対応は大いに評価を高めましたが、アメリカは日本の顔は立ててくれても自国の利益を優先して日本のために動くほどお人よしではありません。

  安部総理は、米朝の首脳会談を受けて北朝鮮との直接対話によって、拉致問題の解決に道筋をつけたいと発言していますが、今のところこの打診に北朝鮮が答えるそぶりは見せていません。それどころか、北朝鮮は中国との関係を強化し、韓国は北朝鮮との仲介役としてアメリカとの絆をこれまでになく強めています。そこに日本外交が入り込む隙はないのです。

  近年、韓国は過去の徴用工問題で最高裁判所が賠償判決を出し、被告側の日本企業の資産凍結までも命令しています。さらに日本の自衛隊の戦闘機に対してレーダーを照射した事件に関しても開き直りともいえる強硬な姿勢を貫いています。これは、韓国政府が北朝鮮との融和やアメリカとの関係強化を優先し、日本との関係を軽んじている態度としか思えません。

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(板門店の国境を渡る南北首脳 sankei.com)

  お二人の対談では、こうした東アジアの状況を、インテリジェンスを駆使して分析します。

  ネタバレとなりますが、その面白さの一端をご紹介します。

  今回の米朝首脳会談に関して、第二章では人知れぬ事実が佐藤氏の口から語られます。トランプ大統領がアメリカの保守層、特に労働者層に絶大な支持を得ていることは有名ですが、キリスト教徒の中では、プロテスタントのプレスビテリアン(長老派)が強力なトランプ支持者なのです。さすが宗教学の権威佐藤さんは、トランプ大統領の思考はまさに長老派であることを語ります。

  長老派の教えは、神様は救われる人と滅びる人を生まれる前から決めている予定説というもので、長老派の人間は自分たちを「選ばれし人」と考えている、というのです。トランプ大統領も長老派ですから、彼も、自分はどんな試練にも耐え抜くことができるし、耐え抜いて成功させる歴史的使命がるのだ、との固い信念を持っているのです。

  ここで、驚くべき事実が語られます。実は、金正恩委員長の思想にも同じプレスピテリアンの教えが流れている、というのです。だから、トランプと金正恩は相思相愛?いったいどういうことなのか。その答えはぜひこの対談本で味わってください。2月末には第2回の米朝首脳会談が行われると発表されましたが、二人の親密さのわけがよくわかります。


  この対談には、日本のマスコミや我々が見逃している東アジアのインテリジェンスがすべての章で語られています。韓国は、現在は大洋国家としての振る舞いをせざるを得ない状況ですが、北朝鮮と融和が進めば韓国は大陸国家としての思想を復活させると言います。そのときには、日本は海洋国家として、いきなり大陸の国々からの脅威にさらされることとなる。その心は?

  皆さんもこの対談で、日本の置かれた危機的状況を知ってください。明日への知恵を生み出すことの重大さに気づくはずです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 22:36| 東京 ☀| Comment(0) | 評論(対談) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月13日

真山仁 技術立国日本が狙われる?

こんばんは。

    真山仁さんの「ハゲタカ」シリーズは、バブル以降のグローバル経済を背景に株式会社へのM&Aと金融工学を駆使した投資によって世界を動かしていくファンドに生きる人々を描いて、リアリティに富んだエンターテイメントを作り上げました。

  その主人公、鷲津政彦は登場したときから自らの欲望のままに金に飽かして投資というギャンブルを制することに徹する悪人です。その意味で、このシリーズは第一級のピカレスクロマンといっても過言ではありません。真山氏の小説が特異なのは、徹底的な取材に基づいて構築する世界のディテイルの緻密さです。

  ここのところ、本流の「ハゲタカ」シリーズからのスピンオフ作品が多く生み出されています。以前に「ハゲタカ2.5」に当たる作品をご紹介しましたが、今週は、真山仁氏の「ハゲタカ4.5」にあたるスピンオフ作品を読んでいました。これまた一流のエンターテイメント作品です。

「ハゲタカ4.5  スパイラル」

(真山仁著 講談社文庫 2018年)

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(文庫版「ハゲタカ スパイラル」amazon.co.jp)

【再生請負人 芝野健夫 登場】

  「ハゲタカ」シリーズの基本コンセプトは、「現代日本の抱える問題を正視し、それを問う勇気を持つ」ということです。この作品の第一作目は、真山仁名義でのデビュー作であり、その緻密な取材に基づいた迫真の経済小説に感動しました。その小説のあり方は、現実に日本が陥ったバブル崩壊後の倒産の連鎖と不良債権の処理という未曾有の現実を徹底的に取材してフィクションとして再構築して我々に提示する、という斬新な手法でした。

  バブル崩壊は、平成という時代の始まりとともに日本経済を襲った大事件でした。高度成長を経験し、わが世の春を謳歌していた日本経済が、実体のない株価や不動産の高騰に踊りまくり、思惑により実体経済の数倍という高値を付けたバーチャルな価値を実態と見誤ったことが悲劇の始まりだったのです。

  分かりやすくいえば、実際には単価1000円であった株もしくは土地を5000円として計上していた場合、1000億円と計上されていた資産は、実際には200億円となります。バブル崩壊の恐怖は、投資家がパニックを起こし、どこまで下がるか予測できない大暴落のために膨大な売りを浴びせたために実際には1000円のはずの資産が100円にまで暴落したところにあります。

  つまり、バブル崩壊によって、1000億円で計上されていた資産が一昼夜にして200億どころか、20億円になってしまうという惨劇が生じてしまったのです。これを企業の借金に換算すると、1000億円の担保を差し出して1200億円を借りていた企業は、担保が20億円に暴落したことにより、差額の1180億円の即時返済を迫られることとなったのです。当然企業は債務超過で破産します。

  一方、金融機関は、貸出資金1200億円の担保が20億円に目減りします。あまつさえ、貸出先の企業が負債超過で倒産すればすべて貸し倒れとなるために、1200億円が消えてしまうことになります。多くの取引先がそうなったとき、金融機関はこうした不良債権を企業倒産の前後に少しでも高額で売却し、自らの損失を減らそうとします。そこで、企業の不良債権が価値の下落した担保と共に(つまり、企業ごと)投資ファンドに売却される事態となったのです。

  投資ファンドの狙いは、基本的に優良な不動産の二束三文での買い取りでした。例えば、温泉旅館が債務超過になっているとします。その旅館の土地は、バブル崩壊によって本来は200億円のはずなのにバブル崩壊によって20億円まで暴落したことになります。そこで価値の評価(デューデリジェンス)が重要となります。ファンドがこの債権を買い叩いて5億円でこの債権を買い取れば、その土地には180億円の価値が潜在していることになるのです。

  ハゲタカとは、バブル崩壊という異常事態に乗じて、不良債権の担保を実態価値よりもはるかに安く買いたたき、差額で儲けるファンドのことを指すのです。さらに、投資ファンドは、実態以下に下落した企業の株式を買い取ることで、資産の下落により企業価値が暴落した株式会社を乗っ取るM&Aも企てます。

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(デビュー作文庫版「ハゲタカ」amazon.co.jp)

  「ハゲタカ」の主人公、鷲津政彦はニューヨークでこの投資ファンドの悪辣な手法を身に着けて日本へと凱旋してきた男でした。そのファンドの名前はホライズン・キャピタル。日本法人の社長として辣腕を振るう鷲津は狙った獲物は逃さない手段を択ばないやり方から、ゴールデン・イーグルと呼ばれていたのです。一方、不良資産を持ち、買い取られる側の企業はハゲタカファンドの思い通りに買収されまいと様々に防衛策を講じることになります。

  「ハゲタカ」、「ハゲタカU」で企業防衛側の主役が、芝野健夫です。彼は、大阪を本拠とする都市銀行最大手三葉銀行の行員でしたが、不良債権の売却で鷲津率いるホライズン・キャピタルと対決。攻勢を続ける鷲津を出し抜いて一泡吹かせる作戦をたてます。芝野の発想力と行動力を認めた鷲津は、芝野をホライズン・キャピタルに引き抜こうと声を掛けますが、正義の人である芝野は、鷲津とは相いれず、この誘いを断ります。

  芝野は三葉銀行の不良債権バルク売却終了後、バンコクへの異動を命じられます。芝野が生真面目で融通が利かないことがその理由でした。芝野は、見て見ぬふりをすることを潔よしとせず、退職を決意します。そして、芝野が選んだ道は、バブル崩壊によって倒産の危機に瀕した企業を再生する企業再生家(ターンアラウンドマネージャー)の道だったのです。

  芝野は、まず同級生が社長を務め、その再生を頼まれたスーパー「えびす屋」の役員となり会社再生をめざします。そこを振り出しとして芝野は、様々な会社の再生を手がけ、この小説のヒロインである松平貴子が再建をめざしたホテル「ミカド」のために「ミカド」の相談役に就任します。

  さて、ターンアラウンドマネージャーとなった芝野健夫は、「ハゲタカU」でCROという耳慣れない役職に就きます。それは、最高事業再構築責任者の略称です。第二作で、ファンドが狙う企業は、カネボウを想像させる「鈴紡」と日本産業の要ともいえる製造業「曙電気」です。芝野は、この2社のCROに就任し、再び鷲津と対峙することになるのです。

  手に汗握る小説「ハゲタカ」の第三作「レッドゾーン」でも芝野は登場しますが、この小説で鷲津は中国の国策ファンドを相手として日本の自動車産業の象徴でもあるアカマ自動車の企業買収へと立ち向かっていきます。芝野はこの戦いに直接参戦することはなく、鷲津の物語とは異なるエピソードとして登場します。そこでの芝野は「曙電気」での戦いを終えて、次のステージへと向かって行くのです。

【ハゲタカ4.5の意味とは?】

  先日ご紹介した「ハゲタカ2.5  ハーディー」は、「ハゲタカU」と「レッドゾーン」の間に起きた物語でした。それは、「ハゲタカ」のヒロインであった松平貴子を主人公として、「レッドゾーン」に登場する記憶喪失となった謎の美女である「美麗(メイリ)」が活躍するサスペンス小説です。

  今回ご紹介する「ハゲタカ4.5  スパイラル」は、ご想像の通り、「ハゲタカ」第4作の「クリード」と並行して進んでいく物語なのです。そして、この小説の主人公は、「ハゲタカ」のもう一人の主役である芝野健夫その人なのです。第三作に当たる「レッドソーン」で芝野は、大阪で三葉銀行時代に心酔した東大阪の中小企業「なにわのエジソン社」の社長であった藤村登喜男の訃報に接します。その会社は、なにわのエジソンとも呼ばれる発明家であった藤村が立ち上げた会社。21世紀のはじめには、街工場の力で人工衛星を飛ばそうと取り組んでいたのです。

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(文庫版「グリード」amazon.co.jp)

  その社長の葬儀に参列した芝野は、藤村登喜男の後に社長を継いだ奥様から相談を受けます。

  「なにわのエジソン社」は、その後「マジテック」と名を変えて様々な機械の金型製造を担っていました。その技術は職人である桶本に支えられており、登喜男が生きていた時には、その人柄と次々と生み出す新たな発明を素に、様々な企業から製品の部品となる金型製造の注文がひっきりなしでした。それでも会社に利益はありません。ところが、発明王である社長が亡くなれば、社長の人脈も衰えて受注も減少、会社が青息吐息となっていくことは目に見えています。

  芝野への相談とは、経営が苦しい「マジテック」の再建を担う経営者の紹介だったのです。

  と、ここまでが「レッドゾーン」の中での芝野の物語です。ハゲタカ第4作に当たる「グリード」は、アメリカを舞台に繰り広げられる世界の投資王、サミュエル・ストラスバーグとサムライ・キャピタルを率いる鷲津政彦の息詰まる戦いが描かれており、残念ながら日本で企業再生に生涯を懸ける芝野の物語は語られるスキがありませんでした。

  そこで構想されたのが、「ハゲタカ4.5  スパイラル」なのです。

  シリーズの主人公のひとりでもある芝野健夫。彼が生涯を懸ける仕事。ターンアラウンドマネージャー。日本の技術の根本を支える中小企業の精密な技術。スケールこそ異なれど、そこに懸ける思いは「ハゲタカ」にふさわしく、熱き思いに溢れています。

【技術立国 日本!】

  中小企業を描いた熱血小説と言えば、思い出すのは直木賞を受賞した池井戸潤氏が書いた「下町ロケット」シリーズです。元宇宙科学開発機構の研究員であった佃航平が、父亡き後の町工場、佃製作所の社長となり従業員とともに奮闘する物語ですが、ここに登場するのは日本の中小企業の持つものづくりの技術力です。第一作では、新たな水素エンジンの特許とそのエンジンを実現する金型製造の技術を持つ佃製作所が、倒産の危機を乗り越え、その特許と技術をねらう帝国重工との攻防を描いています。

  以前、ブログでも紹介しましたが、日本には世界一長く存続しているゼネコン(薬師寺を建立した宮大工の会社)があり、携帯電話に組み込まれる電磁波シールドの金属箔、バイブレーション装置の極小ブラシ技術や耐久力の高い金型の加工技術で制作したパッキンなど、日本の職人的技術者にしか作り出せない製品がモノ作り日本をささえています。(以下、ネタバレあり)

  しかし、日本のお家芸であった技術も高齢化と少子化によって消えつつあるとともに、新たな発明や技術の特許申請も減少の一途をたどっています。そんな中で、ターンアラウンドマネージャーの芝野は、東大阪で出会った発明王藤村の持つ、夢を実現するパワーの魅力に圧倒されました。そして、藤村社長亡き後、倒産の危機に向かう町工場「マジテック」の再生のためにマジテックの専務になることを決意したのです。

  AI(人工知能)という言葉は、今や時代を象徴する言葉となりました。

  2045年には、人工知能の世界はシンギュレーションを迎えると言われていますが、AIの発展には目を見張るものがあります。AIを利用した技術には様々な応用がありますが、ロボット技術はその最たるものです。その中でも注目されているのは、人の補助的な役割をするロボットです。人が装着するとそのパワーが数倍になる機械です。

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(装着用ロボット「HALL」Syberdyne社HP)

  重いものの搬送や介護の現場でもこうしたAIロボットは期待されているのですが、人の命にかかわるという意味では、関節や筋肉が萎縮していく病気などへの応用への利用が人々に希望を与えています。芝野が経営に参画した「マジテック」は、こうした病の人を救う装着用のロボットを開発していたのです。その名は、「マジテック・ガード(MG)」。先天性多発性関節拘縮症の4歳の娘を持つ正木奈津美は、このMGを装着して健康な子供と同じように動くことができる娘、希実を見て、心から喜びを感じていました。

  しかし、4歳の子供は日に日に成長していきます。体が成長すればMGも成長に合わせて大きくしていかなければなりません。この機器を開発した藤村博士亡き後、「マジテック」では、MGの部品更新の費用を負担することができません。芝野と従業員は、何とか収益事業を立ち上げて希実を救おうと奔走します。しかし、「マジテック」の再生を妨げようとする敵が出現します。

  その一つは、三葉銀行時代に自らの不正融資を暴かれて銀行を辞めざるを得なかった村尾浩一。彼は、マジテックに多額の融資を担う浪速信用組合で支店長代理として勤めていたのです。村尾はかつて煮え湯を飲まされた芝野に復讐を誓います。それは、様々の銀行が持つマジテックへの融資債権をすべて買い取り、一攫千金を得たうえでマジテックを破滅させようとする戦略でした。

  さらに、発明王藤村が得ていた数々の特許、そしてマジテックが持つ技術をわがものにしようと、ハゲタカファンドが動き出します。そのファンドは、かつて鷲津が社長を務めていたホライズン・キャピタル。現在の社長、ナオミ・トミナガは狙った獲物は決して逃がすことはない、まさにハゲタカです。果たして、芝野は「マジテック」を再生させ、日本のモノづくりを守ることができるのか。物語は手に汗を握る展開で、一気に進んでいくのです。

  皆さんも、ぜひ久しぶりの芝野の雄姿を味わってください。このシリーズの面白さを再認識すること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年01月05日

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の魅力

こんばんは。

  伝説のロックバンド「クィーン」を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が驚異のロングランを続けています。

  映画は、119日に公開され、瞬く間に世代を超えてその評判が拡散。20代から70代まで世代を超えて感動の輪が広がっています。バンドは、今も続いていると言うと多くの人は違和感を覚えるかもしれません。確かに、1991年に強烈な個性を持つボーカリスト、フレディ・マーキュリィーを失ってから、バンドはその空白を埋めることに様々な思いがあり、しばらく活動を休止していました。しかし、フレディが加入する以前からのメンバーであるブライアン・メイ(ギター)とロジャー・テイラー(ドラムス)は、フレディへのリスペクトを継続しつつ、バンドの活動を続けています。

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(映画「ボヘミアン・ラプソディ」ポスター)

  この映画は、1991年にエイズで亡くなったフレディ・マーキュリーを主役として、その人生を描いた映画です。フレディがボーカリストであった時代。クィーンは世界で最も売れたバンドのひとつになりました。今、20代の人たちも彼らの楽曲をどこかで耳にしているはずです。なぜなら、日本のCMでは、彼らの曲が頻繁に使われているからです。

  「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「キラー・クィーン」、「キープ・ユアセルフ・アライブ」、「アイ・ワズ・ボーン・ツゥー・ラブ・ユー」など、彼らの名曲の数々が並びます。さらに2004年に放映されたキムタク主演のテレビドラマ「プライド」では、その主題歌となった「アイ・ワズ・ボーン・ツゥー・ラブ・ユー」を始めとして、数々のクィーンの楽曲が劇中で使われてドラマの大ヒットとともに彼らの曲が街中に流れることになりました。

  この映画は、フレディとクィーンの生き方を描いた映画であるとともに、耳慣れた名曲が次々に流れる音楽映画との側面を持ち、脚本と音楽の力で世界中の人たちを魅了し続けているのです。

(映画情報)

・作品名:「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年米・135分)(原題:「Bohemian Rhapsody」)

・スタッフ  監督:ブライアン・シンガー

       脚本:アンソニー・マッカーテン

       音楽総指揮:ブライアン・メイ

             ロジャー・テイラー

・キャスト  フレディ・マーキュリー:ラミ・マレック

     メアリー・オースティン:ルーシー・ボーイントン

       ブライアン・メイ:グウィリアム・リー

       ロジャー・テイラー:ベン・ハーディ

       ジョン・ディーコン:ジョゼフ・マッゼロ


【ロックバンド「クィーン」とは】

  ビートルズやローリング・ストーンズがロックとして日本に上陸してきたのは、私が小学生の低学年のときでした。その後、1970年代になるとロック界にはブリティッシュインヴェンションと呼ばれる流れが生まれ、イギリスのロックバンドが世界を席巻していきます。ハードロックと呼ばれる分野では、かのレッド・ツェッペリンがワールドツアーでスタジアムライブを行い、ザ・フーやブラック・サバス、ディープ・パープル、などのバンドが一世を風靡しました。一方では、プログレッシブ・ロックと呼ばれる潮流も太くなり、キング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、EL&Pなどのバンドが若者の心を捕えました。

  高校生の頃、アメリカン・ポップスのヒットチャートが好きだった少年の好みは、ブリティッシュ・ロックへと変化していきます。初めに衝撃を受けたのは、イエスのアナログ3枚組のライブ盤「イエスソングス」でした。このアルバムは、3枚組にもかかわらず日本ではシングル盤並みの大ヒットを記録して飛ぶように売れたそうですが、私もまさにその渦中にいました。「イエスソングス」の発売が1973年。同じ年に、2枚組4曲という長尺曲のアルバム「海洋地形学の物語」もリリースされました。なけなしのお小遣いを貯金してどちらアルバムを買おうかと、寝ずに悩んで新録音の「海洋地形学」をヤマギワデンキで買ったことを昨日のことのように覚えています。

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(イエス「海洋地形学の物語」amazon.co.jp)

  我々、ロック好きは当時高校の図書室に集まって、よくロック談議に花を咲かせていました。当時のアナログLPレコードは高額で、同好の士が代わる代わるアルバムを購入し、貸し合っていました。ある日、比較的購入頻度の高い友人が、新譜を購入して図書館に持ってきていました。アルバムのジャケットは、ピンク系の赤のグラデーション。そこには「Queen」の文字とマイクを高く掲げたチェスのコマのような人型がイラストされています。そして、アルバムの帯には「戦慄の女王」と書かれていたのです。

  友人からそのアルバムを借り、急いで家に帰って針を落とすと、いきなり尖ったギターフレーズが耳から体へと飛び込んできます。ギターのリフは、右のスピーカーから左のスピーカーへと移動し、さらにサラウンドしていきます。独自のギター音がキャッチーなフレーズをリフると、アクセントの効いたドラムに続いて、強烈なシャウトが耳に響きます。そう、これこそがクィーンのデビュー曲「キープ・ユアセルフ・アライブ」だったのです。日本名こそ「炎のロックンロール」というセンスのないネーミングでしたが、その斬新な音にすっかりハマりました。

  このアルバムのライブ感は本当にすごかった。B面(今や死語ですが)のオープニング「ライヤー」は、ロジャーのグルーヴ感満載のアクセントの聴いたパーカッションが我々を直撃。そこにブライアンのトーンギターがグルーヴィーなフレーズを響かせます。そして、ラストの「セブンシーズ・オブ・ライ」(輝ける7つの海)まで、一気呵成に聞かせてくれるのです。

  このアルバムのあまりの衝撃に、このパワーをみんなにもシェアしようと、当時放送委員だった立場を利用して昼休みの全校放送で「キープ・ユアセルフ・アライブ」を流し、担任の先生に大目玉をくらったことを思い出します。このアルバムは、本当にテープ(当時の録音媒体はカセットテープでした。)が擦り切れるほど繰り返し聞きました。アルバムジャケットの裏面は、メンバー写真が切り張りされていましたが、そこに小さく「誰もシンセサイザーを演奏していない。」と書かれていて、その演奏力の高さにも驚嘆しました。ブライアン・メイが自宅の暖炉の木材を自ら加工してハンドメイドのギターを作成し、シンセにも負けない7色の音を奏でていたのです。

  さらにライナーに書かれたメンバーですが、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイはそのままでしたが、ロジャー・テイラーは、ドジャー・メドウス・テイラーと書かれ、さらにジョン・ディーコンはディーコン・ジョンと記されていました。この誤りをずっと正しいと思っていたので、社会人になって相当経ってから熱狂的なクィーンファンの女性と話が盛り上がった時に、思わず「ロジャー・メドウス・テイラー」と「ディーコン・ジョン」と言ってしまい、「本当にはじめからのファンなのね。」と大いに感激されたことをよく覚えています。

  次の年、2枚目のアルバム「クィーンU」が発売されます。このアルバムも友人から借りて聞いたのですが、ファーストがレッド・ツェッペリン張りのハードロックアルバムであったのに比べ、2枚目はまるでイエスのようなプログレッシブロックアルバムだったのです。そのコンセプトは明確で、A面が「ホワイドサイド」、B面が「ブラックサイド」と分かれ、ブライアン・メイがホワイト、フレディがブラックというコンセプトでアルバムが創られていたのです。イエスに心酔していたロックファンはひとたまりもなく、その世界に魅了されてしまったのです。

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(名作「QueenU」amazon.co.jp)

  今でも「クィーンU」を聴くと鳥肌が立つほどです。

  そして、その感激も冷めやらぬうちに3枚目のアルバム、「シェアー・ハート・アタック」が発売されました。この時には、購入順序が私に回ってきたこともあり、貯めていたお小遣いで自ら購入し、友人たちに提供しました。貸し出しに回したところ、約半年間、手元に戻ってきませんでした。このアルバムでは再びコンセプトを変えていて、ショービジネス的な作りがなされています。当時読んでいた「MUSIC LIFE」という雑誌では、「1枚目はツェッペリン、2枚目はイエス、3枚目はスリー・ドッグ・ナイトの模倣」と書かれていて、大いに閉口したものでした。(人は本当のことを言われると腹が立つものです。)

  このアルバムは、「キラー・クィーン」のヒットでよく知られていますが、素晴らしい曲が詰まっていました。A面の「ナウ・アイム・ヒア」は、長い間、彼らのライブのオープニング曲でしたし、B面の「イン・ザ・ラップ・オブ・ザ・ゴッズ」(神々の業)は、長い間、ライブのエンディングに歌われていたのです。1975年の初来日のときには、なけなしのお小遣いを使い果たして武道館に足を運びました。このときの「ナウ・アイム・ヒア」のオープニングには心が震えました。この時の日本のファンの熱狂ぶりには彼らもとても感激したようで、インタビューでは日本への感謝がたびたび語られていました。実は、このアルバムの「シー・メイクス・ミー」という曲には、恋の思い出があるのですが、これについては語ることを控えておくことにします。

  彼らが来日した1975年。映画でも語られていたアルバム「オペラ座の夜」が発売され、アルバムに収められた6分にも及ぶ「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒット。アルバムもイギリスでチャート1位を獲得するなど、そのオリジナリティによって、世界的な大ヒットを収めたのです。

【映画「ボヘミアン・ラプソディ」】

  この映画は、待ちに待ってワクワクしながら、封切り初日に見に行きました。もちろん、音響が大切な映画なので、IMAXです。(以下、ネタバレあり。)

  観る前には、ドキュメンタリーフィルムかと思っていたのですが、始まってみてビックリ。完全なるオリジナルストーリーで、しかも出演者はすべて俳優でした。いきなり、肉体労働のバイトをしているフレディ・マーキュリーらしき人物が登場し、まずビックリ。さらにフレディの本名がファルーク・バルサラと知って、再びビックリ。しかも、両親はインド人で、ゾロアスター教という特異な経歴の持ち主だったのです。

  しかし、彼の人生にとって最も深く影響したのは、まさにこの生い立ちだったのです。その生い立ちは、この映画に描がかれた彼の複雑な心理と行動に大きな影響を与えており、映画のオープニングこそが、この映画に奥行きを与えていたのです。ラスト21分間のライブエイドのパフォーマンスは、単に仲間や観客との絆が蘇った瞬間だけなのではなく、フレディが彼の家族との絆を取り戻した瞬間でもあったことが、この映画の更なる感動を誘うのです。

  それにしてもフレディと名前を変えたファルーク・バルサラが父親に受け入れられず、さらに自らも父親を受け入れない、という断絶は、どの家族にも訪れ得る一瞬だとはいえ、やはり悲しいものでした。父親のゾロアスター教からの教え、「良き想い、良き言葉、良き行い」を守れと言う言葉。その教えに対してフレディは、「その教えで何かいいことがあったのか?」と反抗します。父親は、怒りを抑えつつそんな息子に失望します。

  しかし、映画ラストを飾るライブエイドに出演するときに、このパフォーマンスでは報酬を受け取らないことを父親に告げ、「『良き想い、良き言葉、良き行い』だよ。」と語り父親と抱きしめあうフレディ。フレディは、このライブエイドでのパフォーマンスにより、これまで失ってきた様々なものを再び手に入れることとなるのです。すべての人が、この映画に感動するのはこうした人としての見事な伏線があるからなのです。

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(「ボヘミアン・ラプソディ」スチール写真 amass.jp)

  こうした映画の脚本としての成功ももちろんですが、この映画の感動はやはり音楽にあります。

  個人的には、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが「スマイル」というバンドでボーカリストを失ったとき、そこに現れたバルサラが無理やりボーカリストとなり、フレディ・マーキュリーと名を変えて、初めて「クィーン」として演奏するシーンが最高に感動的でした。その曲は、「キープ・ユアセルフ・アライブ」なのですが、フレディが歌詞を勝手にアレンジして歌っているところにブライアンがギターを弾きながら、何度も「歌詞が違う」、「正しい歌詞を覚えろ」とどなっているシーンが、将来の二人を暗示していて本当に感動したのです。

  さらに、フレディと他のメンバーとの間に若干の溝が出来てきたときに、ジョンやロジャー、ブライアンが、観客とリズムを合わせ、一体感を醸し出すために編み出した工夫。

  ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。

  ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。

  スタジオの舞台で、これを繰り返すメンバー。そこにやってきたフレディ。これこそが、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」誕生の瞬間でした。

  語れば尽きないのですが、とにかくこの映画はおすすめです。11月、とても感動したのは、私だけかと思ってブログに書くことを控えてきましたが、NHKにまで取り上げられるほど幅広い人たちの支持を得られたのであれば、その感動をぜひ分かち合いたいと思います。

  音楽ファンもそうでない方も、まだ見ていない幸運なアナタ。まだ、遅くはありません。ぜひ、映画館でこの感動を分かち合いましょう。 「ウィ・ウィル・ウィ・ウィル・ロック・ユー」

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年01月01日

今年もよろしくお願いします



2019 初日の出02.jpg

 2019年

 明けましておめでとうございます。

  新年を迎え、日ごろのご訪問を感謝いたしますとともに、
 皆様のご健勝とご多幸を心より祈念申し上げます。

  考えてみれば、これまで、昭和を30年、平成を30年味
 わってきたことになります。今年は新たな年号となりますが
 皆さんと共に新たな年も楽しく、幸せをシェアして暮らして
 いきたいと思います。

  本年も日々雑記をどうぞよろしくお願い申し上げます。

                    平成31年 元旦
                    人生楽しみ

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ラベル:新年 日々雑記 2019
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2018年12月29日

宮城谷昌光 項羽と劉邦に挑む

こんばんは。

    昔、学校で「漢文」の時間に必ず習うのは、司馬遷の「史記」でした。その中でも誰もが知っているのは「四面楚歌」の場面です。

  中国統一王朝を築いた「秦」が始皇帝亡きあとに弱体化し、陳勝・呉広の乱が勃発。かつて秦に攻め滅ぼされた楚の国では、項梁が楚王を立てて秦への復讐の烽火を上げました。しかし、秦の智将である章邯は劣勢の中、油断した項梁を奇襲によって殲滅してしまいます。項梁の甥であり、後継とみなされていた項羽は、まだ20代でしたが、楚王を頂いて項梁の跡をついで秦への復讐を継続したのです。

  一時は、100万もの兵を従えて秦の首都を制圧し、秦の皇帝一族を殲滅した強兵を誇る項羽でしたが、同じ楚王のもとで盟友として秦を攻めていた劉邦と敵対し、天下をかけて攻防を繰り返すことになります。そして、項羽は何度も劉邦を窮地に追い込みながらも、逆に劉邦に追い詰められることとなります。

  各地域の王たちを味方に引き入れた劉邦は、「漢」を名乗り、ついに垓下の地にて項羽を包囲します。垓下の地で、漢軍に取り囲まれ愛妾の虞姫とともにいた項羽は、砦の中で東西南北から楚の歌が流れてくることに気づきます。その歌は、包囲している漢軍から聞こえてくるものであり、自らの兵が漢軍に取り込まれたことを悟り、自らの命運が尽きたと知って最後の宴席を設けます。ここで、項羽は一編の詩を謳います。

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(「劉邦」挿絵の虞美人 haradatunao.comより)

力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)
時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず)
騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき)
虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん)

  この詩に歌われている騅(すい)とは、項羽と共に戦場を駆け項羽の常勝の闘いを支えた名馬です。そして、虞は、項羽の愛妾である虞美人です。「虞や虞や 汝をいかんせん。」この嘆きの詩に虞美人も唱和し、そこにいた項羽の臣下たちも皆、涙を流したのです。

  誰もが知る「項羽と劉邦の戦い」。あの宮城谷昌光氏が、ついにこの戦いを小説として完成させました。今週は、毎日新聞に連載され、読者を魅了した宮城谷昌光氏の小説を読んでいました。

「劉邦」(宮城谷昌光著 文春文庫全四巻 2018年)

【「項羽と劉邦」を描く】

  宮城谷さんの小説は本当に面白いのですが、今回のテーマは少し違和感を覚えます。いきなり、巻末の話で恐縮ですが、著者の「連載を終えて」を読んで、その違和感の正体を知ることが出来ました。氏の描く中国史の世界は、主人公である人間が志を持って輝いていることが大きな魅力となっています。「重耳」、「孟嘗君」、「晏弱・晏嬰(晏子)」、「呂不韋(奇貨居くべし)」、「楽毅」、「太公望」と、どの小説を採っても主人公の企望と志、さらには徳望が、宮城谷氏の小説の魅力であることに間違いありません。

  ところが、劉邦の評判を考えると若い時から無頼な人間で、学問や儒教は大嫌い、中原の農家の出身で生まれも育ちも庶民そのものです。それが、周囲の人間にかつがれていつの間にか皇帝の地位に就いてしまう。どうにも捉えどころのない人間に思えるのです。

  宮城谷氏自身も、以前から劉邦には魅力を感じることがなく、むしろ項羽の強力な軍団に迫られてもなお城を守りぬいた斉の名主である田横を「香乱記」で描くなど、劉邦を描かずに来た、と述べています。この小説の執筆が決まった後も書き出すことに逡巡し、迷っていたそうです。そうした中で見出したのが、漢書の列伝の記載だったそうです。確かに劉邦や項羽の周りには魅力ある人物が数えきれないほど登場します。その人々が劉邦をして漢王朝を開かせたと言っても過言ではありません。

  今回の小説の魅力は劉邦とそれを囲む人々の活躍なのですが、面白さの秘密を巻末の「連載を終えて」を読んで納得した次第です。

  ところで、「項羽と劉邦」と言えば、思い出すのは司馬遼太郎さんの名作です。司馬さんは、小説を書くときにその時代の輪郭を思い描きながら執筆していく形をとります。この小説でも項羽と劉邦を描くにあたって、この両者の争いが中国史の中でどのような史観から繰り広げられたのか、に想いを馳せています。それは、中国では膨大な数の人民を食わしていくことのできる人間が天から王朝をひらく天機を与えられる、という史観です。

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(新潮文庫「項羽と劉邦」 amazon.co.jpより)

  司馬さんは、こうした視点を持って若き項羽の活躍と凋落、さらには劉邦の天下取りをデテイルを大切にしながら描いていきました。私もかつてこの本を読んで、二人の漢(おとこ)の生きざまに興奮したことを覚えています。宮城谷さんにとっても敬愛する司馬遼太郎さんの著作は、執筆する前には大きなプレッシャーであったと推測されます。果たして、宮城谷氏はこの歴史をどのように描くのか、興味は尽きません。

【宮城谷版「項羽と劉邦」】

  この小説で、興味深かったのは題名です。

  宮城谷さんが題名に名前を冠するときには、その人間の存在そのものがすでに物語になっていることが多いように思えます。そうすると、「項羽と劉邦の戦い」と呼ばれる時代を小説で描こうとすれば、題名jは「劉邦」にはならないのではないかと感じました。氏の小説でも複数が描かれる時には、「奇貨居くべし」、「青雲はるかなり」、「沙中の回廊」など、題名にも工夫を凝らしています。今、一番面白い「呉越春秋」も主役は伍子胥(ごししょ)と越の范蠡(はんれい)であり、その題名には「湖底の城」という小説を象徴する名前が採られています。

  しかし、小説を読み終わって、いかにこの題名が小説そのものを現しているかが、良くわかりました。それは、司馬さんの小説へのアンチテーゼだったのかもしれません。この小説は、確かに「項羽と劉邦の戦い」を描いてはいるのですが、そこには項羽の側からの視点はわざとはずされており、宮城谷氏はこの物語をあえて劉邦の側から描いているのです。例えば、鴻門の会で、劉邦は同じ楚に仕えるものとして項羽に挨拶すべくその陣を訪れますが、項羽の軍師である范増は、宴会を催した項羽に対してこの機会に劉邦を暗殺することを提言します。

  しかし、項羽は劉邦への敵意を露わにすることがありません。三度項羽に目配せをしても反応はなく、業を煮やした范増は席を外し配下の項荘を呼び、祝いの剣舞を劉邦に贈るふりをして劉邦を殺すように命じます。ここは小説の中でも読みどころのひとつですが、項荘が命に従って剣舞を始めると、その不穏な空気を読んだ項伯は劉邦を守るべく、自らも剣舞を舞い項荘の企みを阻止するのです。この緊迫した場面でも宮城谷氏は項羽の視点を無視します。物語は、劉邦とその部下の視点で進んでいき、項羽側では、軍師である范増の考えが語られるのみなのです。

  逆にこの場面では、劉邦の部下たちは大活躍を演じます。

  このとき劉邦とともに項羽の元を訪れていたのは、劉邦の盟友であり趙の国の再興を希望する参謀格の張良でした。宴会にて、范増の企てに危殆を感じた張良は宴席を抜けると外に控えていた猛将である樊噲(はんかい)にその企みを告げます。劉邦の危機を悟った樊噲は、宴会の席に押し入り、自ら項羽に戦勝の祝い酒を所望します。その豪快な姿を気に入った項羽は、樊噲に大きな杯で酒を振る舞うとともに豚肉の塊を差し出すと、剣で肉を切り刻みペロリと平らげます。あまつさえ、樊噲は劉邦がここまで戦ってきた正当性とそれを認めない項羽の不合理を滔々と述べて、項羽を唸らせます。

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(「劉邦」挿絵の樊噲 haradatsunao.comより)

  張良と樊噲の機転で宴会を抜け出した劉邦は、古くから劉邦の御者を勤めていた夏侯嬰の戦車に飛び乗るとそのまま自らの城に逃げ延びたのです。

  宮城谷版「項羽と劉邦」は、その題名の通り、秦滅亡の後に漢王朝を起こした劉邦がなぜ皇帝になることができたのか、その疑問を、劉邦自身を描くことで解き明かす物語なのです。つまり、劉邦とその仲間たちの企望や夢やその生き方が、そのままこの小説の魅力となっているのです。

【「劉邦」に人は集う】

  さて、宮城谷氏の中国小説は、司馬遷の「史記」に描かれる古代中国を舞台としています。しかし、中国史で古代とはいつまでのことを指しているのでしょう。古代という概念は、もともとヨーロッパ史の研究で語られる概念だそうですので、それを中国に当てはめること自体に無理があるようです。中国古代はどこまでか。諸説あるようですが、@戦国時代の終焉(秦朝の成立)A秦の滅亡B前漢の滅亡、のどれかに当たるということです。

  宮城谷氏の小説は、白川静氏の甲骨文字研究に強くインスパイアーされており、そこには古代のアミニズムやジャーマニズムが色濃く反映されています。例えば、「太公望」は、殷商王国を滅ぼし、周王朝を切り開くことに軍事戦略家、将軍として貢献した呂尚を主人公としていますが、両親を商に殺された呂尚が幼い兄弟たちを連れて森の中を彷徨っていると、舞い踊る不可思議な巫女たちの一群と出会い、生きる力を得る場面が描かれています。幻想的なシーンですが、この時代はまさにアミニズムとシャーマニズムの時代でした。

  劉邦の時代が古代なのか古代を脱しているのか、わかりませんが、諸子百家の時代を経ていることを考えれば、古代のシャーマニズムを脱しつつあることは明らかに思えます。しかし、中国には天から徳を認められたものだけに王となる、との考え方があります。宮城谷氏は、この小説をそうした幻想的な場面から始めています。(以下、ネタばれあり)

  それは、劉邦がその名前である季で劉季と呼ばれている時代です。

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(文庫版「劉邦」第二巻 amazon.co.jpより)

  秦時代の行政は、大きな単位の郡の下に県という単位があり、その中に最も小さい行政区として亭があります。劉季は、義理人情を重んじる義侠家になりたくて無頼な行動をしていたのですが、長じてから沛県の亭の一つを任され、泗水亭長に任命されています。ある日、劉季は、泗水亭長として、秦に反旗を翻した暴徒である寧君一味を探索し、拿捕するように命じられます。その探索を行っている最中、不思議な出来事が起きるのです。

  一方、秦の始皇帝は不老不死を追い求めいていたことで知られており、不死の薬を求めて様々な地域に人を派遣していました。それと同時に、始皇帝は自分の後に皇帝となる人材を事前に葬ろうと策を講じます。

  秦王朝には方士と呼ばれる人々が役に就いていました。方士とは方術を操る人々の事ですが、方術とはいわゆる魔術に近い力を操る事です。彼らにかかると、錬金術や不老不死の製薬、念力、読心術、予言、星占い、人の気を見ること、などが現実のものとなるのです。始皇帝は、自らに変わり将来皇帝となる人間を探し出し、早期に抹殺するために方士を各所に派遣します。方士たちは、将来の皇帝である五彩色を発する人物を探し出し、同行する剣の達人にそのものを暗殺させるために各地を旅しているのです。もしも、五彩色の気を放つ人物を見つけることが出来なければ、方士が剣士に殺される羽目に陥るのです。

  その方士たちが沛県を彷徨しておると、なんと遠方に五彩色が輝いていることに気づきます。彼らは、その光を逃すまいと草むらをかき分けて光に向かって進みます。すると、川辺に一人の男が佇んでいるのが見えました。五彩色の輝きはその男から発せられたものだったのです。やっと未来の皇帝とおぼしき人物に行き会うことができた方士は、剣士にその男の抹殺を命じました。

  反逆者である寧君を探索する劉季は、ひとり野営地から抜け出して物思いに浸りながら川辺に佇んでいました。そのとき、背後に殺気を感じます。最初の一撃はかわしましたが、対峙した相手の技量は劉季をはるかに超えています。とっさに逃げだしますが、相手は一枚上手です。俺の人生は、ここで終わるのか。劉季は、自らの最後を覚悟します。

  果たして劉邦の運命やいかに。その伏線の妙はみごとです。

  劉邦は、ここから数奇な運命をたどることになりますが、彼の周囲には何故か様々な人間が集まってきます。宮城谷氏は、そこに集まる多彩な人々を劉邦との絆を含めて細やかに描いていきます。第一巻で登場するすべての人間が、この小説の最後まで躍動します。そして、その人々と劉邦の夢は、すべての市井の人を解放し、住みやすい世を実現することだったのです。

  宮城谷さんの小説は、本当に面白い。皆さんもこの小説で、人の絆の不思議をお楽しみください。生きる勇気がじわじわと湧いてきます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 20:01| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月25日

日々雑記 ご無沙汰しています

こんばんは。

  12月も終盤へと突入しましたが、今年はなんだか暖かい日が続きます。

  12月に入るや師走の名の通り、師とともに弟子も走り回っています。定年を迎えてゆっくりしようと目論んだのですが、とかくこの世は住みにくい。これまでの経験をあてにされ、次々と仕事が舞い込みます。12月の第一週は910日で名古屋に出張。帰ってきて、一日あけて大阪に宿泊出張。3日間、研修会の講師をして、翌週は広島に宿泊出張と、席を温める暇がありません。温まったのは、新幹線の座席だけですね。

  仕事の話は置いておいて、出張の合間にも人生の楽しみを見つけて楽しんでいました。

【音楽話は尽きることなし】

  まず、音楽系では名古屋に行く前日に渋谷のオーチャードホールで、キングクリムゾンの来日公演に参加しました。名作「キングクリムゾンの宮殿」がビートルズの「アビーロード」を抜いてアルバムチャートの1位となったのが1968年ですから、あれからなんと50年が経過しました。ロバート・フィリップは常に前向きで、真の意味のプログレッシブを実践してきました。「メタルキングクリムゾン」、「ヌーボメタル」などのコンセプトでソリッドな新しい音を追求してきたロバート・フィリップでしたが、ここ3年ほどはそのコンセプトに変化が見られました。

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(「KING CRIMSON LIVE IN JAPAN2015」CD )

  近年のクリムゾンは、トリプルドラムを擁し、さらに今は亡きクレッグ・レイクやジョン・ウエットンを偲ばせるボーカリストをギタリストに据えて、なんと初期中期の名曲を中心のセットリストを組んできたのです。デビューアルバムからは、ほぼ全曲を演奏。あの「エピタフ」が披露され、満場の興奮と拍手を巻き起こしました。さらには、名作「レッド」からも次々と感動のメタルクリムゾンの曲が演奏され、過去からのファンの涙を誘いました。

  さらに、名古屋に行ってからは栄の名古屋パルコの映画館でエリック・クラプトンの映画「12小節の人生」を上映しているのを見つけ、夜の部を鑑賞しました。クラプトンの伝説は、ほぼ同時代的に寄り添ってきたつもりでしたが、あにはからんや、「461オーシャンブールヴァード」で1974年に復活を果たしたクラプトンが、その後アルコール中毒でヘベレケ状態であったことに衝撃を受けました。せっかくジョージ・ハリソンと分かれてクラプトンの元を訪れたパティを相手にできないほどアルコールを溺愛していた事実には驚きました。レイラも泣いていました。

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(映画「12小節の人生」ポスター)

  クラプトンの話をはじめると、このブログの数回を要するので、またいつか語り合いたいものです。

【尾張名古屋の名所めぐり】

  さて、名古屋では、休みの日に日本の陶磁器の草分けであるノリタケの博物館を訪れました。駅から20分ほど歩くと「ノリタケの森」と呼ばれる名古屋を代表する企業「ノリタケ」の工場跡に、素晴らしい森と公園、そしてミュージアムとレストランがあります。ノリタケウエルカムセンターでは、1876年(明治9年)に創業者である森村市左衛門と豊兄弟が発足した森村組から明治37年に設立された日本陶器、そしてノリタケに至る企業の歴史が紹介されています。

  その日本の産業を牽引していく企業の歴史に感動して、クラフトセンターとミュージアムを合わせた建物へと移動すると、そこにはノリタケが開発した陶磁器製作の工程を体感できる一大体験エリアが待っていました。1階と2階に備えられた工程紹介には何度も焼きを入れ、さらにそのたびに最適温度を探ってきた研究の歩みが刻まれています。

  そして、建物の3階と4階に繰り広げられるノリタケミュージアムは、陶磁器を愛する人間にとっては、まさに至福の場所です。3階は、1904年のノリタケ陶磁食器の発売以来、営々と続けられてきた陶磁食器の歴史をつまびらかにしてくれます。その時代ごとに変化してきた陶磁器の歴史に目を見張りますが、なかでも戦前から2004年までに発売された食器皿が壁面全体に創られたショーケースに一同に展示されているのは圧巻です。さらにその横には、営々と制作されてきたコーヒーカップのセットがこれまた時代ごとに飾られていて、こちらにも感動します。

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(ノリタケブランド 100年間のソーサー)

  さらに4階にあがると、そこには素晴らしい陶磁器たちが待ち構えていました。4階に展示されていたのは、「オールドノリタケ」の作品群だったのです。「オールドノリタケ」とは、明治の森村組の時代から第二次世界大戦までの間、欧米に輸出された日本製の陶磁器を総称する呼称です。その展示は、数十年に渡るノリタケブランドの刻印の歴史から始まります。そのブランド刻印は、制作年代によって変わっているので、制作年代はこの刻印によって特定されるそうです。この陶作を開始したのは、森村市左衛門の義弟である孫兵衛でした。1893年シカゴ万博の視察のために渡米した孫兵衛は、欧米の陶磁器に施された洋風絵付けに目を奪われます。そして、絵草子で培った美的センスを陶磁器の世界へと投影させ、日本独自の絵付けによる陶磁器の輸出を思い立ったのです。

  4階に展示された輸出用陶磁器の素晴らしさは、その色彩と言い絵付けの自在な展開と言い、その一つ一つの作品に見ほれるほどです。特に日本独自の淡い色やボカシを使った絵付けは、その繊細さが素晴らしくまさに芸術品です。また、20世紀初頭のアメリカでモダンアートが流行った時には、日本からもポップなデザインの絵付け陶器が輸出されており、陶磁器に残された時代の変遷にも大いに興味をそそられました。結局、3時間近くもノリタケを満喫し、すっかり感動してノリタケの森を後にしました。

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(オールドノリタケ 渾身の名作陶磁器)

  その日の午後に訪れたのは、国宝である犬山城でした。名古屋駅から名鉄で犬山駅まで、快速特急に乗れば20分ほどで到着します。さすが国宝とあって駅から城下に向かっては観光客が三々五々歩いていくのが目につきます。大通りを10分ほど進んで本町の交差点を右に曲がると、そこからは犬山城まで城下町が続いています。1.5kmほど続く城下町では、両側にお土産屋さんや食べ物屋さんが軒を並べており、折しも時代祭と称して広場では甲冑に身を包んだ武者たちが踊りを披露していました。

  情緒ある通りを進んでいくと、遠くに見渡せる高台に犬山城の天守閣が見えてきます。さらに進んでいくと、犬山城へと登っていく高台への入り口には、針綱神社の大鳥居がそびえています。そのわきには、「犬山城近道」との看板が立っており、神社を抜けるとさらに朱に塗られた幾重にも立ち連ねられた鳥居のトンネルが出現します。こちらは、犬山城の守護神を祀った三光稲荷神社です。その鳥居を抜けた先には、犬山城へと登る石畳の坂道があります。

  坂道のうえには犬山城に入る城門が開いていますが、そこに至る石畳の脇には見事に紅葉したもみじが燃えるような赤色を見せてくれます。この日は122日でしたが、今年の暖冬のせいでこの日がまさに紅葉の盛りでした。入場券を購入して中に進むと、城内はさらに見事なもみじが真っ赤に紅葉しています。そして、その紅葉の後ろには4階建ての天守閣が凛として佇んでいます。その雄姿は、1537年の築城、さらに1617年に城に入った成瀬氏による改修を経て、現在にその姿を伝えています。(明治時代には尾張地震で半壊し、修復されたそうです。)

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(紅葉に映える国宝「犬山城」)

  さすがに城自体はそれほど大きなものではなく、狭い木造の急な階段は人がすれ違うのがやっとという危険を感じる構築物です。それでも狭い階段を上っていくと天守閣には、四方に板張りの欄干を設えた回廊がめぐらされています。そこから見える眺めは絶景です。犬山の街がはるかに見渡すことができることはもちろんですが、城の北側にははるかに木曾川がたゆたうように流れており、その美しい姿に見惚れてしまいます。

  素晴らしい天気と美しい紅葉にめぐまれた犬山城は、美しい景観と癒しをもたらしてくれました。

【再び音楽の話】

  ところで、名古屋での仕事を終えて東京に戻ってきた日の翌日は、連れ合いと一緒にクラシックのコンサートに足を運びました。

  実は、クラシックのコンサートでは、所沢の航空公園駅にあるミューズアークホールがとても気に入っています。ここでは、海外から名だたる名指揮者や名楽団がやってきて、超一流の音楽をとてもリーズナブルな金額で聞かせてくれます。あまつさえ、そのホールの音響は木の響きを駆使して工夫されており、海外の交響楽団が醸し出す流麗で張りのある弦の音をみごとに聞かせてくれるのです。

  この日は、昨年に引き続いてパーヴォ・ヤルヴィ氏が自らドイツカンマーフィル管弦楽団を率いてミューズアークホールへとやってきたのです。築30年を迎えるミューズは、この日を最後に14カ月の改修工事に入るため休館となります。耐震工事やバリヤフリー機能の追加のためとはいえさびしい限りです。

  さて、前回のプログラムは私の大好きなブラームスの交響曲第3番と交響曲第1番でした。その演奏は、素晴らしい音色のオーケストラがヤルヴィ氏の情感と緩急の極みを見事に表現して、鳥肌が立つような感動をもたらしてくれました。今回のプログラムは、ハイドンの交響曲101番「時計」とシューベルトの交響曲第7番「グレート」です。このオーケストラの奏でる音は、本当に流麗で張りのある美しい旋律です。この日の交響曲もブラームスに勝るとも劣らない感動をもたらしてくれました。アンコールには、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」が演奏されましたが、その弦楽器の音色は、まさに至宝の弦の音と言っても過言ではありません。

  前回、会場でのCD販売ではブラームスの交響曲第1番は販売されておらず、やむを得ず交響曲2番のCDにサインをもらいました。今回、販売会場を見ると、なんと交響曲第1番のCDを売っているではありませんか。思わず購入してしまい、演奏後、再びヤルヴィ氏のサインをもらいました。「あなたの音楽に感動しました。」と英語で話すと、私の眼を見て「本当にありがとう。」と硬く握手してくれたのが、感動的でした。

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(パーヴォ・ヤルヴィ指揮 コンサートポスター)

  本当に良い音を聞くことは感動です。

  音楽と言えば、毎年必ず聴きに行くクリスマスライブに今年も参加してきました。そのグル−プの名前は「パリスマッチ」。2013年に日本橋で行われたクリスマスライブに参加してから毎年恒例となり、今回の参加は5回目になります。今年はこれまでのライブよりも「恋人」感が強く、少し落ち着いた雰囲気を醸し出していたライブでした。これまでは、途中でマリさんの衣替えが定番でしたが、今回はバンドのインプロもオープニングのみで、一気に最後まで聞かせてくれました。

  今回のハイライトは、アルバム「アフター SIX」から4曲続きの楽曲と、ライブの中盤で樋口さんのクラシックギターの伴奏がメロディアスに奏でられた2曲のボサノバでした。清水マリさんの声は、ボサノバに美しい憂いをにじませてくれ、ライブにこれまでにはない彩りを加えてくれました。終盤は、おなじみの「虹のパズル」、「太陽の接吻」、「サタデイ」とノリノリの曲で締めくくり、今年もパリスマッチの健在ぶりを示してくれました。

  今年は、MCのネタにも苦労しているようで、衣替えもなく例年よりも短く終了したので、ライブ終了後、いつものライブ仲間と神田で少し早い忘年会としゃれ込みました。ライブの後の飲み会は盛り上がって最高ですね。

  実は、今回のブログは出張中に読んだ本の話をするはずだったのですが、話し始めたら本以外の話で終わってしまいそうです。この12月は、まだまだ話が尽きません。

  今、東京駅丸の内口の三菱一号館美術館で「フィリップス・コレクション展」が開催されています。この展覧会は、アメリカのダンカン・フィリップス氏が1921年にワシントンDCに開設した美術館のコレクションを日本で紹介する展覧会です。そのコレクションは幅広く、印象派のモネ、シスレー、マネ、コローからゴッホ、セザンヌ、ドラクロワ、ドガまでを展示するとともに、モダンアート以降のブラックやカンディンスキー、ピカソなどの絵画も多数展示しています。一昨日、連れ合いとみてきたのですが、その本物の迫力にすっかり魅了されてしまいました。

  その素晴らしい絵画の話をもっと詳細に話したいところなのですが、残念ながら紙面が尽きてしまいました。京都旅行の話も中途半端だし、本の話もできないし、今年はどうもあわただしい中で年の瀬を迎えそうな雲行きです。何とか、まとめて良い年を迎えたいものです。

  取り止めもありませんが、年の瀬は日本に寒波が押し寄せてくるようです。皆さん油断なく、健康に留意してお過ごしください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年11月27日

501回 前50回でのベスト10

こんばんは。

  前回、500回記念ブログでは、つい京都旅行の話になってしまいましたが、毎回恒例の50回にて読んだ本のベスト10紹介をあぶなく忘れる所でした。

【ジャンル別 読んだ本紹介】

  今回は、50回のブログで、39冊の本をご紹介しましたが、我ながら節操のない選択だなあ、と呆れています。自分として興味のあるのは、社会学としては歴史と科学、芸術方面では文学、音楽、絵画、映画、さらにはスポーツ本となります。そこに小説が加わりますが、小説の場合にはやはり著者で選ぶ場合が多いようです。以下、ジャンル別の本を読んだ順にご紹介します。

  39冊の内訳を語れば、歴史にからむ本が「習金平と永楽帝」、「縄文の思想」、「古代の技術を知れば『日本書紀』の謎が解ける」、「周-理想化された古代王朝」、「人類5000年史T 紀元前の世界」、「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」と6冊を数えました。科学の本は、「脳の誕生-発生・発達・進化の謎を解く」、「第3のチンパンジー」、「絶滅の人類史」、「言ってはいけない宇宙論 物理学7大タブー」の4冊でした。ジャレド・ダイアモンド氏の「第3のチンパンジー」と更科功氏の「絶滅の人類史」は人類史を描いた本なのですが、著者が科学者であり、科学の本だと理解しています。

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(NHKEテレ ダイアモンド氏の講義 tvguide.or.jp) 

  続いて、芸術方面の本。文学本では、近著であるドイツ文学者池内紀氏の「戦う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記」と70年以上前に書かれたフランス文学者である渡邉一夫氏の「五つの証言」は、ヒューマニストであり、非政治的人間であったトーマス・マンを異なる観点から描いており、どちらも読みごたえのある作品でした。また、女優の山口果林さんが書いた「安部公房とわたし」は、我々が知らなかった安部公房の姿が描かれており、興味が尽きません。少し変わったところで、宮城谷昌光氏の「三国志読本」も著者の創作舞台裏をのぞくことができて、珠玉の1冊でした。

  今回、音楽本と絵画本は1冊ずつ。「交響曲『第九』の秘密-楽聖ベートーヴェンが歌詞に隠した真実」は、これから年末にかけてピッタリの第九本です。日本でなぜ第九が大人気なのか、真摯な解釈から第九の謎に迫る面白い本です。また、おなじみ原田マハさんの「いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画」は、元キュレーターであるマハさんがこれまでのキャリアの中で、衝撃を受けた絵画をその体験も交えて紹介する、絵画ファンには垂涎の1冊です。

  映画本も2冊ご紹介。

  今年のアメリカの中間選挙は、アメリカファーストを唱えるトランプ政権を支える共和党の勝敗が毎日の報道を賑わせました。その中で、映画評論家の町山智浩氏がこの中間選挙のレポーターとして選挙結果に対して評論していたのには驚きました。確かに氏は20年以上アメリカ、カリフォルニア州のバークレーに住んでおり、アメリカの事情に通じているわけです。最初、なぜ彼が、と思いましたが、前回の大統領選挙の状況と今回の中間選挙の違いを現場感覚として事例付きで解説しており、とても興味深いレポートでした。やはりタレントです。

  その町山智浩氏の「トラウマ恋愛映画入門」。彼の映画城論が面白いのは、牽強付会と紙一重のところで自らの独自の評論を繰り広げるところです。すでに何冊も映画評論集を上梓していますが、それぞれに違う視点で牽強付会論を繰り広げており、面白い本に仕上がっています。

  今回の映画本で面白かったのは吉永小百合さんの「私が愛した映画たち」です。映画女優として長いキャリアをもつ小百合さんですが、国民的アイドルとして多くのサユリストに愛され続けてきた歴史を背負います。今回は、インタビュー形式でその想うところを大いに語っています。この本で何よりも心を動かされるのは、吉永小百合さんが映画と映画に関わる人たちに持ち続ける深い愛情です。長く生きていれば、様々な場面で憎まれ口の一つもききたくなる場面があるはずですが、彼女の言葉にはそのカケラも感じられません。本当に良い本を読むことができたと思います。

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(映画「キューポラのある街」ポスター)

  さて、スポーツ本に行く前にまだジャンル別で紹介できていない本があります。それは、インタビュー本と対談本です。こうした本は、複数の語り部が登場するので、ジャンル化することが難しくなります。今回3冊が登場しますが、それぞれです。元NHKデレクターの吉成真由美さんがインタビューを行った「人類の未来−AI、経済、民主主義」は、すでに3冊目を迎えますが、インタビューアーが取材する人物の著作や思想を十分に理解しているので、質問も適切ならば、答える方も深い答を語ってくれます。このシリーズは本当に読みごたえがあります。

  同じインタビュー本ですが、「世界の未来 ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義」は、それに比べてわかりづらく、答えにはスリルもないので、全体としては散漫な印象が免れません。さすがにマイケル・トッド氏のインタビューはスリリングですが、それだけに全体のまとまりのなさが残念です。

  さて、さらにノンフィクション作品もあります。今回は、ノンフィクションの保守本流ともいえる本田靖春氏の「誘拐」を読みました。昭和の有名な誘拐事件である吉展ちゃん誘拐事件を描いていますが、その手法はまさに感動を呼びます。今となっては古典と言ってもよいのですが、その感動は色あせることはありません。もう1冊は、橘玲氏の「言ってはいけない中国の真実」。最新の中国を自らの体験を交えて鋭く描く、良作です。また、対談本では、インテリジェンスを語っておなじみの手嶋龍一さんと佐藤優さんの対談、「独裁の宴 世界の歪みを読み解く」も好調な語りで、次作が楽しみです。

【今年の収穫  スポーツ本】

  2020年の東京オリンピックまであと2年を切りました。東京での開催が決まってから日本のスポーツ界は活況を呈しています。レスリング、柔道、体操、水泳など、これまでメダルを輩出してきた種目ももちろんですが、今回、種目が復活した野球・ソフトボール、追加されたボルダリング、空手、スケートボードも話題沸騰です。

  さらに今年はサッカーのワールドカップがロシアで開催され、続いて来年は日本でラグビーのワールドカップが開催されるなど話題は尽きません。皆さんは、先日のラグビー日本代表のテストマッチをご覧になりましたか。ロシアは世界ランキングで日本(11)よりも格下(19位)ではありますが、体格では日本を上回っており、ワールドカップ初戦の対戦が決まっている強豪です。

  ランキング上位のイングランドとの戦いでは、前日本のヘッドコーチ、エディ・ジョーンズを相手に力負けすることなく、大いに善戦しました。日本代表の進化は、エディも認めていました。そして、臨んだロシア戦。BSでの中継を、期待を胸にみていたのですが、試合が始まってから日本はロシアの早い攻撃に押されて、スクラム期に反則を連発し、前半に逆転を許してしまいました。前半終了時点で、ペナルティゴールを5つも献上し、スコアは日本1027ロシア。

  翌日も仕事があり、後ろ髪を引かれながらも寝室に行き後半の開始を待たずに寝てしまいました。そして、翌朝。結果は日本3227ロシアの大逆転勝ち。まだ夢を見ているのではないかと、思わず頬をつねりました。ニュースで試合経過を見ると、後半戦の日本の粘りには目を見張ります。戦前にこの試合の重要さを語っていた主将のリーチ・マイケル選手。2727の後半30分。トライから抜け出したパスをつなぎ、最後にボールを手にしたマイケル選手は、迫りくる敵を見事にかわして逆転トライを決めたのです。なんとワンダーな結末なのでしょう。

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(マイケル・リーチ主将の勝越トライ sannkei.com)

  今年はとにかく日本代表の闘いが熱い。

  同じようにスポーツ本も熱いと嬉しいのですが、今年読んだ3冊はどれも面白さ抜群でした。特に6月に開催されたサッカーロシアワールドカップに挑んだ西野ジャパンの試合は見事でした。開催の1ヶ月前にハリルホジッチ監督を解任し、西野監督を選んだ日本サッカー協会でしたが、西野氏はみごとに日本代表をベスト16へと導いたのでした。バスト8をかけたベルギーとの戦いも最後の最後まで結果が見えない死闘でした。

  日本代表は世界に通用する力を持っているのではないか。そんな期待を抱かせる西野ジャパンの選手たちでしたが、冷静に考えれば、やはりベルギーは日本よりもはるかに強かったのです。日本は負けるべくして負けたのだ。そうした冷静な分析と判断がなければ、日本代表は世界と互角に戦うことができません。今回読んだ「サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析」には、これからの日本代表の課題が示されています。

  一方、大好きな野球では松井秀喜氏がコーチを務める大リーグ選抜チームが来日し、日本代表の稲葉ジャパンと親善試合を行いました。親善試合とはいえ、日本代表にとっては51敗という完勝と言ってもいい内容であり、東京オリンピックに向けて幸先の良い内容となりました。今回は若手中心のメンバーでしたが、ソフトバンクの柳田選手が相変わらずのフルスイングで大活躍するなど、見ごたえのある試合が続きました。しかし、これだけ勝ちが続くと、日本代表の課題が打ち消されてしまい、逆に心配になります。まだまだ欠点のある日本代表と考えられます。これからのチームのレベルアップに期待しています。

  今回の野球本は、1998年に横浜ベイスターズの監督としてチームを38年ぶりの優勝に導き、日本代表の投手コーチも務めていた権藤博氏とスポーツジャーナリストの清宮清純氏の対談本がとにかく面白かった。「継投論 投手交代の極意」は、プロ野球における投手のあり方を投手心理と野球の戦略論からひも解いて語る、見事なマネジメント本です。野球は、先発、中継ぎ、抑えの分業制によってひとりでも多くの人間が勝利を分かち合うことによって、チームがますます強くなっていく。現代野球に求められる戦略はまさに権藤さんの言葉にあると言っても過言ではありません。

  もう1冊は、おなじみ野村勝也氏の名監督談義「私の選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得」です。御大も今年で83歳となりましたが、「生涯現役」をモットーとするだけのことはあり、サッチーさんを亡くしてもノムさん節はなお健在です。登場する名監督は、ちょっと古くなりますが、この本で日本のプロ野球の歴史を知っておけば、プロ野球ファンとして様々なことが語れること間違いなしです。

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(2018日米野球 柳田選手のホームラン auone.jp)

【やっぱり小説は面白い】

  さて、乱読読書の中で数が多いのはやっぱり小説です。今回は39冊のうち、11冊が小説でした。こちらの分野も我ながら節操がない選択でした。

  その中では、久しぶりに読んだ翻訳物のSF中編集、テッド・チャン氏の「あなたの人生の物語」はワンダーでした。この本は、映画「メッセージ(原題:Arrival)」の原作で、映画を見てぜひとも原作を読みたくなったことが購入のきっかけでした。動機はともかく、そこに収められた短編は、それぞれジャンルも異なり作風も違うものの、どれも卓越したアイデアにワンダーを感じながら読みました。やっぱり、SF小説のワンダーは格別です。

  作家として追いかけているのは、宮城谷昌光さんを筆頭に原田マハさん、真山仁さん、浅田次郎さん、黒木亮さんと続きますが、時々本屋さんの棚で「これは!」と思う小説に出会うことがあります。今回の中では、先日NHKでドラマ化された米澤穂信さんの「満願」はスリリングな短編集でした。三上延さんもそうですが、最近はライトノベル出身の実力派作家が素晴らしい作品を書くことがあたりまえになってきました。さらに感動した作品では、松岡圭祐さんの「八月十五日に吹く風」があります。題名を見れば、太平洋戦争の終戦に絡む話である事は想像が付きますが、まさかあの「万能鑑定士Q」の著者がこんなジャンルで感動に導く小説を書くとは、嬉しいワンダーでした。

  その他の作品では、久々に読んだ幸田真音さんの「ナナフシ」はこれまでの幸田作品とは一線を画した作品で、人生の不条理にさいなまれる人々が何をきっかけに再び挑戦する気持ちを持つようになるのか、を描いた佳作です。やっぱり幸田さんは金融ディーラーを描かせれば天下一品ですね。また、初めて読んだ安東能明さんでしたが、「ソウル行き最終便」。期待したインテリジェンス性は今一つでしたが、そこに仕組まれたサスペンスはジェットコースター級で、十分に楽しめる作品でした。

  さてさて、前振りがやたら長くなりましたが、この50回で読んだ本のベスト10は、以下の通りです。相変わらず独断と偏見で選んでいるわけですが、気が向いた方は一度手に取ってみてください。ワンダーを感じていただければ幸いです。

(題名をクリックすると、そのブログとリンクしています。)


BEST 3

第1位 「八月十五日に吹く風」

(松岡圭祐著 講談社文庫 2017年)

第2位 「サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析」

  (五百蔵容著 正海社新書 2018年)

第3位 「暗幕のゲルニカ」

(原田マハ著 新潮文庫 2018年)


BAST410

第4位 「若い読者のための第三のチンパンジー」

(ジャレド・ダイアモンド著 秋山勝訳 草思社文庫 2017年)

第5位 「三国志読本」

(宮城谷昌光著 文春文庫 2017年)

第6位 「脳の誕生-発生・発達・進化の謎を解く」

(大隅典子著 ちくま新書 2017年)

第7位 「継投論 投手交代の極意」

(権藤博 二宮清純著 廣済堂新書 2017年)

第8位 「満願」(米澤穂信著 新潮文庫 2017年)

第9位 「私が愛した映画たち」

(吉永小百合 立花珠樹著 集英社新書 2018年)

第10位 「交響曲『第九』の秘密-楽聖ベートーヴェンが歌詞に隠した真実」

(マンフレッド・クラメス著 ワニブックスPLUS新書 2017年)


  本日も長いブログになってしまいましたが、お付き合い有難うございました。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2018年11月25日

日々雑記 500回の先にあるのは?

こんばんは。

  毎度、長いブログにお付き合いをいただき誠にありがとうございます。

  皆様のおかげを持ちまして、日々雑記も無事に500回目を迎えることが出来ました。初めてのブログが2010年の11月ですので、このブログも8年間続いたことになります。改めて、ご訪問頂いている皆様に心から感謝いたします。ブログを始めてから半年ほどのときに東日本大震災が起こり、東北から北関東、そして原発事故の現場では、未曾有の被害と避難を余儀なくされた大勢の方々の厳しい姿に心が大きく乱れました。

  あれから7年半が経ちましたが、原発事故で避難された方の帰還もままならず、復興を目指す地域でも一度避難した方々が戻ることが難しく、過疎化した地域がたくさんあると聞き、同じ日本に住む人として、心を寄せて応援する毎日です。

  その後も熊本の地震、大阪、北海道の地震による未曾有の停電や、気候変動による非常に強い台風の連続しての上陸など、自然災害の猛威は留まるところを知りません。災害に巻き込まれて亡くなられた方々のご冥福をお祈りしますとともに、避難を余儀なくされている皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

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(復興が進む熊本城 asahi.comより)

  ところで、私も今年節目の還暦を迎えましたが、昨今は「人生100年」と言われています。このブログもあと30年くらいは続けたいと気持ちを新たにしているところです。ブログのハンドルネームは、「人生楽しみ」。これまでも「人生の楽しみ」をご紹介してきましたが、生きていれば世の中は感動と喜びに満ち溢れています。ブログの中心は、大好きな本の紹介となっていますが、音楽ライブにしても映画にしても絵画にしても旅行にしても、様々な出会いがあり人生の楽しみは尽きることがありません。

  これからも、どうぞよろしくお願いします。

【京都の紅葉は美しい?】

  さて、114日の日曜日から、連れ合いと共に京都旅行に行ってきました。

  実は、今の仕事は出張が多く、ここ3年ほど大阪に月23回は出かけます。昨年の秋、新大阪から「のぞみ」に乗って東京に向かっていると、京都駅で10人ほどの一団が乗り込んできました。年齢的には70歳を超えていそうな一団で、皆さんご夫婦連れのようです。どのご夫婦も上品そうな方々で、それぞれが口々に穏やかな口調でお礼を言い合っているのです。

  聴くともなく聞いていると、「本当に紅葉がきれいで、素晴らしい旅行でしたね。また、ぜひご一緒しましょう。」とか、「清水さんでは素敵な写真が取れて、本当にありがとうございました。」など、ご夫婦同士が嬉しさを体ごと表現して会話しています。よほど紅葉が美しかったのか、誰もが顔をほころばせて幸せそうです。それを聞いていて、これまで何十回となく京都駅を通過し、京都で仕事までしていたにもかかわらず、京都の紅葉は一度も見ていないことに思い当たったのです。

  「そうだ、京都へ行こう。」 そのとき、頭の中に「My Favorite Things」のメロディが流れて、ジュリー・アンドリュースの歌声が響いてきました。

  ということで、今年は早くから京都旅行の計画を立てて、半年以上前から予約していたのです。しかし、114日から34日の旅行はリスクを伴うものでした。なぜなら、例年京都市内の紅葉が最も美しいのは11月末となります。ただ、最近の気候は予断を許さず、夏の後にはすぐに冬が来て「秋」のない年が続いたので、うまくいけば紅葉も早いことに期待をかけて、まだ人が少ない時期に旅行を計画したのです。

  ところが、残念なことに今年は暖冬。直前に調べた京都新聞の紅葉情報では、ほとんどの紅葉スポットは色づきはじめにもならない「青葉」の表示です。結局、連れ合いには申し訳ない時期になったと心で手を合わせながら、旅に出たのです。

  随分前から計画していた割に、根がずぼらなために具体的な計画はほとんど立てていませんでした。唯一、私は赤い鳥居が延々と続くお稲荷さんの総本山である伏見稲荷神社がお目当てで、連れ合いは清水寺から産寧坂・二年坂、八坂の塔に行くのを楽しみにしていました。伏見稲荷は、受験勉強の時代、古典の講義で「枕草子」に伏見稲荷詣でが記されていることを知り、ぜひ清少納言が歩いた道をたどってみたいと思っていたのです。ちょっと大げさですが、伏見稲荷を歩くことは40年来の夢だったのです。

【清水寺から八坂の塔あたり】

  ということで、1日目は市営バスで駅から清水道バス停まで行き、ふもとから清水寺をめざして歩き出しました。車が通る大通りを狭い舗道に沿ってゆるやかな坂を上ると、道が二つに分かれます。左はお土産屋さんなどが並ぶ通り、右はポツポツとお土産屋さんや焼き物のお店などがありますが、地味な道のりとなります。それにしても人が多い。今は、2020年に向けて清水の舞台は改修工事中ですが、さすがは世界遺産です。

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(清水寺 仁王門の奥にある三重の塔)

  途中のお店を楽しみながら坂を上がると20分ほどで境内へとたどり着きました。舞台となる本堂こそ改修中で几帳に覆われていましたが、境内の建物は朱色も鮮やかで、見事な仁王門、西門、経堂とその荘厳な建物に圧倒されます。本堂に至る道からは音羽の滝から至る境内の庭を見下ろすことが出来、うっすらと紅葉している木々を見ることが出来ます。境内には、レンタルの和服を身に着けた男女が多く、驚きます。自撮りをしている若い和服のカップルに「撮りましょうか。」と声をかけると、カワイイ女性が不思議な顔でキョトンとしています。英語で話すと、笑顔になってカメラをこちらに渡してくれました。

  我々の方もとってくれると言うので、スマホを渡して場所を交代。二人で並んで写真に納まりました。境内には、中国人をはじめ外国人がたくさん来ていますが、この二人は東南アジア系の顔立ちをしていて、団体ではなく英語を話すところを見るとシンガポールから来ているのかもしれません。それにしても和服を着た外国人がとても多く、南米系の顔立ちで和服の男性には驚きました。やむを得ないことなのですが、和服を着た外国人女性がガニ股でドカドカと歩く姿にはちょっと閉口しました。

  写真を撮りあった二人とは、その後も産寧坂でもバッタリと出会って女の子が嬉しそうに連れ合いに向かって手を振ってくれるのが、とても印象的でした。ところが、帰ってから写真を整理していると不思議なことに撮ってもらったはずの我々の写真が見当たりません。確かに画面を押してくれたはずで、二度シャッターを切ってもらったのですが、何が起きたのでしょう。もしかすると、あの二人は幻だったのかもしれません。

  今回の旅では御朱印を頂くことも目的の一つでしたが、今回慌てて出発したので御朱印帳を家に忘れてきました。これからたくさんのお寺や神社を訪れるので、ここは、清水に来た記念に御朱印帳も新たに購入し、御朱印を書いてもらうことにしました。ここから4日に渡る御朱印の旅が始まります。

  清水寺から登ってきた道をとは別の参道を通って産寧坂へと向かうと、参道の両脇には様々なお店が軒を連ねています。和菓子屋さんやクレープ屋さん、お土産屋さんから雑貨屋さん、清水焼から漆器まで、八橋屋さんもたくさんあり、なぜか元祖の文字が躍っています。人の数はまるで原宿のようですが、石畳の狭い小路は京都の風情を醸し出していて、やはり古都の空気が感じられます。

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(京都東山 産寧坂の賑わい)

  道路沿いのお店はどこも目を引く小物を並べています。中学生の時に修学旅行でやってきて清水焼のとっくりとぐい飲みを買ったことを思い出しました。おしゃれな佇まいの陶器雑貨のお店に入ると、陶器でできたネコやフクロウの置物や鈴が様々な大きさで並んでいます。中に、小さな陶器製のカエルがあるのを見つけました。お財布に入れて、お宝カエル、交通安全無事カエル、だそうです。これがとても可愛く、ひとつひとつ色も微妙に異なります。思わず、青、緑、ベージュ、桜色、白の5色を選んで、家族全員の分を購入しました。これで、一家は安全ですね。

  この日の京都は晴れてとても暖かく、散策にはもってこいの気候でした。産寧坂を下りていくとどこからか香ばしい良い香りが流れてきます。香りの元をたどっていくと左脇のお店の店頭で、みたらし団子が焼かれているのを発見しました。気が付けば、バスを降りてから歩きづめ。お団子を食べて一休みすることにしました。店の名前を見ると「京だんご 藤菜美」と書いてあります。町家風の店舗は奥に竹製のベンチが置かれており、店内で食べることができます。

  お店の名物は、「みたらしだんご」と「わらびもち」。「わらびもち」には、きなこ、抹茶、黒糖の3種類があります。さらに、抹茶をベースにした「洛水」というあざやかな緑のドリンクがあります。悩んだ結果、「みたらしだんご」と「きなこわらび」、「抹茶わらび」と「洛水」のセットにしました。焼きたてのみたらし団子の味は格別。わらびもちもスッキリとした甘さが心地よく、「洛水」の抹茶味とよくからんで旅の疲れもすっかり癒されました。

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(穏やかな甘さがおいしいお団子セット)

  疲れもぬけて、周りの景色を楽しみながらゆっくりと石畳を下っていくと道は二股に分かれます。右に折れると二年坂を通って高台寺に向かいます。まっすぐに進むと八坂の塔へと続きます。我々は、一度八坂の塔まで行って戻ってくることにしました。実は、八坂の塔の近くに「陶葊(とうあん)」という京焼・清水焼のお店があり、連れ合いがぜひ行きたいと言うのです。

  八坂の塔に向かってさらに下っていくと、五重塔が徐々に近づいて最高の撮影スポットへとたどり着きます。たくさんの人が写真を撮っていますが、少し順番を待てば写真が撮れる状態で紅葉満開の時期にはどうなるのかと思うと、今の時期の旅行はラッキーと感じます。

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(産寧坂を下っていくと八坂の塔の姿が・・・)

  「陶葊(とうあん)」さんは八坂の塔がある法観寺の脇にありました。数寄屋風の建屋の中には色とりどりの京焼・清水焼の器が並べられています。清水焼というと陶器の青が薄くグラデーションされた器を想いますが、このお店には様々に色つけ絵がなされた煌びやかな陶器が飾られています。特に目を引いたのは、白い陶器に赤、青、緑、黄金と様々な色で描かれた動物たちの小皿やぐい飲みです。このお店の焼き物は高級品でなかなか手が出ませんが、見ているだけで心が癒されるようでした。店内のカウンター近くには白く美しいオウムが籠で買われており、お客さんが「こんにちは」と話しかけると、「こんにちわ!」、「ちわ!」と上手に物まねして大うけしていました。

【二年坂から高台寺へ】

  京焼・清水焼で癒された後は、再び坂を上り二年年へと戻ります。そこから二年坂の石畳の道を下っていくと、とある町家風の建物の前に人だかりがあり、大勢の人たちが写真を撮っています。いったい何が・・・。その建物の2階を見上げると、そこには木板の看板が掲げられており、焼印のように店の名前が記されています。近づいてみるとその看板に印字されている文字は、なんとSTARBUCKS。おなじみのイラストが看板に刻まれています。さすが、天下のスタバも粋な店舗を出すものだ、と感心しました。

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(スタバ 二寧坂ヤサカ茶屋店の店舗)

  街並みを楽しみながらしばらく歩くと、大通りへと導かれます。その大通りを渡ると、右側に大きな駐車場があり、その先に坂本竜馬や高杉晋作の碑や墓があるとの案内を見ることができます。時間を見るとすでに16時に近く、幕末の記念碑はあきらめて、そのまま高台寺へと向かいました。高台寺の門に向かって歩くと右側に大きな観音様が姿を現します。ガイドを見ると、太平洋戦争で亡くなった方を祀った観音様であるとのこと。その大きさに圧倒されます。

  高台寺は、美しい庭園を備えた寺。拝観券は高台寺のみの券と「掌美術館」、「圓徳寺」とセットの券とがありますが、ここまで来たのでセットで拝観することとしました。高円寺はかの豊臣秀吉の糟糠の妻ねね(北の政所)が、秀吉の没後にその魂を弔うために建立したお寺です。その庭園は築山と人工池を持つ美しいものです。紅葉にはまだ早かったのですが、ところどころにオレンジ色に染まった楓の葉を見ることができ、風情を感じることができます。

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(高台寺の庭園の池と築山)

  いまだほのかな紅葉を楽しみながら、築山を登っていくと、その先には高台寺時雨亭が佇んでいます。石段を登り、お堂の前で手を合わせると、お堂の中には右側に秀吉像、左側にはねね(北の政所)像が祀られています。ねねは右の膝を立てて座っていますが、この時代にはこの座り方が正式なものだったということです。お二人は穏やかです。

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(庭園の紅葉 グラデーション)

  庭園の竹林や竜の像に魅せられてゆっくりと歩くうちに日がすっかり低くなりました。高台寺の境内を出ると正面に長い石段が下っているのが見えます。京都には外国人の観光客がたくさんいて、ヨーロッパからの美男美女が純日本の石段を写真に収めています。我々は、写真もそこそこに「掌の美術館」へと向かいます。そこには、400年以上も前の秀吉やねねのゆかりの品や掛け軸がならんでいて、ねねの暮らしを偲ばせてくれました。

  美術館を後にすると「ねねの道」の石塀ぞいにねねが晩年を過ごしたという「圓徳院」があります。「圓徳院」に通ずる門をくぐると、苔むした小庭園は早くもライトアップがなされていて、美しい明かりが我々を迎えてくれます。そこから方丈と呼ばれる建物に入るのですが、そこからみごとな金の襖を見学し北書院へと進むと、そこには素晴らしい北庭を目にすることができます。まだ紅葉には早かったのですが、ライトアップされた枯山水の庭園は淡い黄色や紅が明かりに照らされて別世界を見せてくれます。庭には、形の良い岩と山水が配されて、その木々のかたちから一つの豊かな世界観を感じることができます。

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(圓徳院 北庭のライトアップ)

  その庭の美しさにすっかり満足して、我々は北書院を後にしました。あたりはすっかり夕暮れとなりましたが、建物を出たところは驚いたことに「掌美術館」を出た場所と同じ場所でした。まるで回廊のだまし絵にあったようで、なんだかねねのいたずらにまどわされたような感じでした。

  ここからは、安土桃山時代の風情を感じることができる石塀が続くねねの道たどって帰路につきました。高円寺の下道を西に向かって進めば、東大路通に出ることができます。そこを北に登れば、「東山安井」のバス停があります。京都行のバスは比較的頻繁に出ており、10分ほどでバスがやってきました。さすがに東山から京都駅に向かうバスは満員で、スペイン語を話す6人組がドタドヤと乗ってきてヨドバシカメラの前で降車していったのが印象的でした。

  こうして京都旅行の一日目は終了しました。この日の紅葉はまだまだでしたが、この後、我々は素晴らしい紅葉に出会うことになるのです。


  500回の記念ブログでしたが、すっかり京都旅行記になってしまいました。この終わり方は、旅行記がしばらく続く様子を醸し出していますが、そのとおり。しばらく、京都の魅力を語りたいと思いますので、よろしければお付き合いください。

  たかが500回、されど500回。これからも人生の楽しみをつづっていく所存です。今後ともどうぞ「日々雑記」をよろしくお願い申し上げます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年11月19日

野村克也 プロ野球の名監督10人とは

こんばんは。

  今年のプロ野球は、パリーグのソフトバンクがクライマックスシリーズを勝ち上がり、見事にチャンピオンフラッグを獲得し、三連覇を成し遂げました。一方、セリーグでは、広島がリーグ三連覇を成し遂げて、無類の強さを見せつけました。広島は、かつて古葉監督時代に山本浩二や衣笠を擁して1975年に初優勝を成し遂げ、第一期黄金時代を築き上げたのです。

【第三期広島カープ黄金時代】

  1979年には、日本シリーズであの有名な「江夏の21球」によって近鉄を下し、見事日本一を勝ち取っています。さらに1986年には阿南監督のもとで優勝。そこから、1988年には山本浩二が監督に就任。その打線は大いに強さを発揮して毎年Aクラスを続けて1991年には、見事セリーグ優勝を果たします。

  この時代を第二次黄金時代とすると、緒方監督が就任して2016年から3年連続してリーグ優勝を勝ち取った現在の広島は、まさに第三期黄金時代と言っても過言ではありません。しかし、広島の球団としての魅力は、選手が広島をこよなく愛しているところにあります。2015年に緒方監督が就任すると、時を併せて大リーグからあの黒田博樹投手が帰還。さらには阪神を自由契約となった新井貴浩選手もチームに戻り、広島愛の強さをみることができました。(黒田投手は2016年末で引退。新井選手も今年引退。さびしいですね。)

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(2018 緒方監督の胴上げ asahi.com)

  この二人の広島愛が第三次黄金時代の礎となったことは間違いありませんが、広島の劇的な戦いも我々に感動をもたらしてくれました。2016年のセリーグ優勝時には、優勝の後にDeNAとのクライマックスにも勝利して日本シリーズに出場しましたが、2017年には、リーグ優勝を果たしたものの、クライマックスシリーズで前年のリベンジに燃えるラミナスDeNAに敗退し、日本シリーズ出場を逃しました。

  今年のペナントレースでは、前年のクライマックスシリーズの無念を晴らさんとスタートから驚異的な粘り腰で逆転劇を演じ続け、4月から首位を譲ることなく一気に優勝を決めました。今年のペナントレースで広島は20試合で逆転勝ちを収め「逆転のカープ」と呼ばれました。今年、パリーグ優勝を果たした西武も逆転を多く演じましたが、その西武の逆転勝ちは16試合(両リーグで2位)だったので、いかにカープが粘り強かったかを物語っています。

  残念ながら日本シリーズでは、3連覇に燃えてクライマックスシリーズで西武を下して勝ち上がってきたソフトバンクホークスの勢いに破れましたが、3年連続のリーグ優勝が色あせるわけではありません。日本シリーズで、驚いたのはソフトバンクの甲斐捕手でした。シーズン中からその肩の強さには定評がありましたが、日本シリーズでの6連続盗塁阻止、阻止率100%はすごみがありました。盗塁8個がすべて失敗したのでは、さすがの広島カープも機動力を武器とすることが出来ませんでした。

  今年もプロ野球は本当に面白かったのですが、来年度は更なる楽しみが待っています。まずは、新監督の就任です。セリーグでは、若き高橋由伸監督に代わり、三度目の登板となる原辰徳氏が監督に。最下位に終わった阪神の金本監督の後は、現役時代に女性ファンをたくさん獲得していた矢野2軍監督が1軍監督に昇格。松坂投手のカンバック賞を演出した中日の森監督が退任し、剛速球で名を馳せた元中日の与田剛氏が、新監督に就任しました。

  この中では、過去、7度のリーグ優勝、3度の日本一に輝き、さらには日本代表を率いてWBCで優勝を飾った原監督の実績が抜きに出ていますが、来年もドラフト会議での新戦力の活躍もまじえてプロ野球から目を離せません。

  さて、野球の話になるととめどなく続きますが、今週は久しぶりに今年83歳になるもますます意気軒高な野村克也氏の本を読んでいました。

「私が選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得」

(野村克也著 光文社新書 2018年)

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(ノムさんの名監督談義 amazon.co.jp)

【日本プロ野球の監督史】

  このブログでも何度か紹介していますが、プロ野球を語る本はあまたあるものの、野村さんの野球本には勝負師として勝つことに懸けてきた勝負の歴史と舞台裏があふれています。そこに語られているのは、選手として1954年から1980年まで26年間で捕手として3017試合に出場。1970年から1977年までは選手権監督とし南海ホークスで監督を兼任。さらに1990年からはヤクルト、阪神、楽天の監督を歴任し、3204試合の指揮を執った実績からくる「野球とは何か」という見識です。

  捕手というチームの要を続けてきた経験と選手を育てチームとしてリーグ優勝を果たし、さらには日本一となるために培ってきた戦略は、「最後には勝つ」という合目的的な思考と行動に貫かれています。その分析は、野村流の思考に貫かれており、野球好きにとっては興味が尽きません。

  その野村さんが今回選んだ切り口は、プロ野球の歴史に刻まれた10人の歴史に残る監督を語る、というものでした。日本プロ野球の生きる歴史と言ってもよいノムさんの語る名監督。ここのところ、本屋さんで新刊を見つけてもあまり触手を動かされなかったのですが、今回の本は、最初の語りを読んだとたんにその内容に魅せられて購入しました。

  野村氏が楽天の監督を退任したのは2009年ですが、その後、楽天の名誉監督に就任して2012年までその職にありました。それから6年。その間、昨年に野村氏は愛妻である沙知代夫人を亡くし、大きなショックを受けました。しかし、生涯現役のポリシーが変わることはなく、その後も本の執筆意欲は留まるところを知りません。

  今回の本では、野村氏が1954年から2012年までのプロ野球人生の中で、尊敬する監督、ライバルであった監督10人を選定し、その監督としての考え方、エピソードを紹介していきます。この本の構成は良く工夫されており、本当に興味深く読み進むことが出来ます。

その目次をひも解くと、

第一章 日本シリーズ 西本幸雄 川上哲治 森祇昌

第二章 南海時代 鶴岡一人 三原脩 水原茂

第三章 ヤクルト時代 長嶋茂雄

第四章 阪神時代 星野仙一

第五章 楽天時代 王貞治 落合博満

第六章 特別編 野村克也

  この顔ぶれを見ると、現代の野球ファンの中にはピンとこない人も多いと思います。特に野村氏が自らの人生の中で尊敬する5人の監督、三原、水原、鶴岡、川上、西本は、40年以上も前の人で、すでにレジェンドとなっています。その強さ、戦略の確かさは間違いないものの、その名采配の迫力を現場で見たファンは数少ないと思います。

  それでも、巨人軍川上監督のV9という偉業を成し遂げるまでのエピソード。さらに、1950年初頭、巨人軍の総監督三原と監督水原という不思議な時代がありました。巨人の中で絶大な人望があった水原の取り巻きは、三原総監督を敗訴する動きを見せて、三原総監督は巨人軍監督を辞任します。そして、西鉄ライオンズの監督となった三原脩は、西鉄を鍛え上げてパリーグ優勝を果たし、1956年にセリーグ優勝の水原巨人と日本一をかけて対戦しました。

  特に1958年の日本シリーズは、すでに伝説と化しています。この龍虎の闘いは「巌流島の決闘」とも称され、当時、日本中で話題となりました。この時、三原西鉄は、水原巨人に3連敗を喫し、がけっぷちに立たされます。しかし、第4戦から当時の絶対的エース稲尾和人投手が巨人軍に立ちはだかります。途中、降雨順延もありましたが、稲尾投手はその後4連投して巨人を下し、みごと逆転日本一を勝ち取ったのです。

  その後、三原監督は西鉄監督を辞任してセリーグに戻り、1960年大洋ホエールズの監督に就任します。そして、セリーグ内にて再び水原対三原の監督対決が実現します。前年最下位であったホエールズでしたが、三原監督は三原マジックとも呼ばれた名采配により、水原巨人と壮絶な戦いの末に大洋を球団創設以来の優勝へと導きます。さらには、日本シリーズにも勝利して、最下位から優勝・日本一という劇的な勝利を掴み取ったのです。

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(1960年 三原大洋の劇的優勝 amcb.jpより)

  こうした歴史を知ると、野村氏にとってのみならずすべてのプロ野球ファンにとって、三原脩、水原茂、川上哲治は、間違いなく名監督だったと言えるのです。

【監督采配の動機づけとは】

  この本の章立ては、野村氏の野球史の時代ごとになっていますが、面白いのは各監督の選手への動機づけ方法によって、監督のタイプを分類しているところです。野村氏はその動機づけを5つに分け、それぞれの監督のタイプを振り分けます。

  その一つ目は「管理」。管理野球とは、外出禁止令や罰金、食事制限などの選手管理によって選手を動機付ける方法です。このタイプには、川上哲治氏、広岡達朗氏が当てはまります。広岡監督の菜食主義はつとに有名でした。

  二つ目の手法は「納得」です。この手法は極めて現代的と言えますが、理で語り選手を納得させるのは、指導者であれば必ず必要となる管理手法です。ここに当てはまるのは、川上哲治氏、水原茂氏、森祇昌氏、落合博満氏、です。それは、野球理論に基づいた選手の指導が中心であったということです。ちなみに特別編で登場する野村勝也氏自身も自らを「納得」タイプに置いています。

  そして三つ目は「情感」。つまり、人の情に訴えることによってチームを引っ張っていくことです。このタイプには、川上哲治氏、三原脩氏、西本幸雄氏、星野仙一氏が選ばれています。

  四つ目の分類は「報酬」。ここには、川上哲治氏、鶴岡一人氏が当てはまります。ちなみに鶴岡監督は、野村氏が入団した南海ホークスの監督で23年間に渡り監督を務め、南海の黄金時代を築き上げました。その口癖は、「グランドにはゼニが落ちている。ゼニが欲しければ練習せい。」というもので、野村氏の本を読む限り、野村さんは鶴岡監督の指導を認めていないようです。

  最後の五つ目の分類は「実績」。プロ野球では、「名選手必ずしも名監督にあらず」と言われますが、選手時代に大きな実績を残した監督には、おのずと選手が付いてくると言う側面もあります。野村氏は、ここで川上哲治氏、長嶋茂雄氏、王貞治氏の名前を挙げています。

  ここまで読んで気づいたと思いますが、川上哲治氏はすべての分類に含まれています。つまり、川上監督は、すべての手段を駆使して選手たちを動機づけし、縦横無尽の采配により、9連覇を成し遂げたのです。野村さんが最も尊敬するプロ野球監督。それは川上哲治さんなのです。

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(1973年 南海を下してV9を達成 jiji.com)

【ノムさんの名調子】

  この本を読むと、久しぶりの野村節に思わず引き込まれます。

  西本幸雄監督は、阪急、近鉄を率いて8度のリーグ優勝を成し遂げた名将ですが、一度も日本一になることが出来ず、「悲運の名将」と呼ばれています。しかし、ノムさんは、数々のエピソードによって西本監督の人柄と戦略の素晴らしさを語っていきます。そして、ご本人が語った言葉で最後を締めくくります。

  「本当に私が悲運なら戦争でとうに死んでいる。3チームで素晴らしい選手に巡り合え、8度も日本シリーズに連れて行ってもらえた。あえて言うなら、幸運の凡将や。」

  野村さんが捕手時代、あらゆる選手の情報をバッターボックスでささやいて、相手の調子を狂わせるささやき戦術を実践していました。長島監督の現役時代、彼だけにはそのささやきが効かなかったと言います。ささやきは、飲み屋のつけや女性関係にも及びますが、集中力を削ぐ意味で、ささやきで最も効果がある言葉が、「打撃フォームがいつもと違うね」だと言います。

  ある時、バッターボックスの長島選手にこの言葉をささやくと、長島さんは「え、ホント?ちょっと待ってね」とバッターボックスをはずして、入念に素振りを繰り返し戻ってきたそうです。結果はみごとなホームラン。本塁ベースに戻ってきた長島は一言「ノムさん、ありがとう」と言ったそうです。監督時代のメークドラマは、この思い込みがあってこそ生まれたのかもしれません。

  ノムさんが本気で語る野球本は、本当に面白い。落合さんの項も必読です。

  来年のプロ野球では、清宮、吉田と続く日本ハムのルーキーたちを、大谷選手を育てた栗山監督がどこに導いていくのかが楽しみです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年11月03日

三上延 ビブリア古書堂の扉子さん?

こんばんは。

    本にまつわる話をはじめると、とめどなく続いてしまう。本好きにとって、著者の想いや人生が詰め込まれた本はかけがえがない財産です。思い入れの中味は人によって異なりますが、本に対する人の想いの数々をタペストリーのように織り込んで続いてきた小説といえば、三上延氏の「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズです。

    大円団を迎えた第7巻をブログで紹介してから、早いもので1年半が経ちました。第7巻の最後、三上さんは「あとがき」で、シリーズとしては最終回を迎えたけれども今後番外編やスピンオフ作品は書いていきたい、と述べていました。そして、その言葉通り、新作が発売されたのです。

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(「ビブリア古書堂」最新刊 amazom.co.jp)

「ビブリア古書堂の事件手帖〜扉子と不思議な客人たち〜」

(三上延著 メディアワークス文庫 2018年)

【ビブリア古書堂が持つ時間】

  前回のブログで、「ビブリア古書堂の事件手帖」の中で過ぎていく時間の話をしましたが、このシリーズの主人公であるビブリア古書堂の女性店主、篠川栞子さんと五浦大輔くんがある事件で出会ったのは2010年の7月でした。7巻に及んだ謎解きの歴史ですが、作品の中で進んだ時間は春夏秋冬が巡る1年間だったのです。その1年間の間に様々な事件から栞子さんを守り切った大輔青年はその想いを遂げて、めでたく栞子さんと一緒になることが出来ました。

  この新刊が発売されるという情報は、映画情報から得られたものでした。

  2018年111日に実写映画化された「ビブリア古書堂の事件手帖」が封切りを迎えました。作品世界が一般に共有化去れている物語の映画化はとても難しいものと認識しています。この作品は、累計で680万部も売れているということです。すると、私も含めてこの世の中には680万種類の栞子さんがいて、680万種類の大輔くんがいるわけです。

  今回のストーリーは、第1巻で大輔くんが「田中嘉雄様へ」との記載と共に夏目漱石のサインが入った「それから」をビブリア古書堂に持ち込み、栞子さんがその本に秘められた謎を解く話と、栞子さんがその本のために襲われてしまう太宰治の「晩年」の初版本を巡る事件が中心となっています。その意味で、原作を大切にしている映画と見て取れます。

  以前、テレビドラマ化されたときには、栞子さんをドラマ初主演の剛力彩芽さんが演じていましたが、初回を見てあまりにイメージが異なっていたので、その後は全く見ませんでした。どの程度原作の持つ魅力をスクリーンへと映し出すことが出来るのか、と心配になり、映画のサイトを訪れると、原作者である三上延さんとこの映画の監督三島有紀子さんとのトークイベントの記事が掲載されていました。

  それを読むと、監督はことのほか本が好きで、今回の監督の話も本好きであることが依頼のきっかけであったと語られています。さらには、二人の好きな本も非常に似ており、まるで栞子さんが栞子さんと話しているように話が弾んだそうです。三上さんもこの映画が原作の持つ香りをそのまま映像化しているところに嬉しさを感じており、原作者のイメージがそのまま映画となっているようで、映画にも期待が高まります。

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(映画「ビブリア古書堂の事件手帖」ポスター)

(映画情報)

・作品名:「ビブリア古書堂の事件手帖」

 (2018年日本・121分)

・スタッフ  監督:三島有紀子

       脚本:渡部 亮平・松井 香奈

・キャスト  篠川 栞子:黒木 華

       五浦 大輔:野村 周平

       稲垣:成田 凌    五浦 絹子:夏帆

       田中 嘉雄:東出 昌大

  監督の三島有紀子氏は、もともとドキュメンタリー映画を得意としていますが、この作品では「人と人をつなぐ、時を超えた本の持つ力」を栞子と大輔の関係を通じて描きたいと語っています。この映画が大好きな本にまつわる物語であることからディテールにもしっかりこだわっているようです。例えば、ビブリア古書堂の本棚ですが、スタッフが通常のように背板のある本棚をセットしたところ、本と本の隙間から向こう側にいる栞子さんを取りたいとの理由から、本棚からすべての背板を取り去ったそうです。

  映画は、リテールにこだわるほど良い作品になると言います。その意味で、本作品は作品の持つ想いをそのまま伝える映画として期待が出来そうです。

7年後のビブリア古書堂】

  さて、小説の話に戻ります。

  栞子さんと大輔くんは、本にまつわる様々な謎を解くことによって人と人の間に絡み合う糸を解きほぐして事件を解決してきました。7巻の物語が描かれた1年間で二人はお互いに必要な人である事を確認し、惹かれあい、最後にはハッピーゴールインを迎えて結婚します。昨年の最終話のときには小説世界の時間は2011年でした。しかし、我々の時間はすでに7年が経過して2018年。もしも、小説世界でも我々と同じ時間が流れていたとすれば、二人はどうなっているのか。

  作者の三上さんは、不思議なことに我々と同じ思いを執筆しながら考えていたと言います。

  なんと、今回の「ビブリア古書堂」では、小説内でも我々と同じ時間が流れているのです。栞子さんと大輔くんが結婚してから早7年か経ち、大輔くんは五浦姓から篠川に姓が変わっています。そして、二人の間には娘が生まれていました。まだ小学校に上がる前の少女の名前は「扉子」と言います。扉子ちゃんは、母親の篠川栞子さんの面影を宿す女の子で、その意味では美しい少女だと思われます。

  さらに、栞子さんの娘だけあって、無類の本好きです。古書堂では肌身離さず本を持ち歩き、暇さえあれば児童書か否かに関わらず、一心不乱に読み進めます。さらには、栞子さんからは本の話を聞きたがり、相手の都合に関係なく子供らしく率直な疑問をぶつけます。ビブリア古書堂に持ち込まれたお客さんの本でも、興味を持てば手に取ってのめり込むように読んでしまいます。この本の最終章では、お客様の本、内田百聞の童話「王様の背中」を持ち出して読んでしまい、そのことが期せずしてある事件を解決に導くこととなります。

  最新刊の手法は、栞子さんの母親である篠川智恵子が登場し、栞子さんの人生に絡んでくる第3巻にその構成が良く似ています。この本には、4つの話が収められているのですが、その4つの話は、栞子さんがせがまれて本に関わるお話を扉子ちゃんに語っていくと言う体裁で進んでいくのです。その構成は良く練られています。

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(栞子さんのイラスト animatetimes.com)

  今回も4冊の古書が登場し、その本と人の物語が語られていきます。その本とは、

1章 「からたちの花 北原白秋童謡集」

2章 「俺と母さんの想いでの本」

3章 佐々木丸美 「雪の断章」

4章 内田百聞 「王様の背中」

さらにおまけに1冊、新潮文庫「マイブック‐2010年の記録‐」が登場します。

【本に込められた人の想い】

  本に込められた思いは、人それぞれです。自分の愛する人や尊敬する人からもらった本は、自分の人生に大きな影響をもたらします。また、その本に導かれて自分の人生が変わることもあるわけです。新刊本は新しい歴史を創りますが、古書はその中に人の想いや歴史が刻まれています。なので、その存在が見事な小説を生み出していきます。

  これまでも「ビブリア古書堂」に触発されて、古書にまつわる想いをブログでも紹介してきましたが、今回は私にとってかけがえのない本をご紹介します。その本は、小説でも評論でもありません。どちらかと言えば、本というよりもテキストと言った方が良いかもしれません。

  今では、Eテレと称する3チャンネルですが、その昔はNHK教育テレビと言っていました。その中では、英語やフランス語などの語学番組もあれば、料理番組や盆栽の番組など、趣味と教養のための番組を数多く放送していました。その中で、どういう基準かはわかりませんが書籍化された本がありました。

  昭和49年に当時の教育テレビで放映された「平家物語の世界」という講義が、昭和51年に日本放送出版協会から上下2冊の本となって出版されました。『平家物語の世界』上下巻 放送ライブラリー(日本放送出版協会 1976)。テレビでの放映はみていませんが、当時、平家物語の魅力に魅入られており、渋谷の大盛堂書店で平家物語の本を探していた時にこの本を見つけ、その世界観を見事に語ってくれていることに驚いて購入しました。

  講義をしていたのは、当時、駒澤大学で中世文学を研究されていた水原一教授でした。この本は、平家物語おなじみの「祇園精舎」、「殿上闇討」からはじまり、「足摺」や「橋合戦」など、有名な場面を網羅し、丁寧に講義してくれていました。ご存知のように栄華を極めた平家の人々が源頼朝の挙兵から、木曾の義仲、鞍馬の義経に責め立てられ、福原、一の谷、屋島、と落ち延びて、ついには壇ノ浦で滅びていく姿は、涙なくして語ることはできません。

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(水原一「平家物語の世界」 amazon.co.jp)

  平家の若い公達たちが武士としての美学を貫いて次々と最後を迎える姿は、平家物語の名調子と共に何度読んでもその姿に強く胸を打たれます。和歌の名手であった忠度、仁和寺まで琵琶を返して都落ちをした経正、笛を良くし若くして斎藤別当実盛に打ち取られた教盛。皆、戦いの中で散っていきます。さらに、以前にブログでご紹介した「瀬尾最後」という、平家への恩を忘れずに勝てるはずのない戦いへと身を投じていく親子の壮絶な物語を知ったのはこの本からでした。

  大学のときにこの本を片手に京都に旅行し、嵯峨野をはじめ平家ゆかりの地を巡ったことを今でもよく覚えています。

  「ビブリア古書堂の事件手帖」を読むと、こうした人生の伴侶であった本たちを思い出してしまうのです。今回も、本に潜む謎を解き明かしつつも我々に人の心のワンダーを届けてくれます。

【心の機微を語る4つの物語】

  このビブリア最新刊ですが、読み終わって若干の違和感を覚えました。それは何かというと、篠川(旧姓:五浦)大輔くんが登場しないところです。実は、このシリーズの面白さのひとつは、は一貫して若きアルバイター五浦大輔くんが物語の語り部を勤めていたところにありました。彼は、本を読むとアレルギーを発症すると言う性癖の持ち主で永い間本を読むことが出来ません。その彼が、栞子さんへの純粋な恋心から本の話と謎解きの聴き役と彼女のボディガード役を果たしていくことが、このシリーズのキモだったのです。

  ところが、今回、大輔くんは栞子さんの母親で本のエキスパートである篠川智恵子氏の仕事を手伝うために海外に出張しているのです。栞子さんと娘の扉子ちゃんは日本でお留守番です。小説は、でかけた大輔くんが大事な本を出しっぱなしにしてしまい、出先から栞子さんにその本をさがしてしまっておいてもらうことをメールで頼むところから始まります。そして、その本を探しに出かけた栞子さんが、本に関わる出来事を扉子ちゃんに語っていくことで、物語が進行していくのです。

  そのため、第1話はビブリア古書堂にインターネットで1冊の本を購入した女性が物語を語っていきます。ところが、著者の三上さんも書きにくかったのか、第2話では過去の回想という導入で、なつかしい大輔くんの語りがもどってきます。第3話では、ホームレスの志田さんを先生と呼ぶ栞子さんの妹文香の同級生、小菅奈緒が主人公となり、奈緒の語りへと変わります。さらに最終話では、前作でシェイクスピアのファーストフォリオを巡って争った舞砂美術商の吉原喜市の息子、吉原孝二が語り部となります。


  そして、その違和感も含めて、今回の番外編、というか現代編はシリーズの中では中くらいの面白さでした。シリーズでは、他の作品のレベルが高いだけにシリーズ第3巻を読んだ時にはその緊迫感の不足からとてもガッカリしたのですが、この最新作にも同じ感想を持ちました。第3巻のときには、次作が初の長編作となり、それが起死回生の作品となりました。ファンの一人として、次回作にそのパワーを期待したいと思います。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年10月28日

原田マハ 暗幕を解いた「ゲルニカ」

こんばんは。

  先日、2カ月ぶりに香川県の高松に出張しました。時期的には温暖な気候で高松港からもとても癒される島影を見ることが出来ました。往復はANAだったのですが、高松行の発着は69番スポット。行きも帰りも相当歩かなければなりません。通常は、その通路にはお店が立ち並び、楽しみながら歩くことが出来るのですが、現在は第二ターミナルが改装中で、その景色は味気ないものとなっています。

  特に帰りの便が到着した後にターミナルまで戻る通路は無味乾燥で、ただ淡々と歩くのみです。

  ここ数年、高松でプロジェクトがあって何度も出張しているのですが、夜、羽田空港に着いて到着スポットからターミナルまでの長い通路には、いくつもの動く歩道があり、人々は家路?を急いで足早にそのうえを歩いていきます。私も当然ながら早足で歩くのですが、先日は妙なことを考えさせられました。

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(羽田空港第二ターミナルの動く歩道)

  いつも早足で動く歩道を進んでいると、より速く歩いていく人に右側から抜かされていきます。人間には闘争心が備わっていて、あまりに多くの人に抜かされると、なにくそ!と感じて、自分も同じ速度で歩こうとします。速度を上げて、自分よりもはるかに若い人を抜き去ると、なんとなく自分のアイデンティティーが確認された気がして、納得感を感じます。昨日も何人かの人たちが、私を抜かしていきましたが、驚いたのは私よりもはるかに高齢とおぼしき女性が颯爽と抜かしていったことです。しかも、それが何人か続いたのです。

  最近、歩く速度は年齢とともに遅くなっていくのかも、と少々後ろ向きに考えていたのですが、考えさせられました。それは、歩く速度とは物理的な体の仕組みの問題なのではなく、歩く人の個性の発露なのではないか、との思いです。近年では、世界の歌姫テイラー・スウィフトさんが訴えている通り、LGBTへの意識が低い人間は軽蔑(軽視)されることが広く世に広まりつつあります。歩く速さも同様で、その速さとは個人の個性であり、それを率直に受け入れることが求められているのかもしれません。「歩く」とは、スピード×歩きの質=個性だと言えるのです。

  高齢の女性に抜かされて追いかける気力がなかった言い訳と言われると、何とも言えませんが、先日、羽田空港の動く歩道のうえで、夜7時過ぎにそんなことを考えていました。

  さて、その出張前、文庫化を待ちに待っていた原田マハさんの小説が発売され、手に入れました。今週は、その本を大いなる感動と共に読んでいました。

「暗幕のゲルニカ」(原田マハ著 新潮文庫 2018年)

【原田マハさんのアート小説】

  このブログで原田マハさんのアート小説「ジヴェルニーの食卓」を紹介してから早くも5年が経ちました。今回の小説は、2016年に単行本が上梓されましたが、文庫本となるまでにはさらに2年近くが必要でした。実は、この小説が雑誌「小説新潮」で連載開始となったのは、2013年の7月号だったのです。そこから数えれば、まさに5年が経ったことになります。

  この小説を読むと、とにかく驚くのはその取材の緊密さとプロットの面白さです。題名からわかるとおり、この小説の主人公は、20世紀の天才と呼ばれたパブロ・ピカソ。もっと言えば、ピカソが自らの祖国であるスペインで繰り広げられた空爆による殺戮を心に描き、これをモチーフにして描き上げた傑作「ゲルニカ」が主役です。

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(「暗幕のゲルニカ」文庫 amazon.co.jp)

  マハさんの絵画小説第一弾である「楽園のカンヴァス」では、パリの孤高の作家アンリ・ルソーとそのモデルであったヤドヴィガが時代を超えて語られています。印象派のエピソードを描いた中編小説集である「ジヴェルニーの食卓」を上梓したのが、2013年ですからこの小説の執筆時にはすでに「暗幕のゲルニカ」は取材を終えて構想も練られていたということです。もちろん、その根底にはマハさんの「ゲルニカ」に対する大きな感動があったことは間違いありません。

  この小説で、マハさんのアート小説への技法はますます進化を遂げています。「楽園のカンヴァス」では、アンリ・ルソーの絵の真贋を見極めるキュレーター対決が「現代(1980年代)」の事象をものがたり、それと並行して1890年代のアンリ・ルソーが語られていきます。今回の「暗幕のゲルニカ」で語られる現在は、ニューヨーク貿易センターがテロリストによって崩壊した後の2003年。「テロへの報復」を宣言したジョージ・ブッシュ大統領がイラクのフセイン政権への国連軍による空爆を決定する場面からはじまることになります。

  そして、並行して描かれていくのは、ピカソが「ゲルニカ」を描いた1930年代のパリです。この時代の主人公は、ピカソの恋人であったドラ・マール。ピカソは、その生涯にたくさんの女性と浮名を流し、結婚もしていましたが、1936年から1945年まで写真家であり画家でもあったドラと生活を共にしていました。そして、スペインで共和国軍とフランコ率いる反乱軍が内線を繰り広げる中、パリ万博のスペイン館に展示する巨大な絵画として「ゲルニカ」を書き上げるのです。

  カメラマンであったドラは、その「ゲルニカ」の製作過程を写真に収めていたのです。この時代の物語は、ピカソの愛人であったドラのピカソの恋人としての矜持と芸術への愛情を余すことなく描いており、ドラの物語に引き込まれてしまいます。

  この小説は、現代パートの登場人物がすべてフィクションによる創作であり、歴史パートの登場人物は実在の人物となっていますが、マハさんの造形のうまさは、歴史と現代をつなぐ美術界の理解者を想像しているところにあります。一人は、スペインの大富豪の息子でパリに亡命しているフリア・イグシナス。そして、もう一人は、ニューヨーク近代美術館の理事長であるルース・ロックフェラーです。マハさんは、自ら作り出したアートの理解者である二人を自家薬籠中のものとして自由自在に活躍させています。

  そうして、マハさんのアート小説はますます面白さを増していくのです。

【「暗幕」の意味するもの】

(ここからネタバレあり)

  小説家のすごさは、日常で起こる様々な物事やエピソードがふとしたきっかけから物語へと結びついていくところにあります。

  ピカソの「ゲルニカ」は、戦争の非合理をすべての人に訴える力を秘めていますが、国連の会議場にはこの「ゲルニカ」の精密なタペストリーが掲げられているそうです。2003年、当時のブッシュ政権は大量の殺戮兵器(核兵器や化学兵器)を隠し持っているフセイン大統領のイラクに空爆を行うことを決定します。国連では、安全保障理事会でこの空爆を肯定する決議は行われませんでした。しかし、アメリカは空爆を決行します。

  その空爆に先立って、当時のコリン・パウエル国務長官は国連の議場で記者会見を行い、「イラクに大量破壊兵器が存在する。」との見解を発表しました。議場での会見では、当然ながらその後ろに「ゲルニカ」のタペストリーが映し出されます。ところがこの会見の時、「ゲルニカ」のタペストリーには青い「暗幕」がかけられ、隠されていたのです。確かに「ゲルニカ」の前で開戦を語るのは、あまりにもアイロニーに満ちており、場違いです。

  この暗幕に隠された「ゲルニカ」を見た瞬間にこの作品がマハさんの中で形作られることになったのです。

  この小説の現代パートでの主人公は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でキュレーター(学芸員)を務める八神瑤子です。彼女は、10歳のときに父母の仕事でニューヨークに住んでいました。そして、母親に連れていってもらったMoMAで、「ゲルニカ」に出会い、その強力な磁力に圧倒されます。見なければいけない、しかし、目を向けてはいけない。その強いジレンマに引き寄せられたのです。そこから彼女のパブロ・ピカソ研究の旅がはじまります。八神瑤子は、スペインの美術館を経てピカソ研究の第一人者となり、「ゲルニカ」と出会ったMoMAのキュレーターとして戻ってきました。

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(ニューヨーク近代美術館MoMA  wikipediaより)

  小説は、衝撃的な場面から始まります。瑤子はニューヨークでアートコンサルタントだったイーサンと出会い、幸せな結婚をしました。2001年の911日の朝。いつものように朝食をとり、朝早めの仕事のために先に家を出たイーサン。イーサンを送り出した後、瑤子は彼から送られたピカソの鳩のドローイングに挨拶をしてから家を出ます。MoMAに行くために地下鉄の駅から出た瑤子を待っていたのは、同時多発テロでした。そして、イーサンの事務所は貿易センタービルにあったのです。

  イーサンの死から2年が過ぎ、瑤子はMoMAでピカソ展の企画を立ち上げていました。2年前の同時多発テロのとき、この企画は「ピカソ回顧展」として企画されていました。ところが2003年、アメリカは同時多発テロへの報復に全国民が燃えています。瑤子は、イラク戦争へと向かうアメリカの姿を目の当たりにして、報復の連鎖に大きな違和感を覚えていました。そして、今は亡きイーサンも決して報復を望んでいないと確信します。

  瑤子は、ピカソ回顧展の企画を変更し、「ピカソと戦争」という名称で、ピカソがスペイン内戦、第二次世界大戦をとおして芸術家として戦争にどう対峙したのかを問う展覧会とすることを決意します。そして、その展覧会のためには、かつてMoMAで展示され、1982年にスペインの民主化に伴い返却された「ゲルニカ」の展示が不可欠であるという考えに至ります。しかし、「ゲルニカ」はスペイン国内で持ち出しが不能な特殊な事情があり、スペイン政府はかたくなに移動を拒絶しているのです。瑤子は、果たしてこの苦境を乗り越えることが出来るのか。

  そして、20033月アメリカはイラク空爆を決定し、パワー国務長官が国連で記者会見を行った際に「ゲルニカ」のタペストリーが暗幕で隠される事件が勃発します。メディアは、MoMAのキュレーターである瑤子が暗幕で覆った犯人ではないか、と騒ぎ出します。なぜなら、国連のタペストリーの所有者は、MoMAの理事長であるルース・ロックフェラーその人だったからなのです。

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(タペストリー「ゲルニカ」Wikipediaより)

【傑作「ゲルニカ」の運命は?】

  1937年429日のパリ。ピカソのグランゾーギュスタンのアトリエにあるベッドで、ドラ・マールは目を覚まします。アトリエの窓を開けると大通りの喧騒が聞こえ、セーヌ川に浮かぶシテ島のノートルダム寺院の尖塔が目に入ります。ドラは、ピカソが起きだすのを見ながらこのアトリエに越してくる前に3人のスペイン人がピカソを訪ねてきたことを思い出します。

  時代は、スペイン内戦の真最中。反乱軍であるフランコ将軍と熾烈な戦いを繰り広げる共和国軍は、パリで開かれる万国博覧会にスペイン館を建て、共和国がスペインを統治する正当な政府であることをアピールしようと考えています。そして、そのスペイン館の目玉として、その入り口に入るとすぐの壁面にピカソの絵画を展示しようともくろんでいました。

  ピカソの元を訪れた3人は、ピカソにその絵画の制作を頼みに来たのでした。絵画の大きさは、縦3.8m、横7.8mという壁画のような大きさだったのです。その場ではイエスもノーも答えなかったピカソでしたが、自由を謳う共和国を支援したいという気持ちは強くあり、その巨大な絵画の制作を引き受けたいと思っていたのです。

  しかし、その巨大なカンヴァスに何を描こうというのか、テーマはなかなか決まらず、時だけがいたずらに過ぎていきます。そんなある日、新聞の一面に衝撃的な記事が載っていたのです。それは、フランコ将軍を支援するナチスドイツがスペインバスク地方の都市ゲルニカに無差別空爆を行ったとのレポートでした。その記事を見たピカソは、怒りを抑えることができずに新聞をずたずたに引きちぎると、怒りのままにアトリエへと向かい、閉じこもってしまったのです。

  そして、ピカソはゲルニカ空爆に触発され、自らの内面から発露した真実をカンヴァスにぶつけました。そこに映し出された下絵を見て、ドラ・マールは大きな衝撃に打ち抜かれます。その傑作はパリ万博でスペイン館に飾られることとなりますが、その後、共和国はスペイン内戦で追い詰められ、スペインではフランコ将軍が独裁政権を打ち立てることになります。

  さらに、時代はファシストの時代へと突入し、ドイツはヨーロッパ全土を席巻し、フランスに侵攻、ついにパリもナチスドイツの占領下に置かれることとなるのです。「ゲルニカ」はナチスを批判する作品です。ピカソのアトリエにある「ゲルニカ」が見つかれば、絵は没収されて焼却されるに違いなく、ピカソさえも逮捕され殺されるやもしれません。

  

  2003年に生きる八神瑤子と1930年代に生きるドラ・マールの「ゲルニカ」をめぐる闘い、その結末はどこに行くのか。まさに小説は緊迫と数々の謎を抱えながらその大きな闘いのすべてを描いていくのです。前作以上のワンダーと感動を秘めた「暗幕のゲルニカ」。秋の夜長にぜひ皆さんも味わってみてください。その実物を見たくなること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年10月13日

吉永小百合 その映画人生を語る

こんばんは。

  皆さんは、「サユリスト」なる言葉をご存知ですか。

  今は、「ブラタモリ」で毎週NHKに登場するタモリさんは、自ら「サユリスト」であることを公言しています。吉永小百合さんが生まれたのは終戦の年ですから、「サユリスト」の世代は70代から団塊の世代までの男性が圧倒的多数です。

  最近、著名人たちの年齢を聴くと、いつの間にか年を取ったことを実感します。吉永小百合さんも戦後と同じ年齢と聞くと、びっくりです。私も今年60歳で定年を迎えましたが、60歳になるとはこういうことなんだな、と実感する毎日です。2年前に亡くなった長姉が、私より9歳年上で1949年生まれ、団塊世代の代表ですので、「サユリスト」は、65歳から75歳までの方が中心ですね。

  新宿駅のホームから改札に向かう間では、吉永小百合さんが我々に微笑を送ってくれます。そのポスターを見ると、吉永小百合さんのまったく変わりない姿に驚くと同時に癒される感じがします。小百合さんの実年齢を考えると20歳以上お若く見えます。小百合さんは、JR東日本の「大人の旅倶楽部」で永くメインキャラクターを勤めていらっしゃいます。JR東日本のサイトを見ると「大人の旅倶楽部」の撮影場所一覧が掲載されており、それによれば、東北の「2005年 岩崎港沢辺防波堤灯台」が最も古い撮影地です。13年間、日本中を旅しているわけです。

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(大人の旅倶楽部ポスター jreast.com)

  世代的に「サユリスト」たちは、先輩に当たります。吉永小百合さんが出演した映画は、伝説となっているものも含めて、常に話題となっていたことは覚えていますが、正直に言えば、フーテンの寅さんシリーズを除いて、その出演作を映画館で見たことは一度もありません。しかし、映画好きとしては120本の作品に出演した女優が、自ら映画について語る本を見つけて、読まないわけにはいきません。

  今週は、吉永小百合さんが自ら出演した映画について語った本を読んでいました。

「私が愛した映画たち」

(吉永小百合 立花珠樹著 集英社新書 2018年)

【映画女優の人生とは】

  今年公開された映画「北の桜守」は、吉永小百合さん出演120本目の記念作だったそうです。小百合さんが映画初主演から60年が経つと言いますから、まさに映画と共に歩んできた人生と言えます。今回の本は、120本への出演を記念する意味もあり、映画評論家でライターでもある立花珠樹氏が2年間にわたり、小百合さんにインタビューを行い、その内容を本にまとめたものとなります。本の中では、小百合さんの女優人生にとって転機となった16本の作品について、自ら思う存分語る形となっています。

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(「私が愛した映画たち」 amazon.co.jp)

  最初に語られるのは、ラジオドラマでの声優デビューから14歳で初めての映画「朝を呼ぶ口笛」に出演するまでのエピソードです。小百合さんの清楚で可憐な容姿から我々は、お嬢さん育ちではないかと考えがちですが、小百合さんの家は父親の事業の失敗などにより、決して裕福ではなく、母親の収入と、小百合さんの出演料が家計を支えていたと言います。

  この本でも、当時、自分のギャラがいくらだったのかは知らなかったが、仕事をしたときには食事の時のおかずが一品増えるのがうれしかったと語っています。

  それ以来、小百合さんが出演し、この本で取り上げられた映画は以下の通りです。

1960年代)

「キューポラのある街」(1962年 浦山桐郎監督)、「愛と死をみつめて」(1964年 斎藤武市監督)、「愛と死の記録」(1966年 蔵原惟繕監督)

1970年代)

「男はつらいよ」(1972年・1974年 山田洋二監督)

1980年代)

「動乱」(1980年 森谷司郎監督)、「夢千代日記」(1985年 浦山桐郎監督)、「細雪」(1983年 市川崑監督)、「華の乱」(1988年 深作欣二監督)

1990年代)

「外科室」(1992年 坂東玉三郎監督)、「夢の女」(1993年 坂東玉三郎監督)

2000年代)

「北の零年」(2005年 行定薫監督)、「北のカナリアたち」(2012年 阪本順治監督)、「北の桜守」(2018年 滝田洋二郎監督)-北の3部作、「母と暮せば」(2015年 山田洋二監督)


  時代は大きく変わっていき、映画は紆余曲折を経て進んできましたが、吉永小百合さんが、その人生を映画と共に歩んできたことは、この作品群を見れば明らかです。それぞれの章で語られる内容は本当に幅広く、小百合さんの語りはどこまでも率直です。

  自分の中でのその作品の意味から始まり、作品の中で出会った監督や共演者たちのエピソード、そうした周囲の人々から学んだ様々なもの、撮影時のエピソードなど、盛り沢山な内容が時代と共に語られていき、その柔らかな語り口と併せて、アッと言う間に読み進んでしまいます。

  例えば、名作の誉れも高い「キューポラのある街」ですが、この映画は監督の浦山桐郎がはじめて監督としてメガホンを取った作品です。彼は今村昌平のもとで助監督を務めており、社会派の作品を作り上げようと燃えていました。はじめは、この作品の主演をオーディションによって募集しようと考えていたのですが、当時日活の二枚看板であつた浜田光夫と吉永小百合を使うよう会社の上層部から命じられたのです。

  出演が決まった小百合さんは、ある日、食堂で監督と居合わせます。監督は彼女に向かい、「貧乏について、良く考えてごらん。」と言いました。彼女は、「私の家も貧乏なので、貧乏の事は良く知っています。私自信があります。」と答えました。すると監督は、「君のところは、山の手の貧乏だろ、下町の貧乏っていうのがあるんだ。」と言います。小百合さんは、それまで与えられた役をこなすばかりで、演技について考えたことがなかったそうです。この言葉は、ずっと頭に残っており、考え続けたそうですが、その意味はやはり分からなかった。

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(当時のブロマイド  asuka.com)

  しかし、映画の撮影が始まり進んでいくうちに監督の言っていた「下町の貧乏」ということが分かってきた。つまり、求められる役を考えることを初めて監督から教えられたのです。この映画では、小百合さんのお父さん役を東野英治郎が演じていました。この父親は大酒のみで、娘にも酔って手を挙げるのですが、実際の東野さんは、お酒が全く飲めないのだそうです。その演技のうまさは、酒飲みをよく観察することから身に就いたものだと理解し、役者にとって観察することが重要であることを学んだ、と語るのです。

  東野英治郎と言えば、私の世代では「水戸黄門」そのものですが、毎週日本中を旅して弱きを助け強きをくじく水戸黄門は、やはりプロフェッショナルだったのですね。

【美しくも、健気な人】

  70歳を過ぎた女性に対して、「健気」という言葉は失礼かと思います。しかし、この本を読んで、14歳から数々の映画に出演し、多くの監督や名優たちと共演してきたエピソード、数十年に渡って、真摯に映画に向かうその姿勢を読むにつれて、「健気」という言葉が浮かんできます。

  1960年代の終わりから70年代にかけて、テレビ全盛時代が到来し、映画は衰退の一途をたどることになります。ヒットする映画は、ロマンポルノとヤクザ映画だけ。そこには、清純派女優であった吉永小百合の出番はありません。小百合さんは、ちょうど20代の後半に入り、少女から大人の女優に脱皮することが求められますが、そのための演技を映画で披露する場がありませんでした。そんな中で、小百合さんは神経性の発声障害にかかってしまいます。

  映画の仕事が斜陽になり、テレビに出るようになった小百合さんは、月月火水木金金よりもさらに忙しく1週間が8日あるような生活をしていたと言います。さらに何よりも情熱的だった映画に情熱を感じられないようになります。ストレスにより声が出なくなった小百合さんに何よりも必要だったのは、休息のはずでしたが、小百合さんはひとつとして仕事に穴をあけることなく病気を治したのです。この病気の間に出演したのが、山田洋二監督の「男はつらいよ 柴又慕情」だったのです。

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(「男はつらいよ 柴又慕情」ポスター)

  寅さんを演じていたのはおなじみの渥美清ですが、小百合さんはこの映画の撮影中に渥美さんから忘れられない言葉を聞いた、と語っています。その言葉とは。ぜひこの本の中で確かめてみてください。

  小百合さんは、映画の仕事が忙しく出席日数が足りずに高校を卒業することができませんでした。しかし、忙しい中で大学入学資格検定に挑み合格、1965年には早稲田大学に入学します。さらに、4年間で早稲田大学を次席で卒業しています。そして、寅さん公開の年に結婚。「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」撮影の時には、新婚で所帯やつれしていたそうです。

  この本の中で、小百合さんはこうした出来事を思い起こすままに語っていくわけですが、女優業を続けるために、いつも水着を持ち歩き、時間があればどこででも4種目2キロを普通に泳ぎ、毎日腹筋100回と腕立て伏せを30回行って過酷な撮影に臨む、と聞くと、人生にも仕事にも本当に健気に頑張る方なんだと胸が熱くなります。

【それでも女優は続いていく】

  以前、春日太一さんは、監督市川崑さんを書いた本の中で、市川崑は吉永小百合と出会って以降、奥様である脚本家の和田夏十が亡くなったことも相まって、大作主義の監督に成り下がってしまった、と書いていました。そして、小百合さんのことを「監督クラッシャー」と呼びました。

  市川崑監督が吉永小百合さんを起用したのは、1983年公開の「細雪」でした。この作品は、監督が長年温めてきた企画でもあり、思い入れの強い作品でもありました。小百合さんが演じたのは、四姉妹の三女、雪子役。雪子は、無口でおとなしく、あまり意思表示をしない役どころで、どちらかと言えば悪女的な側面が多い女性です。小百合さん自身も自分には向いていないと感じていたそうですが、市川崑はその魔術のような演出力で、小百合さんから雪子を引き出して画面に焼き付けたのです。

  この作品の評価は非常に高く、吉永小百合の女優としての評価も高まりました。その後、市川崑監督は、「おはん」(1984年)、「映画女優」(1987年)、「つる 鶴」(1988年)と3本の映画を撮っています。小百合さんは、市川崑監督が新しい自分を引き出してくれ、さらに映画への想いを強くさせてくれたと話しています。特に、尊敬する女優、田中絹代をモデルとする「映画女優」は、自ら映画館に足を運び、7回も鑑賞したそうです。

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(映画「細雪」DVD amazon.co.jp)

  市川崑監督が吉永小百合さんと出会って以降、よい作品を撮っていないという意見は、確かに一理あるのかもしれませんが、それは小百合さんとの因果で語るようなことではなく、むしろ、アドバイザーである和田夏十さんが亡くなったことが大きな要素だったのではないでしょうか。

  さて、この本は吉永小百合さんの映画人生が凝縮されたインタビュー集であるとともに、彼女とかかわった多くの監督や俳優たちとの邂逅を語る面でもとても面白い本でした。テレビで大人気であった「夢千代日記」の話や嵐の二宮くんと共演した山田洋二監督の「母と暮らせば」のエピソード、最新の北の3部作へのかかわり方などなど、どこをとっても吉永さんの映画へ愛情がすべての行間から立ち上ってくるようです。

  この本は、その構成も見事です。取り上げられた作品とインタビューへの興味深い語りは、この本のもう一人の著者である立花珠樹さんあっての内容になっていると思います。本当に実り多き本となっています。映画ファン、サユリストの方はもちろん、そうでない方も、この本を読めば心温まること間違いなしです。オススメ。


  さて、早いもので今年も残すところ2ケ月強となってしまいました。季節は、短い秋を迎えていますが、朝晩は気温の低い毎日が続きます。皆さんご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 19:52| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月07日

幸田真音 お金を使うか、使われるか

こんばんは。

    幸田真音さんと言えば、元国際債権ディーラーで、金融市場でトップレベルの成績を上げていた凄腕であったと言われています。しかし、病気が原因でその仕事から引退。いったい人生を何に託していくかと考えたときに、何かを世に残したい、と考えたといいます。そして、選んだ職業が作家だったのです。幸田さんの小説は、主人公であるヒロインが颯爽として未来を切り開いていくとの印象で、そこに過去の経験である金融ディールの話が具体的でリアルにちりばめられており、手に汗を握ります。

  最近では、テレビドラマにもなった「スケープゴート」で一躍その名を知られるようになりました。一方では、以前からTBSテレビ、日曜朝の「サンデーモーニング」でもコメンテイターを務めており、小説は読んだことがなくとも、その名は知っているという方も多いのかと思います。個人的には、氏の小説は、金融ディールや国債投資をテーマにしているものが本当に面白く、これまでそれ以外の小説を手に取る気持ちになりませんでした。

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(文庫「スケープゴート」 amazon.co.jp)

  そんな中で、本屋さんで平棚に積まれた本を見ていると、「幸田真音」という文字が目に飛び込んできました。その帯の記載に目をやると、「職場も家族も夢も失った男と少女の再生」と書かれた下に、「リーマン・ショックから10年。経済小説の旗手が挑む、『生への物語』」と記されていました。そういえば、リーマン・ブラザースがサブプライムローンの暴落から経営破たんし、世界経済がどん底まで落ちたのは20089月のことでした。

  当時の日本は、バブル崩壊によって大手金融機関が次々に破たんしてから10年を経て、ようやく景気が回復しITバブルによって、株価(日経平均)は一時の7000円台から14000円台にまで回復していました。当初、日本ではサブプライムローンへの投資は限定的で、バブル時のように国内での金融機関の破たんまでには発展しないとの観測から景気減速は限定的ではないかとの観測もありました。ところが、世界経済はサブプライムローンの暴落から崩壊し、日本もその影響から景気が低迷、株価も暴落して、ついに8000円台にまで落ち込んだのです。

  この暴落の影響もあり、日本では、自民党が衆議院選挙で敗北。2009年には宇宙人鳩山由紀夫を党首とした民主党が政権を奪取しました。ところが、民主党政権は、日本経済を立ち直らせることが出来ず、東日本大震災の影響もあって201212月の選挙で、安部晋三自民党に敗北し、下野することとなりました。あまつさえ、民主党自身もその後の党不信をぬぐうことが叶わず、崩壊したことは記憶に新しいところです。

  安倍政権は、政権を奪取するや景気回復にカンフル剤を打ち込み、3本の矢によるアベノミクス政策により株価はアッと言う間に上がり始め、今月の株価は24000円を付けるまでに上昇しています。リーマン・ショックの時期に比べれば、株価は3倍となり、逆にバブルの再来が心配されるまでになっています。しかし、今では日本経済は極めていびつな構造に変化しており、株価が上がってもデフレが継続、景気の良さはなかなか実感されることがありません。富は富裕層に集まるばかりで、格差は広がるばかりです。

  それでも、株価の上昇は経済活性化に効果を挙げており、2009年には5.08%であった失業率は、2018年には2.87%にまで下がっています。格差や景気の実感は別にして、現在の日本経済は着実に力強さを取り戻しつつあると言えるのではないでしょうか。

  その帯の言葉に惹起され、久しぶりに幸田真音さんの本を手に取ったのです。

「ナナフシ」(幸田真音著 文春文庫 2018年)

【物語作家は神の眼】

  小説家は、人の心と人生を語ることによって物語を紡ぎます。

  作者は、その物語を語るにあたって登場人物たちの人生をすべてその手に握っています。そうした意味では、その小説世界にとって作者はすべての世界を構築している神そのものなのです。そして、その神は、我々読者を小説世界に引き込むために、あらゆるテクニックを駆使して小説を創りだしていくのです。

  この小説を読むと、作者幸田真音さんの神の眼を感じます。それは、二人の主人公の人生を作品としてどのように語っていくか、という点に小説家としての真骨頂を感じるからです。この作品は、二人の主人公の人生を、その意外な出会いから語っていくことになります。それは、行き倒れ同然の若い女性と金に翻弄されて人生をほとんど無にしてしまった中年男と出会いです。

  いったいなぜうら若い女性が行き倒れとなったのか、東京の木造安アパートにたった一人で暮らす中年男には、どんな悲惨な過去があったのか。物語は、次々に起きていく出来事を語りながら、二人が自らの過去を語らざるを得ない状況を作り上げて、そこで初めて過去を語らせていくのです。その手腕は、まるで良質な連載小説が次号へと読者の興味を引き続いていくように書いていくように鮮やかです。(ちなみにこの小説は連載でした。)

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(文庫「ナナフシ」amazon.co.jp)

  我々は、作者の語りに翻弄されて、興味が尽きぬままにつぎのページへといざなわれていくのです。この小説では、幸田さんの小説家としての手腕を味わうことが出来ます。

  この小説は、今の二人と過去の二人を語っていく人間ドラマとなっていますが、そこに感動が生まれるのは、幸田さんの語り方が上手に仕組まれているからです。

  この本が単行本として上梓されたときに、幸田さんは文芸春秋社のインタビューでこの本について語っています。それに拠れば、単行本の帯には「幸田真音がすべてを注ぎ込んだ初の人間ドラマ」と書かれています。幸田さんはこの言葉について、これまでも金融市場を舞台に人間ドラマを描いてきたつもりだが、この小説はこれまでとは別のチャレンジをした作品だ、と語っています。

  それは、この作品の主人公がリーマン・ショックによって家族や人、そして金という人生のすべてを失ってしまうのですが、幸田さんはこの作品で、リーマン・ショック自体を書くのではなく、もっと本質的な、人間の欲の深淵みたいなものを描きたいと思ったんです。その意味でも、私にとってチャレンジングな小説に間違いない、と言うのです。

  確かに、テーマそのものが幸田さんの小説の中でも特異です。

【「ナナフシ」が表わすもの】

  さて、この作品の題名は変わっています。

  本屋さんで見かけた時には、いったい何の意味なのか想像もつきませんでしたが、「ナナフシ」とは昆虫の名前なのです。作品の中でも語られますが、代表的な「ナナフシ」は細長く茶色い木の枝に擬態する昆虫で、木の間にいると木の枝そっくりで見つけることが出来ません。その動きは緩慢ですが、身の危険がせまると自らの足を切り離して、それをおとりにして逃げ去るのです。

  小説は、こうした「ナナフシ」の生態が各章の章題を構成しています。第一章 自切、第二章 擬態、第三章 生餌、第四章 脱皮、第五章 再生、第六章 飛翔と名付けられているのです。「ナナフシ」とは、若くして苦難の人生を背負った主人公が、まるで「ナナフシ」のように歩んでいく姿を現しており、小説を読み進むと各章の題名が、各章の内容を見事に象徴していることに驚きを覚えます。

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(奇妙な昆虫ナナフシ contyuu.com)

(ここからネタばれあり)

  この小説の主人公は、54歳の深尾真司と23歳の北田彩弓(さゆみ)です。深尾は現在コンビニエンスストアでの深夜のアルバイトで生活しています。アルバイトとはいえ店長を任されており、オーナーからの信頼は厚い身の上ですが、独身で木造のボロアパートから自転車で勤務先のコンピニに通っています。

  ある日、深夜のコンビニの離れのトイレで物音がしました。深尾がアルバイトの学生とともにトイレに向かうと、そこにはまるで浮浪者のような汚い身なりで、ごみ箱のような強烈なにおいを発散する人物が昏倒していました。本来、即座に警察を呼ぶべき事態です。しかし、深尾が顔を確かめるとその人物はうら若い女性でした。

  彼女は、「警察」と言う声に反応して深尾に抱き着いてきます。彼女は、本当に痩せた体で意識も朦朧な中、深尾に向かい、さかんに首を横に振るのです。どうやら警察への通報を拒んでいるようです。さらに娘は高い熱を出しており、すっかり弱っています。コンビニの裏で、毛布と暖かいココアを与えると、深尾は彼女をタクシーに乗せ、病院へと搬送しようとします。タクシーで隣に乗せた娘は猛烈な臭いを漂わせていました。

  深尾は、過去に経験した、ある忌まわしい臭いを思い出します。そして、行き場所もないのであろう若い一人の人間にこのまま見殺しにしてはいけない、との強い想いを抱くことになります。一度は病院へと行く先を告げた深尾は、その行き先を自分のアパートへと変更します。

  そして、ここから二人の奇妙な生活が始まるのです。

  かつて、深尾はアメリカの大手証券会社スタンレー・ブラザースで腕の良いファンドマネージャーとして、バリバリと仕事をこなしていました。彼は、ファンドマネージャーとしての業績を上げることが面白く、仕事と称して家庭を顧みることがありませんでした。一人娘が不治の病にかかり、不幸にもアッという間に命を落とした時にも、妻にすべての面倒をみさせて子供を失いました。その妻も子供を亡くしたショックからアルコール依存症になり、深尾の元から去っていったのです。

  そこに追い打ちをかけるように襲ってきたのが、スタンレー・ブラザースの経営破たんでした。そのときに体験したおぞましい出来事が、深尾の人生のすべてを奪っていったのです。人生のすべてを失い、日銭だけで生きていく道を選んだ深尾。その深尾が彩弓と出会った時、その人生にかすかな変化が生じたのです。

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(破たんしたニューヨーク リーマン本社 wikipediaより)

【苦しみを精一杯生きる】

  幸田さんは、北田彩弓を「ナナフシ」に例えていますが、二人が出会った後も人生は二人を幸せにはしてくれません。行き倒れからなんとか救われた彩弓は、ヴァイオリニストを目指し挫折した女性でした。さらに、彼女は右腕に不思議なしびれや痛みを感じていました。深尾は、まずは、彼女に夢を取り戻してもらいたいと、医者に連れていきます。

  原因不明のしびれと痛み。どの病院に行っても原因は特定できず、二人は病院をたらいまわしにされることになります。彩弓の手にはカードゲームができるほどたくさんの診察券が広げられました。しかし、ある病院から紹介された専門医の元をおとずれたときに、その衝撃の病名があかされることになります。

悪性末梢神経鞘腫瘍

  それは、右腕につながる神経の分岐点にできた悪性の腫瘍。つまり神経癌だったのです。

  次々に訪れる人生の苦しみ。しかし、数々の苦難を経験してきた二人は、お互いを思いやる気持ちを糧にしながら、その苦しみに気丈に立ち向かっていきます。

  幸田さんは、インタビューで、次のように語っています。「こんな世の中だから、どんな人にも想像もしなかったことが起きる可能性があります。でも、その時は逃げずに、きちんと苦しむことに意味があるのではと思います。苦しむということは、決して悪いことだけではなくて、しっかり苦しむとしっかり救われるよ、ということが伝われば嬉しいなと思っています。」

  この小説は、金融市場で数百兆円というマネーが世界中を駆け巡る中で、お金に使われて不幸になる人々とお金によって不幸を食い止める人々の姿を描いています。皆さんも誰よりもお金の功罪を知る幸田真音さんの人間ドラマを読んでみてはいかがでしょうか。生きるとはどういうことか、改めて考えさせられるに違いありません。


  癌と言えば、癌治療の新たな時代を切り開く免疫治療を見出した本庶祐氏が、アメリカの研究者とともにノーベル医学賞を受賞しました。それは、がん細胞が免疫細胞にかけていたブレーキを無効にするという画期的な発見です。北田彩弓にもこの薬が有効であれば、小説の展開も違ったものになったかもしれません。

  本当におめでとうございます。日本政府もこの受賞を機会に基礎研究への投資を見直しましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年09月30日

2018年ロシアW杯 日本代表の闘い

こんばんは。

  来年は、日本でラグビーワールドカップが開催され、全国各地で熱い戦いが繰り広げられます。

  前回大会では、名将エディー・ジョーンズ代表監督(ヘッド・コーチ)率いる日本代表が、初戦から世界第3位の強豪南アフリカ代表に最後の最後に逆転し、いきなり大番狂わせを実現しました。この感動が日本でのラグビー人気に火をつけて、キャプテン、マイケル・リーチやそのルーティーンで有名になった五郎丸歩など、連日テレビを賑わせたのは記憶に新しいところです。

  エディーは、かつて指導者としてのキャリアを日本でスタートさせ、奥さんも日本人であることから、日本を第二の故郷と呼ぶほどの親日家でした。その日本に恩返しをしたいとの気持ちから、2012年に日本代表のヘッド・コーチに就任し、日本代表を世界に通用するまでに鍛え上げたのです。球際で負けないこと、ボールへの執着とボールを奪ってからのスピード感を重視し、日本のスピードを突き詰めたラグビーで最強の日本代表を作り上げました。

  エディーとの契約は、前回のワールドカップで終了し、現在は、ジェイミー・ジョセフ氏がヘッド・コーチに就任し、来年の地元開催のワールドカップではジェイミージャパンの活躍が大いに期待されます。先日、久しぶりに日本代表のキャプテンにカムバックしたマイケル・リーチ選手がインタビューに答えていましたが、今の代表はエディーの時代とは変わっており、ボールキックで陣を前に進めていく「キッキングゲーム」を重要視していると言います。

2019 ラグビー日本代表03.jpg

(マイケル・リーチキャプテンとジェイミーヘッドコーチ legendsrugby.jp)

  方法論が異なったとしても、あらゆる手段でボールを自らのものとし、トライへと持ち込むことがラグビーの得点を生み出します。エディーの作り上げたパワーとスピードにジェイミーの戦術が加われば、前回果たせなかった一次リーグ突破も決して夢ではありません。来年のラグビーワールドカップから目が離せません。

  さて、ワールドカップと言えば、今年ロシアで開催されたサッカーワールドカップを忘れるわけにはいきません。今週は、我々に大きな感動を与えてくれた西野ジャパンの闘いをみごとに分析した本を読んでいました。

「サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析」

(五百蔵容-いほろいただし著 正海社新書 2018年)

2018 FIFAワールドカップに至る】

  今年の日本代表は、波乱に満ちた過程を経てロシア大会に臨むことになりました。2014年のブラジル大会でザッケローニ監督率いる日本代表は、なんと1勝もあげることなく、予選リーグ敗退という悔しい結果で終わりました。

  その結果を受け、代表監督に選んだのはアビエル・アギーレ氏でしたが、半年のうちに前監督時代の八百長疑惑が発覚し、あっさり契約解除となりました。その後を受けて代表監督に就任したのが、ハリルホジッチ氏です。氏は、「縦に早いサッカー」と個々の選手の「デュエル」の強化を戦略として日本代表を率いて、みごとワールドカップアジア予選を勝ち抜き、日本代表をロシアワールドカップへと導いたのです。ところが、6月に本戦を控えた49日、突然ハリルホジッチ監督の解任が発表されたのです。理由は、「選手とのコミュニケーション不全」。

  いったい何が起きたのかが不明のまま、日本代表を応援するファンは驚きと失望に襲われます。後を託されたのは、ハリルジャパンのもとで技術委員長を務めていた西野朗氏でした。その就任時には、1996年のアトランタオリンピックで日本代表を率いてブラジル戦に勝利し、「マイヤミの奇跡」と言われたときの映像が、一晩中流れていました。岡田武史氏以降、二人目の日本人監督となった西野監督。その手腕に我々は期待と不安の両方を感じていました。

  いかに西野監督に実績があろうとも、ロシア大会までには残り2ケ月しかありません。ハリルジャパンを支えてきたといってもハリル氏の戦略と西野氏の戦略が同じであるわけはありません。同じなのであれば、ハリルホジッチ氏を解任する理由がないからです。果たして、西野氏はワールドカップをどのように戦う戦略をたてていたのでしょうか。

  西野監督は、就任直後から精力的にJリーグの試合を観戦し、代表候補の選手たちをつぶさに見て回ります。ロシア大会前に組まれていた親善試合は、3試合。530日のガーナ戦、68日のスイス戦、そして612日のパラグアイ戦。泣いても笑っても619日には、ワールドカップ予選第一試合であるコロンピア戦がキックオフするのです。

2018 西野ジャパン01.jpg

(ロシア杯に臨む西野ジャパン soccerdigestweb)

  日本代表として招集されたメンバーは、やはりハリルホジッチ監督とは異なる基準で選ばれたと感じます。ハリルジャパンは、アジア予選で久保選手、浅野選手、井手口選手などの若手を起用することで得点を重ねてきました。しかし、西野監督は、過去のW杯で実績のある本田選手、香川選手、岡崎選手というビッグ3、さらには遠藤選手などアトランタオリンピック世代の選手を4名、指名しました。そこにハリルジャパンでも呼ばれていた長友選手、長谷部選手、吉田選手を加え、安定したメンバーでW杯を戦うことを選択したのです。

  しかし、本戦前の親善試合では、ガーナ戦に02で敗退、次のスイス戦でも02と敗れ、日本代表サポーターの心配する声が大きくなりました。2試合で1ゴールも奪うことが出来なかった西野ジャパンは、オーストリアで行われた最後のテストマッチで、メンバーを10人入れ替えて臨みました。前半では、パラグアイに1点を先制され、01で折り返しましたが、後半の6分過ぎに昌子選手の縦パスが香川選手に抜けると、そのボールを乾選手へとスイッチ、乾選手が右足であざやかなゴールを決めて、同点とします。

  さらに、その10分後には再び乾選手のゴールで2点目。その後、コーナーキックが相手のオウンゴールを誘い3点目。パラグアイに1点を返されますが、最後には香川選手がアディッショナルタイムにゴールを決め、西野ジャパンは最後の親善試合で得点をあげ、勝利を収めたのです。

【感動のW杯から学ぶべきもの】

  7月3日のベルギー戦を終えた西野ジャパンは、早くも75日に帰国しました。前回大会のリベンジを見事に果たし、ベスト16という結果を携えた日本代表の面々を一目見ようと800人のサポーターが成田空港の到着ロビーを埋め尽くしました。出発前、成田空港で日本代表を見送ったサポーターが170人であったことを考えると、ロシアでの戦いがいかに多くの人々に感動を与えたか、がよくわかります。

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(成田に帰国した西野ジャパン nikkansports.com)

  ロシア杯の1次リーグ。日本は抽選でグループHに選ばれました。グループHのメンバーは、FIFAランキング(当時)順で、8位のポーランド、16位のコロンビア、27位のセネガル、そして、61位の日本となります。すべてのチームが格上となるワールドカップ。準備不足の西野ジャパンにとっては、厳しい戦いがまっていたのです。

  ところが、619日の対コロンビア戦。日本代表は我々に驚きのパフォーマンスを見せてくれました。キックオフから6分後、日本陣営に攻め込んだコロンビアのボールをセンターバックの昌子選手がヘッドでクリアします。そのボールを足元に置いた香川選手が、裏に走っていた大迫選手に浮き球でパスすると、大迫選手はそのままコロンビアゴールへと向かいます。

  大迫選手は、キーパー、オスピナ選手と11となりシュートを打ちます。シュートは、キーパーに阻まれますが、その跳ね返ったボールを走りこんできた香川選手が再びシュート。このシュートが、なんとコロンビアのディフェンスハーフ、サンチェス選手のハンドを招き寄せました。ペナルティボックス内にて得点機会を手で阻止したとして、サンチェス選手はレッドカード(退場)となってしまうのです。

  そして、この退場により日本にはフリーキックが与えられ、香川選手がこれをみごとにゴールします。なんと、日本は開始6分で先制ゴールを得たばかりではなく、この後、コロンビアは10人で戦うという圧倒的なハンディを背負うことになったのです。日本は1名多い11人。ところが、日本はこの圧倒的に有利な状況で苦戦を強いられます。そして、前半39分。日本ゴールに襲い掛かるコロンビアに対してファールをとられ、日本はフリーキックを与えてしまします。キッカーは、キンテロ選手。日本は、このフリーキックを決められ、同点とされてしまうのです。

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(FKをみごとに決めた香川選手 soccerdigestweb)

  前半を11で終えた日本代表は、後半には果敢に攻撃を加えますが、コロンビアの的確な守備とカウンターに阻まれ、10人のコロンビアに対して得点することができません。そして、後半70分。香川選手に代わり、本田選手がピッチに入りました。その直後、日本はコーナーキックのチャンスを得ると、交代したばかりの本田選手が、狙いすましたキックをゴール前に打ち込みました。そこに反応したのが大迫選手でした。ヘディング一閃、「大迫、半端ない!」。

  日本代表は、初戦でコロンビアを下し、勝ち点3をもぎ取ったのです。

  今回のロシアワールドカップで、日本代表は攻撃面で素晴らしい成果を積み上げました。ベスト8をかけた優勝候補ベルギーとの戦いを含めて、挙げた得点は6点。決定力不足と言われ続けてきた日本代表が挙げたこの得点にサポーターは熱狂しました。確かに乾選手、香川選手、本田選手、大迫選手、原口選手とFWがこれだけ機能するW杯は、これまでなかったのではないでしょうか。しかし、実は、これだけの得点の裏には、7点もの失点が横たわっているのです。

  世界のサッカーと日本のサッカーは、いったい何が違うのか。この本は、感動や熱い想いは措いておいて、日本代表がW杯でベスト8になるにはいったい何が必要なのかをロシアW杯の試合から解き明かそうとする試みなのです。

【日本と世界の間にある壁】

  著者の五百蔵さんは、この本の「はじめに」の中で、W杯で戦った4試合を分析するために各章の構成を次のように明かしています。

 1. 対日本代表戦に至るまでの当該チームの発展プロセス。

   2. 実際の試合を15分刻みでプロットし、その中で観られた特筆すべき現象を中心に何が起こっていたかを、局面分析を交えつつ記録。

   3. 試合全体を戦略・戦術面で総括

  著者は、対日本戦に対する各国監督の戦略を明確に記述して、それぞれに日本の戦略との違いを際立たせてくれるのです。

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(2018年ロシア杯の闘いを分析する amazon.com)
  
  これまでのサッカー本は、個々の局面における選手の活躍や、その時々の監督の采配を評価して優劣を論じていますが、この本の著者はそうした分析を排除します。

  例えば、たった2ケ月しかない準備期間でW杯の戦いに臨まざるを得なかった西野朗監督の戦略は極めて限られていました。西野氏は、就任時の記者会見から一貫して最善の「組み合わせ」と「化学反応」を見出すと語っています。そして、本戦1週間前に行われたパラグアイとの最後の親善試合でその解が見いだせたと言います。

  「・・・かつてセレッソ大阪で驚異的なコンビプレーを展開して得点を量産した香川と乾の間の「化学反応」が時を経ても生きていることが確認されたこと、このユニットが使えるということが、少なくなくともパラグアイ戦の収穫でした。」(本書:P.21

  さらにこのコンビに引き寄せられるように、そのプレーを広げていた選手が、ディフンスハーフの柴崎選手であり、サイドバックの長友選手であり、センターバックの昌子選手でした。柴崎選手は、広い視野を持ったゲームメーカーであり、敵のヂフェンスに裏のスペースを見出すや、フォワードの動きを視野に入れ、華麗な縦パスを放って数々のゴールチャンスを作り出しました。

  しかし、パラグアイ戦は公開されており、本戦で戦うことになるHグループの監督たちは、西野監督が見出したこの「組み合わせ」と「化学反応」をスカウティングしていました。著者は、それぞれのチームを率いる戦略家が対西野ジャパンをどのように構築していたかを鮮やかに分析します。

  西野ジャパンは、こうしたスカウティングによる戦略にどのように対応してW杯を戦い、ベスト16へと進むことができたのか。日本代表は、なぜベスト16のベルギー戦で勝利を手にすることができなかったのか。著者の分析は我々にその理由を教えてくれるのです。

  皆さんもこの本を手に取ってロシア杯での日本の活躍を目のあたりにしてください。ベスト8への課題もしっかりと見えてくるはずです。ガンバレ!日本代表!

  台風24号が日本を縦断しつつあります。皆さん外出は控え、安全な場所に移動して過ぎ去るまで油断なく過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 19:04| 東京 ☁| Comment(0) | スポーツ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月24日

安部公房と過ごした20余年の軌跡


こんばんは。

  「安部公房」という名前を久しぶりに平積の棚で見つけて、思わず買ってしまいました。著者は、山口果林という女優です。写真を見ると、「ああ、この女優さんか。」と分かる程度の認知度でしたが、この女性が安部公房とそこまで深く愛し合っていた、というのは驚きでした。

  今週は、安部公房と自らの人生を描く女優の自伝本を読んでいました。

「安部公房とわたし」

(山口果林著 講談社+α文庫 2018年)

【安部公房と山口果林】

  現在の日本では、ノーベル文学賞候補と言えば「村上春樹」の名前があがりますが、私の世代では、ノーベル賞候補と言えば安部公房でした。氏は、1993年に68歳で亡くなっています。この本の著者、山口果林さんが安部公房と出会ったのは18歳のときと言います。年の差は23歳と書かれているところからは、出会った当時安部公房は、41歳だったと思われます。

  安部公房には、真知さんというれっきとした奥さんがいて、「ねり」というお嬢さんもいます。ということは、この女優との恋愛は、不倫だったことになります。なんだか、女性週刊誌の記事のように聞こえますが、この本は暴露本ではなく、山口果林さんの自伝です。他の自伝と異なるのは、その女優人生に介在したあまりにも大きな芸術家の存在です。彼女にとって、安部公房は人生の伴侶であり、さらにその前半では彼女の師でもあったのです。

  安部公房は、彼女が演劇を学んだ桐朋学園短期大学で講師をしており、先生と生徒の関係でした。その後、彼女は卒業して俳優座に所属しますが、その芸名である山口果林の命名者も安部公房でした。彼は、左右対称の漢字が好みで、言われてみればこの名前も左右対称です。1970年代に安部公房は「安部公房スタジオ」を立ち上げて、自ら舞台を創っていくことになります。山口果林は、このスタジオにも主演女優として参加しています。

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(文庫「安部公房とわたし」amazon.co.jpより)

  さて、この自伝の目次を見てみましょう。

プロローグ

第一章 安部公房との出会い

第二章 女優と作家

第三章 女優になるまで

第四章 安部公房との暮らし

第五章 癌告知、そして

第六章 没後の生活

エピローグ

  ノーベル賞候補作家との不倫。この本は、安部公房が亡くなって20年後に上梓されました。本を読むとわかるのですが、安部公房は晩年、ひとりで箱根の別荘に住み、奥さんの真知さんとは没交渉となっていました。ただ一人、果林さんとは、常にコンタクトを取り、可能な限り一緒に過ごしていたことが記録されています。上梓されたのは、2013年のこと。奥様は、安部公房が亡くなった同じ年に亡くなっています。

  生前、安部公房は真知夫人と離婚することを果林さんと約束していたと言います。その約束は、ノーベル賞受賞の後ということになっていましたが、その報を待つことなく、安部公房は突然帰らぬ人となってしまったのです。しかし、この本を読むと二人にとってどこかの時点で、結婚という形にあまり意味がなくなっていたように思えます。

  安部公房夫妻が亡くなってから20年後。果林さんは、一心同体ともいえる安部公房と自らの人生を一冊の本として残しておきたかったに違いありません。

【安部公房という芸術家】

  安部公房の名前を見て、この本を買ってしまったのは、安部公房が私にとってかけがえのない作家だったからです。私の読書歴は、SFから始まったと言っても間違いではありません。小学校の図書館で、少年向けのルパンやホームズを読んでいましたが、中学校のときに友人が貸してくれた本が普通の本を読むきっかけとなりました。それは、星新一氏の「妄想銀行」でした。

  星新一氏は、日本のSF界では草分け的な存在ですが、生涯に残した1001編のショートショート作品は、この分野における日本文学の金字塔と言っても過言ではありません。その面白さにすっかり魅了され、「人造人間(ボッコちゃん)」、「ようこそ地球さん」、「悪魔のいる天国」、「ボンボンと悪夢」と次々に読破しました。

  そするうちにSFの魅力にとりつかれ、筒井康隆や小松左京、はたまた、アイザック・アシモフ、レイ・ブラッドベリ、アーサー・C・クラーク、フレドリック・ブラウンと世界は広がっていきました。そこに現れたのが、SF作家、安部公房だったのです。そして、私の読書歴は安部公房からフランツ・カフカへと進んでいったのです。

  現れた、というのは大いに語弊があります。安倍公房はその時すでに文学上の大作家だったのです。

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(世界SF全集 第27巻 安部公房と月報)

  氏が、SF小説の傑作「第四間氷期」を発表したのは1958年で、出会った時には発表から15年がたっていたのです。氏は、1940年代末に文壇にデビューし、1950年に発表した短編「壁−S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞しました。その後発表された小説群は、SFや純文学という枠をはるかに超えた不思議な世界観と「世界とは何か」という根源的な問いを発し続けています。

  私がSFにはまったころに「世界SF全集」なる全35巻からなる画期的な全集が発売されていました。日本人では、星新一、小松左京、筒井康隆などが編まれていましたが、この中の第27巻が安部公房だったのです。この本には、安倍公房の代表作が網羅されていて、感動に包まれながら読み進んだことをよく覚えています。

  その作風は、シュールレアリズムとも寓話的ともいわれますが、詩人でもある氏の表現は詩的なディテールの積み重ねと叙事的な表現で我々を作品世界へと没入させてくれます。例えば、初期の代表作「デンドロカカリヤ」を読めば、その面白さがすぐにわかります。

  「デンドロカカリヤ」とは、菊のような葉をつけた植物で、正式な名称をデンドロカカリヤ・クレピディフォリアといいます。小説の主人公は、コモン君という普通の青年です。デンドロカカリヤとは、日本の緯度には生息しない植物であり、日本では極めて貴重な存在です。この小説の中で、コモン君は何度もデンドロカカリヤに変身してしまいます。変身したのちにも、裏返しとなった顔をひっくり返すことで、人間に戻ります。

  小説には、デンドロカカリヤに変身したコモン君をつけ狙う謎の男が登場します。植物園の園長であるKは、変身したデンドロカカリヤを自らの植物園に取り込もうとして、コモン君を付け狙います。小説では、コモン君が自らの変身の意味を見つけようと図書館で「植物への変身」について、調べます。そこで見つけたのは、ダンテの「神曲」。その変身は、自殺者が受ける罰なのです。

  さらにギリシャ神話の神々が重なってきます。

  この小説は、小説としての安倍公房の原点と言ってもよいと思いますが、この全集には、この小説や「第四間氷期」の他にも、火星人?が登場する「人間そっくり」や手術によりロボットR62号に改造される機械技師を描く「R62号の発明」、自らのための家を探してさまよい続ける男を描いた「赤い繭」など、この全集には安倍公房の初期の傑作が網羅されています。

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(新潮文庫「デンドロカカリヤ」amazon.co.jp)

  1960年代から安倍公房は、舞台演劇の世界に活躍の場を移していきます。雑誌等に発表する小説は数少なくなりますが、その後は長編の書下ろしを中心に執筆活動を続けていきます。その代表作には、「砂の女」(1962年)、「他人の顔」(1964年)、「燃えつきた地図」(1967年)、「箱男」(1973年)、「方舟さくら丸」(1984年)があります。

  小説家、安倍公房を追いかけていた私としては、1970年代に「箱男」を読んで以来、小説世界から離れてしまった氏の名前は遠く離れていってしまい、途中、珍しい時代もの「榎本武揚」を読んだ程度で、その名前からすっかり遠ざかってしまいました。

【山口果林と安部公房】

  こうした安部公房と20年以上も一緒に多くの時間を共有していた女性が、いったいどのように安部公房を語るのだろう、そんな興味から読み始めた本でしたが、この本は安部公房を語る本ではなく、女優として仕事をしてきた山口果林という女性が安部公房と知り合ってからの年月をどう生きてきたかの記録でした。

  その筆致は、とても抑制されていて、演技者として舞台の主人公を把握して的確に演じようとする女優の方法論が表れているようです。自伝に劇的な効果を与えるために、プロローグから安部公房が亡くなった日に起きた出来事を語っており衝撃的ですが、それは単なる演出にしかすぎません。自伝は、安部公房とのなれそめから始まって、自らの生い立ち、安部公房との暮らし、その最後の日々。そして、安部公房が亡くなった後の自らの立ち位置へと淡々と語られていくのです。

  正直に言えば、第二章の出会いと恋愛時代から第三章のおいたちにかけては、その淡々とした記述に飽きてしまい、読み進むのが億劫になった場面がありました。この本では、これまで安部公房の影響なのかそれとも自らのポリシーなのか、生活のメモを取ることが生業となっていたようで、まるでドキュメンタリーのように果林さんの進んできた人生の日付と起きた出来事が並びます。

  しかし、その効果が発揮されるのが、第四章以降です。安部公房は1980年代に自宅を離れ、箱根の別荘で隠遁生活に入り一人創作活動に専念したと言われています。しかし、二人は仕事以外のすべての時間を、果林さんの自宅と箱根の別荘での暮らしに費やしていきます。そして、安部公房も素直に二人の時間を大切にしていたことがよくわかります。

  そして、そこの乱入した安部公房の前立腺がんの告知とその転移。二人にとっての最も深刻な時間ですが、そこでも筆者の淡々とした筆使いは変わることがありません。そして、その企まざる効果が第四章で胸に迫ってくるのです。前立腺がんの影響で尿閉となり救急車を要請したときの一言、「東大医学部時代の友人の診断で、前立腺癌が判明していたらと残念でならない。」との記述に胸を突かれます。

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(単行本「安部公房とわたし」amazon.co.jp)

  この本は、一人の女性が最愛の芸術家と過ごした日々と女優としての自らの暮らしをつづったドキュメンタリー作品です。その淡々とした筆致の中に安部公房が望んだ人生のディテールの記述と、一人の女性の人生が我々の胸に迫ってきます。

  読み終わった後に一人の人間の告白を語られた後の深いムーブメントがいつまでも残ります。


  この本には、山口果林さんの人生を感じる感動のみではなく、知られざる安部公房を知る、という大きな意味も含まれています。例えば、1975年から池袋西武百貨店8階の西武美術館で上演された「イメージの展覧会」で、その音楽をピンク・フロイドと同じシンセサイザーで自ら作ったこと。

  同じ舞台で演じられた前衛劇、「人さらい」の公演チラシの中にある眼鏡に印刷された「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」という言葉が、「箱男」から引用されたこと。日常の会話で、「人間はサルじゃない。」という言葉が、安部公房のよく語る一言だったこと、などなど。

  「安部公房」に惹かれて手に取った本でしたが、思わぬ感動を味わうことができました。興味のある方は、ぜひ一度手に取ってみてください。そのドキュメントに胸が騒ぐよい本です。

  今年の9月は、地震もあり台風や秋雨前線のためにいつもに増して、不安定な気候が続きます。皆さん、体に気を付けてご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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