2019年04月18日

黒木亮 金融市場サスペンスはいかが?

こんばんは。

  日産の前会長カルロス・ゴーン氏の逮捕は、日本とフランスのみならず全世界を驚かせました。

  今やゴーン容疑者と呼ばれている彼ですが、ルノーの副社長であったゴーン氏が瀕死となった日産のCOO(最高執行責任者)に就任したのは20世紀も押し迫った1999年の6月の事でした。当時の日産は、大企業病に侵されており、約2兆円の有利子負債を抱えて苦しい経営を強いられていたのです。提携先のルノーから乗り込んできたゴーン氏は、ゆるんでいた社内風土にコストカットを断行。21世紀に入るや「日産リバイバルプラン」を実行し、工場の閉鎖、人員整理(リストラ)、子会社の統合、不要部門の整理など次々とコストを削減していきました。

  その実行力からついたあだ名は、「コストカッター」。古くからの日産の社員は戦々恐々としていました。しかし、その計画により2兆円の有利子負債は、2003年には全額返済され、12%まで落ち込んだ日産の国内シェアを一気に20%まで回復させたのです。もちろん、日産の業績はV字回復を見せて、ゴーン氏はその手腕を買われて2005年にはルノーのCEOにも就任し、世界の自動車業界にその名が知られることとなったのです。

  また、三菱自動車が燃費データの改ざん問題で市場からの信用をなくして不振にあえぐ中、2016年には三菱自動車の株34%を取得するというウルトラCを実行し、三菱自動車を自らの傘下に収めたのです。その結果、日産、ルノー、三菱の合計で、その生産台数は世界四位にのし上がりました。

  そして、2018年の4月、日産の社長兼CEOの座を西川廣人氏に譲り、自らは代表取締役会長に就任しました。ところが、そこから半年ほど経過した2018年の11月、カルロス・ゴーン氏は突然、東京地検特捜部に逮捕されたのです。ゴーン氏の拘留は108日にも及び、日本の法令の合理性を疑問視する各国の批判にさらされることにもなりました。

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(保釈後都内を歩くゴーン夫妻 biz-journal.jp)

  現在の論点は、「オマーンルート」に集中し、そこを経由した資金が日産社の資金であり特別背任にあたるのかどうか、予断を許さない状況となっています。4度目の逮捕では、クルーザー購入の資金が日産社から引き出されたものであり、ゴーン氏の奥さんが社長となっている会社を経由していると言われています。ゴーン氏は、事件は日産のある人物の陰謀であり自らの無実を訴えていますが、情報を暴露した人物は確信犯であることは間違いないようです。

  この事件の行方は興味津々ですが、3回目の逮捕のときに、為替とスワップについて作家の黒木亮さんがその仕組みを解説している記事を読みました。さすが、金融市場を描いて右に出る者のいない黒木さん。その解説は分かりやすいものでした。

  話は変わりますが、黒木さんと言えば、最近は鉄に関する小説や裁判官に関する小説を発表しており、金融市場小説以外の分野でも活躍されていますが、やはりその白眉はデビュー作である「トップ・レフト」から続く、金融市場シリーズです。最近、古い文庫本は絶版となることが多く、本屋さんで眺めていても数年前に上梓された文庫本はなかなか在庫されていることがありません。

【古本市で見つけた本】

  古本の話は、「ビブリア古書堂の事件手帖」をご紹介したときに触れました。最近は、ブックオフのためか、街の古本屋さんはどんどん少なくなっているように思えます。しかし、古本のニーズはなくなることはありません。浦和では、埼玉会館から桜草通りに抜ける歩道上で、頻繁に古本市が開催されます。毎月下旬の木曜日から日曜日までの4日間。青空市の形で開催される古本市ですが、昭和57年からなんと35年以上続いているそうです。

  古本市は、本好きには時間を忘れて楽しめるイベントです。

  古本市には大きなワゴンがいくつも並びます。お店ごとに得意な分野があるようで、並べられた本は多彩でどのワゴンでも楽しむことができます。単行本と文庫本、新書本はそれぞれの棚で見ることができますが、1100円のワゴンには各店が拠出した単行本と文庫本が押しくらまんじゅうのように詰め込まれています。

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(浦和宿 さくら通り古本市 urawa-asahi.co.jp)

  それとは別に古い専門書や雑誌が各店のワゴンに積まれていて、古本市のワゴンめぐりには興味が尽きません。雑誌でいえば、歴史街道やムー、宝島と言ったマニアックな特集が組まれたバックナンバー。さらには、スクリーン社やシンコーミュージック社から出版された俳優シリーズ、ミュージシャンシリーズなどの写真集など、時々掘り出し物が見つかります。先日は、昔開催された印象派美術展やボストン美術館展などの出品絵画を詳しく解説したカラーカタログが、な、な、なんと100円で売っていました。(その場で購入したのは言うまでもありません。)

  昔封切りされた映画のパンフレットやライブのパンフレット、はたまたチラシ類など、マニアには垂涎の的に違いありません。また、専門書もそろっていて古典文学や世界文学の全集なども売られています。仏教関係の本や世界遺産に関する本、鉄道や航空の専門誌なども並べられており、とにかく時間があれば存分に楽しむことができるのです。

  ちょっと困るのは、青空市のため天気が不安定な時期には、すぐに店じまいになってしまうところです。3月も月末に古本市が開催されたのですが、風が強く、天気も不安定でした。ワゴンに詰め込まれた一冊100円の本をみていると、突風が吹き、空が一転にわかに掻き曇り、雨がポツポツと落ち始めます。高額な本が並べられているワゴンでは、雨漏りにはおなじみの大きなブルーシートが広げられ、見る間にワゴンにシートがかけられていきます。

  100円文庫棚を見ていた私は、急がなければと想いふと目を落しました。すると、そこに黒木亮の名前があるではないですか。題名を見ると「ザ・コストカッター」と記されています。「エー、黒木亮さんにそんな題名の本があったかな、」と一瞬、躊躇したのですが、話題のカルロス・ゴーン氏の姿が目に浮かび、店じまいされては元も子もないので思わず手にとって、会計専門のテントに向かいました。連れ合いも手に「タニタ食堂」のお惣菜本を持っていて、一緒にそそくさと会計を済ませました。

  直後に風雲急を告げ、すべてのワゴンはブルーシートに覆われて、古本市は一時店じまいとなりました。その手際の良さには驚きです。

【コストカッターとは誰だ】

  ということで、今週は、黒木亮さんの「ザ・コストカッター」を読んでいました。

「ザ・コストカッター」(黒木亮著 角川文庫 2012年)

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(「ザ・コストカッター」 amazon.co.jp)

  この本が見慣れないと思ったのは、もともとの題名が「リストラ屋」だったからかもしれません。その単行本が上梓されたのは2009年でした。当時から、カルロス・ゴーン氏は「コストキラー」と呼ばれていましたが、まだコストカッターとの言葉はなじみがなかったのだと思います。文庫本を発売するにあたって、ゴーン氏の手法をさす「コストカッター」に改題したのでしょう。

  実は、ワゴンの棚でこの本の題名を見たときにまっさきにゴーン氏をイメージし、著者が黒木亮氏であったので驚いたと言うのが正直なところです。ちなみにこの小説は、カルロス・ゴーン氏とは何の関係もありません。

  この本の主人公は、カラ売り専門の投資ファンドである「パンゲア&カンパニー」のファンドマネージャーである北川靖です。黒木亮さんのファンは、この名前を聞いてニヤリとするに違いありません。なぜなら、「パンゲア&カンパニー」は黒木氏の短編集「カラ売り屋」の主人公であり、大作「エネルギー」でも登場する黒木氏お気に入りの会社だからです。

  カラ売り屋とはどんな投資ファンドなのでしょうか。

  株のカラ売りとは、株式の所有者から株を借り、その株式の売買によって資金を運用する手法のことを言います。具体的には、A社の株を所有者から1000株借りるとします。その株が1万円だとすれば、現評価額は1千万円です。A社が画期的な新商品を開発し、その株価が15千円にハネあがったとします。あなたは、株を売って1500万円を手にします。

  しかし、株は借りたものであり返す必要があります。返そうとした時に株価があがって2万円になったとすると、その時点で株を返すと、資金は500万円のマイナスとなります。しかし、その後に新商品に重大な欠陥がみつかり、すべてがリコール対象になったとして株価も一気に5000円に下がったらどうなるでしょう。

  あなたは、市場から500万円で株を買い戻します。そして、その株を貸借人に返却すれば、実際に株売却によって手にした資金が1500万円だとすると、買い戻しに要した500万円を引けば、手元資金は1000万円が残ることになります。これが、投資ファンドの利益となるのです。もちろん、株の貸借には手数料が必要ですし、経営に必要な費用や株売買の手数料などの経費もあるわけですが、カラ売りにより成功を重ねていけばそのファンドは成長していくことになります。

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(株価が示される東京証券取引所 free-material.cpm)

  「パンゲア&カンパニー」は、ニューヨークを拠点とするカラ売り専門の投資ファンドです。普通の投資ファンドは、株価が低い時に買って株価が高値になった時に売ることで利益を上げるわけですが、「パンゲア」の場合には、逆に株価が下がったときに株を買い、その株を返済することで売却益からの差額が利益となります。つまり、株価が下がることが利益に繋がるという、ヘソ曲がりなファンドと言えます。

  この「パンゲア」が目を付けた会社は、日本で老舗のスポーツ品メーカーである「極東スポーツ」でした。「極東スポーツ」は、世界でスポーツシューズやスポーツ用品などを販売するグローバル企業ですが、日本国内での売り上げ不振により会社業績が低迷し、アメリカの金融ファンド、ボストン・インベストメント社に買収されてしまったのです。ボストン・インベストメント社日本法人の責任者である三ツ谷は、次期社長に会社再生の実績を持つ蛭田明を指名することにします。

  この蛭田明こそが、この小説の第二の主人公である「コストカッター」なのです。

  蛭田はこれまで、コスト削減(コストカット)の手法を駆使して低迷する企業にスリム化と危機感を植え付けて企業価値を上げて株価を高めることによって会社を再生してきました。ボストン・インベストメントの三ツ矢はその実績を買って、社長に指名したのです。ところが、「極東スポーツ」では業績の低迷を受けて、前経営陣がすでに強烈なコストカットを実施した実績がありました。

  「パンゲア」の北川は、「極東スポーツ」に必要な再生手法は、コストカットではなくブランド・ビルドの手法であると見抜きます。そして、その違和感から蛭田のこれまで手掛けた会社のリストラ後の実情を調べました。それらの資料は、蛭田が社長として再生を行った会社は株価や業績を大きく伸ばしはしたものの、蛭田が会社を売却した後には例外なく業績が下がり、株価が落ち込んでいることを示していたのです。

  一方、社長に就任した蛭田は、「極東スポーツ」に乗り込むや、再生計画を発表します。その内容は、工場の閉鎖、人員削減という徹底したコストカットと工場統合による生産拠点の中国シフト、低所得層向けの新商品の発売、というこれまでの経営を徹底的に否定する内容でした。蛭田のもくろみ通り、これまでの蛭田の企業再生の実績から、社長就任前から「極東スポーツ」の株価は徐々に上昇し、計画発表と同時に数倍の値に跳ね上がります。

  そして、株価の上昇=企業価値の極大化と信じる日米のアナリストや投資家たちは蛭田の手法を絶賛し、株価はさらに上がっていきます。しかし、「パンゲア」の北川は、その裏にある会計上の操作を決算発表された財務諸表から読み解きます。果たして、北川は蛭田のマジックのような経営の裏側を見抜き、カラ売りを成功に導くことができるのか。


  今回の「ザ・コストカッター」は、黒木氏得意のじっくりと人間を描く大河金融小説とは味わいが異なります。それは、北川対蛭田の株価対決を焦点として、どちらが勝つのかとの緊張感が小説のサスペンス度を引き上げているからです。そのスピィーディーな展開が読者を小説世界に引き入れていくのです。一方で、黒木氏はそれぞれの人生を描くことを忘れてはいません。ハーレムでボランティアとして、黒人の子供たちに算数を教える北川。幼いころに母親に捨てられ施設で育った蛭田とその蛭田を人知れず想う母親。そうしたディテェィルが小説に奥行きを与えています。

  「企業価値」とは何なのか。皆さんもこの小説で、その答えを探してみてはいかがでしょうか。経済は人が動かす、との真実を改めて考えさせられること間違いなしです。

  4月も中旬となり、やっと冬物とおさらば出来そうですが、まだまだ朝晩は冷え込む日もあるようです。皆さんご自愛ください。それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 20:13| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

新年度と新元号「令和」のことなど

こんばんは。

  今日は本の話を置いておいて、4月と新元号にまつわることをお話ししたいと思います。

4月と言えば人事異動です。】

  企業人になってから、会社の決算が3月末のためもう40回近くも慌ただしい3月を過ごしてきましたが、今年の3月も相変わらずの日々でした。最近は、転勤を伴う人事異動を行わないことを売りにする企業も出てきたと聞きますが、グローバル企業(海外拠点を持つという意味)の場合には企業の活力や人材の活性化のために人事異動は不可欠な制度となっていました。

  私の業界では、転勤を前提に採用された全国型社員(グローバル職と呼ばれています。)は、平均すると3年に一度は異動します。異動には、引越しを伴わない場合と引越しを伴う場合がありますが、原則としては引越しを伴います。20年ほど前までは、企業と従業員は運命共同体的な連帯感があったので、人事異動も事前に打診があったり、転勤する地域も限定的であったりすることが慣習として残っていました。

  例えば、関西地区出身のグローバル職の場合には、北陸、四国、九州の中で転勤することがほとんどで、関東出身の社員は全国の集合研修くらいでしか関西出身の社員とは出会うことがありませんでした。その頃は、酒を飲むと人事異動の最長不倒距離論議が定番となっていて、人事異動の内定通知が発表される3月には、毎年、その話で飲み会が盛り上がっていました。異動発令の夜は、誰も予定をいれていなかったのです。

  会社は東京が本社なので、かつては国内の異動では、九州から東京、北海道から東京または逆パターンというのが最長不倒異動の基準でした。例えば、鹿児島から東京の距離は、約1520kmですが、宮崎から秋田に異動すると、その移動距離は2000kmを超えることになります。例えば、福岡県の久留米支社から北海道の名寄支社に人事異動が出ると、その移動距離は2230kmとなります。

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(秋田大名屋敷通りのしだれ桜 hanami.walkerより)

  通常、九州の社員の最北は大阪(+東京本社)が多く、北海道の社員の最南は東京(+関西本部)という範囲がかつての不文律だったのですが、この20年はどんどん例外が増えてきています。酒の席で、最長不倒距離が肴となるのは2つのケースがあります。長距離の異動でなんとなくハッピーなのは、昇格による人事異動です。ラインの課長やラインの部長に昇進して異動する場合、その距離がいくら長くても「まぁ、偉くなったんだからしょうがないね。」ということになります。

  このときに話題の中心となるのは、昇進して移動する人の人間性です。半沢直樹ではありませんが、世の中不思議なもので、部下から慕われる人間は上司からは疎まれることが多いようです。偉くなって、長距離転勤をする人には部下を見ているよりも上司を見て仕事をしている人が多く、部下を何人もやめさせても上司に対して「YES」を貫いたことで、論功行賞的に昇進する人がたくさんいたのです。今や、パワハラは犯罪と同等に取り扱われますが、スレスレのところで業績を上げていく嫌な人種は酒の肴にはうってつけです。(あいつの部下にだけはなりたくない系の話題ですね。)

  もうひとつのパターンは、スケープゴート的人事異動です。人事部などでは、関わることが厭われる話がときどき聞こえてきます。例えば、人事異動に不服を申し立てて労働基準局に駆け込むなどという話は、その典型です。もちろん、長い会社人生を考えれば会社とケンカするくらいならば転職した方が良いと思うのですが、中には自らの正当性を語るために戦ってしまう人もいるようです。まるで山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」のような世界ですが、そこまでいかなくても会社内では「気の毒な人事異動」があることも事実です。

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(名作「沈まぬ太陽」 amazon.co.jp)

  皆さんは「六大都市」という言葉をご存知ですか。この言葉は、大正時代の法律に基づいていて、東京、横浜、名古屋、大阪、京都、神戸の6つの都市の事を語るものでした。しかし、転勤族の語る現在の6大都市は、北から札幌、東京、名古屋、大阪、広島、福岡のことを言います。ここに仙台を加える場合もありますが、基本的に各地域を代表する政令指定都市のある大都市です。人事異動の場合、移動距離が大きくとも、6大都市への転勤にあまり負のイメージはありません。

  それよりも、移動距離が絶大でなおかつ6大都市以外に転勤する場合でかつ昇進を伴わない場合には、その理由が詮索されることになります。この場合には酒の席は相当同情的になるのが常で、特に親しい人間が対象であると、悲憤に暮れる人も出てきます。

  サラリーマンにとって、41日付けの人事異動はまさに人生そのものですが、私の知る限りで最も移動距離が大きい社員は、この6大都市をすべて経験している人物です。さらにその社員は日本の4州をすべて制覇したと言っています。つまり、北海道、本州、四国、九州で勤務したことがあるということです。実は、その人は大阪出身の人情味にあふれた素晴らしい人柄で、東京で同じ職場にいたので良く一緒に酒を飲みました。彼は、四国から転勤で東京に来たのですが、その送別会を行ったのは、博多への転勤のときでした。それから3年後、彼は博多から札幌に転勤。さらにその3年後には大阪に転勤しました。

  本人がそれを自慢にしていたのが嬉しかったですね。

  私は、現在、会社を定年退職して再雇用嘱託社員として勤務しているので、自らが異動の渦中に巻き込まれることはないのですが、いまだに3月の人事異動内示の時期になると、心がざわめきます。今年も勤務する職場では悲喜こもごもの人事異動劇が繰り広げられました。

  さて、そんな中でも今年の新年度は特別でした。それは、41日に「平成」に変わる新元号が発表されたからです。

【「令和」ってどうよ】

  その日は、朝から落ち着きませんでした。私の会社では、1130分になると会社のパソコンや液晶画面には、ネットの画像があちこちで映し出されました。打合せコーナーの液晶の前には人だかりができて、新元号の発表を待っていたのです。しかし、1130分になっても画面には、皇居に向かう黒塗りの車が映し出されるばかりでした。

  どうやら首相官邸での閣僚会議に時間がかかったようで、天皇陛下の承諾に向かう車が中継で映し出されていたのです。しばらくその中継画面を見ていましたが、メールチェックが必要な事案があったために自席へと戻り、パソコンへと向かいました。陛下のご承認の後に首相官邸で発表との段取りなので、まだ時間がかかると思いメールチェックを終えて、すぐに昼ごはんに出かけました。

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(菅官房長官による新元号発表  toyokeizai.net)

  すると、ビルを出る前にスマホが鳴りました。見ると、Yahooニュースのお知らせに、新元号は「令和」、との文字が記されていたのです。「れいわ」という言葉の響きはとても心地良いものですが、「令」という字の第一印象には違和感がありました。「令」から思い浮かぶ言葉と言えば、「命令」や「法令」であり、どうも上から目線との印象がぬぐえなかったのです。さらには、氷やアイスクリームの「冷たい」感じを持って、思わず唸ってしまいました。

  しかし、その後に発表された安倍首相の談話を聴くと、なぜこの言葉が選ばれたのかが良くわかりました。

  まず、この言葉が「万葉集」から選定されたということ。これまでの元号は中国の古典から選ばれており、日本の史書から元号が選ばれたのははじめてだそうです。万葉集は、日本最古の和歌集ですが、そこに選ばれた歌は、当時の権力者のみならず、防人から庶民まで幅広い書となっています。国民のための元号として、その出典は相応しいものに思えます。

  万葉集巻五の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の序文には、「初春の令月にして 気淑(よ)く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」と記されており、当時まだ珍しかった梅の花の美しさを楽しむ宴の様子が伝わってきます。「令」は、令嬢や令息に使われるごとく「良い」との意味を持っており、本来は法令とは「良いみことのり(宣言)」との意味であったとも考えられます。

  安部首相は、この元号に込められた意味を「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と話しており、さらに「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望と共に、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込めた」とも語っています。

  大宰府には、この万葉集巻五の「梅の花の宴」の場面を舞台として現した博多人形が飾られており、新元号発表以来一週間で6万人もの方々が展示館を訪れたそうです。今は「桜」が花見の定番となっていますが、古き日本では「梅」こそが花見の花であったことが思われて、新元号に日本人の風雅を感じるのは私だけでしょうか。

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(大宰府に展示された博多人形 mainichi.jpより)

  来月1日から時代は「令和」となりますが、この元号を使うたびに花の季節を寿ぐ人々の和やかな気持ちを思い起こすようになりたいものです。

4月はTV番組も面白い】

  さて、4月は新年度となるのでテレビの番組は新たな編成を迎えます。

  特にNHKでは、ニュースのアナウンサーが入れ替わり、新鮮さを感じますが、総合、Eテレ、BSとそれぞれで新番組が始まります。

  最近、Eテレがとても気になっています。というのも、知識と教養、そして文化を感じさせる番組が多いとの意味で、最近のEテレの番組は良く工夫されていると感じています。いつも見ている番組では、「グレーテルのかまど」(月曜日午後10時)、「人間って何だ 超AI入門」(水曜日午後1050分)、「又吉直樹のヘウレーカ」(水曜日午後10時)が面白く、毎週かかさずに見ています。

  ちなみに「グレーテルのかまど」は、歴史的な有名人が愛したスウィーツに焦点を当てて、毎週そのスウィーツをかまどの指南で作る番組ですが、そのスウィーツがなぜ愛されたのかを解き明かすことによってその有名人の生き方を教えてくれます。例えば、フランスでもっとも成功したデザイナーであるココ・シャネル。彼女はパリの老舗カフェサロンに通い、壁際の席に陣取ってモンブランを食べる時を大切にしていました。シャネルの愛したモンブランとはどんな味なのか。そして、そのレシピは。いったいなぜ彼女はモンブランを愛したのか。

  番組は我々の好奇心と味覚を大いに刺激してくれます。

  ところで、46日(土)午後10時からのEテレ「SWITCHインタビュー 達人達」は見ごたえのある番組でした。この番組は、毎回達人と達人が互いのホームを訪れて対談を繰り広げるのですが、この日に登場した達人は、エストニア出身の名指揮者パーヴォ・ヤルヴィ氏と宮城県で日本酒を醸造する醸造家で、かつ音楽家のかの香織さんでした。

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(NHK 達人達のインタビュー nhk.or.jp)

  以前ブログでも紹介した指揮者のヤルヴィ氏がお目当てで見はじめたのですが、かの香織さんのインタビューは、音楽家の心を良くわかっていてセンスの高い質問が次々と繰り出され、興味が尽きません。例えば、ベートーヴェンやモーツァルトなどの音楽家の中で会って話をしてみたい人は誰ですか、との質問。ヤルヴィ氏は、ベートーヴェンやモーツァルトは神様のような音楽家なので会いたいとは思わないと言います。会ってみたいのは、マーラーだそう。

  マーラーは偉大な作曲家ですが、その一方で有名な指揮者でもありました。ヤルヴィ氏は彼が指揮をするときに作曲家が創った音楽をどのように一音一音を音として表現していくのかを聞いてみたい、と言います。たしかに、マーラーは指揮者としては自らの後継をブルーノ・ワルターとして、その指揮法を伝えました。ワルターの指揮するマーラーの曲は、まさに名演奏と呼ばれていたことを思い出しました。

  もちろん、ヤルヴィ話題には当然感無量であったのですが、それよりも感動したのは後半戦のかの香織さんへのヤルヴィ氏のインタビューでした。香織さんは、1980年代から90年代にかけてテクノポップの音楽家として坂本龍一などとコラボして、ヒットを飛ばしていたそうです。彼女の実家は、宮城の造り酒屋。学生の頃には、その古臭いしきたりに嫌気がさして家を飛び出したそうですが、200年も続いた酒蔵を父親が閉めると聞いた時に酒造りを続けたいと思ったそうです。

  麹で発酵する酒汁がタンクの中で醸し出す、生きている音に香織さんはいつも感動する、と言います。そして、タンクのもとにヤルヴィ氏を連れていき、生きた酒汁の発する音を聞かせます。ヤルヴィ氏はまるで大地が奏でるような命の音に心を動かされます。そして、東日本大震災の大きな被害の中、音楽家として廃校となった学校の校歌を復活させる活動が、卒業生である高齢な被害者たちの心をゆさぶる姿は本当に感動しました。

  皆さんも再放送の機会にぜひご覧ください。生きていることの幸せを味わうことができます。

  さて、2019年もいよいよ新年度を迎えました。天皇陛下も元号も変わる新たな時代。我々も心機一転新しい生き方にチャレンジして「令和」を迎えましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 20:39| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月19日

宮城谷昌光「呉越春秋」ついに范蠡へ

こんばんは。

  平成もいよいよ残り1が月余りとなり、なにごとも「平成最後の・・・・」と語られるようになりました。

  平成は、その名の通り日本にとって「戦争」がなかった時代となりました。明治維新以来、日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争と国民が死を持って国を維持するための戦争や侵略を繰り返してきたわけですが、「平成」は時代を誤ることなく戦争を行うことはありませんでした。次の元号がどうなるのか、楽しみでありますが、我々の子々孫々にわたって二度と戦争を起こさないように願ってやみません。

  その平和とはうらはらに、平成の日本経済はグローバル化と共に波乱にとんだ展開となりました。バブルとバブル崩壊、リーマンショックによる低迷。それはまさに失われた時代そのものでした。

  さて、アベノミクスを掲げて颯爽と登場した安倍政権でしたが、3本の矢でデフレ脱却を目論み物価上昇率2%を目指した政策もその目標を達することがないまま、景気減速の危機に見舞われています。日銀の黒田総裁も金融政策をフルに駆使することで政府のデフレ脱却に向けて景気対策をバズーカ砲のように打ち続けていますが、企業の設備投資や人件費への投資は思うようには伸びずに個人消費もデフレ解消までに伸びることはありませんでした。

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(景気回復を語る安倍総理 nikkei.com)  

  高度成長の時代からバブル崩壊、リーマンショックを経て、世界経済のグローバル化はすっかり複雑系の経済へと移行していき、相対性が高まる中で絶対的な価値観が通用しない時代を迎えています。しかし、日本が培ってきた外なる思考や技術を内に流しいれて、ブラッシュアップして内なる技術に替える技術はいまだに健在であると思います。自動車産業に代表されるように日本独自の技術は金型のみではなく、光学技術やデジタル技術、さらにはエアバッグ、タイヤに至るまで、あらゆる分野に及んでいます。

  しかし、残念ながら経営はリスクを回避するために内部留保を厚くするばかりで、人件費に対しては極めて保守的です。非正規労働者はいまや37%にまで増加し、3人にひとりが非正規な雇用で仕事をしています。その低い賃金や不安定な雇用関係は日本のデフレを堅調にし、個人消費を押し下げています。日本の経営者は、景気政策を政治や日銀に頼るばかりではなく、賃金という形で日本の市場にお金を供給し、個人消費を拡大させるべきではないでしょうか。

  今年の春闘で、各社はベアを含めた賃上げに前向きであると感じていますが、正社員の賃金のみに視点を当てるのではなく、非正規な労働者の処遇を制度として引き上げると同時に、非正規社員の正社員へのチャレンジを積極的に支援するとともに、登用制度の拡充を行うべきと考えます。企業の従業員の消費はマネーサプライがなければ拡大しないのです。

  戦後最長の好景気が夢と消えてしまいそうな今、経済界が自社の保全のみを考えるのではなく、日本経済自体をより強くすることに取り組むことをぜひ期待したいと思います。

  さて、今週はいよいよ佳境に入った宮城谷昌光さんの「呉越春秋」を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 七」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2018年)

【春秋時代 最後の闘い】

  中国の古代、紀元前の時代。宮城谷さんが書いた「太公望」が殷()の国を滅ぼし、周を打ち立て斉の国を治めたのは、紀元前1046年の事です。その後、周王朝内の内乱のために周は東へと遷都して東周と呼ばれます。紀元前771年に即位した平王の時代から中国は春秋時代へと突入します。春秋時代に中国の東南部を収めていた王朝は「楚」です。

  「楚」の国は、古代中国では古くも紀元前11世紀に創立したとの伝説があります。その後、春秋時代、戦国時代を通じて南の覇者として中国南東部を支配しましたが、春秋時代後期には、「楚」の東の土地には南北に「呉」と「越」の国が存在していました。春秋時代には、周王朝を補佐する実質的な覇国が中華の王とされていました。しかし、12もの国が乱立する時代は徐々に爛熟して、紀元前453年には、戦国の七雄が活躍する戦国時代へと移っていきます。

  春秋時代の最後に覇者として光り輝いたのが、その東側に領土を持つ「越」と「呉」だったのです。

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(「呉越春秋 湖底の城7」amazon.co.jp)

  もともと古くから存立していた「楚」と並立していた両国ですが、その国力を拡大させたのはどちらも「楚」の国から移り住んできた二人の宰相でした。「呉」の国の宰相となり、国王闔閭(こうりょ)の補佐役として一時は楚を滅亡の淵にまで追い詰めた伍子胥(ごししょ)。その「呉」と多くの闘いを繰り広げ、一時滅亡の危機を迎えながらも最終的には「呉」を滅ぼすこととなった国王勾践(こうせん)に仕えた范蠡(はんれい)。この二人の宰相の存在があって初めて「呉越」は春秋時代に輝きを発したのです。

  春秋戦国時代の中国を舞台にした歴史ロマンを数多く創りだした宮城谷昌光さんですが、満を持して執筆したのがこの「呉国春秋 湖底の城」だったのです。

  「呉越春秋」は、講談社の「小説現代」の20097月号から連載が開始されました。その第一巻が文庫化されたのが2010年の7月でした。そこから書き継がれること9年超。その連載が最終回を迎えたのは、昨年20188月号。紀元前520年ころから始まった物語は、紀元前473年に「越」が「呉」に勝利するまでの約50年間を、約10年の歳月をかけて描いた大河小説だったのです。

【「越」の主人公 范蠡登場】

  以前のブログでもご紹介しましたが、宮城谷さんがこの小説を描こうと考えたときに主人公は、数々の伝説が残る范蠡(はんれい)を考えていました。

  范蠡は、「呉越」の闘いにおいて呉王勾践の宰相として数々の勝利を収めると同時に、戦いが終わったのちにはあっさりとその地位をすてて斉の国に亡命してしまいます。亡命先では、商家を起し莫大な資産を築き上げました。その商才を認めた斉の国に宰相として招かれると、彼は全財産を他人に譲渡して斉の国から亡命したのです。驚きなのは、その亡命先で彼は陶朱公と名乗って、またまた巨万の富を築き、その家族と共に穏やかな日々を送ったというのです。

  「史記」に数々の功績と伝説が記された范蠡ですが、実はその生まれた年も亡くなった年もまったくわかりません。その出自も分からなければ、生活ぶりも分からない。まさにエピソードは極めてインパクトがあり、有名であるものの、その人となりが全く分からない人物なのです。宮城谷さんの小説は人が命です。宮城谷さんは范蠡を前にして文字通り「途方に暮れた」のだと思います。

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(名宰相 范蠡像 chenpot.com)

  途方に暮れた宮城谷さんは、改めて呉越の登場人物を見回します。そこで浮かび上がってきたのは「呉」の闔閭を覇者にした重臣の伍子胥でした。伍子胥は、「楚」の平王の太子建の太傅を務めた伍胥の息子であり、その出自と人となりは良く知られています。そして、父親を「楚」の平王に殺され、さらに兄までも殺された伍子胥は、自ら「楚」を出て亡命し、「楚」の平王への復讐を心に誓うのです。

  これほど小説に奥行きを与え、物語に彩りを与えることができるキャラクターは類まれです。

  宮城谷さんの「呉越春秋 湖底の城」は、まず【伍子胥編】として、その連載がはじまりました。そして、このブログでもご紹介した通り、伍子胥はその心に秘めた復讐の想いを成し遂げるために、すべての物事を人生の中に取り込んでいき、大きな人物へと成長していきます。途中、「孫子」の元となる兵法の極意を極める孫武と情誼を深め、類まれな戦略で、みごとに「楚」を打ち砕き、長年の目標を成し遂げるのです。

  そして、「楚」を攻略した「呉」の闔閭は、自らの覇権を脅かす「越」に対して攻め入ります。

  「呉」の宰相に至る伍子胥を主人公とした【伍子胥編】は、ご紹介した第六巻で終わりました。そして、今回の第七巻からは、満を持して【范蠡編】がはじまりました。果たして范蠡とはどんな人物なのか。史記に記されている、引き際は颯爽として潔く、商売をはじめればいつでも巨万の富を築き上げる人物。その大きな魅力はどこから生まれるものなのか。とにかく宮城谷さんが描く范蠡に期待は高まるばかりです。

【「越」の存続は風前の灯】

 (以下、ネタバレあり)

  范蠡の出自や生没年は不明ですが、宮城谷さんは「楚」の国の苑という地に范氏という名のある商家があり、范蠡はその一族の出身である、と語ります。さらに、范蠡が「楚」から「越」に移り住んだ経緯に悲劇的な出来事が介在していました。宮城谷さんの物語の面白さは、人にまつろう様々なエピソードが次々に語られていくところにあります。

  范蠡と「越」に関わる物語には、絶世の美女と言われる西施のエピソードが良く知られていますが、范蠡を語り始めるこの第七巻では、そのはじまりから西施が登場します。しかし、いきなり登場する西施は、生まれたばかりの乳のみ子です。いったい年端もいかない范蠡と生まれたばかりの西施の間に何が起こったのか。それは、小説を読んでのお楽しみです。

  さて、宮城谷さんの小説でもっともワクワクするのは、国家を懸けた戦いの描写です。

  前巻で「呉」の国王である闔閭は、伍子胥を宰相として「楚」を攻め、その首都郢(えい)は陥落し楚は滅亡寸前まで追い込まれました。しかし、闔閭の留守を狙ったのは隣接する「越」の君主である允常(いんじょう)でした。允常に攻め込まれたとの情報を得た闔閭は、楚の攻略を取りやめ、急ぎ自らの国へと引き返したのです。呉の勢いを恐れた允常は侵攻を取りやめ「越」へと引き上げます。「越」に戻った允常は、その後亡くなり、子の勾践が跡を継ぐと自ら越王を名乗り、父の喪に付したのです。

  「越」に恨みを抱く闔閭は、勾践が喪に服している間に全軍を指揮して「越」に攻め入ることを決めました。ここに、「呉」対「越」の戦いの火ぶたが切って落とされることになるのです。

  さて、「呉」の闔閭が伍子胥と孫武を従えて「越」に攻め込んでくる。このうわさは千里を走り、「越」の民は戦々恐々と怯えています。そのうわさは、当然勾践のもとにも届いており、勾践は「呉」を打ち破るにはどうすればよいのか、その戦略を練り始めます。「越」の勾践の側近となった范蠡ですが、このときにはまだその戦略を練るほどの信頼を得ているわけではありません。このときに、戦略を練っていたのは将軍であり、宰相でもあった胥犴(しょうかん)だったのです。

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(「湖底の城 第七巻」付録のしおり) 

  范蠡は、ある日胥犴に呼び止められて、「孫子」の話を投げかけられます。胥犴は、諜報を良くし、間諜を「呉」に潜入させて軍師である孫武が記した兵法書を手に入れていたのです。その戦略に驚嘆した胥犴は、その書き物を范蠡に読むようにと渡します。范蠡と共に勾践に仕えていた大夫種という男は、范蠡が内政の雄とすれば、軍政に長けていました。范蠡は、「孫子」を大夫種に見せます。しかし、それを読んだ大夫種は「理論書であり、実践書であらず。」一笑に付します。

  しかし、孫武の兵法の奥深さを知った胥犴は、将軍として柔よく剛を制する戦略を越王勾践と共に練りに練るのです。いったい、越軍の戦略とはどんなものなのか。その謎は、「呉」軍が越の領土に向かって進軍し始めたとき、徐々に明らかになるのです。勾践は、自国の領土内で呉軍を迎え撃つのではなく、自ら打って出る戦略を選択します。しかし、「呉」の数万の軍勢に比して「越」の軍勢はその1/5を数えるのみなのです。

  勾践と胥犴は、どのような戦略で呉の大軍と相対するのか。

  一方で、闔閭を補佐する伍子胥は孫武であれば、この戦闘をどう読んで戦うのか、これまでともに戦ってきた側近の褒洋(ほうよう)に「越」の戦略を尋ねます。数に劣る「越」の戦略は、ずばり奇襲である。そう読んだ伍子胥は、最前線にある将軍風側に奇襲に備えさせます。そして、胥犴は伍子胥の読み通りに奇襲を仕掛けてきました。すんでのところで奇襲を察知した伍子胥たちは、みごとに胥犴の奇襲を退けることに成功します。

  しかし、勾践と胥犴の戦略には、この奇襲の失敗が織り込まれていたのです。

  その手に汗握る戦いの行方は、ぜひこの第七巻で味わってください。宮城谷さんの手腕にワンダーが次々に我々を襲います。本当に宮城谷春秋は面白い。

  今年ももうすぐ桜が咲きますが、花粉の猛攻は止まることを知りません。皆さん、ご自愛ください。それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 22:18| 東京 ☁| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月12日

映画「グリーンブック」はなぜオスカーに?

こんばんは。

  今年も映画の祭典アカデミー賞は盛り上がりました。

  日本からは、外国語映画賞に是枝監督の「万引き家族」、長編アニメ映画賞に細田監督の「ミライの未来」がノミネートされましたが、残念ながら受賞を逃しました。

  今年のキーワードは、「ダイバーシティ」だそうです。主な受賞の内容を見てみましょう。作品賞「グリーンブック」、監督賞アルフォンソ・キュアン監督「ROMA/ローマ」、主演男優賞は「ボヘミアン・ラプソディ」のラミ・マレック、主演女優賞は「女王陛下のお気に入り」のオリヴィア・コールマン、除染男優賞は「グリーンブック」のマハーシャラ・アリ、助演女優賞は「ビール・ストリートの恋人たち」のレジーナ・キング、脚本賞は「グリーンブック」のニック・バレロンガ、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリーでした。

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(主演男優賞受賞ラミ・マレック mdpr.com)

   「ダイバーシティ」とは、多様性のことですが、今年のアカデミー賞は確かに多様性にあふれています。まず、監督賞と外国語映画城を受賞した「ROMA/ローマ」は、メキシコ映画であり、その公開は映画館ではなくNetflixでの公開でした。フレディ・マーキュリーを熱演したラミ・マリックはエジプト系のアメリカ人。助演男優賞と助演女優賞は黒人俳優。衣装デザイン賞を受賞した「ブラックパンサー」のスタッフたちはアフリカ系のアメリカ人で初の受賞でした。

  聴けば、2015年と2016年、主演助演の俳優ノミネートはすべて白人だったそうで、アカデミー賞には数々の批判が輸せられていたと言います。そうした批判もまったく影響がなかったわけではないのかもしれませんが、今年のアカデミー賞の多様性は映画の素晴らしさをより輝かせてくれることに間違いありません。今、アメリカの印象はトランプ大統領のおかげで、反知性主義と超保守的思想に覆われており、今回のアカデミー賞に現れた多様性は、それに対する言葉なき批判となっているのではないでしょうか。

  さて、主演男優賞や音響編集賞などを受賞した「ボヘミアン・ラプソディ」の魅力は、先日このブログでもご紹介しましたが、今年のアカデミー賞の発表を見て、さっそく公開されたばかりの「グリーンブック」を見てきました。今回は、映画「グリーンブック」の魅力をご紹介します。

【アメリカのトラウマ】

  この映画の題名となっている「グリーンブック」とは、アメリカで発売されていた「ホテル・宿泊所」の案内本の名前です。この本は、「グリーンによる黒人ドライバーのためのガイドブック」と呼ばれているように、郵便配達人だったグリーンさんが創刊した黒人専用の旅行ガイドブックなのです。

  アメリカ、特に南部では1960年代まで人種差別はあたりまえのことでした。NASAの初めての宇宙有人飛行へのスタッフを描いた映画「ドリーム」では、NASAに採用された天才的な黒人数学女子が建物敷地内に黒人用のトイレが一つしかないために、毎日トイレに行くたびに長時間の不在を強いられていた現実が描かれていますが、アメリカではホテルやレストラン、お店やトイレまですべてが白人用と黒人用に区別されていたのです。特にアメリカ南部では、専用施設は当たり前の事であり、黒人は専用の施設しか使用できなかったのです。

  「グリーンブック」とは、アメリカを車で旅行しようとする黒人のためにできた黒人専用の宿泊施設やレストランを記載したガイドブックの名前なのです。

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(黒人向けガイド「グリーンブック」 映画より)

  というと、この映画は人種差別を非難する映画なのかと思う人もいるかもしれません。この映画は実話をもとにしていますが、その背景となるのは1962年であり、その頃のアメリカの文化や風俗を忠実に再現しているに過ぎません。むしろこの映画が描こうとしているのは、生い立ちも環境も、人柄もまったく異なる二人のアメリカ人が、旅を通じて無二の友情をはぐくんでいく人間ドラマなのです。たまたま二人のアメリカ人が、片やイタリア系の白人、片やアフリカ系の黒人であるというシチュエーションが時代を背景として感動の物語を生み出すのです。

  確かにこの映画は、人種差別を非難する映画ではありません。その脚本の素晴らしさで二人の異なるアメリカ人が旅を通じて本当の友情をはぐくんでいくプロセスは、涙あり笑いありの感動を我々にもたらしてくれます。しかし、全体としては感動作ではありながらも映画としての派手さがまったくありません。この映画がアカデミー賞の作品賞を受賞したのは、近代のアメリカが抱える社会的な問題を映画の背景としたからに違いありません。

  先日ご紹介した橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の対談「アメリカ」で、橋爪氏はアメリカを語るときに欠かしてはならないのは、アメリカ社会が抱える人種問題のトラウマだ、と語っていましたが、マルティン・ルーサー・キング氏の暗殺を持ち出すまでもなく、アメリカの人種問題はアメリカ人にとって避けることにできない歴史的な宿命であることに間違いありません。

  この映画は、その問題を1960年代の歴史的事実として描き出しているのです。

【「グリーンブック」の面白さ】

(映画情報)

・作品名:「グリーンブック」(2018年米・130分)

(原題:「Green Book」)

・スタッフ  監督:ピーター・ファレリー

       脚本:ニック・バレロンガ

          ブライアン・カリー

          ピーター・ファレリー

・キャスト  

  トニー・“リップ”・バレロンガ:ビゴ・モーテンセン

  ドクター・ドナルド・シャーリー:マハーシャラ・アリ

  ドロレス:リンダ・カーデリニ

  この映画のキャストとスタッフを見て何か気づきませんか。

  そのポイントは、「バレロンガ」という苗字です。映画の主人公であるトニー・“リップ”・バレロンガは、イタリア系移民のアメリカ人です。腕っぷしが強く、ニューヨークの高級クラブである「コパコパーナ」で用心棒を勤めています。ガラは悪いのですが、妻や子供を心から愛する正直者です。映画の中で、ドクター・シャーリーがあだ名の“リップ”のわけを尋ねます。トニー曰く、昔から口が良く回りデタラメをしゃべって相手を煙に巻くのが得意でそのあだ名がついた、そうです。シャーリーが嘘をつくのは良くない、というと、トニーは「俺はデタラメとは言ったが嘘とは言っていない。」「俺は嘘はつかない。」と答えます。その言葉通り、この映画のトニーは、正直な乱暴者なのです。

  映画では、シャーリーが「バレロンガ」という名前が呼びにくいので、紹介するときには「バレ」に縮めようと提案しますが、トニーは“リップ”か「バレロンガ」のどちらかだ、と苗字へのこだわりを口にします。

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(ドクター・シャーリーとトニー・リップ 映画より)

  今回、この作品はアカデミー賞で脚本賞を受賞していますが、脚本家の名前を見ると、ここにも「バレロンガ」が登場します。実は、脚本を書いたバレロンガ氏はこの映画の主役、トニー・“リップ”・バレロンガの実の息子なのです。この映画の魅力は、饒舌で世知に長けたある意味で正義感であるトニーと黒人でありながら一流ピアニストでありアメリカの黒人からは別世界の孤独な黒人シャーリーが生み出す様々なドラマと二人の会話です。

  シャーリーは、ホワイトハウスでピアノリサイタルを開いたこともあり、カーネギーホールの2階をアパートメントの代わりにするホール専属の超一流ピアニストです。もちろん、彼が奏でるピアノはスタインウェイであり、それ以外のピアノを弾くことはありません。彼は、黒人としてはすべての人に認められ、黒人からは阻害され、当然白人ではない自分のアイデンティティに常に悩んでいます。

  今回の映画は、実話をもとに構成されています。天才ピアニストであったシャーリーについては、映像も残っておりその人物像はかなり想像し易いと思いますが、主人公であるトニー・“リップ”・バレロンガの魅力は捕えることが難しいことは想像に難くありません。しかし、映画はトニーの家族たちを生き生きと描くことによって、トニーの人柄を語っていきます。そのことが可能となったのは、ひとえに脚本家として名を連ねた、もうひとりの「バレロンガ」のなせる業ではないでしょうか。

【南部の旅が創りだす二人の絆】

 (以下、ネタバレあり)

  さて、高級キャバレー「コパカーナ」の用心棒であるトニーは、その口八丁の語りと腕っぷしの強さでちょっとしたこずかい稼ぎにも困らず、それなりの信頼を得ながら職務をこなしていました。ところがある日、勤め先のクラブが改装工事に入ることとなり、突然の失業という憂き目にあいます。知り合いのレストランで大食い競争でホットドック食い50個に挑戦して賞金を手にしたり、大切な時計を死地に入れたりして日々の生活費を稼いでいましたが、そんなところに運転手の話が舞い込んできます。

  トニーは、採用面接を受けるために教えられた住所を訪れます。その場所は、なんとハイソな劇場である「カーネギーホール」。雇い主はドクター・シャーリーと教えられていたトニーは、てっきりボスは医者だと思い込んでいましたが、あにはからんや面接に現れたのは黒人の超一流ピアニストだったのです。仕事は、8週間にわたるアメカ南部へのコンサートツアーでの運転手兼世話係というオファーでした。トニーは、身の回りの世話を限定するとともに週休100ドルとのオファーを週休125ドルと逆提案します。

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(映画「グリ−ンブック」ポスター)

  採用の成否は、意外な連絡でした。トニー家の電話は夫婦の寝室に置いてあります。ある晩、トニーと妻のドロレスが寝ようとしているところに電話のベルが鳴り響きます。トニーが手を伸ばして電話に出ると、それはドクター・シャーリー本人からの電話でした。ドクターは、トニーに話をするわけでもなく、いきなり奥さんに電話を替わるように話をします。電話を替わったドロレスにドクターは、トニーが8週間家を留守にしても差し支えないかを問いました。ドロレスは複雑な表情をしながら、その申し出にイエスと答えました。

  こうして、8週間にわたるドクター・シャーリーとトニーの旅が始まったのです。

  二人は、トリオを組むベーシストとチェロリストの車と連なり、トニーの運転でニューヨークから南へと下っていきます。この度でのエピソードの連なりは、さすが脚本賞を受賞しただけのことはあり、傑作エピソードが我々の心に響いてきます。

  はじめの都市はペンジルバニア州のピッツバーグ。街は黒人に対してもまだまだ寛容です。トニーは休憩に立ち寄ったドライブインで翡翠のような美しい石が籠に入って売られているのを眺めていました。ふと気が付くと、足元の砂利に紛れてひとつの美しい石を見つけます。それは、明らかに売り物の籠から落ちたのですが、トニーはその石を拾うとちゃっかり自分のポケットに収めてしまいます。

  それを見ていたのは後ろの車に乗っていたチェロリストでした。チェロリストはトニーの振る舞いを見ていて、それをシャーリーに告げ口します。何食わぬ顔をして車に戻ったトニーに後部座席に乗っていたシャーリーが声を掛けます。「拾った石を返してきなさい。」トニーは拾ったものは俺のものだと抵抗しますが、ボスには逆らえず、嫌々ながら石を籠へと返しに行きます。そして、この石が伏線に・・・・。

  最初のコンサートを会場の開いた窓の外から観賞したトニーは、シャーリーの才能あふれるピアノの音に聞きほれて、その力量に心を動かされます。シャーリーは、2つの習慣をトニーに衣良視します。そのひとつは、コンサート会場に備えるピアノは、必ずスタインウェイであること。それは、ピアニストとしての矜持です。その才能を認めたトニーは、この矜持に納得します。

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(ドクター・シャーリートリオの名演 映画より)

  実話をもとにしたこの映画。実際のコンサートツワーは2年に及んだと言いますが、この映画では8週間となっています。しかし、実際には2年間で起きた二人のエピソードが映画では8週間に凝縮されています。

  この映画の面白さは、徐々に黒人差別が厳しい南部に深く入り込んでいく二人が、それぞれの場所で遭遇するエピソードの多彩さにあります。ケンタッキーフライドチキンをこよなく愛するトニーと一度もフライドチキンを食べたことのないシャーリー。運転手仲間と路上で賭け事を楽しむトニーに「賭けで儲けなければならないようなお金が必要だったら言ってくれれば支払う。」と言うシャーリー。「酒場では現金を見せないことだな。」と語るトニー。何度もすれ違いが起こり、そこから二人の友情はめばえていくのです。

  二人はクリスマス前の最後のコンサートを、黒人歌手ナット・キング・コールが袋叩きにあったというアラバマ州バーミンガムで迎えます。驚きと感動のラストはぜひ劇場でお楽しみください。また見たくなること間違いなしです。

  やっぱり映画は面白い。それでは皆さんお元気で、またお会いします。

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posted by 人生楽しみ at 22:56| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月06日

朽木ゆり子 消えたフェルメール

こんばんは。

  フェルメールという名前には、つい反応してしまいます。

  以前から、朽木ゆり子さんがフェルメールに関する図書をたくさん上梓していることは気になっており、福岡伸一さんとの対談ではフェルメールの絵画を展示する世界のすべての美術館を踏破したお二人が縦横無尽にフェルメールを語る言葉にすっかり魅了されました。直近の東京でのフェルメール展には、都合がつかずに行けませんでしたが、フェルメールの絵画に対するあこがれはいまだに消えることはありません。

  その朽木さんのデビュー作でもある新潮選書の1冊、「盗まれたフェルメール」はいつか読みたいと思っていましたが、すでに絶版となっていました。そんな中、本屋さんを巡ると新書の棚でこの本を見つけました。手軽な新書で読める喜びを感じて思わず手に取り、購入したのは当然のことでした。

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(「消えたフェルメール」amazon.co.jp)

「消えたフェルメール」

(朽木ゆり子著 インターナショナル新書 2018年)

  これまでにも、来日したフェルメールはほとんど目の当たりにし、その魅力に魅入られてきましたが、そのフェルメールの絵が数々の盗難被害にあっていたことは未知の事でした。18年前に上梓された「盗まれたフェルメール」で朽木さんは、1990年に盗難に会ったフェルメールの「合奏」という作品が発見されることを祈ると語ったと言います。この本は、28年たった現在、その絵がいまだに発見されていない事実から語り始められます。

  フェルメールの絵は、なぜ何度も盗まれるのか。

  その知られざる世界を解き明かしていく本作は、とてもスリリングで面白い。

【名作はなぜ盗まれるのか】

  犯罪には動機があります。絵画の盗難も何らかの目的のもとに実行される犯罪です。盗難は、経済的な動機から実行されることが最も多いと思われます。近年、バンクシーという正体不明の画家の絵が世間をにぎわしています。バンクシーは、世界の各地で街中に残された数々の作品で、すっかり有名になりました。そこに込められたメッセージが人々の心を動かすのです。昨年、そのバンクシーの絵がロンドン、ザザンビーズのオークションに出展されました。

  話題沸騰のバンクシーの絵画ということで、オークションは盛り上がり、最終的に匿名の欧州の女性が104万ポンド(約15000万円)で落札しました。「少女と風船」と題されたその絵は、バンクシーおなじみの飛び去ろうとする風船にいたいけな少女が手を伸ばしている姿が描かれています。驚きは、落札した直後に起こりました。

  落札した瞬間、絵画の額縁の下部に仕掛けられたシュレッダー装置が稼働して、絵が下がっていくと同時にまるでウドンのように裁断されてしまったのです。シュレッダーは途中で止まり、裁断されたのは約半分でしたが、驚きはその後も続きます。傷物となった絵に入札は不成立になるかと思われましたが、落札した女性は裁断された絵画に落札した金額を支払ったのです。

  裁断された絵は、バンクシーの代理人によって新たな絵画として「愛はごみ箱の中に」と名付けられたそうです。かつて、「少女と風船」と名付けられていた絵画は、裁断されてもその価値を減じることはなかったのです。

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(「愛はごみ箱の中に」toyokeizai.netより)

  絵画の価値は、ことほどさように高価であり、その価値が盗難の大きな動機となることは間違いありません。

  朽木さんは、絵画の盗難事件の動機として次の4つを挙げています。第一の動機は、熱烈な絵画ファンが実物を自分の所有にしたいとの欲求です。第二は、盗んだ絵画を闇市場で売りさばき、金銭に替えるというもの。第三は、盗んだ絵画を返す見返りに所有者、または保険会社から報奨金を手に入れるために盗難するとの動機。そして、第四は、絵画返却を条件として、政治犯の釈放などの目的を遂行するための政治的な動機です。

  確かに有名絵画は資産として大きな価値を持ちますが、近年は防犯体制が充実すると同時に、売却を担っていた裏社会にも情報網がいきわたり、売却を請け負う裏の犯罪者はいなくなったと言います。そのため、売りさばこうとする話に乗ってくるのは、すべてがおとり捜査の警察官であり、売却目的の絵画盗難は減少していると言います。フェルメールの場合、特徴的なのは5回の被害のうち2回は、IRAのテロリストが逮捕され監禁されている仲間の釈放を求めるためにフェルメールを盗んだ、という事実です。

  この本は、フェルメール絵画の5回の盗難を描くことにより、絵画盗難の実態、動機、さらには美術館の事情を説き起こすとともに、フェルメール絵画の所有者の変遷などを実証的に語っており、その面白さは抜群です。

【絵画盗難のノウハウ】

  美術品の盗難と言えば、思い出すのはウィリアム・ワイラー監督のラブコメディ映画「おしゃれ泥棒」です。1966年に制作された、この映画の原題は“How to Steal a Million”。その名の通りパリの美術館から100万ドルの美術品を盗み出す物語です。

  映画の主人公シャルル・ボネ氏は、パリに住む有名な美術収集家です。しかし、その裏の顔は贋作専門の芸術家。超有名名画の偽物を作成して売りさばくプロフェッショナルなのです。演じるのは、名優ヒュー・グリフィスです。その一人娘、ニコル・ボネを演ずるのは当時もっとも磨きのかかっていたオードリー・ヘップバーン。ニコルは、いつも父親の贋作が暴露されないかを心配しています。

  ある晩、ニコルが自分の部屋のベッドでスリラー小説を読んでいると、階下で物音がします。物音におびえるニコル。しかし、心配になったニコルは意を決して階下に様子を見に行きます。すると、1階の踊り場に飾った絵の前に男がいて絵を見聞しています。ニコルは、壁に掛けてあった拳銃をかまえて、電気のスイッチをともしました。侵入していたのは、シモン・デルモット。絵画専門の怪盗。演じるのは、イケメン俳優のピ−ター・オトゥールです。

  この映画の脚本は本当に良くできていて、飾られていた絵が偽物だとバレないよう、ニコルは怪盗シモンをそのまま逃がそうとしますが、なんと銃が暴発してシモンが負傷してしまいます。やむなく治療したニコルは、ニコルの演技に騙されてシモンをホテルまで送り届ける羽目になるのです。シモンの泊まるホテルのリッチなこと。ニコルの可憐さににシモンは一目ぼれしてしまうのです。

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(映画「おしゃれ泥棒」サントラ盤)

  ニコルの父ボネは、所有する有名な彫刻「チェリーニのビーナス」を展覧会に出品します。厳重な警戒のもと、美術館に運び込まれる「チェリーニのビーナス」。実は、ボネの傑作贋作だったのです。そして、厳重な警戒の中で展示されるビーナス。美術館は、このビーナスに保険を掛けるのですが、あろうことか、保険会社が保険を掛ける前にビーナスを鑑定すると言うのです。進退窮まったボネとニコル。困ったニコルは、怪盗シモンに「チェリーニのビーナス」の強奪を持ちかけます。

  「チェリーニのビーナス」のモデルは、ニコルのおばあちゃん。その証拠にビーナスは、ニコルにそっくりなのです。

  果たして、シモンとニコルは鉄壁の防御を突破してビーナスを盗み出すことができるのか。緊迫の展開ですが、さすがラブコメディ。物語はおしゃれに進んでいきます。

  ネタバレとなりますが、二人は夜の美術館の掃除小屋に潜んで、ビーナスの警備がオンになるとある方法で、警報を発砲させ、自分たちは掃除小屋に隠れます。この警報がまたハデで、パリの街中に大音響の警報がとどろき渡るのです。パリじゅうの警官が美術館へと押し寄せる喧噪のなか、大勢の警官と警備員が美術館に突入しますが、ビーナスは何も変わらず佇んでいます。異常なし。警備隊長は、肌身離さず身に着けていたキーを警報装置に突き刺して警報を止めます。

  そこにフランス大統領から電話がかかってきます。大統領はその警報の音の大きさに寝ているところを起こされて連絡してきたのですが、異常なしと聞いて電話を終了しました。

  シモンとニコルは、その後も何度も警報を鳴らしては隠れます。警報は真夜中にもかかわらず何度も街中に鳴り響き、数えきれないほどの警官が美術館を取り巻きますが、被害は全く認められません。そして、警報が鳴り響くたびにたたき起こされたフランス大統領から隊長宛に苦情の電話がかかってきます。ストレスに耐えきれなくなった警備隊長は、腹に据えかねてついに警備システムのスイッチを切ってしまうのです。

  すべての警備が途絶えた美術館で、二人は悠々とビーナスを盗み出します。エッ、二人はどうやって何度も警報を鳴らしたのか?それは、映画を見てのお楽しみです。

  この本では、フェルメールの名作「手紙を書く女と召使」が二度の盗難に会った経緯を詳しく語っています。この絵は、アイルランドのアルフレッド・ベイト準男爵のコレクションで、ゴヤやルーベンスとともにラスボラスハウス(男爵の邸宅)に飾られていましたが、一度目は1974IRAの武装メンバーに盗まれました。その動機は逮捕され、監禁されていた仲間を救い出すための手段としての強奪でした。

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(「手紙を書く女と召使」wikipediaより)

  その後、絵は無事に発見されましたが、1986年、今度は名うての美術品強盗犯マーティン・カーヒルの手引きでまたも盗難に会いました。この2度目の盗難の経緯は、映画「おしゃれ泥棒」を地で行くような計略によるものだったのです。フェルメールの絵画はその価値の高さから何度も盗難の憂き目にあっていますが、朽木さんはその経緯を滑らかな筆で我々に語ってくれるのです。

【羨望の邸宅美術館】

  最近行った美術展は、偶然にも個人コレクションが元になった美術展が多くありました。先日東京駅に近い三菱一号館美術館で開催されたアメリカのダンカン・フィリップスのコレクションを展示したフィリップス・コレクションは見事でした。100年前にその私邸でコレクションが公開されたとのことでしたが、その私邸に飾られた数々の絵の写真は、邸宅美術館という欧米の文化の素晴らしさを教えてくれました。

  ところが、我々があこがれる邸宅美術館には大きな弱点がありました。それは、防犯設備がなく、盗難に対して極めて脆弱である点です。

  1990年に盗難にあい、いまだに発見されていないフェルメールの「合奏」。この絵画が盗まれたガードナー美術館はアメリカでも有名な邸宅美術館だったのです。ガードナー美術館はボストン最古の名門ガードナー家の三男であるジョン・ロウエル・ガードナーと結婚したイザベラ・スチュワート・ガードナーによって収集された絵画群を展示した自宅がそのまま美術館となった邸宅美術館です。

  朽木さんは、ガードナー夫人がどのような経緯でフェルメールを手に入れたのかとのエピソードから夫人が自らの邸宅に美術館を構築するプロセスを我々に語ってくれます。そして、その邸宅を美術館として公開した歴史とその美術館のすばらしさを描写してくれます。

  そこで起きた盗難事件。我々もその場にいたようなショックと戦慄を目の当たりにします。さらに驚くことにこの美術館では今でも盗難にあった絵画の跡は、当時のまま空白となっているというのです。フェルメールの「合奏」はどのように盗まれたのか?なくなった絵画の跡はなぜ空白のままになっているのか?その答えはぜひこの本でお楽しみください。

  この本は、17世紀にフェルメールが数々の名画を書き上げた後、その名画がどのような変遷を経て我々の世代へと受け継がれてきたのかとの経緯も解き明かしてくれます。

  春の一日、皆さんも名画のロマンと戦慄の犯罪の行方を味わってみてはいかがでしょうか。フェルメールへのあこがれがさらに増していくこと間違いなしです。

  梅もほころび、桜の春もすぐそこです。不規則な天候ですが皆さんご自愛ください。それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年02月25日

あの社会学者二人がアメリカを語る

こんばんは。

  最近、ニュースで目立つのは、「専門家によると」という、分かったような、分からないようなコメントです。

  ちょっと眉つばだと思うのは、どんなネタでも専門家が登場してもっともらしく語る所です。専門家に困った時には、自局の報道部の責任者を登場させて語るわけですが、むしろ、専門家よりも日頃取材で勉強している取材チームの方が我々に近くて分かりやすいのではないかと感じます。もっとも、放送局側としては自局でリスクを抱え込むことになるので、できるだけコメントは第三者からもらいたいと考えるわけですね。

  なぜこんな話題を持ち出したかと言えば、ベストセラーを連発する二人の社会学者がまたまた面白い対談本を上梓したからです。お二人の対談はいつも刺激的ですが、同じ社会学者でも、別の視点から語れば異なる知見も有り得るのだろうな、とも感じたからです。

「アメリカ」

(橋爪大三郎 大澤真幸著 河出書房新書 2018年)

  このお二人の社会学者による対談はこれまで何冊も読んできましたが、その基本となるのは宗教です。特に橋爪氏は自らもキリスト教の信者であり、キリスト教を始めとしてイスラム教、仏教など、世界の宗教への造詣が深い碩学です。そこを起点として、中国や戦争などを分析する本も上梓しており、ブログでもご紹介している通り、興味深い著書をたくさん書き上げています。大澤氏との対談では、大澤氏が様々な疑問や解説を橋爪氏にぶつけ、橋爪氏が受ける刀を翻らせることにより議論を深めていくとの形で話が展開されていきます。

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(対談「アメリカ」 amazon.co.jp)

  お二人の対談は奥深い知見に裏打ちされて、時に目からうろこがおちて、とても刺激的です。

【刺激的と正確性のあいだ】

  学問とは、これまでに発見されていない事実、または定説にはない真実を探求するものと認識していますが、現代の学問には科学的なアプローチが必要不可欠となっています。科学的なアプローチとは、様々な現象やデータから仮説を立て、その仮説が真実であることを実験または観察によって立証する、とのプロセスを言います。

  先日ご紹介した「縄文探検隊の記録」を読んでいた時に、一言で科学的と言っても分野によって事実は異なることがある、と知りました。それは、縄文時代に起源を持つ漆に関する知見です。縄文時代の遺跡から漆による加工品が各地で見つかっています。漆の技術は長い間中国から伝来したと語られていましたが、北海道の縄文時代の遺跡から9000年前の漆の加工品が発見され、漆加工は日本固有の技術であるとの説が有力になりました。

  そこで、論議になったのは漆の材料となる漆の木は、当時の日本に生息していたのかどうか、との問題です。そこで、論議を繰り広げたのは植物考古学者の鈴木さんと考古学者の岡村さんです。岡村さんは、北海道の遺跡で縄文時代に中国でも発見されていない漆の文化が見つかったのだから、漆の木が当時の北海道に生息していたと考えるべきだ、と語ります。

  しかし、植物考古学者の鈴木さんは、この時代の北海道の気候と当時の植物の生息域の研究から、あてはなる地層から漆の木が生息していた証拠が見つかっていないことを理由に、現時点では当時の北海道に漆の木が自生していたとは言えない、と語ります。岡村さんや夢枕獏さんは、これだけの状況証拠があれば、生息していたとの考え方が取れるのではないか、と主張するのですが、鈴木さんは植物学者としてそれを認めるわけにはいかないと言い、議論は平行線のまま終わりました。

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(7000年前の縄文漆器 urushi-joboji.com)

  科学的という意味で、岡村さんも鈴木さんも同様な立場にいます。事実、岡村さんも石器具の年代測定に関しては非常に厳密で、その石器具が出土した遺跡の年代鑑定がなされていなければ、器具の年代を特定してはいけない、と厳しい矜持を語っています。逆に、植物考古学者の鈴木さんであれば、石器具の年代想定に関しては状況証拠によって年代を語ることがあり得るのかもしれません。立場が変われば、説は変わるのです。

  今回ご紹介する対談では、お二人のアメリカに関する仮説が飛び交い、本当に刺激的で面白いのですが、そこで語られる知見が定説なのかどうか、我々には確信を持つことができません。

  しかし、とてつもなく巨大な木を語りつくそうと思った時に、はるかに離れた枝先と枝先の関連性や違いを事細かに語ると、何のことを語っているのか理解さえおぼつかなくなります。そうした意味ではお二人の対談は、まず太い幹のさらに年輪の核をいきなり語ります。そして、核心を分かりやすく話す場合、同じ木のことを話していても幹の事情が枝葉の事情と異なることも多くあります。この本は、語られる言葉がはても刺激的ですが、その多義性をよく理解したうえで読む必要があるのではないでしょうか。

  ニュースのツマに出てくる「専門家」の話も、専門家の立場によって語る言葉が異なります。「専門家」との言葉に惑わされないよう十分に注意して耳を傾ける必要がありそうです。「専門家の選択」そのものがそのマスメディアの主張になりかねないからです。

【日本人とアメリカ人は分かり合えない?】

  毎日、世界に突飛な話題を提供しているトランプ大統領ですが、我々日本人にとっては、この地球上でもっとも重要な関係を保つ国の首長です。

  アメリカは、江戸時代が終わりを告げた時から、日本にとって最もかかわりの深い国となりました。日本に捕鯨の中継地点を探す目的で訪問し、結果として開国を迫ったのもアメリカならば、日本に対しABC包囲網を狭めることで突出をせざるを得ないように追い詰めたのもアメリカです。さらに終戦後には占領軍として日本を統治し、良くも悪くも日本を、アメリカを中心とする資本主義経済に巻き込んだのも、核兵器の傘のもとに同盟国として日本の安全保障の鍵を握っているのもアメリカなのです。

  そこに、かなり変わり者の大統領が出現したわけですが、日本にとってのアメリカの重要性が少しも変わるわけではありません。しかし、日本はアメリカのことをどれだけ理解しているのでしょうか。アメリカ合衆国の独立宣言が公布されたのは、1776年です。個人的な感覚では、ついこの間アメリカ建国200年のお祝いが大々的になされたばかり。(実際には、今年で建国243年です。)建国してからの歴史は、時間的には我が国の江戸幕府の歴史と大して変わらないのです。

  しかし、短い歴史であるがゆえに複雑な国であることは間違いありません。なぜならば、この国の基盤はヨーロッパ、しかもイギリスにあるからです。世界史の授業で習ったとおり、今のアメリカが建国されたのは、イギリスのピューリタンと呼ばれたキリスト教集団がピルグリムファーザーズとして、メイフラワー号に乗ってアメリカのニュー・プリマスに上陸したことに端を発しています。

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(アメリカ上陸 メイフラワー号 wikipediaより)

  キリスト教は一神教であり、2000年以上の歴史を持ちます。その中で、イギリスのキリスト教の歴史はさらに複雑な経緯をたどっています。イギリスのクロムウェルが起こした民主革命はピューリタン革命と呼ばれていますが、ピューリタンとはキリスト教の中の派閥で清教徒のことを指します。なぜ、ピューリタン革命の起きた国からピューリタンの一派が新大陸へと渡ることになったのか。

  キリスト教徒にとって宗教的な動機は何よりも強く歴史を動かしてきました。アメリカという国の歴史は短いのですが、アメリカ建国の動機づけとなったキリスト教徒の歴史ははるかに長く、アメリカを知るためには、宗教革命でプロテスタンとが生まれ、さらにイギリスでプロテスタントのルター派が核となり、そこからピューリタンが生まれた歴史を知る必要があると言います。

  この本は、第一章でアメリカを形作ったプロテスタント、ピューリタンとキリスト教会の教えとその社会的な影響を分かりやすく説明してくれます。日本人には、神の存在とその解釈が「死」と「生」に直結していることが理解できませんが、キリスト教ではカトリックとプロテスタントの間に命を懸けた戦いが繰り広げられており、アメリカの歴史と文化はプロテスタント、特にピューリタン以降のキリスト教(神)に根付いているのです。そのキリスト教の普遍性と個別性という二律背反の世界にいるアメリカは、我々にとって本当に分かりにくい世界なのです。

【プラグマティズムはアメリカだ!】

  世界史の勉強をした方は、近代の文化としてアメリカの哲学である「プラグマティズム」という言葉を聞いたことがあると思います。この本の第2章は、アメリカをアメリカとして成り立たせている哲学と言えるプラグマティズムをキーワードにしてアメリカを読み解こうとする試みです。

  「プラグマティズム」とは、日本語に訳すと実用主義や実際主義と表記されます。これまでの哲学は、「真理」を追究していくプロセスですが、それは端的に言えばドグマとの戦いです。ドグマは宗教用語で教条主義のことですが、教条主義は、ある教義の「誤謬」を問題とすることです。つまり、科学的姿勢にもつながることですが、この世の中にはどこかに「真の真実」があり、今、真実と思われていることは、「真の真実」から見れば「誤謬」かもしれない。

  近代の科学は、「真実」の追求は仮説を提唱して、実験や観察によってその仮説が事実、または真実であることを立証していく姿勢のもとに発展してきました。これこそが科学的プロセスであり、哲学的姿勢でもある、というのが我々の価値観となっています。例えば、コペルニクス的転回の天動説や、ニュートン物理学を覆す特殊相対性理論は、まさにこれまでに実証された「真実」のさきに、「真の真実」があったことが証明された事象です。そして、素粒子はそのさきにさらなる真実がある事を示唆しています。

  「プラグマティズム」では、そうした「真実」への「誤謬」を追求することを保留します。世の中には、「最大限の真理」と「限定的な真理」があるというのが「プラグマティズム」の哲学者ジェイムズの考え方です。大澤氏の「プラグマティズム」解説では、これまでの哲学も踏まえた難解な論述が展開されますが、端的に言うと「限定的真理」という考え方が「プラグマティズム」を代表していると思えます。

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(「プラグマティスム」を記したジェイムスの肖像)

  つまり、「真理」とは限定的にあらゆる場面で遭遇するものを言っても良く、我々が毎日行う行動の結果が効果的で幸福に通じるものであれば、その結果を真理と言っても良いのだ、という実用的な考え方が「プラグマティズム」なのです。(あまりに単純化したので、心配な方はぜひ本書の詳しい解説をお読みください。)

  現代の経営の世界では、ブーカという複雑系の考え方がリスク管理の基本と考えられていますが、「プラグマティズム」の考え方は、いわば世の中が極端に相対化されていけば、世の中に「真の真理」というものはなく、すべてが「真理」となり得るのだ、と叫んでも決して間違いではない、ということです。キリスト教プロテスタントの勤勉を良しとし、蓄財し儲けることは神も認めていることだ、という考えは、結果が良ければそれを真理として考えても良いのだ、という「プラグマティズム」の考え方と相性が極めて良いのです。

  アメリカは、世界のスタンダードを追求して普遍性を求めながらも、アメリカとしての特殊性をより深めていこうとしています。その二律背反性がアメリカを分かりにくくしている、というのが碩学のお二人が我々に教えてくれる事実です。そして、その二律背反性の背景と理由をこの本は解き明かしてくれます。

【我々日本人とアメリカ】

  この対談のまとめは、我々日本人がここまで掘り下げてきたアメリカとどのように付き合っていけばよいのか、が議論されていきます。その中で、まず重要なことはアメリカの物の見方や行動様式を体得することだと言います。大澤さんも「日本は、アメリカへの精神的な依存度において、世界でも突出していると同時にアメリカを理解していない程度においても、突出している。」と語ります。

  確かに我々はアメリカの根底にあるものが分かりません。この本は、そんな無知識な我々にアメリカとは何かをその本質から解き明かしてくれます。アメリカを知ること、それが日本人にとってアメリカと向き合うための第一歩になるのです。

  それでは今日はこの辺で。これから不安定な天気が続きますが、皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


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2019年02月15日

衣笠・江夏 昭和の野球を語りつくす

こんばんは。

  今年もスポーツニュースは、各球団のキャンプ便りでもちきりです。

  昨年、夏の高校野球で秋田を準優勝に導いた金足農業の吉田輝星投手が日本ハムに入団し、二軍宿舎でダルビッシュや大谷翔平が入寮していた部屋に入ったことが話題となりました。吉田選手以外でも、大阪桐蔭高校で春夏連覇に貢献した根尾昴選手(中日)や同じく大阪桐蔭高校の藤原恭大選手(ロッテ)。今年のキャンプの話題は、昨年夏の甲子園組の話題でもちきりです。

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(日本ハムの新人入団会見 asahi.comより)

  ところで、皆さんはNHKBS1で放送している「球辞苑」という番組をご存知ですか。

  プロ野球の歴史はかれこれ80年になりますが、この番組は野球でよく使われるキーワードをテーマとして、専門家や元プロ野球選手と共にそのキーワードを掘り下げていく、プロ野球ファンには堪らなく面白い番組です。先日のキーワードは「カットボール」。いったいどんなボールなのか、我々には得体がしれませんが、基本的にはスライダーに良く似た変化球だそうです。ただし、その軌道は独特で、どちらかというとバッターの胸元で揺れ動き浮き上がりながら巻いていくボールなのです。まるで魔球ですね。

  この番組では、日本ハム、ダイエー、中日で活躍した武田一浩投手が出演し、カットボールの握り方やその球筋など、分かりやすく解説してくれました。さらに投手側では、中日でカットボールで大活躍した川上憲伸投手が、カットボールを習得した理由やなぜ威力があるか、などリアルな話を聞かせてくれます。カットボールの打率が高い選手は誰なのか。番組では、打率ベスト5が語られました。1位は中日のビジエド選手で467厘。以下、ヤクルト青木宣親選手、中日北條史也選手、広島(巨人)丸佳浩選手、そして西武秋山翔吾選手(449厘)となります。

  番組では、なんと秋山選手が、左バッターがどのようにカットボールに対応しているかを詳しく話してくれました。企業秘密に近い話だと思うのですが、秋山選手の懐の深さには脱帽です。しかし、カットボールの攻略は半端ではないようです。

  野球も年々進化していますが、先日本屋さんである対談本が目に留まりました。あまりのワンダーに一も二もなく手に入れました。

「昭和プロ野球の裏側 友情と歓喜の裏側に何があったのか」

(衣笠祥雄 江夏豊 二宮清純著 廣済堂新書 2018年)

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(「昭和のプロ野球を語る」amazon.co.jp)

【衣笠・江夏 無二の親友の対談】

  「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が亡くなったのは昨年4月の事でした。まだ71歳という年齢で多く人がその早すぎる逝去に深い悲しみを覚えました。衣笠さんは2215試合連続出場という前人未到の記録を始めとして数々の記録を打ち立てました。その人柄はすべてのプロ野球ファンに敬愛され、王貞治さんに続いて、国民栄誉賞も受賞しています。広島一筋22年。広島球団では、その背番号3を永久欠番としています。

  一方、江夏豊氏の伝説は、プロ野球ファンには語る必要もないほどに知れ渡っています。1967年にドラフト1位で阪神に入団。ルーキー年度から42試合に登板し、1213敗の成績を残しました。そして、2年目には49試合に登板、2512敗という輝かしい成績を上げました。この年、江夏氏は401奪三振を記録し、この記録はいまだに破られていない不滅の記録として輝いています。その後、9年間を阪神で過ごし、南海に移籍。そこで野村監督と邂逅してリリーフへと転向します。

  江夏さんは当時、先発完投型のプライドを強く持っており、リリーフに転向するくらいなら野球をやめようとまで思い詰めていました。しかし、野村さんの「リリーフとして、日本野球に革命を起こそう。」との言葉を意気に感じてリリーフ転向を決意します。その後、野村監督が球団とのトラブルによって南海を退団した時には、野村監督に恩義を返すために一蓮托生で南海を退団しました。そこから、広島に移籍したことで、衣笠さんとの邂逅を果たします。そして、江夏さんは現役時代に206193セーブという記録を打ち立てます。

  衣笠さんと江夏さんは広島で無二の親友となるのですが、そこには広島のリーグ優勝と日本一が大きな契機となっていました。江夏さんが南海時代の1975年。広島は、衣笠さん、山本浩二さんの活躍もあり、球団初のリーグ優勝を勝ち取ります。しかし、この年の日本シリーズは、当時最強の布陣であった阪急に1勝もできずに敗退しました。その後、広島カープは優勝から遠ざかってしまいます。

  そこに現れたのが守護神江夏投手でした。1977年の12月に移籍した江夏さんは快刀乱麻で広島の守護神として活躍。1979年、広島東洋カープは4年ぶりのリーグ優勝を果たします。そして、広島は、ついに念願の日本一に挑戦します。この時の相手は、西本監督率いる近鉄バッファローズでした。近鉄は、この年プレーオフで阪急を破り、球団創設以来の初優勝を勝ち取って勢い乗っていました。近鉄は、開幕からいきなり地元の大阪球場で2連勝します。

  舞台を広島市民球場に移すと、広島カープは息を吹き返し近鉄に3連勝と勝ち越します。そして、勝負の行方は再び大阪球場へと持ち越されます。近鉄は、意地を示して第6戦で逆転勝ちを収めて、日本シリーズの行方は33敗のタイで最終の第7戦へともつれ込んだのです。

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(衣笠選手引退セレモニー sankei.comより)

  そして、日本のプロ野球史上で最も名高い勝負、「江夏の21球」が日本中を沸かせたのです。

【昭和のプロ野球は面白い】

  平成もいよいよ最後を迎えますが、平成の時代、スポーツは大きく変貌しました。

  先日、NHKのサンデースポーツ2020で平成の特集を組んでいて、オリンピックがお題となっていました。その中で、語られていたのは3つの変化です。まず、平成になって表れたのは「アスリート」という言葉です。昭和の時代、オリンピックの中継やメディアでの言葉は「選手」でした。平成でも初期のころ、新聞でアスリートという言葉が紙面を飾ったのは数回程度でした。ところが、現在では1日の新聞の紙面に「アスリート」という言葉が25回以上出てくると言うのです。

  「アスリート」という言葉が生まれてきたのは、もう一つの変化、すなわち、選手の側が自らの個性を語りだしたことと符牒していると言います。オリンピックでメダルを獲得したアスリートたちの発する言葉がそれを象徴しています。例えば、北島康介さんがアテネオリンピックの金メダル獲得のときに、「チョー気持ちいい、鳥肌ものです。」と語ったのはまさに個性の発信でした。それまで、国を背負って金メダルを目指してきたことが、自らの自己実現のためという個性へと変化してきたのです。

  そして、もう一つの変化は、科学的データに基づいた練習です。2001年に開設された国立科学スポーツセンターでは、屋内プールや競技場に選手の身体能力を科学的に分析するカメラや分析機械が備えられており、選手たちの練習をサポートしています。番組では、北京オリンピックで銅メダル(のちに銀メダルに昇格)を獲得した400mリレーの朝原選手が登場しました。実は、朝原さんはこのセンターで、自らの走りに関してデータを提供されてもそれが有益とは思えなかったと言います。なぜなら、データは自分の走る体の感覚とリンクしない机上の話だったからです。

  こうした朝原さんの声を受けて、科学センターのデータ解析スタッフは、データを可視化することに力を注ぎます。そして、朝原選手の走りを数値データではなく、歩幅のデータに変換。100m走で朝原さんがたどった足跡に変換したデータを提供したのです。朝原さんは、これなら自らの感覚とリンクする、と初めてデータを利用するようになったのです。

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(北京400mリレー初のメダル yahoo.co.jpより)

  プロ野球でもデータは新たな発見をもたらします。

  野球をやったことのある人なら、バッティング練習をするときに先輩やコーチからダウンスウィングを徹底的に教えられた経験があると思います。これは、プロアマを問わず、野球をやる人々の常識で、バットを振るときは脇を締めてバットを上から下に向かって振ることで、最短距離でボールを捕えることができる、ということなのです。プロ野球のコーチも皆、口をそろえてダウンスウィングの効用を説いていました。

  ところが、大リーグやプロ野球のバッティングデータを分析したところ、ダウンスウィングよりもアッパースウィングの方が、打球がヒットとなる確率が高いというデータが確認されたのです。確かにソフトバンクの柳田選手のフルスウィングは、明らかに上を向いていますがバットがボールを捕えるやボールは弧を描いてスタンドへと吸い込まれていきます。かつて、落合博満さんは個性的と言われたアッパースウィングで3冠王に3回輝き、両リーグで打点王を取得するという前代未聞の成績を収めたのです。落合さんの正しさが、データによって証明されたのです。

  さて、平成以降、スポーツも変わりましたが、変わらないものもたくさんあります。

  それは、スポーツを人間が行う限り、人と人とのつながりが感動を呼ぶという事実です。

  この本の面白さは、野球を心から愛する二人の職人が何にも遠慮することなく、人生を掛けたプロ野球とそれに関わった人たちのエピソードを語りつくすところです。スポーツジャーナリストの二宮清純さんは、実は大のカープファン。その豊富な知識から繰り出されるリードはお二人を語らせる潤滑油の役割を担います。この本では、4つの章でプロ野球話が大いに盛り上がります。

序章 歓喜の抱擁―衣笠・江夏から黒田・新井へ

第1章 俺たちの昭和プロ野球―あの人、あの時代に俺たちは育てられた

第2章 「江夏の21球」の裏側―主役と名脇役が初めて語り合う、昭和プロ野球の名場面

第3章 昭和プロ野球は職人の世界だった!―そこには育てる思想、技術の伝達があった!

第4章 優勝の味、優勝の意味―優勝して初めて分かることがある

【野球職人の話に時間を忘れ・・・】

  江夏さんは、南海でリリーフ投手に転向を決意してから、ノムさんの退団と同時に広島に移籍、広島で2年連続日本一に貢献した後に日本ハムに移籍。日本ハムでは大沢親分のもとで日本ハムを19年ぶりのリーグ優勝へと導き、「優勝請負人」と呼ばれました。一方の衣笠さんは、一流の打者であるとともにチームを勝利に導くことがすべての基本となっている、という野球人。この本を読んで初めて知ったのですが、衣笠さんは元キャッチャーだったそうです。

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(広島東洋カープ初の日本一 hochi.co.jpより)

  そんなお二人の話は、とにかく汲めども尽きません。

  「江夏の21球」に関しては、まさにピッチャーとしてマウンドで対峙していた江夏投手とその江夏投手をファーストの守備位置から見つめていた衣笠選手。このお二人が、日本一をかけた最終戦、緊迫の9回裏ノーアウト、満塁、一打サヨナラとの場面で何を考え、何を意識して勝負していたのか。その一幕がリアルに語られていきます。

  ノーアウト満塁の場面、江夏投手がマウンドで怒りに震えた場面がありました。それは、満塁となった次の瞬間、広島の古葉監督が控えのピッチャーをブルペンに送り、スタンバイさせた場面です。ここはピッチャーにすべてを任せるべきところ。なぜ俺の目の前で次のピッチャーを用意するのか、そのことに心から怒っていたのです。しかし、衣笠さんは冷静でした。そして、衣笠さんはある行動に出ます。その行動は、ぜひこの対談で味わってください。思わずニヤリとさせられます。

  この本ではそれ以外でも野球選手を育てるとはどういうことか、その心が語られます。広島で通算22年間投手として活躍。沢村賞も受賞し、最優秀防御率にも2回輝いた大野豊投手。通算成績は148138セーブと素晴らしい成績を残しています。この大投手がルーキーのときには、箸にも棒にもかからないピッチャーだったというのは驚きでした。その時に大野投手の指導をまかされたのが江夏投手だったのです。

  また、日本ハムに移籍した時に正捕手は加藤俊夫選手でしたが、肩が強かったのは大宮龍男捕手でした。そして、大宮捕手の育成を大沢監督から頼まれたのは他でもない江夏投手だったのです。江夏さんは、いったいどうやって大宮捕手を育てたのか。その江夏さんらしからぬ指導法はワンダーです。

  野球の話は、時代が平成であっても昭和であっても尽きぬ面白さがあります。野球ファンの皆さん、ぜひこの本で昭和のプロ野球を楽しんでください。時間を忘れること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年02月10日

町山智浩 80年代のカルト映画を斬る

こんばんは。

  実は、この本を買ったのは一年以上前でした。

  著者の町山智浩さんの映画評論は、その視点がユニークで読めば目からうろこが落ちるようにワンダーを感じることができます。ブログでも紹介しましたが、2016年に上梓された「トラウマ恋愛映画入門」がとても面白かったので、本屋めぐりの中で見つけたこの本も手に入れたのです。

「<映画の見方>がわかる本 ブレードランナーの未来世紀」

(町山智浩著 新潮文庫 2017年)

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(文庫「ブレードランナーの未来世紀」amazon.co.jp)

  なぜしばらく本棚に飾られていたのかと言えば、出版社の意図が商業的に見えたからです。この本の表紙は、1982年公開のときのレイチェル(ショーン・ヤング)になっていますが、その姿が「ブレードランナー 2049」に登場したホログラムのアンドロイド、ジョイを思わせて絶妙です。なんとなく、新作についての評論が含まれていると思って買ったのですが、残念なことに登場する映画は古い映画だったのです。

  確かに前作の「ブレードランナー」が評論に含まれていますが、この本が上梓されたのは2005年。どうやら、「ブレードランナー 2049」の公開に併せて文庫化され、本屋さんに平積みされていたようです。文庫化まで12年。それって、ずっと単行本が売れていたのか、それとも、すでに過去の本となっていたのか、どちらでしょうか。そして、その経緯がわかってからしばらく本棚に眠っていたのでした。それが先日、本棚から呼ばれたような気がして久しぶりに手に取ったのです。

  さすが町山さん、「はじめに」を読んだ途端、その面白さに引き込まれました。

今回、町山さんが論ずる映画

・デヴィッド・クローネンバーグ監督「ビデオドローム」

1983年)

・ジョー・ダンテ監督「グレムリン」(1985年)

・ジェームズ・キャメロン監督「ターミネーター」

1984年)

・テリー・ギリアム監督「未来世紀ブラジル」(1985年)

・オリヴァー・ストーン監督「プラトーン」(1987年)

・デヴィッド・リンチ監督「ブルーベルベット」(1986年)

・ポール・ヴァーホーヴェン監督「ロボコップ」(1988年)

・リドリー・スコット監督「ブレードランナー」(1982年)

80年代のカルト映画とは】

  町山さんは、この本を上梓する前に一冊の本を出しています。その本は2002年に出版された「映画の見方がわかる本」の第一弾でした。こちらの本は、1967年の「2001年宇宙の旅」から始まり1970年代の映画について語る本です。町山さんは、1970年代を映画作家つまり監督の時代と語っています。

  皆さんは、ジェームス・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」という映画をご存知でしょうか。

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(BL「素晴らしき哉、人生」 amazon.co.jp)

  この映画は1946年の映画ですが、アメリカではこの映画はおなじみです。なぜなら、この映画はアメリカではクリスマスに必ず放映され、クリスマスはこの映画を見ながら家族で暮らすことがスタンダードとなっているからです。映画のストーリーは、この本の「はじめに」を読んでもらいたいのですが、この映画にはアンチユートピアの世界が天使によって語られるシーンが出てきます。(「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で過去を変えられてしまったマーティがもどった、ビフが牛耳る暗黒の現代世界を思い起こしてください。)

  そこで町山さんは、今回の本を1980年代に作られたカルトな映画を語る本だと語ります。その心を町山さんは、80年代のカルト映画は、「素晴らしき哉、人生!」で天使が語るアンチユートピアな世界を語っているのだ、と分析します。それは時代の要請だったのか。アメリカ在住の町田さんならではの見立てであり、この映画評論のユニークさはまさにその視点あるのです。

  はじめに語られる「ビデオドローム」からそのユニークな評論は爆発します。

  クローネンバーグの「ビデオドローム」は、全く分からない映画。その理由は、監督が制作にあたって脈絡なく作品を仕上げており、監督自身も分からない作品なのだ、と語ります。町田さんによれば、クローネンバーグは変わった人間で、自分が心から楽しいと思うことを表現するという我々と同様の考えを持ってはいるのですが、彼が心から楽しいと思うことが我々とはかなり異なるのです。

  例えば、彼はいわゆるホラー映画で商業的に成功しますが、監督自身はそれをホラー映画とは思っておらず、むしろ自らの内面をドキュメンタリーのように表現した作品だと考えているのです。そこには、拷問やセクシャル表現、暴力、不条理などを当たり前だとする世界があるのです。町山さんは、監督の生い立ちから映画製作の考え方までを綿密に語り、わけのわからない映画のあらすじを映画に沿って述べていきます。

  クローネンバーグは、少年時代からカフカの小説が好きだったそうですが、カフカの作品には人の不条理がまるでドキュメンタリー小説のように描かれています。人は、理解できないものに出会った時に二つの反応を見せます。ひとつは、わからないものはわからないものとして了解する姿勢。そして、もう一つは、自分がわからない理由を見つけようとする姿勢です。

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(クローネンバーグ監督「ザ・フライ」ポスター)

  カフカの作品の解釈は、まさに二つの見方からなされています。カフカの翻訳者は前者の姿勢を取ります。私が敬愛するカフカの翻訳者、ドイツ文学者の池内紀さんはカフカの手稿からほぼすべての作品の日本語訳を完了し、2002年に日本翻訳文化賞を受賞しています。カフカの作品に対する姿勢は、わからないことをそのまま表現することを徹底しています。その作品では、どこにも辿りつくことができない主人公が辿りつくために生きる不条理が語られているのです。

  逆に、その不条理の理由を明らかにしようとするのは、文学者や評論家です。不条理という言葉は、実存主義的小説を書いたカミュやサルトルが使い始めましたが、彼らは不条理を小説として書くと同時に哲学や評論として分析しました。カフカの小説は、まるで夢を物語るように我々の合理的な思考をはぐらかしながら進んでいきます。カミュも小説「異邦人」で、主人公ムルソーの不条理を描いていますが、同時に「シジフォスの神話」という評論でその訳を分析し、解説しています。

  クローネンバーグ監督は、自ら脚本を書いたストーリーにも拘わらず、「ビデオドローム」を自分でも訳が分からない作品と言っています。しかし、町山さんは、訳の分からないストーリーを丹念に追いながら、登場人物たちのモデルとなった実在の人物を比定することでその意味の一端を解説してくれます。そして、最後に作品が公開されたずっと後でクローネンバーグ監督が見出したこの映画の訳を語ってくれるのです。

【素晴らしき哉、映画!】

  さて、80年代に時代をみせてくれたカルト映画の魅力は尽きません。この本では、その映画が時代に示した「何か」をそれぞれ提示してくれていますが、それ以外でも、その作品や監督にまつわる隠れエピソードやレアな情報をたくさん披露してくれています。それを読めば、映画の面白さが倍増すること間違いなしです。

  取り上げられた監督たちの中でも出世した監督とそうでない監督の明暗が見事に分かれます。ジェームズ・キャメロン監督は、低予算の「ターミネーター」の大ヒットで一躍有名となり、その後には「タイタニック」、「アバター」とアカデミー賞に名を連ねます。また、オリヴァー・ストーン監督も「プラトーン」が長年タブーと言われていたベトナムを描く映画で大ヒットを記録し、アカデミー賞を獲得。名作「74日に生まれて」での更なる成功に繋げています。

  この二人の巨匠に共通しているのは、映画という夢を追い求めようとする姿勢と夢をあきらめない執念です。キャメロンは、最初の恋人と結婚し学校を中退しましたが、昔、映画製作を目指したころの夢が忘れられず、自ら撮影した短編SFを売り込んで弱小プロダクションに入社します。そこで得た「殺人魚フライングキラー」の監督でしたが、この作品は監督を降ろされたうえに、あらゆる人々から酷評されました。キャメロン監督は、ショックに寝込んだほどで、失意の中で「ターミネーター」の脚本を執念で書き上げたと言います。

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(キャメロン監督「ターミネーター」ポスター)

  この作品は、アーノルド・シュワルツネッガーの出世作としても有名ですが、最初、彼が出演を売り込んだのはターミネーター役ではなく、人間側でサラを守るカイル役だったというのは驚きでした。キャメロンは、シュワちゃんと食事を共にしたときにこの申し入れを断ろうとしていました。しかし、あることがきっかけで、キャメロンは彼がターミネーター役にピッタリと閃いたと言います。そのエピソードは本を読んでのお楽しみです。

  また、オリヴァー・ストーンの「プラトーン」に対する想いはキャメロンのさらに上を行きます。それは、実際に彼がベトナム戦争に従軍した経験が彼の人生にもたらしたものが原動力となっていました。彼が「プラトーン」の脚本を書き上げたのは1977年のことと言います。彼はこの脚本を様々な映画会社に送りましたが、当時ベトナム戦争を映画化しようとする会社は皆無でした。それから10年の間、オリヴァー・ストーンは脚本が映画になることを待ち続けたのです。

  一方、「グレムリン」をヒットさせたジョー・ダンテ監督はマックス・バニーアニメにはまりすぎたことが裏目に出て、その後はヒット作にめぐまれていません。また、「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアム監督は、商業的な売り上げは振るわなかったものの批評家の間で高い評価を受けましたが、その後の作品で、自らの脚本や演出に強くこだわるために制作者サイドと常に軋轢を起こしており、思うような映画が撮れていない状態が続きました。カルトな映画は、興行成績や想いとはなかなか結び付かないのです。

  そして、ここから語られるデヴィド・リンチ監督の「ブルーベルベット」、ポール・ヴァーホーヴェン監督の「ロボコップ」、リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」の3作の評論は圧倒的な迫力で我々に迫ってきます。

  この中で、ヴァーホ−ヴェン監督はその名前からわかる通りオランダの監督ですが、そのあまり過激な映像からオランダの映画界から批判を受け、ハリウッドへと渡ってきた経歴を持ちます。しかも彼をアメリカに呼んだのは、彼の作品を見てその映像に才能を見出したスピルバーグだったのです。それはさておき、最後に語られる3作品はどれもそれぞれ異なる意味で1980年代のアメリカを象徴する映画だったと町山さんは語ります。

  かの「素晴らしき哉、人生」で天使が主人公に見せるアンチユートピアの世界。この3作品はまさにアメリカの観客に1980年代のアンチユートピアをスクリーンに映し出したのです。1940年代から50年代にかけてアメリカはソ連と対峙しながらも世界の超大国として資本主義世界の中で我が世の夢を謳歌してきました。そこで制作されてきた映画は、アメリカンドリームを映し出し、科学の進歩による技術革新、人間の夢は必ず叶うという思想、そして、勧善懲悪を観客に語ってきました。

  しかし、1980年代、映画は人間の持つ生き物としての負の姿、核の力で世界を抑制しようとする権力志向、そして、ポストベトナム戦争によるトラウマなど、様々な問題がアメリカ社会に渦巻きます。ここで語られる3人の監督の作品は、それぞれにアメリカ社会、そして人類が直面する様々な矛盾を映像によって抉り出し、観客の前にぶちまけているのだ、と言うのです。

  特に公開当時こそ興行成績は振るわなかったものの、その後、じわじわとカルト的な人気を博し、伝説のように語られる「ブレードランナー」。この作品は、あまりにも時代の真実をあからさまに語っていたこと、それを語るために監督があまりに多くのメッセージをつぎ込んだことで、一度見ただけではなかなか理解できない作品でした。

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(スコット監督編集「ブレードランナー」ポスター)

  町山さんが次々に明らかにしていく「ブレードランナー」の真実は、この映画がなぜわかりにくいのか、この映画がなぜ時代を映しているのか、この映画がなぜポストモダンなのか、ハリソン・フォードはなぜアンチヒーローでなくてはならなかったのか、その答えを我々に提示してくれるのです。

  この本を読むと、映画と言う芸術が我々を夢中にしてくれる理由がよくわかります。最近の町田さんは、映画評論としては少しライトな路線を走っていると思いますが、また、こうしたコアな映画評論にも挑戦してもらいたいと思うのは、私だけでしょうか。

  映画って、本当に奥が深く、面白いものですね。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年02月03日

縄文探検隊が日本を巡る?

こんばんは。

  先月(112日)、突然の訃報に接し驚きました。

  日本の哲学者として数々の功績を遺した梅原猛氏が亡くなりました。93歳と聞くと長生きだったと思われがちです。日経に追悼文を寄せていた瀬戸内寂聴さんが梅原さんを盟友と述べていましたが、96歳の寂聴さんとの対談で「二人合わせて180歳を超える著作は稀有な本」と語っていたのが懐かしく、梅原さんの生きる心は不滅だなぁ、と思っていただけにショックです。

  学生時代、真理を追究することに大いにロマンを感じていて、実存主義にあこがれて哲学の本を読み漁っていました。今にして思えば当時はツッパッていたことが懐かしいのですが、梅原さんの本を読んだ時に、哲学の持つ「真理を追究する心」とはまさにこのことだ、と心が浄化されるような衝撃を受けました。それは、梅原さんが柿本人麻呂について記した「水底の歌」(1973)でした。

  柿本人麻呂の終焉の地を比定するとともに、人麻呂は万葉集編纂の後に前政権のお抱え歌人をスケープゴートとする目的で、新政権から無実の罪を負わされて流刑にされた、との仮説を堂々と発表したのです。この著作は、日本文学のカリスマであった斎藤茂吉や日本学の権威である賀茂真淵が創り上げた柿本人麻呂像を、詳細な検証によりものの見事に覆す画期的な説だったのです。

  藤原氏の出雲神話創作の意図に迫った「神々の流竄」、法隆寺を聖徳太子の怨念を鎮魂するための寺とする「隠された十字架」、そして「水底の歌」という梅原怨念史観三部作は、すべてが欧米化された日本歴史学に「喝」を入れたものと理解しています。

  「哲学とは何物も恐れずに真理を追究することだ。」という当たり前のことを生涯実践した碩学に心から哀悼の意を表します。合掌。

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(在りし日の梅原猛氏 sankei.com)

  さて、梅原日本学はその後も古代日本史に様々な疑問を投げかけましたが、梅原さんが日本の根底にある文化として注目したのが、縄文文化でした。縄文時代は、13000年に渡り、我々日本の原風景を創りだしてきました。縄文文化を色濃く継承しているのはアイヌ民族です。アイヌの言葉や文化から日本人のルーツを探っていく仕事は、梅原さんのライフワークのひとつでした。

  一方で、梅原さんは、芸術の中に思想的ルーツを発見することを生業としていて、縄文文化についても芸術にまで高められた土器に注目しています。以前にご紹介した「縄文の神秘」では、新潟の十日町の笹山遺跡から発掘された火焔土器の鬼気迫る造形やまるで宇宙人がゴーグルをつけているような遮光器土器を紹介しており、そこから縄文人たちの情念をひも解いていくのです。

  梅原さんに啓発されたというわけではないのですが、私も子供のころから「縄文」という言葉にはロマンを感じる者の一人です。しかし、これまで縄文のことが研究された本は、学術的な研究がほとんどで、博物誌的に縄文時代の文化について語る本は梅原さんの本を除いて出会ったことがありません。それでも本屋さんで「縄文」という文字をみつけると、とりあえず手に取ってしまいます。

  先日も本屋さんで何か掘り出し物はないかと物色していると、最近、よく見る集英社の新書の棚に「縄文」の文字を見つけました。しかも、著者には夢枕獏さんの名前が連なっています。思わず「陰陽師」を思い出してしまいましたが、あれは平安時代の話。縄文と夢枕獏氏がいったいどこで繋がるのか。そこに興味を引かれて思わず購入してしまいました。

「縄文探検隊の記録」

(夢枕獏 岡村道雄著 インターナショナル新書 2018年)

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(新書「縄文探検隊の記録」amazon.co.jp)

【縄文を巡る博物誌的対話】

  この本は対談本ですが、野山や街中を歩きまわりながら縄文について語っていくと言う、題名の通りの対談集です。夢枕獏さんは、ご存じの通りの伝奇小説家ですが、もう一人の岡村道雄さんはまさに縄文文化研究の最前線に立つ研究者です。小説のネタにつながる縄文文化をさがす小説家と縄文文化という学問を追求する研究者が、縄文探検隊と称して世の中を歩きまわる。

  この状況を知っただけで、血沸き心躍るのは私だけでしょうか。

  縄文時代とは、土器の文様によって時代区分がなされている名称です。縄を使って模様を付けた土器が続いていた時代を縄文時代、スッキリした滑らかな肌愛を持つ土器が創られた時代を弥生時代として時代を区分しています。ちなみに弥生時代という名称は、縄文土器とは異なる土器が出土した遺跡の地名からつけられた名称です。

  縄文時代については、近年様々な遺跡の発掘、さらに分析技術の進歩から次々に新しい世界が広がってきているようです。弥生時代が稲作と農耕によって大規模集団が形成されはじめた、との区分に変化はないものの、縄文時代=狩猟文化という認識はもはや通用しないようです。というのも、縄文時代の遺跡からは縄文の人々が作物を栽培していた痕跡がみつかっているからです。その中には、稲作まで含まれていた、というから驚きです。

  にもかかわらず、縄文時代の日本人(縄文人)は、弥生時代の日本人(弥生人)に追われて、北へ北へと登って行ったと言われています。しかし、日本人のDNAを調べると、日本民族は大陸の北から、中央から、南から渡来した人々の混血人種の集合体だと言います。それを聞くと、縄文人が石器時代から継承してきた文化は、様々な変化を経ながらも日本の心象風景に通底している、との考え方は決して忘れてはいけないと思っています。

  この本は、職業は異なれど縄文にロマンを見出しているお二人とゲストたちが織りなす、縄文の新たなる発見の軌跡です。一つ一つの会話にワンダーが潜んでいます。

まずは、目次探訪です。

まえがき 現代に息づく縄文 岡村道雄

第一章 日本人の食の源流

第二章 住まいとコミュニティー

第三章 翡翠の道をたどる

第四章 土偶と諏訪信仰

第五章 生命の木「クリ」

第六章 漆文化のルーツ

第七章 天然の接着剤「アスファルト」

第八章 縄文の神々

あとがき 縄文小説宣言 夢枕 獏

  1万3千年にも及ぶ縄文人の文化が我々にどのように継承されたのか、探検隊と一緒に歩きながらそのワンダーをさぐっていきましょう。

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(縄文文化を代表するビーナス土偶 wikioedia)

【縄文人の暮らしと文化】

  我々人間にとって必須の文化は、衣食住に反映されています。(以下、ネタバレあり。)

  この本の対談もそこを基本に置きながら進んでいきます。最初に訪れたのは、岐阜県飛騨の骨董屋さんです。夢枕さんは、飛騨に仕事場を持っておりよくこのあたりを徘徊しているようですが、ある骨董屋さんに置かれている石に興味を引かれていた、というのです。その石は人が使ったように摩耗しており、もしかすると縄文人が使った石なのではないかとの疑問を投げかけます。

  考古学者の岡村さんはさすがプロ。一目でその石に人が加工した形跡を認め、その石を調理で使用する石皿であることを見抜きます。しかし、その年代に関してはさすがに骨董品店では特定できない、との結論に至ります。石や石器などが骨董品店に至るまでには、様々な人の手を介するために原出土場所が不明となり、年代は推定できないと言います。研究者としては当然のことで、夢枕さんは入手経路を確認していきます。

  すると、こうした石は近くの農家などにたくさん見られるとの情報が得られ、情報を頼りにほど近い農家を訪問します。その石皿は、すり石と呼ばれる石とセットで食品の加工に使われるものだったのです。いったいどこから発掘されるものなのか、お二人はその石が近隣にたくさん見られるとの情報を頼りに周辺を探索します。すると、岡村さんが高台の土地があることに気づきます。

  縄文時代の集落は、様々な理由から小高い場所に作られることが多いそうで、岡村さんはフィールドワーカーらしく、周囲を見回して遺跡のありそうな場所を特定します。こうして、その石皿とすり石の発掘された遺跡は特定され、その骨董店に置かれていた石の年代を推定することが可能となったのです。縄文探検隊の探索は、はじまりからスリリングな展開となるのです。

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(古代から利用された石皿とすり石 wikipedia)

  さて、縄文探検隊の話はこのあと夢枕さんの大好きな釣りの話へと向かいます。縄文遺跡からは鹿の骨などで加工した釣り針が良く出土します。縄文人たちは毎日の糧を得るために釣りをしていたのでしょうか。実は、夢枕さんはかつて縄文時代の釣り針を使って魚を釣ったことがあるそうですが、大きさが魚の口に合わずに一匹も釣れなかったそうです。その話を受けて、岡村さんは、意外な事実を語ってくれます。

  縄文人の食べる魚は、小魚であったイワシなどが主食だったことが分かっているというのです。つまり、釣り針を使っての釣りでは、主食を取ることはできず、網や囲い込みによる狩猟で日々食べる魚を取っていたわけです。それは、主に女性たちの仕事であったと考えられています。縄文時代には、クリやクルミなどの木の実も主な食糧であったので、日々の糧を得るのは女性の仕事であり、男はもっぱらアウトドアライフを満喫していたことになります。

【縄文文化への最新の知見とは】

  この対談では、その後も縄文へと遡る伝奇小説を書こうと考えている夢枕さんが、考古学のプロフェッショナルに縄文文化に対する質問を投げ掛けることで、最新の考古学で解き明かされた意外な縄文の姿が我々の前に繰り広げられることになります。

  縄文時代の竪穴住居と言われて、皆さんはどのような姿を思い描くでしょうか?

  それは、竪穴を掘った地面が藁や皮で覆われて、そのうえに藁ぶきの屋根が載っているとの姿ではないでしょうか。しかし、次に探検隊は福島市の宮畑遺跡へと乗り込みます。ここで発掘された竪穴式住居から真の姿が解明されたのです。その集落の住居では、掘った竪穴から出た土を重ね合わせることにより土製の壁と土製の屋根を形作ったことが発見されたのです。これまで、竪穴式住居は構造物が何千年と言う時間に朽ち果てて、その材質が分かりませんでした。当時の考古学者は近年の木と藁ぶきの家から想像して、竪穴式住居の姿を想像しただけだったのです。

  対談は、その後も古代植物学者も交えて、最新の考古学から解き明かされた縄文文化の姿を語っていきます。縄文の貴重品であった翡翠。その加工が集団的に行われていて、新潟糸魚川で発見された集落は一大加工センターだった、というのです。そこから翡翠は日本海側の北前航路を使って、東日本全域に運ばれていたことが数々の遺跡から分かっています。

  驚きは、この翡翠の運搬は交易ではなかったとの見立てです。その心は?

  さらに、クリの木について、縄文人がクリの木を何代にもわたって栽培していたとの事実も語られます。クリの実は栽培されることによって食料として日常的に食料とすることが可能となるのですが、木材としての栗材も家を建てたり、道具を作ったり、まきとして利用するのに重宝したというのです。さらに栗材として利用するために、縄文の人々は3代にわたって栗の苗を育てたというのには驚きました。

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(諏訪大社のクリの木製の克栗のお守り) 

  その他にも、世界最古の漆の加工品が9000年前の北海道垣ノ島B遺跡から発見されたとの語りはスリリングです。世界最古の漆細工の発見は北海道の縄文文化が独自に発展したあかしなのかもしれません。はたまた、自然に発見されたアスファルトが東日本で、道具の製作や土偶や土器の修理に使われていたとの知見もワンダーです。

  梅原猛さんが縄文の旅を行った時に、土偶は破壊されて発見されていることがほとんどで、何らかの理由で土偶は儀式で使われた際に破壊された、との議論がなされていました。しかし、近年、土偶はアスファルトなどで何度も補修された跡が確認されており、決して破壊されたわけではないことが定説になりつつあるというのです。


  ここでご紹介したワンダーはほんの一部ですが、最後に対談は空海の「草木国土悉皆成仏」との仏教の考え方へと向かっていきます。縄文の神とはどんな神なのか。そのノワンダーは、ぜひこの本で味わってください。これまでの縄文感が覆ること間違いなしです。

  インフルエンザもまだまだその猛威が懸念されています。皆さんご自愛ください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年01月30日

柴田哲孝 下山事件の謎に挑む

こんばんは。

  本を読んで面白いと感じるのは、なぜでしょうか。

  知らなかったことを知るという好奇心が満たされるワンダー。自分が大好きな事柄をマニアックに深めてくれるワンダー。これまでの常識がくつがえされるワンダー。さらには、人が生きる軌跡に秘められたワンダー。こうしたものが我々に本を通じて感動をもたらしてくれます。

  本が面白いと感じるのは、読む人の個性によるので、ある人が面白いといった本が、他の人にはまったく面白くないということが生じます。特に本という媒体は、言葉を文章として構築して論旨を語る、または物語を語るわけですから、言葉や文章が素直に流れていくことが感動の前提となります。そうした意味では、文章には相性の良し悪しがあり、誰かが推薦した本が自分にとって面白いとは限りません。

  その故に、面白い本に出会うためには、相性が良い本好きと出会うことが近道となります。

  原田マハさんを最初に教えてくれた本好きの先輩は、会うたびに本を推薦してくれて、その本はハズレがなくすべて面白いので、いつも感謝しています。実は、その先輩もこれまで様々な人脈から推薦情報を仕入れており、その中でもかつて一緒に仕事をした本への造詣が深いK氏から貴重な情報を得ているそうです。

  その本好きの先輩にはこれまでも数々の面白い本を紹介してもらいました。特にノンフィクションに関しては佐野眞一の著作を筆頭に、テレビなどで話題となっている国松警察庁長官の狙撃事件の真実を追った鹿島圭介氏の「警察庁長官を撃った男」、ハヤカワ文庫から発売された「モサドファイル」など、たくさんの本を紹介してもらいましたが、一冊も外れた本はありません。

  昨年、久しぶりに一杯(イッパイ?)酌み交わした時にも何冊もの本を紹介して頂きました。その中の一冊が今日ご紹介する本なのです。さすが、久しぶりにノンフィクションの醍醐味を味わうことができるワンダーな一冊でした。

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(「完全版下山事件 最後の証言」amazon.co.jp)

「下山事件完全版-最後の証言」

(柴田哲孝著 祥伝社文庫 2007年)

【下山事件の背景】

  1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコにおいて第二次世界大戦終結のための講和条約が48か国の間で締結され、沖縄と小笠原諸島を除いてアメリカの占領下にあった日本は、晴れて独立を果たしました。同時に締結された日米安全保障条約によって日本はアメリカの傘のもとで同盟国として独立しましたが、この条約は平成が終わろうとしている現在も内容を修正しつつ続いています。

  終戦からこの講和条約までの6年間、日本は実質的にアメリカの占領下で生きてきました。アメリカは、連合国の代表として日本を統治下に置きました。そのとき日本に降り立ったのはマッカーサー元帥です。その統治機構は、連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters・・・・)であり、英語名を略してGHQと呼ばれました。

  GHQは当初、日本の統治政策の柱を「民主主義化と非軍事化」としていました。しかし、連合国は戦後分裂します。一方はイギリス、アメリカを中心とした資本主義世界。もう一方は、ソ連を中心とした共産主義世界です。194910月に、中国共産党が蒋介石率いる国民政府を台湾島に放逐し、中華人民共和国を成立させると、資本主義陣営は共産主義に世界が席巻されることを何よりも恐れました。

  日本は、東アジアに位置し、共産党が勢力を強めつつあった中国に近いため、マッカーサーはいち早く日本でレッドパージを行います。1949年の7月には、民生情報局の教育担当であるルイーズが新潟大学を始めとして各大学で、「共産党員である教授は大学を去るべき。」との演説を行い、共産党員の排除の動きを強めます。

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(厚木基地に降り立つマッカーサー元帥 zakzak.co.jp)

  こうした動きは、アメリカが進めてきた「民主化・非軍事化」政策に逆行するものであり、「逆コース」と呼ばれました。これにより多くの共産党員が職を失い、共産党を脱退して思想的に転向することになりました。さらに、朝鮮半島では、共産主義を標榜する朝鮮民主主義共和国と民主主義を標榜する大韓民国が成立し、一触即発の状況が出現しました。

  さらにアメリカは、日本を共産主義排除の防波堤とするために独占資本主義の復活による日本の経済的独立を支持しました。その結果、GHQの主導により、共産主義の中枢である労働者は権力をそがれて、大量の人員整理が実行されたのです。その数は、国鉄で10万人、全逓で26500人、中央官庁26000人、地方自治体で27千人。まさに空前絶後の人員整理が行われました。

  こうした時代を背景として、戦後最大の謎とまで言われる下山事件は起こったのです。

【下山事件の謎とは?】

  1949年75日午前820分。当時、初代の国鉄総裁であった下山定則は、いつもと同じように西山運転手の運転する公用車ビュイックで自宅を出発しました。総裁は、日本橋の三越で買い物があると言い、三越に向かいましたが開店前であったために東京駅の千代田銀行(現三菱UFJ銀行)に行ったり、神田駅を回ったりしながら、開店時間後に三越に向かいました。下山総裁は、午前937分頃、西山運転手に「5分ほどで戻るから待っていてくれ。」と言い残して三越へと入っていきました。

  一方で、この日は午前9時から国鉄本社で局長会議が予定されており、いつも出迎える秘書は、時間になっても総裁が現れないため、自宅に電話をします。自宅からいつも通りに家を出たとの情報を得て、秘書は、行方不明と判断、警察に捜索を依頼したのです。警察は早速捜査を開始しますが、下山総裁の行方は杳として知れません。時は過ぎ、翌76日の午前030分頃、常磐線の綾瀬駅の手前で轢死体が発見されます。そして、その死体が下山総裁のものと判明したのです。

  下山総裁の失踪は、GHQからの指示により国鉄労働者の大量の人員整理を断行する真最中の出来事でした。組合と交渉中の経営側は、事件前日の74日、組合に対して下山総裁自らが3700人の解雇通告を告げたばかりだったのです。その交渉の最中での総裁の轢死。警察の捜査は、自殺と他殺の両面から行われました。75日に三越前で姿を消した下山総裁の足取りは、いくつかの目撃証言によって推定されることになりますが、問題は轢死現場の血液にありました。

  まず、第一に遺体の解剖結果ですが、総裁が生きて轢かれたのか、死んでから轢かれたのかが問題となります。解剖に当たった東大教授は遺体に血液反応が見られないため、轢かれたときにはすでに殺されていたと発表します。しかし、名古屋大学の教授はこれに反対の意見を提出します。轢死体の場合、生体が轢かれた場合でも血液反応が見られないケースもあり、今回はそれに当たるので、総裁は生きて轢かれたのだ、というのです。東大は他殺、名古屋大は自殺と、見解が分かれます。

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(運び出される下山総裁の遺体 wikipediaより)

  さらに、総裁が轢死した線路上を調査したところ、常磐線線路の上下線、300mに渡って総裁の血液型と一致する血痕が点々と落ちていることが判明します。さらに、途中に存在するロープ小屋からも総裁の血痕が発見されたのです。死体は線路上を運ばれ、ロープ小屋に置かれたのか?

  自殺か、他殺か。世間を二分する論議が巻き起こる中、警察は多くの目撃証言を積み重ねることによって「下山白書」なる文書を作成します。その文書の結論は、自殺なのですが、この文書は公式に発表されることなく終わっています。しかし、この文書はいつのまにかマスコミを通じて世間に知れ渡ることとなり、世の中では自殺説がまことしやかな噂として流れていきます。そして、捜査本部は早々に解散され、1964年、事件は殺人事件の公訴時効を迎えたために迷宮入りとなったのです。

  この事件は、状況証拠を積み重ねるとあまりにも不自然な事象が重なっており、何者かによる拉致、監禁、殺人事件であることは間違いないと考えられています。その時効前にも、時効を迎えたのちにも、事件の真相に迫ろうと、多くの人々が事件の裏にあるものを究明してきました。事件直後には朝日新聞の矢田喜美雄氏が血痕などを手掛かりに綿密な取材を行い、松本清張氏は、「日本の黒い霧」によって実行者の背後にある闇を暴こうとしました。21世紀になっても真実へのあくなき探求が続いています。

【完全版「最後の証言」とは?】

  さて、この「完全版-最後の証言」が上梓されたのは2007年ですが、この本の面白さは、著者のあくなき好奇心と真摯な姿勢です。なぜ、柴田氏は半世紀以上前の事件の謎を追いかけたのか。それは、柴田氏の家系に関わっています。「下山事件」は、真実を追う多くの人々によって、その拉致、監禁、殺人の実行犯が推理されています。そこに登場するのは、当時占領軍であったアメリカのGHQのブランチであった諜報機関。さらにその諜報機関に協力する日本側の諜報組織だったのです。

  その中で、最も注目されているのは亜細亜産業という貿易会社でした。亜細亜産業は、日本橋三越にほど近いライカビルに本社を置き、軍需物資、パルプ、ゴムなどを輸出入することが仕事でしたが、そこに集まる人々は右翼、共産党転向者、韓国人、GHQ関係者、政治家などなど、当時の日本に係る錚々たる人間たちだったのです。そこは、裏社会の社交場。時は、終戦直後であり、人の生き死にが目の前で起こっていた時代の延長でした。当然、殺人者も出入りしていたのです。

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(下山総裁が拉致された日本橋三越)

  著者の柴田氏の祖父柴田宏(ゆたか)氏は、この亜細亜産業のNO.2であったのです。あまつさえ、柴田氏の母親は宏氏の娘であり、叔母さんや叔父さんはあたりまえですが、宏氏の兄弟でした。当時の亜細亜産業は日本の中枢にかかわる商社として、多くの金が集まっており、柴田宏氏の兄弟姉妹たちは、何らかの形で亜細亜産業に関わっていました。特に、二人の叔母は戦前戦後を通じて、亜細亜産業に属し、事務員を務めていたのです。

  つまり、著者の柴田氏は下山事件に深くかかわる戦中戦後を裏で支えていた企業の歴史を知る証人たちの一族だったのです。著者は、祖父との様々な思い出を手繰り寄せながら、祖父が抱えていた秘密を追っていきます。下山事件が起きてから55年の時を経て、事件に対しては多くの謎解きが行われてきました。その謎の鍵を握っているのは亜細亜産業です。柴田氏は、実際に亜細亜産業に勤務していた大叔母への聞き取り取材からその謎解きを開始します。

  目次を見れば、この本の構成は一目瞭然です。

第1章 血族

第2章 証言

第3章 総帥・矢板玄

第4章 検証

第5章 下山総裁はなぜ殺されたのか

終章 慟哭

  著者は、一族から語られた言葉をこれまでの謎解きの歴史と付け合せ、事実と捏造を丹念に仕分けていきます。この事件の真相に触れれば命がない。これまで、亜細亜産業の周辺から証言を得た人間は、何度もこの言葉に行き当たっています。柴田氏は、自らの祖父が勤めていた亜細亜産業を知るために、会社の総帥であった矢板玄(くろし)に会いに行くことを決意します。果たして矢板玄はまだ生きているのか、自分と会ってもらえるのか、生きて帰れるのか。第3章の迫力は、まさにこの本のクライマックスと言えます。

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(亜細亜産業 矢板玄の生家 矢板武記念館HPより)

  さらに第4章での細密な事件の検証を重ねたうえで、第5章で、下山事件を語っていくことにより、その背景にあった当時の米国と日本の関係(吉田茂とCIA)を浮き彫りにしていきます。そして、その関係はサンフランシスコ講和条約と日米安保条約を経て、現代へとつながっていくのです。

  最後に著者は、衝撃ともいえる事件の真犯人へとたどり着くのです。しかし、真犯人は語られることなく長い真実への旅は終わるのです。


  ノンフィクションは、その取材力が大きく作品の質を左右します。それは、取材する作者の人間力がそこに表現されるからです。この作品は、著者のノンフィクション作者としての大きさを見事に表しています。それは、取材された人間たちが著者にこれまで語らなかった真実を語る姿を見ればよくわかります。この本は、ページをめくるたび謎が謎を呼んで進みますが、最後にはその謎を新たな証言と事実の発見によって読み解いていきます。本当に面白い。

  真実はどのように隠されるのか、それを知りたい方はぜひ本書をひも解いてください。時を忘れて読みふけること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年01月25日

原田マハ MoMAを愛する人々の物語

こんばんは。

  いつも訪れる本屋さんには、ポイントガードがありポイントが溜まるとポイントで本を買うことができます。さらに、その書店はPARCOに入居しているので、年に2回ほどはPARCOカードで支払うと引き落とし時に10%を割り引いて引き落とされるというサービスを実施するので、その時には大量の本を購入することになります。

  それ以外でもPARCOでは、ン万円購入するとン千円の商品券をくれるなど、様々なサービスを提供してくれます。私はあまりにもたくさんのカードに埋もれているので、PARCOカードを持っていないのですが、連れ合いがカードを持っていて、いつもサービスのときにはお得に使わせてもらっています。

  先日、商品券サービスの日があり、商品券をもらうためにあと7000円分の書籍を購入しなければならない、という事態に陥りました。連れ合いと、大好きなプラハとウィーンの隠れた名所を紹介する雑誌、2019年の美術に関する展覧会を網羅した雑誌、トートバッグがおまけに付いた女性向けファッション誌、さらに私が読みたいと思っている文庫と新書を抱えて、一体いくらになるかを計算しました。

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(雑誌日経「2019 美術展」amazon.co.jp)

  その金額は、通算で6,500円。この日はレジがとても混んでいて、並びながらの計算で、目標の金額にはあと500円足りません。本屋さんで500円というのはとても中途半端です。単行本はもってのほかですが、最近は文庫や新書でも800円から1000円のものが多く、一冊買い足すと予定より予算が大きくオーバーしてしまうのです。

  そのときに、フト思い当たったのは原田マハさんの文庫本です。「暗幕のゲルニカ」を買おうとしていた時、文庫本の平置き棚に、帯におおきく「MoMA」と書かれた文庫が置かれていたのを思い出しました。マハさんの本にしてはめずらしく薄い本だったので、なんとなく買うことを躊躇していたのです。

  連れ合いを並ぶ列に残して、文庫本の平置き棚に走る(本屋で走るのは止めましょう。)と、マティスの絵が描かれた文庫本を手にして、列へと戻りました。金額を見ると、560円。やった!なんとか、商品券をもらえる金額に届きました。

  その文庫本の題名は「モダン」。購入後に改めて帯を見ると、どうやらMoMA(ニューヨーク近代美術館)にまつわる短編小説集のようです。手ごろな厚さなので気楽に読み始めると、あにはからんや、その面白さに一気に読んでしまいました。それは、まさにマハさんの美術小説の原点、と言ってもいい、美術のエピソードと美術を愛する心に満ち溢れた短編集でした。

「モダン」(原田マハ著 文春文庫 2018年)

MoMAは原田マハさんの故郷?】

  原田マハさんがアートの事を語るときに必ず登場するのがMoMA、ニューヨーク近代美術館です。

  先日ご紹介した、ピカソの「ゲルニカ」を主人公とした名作「暗幕のゲルニカ」は、42年間「ゲルニカ」を保有し、展示し続けていたニューヨーク近代美術館が舞台となったアートにまつわる小説でした。アート長編小説の処女作ともいえる「楽園のカンヴァス」で、そのルソーの絵画の真贋を巡ってオリエ・ハヤカワと対決するティム・ブラウンは、ニューヨーク美術館のキュレーターで、ボスに来た招待状を見て、ボスに成り代わってルソー対決の場へと飛び立つのです。

  原田マハさんのアートに寄せる愛情には深いものがあります。小説家になるはるか以前、彼女は美術の仕事につきたいと悪戦苦闘していました。そのなかで、彼女は六本木の開発事業で美術館を立ち上げようと企画していた森ビルの社長にスカウトされ、森美術館の準備室をまかされることになります。この間にマハさんは、早稲田大学に編入。なんと美術史の学芸員の資格を取得します。

  さらに、森社長からキチンとした英語の通訳学校への入学を指示され、通訳英語の資格までも取得します。そして、2000年には、美術館を立ち上げるノウハウを習得するためにニューヨーク近代美術館(MoMA)へと派遣されることとなるのです。マハさんはご自分の人生のキーワードを「度胸と直感」と語っていますが、飛び込んでいった数々の体験を自らのものとして取り込んでいく感性は、彼女の天職が小説家であったと言ってよいのかもしれません。

  マハさんが小説家となってからずっと書きたかったというアートにかかる小説ですが、MoMAに派遣された6カ月間がどれだけ濃い貴重な体験だったのか。そのアート小説を読めば読むほど、ニューヨーク近代美術館での体験がいかに衝撃的であったのか、我々の想像をはるかに超える経験があったことは想像に難くありません。

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(文庫版「モダン」amazon.co.jp)

  買った時にはこの本の題名が何を意味するのか、まったく分かりませんでした。しかし、その後に解説を読むとニューヨーク近代美術館は、設立された当初から「ザ・モダン」と呼ばれていたそうです。それは、この美術館がモダンアートの殿堂であり、近現代美術をコレクションとした美術館であったことから名づけられた愛称だったと言います。本の題名は、ここから来ていたのです。

  この短編集には、MoMAを支える様々な人の、人生の一コマが描かれています。

  文庫本と単行本は、短編の掲載順序が異なっています。文庫版では、発表された年代順に作品が並んでいます。その初出は、「オール読物」誌の201112月号。その後は、同じ雑誌に201211月号、20136月号、20147月号、と足掛け4年間に渡り掲載されています。「楽園のカンヴァス」が上梓されたのが2012年ですから、この作品集はマハさんのアート小説の原点の一つと行ってもよいのではないでしょうか。

MoMAを心から愛する人たち】

  「楽園のカンヴァス」が山本周五郎賞を受賞した後のインタビューで、マハさんはアート小説について語っています。マハさんは、「カフーを待ちわびて」という沖縄を舞台とした恋愛小説でデビューを果たしました。その後、働く女性、志を持つ女性を描く小説を数多く上梓してきましたが、アートを描く小説はマハさんにとって切り札だったそうです。

  「楽園のカンヴァス」の構想は30年前、ルソーの画集を見たときに着想したそうですが、そのときから筆を執るまでながく温めてきた小説です。アート小説を書き始めるまでには、いろいろな意味で、たくさんの小説の執筆が必要だったのかもしれません。キュレーターであり、美術館の立ち上げの仕事にも携わったマハさんにとって美術の世界は最も身になじんでおり、アートは、マハさんにとって、まさに自家薬籠中のテーマだったのです。

  そのインタビューの中で、マハさんは、「私はアートの勝手に応援団なので(笑)、この作品を読んでMoMAに行きたいとか、大原美術館に行きましたっていう方が1人でも増えればいいなと。そうやって皆さんの潜在能力を引き出すお手伝いができたら、うれしいですね。」と語っています。この作品の設定からも想像できる通り、MoMAはマハさんにとってアートの原点ともいえる美術館であることに間違いありません。

  この短編集には、MoMAに関わる人々を描いた5編の小説が収められています。

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(描かれる名画「クリスティーナの世界」 gizmode.jp)

「中断された展覧会の記憶」

「ロックフェラー・ギャラリーの幽霊」

「私の好きなマシン」

「新しい出口」

「あえてよかった」

  それぞれの短編には、マハさんらしくアートが登場するわけですが、この短編集の素晴らしさは、アートが登場するだけではなく、MoMAに関わる人々のアートに対する想いとMoMAに対する想いを描いているところです。他の小説も同様ですが、著者は実在の人物と架空の人物を見事に癒合させて人の心を写す情景を描いています。(以下ネタバレあり)

【「モダン」に登場する人々】

  この短編集は、MoMAに関わる人々がそれぞれとても印象的に描かれるわけですが、実在する人物で登場するのは、27歳にして1929年に初代館長に就任したアルフレッド・バー・Jrです。彼は、MoMAの館長としてモダンアートへの取り組みと新たなアートへの発想で、MoMAを大きく発展させた人物として伝説となっていますが、この短編集の中でもとても重要な登場人物として活躍します。

  「ロックフェラー・ギャラリーの幽霊」の主人公は、この美術館の警備を担当する監視員であるスコット・スミスです。彼はちょっとした幸運からMoMAの監視員に採用され、真面目に職務を担当する監視員です。楽しみは、毎日帰りに立ち寄る小粋なバーで一杯ひっかけることです。ある日、いつものとおりピカソの名作「アヴィニオンの娘たち」が展示されている部屋に立っていると、いつの間にか絵のまえに立つ青年に気づきます。インテリジェントでやせぎすな青年は、その絵をじっと眺めて佇んでいました。

  その青年は、閉館時間近くに絵の前に立ってじっと絵を眺めているのですが、スコットと何気ない会話を交わした後、閉館の時間と同時に忽然とスコットの前から消えてしまったのです。単なる偶然と気に留めなかったスコットですが、帰りに寄ったいつものバーで、その青年がアルフレッドと名乗ったことに思い当たります。忽然として消えた青年、アルフレッドは果たして実在した青年だったのか。この短編には、意外な結末が書き込まれています。

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(ピカソ「アヴィニオンの娘たち」musey.net)

  初代館長であったアルフレッド・バーは、40年近くもMoMAの運営に関わりましたが、1967年に美術館の仕事から離れ、1981年に亡くなりました。

  皆さんは、「私の好きなマシン」という題名を見て、何を感じますか。私はすぐに、ピンク・フロイドの名曲「ようこそマシンへ」を思い出しました。この曲は、人は有名になって夢をかなえたけれど、その行き着いた先はマシンだった。」という人生を皮肉った曲でが、マハさんが描いたのは、全く逆の世界でした。それは、MoMAが世界で初めて「マシン」(正確にはマシンの部品)をアートと考えてマシンの(部品の)展覧会が開かれたことをモチーフとした物語です。

  そして、マシンの部品を機能と美しさを兼ね備えたアートとして扱った人こそ、初代館長のアルフレッド・バーその人だったのです。

  この短編で語られるアルフレッド・バーの言葉は、我々の心の奥に響きます。その昔、アルフレッドが世界で初めて開催した「マシン・デザイン」の美術展。そこに両親と共に訪れた少女は、展示されていた美しいボールベアリングの造形に魅せられて、MoMAに足しげく通うようになります。そして、大人になり工業製品のデザイナーを夢見て、その夢をかなえます。その少女が、壮年となったある日、彼女はアルフレッド・バーの訃報に接するのです・・・。

  そこに描かれるエピソードに思わず胸が熱くなります。

  この短編には、あのスティーブ・ジョブスも登場します。そのワンダーは、ぜひこの短編で味わってください。心に残る素晴らしい短編小説です。

  さらにこの短編集の作品には、アメリカと日本を襲った悲劇が描かれます。それは、9.11.3.11.です。2001年にニューヨークの貿易センタービルを襲った同時多発テロ。そして2011年に東日本を襲った大地震とそれに誘発された大津波です。この悲劇に翻弄された人々。突然、本当に親しかった人を失った想いと、突然、最も愛するアートと美術展を失った人。マハさんは、その悲しみを素晴らしい筆致で我々に語り掛けてくれるのです。


  皆さんもこの短編集で、人とアートに通い合う暖かく、切ない思いを味わってください。アートも人も本当に美しいと感じるに違いありません。

  今年は暖冬と言いますが、日本全国でインフルエンザが猛威を振るっています。我々の武器は、手洗い、うがい、そして睡眠です。この冬も皆さん元気に過ごしましょう。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年01月19日

米中朝から始まるインテリジェンス

こんばんは。

  トランプ大統領がアメリカファーストを標榜して登場して以来、国際社会のパラダイムが地殻変動のように揺れ動いています。

  その影響はあらゆる事象に波及していますが、最も深刻なのは二酸化炭素の排出量増加です。この地球温暖化に対しては、1994年に締結された気候変動枠組条約に基づいて、これまで21回の気候変動枠組条約締結国会議が開催されてきました。この会議は、COPと呼ばれ、2015年にパリで開催されたCOP2121回目のCOP)において、パリ協定が採択されたのです。

  これまで、この会議では過去にCO2を排出し続けてきた先進国が削減目標を明確にして取り組む姿勢を打ち出したのに対して、開発途上国はこれからCO2を排出して発展していくために、削減目標に難色を示し、なかなか削減の目標が同意されませんでした。しかし、パリ協定では、これまで合意してこなかった中国とアメリカがこの協定に合意し、その結果すべての条約国が世界で初めて協定に合意したのです。それは、この条約にとってまさに画期的な事でした。

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(パリ協定締結を喜ぶCOP21 mainichi.com)

  その削減目標は、それぞれの国の事情により異なりますが、すべての国が2030年までにCO2を含む温室効果ガスの排出量の削減目標を定めることに合意し、協定とされたのです。この協定の目的は、産業革命以降の地球の気温上昇を2度未満に抑え、1.5度未満とすることをめざすこととされています。

  地球の平均気温の上昇は、そこに生きる生命にとって危機的な影響を与えます。温暖化により南極や北極、さらには標高の高い地域の氷が大量に溶け出して海水のレベルが上昇します。さらに海水温度の上昇により洪水やハリケーンの異常発生が起こります。さらには、農作物や酪農による生産が大きく毀損され、大きな食糧危機が発生します。当然、世界中の生態系に変化が起きることから食物連鎖に変動が起きて、我々人類が存続できなくなる可能性が高くなります。

  ちなみに世界自然保護基金(WWF)によれば、1度以上上昇した場合の影響を「サンゴ礁や北極の海氷などのシステムに高いリスクがあり、マラリアなど熱帯の感染症の拡大」と表しています。さらに2度に上がると、「作物の生産高が地域的に減少する。」としています。貧富の差が大きな国やGDPが小さな国では紛争がますます多発し、人々が悲惨な状況にさらされることになるのです。

  パリ協定は、決して万全な合意とは言えませんが、世界中の国々が地球の危機認識を共有し2030年までに努力していくことを確認し合う、という意味で画期的な枠組みなのです。

  ところが、201761日、あろうことかトランプ大統領はアメリカの利益にならないことを理由にパリ協定からの離脱を宣言したのです。トランプ大統領は、温室ガス削減の目標を守るためにアメリカは2040年までに3兆ドルの損失を蒙り、650万人の労働者が雇用を失う、と演説しました。さらには、協定に対して「中国、ロシア、インドはこの協定に何も貢献しないのに、アメリカが何十億ドルも払うのは不公平だ、」とも語っています。

  世界の首脳は、この脱退をのきなみ非難しています。

  極端な言い方をすれば、自国ファーストとは自国の短期的な繁栄と選挙での勝利のためには、地球が滅びても構わない、との意見表明に他ならないのです。

  こうした目の前の利益・わがまま戦略は、貿易赤字に対する対応にも存分に表れています。そのターゲットとして生贄となったのは中国でした。先日発表された2018年度の中国対アメリカの貿易黒字は史上最高となる3,233億ドルです。対前年比で117.2%にもなるとのことで、この発表により一時凍結されている中国製品に対する関税率のアップは再び注目を浴びそうです。

  トランプ大統領は、明らかに国際社会のステイタスとして中国をアメリカのライバルとして意識しているようです。関税戦争はその最たるものですが、東シナ海の領海権の問題やデジタル通信技術による世界の席巻に対してアメリカの優位を継続させようと様々な手を打っています。先日、カナダ国内で世界一の携帯技術を持つファーウェイの最高財務責任者(CFO)の逮捕はその現実を世界に知らしめました。

  米国の要請に従い逮捕に踏み切ったカナダは、中国からの報復に晒されています。中国は、自国に滞在するカナダ人を13人も逮捕。さらには、麻薬の密輸により懲役15年の刑を言い渡されたカナダ人に対し裁判のやり直しを行い、死刑判決を言い渡したのです。これだけ露骨な報復も驚きですが、中国はアメリカ相手にどの分野においても1歩も引かない構えを見せています。貿易戦争に対しては、国際社会の場で反保護主義の旗振り役を務めているように見えますが、トランプ以前には考えられなかった光景が繰り広げられています。

  今週は、こうした日米衝突の情勢をインテリジェンスによって語る対談本を読んでいました。

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(新書「米中衝突」 amazon.co.jp)

「米中衝突 危機の日米同盟と朝鮮半島」

(手嶋龍一 佐藤優著 中公新書ラクレ 2018年)

【米朝関係が日本にもたらすもの】

  お二人の対談は、昨年、同じ中公新書ラクレから「独裁の宴」と題された対談が上梓されたばかりでした。しかし、前回の対談の後に米朝関係は劇的な展開を見せたのです。それは、2018年の2月に開催された韓国のピョンチャンオリンピックから始まりました。もともと韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は金大中大統領のもとで太陽政策を推進していた腹心でした。当時から北朝鮮融和派であり、北朝鮮にも融和へのサインを送り続けていました。

  北朝鮮の金正恩委員長は、2017年には中距離核ミサイルの開発に国を挙げて取り組み、核実験を積み重ねるわ、ミサイルの発射実験を続けるわ、アメリカを標的とした核開発をあからさまに進めてきました。それが、ピョンチャンオリンピックを境として、一転、核兵器の放棄をちらつかせて、トランプ大統領との直接会談に意欲を見せたのです。さらに驚くことに金委員長をののしっていたトランプ大統領も、一転直接会談に前向きに応じたのです。

  金委員長とトランプ大統領の豹変ぶりに全世界が唖然としました。

  その結果、韓国の文大統領は北朝鮮との対話の道を切り開いたことで国民の支持を広げ、さらにはトランプ大統領との仲介役としてそのプレゼンスを大いに高めました。もちろん、金委員長はしたたかで、アメリカとの交渉が進むとみれば、節目、節目に中国を訪問して習金平主席と対談を重ねて中国の後ろ盾を賢明にも強めています。傍から見ると、東アジアの外交政策でイニシアチブを取っているのはまるで金委員長であるがごとく錯覚してしまいそうです。

  日本はこの急展開の中で、拉致問題という大きな課題を抱えながら打つ手もなく立ち尽くしているように見えるのは私だけでしょうか。

  今回の対談は、前作でこの急展開の可能性に言及していたお二人の見立てが実現したことを受けて、この急展開後の東アジアについて、インテリジェンスを駆使して語った最新刊となります。

さて、まずは目次を見てみましょう。

第1章「北朝鮮」が炙り出す日本のインテリジェンス

第2章OSを共有する米朝トップが「歴史的合意」を演出した

第3章韓国を取り込み、アメリカを拘束した―米朝「共同宣言」を読み解く

第4章日本の援助などいらない!?北朝鮮が狙うカネとカジノ

第5章夕景の北朝鮮 そしてグレートゲームの日は昇る

第6章38度線が崩れ日本は米中衝突の最前線になる

第7章戦略なきトランプ 日本に「カード」はあるのか

  最初に本の表題を見たときに、この対談のねらいは貿易戦争で対立する米中の今とこれからを語っているのかと思いました。しかし、読み進むと、基本的な内容は急変する東アジアにおいて、北朝鮮と米国の関係の変化が日本にどのような影響をもたらすのか、を分析しており、日本の留意すべき点を指摘する、とのスタンスに貫かれています。

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(シンガポールでの米朝首脳の握手 asahi.com)

  まず、その前提として語られているのは北朝鮮と韓国が融和して、38度線が氷解した時に、日本の地政学的な位置づけが大きく変化する、との見立てです。これまで、朝鮮半島は朝鮮戦争によって南北に分断され、アメリカが冷戦時に設定した東西世界の境界が38度線に暫定されたとの歴史を持っていました。事実、朝鮮戦争はまだ停戦状態で絵秘話条約は締結されていない状況です。つまり、朝鮮戦争は終了しておらず、今もまだ戦争状態が継続しているのです。

  北朝鮮が、アメリカに平和条約の締結を望んでいるのは、戦争が続いている限り、北朝鮮の存在は保障されておらず、戦争を終結させることにより、北朝鮮の国体が歴史的に保障されることになるからなのです。そして、平和条約が締結され、韓国と北朝鮮の融和が進めば、東アジアの地政学は大きく変化すると言うのです。

【日本に必要なインテリジェンス】

  東アジア情勢の急展開に対して日本がどのようなスタンスを持っているのか、安倍総理大臣の発言を聴いても、菅官房長官の会見を聴いても、河野外務大臣の発言を聞いても、まったく理解することができません。トランプ大統領が就任した時に、真っ先にトランプタワーでゴルフクラブを手渡した安倍さんの迅速な対応は大いに評価を高めましたが、アメリカは日本の顔は立ててくれても自国の利益を優先して日本のために動くほどお人よしではありません。

  安部総理は、米朝の首脳会談を受けて北朝鮮との直接対話によって、拉致問題の解決に道筋をつけたいと発言していますが、今のところこの打診に北朝鮮が答えるそぶりは見せていません。それどころか、北朝鮮は中国との関係を強化し、韓国は北朝鮮との仲介役としてアメリカとの絆をこれまでになく強めています。そこに日本外交が入り込む隙はないのです。

  近年、韓国は過去の徴用工問題で最高裁判所が賠償判決を出し、被告側の日本企業の資産凍結までも命令しています。さらに日本の自衛隊の戦闘機に対してレーダーを照射した事件に関しても開き直りともいえる強硬な姿勢を貫いています。これは、韓国政府が北朝鮮との融和やアメリカとの関係強化を優先し、日本との関係を軽んじている態度としか思えません。

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(板門店の国境を渡る南北首脳 sankei.com)

  お二人の対談では、こうした東アジアの状況を、インテリジェンスを駆使して分析します。

  ネタバレとなりますが、その面白さの一端をご紹介します。

  今回の米朝首脳会談に関して、第二章では人知れぬ事実が佐藤氏の口から語られます。トランプ大統領がアメリカの保守層、特に労働者層に絶大な支持を得ていることは有名ですが、キリスト教徒の中では、プロテスタントのプレスビテリアン(長老派)が強力なトランプ支持者なのです。さすが宗教学の権威佐藤さんは、トランプ大統領の思考はまさに長老派であることを語ります。

  長老派の教えは、神様は救われる人と滅びる人を生まれる前から決めている予定説というもので、長老派の人間は自分たちを「選ばれし人」と考えている、というのです。トランプ大統領も長老派ですから、彼も、自分はどんな試練にも耐え抜くことができるし、耐え抜いて成功させる歴史的使命がるのだ、との固い信念を持っているのです。

  ここで、驚くべき事実が語られます。実は、金正恩委員長の思想にも同じプレスピテリアンの教えが流れている、というのです。だから、トランプと金正恩は相思相愛?いったいどういうことなのか。その答えはぜひこの対談本で味わってください。2月末には第2回の米朝首脳会談が行われると発表されましたが、二人の親密さのわけがよくわかります。


  この対談には、日本のマスコミや我々が見逃している東アジアのインテリジェンスがすべての章で語られています。韓国は、現在は海洋国家としての振る舞いをせざるを得ない状況ですが、北朝鮮と融和が進めば韓国は大陸国家としての思想を復活させると言います。そのときには、日本は海洋国家として、いきなり大陸の国々からの脅威にさらされることとなる。その心は?

  皆さんもこの対談で、日本の置かれた危機的状況を知ってください。明日への知恵を生み出すことの重大さに気づくはずです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年01月13日

真山仁 技術立国日本が狙われる?

こんばんは。

    真山仁さんの「ハゲタカ」シリーズは、バブル以降のグローバル経済を背景に株式会社へのM&Aと金融工学を駆使した投資によって世界を動かしていくファンドに生きる人々を描いて、リアリティに富んだエンターテイメントを作り上げました。

  その主人公、鷲津政彦は登場したときから自らの欲望のままに金に飽かして投資というギャンブルを制することに徹する悪人です。その意味で、このシリーズは第一級のピカレスクロマンといっても過言ではありません。真山氏の小説が特異なのは、徹底的な取材に基づいて構築する世界のディテイルの緻密さです。

  ここのところ、本流の「ハゲタカ」シリーズからのスピンオフ作品が多く生み出されています。以前に「ハゲタカ2.5」に当たる作品をご紹介しましたが、今週は、真山仁氏の「ハゲタカ4.5」にあたるスピンオフ作品を読んでいました。これまた一流のエンターテイメント作品です。

「ハゲタカ4.5  スパイラル」

(真山仁著 講談社文庫 2018年)

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(文庫版「ハゲタカ スパイラル」amazon.co.jp)

【再生請負人 芝野健夫 登場】

  「ハゲタカ」シリーズの基本コンセプトは、「現代日本の抱える問題を正視し、それを問う勇気を持つ」ということです。この作品の第一作目は、真山仁名義でのデビュー作であり、その緻密な取材に基づいた迫真の経済小説に感動しました。その小説のあり方は、現実に日本が陥ったバブル崩壊後の倒産の連鎖と不良債権の処理という未曾有の現実を徹底的に取材してフィクションとして再構築して我々に提示する、という斬新な手法でした。

  バブル崩壊は、平成という時代の始まりとともに日本経済を襲った大事件でした。高度成長を経験し、わが世の春を謳歌していた日本経済が、実体のない株価や不動産の高騰に踊りまくり、思惑により実体経済の数倍という高値を付けたバーチャルな価値を実態と見誤ったことが悲劇の始まりだったのです。

  分かりやすくいえば、実際には単価1000円であった株もしくは土地を5000円として計上していた場合、1000億円と計上されていた資産は、実際には200億円となります。バブル崩壊の恐怖は、投資家がパニックを起こし、どこまで下がるか予測できない大暴落のために膨大な売りを浴びせたために実際には1000円のはずの資産が100円にまで暴落したところにあります。

  つまり、バブル崩壊によって、1000億円で計上されていた資産が一昼夜にして200億どころか、20億円になってしまうという惨劇が生じてしまったのです。これを企業の借金に換算すると、1000億円の担保を差し出して1200億円を借りていた企業は、担保が20億円に暴落したことにより、差額の1180億円の即時返済を迫られることとなったのです。当然企業は債務超過で破産します。

  一方、金融機関は、貸出資金1200億円の担保が20億円に目減りします。あまつさえ、貸出先の企業が負債超過で倒産すればすべて貸し倒れとなるために、1200億円が消えてしまうことになります。多くの取引先がそうなったとき、金融機関はこうした不良債権を企業倒産の前後に少しでも高額で売却し、自らの損失を減らそうとします。そこで、企業の不良債権が価値の下落した担保と共に(つまり、企業ごと)投資ファンドに売却される事態となったのです。

  投資ファンドの狙いは、基本的に優良な不動産の二束三文での買い取りでした。例えば、温泉旅館が債務超過になっているとします。その旅館の土地は、バブル崩壊によって本来は200億円のはずなのにバブル崩壊によって20億円まで暴落したことになります。そこで価値の評価(デューデリジェンス)が重要となります。ファンドがこの債権を買い叩いて5億円でこの債権を買い取れば、その土地には180億円の価値が潜在していることになるのです。

  ハゲタカとは、バブル崩壊という異常事態に乗じて、不良債権の担保を実態価値よりもはるかに安く買いたたき、差額で儲けるファンドのことを指すのです。さらに、投資ファンドは、実態以下に下落した企業の株式を買い取ることで、資産の下落により企業価値が暴落した株式会社を乗っ取るM&Aも企てます。

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(デビュー作文庫版「ハゲタカ」amazon.co.jp)

  「ハゲタカ」の主人公、鷲津政彦はニューヨークでこの投資ファンドの悪辣な手法を身に着けて日本へと凱旋してきた男でした。そのファンドの名前はホライズン・キャピタル。日本法人の社長として辣腕を振るう鷲津は狙った獲物は逃さない手段を択ばないやり方から、ゴールデン・イーグルと呼ばれていたのです。一方、不良資産を持ち、買い取られる側の企業はハゲタカファンドの思い通りに買収されまいと様々に防衛策を講じることになります。

  「ハゲタカ」、「ハゲタカU」で企業防衛側の主役が、芝野健夫です。彼は、大阪を本拠とする都市銀行最大手三葉銀行の行員でしたが、不良債権の売却で鷲津率いるホライズン・キャピタルと対決。攻勢を続ける鷲津を出し抜いて一泡吹かせる作戦をたてます。芝野の発想力と行動力を認めた鷲津は、芝野をホライズン・キャピタルに引き抜こうと声を掛けますが、正義の人である芝野は、鷲津とは相いれず、この誘いを断ります。

  芝野は三葉銀行の不良債権バルク売却終了後、バンコクへの異動を命じられます。芝野が生真面目で融通が利かないことがその理由でした。芝野は、見て見ぬふりをすることを潔よしとせず、退職を決意します。そして、芝野が選んだ道は、バブル崩壊によって倒産の危機に瀕した企業を再生する企業再生家(ターンアラウンドマネージャー)の道だったのです。

  芝野は、まず同級生が社長を務め、その再生を頼まれたスーパー「えびす屋」の役員となり会社再生をめざします。そこを振り出しとして芝野は、様々な会社の再生を手がけ、この小説のヒロインである松平貴子が再建をめざしたホテル「ミカド」のために「ミカド」の相談役に就任します。

  さて、ターンアラウンドマネージャーとなった芝野健夫は、「ハゲタカU」でCROという耳慣れない役職に就きます。それは、最高事業再構築責任者の略称です。第二作で、ファンドが狙う企業は、カネボウを想像させる「鈴紡」と日本産業の要ともいえる製造業「曙電気」です。芝野は、この2社のCROに就任し、再び鷲津と対峙することになるのです。

  手に汗握る小説「ハゲタカ」の第三作「レッドゾーン」でも芝野は登場しますが、この小説で鷲津は中国の国策ファンドを相手として日本の自動車産業の象徴でもあるアカマ自動車の企業買収へと立ち向かっていきます。芝野はこの戦いに直接参戦することはなく、鷲津の物語とは異なるエピソードとして登場します。そこでの芝野は「曙電気」での戦いを終えて、次のステージへと向かって行くのです。

【ハゲタカ4.5の意味とは?】

  先日ご紹介した「ハゲタカ2.5  ハーディー」は、「ハゲタカU」と「レッドゾーン」の間に起きた物語でした。それは、「ハゲタカ」のヒロインであった松平貴子を主人公として、「レッドゾーン」に登場する記憶喪失となった謎の美女である「美麗(メイリ)」が活躍するサスペンス小説です。

  今回ご紹介する「ハゲタカ4.5  スパイラル」は、ご想像の通り、「ハゲタカ」第4作の「クリード」と並行して進んでいく物語なのです。そして、この小説の主人公は、「ハゲタカ」のもう一人の主役である芝野健夫その人なのです。第三作に当たる「レッドソーン」で芝野は、大阪で三葉銀行時代に心酔した東大阪の中小企業「なにわのエジソン社」の社長であった藤村登喜男の訃報に接します。その会社は、なにわのエジソンとも呼ばれる発明家であった藤村が立ち上げた会社。21世紀のはじめには、街工場の力で人工衛星を飛ばそうと取り組んでいたのです。

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(文庫版「グリード」amazon.co.jp)

  その社長の葬儀に参列した芝野は、藤村登喜男の後に社長を継いだ奥様から相談を受けます。

  「なにわのエジソン社」は、その後「マジテック」と名を変えて様々な機械の金型製造を担っていました。その技術は職人である桶本に支えられており、登喜男が生きていた時には、その人柄と次々と生み出す新たな発明を素に、様々な企業から製品の部品となる金型製造の注文がひっきりなしでした。それでも会社に利益はありません。ところが、発明王である社長が亡くなれば、社長の人脈も衰えて受注も減少、会社が青息吐息となっていくことは目に見えています。

  芝野への相談とは、経営が苦しい「マジテック」の再建を担う経営者の紹介だったのです。

  と、ここまでが「レッドゾーン」の中での芝野の物語です。ハゲタカ第4作に当たる「グリード」は、アメリカを舞台に繰り広げられる世界の投資王、サミュエル・ストラスバーグとサムライ・キャピタルを率いる鷲津政彦の息詰まる戦いが描かれており、残念ながら日本で企業再生に生涯を懸ける芝野の物語は語られるスキがありませんでした。

  そこで構想されたのが、「ハゲタカ4.5  スパイラル」なのです。

  シリーズの主人公のひとりでもある芝野健夫。彼が生涯を懸ける仕事。ターンアラウンドマネージャー。日本の技術の根本を支える中小企業の精密な技術。スケールこそ異なれど、そこに懸ける思いは「ハゲタカ」にふさわしく、熱き思いに溢れています。

【技術立国 日本!】

  中小企業を描いた熱血小説と言えば、思い出すのは直木賞を受賞した池井戸潤氏が書いた「下町ロケット」シリーズです。元宇宙科学開発機構の研究員であった佃航平が、父亡き後の町工場、佃製作所の社長となり従業員とともに奮闘する物語ですが、ここに登場するのは日本の中小企業の持つものづくりの技術力です。第一作では、新たな水素エンジンの特許とそのエンジンを実現する金型製造の技術を持つ佃製作所が、倒産の危機を乗り越え、その特許と技術をねらう帝国重工との攻防を描いています。

  以前、ブログでも紹介しましたが、日本には世界一長く存続しているゼネコン(薬師寺を建立した宮大工の会社)があり、携帯電話に組み込まれる電磁波シールドの金属箔、バイブレーション装置の極小ブラシ技術や耐久力の高い金型の加工技術で制作したパッキンなど、日本の職人的技術者にしか作り出せない製品がモノ作り日本をささえています。(以下、ネタバレあり)

  しかし、日本のお家芸であった技術も高齢化と少子化によって消えつつあるとともに、新たな発明や技術の特許申請も減少の一途をたどっています。そんな中で、ターンアラウンドマネージャーの芝野は、東大阪で出会った発明王藤村の持つ、夢を実現するパワーの魅力に圧倒されました。そして、藤村社長亡き後、倒産の危機に向かう町工場「マジテック」の再生のためにマジテックの専務になることを決意したのです。

  AI(人工知能)という言葉は、今や時代を象徴する言葉となりました。

  2045年には、人工知能の世界はシンギュレーションを迎えると言われていますが、AIの発展には目を見張るものがあります。AIを利用した技術には様々な応用がありますが、ロボット技術はその最たるものです。その中でも注目されているのは、人の補助的な役割をするロボットです。人が装着するとそのパワーが数倍になる機械です。

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(装着用ロボット「HALL」Syberdyne社HP)

  重いものの搬送や介護の現場でもこうしたAIロボットは期待されているのですが、人の命にかかわるという意味では、関節や筋肉が萎縮していく病気などへの応用への利用が人々に希望を与えています。芝野が経営に参画した「マジテック」は、こうした病の人を救う装着用のロボットを開発していたのです。その名は、「マジテック・ガード(MG)」。先天性多発性関節拘縮症の4歳の娘を持つ正木奈津美は、このMGを装着して健康な子供と同じように動くことができる娘、希実を見て、心から喜びを感じていました。

  しかし、4歳の子供は日に日に成長していきます。体が成長すればMGも成長に合わせて大きくしていかなければなりません。この機器を開発した藤村博士亡き後、「マジテック」では、MGの部品更新の費用を負担することができません。芝野と従業員は、何とか収益事業を立ち上げて希実を救おうと奔走します。しかし、「マジテック」の再生を妨げようとする敵が出現します。

  その一つは、三葉銀行時代に自らの不正融資を暴かれて銀行を辞めざるを得なかった村尾浩一。彼は、マジテックに多額の融資を担う浪速信用組合で支店長代理として勤めていたのです。村尾はかつて煮え湯を飲まされた芝野に復讐を誓います。それは、様々の銀行が持つマジテックへの融資債権をすべて買い取り、一攫千金を得たうえでマジテックを破滅させようとする戦略でした。

  さらに、発明王藤村が得ていた数々の特許、そしてマジテックが持つ技術をわがものにしようと、ハゲタカファンドが動き出します。そのファンドは、かつて鷲津が社長を務めていたホライズン・キャピタル。現在の社長、ナオミ・トミナガは狙った獲物は決して逃がすことはない、まさにハゲタカです。果たして、芝野は「マジテック」を再生させ、日本のモノづくりを守ることができるのか。物語は手に汗を握る展開で、一気に進んでいくのです。

  皆さんも、ぜひ久しぶりの芝野の雄姿を味わってください。このシリーズの面白さを再認識すること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 21:33| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月05日

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の魅力

こんばんは。

  伝説のロックバンド「クィーン」を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が驚異のロングランを続けています。

  映画は、119日に公開され、瞬く間に世代を超えてその評判が拡散。20代から70代まで世代を超えて感動の輪が広がっています。バンドは、今も続いていると言うと多くの人は違和感を覚えるかもしれません。確かに、1991年に強烈な個性を持つボーカリスト、フレディ・マーキュリィーを失ってから、バンドはその空白を埋めることに様々な思いがあり、しばらく活動を休止していました。しかし、フレディが加入する以前からのメンバーであるブライアン・メイ(ギター)とロジャー・テイラー(ドラムス)は、フレディへのリスペクトを継続しつつ、バンドの活動を続けています。

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(映画「ボヘミアン・ラプソディ」ポスター)

  この映画は、1991年にエイズで亡くなったフレディ・マーキュリーを主役として、その人生を描いた映画です。フレディがボーカリストであった時代。クィーンは世界で最も売れたバンドのひとつになりました。今、20代の人たちも彼らの楽曲をどこかで耳にしているはずです。なぜなら、日本のCMでは、彼らの曲が頻繁に使われているからです。

  「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「キラー・クィーン」、「キープ・ユアセルフ・アライブ」、「アイ・ワズ・ボーン・ツゥー・ラブ・ユー」など、彼らの名曲の数々が並びます。さらに2004年に放映されたキムタク主演のテレビドラマ「プライド」では、その主題歌となった「アイ・ワズ・ボーン・ツゥー・ラブ・ユー」を始めとして、数々のクィーンの楽曲が劇中で使われてドラマの大ヒットとともに彼らの曲が街中に流れることになりました。

  この映画は、フレディとクィーンの生き方を描いた映画であるとともに、耳慣れた名曲が次々に流れる音楽映画との側面を持ち、脚本と音楽の力で世界中の人たちを魅了し続けているのです。

(映画情報)

・作品名:「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年米・135分)(原題:「Bohemian Rhapsody」)

・スタッフ  監督:ブライアン・シンガー

       脚本:アンソニー・マッカーテン

       音楽総指揮:ブライアン・メイ

             ロジャー・テイラー

・キャスト  フレディ・マーキュリー:ラミ・マレック

     メアリー・オースティン:ルーシー・ボーイントン

       ブライアン・メイ:グウィリアム・リー

       ロジャー・テイラー:ベン・ハーディ

       ジョン・ディーコン:ジョゼフ・マッゼロ


【ロックバンド「クィーン」とは】

  ビートルズやローリング・ストーンズがロックとして日本に上陸してきたのは、私が小学生の低学年のときでした。その後、1970年代になるとロック界にはブリティッシュインヴェンションと呼ばれる流れが生まれ、イギリスのロックバンドが世界を席巻していきます。ハードロックと呼ばれる分野では、かのレッド・ツェッペリンがワールドツアーでスタジアムライブを行い、ザ・フーやブラック・サバス、ディープ・パープル、などのバンドが一世を風靡しました。一方では、プログレッシブ・ロックと呼ばれる潮流も太くなり、キング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、EL&Pなどのバンドが若者の心を捕えました。

  高校生の頃、アメリカン・ポップスのヒットチャートが好きだった少年の好みは、ブリティッシュ・ロックへと変化していきます。初めに衝撃を受けたのは、イエスのアナログ3枚組のライブ盤「イエスソングス」でした。このアルバムは、3枚組にもかかわらず日本ではシングル盤並みの大ヒットを記録して飛ぶように売れたそうですが、私もまさにその渦中にいました。「イエスソングス」の発売が1973年。同じ年に、2枚組4曲という長尺曲のアルバム「海洋地形学の物語」もリリースされました。なけなしのお小遣いを貯金してどちらアルバムを買おうかと、寝ずに悩んで新録音の「海洋地形学」をヤマギワデンキで買ったことを昨日のことのように覚えています。

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(イエス「海洋地形学の物語」amazon.co.jp)

  我々、ロック好きは当時高校の図書室に集まって、よくロック談議に花を咲かせていました。当時のアナログLPレコードは高額で、同好の士が代わる代わるアルバムを購入し、貸し合っていました。ある日、比較的購入頻度の高い友人が、新譜を購入して図書館に持ってきていました。アルバムのジャケットは、ピンク系の赤のグラデーション。そこには「Queen」の文字とマイクを高く掲げたチェスのコマのような人型がイラストされています。そして、アルバムの帯には「戦慄の女王」と書かれていたのです。

  友人からそのアルバムを借り、急いで家に帰って針を落とすと、いきなり尖ったギターフレーズが耳から体へと飛び込んできます。ギターのリフは、右のスピーカーから左のスピーカーへと移動し、さらにサラウンドしていきます。独自のギター音がキャッチーなフレーズをリフると、アクセントの効いたドラムに続いて、強烈なシャウトが耳に響きます。そう、これこそがクィーンのデビュー曲「キープ・ユアセルフ・アライブ」だったのです。日本名こそ「炎のロックンロール」というセンスのないネーミングでしたが、その斬新な音にすっかりハマりました。

  このアルバムのライブ感は本当にすごかった。B面(今や死語ですが)のオープニング「ライヤー」は、ロジャーのグルーヴ感満載のアクセントの聴いたパーカッションが我々を直撃。そこにブライアンのトーンギターがグルーヴィーなフレーズを響かせます。そして、ラストの「セブンシーズ・オブ・ライ」(輝ける7つの海)まで、一気呵成に聞かせてくれるのです。

  このアルバムのあまりの衝撃に、このパワーをみんなにもシェアしようと、当時放送委員だった立場を利用して昼休みの全校放送で「キープ・ユアセルフ・アライブ」を流し、担任の先生に大目玉をくらったことを思い出します。このアルバムは、本当にテープ(当時の録音媒体はカセットテープでした。)が擦り切れるほど繰り返し聞きました。アルバムジャケットの裏面は、メンバー写真が切り張りされていましたが、そこに小さく「誰もシンセサイザーを演奏していない。」と書かれていて、その演奏力の高さにも驚嘆しました。ブライアン・メイが自宅の暖炉の木材を自ら加工してハンドメイドのギターを作成し、シンセにも負けない7色の音を奏でていたのです。

  さらにライナーに書かれたメンバーですが、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイはそのままでしたが、ロジャー・テイラーは、ドジャー・メドウス・テイラーと書かれ、さらにジョン・ディーコンはディーコン・ジョンと記されていました。この誤りをずっと正しいと思っていたので、社会人になって相当経ってから熱狂的なクィーンファンの女性と話が盛り上がった時に、思わず「ロジャー・メドウス・テイラー」と「ディーコン・ジョン」と言ってしまい、「本当にはじめからのファンなのね。」と大いに感激されたことをよく覚えています。

  次の年、2枚目のアルバム「クィーンU」が発売されます。このアルバムも友人から借りて聞いたのですが、ファーストがレッド・ツェッペリン張りのハードロックアルバムであったのに比べ、2枚目はまるでイエスのようなプログレッシブロックアルバムだったのです。そのコンセプトは明確で、A面が「ホワイドサイド」、B面が「ブラックサイド」と分かれ、ブライアン・メイがホワイト、フレディがブラックというコンセプトでアルバムが創られていたのです。イエスに心酔していたロックファンはひとたまりもなく、その世界に魅了されてしまったのです。

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(名作「QueenU」amazon.co.jp)

  今でも「クィーンU」を聴くと鳥肌が立つほどです。

  そして、その感激も冷めやらぬうちに3枚目のアルバム、「シェアー・ハート・アタック」が発売されました。この時には、購入順序が私に回ってきたこともあり、貯めていたお小遣いで自ら購入し、友人たちに提供しました。貸し出しに回したところ、約半年間、手元に戻ってきませんでした。このアルバムでは再びコンセプトを変えていて、ショービジネス的な作りがなされています。当時読んでいた「MUSIC LIFE」という雑誌では、「1枚目はツェッペリン、2枚目はイエス、3枚目はスリー・ドッグ・ナイトの模倣」と書かれていて、大いに閉口したものでした。(人は本当のことを言われると腹が立つものです。)

  このアルバムは、「キラー・クィーン」のヒットでよく知られていますが、素晴らしい曲が詰まっていました。A面の「ナウ・アイム・ヒア」は、長い間、彼らのライブのオープニング曲でしたし、B面の「イン・ザ・ラップ・オブ・ザ・ゴッズ」(神々の業)は、長い間、ライブのエンディングに歌われていたのです。1975年の初来日のときには、なけなしのお小遣いを使い果たして武道館に足を運びました。このときの「ナウ・アイム・ヒア」のオープニングには心が震えました。この時の日本のファンの熱狂ぶりには彼らもとても感激したようで、インタビューでは日本への感謝がたびたび語られていました。実は、このアルバムの「シー・メイクス・ミー」という曲には、恋の思い出があるのですが、これについては語ることを控えておくことにします。

  彼らが来日した1975年。映画でも語られていたアルバム「オペラ座の夜」が発売され、アルバムに収められた6分にも及ぶ「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒット。アルバムもイギリスでチャート1位を獲得するなど、そのオリジナリティによって、世界的な大ヒットを収めたのです。

【映画「ボヘミアン・ラプソディ」】

  この映画は、待ちに待ってワクワクしながら、封切り初日に見に行きました。もちろん、音響が大切な映画なので、IMAXです。(以下、ネタバレあり。)

  観る前には、ドキュメンタリーフィルムかと思っていたのですが、始まってみてビックリ。完全なるオリジナルストーリーで、しかも出演者はすべて俳優でした。いきなり、肉体労働のバイトをしているフレディ・マーキュリーらしき人物が登場し、まずビックリ。さらにフレディの本名がファルーク・バルサラと知って、再びビックリ。しかも、両親はインド人で、ゾロアスター教という特異な経歴の持ち主だったのです。

  しかし、彼の人生にとって最も深く影響したのは、まさにこの生い立ちだったのです。その生い立ちは、この映画に描がかれた彼の複雑な心理と行動に大きな影響を与えており、映画のオープニングこそが、この映画に奥行きを与えていたのです。ラスト21分間のライブエイドのパフォーマンスは、単に仲間や観客との絆が蘇った瞬間だけなのではなく、フレディが彼の家族との絆を取り戻した瞬間でもあったことが、この映画の更なる感動を誘うのです。

  それにしてもフレディと名前を変えたファルーク・バルサラが父親に受け入れられず、さらに自らも父親を受け入れない、という断絶は、どの家族にも訪れ得る一瞬だとはいえ、やはり悲しいものでした。父親のゾロアスター教からの教え、「良き想い、良き言葉、良き行い」を守れと言う言葉。その教えに対してフレディは、「その教えで何かいいことがあったのか?」と反抗します。父親は、怒りを抑えつつそんな息子に失望します。

  しかし、映画ラストを飾るライブエイドに出演するときに、このパフォーマンスでは報酬を受け取らないことを父親に告げ、「『良き想い、良き言葉、良き行い』だよ。」と語り父親と抱きしめあうフレディ。フレディは、このライブエイドでのパフォーマンスにより、これまで失ってきた様々なものを再び手に入れることとなるのです。すべての人が、この映画に感動するのはこうした人としての見事な伏線があるからなのです。

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(「ボヘミアン・ラプソディ」スチール写真 amass.jp)

  こうした映画の脚本としての成功ももちろんですが、この映画の感動はやはり音楽にあります。

  個人的には、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが「スマイル」というバンドでボーカリストを失ったとき、そこに現れたバルサラが無理やりボーカリストとなり、フレディ・マーキュリーと名を変えて、初めて「クィーン」として演奏するシーンが最高に感動的でした。その曲は、「キープ・ユアセルフ・アライブ」なのですが、フレディが歌詞を勝手にアレンジして歌っているところにブライアンがギターを弾きながら、何度も「歌詞が違う」、「正しい歌詞を覚えろ」とどなっているシーンが、将来の二人を暗示していて本当に感動したのです。

  さらに、フレディと他のメンバーとの間に若干の溝が出来てきたときに、ジョンやロジャー、ブライアンが、観客とリズムを合わせ、一体感を醸し出すために編み出した工夫。

  ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。

  ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。ダッ、ダッ、ダ。

  スタジオの舞台で、これを繰り返すメンバー。そこにやってきたフレディ。これこそが、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」誕生の瞬間でした。

  語れば尽きないのですが、とにかくこの映画はおすすめです。11月、とても感動したのは、私だけかと思ってブログに書くことを控えてきましたが、NHKにまで取り上げられるほど幅広い人たちの支持を得られたのであれば、その感動をぜひ分かち合いたいと思います。

  音楽ファンもそうでない方も、まだ見ていない幸運なアナタ。まだ、遅くはありません。ぜひ、映画館でこの感動を分かち合いましょう。 「ウィ・ウィル・ウィ・ウィル・ロック・ユー」

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 19:40| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

今年もよろしくお願いします



2019 初日の出02.jpg

 2019年

 明けましておめでとうございます。

  新年を迎え、日ごろのご訪問を感謝いたしますとともに、
 皆様のご健勝とご多幸を心より祈念申し上げます。

  考えてみれば、これまで、昭和を30年、平成を30年味
 わってきたことになります。今年は新たな年号となりますが
 皆さんと共に新たな年も楽しく、幸せをシェアして暮らして
 いきたいと思います。

  本年も日々雑記をどうぞよろしくお願い申し上げます。

                    平成31年 元旦
                    人生楽しみ

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ラベル:新年 日々雑記 2019
posted by 人生楽しみ at 13:19| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする