2018年04月30日

宮城谷昌光 歴史小説の秘密


こんにちは。

  先日、宮城谷昌光氏の三国志の完結後に執筆された「三国志外伝」をご紹介しましたが、その本と並んで積まれていた本があります。この本は、「三国志」と銘打たれていますが、読んでみると話題は「三国志」にとどまらず、宮城谷氏の中国歴史小説にちなむ講演と対談が収められた、宮城谷読本と言える本当に面白い本でした。

「三国志読本」(宮城谷昌光著 文春文庫 2017年)

【中国歴史小説解読】

  さて、宮城谷さんの中国古代を描いた歴史小説は、今や全集に至る膨大な物語が紡がれているわけですが、あんなに面白い小説をどうやればあれだけ執筆できるのか。

  読者としては、次から次へと語られる物語を時を忘れて楽しむことが出来、幸せな限りですが、これだけの良質な物語を書きつづるエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか。この本を読むとその秘密の一端に触れることが出来ます。

  その面白さは、すでに目次を見るだけで予感することが出来ます。

(目 次)

T. 歴史の生まれる場所

 ロング・インタビュー「私の歴史小説」

U. 自作解説「三国志の世界」

『三国志』の沃野に挑む大歴史絵巻の豊穣なる世界・曹操と劉備、三国志の世界正史からみえてくる英雄たちの素顔・『三国志』の可能性歴史は多面体だからこそおもしろい・『三国志』歴史に何を学ぶのか構想十年、執筆十二年の大長編を終えて

V. 対談「歴史小説を語る」

水上勉歴史と小説が出会うところ・井上ひさし歴史小説の沃野 時代小説の滋味・宮部みゆき「言葉」の生まれる場所・吉川晃司我々が中国史に辿り着くまで・江夏豊司馬遼太郎真剣勝負・五木寛之乱世を生きるということ

W.  講義&対談「中国古代史の魅力」

中国古代史入門どこから学べばいいのか・白川静日本人が忘れたもうひとつの教養・平岩外四逆風の中の指導者論・藤原正彦英語より『論語』へ・秋山駿春秋時代から戦国時代へ・マイケル・レドモンド碁盤上に宇宙が見える・項羽と劉邦、激動の時代ふたりを動かした英雄たちと歴史的必然

X 付記

『三国志』をより深く楽しむための本・宮城谷昌光中国歴史作品の年代一覧・特別随想「ふりかえること」・対談者略歴/宮城谷昌光出版年賦

  どうですか。宮城谷ファンであれば、どの記事もすぐにでも読んでみたいと思うに違いありません。

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(文春文庫「三国志読本」amazon.co.jp)

  この本は、文藝春秋社の雑誌に掲載された宮城谷さんの記事を、「三国志」完成を記念して、一冊の本にまとめた内容となっています。そうした意味では、「三国志読本」と名付けたい思いも分かる気はしますが、内容的には(嬉しいことに)、「宮城谷読本」と言える内容になっています。

  ちなみに、最も古い記事は1998年年8月の水上勉氏との「歴史と小説が出会うところ」と題された対談記事。そして、最新の記事は20137月のインタビュー記事「『三国志』歴史に何を学ぶのか−構想十年、執筆十二年の大長編を終えて−」となっています。その間の宮城谷さんの執筆の歴史がこの本に詰まっていると言っても過言ではありません。

【三国志読本】

  まず、この本の趣旨に沿う「三国志」については第2章で存分に語られています。

  はじめの文章は、連載開始直後のインタビューとなっていますが、足掛け12年となる連載となった宮城谷版三国志に対しての深い想いが語られています。以前のブログでもご紹介した2001年のインタビューですが、改めて「三国志演義」によらない正史「三国志」に挑む氏の覚悟にほれぼれとします。

  氏は、この遠大な小説を後漢末の中国からはじめています。

  それは、以前にもご紹介した名宰相、楊震のエピソードです。あるとき、楊震が宰相となったことを祝い、昔からの知り合いであった男が祝い物を持って楊震の家を訪ねます。楊震がその贈物をあけるとその底には大金がしのばされていました。

  楊震はどんなに親しい中でも人に疑われるような現金を受け取るわけにはいかない、と拒否します。すると男は、「ここには、あなたと私しかいません。我々が心に秘めておけば、誰もこのことを知るものはおりません。」と再度現金を渡します。

  楊震は、静かに「あなたは誰もいないというが、窓の外を見れば天が知っており、地が知っており、私が知っており、あなたが知っている。四人もの人が知っていることを隠しておくことができようか。」と言って受け取らなかったといいます。

  このエピソードは、宮城谷氏のこの小説に対する想いがつまっていたのです。この本を読むと、その想いが執筆の間、氏の胸に常にあったことが良くわかります。

  さらに、この物語が後漢から書き始められたもう一つの理由も語られます。

  それは、「演義」では、敵役として登場する曹操を語るために登場させなければならない人物がいたことに由来します。それは、曹操の祖父である曹騰です。曹騰は、後漢後期に30年に渡り4人の帝に仕えましたが、彼は宦官でした。後漢時代の皇帝は孤独な存在であり、国家の運営はすべて官僚が行うため、皇帝は常に奏上を聴き認可を与えるだけの存在です。

  常日頃、情報収集や相談できるのは、皇后である妃もしくは帝のそばに仕える宦官しかいなかったと言います。そして、皇帝に直に話ができる側近として、彼らは王朝に力を持つようになります。妃として力を振るう勢力が外威であり、宦官であったのです。

  後漢王朝では、宦官が力を持ちそれが王朝末の腐敗を招き寄せることになるのです。

  宦官は当然去勢されており、子を持つことはありません。しかし、曹騰は中常侍・大長秋などの高いくらいにいたため、養子を取って家を存続することが許されました。そのため、曹騰、その養子である父親の養子として迎えいれられたのが曹操だったのです。宮城谷氏は、この出自が曹操の豊かな人身東洋術を生み出したと語ります。

  つまり、「三国志」で曹操を語るためには、後漢末の宦官で力を振るった曹騰を描くことが必要であったということです。

  この章で語られる曹操と劉備玄徳の話は、とても魅惑的です。

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(「三国志」最終巻 amazon.co.jp)

  三国志の時代は乱世の時代です。乱世の時代には、儒教ではなく、道教が流行ると言いますが、劉備玄徳は、まさにこの道教的な臭いがするのだと語ります。さらにこの頃にはまだ知られていない仏教的な要素すらあると言うのです。その認識に至った時に、はじめて劉備が理解できた、との話は面白く、皆さんもぜひこの本でそのココロを味わってください。

【中国歴史小説への道】

  さて、宮城谷ファンにとって、この本の第3章と第4章は時間を忘れて楽しむことが出来ます。

  第3章は、歴史小説をこよなく愛する人たちとの対談が収められています。水上氏との対談では、宮城谷氏が最初に読み始めたレ小説が、柴田錬三郎さんの小説であり、それまでは、ほとんど本を読まなかったという意外な話が出てきます。

  また、井上やすし氏との対談では、若き日の宮城谷さんが小説を書き始めたころにどうしても自分の文体に納得することが出来ず、欠くことが出来ずに悩む碑が続いたとのエピソードが語られます。そのときに、様々な文章読本を読み漁ったそうなのですが、最後にわらにもすがる思いで読んだのが、井上やすし氏の「文章読本」であり、それに勇気づけられたとの話も傑作です。語られた井上さんは、反応に困った様子なのが微笑ましい。

  作家仲間の宮部さんとの対談(宮城谷さんの奥様も登場)、意外なことに中国の歴史小説に造詣が深い吉川晃司さんとの歴史話、司馬遼太郎さんの大ファンという名投手江夏豊氏との司馬遼太郎談義は、くめども尽きぬ面白さを秘めています。どの対談も心から楽しめる対談です。

  ミュージシャンで俳優の吉川晃司さんが無類の中国好きであったり、先日亡くなった広島カープの鉄人衣笠氏の盟友である江夏豊氏が、司馬遼太郎の歴史小説の大ファンであるというワンダーもこの章で味わうことができます。

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(吉川氏と宮城谷氏 bunshun.jpより)

  第四章では、宮城谷さんが自らの口から歴史小説を書くこととなった経緯や歴史小説とは何かという奥深い秘密を語ってくれます。

  なんといっても読みごたえがあるのは、宮城谷さんが自らの歴史小説家としてアイデンティティーを得るきっかけとなった甲骨文字研究の第一人者白川静氏との対談です。宮城谷氏は、白川氏の漢字解読の文章には、彩と物語があると語ります。例えば、中国古代の詩を集めた「詩経」にある雨乞い舞を献上する詩。その白川氏の訳文を読んで、宮城谷さんは、「舞う人の服が青い服で、(中略)郊外の広々とした中で、雨を乞う。青空の下で、同市たちが青い服を着て舞う姿は、いまぼくらが想像しても非常に美しいんですよ。これひとつでも、小説が書ける。」と白川氏の文章にインスパイアされる様を語っています。

  さらには最後を飾るインタビュー「項羽と劉邦、激動の時代」にも宮城谷歴史小説の秘密が満載されています。項羽と劉邦は、秦滅亡後の乱世の楚漢戦争の時代に争った英雄ですが、この二人を語るには、春秋戦国時代の覇の歴史を経験する必要があったことが綴られています。それは、綿々と流れていく時代そのものを感じることができなければ、歴史小説を書くことができないという、とっておきの秘密なのです。

  その心は、皆さんもぜひこの本で解読してください。宮城谷中国の魅力が一段と輝くこと間違いなしです。


  今年のゴールデンウィークは、後半戦の天気がいまいちのようです。少し落ち着いて、読書するにはうってつけと思います。皆さんも健康に気を付けて元気でお過ごしください。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2018年04月18日

スター・ウォーズ ルーカスの夢

こんばんは。

  映画「スター・ウォーズ」シリーズは、1978年に第一作目が日本で公開されてから今年で40年を迎えます。生みの親であるジョージ・ルーカス氏は今年で73歳となります。

  最新シリーズは、シークエル・トリロジーと呼ばれ、2015年に第7作目に当たる「フォースの覚醒」が公開されるや世界的な大ヒットとなりました。昨年のお正月映画として、第8作目に当たる「最後のジェダイ」が公開され、スター・ウォーズフリークを楽しませてくれました。

  新たな物語は、ルーカス氏の手を離れて、オリジナルの続編としてディズニー・ピクチャーズが制作しています。元々、ルーカス・フィルムは氏が自由に自分の映画を作ることを目的に設立した会社でしたが、「エピソード3 シスの復讐」が完成した後、氏は制作、監督業から手をひいて引退した形になったことから、スター・ウォーズの版権を手に入れることを目的に、ディズニーがルーカス・フィルムを買収したのです。

  スター・ウォーズの「オリジナル・トリロジー」、つまり、最初の三部作は本当に素晴らしい映画でした。「エピソード4 新たなる希望」、「エピソード5 帝国の逆襲」、「エピソード6 ジェダイの帰還」の3作品には、ジョージ・ルーカス氏の意欲と想いが詰め込まれており、どの作品もすべてのシーンを語ることが出来るほどに繰り返して楽しんでいました。

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(「エピソード4 新たなる希望」ポスター)

  しかし、1999年から始まった3部作、「プリクエル・トリロジー」については、1作目の「エピソード1 ファントム・メナス」こそ、期待に胸を膨らませて映画館へと足を運びましたが、その後、熱が冷めてしまった感があり、オリジナルのときのように何度も見る気持ちにはなりませんでした。思い起こせば、「ファントム・メナス」の公開時には、映画館の照明が消えたときに胸が高まり、最初のテーマが流れた瞬間に、他の観客が喜びの雄たけびを上げるのと同じ思いを感じていました。

  2作目の「エピソード2 クローンの攻撃」も公開日に映画館に足を運びましたが、その映像美に大きなワンダーを感じたものの、映画そのもののストーリーは、今やすっかり忘れている有様です。3作目の「エピソード3 シスの復讐」に至っては、なんと映画館にさえ足を運ばず、テレビの放映を見たに過ぎません。

  「オリジナル」の意味は良くわかりますが、「プリクエル」と「シ−クエル」とは聞きなれない言葉です。「プリクエル」とは、映画で使われる言葉で、直接の意味は「前日談、前篇」ということです。「シークエル」とは、「プリクエル」とセットとして使われる言葉で、「前篇」、「後編」を意味します。確かにエピソード13は、オリジナルの前日談であり、現在進行中のエピソード7以降は後日談となります。

  ジョージ・ルーカス氏は、この「スター・ウォーズ」ですっかり有名になりましたが、氏の監督作品は6本しかないという事実をご存知でしょうか。そして、その6本のうち4本が、この「スター・ウォーズ」シリーズなのです。

  そこで、いったいルーカス氏は、どのように「エピソード4 新たなる希望」につながる最後の作品「エピソード3 シスの復讐」を創ったのかを改めて見てみようと思ったのです。

【プリクエル・トリロジーへの道】

  さて、ルーカス氏はオリジナル・トリロジーの「ジェダイの帰還」の公開後、監督業から引退するつもりだったと言います。しかし、FSXやCGの技術が未熟であった1970年代から時代は大きく進歩し、もともとルーカス氏が思い描いていた銀河の世界を映像化する技術が確立されました。それを背景として、氏は自らの世界観を映画として思う存分表現したいと考えるようになったのです。

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(「エピソード6 ジェダイの帰還」ポスター)

  そうして、氏は「プリクエル・トリロジー」の構想を温め始めます。

  氏は、「スター・ウォーズ」を映画化するに当たって、壮大なサーガを構想していました。エピソードは、もともと9部までをスクリプトしており、「エピソード4 新たなる希望」は、映画をヒットさせる目的で、サーガの中で最も面白いエピソードを最初に映画にしたと言われています。

  こうして、「オリジナル・トリロジー」は、ルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダーの物語を描くことになりました。この物語の基本的な世界観は、フォースという力を宿したジェダイの騎士と暗黒面のフォースを操るシス一族の対立です。新たなジェダイの継承者であるルークと暗黒面のフォースを操るダース・ベイダーを軸に物語は進んでいきます。

  ネタばれとなりますが、この3部作には帝国軍に相対する共和国軍が描かれます。共和国軍を率いているのはレイヤ・オーガナ姫となります。そこに高速宇宙船ファルコン号を操る海賊、ハン・ソロが登場し、ハン・ソロは、莫大な賞金を稼ぐために帝国軍の目をすり抜けてルークやレイヤに協力することになるのです。そして、第2作以降はレイヤ姫を巡るハン・ソロとルークの三角関係が展開していくことになります。

  オリジナル3部作では、1作ごとに新たな謎が解き明かされていきます。第1作でジェダイの騎士オビ=ワン・ケノービィが登場。彼はルークにフォースの使い方を教えることになるのですが、皇帝の右腕として帝国軍を操るダース・ベイダーは、かつてオビ=ワンの弟子であったことが明かされます。ダース・ベイダーは、元ジェダイの騎士であったのです。

  そして、「エピソード5 帝国の逆襲」では、オビ=ワンの弟子であったダース・ベイダーが、ルーク・スカイウォーカーの実の父親である、という衝撃の事実が明かされます。ルークとダース・ベイダーの対決は実の親子の闘いであったのです。そして、そこにはジェダイの騎士の生き残りであるマスター・ヨーダも登場します。

  さらに第3作である「エピソード6 ジェダイの帰還」では、またまた衝撃の真実が語られます。それは、反政府軍の象徴ともいえるレイア姫にもフォースの力が備わっている事実です。なんと、レイア姫とルークは双子の兄弟だったのです。こうして、気をもませた、レイア姫を巡る三角関係は無事に解決し、ハン・ソロとレイア姫はめでたく結ばれることになるのです。

  ルーカス氏のサーガは、実に巧みにできており、3部作でそのサーガの秘密がすべて明かされて、物語の深さを感じさせてくれます。

  こうした深い物語があってこそ、ルーカス氏はこのサーガの「プリクエル」を制作しようという気持ちになったのです。

  15年ぶりに見た「エピソード3 シスの復讐」は、本当に面白い映画でした。当時、テレビで見た時には、ラスト近くのジェダイの騎士二人の溶鉱炉のような溶岩の大河における対決シーンのみが印象に残っており、ストーリーも映像もほとんど覚えていませんでした。

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(「エピソード3 シスの復讐」ポスター)

【エピソード3 シスの復讐】

(映画情報)

・作品名:「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」(2005年米・141分)

(原題:「Star Wars EpisodeV Reenge of The sith」)

・スタッフ  監督:ジョージ・ルーカス

  脚本:ジョージ・ルーカス

・キャスト  オビ=ワン・ケノービィ:ユアン・マクレガー

  パドメ・アミダラ:ナタリー・ポートマン

  アナキン・スカイウォーカー:ヘイデン・クリステンセン

  バルバティーン最高議長:イアン・マクダーミド

  メイス・ウィンドゥ:サミュエル・L・ジャクソン

  ルーカス氏がメガホンを取った「プリクエル・トリロジー」3部作の主人公は、「オリジナル」で悪役を演じたダース・ベイダーです。ダース・ベイダーは、ルーク・スカイウォーカーの実の父親だったわけですが、名前をアナキン・スカイウォーカーと言いました。

  最強のジェダイであったアナキンは、なぜ暗黒面へと落ちてしまったのか。ジェダイの騎士とはどんな由来を持っていたのか。この銀河は、なぜ共和国から皇帝の支配する帝国へと変貌してしまったのか。こうした壮大なテーマとレイアとルーク兄妹の出生の謎が、すべて「プリクエル」によって語られていくのです。

  「プリクエル」では、この銀河連合で起きた13年の月日が語られます。銀河連合は、もともと元老院とジェダイの騎士で構成される評議会が両輪となって共和国として運営されていました。ところが、この共和国をわがものにしようとする一団が通商連合を設立し、蠢いていました。ジェダイの騎士たちは、この通商連合と対決します。

  第1作では、幼いアナキンが共和国内の闘いの中で、ジェダイの騎士であるクワイ=ガイ・ジンとその弟子であるオビ=ワン・ケノービィにその強力なパワーを見出され、二人のジェダイはジェダイの騎士として育てるためにアナキンを評議会へと連れ帰ります。

  そして、第2作では、その10年後の世界が描かれます。そこでは、元ジェダイの騎士でありフォースを使うドゥーグー伯爵が、共和国に反対する勢力を結集し分離主義勢力を形作ります。映画では、共和国と分離主義勢力の闘いが繰り広げられることになります。このシリーズのヒロインは、惑星バブーの女王であり元老院のメンバーであるパドメ・アミダラという美女です。

  ジェダイの騎士は、その崇高な精神性を保つために妻帯を許されていません。しかし、ジェダイの一員となったアナキンは、パドメの身辺警護をするうちに美しい彼女と恋に落ちてしまうのです。第1作、第2作は、アナキンの成長と恋を軸として、銀河共和国の内戦とジェダイの騎士の活躍を描いており、第3作への序章という位置づけでした。

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(「エピソード2 クローンの攻撃」ポスター)

  この構成は、「オリジナル・トリロジー」の構成を踏襲しています。かなり印象が異なるのは、「オリジナル」では第1作で大活躍する登場人物たちが皆、謎を秘めていて、1作ごとにその謎がベールを脱いでいくように明かされていくのに比べ、「プリクエル」ではサーガが進んでいく中で、明かされていく謎はあまりない、という点です。

  ところが、第3作では、「オリジナル」で謎とされた様々な出来事がすべて明かされることになります。そうした意味で、「エピソード6 シスの復讐」の面白さは、群を抜いています。今回、久しぶりに全編をじっくりと鑑賞して改めてその面白さに興奮しました。

  前作の分離主義者たちとのクローン大戦の3年後、ドゥーグー伯爵とドロイドのクリヴァス将軍に誘拐された元老院のバルバティーン最高議長。議長を救うために惑星コルサントの上空で分離独立系連合の戦隊へと闘いを仕掛けるオビ=ワンとアナキンの雄姿から映画は始まります。

  この第3作のスピード感は、まさに前トリロジーの「ジェダイの帰還」を彷彿とさせます。この作品の難しさは、SF活劇でありながら人間心理を描かなければならなかった点です。アナキンがなぜ暗黒面に引き込まれてしまったのか。ルーカス氏は、人間劇の難しさを映像のワンダーで解決しています。長い歴史を持つ銀河連合共和国がなぜ帝国に乗っ取られてしまったのか。

  人間劇としては、アナキンとパドメの間の深い愛情を描くことで、アナキンの葛藤を自然な動きに導いています。パドメはアナキンの子供を宿します。母シミを死なせてしまったことにトラウマを持つアナキンは、パドメが出産時に死の苦しみを味わう悪夢にうなされます。しかし、この悪夢は、皇帝が暗黒面のフォースの力で生み出した悪夢なのです。

  帝国の皇帝は、暗黒面のフォースをもつ伝説の男、ダース・ブレイガスが人の死を司る力を持っていたとの話をアナキンに吹き込み、暗黒面の力を備えればパドメを救うことが出来るとアナキンの心を揺さぶります。憎しみと怒り、それをアナキンに植えつけることによって皇帝はアナキンを暗黒面へと誘い込み、アナキンはついに皇帝の弟子となってしまうのです。

  ダース・ベイダーとなったアナキン。それを救おうとするパドメとオビ=ワン。映画は、ついにアナキンとオビ=ワンの最終対決へとなだれ込んでいきます。惑星ムスタファーで繰り広げられる二人の死闘は、まさにシリーズの集大成であり、最高にスリリングな映像となっています。


  ルーカス氏の監督作の中では、この「エピソード3 シスの復讐」は、「新たなる希望」とは異なる意味で最高の作品だと言えます。改めて、全編を鑑賞して感動を味わうことが出来ました。できれば、この作品を映画館でみたいものです。

  次作、「シークエル・トリロジー」の第3作も楽しみではありますが、やはりルーカス氏のすべてが詰まった「スター・ウォーズ」はこの作品で最後になったと思います。皆さんも、ぜひこの作品を改めてお楽しみください。ルーカス氏の夢が現実となったことを知ることが出来ます。

  やっぱり、「スター・ウォーズ」は傑作です。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2018年04月10日

更科功 人類の歴史は絶滅の歴史


こんばんは。


  ここのところ、「人類」という言葉に妙に反応します。


  その理由は、先日読んだジャレド・ダイヤモンド氏の「第3のチンパンジー」で示された、「人間とは何か」という根源的な問いへの分析を読んだせいです。この本の内容は、ジャレド氏自らが若者を集めて講義を行った番組「ダイヤモンド博士の“ヒトの秘密”」としてNHKEテレで12回に渡って放映されました。


  この本(講義)には、我々ホモ・サピエンスがこの地球上で如何に特殊な生き物であるかが語られていて、大きなワンダーに包まれました。ホモ・サピエンスは、700万年前に猿人種から枝分かれし、チンパンジーとヒトに分かれ進化してきました。この本にも語られていますが、ホモ・サピエンスは、アフリカで生まれ、「グレート・ジャーニー」を経て、全世界へと移動していきました。


  以前に読んだアリス・ロバーツ氏の著作「人類20万年 はるかな旅路」は、考古学者であるアリス・ロバーツ氏がナビゲーターとなり、たった一人の「アフリカのイヴ」から生まれたホモ・サピエンスが、どのようにアフリカから全世界へと移動していったのかを、全世界の遺跡を旅することで綴ったドキュメンタリーでした。


  先日、本屋さんを彷徨っていると、新書の棚から「人類」の文字が飛び込んできました。その題名は、「絶滅の人類史」。その文字に惹かれて思わず買い求めてしまいました。


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(NHK出版新書「絶滅の人類史」 amazon.co.jp)


「絶滅の人類史 なぜ『私たち』が生き延びたのか」

(更科功著 NHK出版新書 2018年)


  更科功さんは、分子古生物学者です。


  以前に読んだ「化石の分子生物学−生命進化の謎を解く−」(講談社現代新書)は、映画「ジェラシックパーク」に話から始まりました。琥珀の中に閉じ込められた新生代の蚊。その蚊の中には、蚊が吸った恐竜の血が綴じ込められていました。映画の主役である科学者は、その血液から恐竜のDNAの抽出に成功。恐竜のクローンを創りだすことに成功するのです。


  この本で知ったのは、生物の細胞の中にはミトコンドリアが生きており、ミトコンドリアのDNAには母方の染色体が変わることなく引き継がれるという事実です。つまり、生物の「ミトコンドリアDNA」を遡っていくと、その生き物の出自を知ることが出来るというのです。


  我々ヒトは、ホモ・サピエンスという種に属しているわけですが、ヒトの「ミトコンドリアDNA」を遡っていった結果、様々な類人猿や原人たちは我々の種とは異なっており、我々ホモ・サピエンスは、最後にはたった一人の「アフリカのイヴ」に行きつく、というのです。つまり、73億人になろうという我々「ヒト」は、全員がまさに兄弟なのです。


  今回、更科さんが挑んだのは、ご専門のDNAとは異なり、直近の考古学的研究から解き明かされた人類という種の歴史なのです。


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(「ミトコンドリアイヴが人を支配する」 amazon.co.jp)


【人類進化の謎】


  更科さんは、古生物学者らしく序章でこの本のテーマをわかり易く語ってくれます。


  我々「ヒト」は、ホモ・サピエンスという種に属しますが、進化論で語るときにはチンパンジーが一番近い種である言われます。人類が枝分かれしたのは、700万年前であることが分子生物学をはじめ最新の科学から定説となっています。


  氏は、そこからの700万年についての我々の思い込みを解きほぐすところからこの本をはじめています。


  実は、700万年前に枝分かれしたのは、我々人類とチンパンジーです。世間では、よくチンパンジーと人間を比較して生物としての特性を語ろうとしますが、進化という観点からは人類とチンパンジーを同じように考えることは誤解を生むと言います。それは、人類が枝分かれした後に700万年をかけてホモ・サピエンスに至ったのと同様に、チンパンジーも枝分かれをしてから700万年をかけて現存のチンパンジーに進化したのだと言います。


  そこで類似するのは、現在、人類で生き残っている種が人類であるのと同様に、チンパンジーも現在生き残っているのは、チンパンジーとボノボの2種だけだというのです。つまり、人類もチンパンジーも700万年の間には、様々な進化を遂げてきており、進化した結果だけを比較して2つの種を比較することは、進化の研究としては片手落ちだというのです。


  氏は、序章で、ヒトを特別にしている2つのテーマを語ります。この本では、この2つのテーマの謎を解き明かしていくことになるのです。


  そのひとつは、ヒトの特殊性です。ヒトは、生物全体から見れば極めて特異な性質をいくつも持っています。その特異な性質は、どのような進化の元に形作られてきたのか、その謎に迫ろうという試みがこの本の大きなテーマです。


  もう一つのテーマは、我々は現在、生き残った唯一のヒトであることです。700万年前に霊長類の中で分岐した人類は、700万年の間に25種が存在したことが分かっていると言います。


  更科さんは、運動会の競争を例にしてホモ・サピエンスが生き残った状況を語ります。我々は、地球上でもっとも繁栄した生物として、ホモ・サピエンスを認識しています。確かに我々は唯一生き残ることに成功した人類ですが、それは最も優秀な種だったことが要因なのでしょうか。


  運動会の徒競走で25人が競技を行うとします。もちろん、足が一番早ければ徒競走では一番となりますが、一番になるための方法は他にもあります。それは、自分以外の24人が運動会の当日に欠席していなくなることです。自分と同じような速さを持った24人が当日欠席すれば、徒競走では自分が一番になることが出来るのです。


  今の我々は、徒競走で一番になったと考えています。しかし、本当にそうなのでしょうか。人類の種である24種がすべて絶滅してしまった今、我々は、単に24人がいなくなったがために一番になっただけなのかもしれません。


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(動物を狩るホモ・サピエンス NHK人類誕生 cinra.netより)


  現在、我々はホモ・サピエンスを霊長類として分岐したもう一つの種であるチンパンジーとの比較で自らを語ろうとします。しかし、チンパンジーは、我々と同じように700万年の間に進化してきた別の種属なのです。この本の2つ目のテーマは、他の24種の人類と我々の関係を解き明かしていくところにあるのです。


【スリリングな種の探求】


  この本の目次を覗いてみましょう。


はじめに

序章 私たちは本当に特別な存在なのか

第1部 人類進化の謎に迫る

第2部 絶滅していった人類たち

第3部 ホモ・サピエンスはどこに行くのか

終章 人類最後の1種

おわりに 私たちは本当に特別な存在なのか


  700万年という時間は、気の遠くなるような時間です。我々ホモ・サピエンスが唯一の人類として生き残ったことは事実ですが、我々が地球に出現したのは20万年前にすぎません。(昨年30万年前と推定される化石が発見されていますが、まだ検証は確定していないようです。)


  まず、直立二足歩行が始まったのが、人類の第一歩と言われています。最初のホモ・サピエンスは、アフリカで生まれましたが、これまでの仮説では草原で生きるのに有利なように人類は直立二足歩行ができるように進化したと言われてきました。しかし、直立二足歩行は生物にとって有利なのでしょうか。


  チンパンジー、ゴリラは森林生活ですが、四足で生活しています。ヒヒの仲間は、草原で生活していますが、こちらも四足歩行、走行です。生命には連鎖があり、生物には天敵がいます。哺乳類の天敵は肉食獣です。肉食獣に襲われたときには逃げることが必要です。逃げる時には、四足走行が早く、直立二足歩行ではスピードが出ません。


  逃げることが出来る確率が下がるのに何故我々は直立二足歩行に進化したのでしょうか?


  そう考えると、人類の進化は本当に種が生き残るために有利な進化であったのか、すべてが疑問に満ちています。


  人類を特徴付ける進化の一つに牙の後退が挙げられます。人の犬歯はもともと戦うための牙でしたが、人類という属に進化した後、牙はなくなり、その跡を残すのみとなりました。戦うための武器をなくすことが、何故進化であったのか。


  また、人は猿人から原人、ホモ属に進化する中で、体毛をなくし肌を露出するようになりました。外敵から身を守り、寒さを防ぐための体毛はなぜなくなってしまったのか。それは、体毛がある状態ではできない体温調節を行うための進化でした。しかし、それはなぜ有利な進化なのか。


  氏の専門は分子生物学、つまり古代DNAの研究ですが、この本では最新の考古学的な成果からこうした謎に挑んでいきます。約500万年前に出現した猿人は、アウストロピデクスと命名され、アウストロピデクス・アファレンシス、アウストロピデクス・アフリカヌス、アウストロピデクス・ガルヒなどの種が化石として発見されています。かれらは、小ささから華奢型猿人と呼ばれます。


  そして、彼らと重なるように、バラントロプスと呼ばれるより大きく骨格が頑丈な頑丈型猿人の化石も発見されています。華奢と頑丈は、どんな関係で進化していったのか。こうした猿人の進化を追って、著者はさまざまな謎に挑んでいくのです。


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(骨を使う猿人 NHK人類誕生 cinra.netより)


【ホモ属への進化はなぜ起きたのか】


  そして、氏は、いよいよホモ属へと論議を進めていきます。


  世界各地で化石が発見されている原人は、猿人に続くホモ属です。ホモ属には、ジャワ原人、北京原人など、かつてピテカントロプス・エレクトスと呼ばれたホモ・エレクトスたちが属しています。そこから更なる進化を経て、20万年〜30万年前には、ヨーロッパにネアンデタール人として知られるホモ・ネアンデターレンシス生まれ、アフリカでは、ホモ・サピエンスが生まれたのです。


  人類は、森林が減少してから疎林となった草原へ下り、直立二足歩行へと踏み出し、牙を捨て、肉食となり、石器を手に入れることになります。石器から武器へとの移行は劇的な変化でした。死んだ動物の肉や骨髄を、石器を使って引きはがして食べる文化から、あるときに武器を使って生きている動物を狩る文化へと変化したのです。


  ホモ属となった人類は、脳を進化させ続けました。


  そして、約5万年前には、我々人類は、ネアンデルタール人と我々ホモ・サピエンスの2種だけとなりました。ネアンデルタール人の脳は、ホモ・サピエンスよりもかなり大きかったことが分かっています。なぜ、大きな脳を持ったネアンデルタール人が絶滅し、脳を小型化したホモ・サピエンスが生き残ったのか。


  最後に著者は、その疑問へと挑んでいくことになるのです。


  今月、NHKスペシャルでは、ちょうどこの本をなぞるように、「人類誕生」という特集番組を3回に渡って放映しています。第1回は、人類の進化に起きた逆転劇をすばらしいコンピュータグラフィックによって画像として表現していました。最新の考古学を駆使して語られる人類誕生の秘密に興奮しました。


  NHKの番組は、一般受けするように創られていますが、この本は、科学としての合理性をわかり易く説明してくれます。その意味で、その両方を知ればその面白さが増加することになります。興味のある方は、この本を手に取ってください。「人類」のワンダーが引き立つこと間違いなしです。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年03月22日

権藤博 二宮清純 勝つためのマネジメント


こんばんは。


  野村克也さんの野球本は、壮絶なキャリアから生まれた実践的野球論であり、これまでのプロ野球の歴史をちりばめて、その戦略と選手を育てるすべを語ってくれます。江戸期、平戸藩の藩主であった松浦静山の言葉、「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」とは、野村氏がいつも語る言葉ですが、その実践的な野球本は、本当に面白いものでした。


  野村さんの野球本を読むと、それ以上に面白い本にはなかなか出会うことがありません。


  ところが、先日、本屋さんで手に取った本は、久々に夢中で読める面白い本でした。


「継投論 投手交代の極意」

(権藤博 二宮清純著 廣済堂新書 2017年)


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(本格的プロ野球論「継投論」 amazon.co.jp)


【横浜ベイスターズ 38年ぶりの優勝】


  ヤクルトファンにとって、1998年の横浜ベイスターズには因縁があります。


  1992年から野村克也氏がヤクルトの監督となり、ヤクルトの黄金時代がはじまりました。1978年の広岡采配に魅了され、その時からヤクルトファンとなりましたが、野村ヤクルトのID野球は劇的で、ヤクルトファンには、その時代を忘れることが出来ません。(広岡監督時代には、松岡投手や安田投手、杉浦選手の活躍に胸を躍らせたものでした。)


  このヤクルト黄金時代は、1997年まで続き、1997年には、日本シリーズで東尾西武を破り3度目の日本一に輝きました。しかし、翌年、横浜ベイスターズは、ヤクルト出身の大矢監督から権藤監督に交代。シーズンの6月終了時点で首位に立つと、2位中日の追撃をかわし、そのままセリーグ優勝を飾ったのです。


  この優勝は、1960年に大洋ホエールズが三原監督のもとで優勝して以来、なんと38年ぶりの優勝でした。この年のベイスターズは、シーズンの強さをそのままに、日本シリーズでも西武を破り、これまた38年ぶりの日本一の栄冠を手にしたのです。


  この年、4位に甘んじたヤクルトでは、黄金時代を築いた野村監督が退団し、ヤクルト生え抜きの若松打撃コーチが監督に就任しました。このときにヤクルトの黄金時代を終わらせたのが、権藤監督率いる横浜ベイスターズだったのです。


  ベイスターズは、確かに強かった。打者では、2000本安打を達成したスラッガー、石井琢朗選手やハマの安打製造機と呼ばれた鈴木尚典選手、最強の助っ人ロバート・ローズ選手、そして巨人から移籍した駒田徳広選手とのラインナップ。打ち始めたら止まらない「マシンガン打線」と呼ばれました。


  投手では、なんといってもハマの大魔神こと佐々木主浩投手が、45セーブをあげ、抑えのエースとして、最後を締めくくりました。このときの先発投手も素晴らしく、今やレジェンドともいえる斎藤隆投手や野村弘樹投手、ハマの番長こと三浦大輔投手、元近鉄のエース阿波野投手など、そうそうたるメンバーがそろっていました。さらに捕手は攻守に活躍した谷繁元信捕手でした。


  権藤監督は、このシーズンに投手の方程式を確立し、先発完投を基本とせずに中継ぎ、抑えの分業体制を確立し、勝ち越している試合の最後を伝家の宝刀フォークボールを持つ、大魔神佐々木投手で締めくくったのです。


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(1998年 横浜ベイスターズ38年ぶりの優勝)


【大投手の活躍と悲哀】


  古くからのプロ野球ファンであれば、権藤さんと言えばすぐに思い出すフレーズがあると思います。それは、「権藤、権藤、雨、権藤・・・・。」というものです。1961年に中日ドラゴンズに入団した権藤投手は、その年にエースとなり、69試合に登板。あまりに連投が続いたため、当時対戦していた巨人の投手が、記者に語った言葉から流行語になったと言います。


  その年、35勝(19敗)をあげ、防御率はなんと1.7。沢村賞、新人賞を受賞しました。翌年も活躍は続き、61試合に登板、30勝(17敗)を挙げて、2年連続最多勝を受賞しました。しかし、3年目からは、肩痛になやまされ、思うように成績が上がらず、一時は野手に転向しましたが、1969年のシーズンに引退しています。


  その後は、各球団から投手コーチとして招かれ、中日、近鉄、ダイエーで投手コーチとして実績を残し、1997年に横浜ベイスターズのバッテリーチーフコーチに就任。前年最下位だったベイスターズを2位に引き上げました。その手腕を買われ、1998年には監督に昇格。1年目でチームをみごと38年ぶりの日本一に導いたのです。


  野球の話になるとすっかり盛り上がってしまいますが、今回の本は、その権藤博氏とスポーツライターの二宮清純氏の対談本です。


  権藤氏は、その手腕を買われて日本代表サムライジャパンでも投手コーチを務めていますが、ベイスターズで見せた先発、中継ぎ、抑えのさい配の妙は、現在に至るまで健在です。当時、大魔神 佐々木投手が挙げたシーズン45セーブは、当時の日本プロ野球記録。佐々木氏は、その後メジャーリーグでもクローザーとして活躍し、通算で381セーブという大記録を打ち立てています。


  この本で語られる権藤氏の監督、コーチとしての考え方は、現在のプロ野球では理論的にも精神論的にもきわめて合理的なものです。


  権藤氏が現役であった1960年代。投手は、先発完投型が当たり前で、中継ぎや抑えは先発完投がかなわない投手の役割と考えられてきました。当時は、打撃技術も稚拙で、クリーンナップさえ押さえればあとのバッターはなんとかなる、という状況でした。その後、バッティングマシンが向上し、さらにボールの飛距離も伸びて、3番から5番以外の打者も平気でホームランが打てる技術を身に着けています。


  こうした時代には、「先発完投型」の投手だけでシーズンを勝ち抜くことはできません。


  この本の中で、権藤さんは、現代の野球はチームにできるだけたくさんのヒーローを出すことが、チームの一体感に繋がり、さらには勝利につながると語ります。ベストゲームは、32で勝つゲームだ。この考え方は、先発が6回まで自責点2点以内で抑え、9人の打者の活躍で3点を獲得し、7回、8回を二人の中継ぎで抑え、9回をクローザーが締めくくる。


  先発完投型では、ヒーローは1名しかいないが、中継ぎ、抑えがいれば、4人がヒーローとなって勝利することが出来るのです。権藤氏の考え方は、「勝利」を得て、さらにチーム内にできるだけ多くのヒーローが出ることでチームは活性化し、勝つことの連鎖を起こすことが出来るというものです。


【プロ野球で勝つためには】


  さて、思わず読み込んでしまう本書の目次を見てみましょう。


1章 「みんなを幸せにする」継投論ー先発完投型社会は終わった

2章 打たれる前に代えるーヒューマニズムの継投論

3章 「やられたらやり返す」継投論ー継投の基本と難しさ

4章 フォアボールを出す勇気を持て!-配球とサインの極意

5章 継投の役割論ー役割をどう決めていくのか


  最新の野球本だけに、昨シーズンにおける各チームの分析も語られます。


  例えば、2017年のソフトバンクホークスは、なぜ優勝できたのか。それは、ソフトバンクが先制した試合の勝率を見ればわかります。先制点を挙げた試合の成績は、なんと718敗。その勝率は、9割に近いのです。もちろん、打線の力がなければ先制点は取れませんが、先制点を守る投手力がなければ、これほどの勝率はあり得ません。


  さらに、6回をリードした試合では、741敗。7回からは、中継ぎで岩嵜、モイロネが2回を無得点で抑え、9回になればサファテがピシャリと抑える。この勝利の方程式がシーズンを通して機能し、サファテはなんとシーズン47セーブを記録しました。


ホークスサファテ02.jpg

(47セーブを挙げたホークスクローザーサファテ)


  セリ−グでは、阪神の中継ぎが充実しており、マテオ、桑原、岩崎、藤川、高橋など、多くの試合に登板して防御率も1点台を維持しています。さらにドリスのクローザーとしての役割も充実しており、2017年のシーズンは、36セーブを挙げています。この投手陣の起用が、2位に輝いた要因であると言います。これに比べて、昨年の巨人は、先発を重視し中継ぎ、抑えが不在であったために逆転されるケースが多く、球団ワーストの13連敗を記録してしまいました。


  こうした分析だけでなく、権藤氏の話は、投手心理から「勝つ」ためのマネジメントまで、合理的な監督・コーチのあるべき姿に及びます。


  例えば、抑え投手の起用方法。プロの投手には、プライドがあり、なかなか弱みを見せようとしません。中継ぎ投手や抑え投手は、毎回「打たれてはいけない」というプレッシャーと戦っています。良い投球をしているときにこそ、早めの交代が必要だと言います。


  打たれてから変えると、投手は打たれたことを引きずって自信を失います。それでも打たれたとき、権藤さんは、すぐにリベンジの機会を与えることが必要と言います。「やられたらやり返す。」これが勝負には必要。リベンジに成功した投手は、失敗を引きずらず、すぐに自信を取り戻します。


  しかし、中継ぎ投手、抑え投手にとって、「回またぎ」は御法度だと言います。投手は、誰でも完璧に抑えた後に来る時間が魔物だそうです。8回途中から登板し、完ぺきに抑えベンチに戻る。9回表の味方の攻撃の間の10分間。投手はいろいろなことを考えてしまう。一度、盛り上がって途切れた集中力は、二度と戻らないと言います。あの大魔神ですら「回またぎ」は鬼門だったそうです。


【選手指導は御法度?】


  また、選手に教えることのマイナスの話もためになります。


  氏は、中日のコーチ時代にアメリカに視察に行ったとき、これまでの考え方が180度変わったと言います。日本では、監督やコーチは選手を指導することが仕事だ、という考え方がありますが、氏はそのことを否定します。


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(侍ジャパンで投手コーチを務める権藤氏(左))


  ルーキーリーグの選手を見たときに、最下層では外野フライもまともにとれない選手がたくさんおり、そうしたルーキーに丁寧に教えるコーチを見て、自分のコーチとしての横柄な姿勢に気が付いた、と言います。日本では、リトルリーグから高校野球、社会人野球と子供のころから野球を目指す人材は、数えきれないほどの研さんを積んでいます。その中で、頭角を現し、人よりも優れた能力を持った人間がプロ野球に入るのです。


  日本のプロ野球選手は、すでに最上級の技術を持っており、1軍の監督やコーチは、その技術を試合の中でどう生かして(どのように登用、配置して)毎日の試合に勝つかを実践するのが仕事であり、選手を指導することは仕事ではない、と語ります。


  さらに、氏はルーキーリーグで、バッティング技術が未熟でどうしてもコーチの言った方向に球が飛ばない選手を眼にします。思い余って、「タメをつくるんだ。」とアドバイスをしたところ、ボールがうまく当たるようになったのです。この選手は、コーチに氏のアドバイスのおかげで、当たるようになったと報告しました。


  それを聞いたコーチは、権藤氏のところにやってきて言いました。「ミスター、ゴンドウ。教えてくれるのは有り難いけど、教えられて覚えた技術はすぐに忘れてしまう。自分でつかんだコツは忘れない。」つまり、教えるよりも、自ら覚えさせることが大切だ。教えすぎてはいけない、ということなのです。


  この体験から権藤氏は、選手の指導は監督・コーチの仕事にあらず。選手の力を見極めたうえで、「やられたら、やり返せ」とい檄を飛ばし、様々な機会を与えることが監督、コーチの仕事であると学んだと言います。



  この本は、現代プロ野球の継投論、組織論を、筋道を立て、わかり易く語ってくれます。そのマネジメントは企業の組織論にもつながります。さらには、コーチングの技術。野球好きにはもちろん、組織の一員である我々にも思い当たることがたくさんあり、アッと言う間に時間が過ぎてしまいます。皆さんも、ぜひこの本を手に取ってみてください。楽しめること間違いなしです。


  今年もいよいよ開幕間近。この本を読むと、開幕が今まで以上に楽しみになります。まだまだ話したりないのですが、きりがないので、本日はこれでお開きにしたいと思います。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年03月18日

米澤穂信 人の心の奥底にあるもの


こんにちは。


  米澤穂信氏と言えば、2001年に角川書店のスニーカーシリーズで、高校生探偵、折木奉太郎が名推理を披露する「氷菓」で、文壇デビューを果たしました。折木くんは、進学校である神山高校の1年生。姉からの強烈な推薦で、廃部寸前の古典部に入部。その部員たちと様々な謎に挑んでいくこととなり、シリーズはすでに6作を数えています。


  家でもアニメ好きの子供たちが「氷菓」の面白さを語っていたので、作者の名前は良く知っていましたが、ヤングアダルト向けの本との印象が強く、これまで手に取ったことはありませんでした。


アニメ氷菓文化祭01.jpg

(アニメ「氷菓」イベント 高山市ブログより)


  先日、本屋さんでいつものとおり本を眺めていると、作者の名前に目が留まりました。その帯には、「週刊文春ミステリィ」、「このミステリィがすごい!」、「ミステリィが読みたい」のランキングで、3冠を獲得。第27回山本周五郎賞受賞。と書かれていました。


  これまでも氏は、日本推理作家協会賞や本格ミステリィ大賞を受賞したことは知っていたのですが、山本周五郎賞に惹かれました。


  山本周五郎賞と言えば、古くは佐々木譲氏の「エトロフ発緊急電」や宮部みゆき氏の「火車」、帚木蓬生氏の「閉鎖病棟」。近年では、恩田陸氏の「中庭の出来事」、原田マハ氏の「楽園のカンヴァス」などなど、人々の心のひだを描く名作が目白押しです。


  それでは、と他の本と共にこの本を購入しました。


「満願」(米澤穂信著 新潮文庫 2017年)


  その短編の妙に思わずうなりました。


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(新潮文庫「満願」 amazon.co.jp)


【短編の楽しみ】


  芥川龍之介や梶井基次郎以来、日本人は短編小説の魅力に魅了されてきました。


  短編小説は、短い中で一つの世界を創りだします。そこには、みごとなプロットと起承転結があり、あざやかな「結」があることが傑作の必要条件になると、勝手に考えています。もちろん、短編連作という書き方もあり、同じ世界観を持った短編小説が一冊の本となった時に、その面白さを発揮する、という場合もありますが、世界観は異なっても、読み終わってみると各短編にはひとつのテーマが通底しているという本もあります。


  今回の作品は、まさにそのお手本のような短編集です。


  もともと米澤さんは、ミステリィ作家ですので、そこにはサスペンス、謎解きがギッシリと詰まっています。今回の「満願」は、通底するテーマを持ちながら、すべての作品でその世界が完結しており、その見事な手腕に翻弄されて、すべてを読み終わった後に大きな感慨が訪れます。


  まずは、この作品が山本周五郎賞を受賞したときの選考評を読んでみましょう。


  まずは、独自の連作短編の世界を作り上げているベストセラー作家の選評。


  「この作品には6本の短篇が収められている。ひとつとして似たような設定はないし、ていねいな取材を欠かしたものもない。一冊で長篇数本分のアイデアと設定を惜しみなく使用している。書き手がまだ若いうちにしかできないタイプの、内容の濃い贅沢な短篇集だった。」「これはプロの作家の仕事で、しかも書くこと自体をみずから楽しむことで読者も楽しませるという、エンターテインメント小説の理想形となった。」


  次に、近年話題作を連発している女流作家の評。


  「最初の『夜警』がまずすばらしい。」「(収録六篇の)おそらくどれも、小説というかたちでしか作れない世界である。そのどこにも、大胆だったり繊細だったりする罠が仕掛けられていて、かならず毎回、思わぬところで驚かされる。」「『柘榴』もそうだし、表題作もそうなのだけれど、男女の、恋愛という言葉にはくくれないような、薄気味悪さも含めた機微があれば、もっと完璧に入りこめたのではないか、と思わずにはいられない。」


  そして、ミステリィ、推理小説の大御所、本賞や直木賞も受賞している大物氏の評。


  「今回はほぼ満場一致で米澤穂信さんの『満願』が受賞と決まった。わたしもこの作品を一番に推した。」「一作ごとに異なった世界や題材を扱っているが、どの作品も語り口が巧みでクオリティが高く、きわめて安定感がある。米澤さん会心の、ポートフォリオ的作品集とも言えるのだろうか。」「いくつかの作品には、惜しいと唸ってしまった。どれも、構想段階でのあと少しの詰めで解決したことではないかと思うが。」


  選者は、このほかにもいらっしゃいますが、長くなるのでお三方の評にとどめさせていただきます。


  中には辛口の評もありますが、この作品が満場一致で受賞したことは間違いなく、確かにこの本には、短編小説の魅力が詰まっています。


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(短編「満願」収録のアンソロジー amazon.co.jp)


6編に通底するテーマは?】


  この短編集には、6編が収録されていますが、そのすべてに共通しているのは、「罪」です。「罪」というと「犯罪」が頭に浮かびますが、決してそれだけではありません。「犯罪」ではなくとも、「人として道義的に許されない行為」も「罪」に当たります。


  小説には、キャラクターとプロット、そして筆力が重要です。この作品集は、様々な主人公が、ミステリィとして6つのワンダーなプロットを繰り広げます。もちろん、米澤氏のそれぞれの短編に併せた表現によりみごとに緊張感やたおやかさを醸し出しています。


  その6編に共通する「罪」の奥には、「動機」があります。「罪」を犯すからには、必ずそこに動機が存在しているのです。しかし、動機を説明してしまえば、小説の底が割れてしまいます。長編であればともかく、この短編集のワンダーは、主人公たちが短い物語の間で、どのような人生を過ごし、どれだけ切実な思いを持って「罪」に至ったのか、を語ることによってもたらされているのです。


  最初の短編「夜警」を読み終わったときに感じたのは、「暗い」読後感でした。


  この小説は、ベテランの交番勤務の警官が新人警官の配属を受けるところから始まります。一貫しているのは、警官に向いている人間と向いていない人間がいる、という語り部であるベテラン警察官の述懐です。事件が起き、人が死に警察組織はその事件にどう対応していったか。その事件の動機に隠された真実が追われていき、そこにワンダーが生まれるのですが、やりきれなさを感じます。


  そして、2編目の「死人宿」へと進みます。舞台は全く変わり、辺鄙な山奥にポツンと建っている温泉宿に主人公が車で向かうところから物語が始まります。この温泉宿は、宿から下って行った先に露天風呂があり、その先に向かうとあまりに多量な硫黄によって、人は中毒死してしまうという危険な温泉を有しています。題名が示す通り、この宿は自殺のメッカなのです。


  そこで繰り広げられる推理劇は、ワンダーです。


  この小説を読んで思い出したのは、手塚治虫氏の名作「ライオンブックス」(少年ジャンプ版)に収められたSF作品「安達が原」です。この短編は、人間の持つ業の深さを見事に描いて、読んだ時には心が震えました。この話は、鬼婆退治で有名な「安達が原の鬼婆」伝説を原作としており、「黒塚」という能にもなっています。


  未来の地球。反政府運動に身を投じていたユーケイは、政府に逮捕され宇宙の流刑星に流されます。しかし、流刑惑星に到着したとたん、政府転覆の知らせを受け、地球に帰還。新大統領によって、宇宙調査官に任命されます。


  あるとき彼は、とある星に住む老婆の殺害を命令されます。その老婆は、その星に到着した人間を捕えて殺し、物資や食料を奪っており、人の肉も食らうていると言います。ユーケイは、探索の末その星にたどり着き、老婆を見つけ出します。老婆は、ユーケイを親切に招き入れ、手作りの料理でもてなします。


  証拠を押さえてから殺害するよう命を受けていたユーケイは、夜に寝室を抜け出して、地下室を探索します。すると、そこには、肉をはぎ取られた人骨がたくさん捨てられていたのです。地下室を見られた老婆は、「なぜ、地下室を見た。」と恨めしくユーケイをなじりますが、覚悟を決め、殺される前にユーケイの身の上話を聞かせてほしいと頼みます。


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(「ライオンブックス」 アニメDVD rakutenbooks)


  ユーケイが流刑惑星を往復したのは、冷凍冬眠によるワープでした。往復する間、地球では60年の年月が経っていました。反政府軍と戦っていた60年前、ユーケイには最愛の恋人、アンニーがいました。地球に帰還してから、アンニーの消息を探しましたが、手がかりさえつかめません。


  革命政府が成立した後、新大統領は最初こそ自由開放を掲げていましたが、すぐに独裁政権に早変わりし、アンニーは、昔の恋人を想い、新政府に対して反旗を翻し女性闘士として反独裁政権運動を繰り広げたのです。追い詰められたアンニーは、地球を脱出し、追っ手をまいてある星に隠れ、恋人の帰還を待ちました。


  老婆は、革命政府に反旗を翻し60年の間闘争を続けたアンニーその人だったのです。許しを乞うユーケイに、アンニーは静かに言います。「あなたのアンニーは、もうどこにもいない。ここにいるのは人食い老婆。早く任務を遂行しなさい。」


  任務遂行ののち、泣きながら残った手料理を頬張るユーケイ。


  なんという不条理なのでしょうか。その切実さが、米澤氏の短編集に通底しています。


  第三話の「柘榴」は、女性の持つ性(さが)を描いた作品として、不思議な情感を醸し出しています。非常に整った美しい容姿であることに気付いた女性が、自らの容姿を利用して、男性を手中のものとしようとする物語です。その親子二代にわたる物語には戦慄を覚えます。その筆致も見事です。


  この作家の物語ごとに全く異なる変異は、さすがプロの作家と思えます。評にもありますが、「一冊で長篇数本分のアイデアと設定を惜しみなく使用している」とは、まさにその通りです。


  自らの仕事を全うするために「罪」を犯す男を描いた「万灯」は、ラストの展開が見事で、思わずうなってしまいます。そして、「関守」には、まるで「安達が原」に出てくるような情念を秘めた老婆が登場します。


  この短編集の最後を飾る「満願」。これも殺人事件を題材としたクライムストーリーなのですが、最初から登場するたおやかな女性がなぜ殺人を犯したのか。その女性のおかげで、苦学して弁護士となった語り部が、全力を尽くして女性の刑を軽くしようと尽力します。しかし、途中まで控訴に同意していた女性は、ご主人の死を知ったそのとき、控訴を取り下げます。


  そこには、想像を超えた「動機」が情念の底に隠れていたのです。



  名手による短編集は、たくさんのワンダーを教えてくれました。最初に感じた「暗さ」は、いつのまにか、芳醇な短編小説を味わった満足感へと変わっていきました。


  皆さんも、ぜひ、この本で短編小説の面白さを味わってみてください。人の不可思議さとワンダーに心を動かされること間違いなしです。本当に、良い小説を読むことは人生の楽しみです。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2018年03月12日

手島龍一 佐藤優 最新のインテリジェンス


こんばんは。


  ピョンチャンオリンピックへの応援美女軍団の派遣、そして金正恩の実の妹である金与正氏が韓国の文大統領と会談し、微笑み外交を繰り広げたのは、1カ月ほど前の出来事でした。


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(オリンピックで会話する与正氏 jiji.com)


  思えば新年のあいさつで、北朝鮮の金正恩労働党委員長は、オリンピックを通じての南北融和をほのめかしていました。しかし、オリンピックを境として、北朝鮮は劇的にこれまでの姿勢を転換してきたのです。金与正氏の訪韓にこたえる形で、35日には、韓国から北朝鮮に特使が派遣されました。


  特使が金委員長に会えるのかが焦点、とマスコミが報道する中、金正恩委員長はアッと驚く政策の転換を図ったのです。金委員長は、特使と直接会談するばかりではなく、これまで相手にもしなかったアメリカの前提条件をすべて受け入れる姿勢を示したのです。


  それは、北朝鮮の非核化の受け入れ、長中距離ミサイル実験の凍結、そして、米韓合同軍事演習実施の容認でした。そのうえで、金委員長はアメリカ大統領との直接会談の仲介を韓国に依頼したのです。一昨日、北朝鮮に特使として派遣された鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家保安室長は、急きょアメリカに飛び、トランプ大統領に直接会談の内容を報告したのです。


  そして、トランプ大統領は、すべての条件が受け入れられたことを踏まえて5月末までに、金委員長と会談を行うことを決断し、記者団に発表しました。


  この急転直下の動きに驚かない人はいないと思います。なぜなら、金氏がアメリカを口汚くののしり、強硬にミサイル、核実験を続けていたのは、つい3ヶ月前の話なのです。


  金正恩委員長は、どこまで策士なのか。底知れないものを感じます。その発言は、常に先手を取っていなければ気が済まないものと感じられます。政権内で、兄の金正男氏を担ごうとする動きが見えるや、側近を処刑、兄を暗殺。中国やアメリカに対しても弱気な姿勢は全く見せず、常に先手を取って相手を威圧します。


  今回のトランプ大統領との会談もピョンチャンオリッピックと韓国の政策を見事に利用して、アメリカに会談を承諾せざるを得ない条件を突きつけた点は、先手を取る金委員長の常とう手段と思えます。それに易々と応じるトランプ大統領もさすがディールを得意とする大物と感じます。


  どちらにしても、今回の一連の出来事は、独裁者である金委員長とアメリカに独裁的権力を有するトランプ大統領だからこそ、驚きのスピード感でものごとが決まっていったと言えるのではないでしょうか。


  さて、独裁と言えば、今週はインテリジェンスを謳う手島龍一さんと佐藤優さんの最新の対談本を読んでいました。


「独裁の宴 世界の歪みを読み解く」(手島龍一 佐藤優著 中公新書ラクレ 2017年)


【北朝鮮へのインテリジェンス】


  インテリジェンスを駆使して現在の国際情勢の本質を語るお二人の対談は、すっかり定着し、出版元は異なりますが、すでに5巻を数えます。


  手嶋修一さんは、元NHKのワシントン支局長を務め、9.11.のときには昼夜を問わない取材、レポートで我々にもすっかりおなじみとなりました。その米国における人脈と情報力では、右に出る人はいないと言われています。


  一方の佐藤優さんは、「外務省のラスプーチン」と呼ばれ、外務省の分析官時代には、旧ソ連が崩壊する過程においてロシア領事館から貴重なインテリジェンスを日本外務省に伝え続けたことは有名です。そのロシアやイスラエルに築いた人脈と情報力は、未だに衰えを知りません。


  佐藤氏は、これまでも現代世界が「新帝国主義」に向かって進んでいるとの認識を示し、これまでも手嶋氏と共にウクライナ情勢や東アジア情勢に鋭いインテリジェンスを披露してきました。


  そのお二人が今回、語るのは最新の日本を取り巻く国際情勢です。


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(最新のインテイジェンス本 amazon.co.jp)


(本書の目次)


第1章 「北の脅威」を検証する

第2章 米朝が“結ぶ”これだけの理由

第3章 ニッポンを知らないトランプ、トランプを知らない日本

第4章 「一つの中国」への転換にみるトランプの政治手法

第5章 気がつけば「独裁化」が進む世界

第6章 衰弱化した政権党が主導する「改憲」に勝算はあるのか

第7章 地政学を語り、「非核一・五原則」へ舵を切れ


  独裁者というと、歴史的にはヒットラーが思い浮かびますが、現在の世界には独裁者がうずまいています。北朝鮮は、建国以来金一族が世襲を続けており、民主主義を謳いながらも典型的な独裁国家です。金正恩委員長は、2011年の12月、父の金正日総書記の逝去に伴い20代でその跡を継いでいます。


  「卓越した領導者」として父親を承継した金正恩委員長は、2012年から2013年にかけて、前政権の主導者たちを次々と解任、同時に粛清も行い自らの地位を盤石なものとしました。その後は、核兵器開発とミサイル開発を国是として進めてきました。最初こそ、人工衛星の打ち上げを隠れ蓑にしていましたが、その後、核実験を行い、次々とミサイルの発射実験を繰り返したことは、ご存じの通りです。


  この本の対談では、北朝鮮が大陸間弾道弾の実験に成功し、アメリカや日本を挑発し続けているところからその情勢分析がはじまります。


  手嶋氏は、独自のアメリカ人脈から、アメリカの「デッドライン」についての分析を語ります。アメリカは、当初、北朝鮮の技術開発がもっと遅いペースで進んでいると考えており、米国本土への核弾道攻撃が可能となれば、北朝鮮を攻撃する可能性がある、としていました。


  11月に北朝鮮が「火星15」の発射実験を成功した、と発表しました。この「火星15」は、三段式の大陸間弾道ミサイルであり、北朝鮮は、このミサイルによってワシントンの攻撃が可能になったと発表しました。


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(火星15号の打ち上げ asahi.com)


  これを受けて、アメリカの「デッドライン」は、曖昧になったと分析します。


  もともと、アメリカには北朝鮮の核開発への対抗手段として、限定爆撃などの直接攻撃は念頭にないと佐藤氏は分析します。もしそうだとすれば、北朝鮮が核兵器やミサイルを保持した時に直接の危険にさらされるのは、日本と韓国だと言います。


  つまり、アメリカの同盟国としてアメリカの政策に追随する日本は、日本の置かれた地政学的な危険をキチンとアメリカに理解させるべきだ、というのです。そうした点で、安倍政権の対アメリカ政権への対峙の仕方はなまぬるいと指摘しています。


【独裁化へのインテリジェンス】


  お二人のアメリカ トランプ政権に対する見立ても読みごたえがあります。


  手嶋氏は、大統領選挙の終盤にトランプ政権誕生の可能性をいち早く肯定したと言います。そのときには、アメリカの知人たちにその見解で、手嶋氏がマスコミでのステイタスを失うことを心配されたといいます。


  しかし、手嶋氏の知見は、実際のアメリカの国民構造に根差したものだったのです。トランプ大統領が選挙に勝利した要因はアメリカの「バイブルベルト地帯」、とのくだりは、目からうろこが落ちました。アメリカには、生粋の保守層の人々が8000万人以上も生活しており、彼らは、自らの「精神の王国」に政権が介入することを許さないといいます。その教育も公共機関には負わせず、代々教会から送られてくる教科書で各家庭において子供を教育するのです。


  そうした人々に支持されるトランプ氏のユニークさは、この本で味わっていただくとして、この本には現在の国際社会を読み解く切り口満載です。


  危機管理で関して言えば、意思決定の速さは議会制民主主義の国と独裁の国では比較になりません。核戦略や宗教対立でカモフラージュされたからのテロ、拡大していく軍備、経済危機への対応を含めて、議会制民主主義の国では、一定多数決が求められますが、独裁の国では独裁者の決断がすべてを決定します。


  しかし、佐藤氏が指摘する、民主主義はある意味で独裁政権と相性が良い、との指摘にはゾッとします。


  この対談では、金正恩、トランプ大統領の他にもプーチン大統領、習金平国家主席など、独裁色を強めている首脳たちも分析されます。


  例えば、プーチン大統領は北朝鮮をどう考えているのか。佐藤氏は、明確にその位置づけを分析しています。曰く、「北朝鮮への基本政策は、恐らく『外交上の手駒として使わしてもらう』ということではないかと思うんですよ。ただし、プーチンは北朝鮮を信用はしていません。率直に言って面倒臭い連中だとおもっているはずです。」


  また、各国外交の過去の姿にも鋭い分析が飛び交います。


  例えば、トランプ大統領が就任した直後、台湾問題で台湾の総統と電話会談を行い、得意のツイッターで「ひとつの中国」には縛られないという趣旨の発言をして、中国をあわてさせました。「一つの中国」は、米中国交化正常化のときにキッシンジャーと周恩来が外交的知見で知恵を絞った最重要のワードだったのです。


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(関税賦課の大統領令に署名 wsj.com)


  その機微をお二人は、この本で改めて教えてくれますが、「一つの中国」という言葉への理解は、中国とアメリカではそもそも異なっているのです。その奥深い知見はぜひこの本でお楽しみください。


  その過去をトランプ大統領は全く知らずに不用意にツイッターしたために、中国はすかさず反論しました。その後、アメリカ国務省がその意味をトランプ大統領にブリーフィングしたらしく、トランプ大統領は、すぐに「一つの中国」との概念を尊重する旨の発言を行いました。


  さらに、ヨーロッパで相次いで発せられた電気自動車へのシフト。佐藤氏によればその意味は極めて奥が深く、その戦略はエネルギー政策の未来を予見したうえでの戦略だと語ります。


  最後に、この本は、日本政府が向かうべきエネルギー政策と防衛政策へとつながっていきます。ここでのお二人のやり取りは、佐藤氏が持論を語り、手嶋さんがそれを幅広く肯定するという形を取っています。佐藤氏の主張は、以前から変わらず、かなりの違和感を覚えますが、そのシミュレートに基づいたシナリオは、一つの見識であることに間違いありません。


  この点では、手嶋さんの大人の対応にもどかしさを覚えるのは、私だけでしょうか。



  どちらにしてもお二人のインテリジェンスシリーズは、通常の報道の裏側に潜む真実を解き明かしてくれるとともに、未来への指針を示唆してくれます。皆さんもこの本で、最新のインテリジェンスに触れてみてはいかがでしょうか。


  北朝鮮、中国、アメリカ、そして日本が置かれた現実を垣間見ることが出来るに違いありません。


  それにしても日本外交の現在のインテリジェンスはだれが担っているのでしょうか。気になる所です。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。

 

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2018年03月04日

本田靖春 ノンフィクションの金字塔


こんばんは。


  先週閉幕したピョンチャンオリンピックは、本当に手に汗握る感動にあふれていました。


  羽生結弦選手のオリンピック2連覇の演技にもシビレましたが、スピードスケート女子のメダルラッシュには、本当に感動しました。特に、女子パシュートの高木菜那、高木美帆、佐藤綾乃、菊池彩花の4人は、一糸乱れぬ隊列と完璧なチームワークで、宿敵を破り、みごとな金メダルを獲得しました。途中で、オランダに先行されたときには、ハラハラしましたが、最後にはスタミナが続かないオランダ勢を抜いて、オリンピックレコードで1位を獲得したのです。


  同様に我々に感動を与えてくれたのが、女子カーリングです。予選で破竹の連勝を飾りましたが、あと1勝で初の準決勝に進むというときに、イギリス、スイスに連敗し、本当に悔しい思いをかみしめました。そのインタビューを受けている最中に、スウェーデンの選手たちが、後ろを通り、お互いの健闘をたたえて笑顔で日本選手たちと抱き合っていたのが、とても印象的でした。


  スウェーデンがアメリカに勝って、日本が準決勝に進むことができたのも何かの因縁があったのかもしれません。準決勝でのSL北見の戦いは、見事でした。日本戦の1敗以外には1つも負けのない韓国との1戦は、目の離せない展開でした。ビッグエンドを渡してはいけないとの戦前の注意にもかかわらず、日本は第1エンドで3点を献上してしまいます。しかし、そこからの日本女子の粘りはすさまじく、第9エンドでついに同点に追いつきました。


  その最後は、地元開催である韓国の意地が日本を上回り、日本は惜敗したのです。


  イギリスとの3位決定戦は、これまた因縁の戦いです。日本はあと1勝で準決勝に進出できるという試合で、イギリスと対戦しまさに死闘の末、敗れました。この3位決定戦は、日本がリベンジを誓った試合だったのです。


  この試合は、前回と打って変わり、1点を争う攻防となります。有利な後攻を手に入れるために相手に1点を取らせようとする両チーム。試合は、そうはさせまいという戦略のぶつかり合いで、0点のブレイクエンドが第6エンド、第7エンドと続き、日本は第8エンドと第9エンドに1点を取って、43と逆転します。しかし、第10エンドはイギリスが有利な後攻。


  イギリスが1点を取れば延長戦、2点を取れば逆転で銅メダルという、まさに正念場。しびれるようなイギリスの最後の一投を迎えたのです。結果は、日本が53でイギリスに勝ち、銅メダルを獲得しました。


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(メダル獲得に歓喜するカーリング女子 asahi.com)


  3位決定戦は、ずっとライブで応援していたのですが、佳境に入ったところで、突然ニュース速報が流れました。高木菜那選手が、マススタートで金メダルを取ったというのです。これはスゴイ。いったい、マススタートとはどんな競技なのか。あわてて、チャンネルを変えると、日の丸を背にした高木菜那選手が写っていました。メダル獲得の瞬間を共有できなかったのは、残念でした。


  テレビの特集では、前々回のバンクーバー大会から、前回のソチ大会で、逆境を味わいこの4年間にすべてをかけてきた小平選手や高木姉妹の姿をドキュメンタリーで追っていましたが、頂点に立つアスリートたちには、間違いなくドラマがありました。


  さて、ドラマと言えば、今週は、ノンフィクションの金字塔と言われた古典的ノンフィクションの傑作を読んでいました。


「誘拐」(本田靖春著 ちくま文庫 2005年)


【ノンフクションの古典的傑作】


  最近、本に撒かれている帯には様々な紹介文か記されています。そこにひかれて、手に取ることも多くあります。この文庫本もこの言葉に惹かれました。曰く、「ラスト1行の苦しさは、半永久的に消えない。『戦後最大の誘拐事件』の全貌は小説をも圧倒する衝撃的展開の連続だった!真実を1ミリも逃すまいとする緊密な文章が、あなたをあの事件現場へと連れ去る。ノンフィクション史に刻まれた圧倒的傑作。」


  ちょっと大げさではないかと思いつつ、手に取って最初のページに当たる「発端」に目を通しました。確かに、帯に書かれた文章には一理ありそうだ。思わず、数ページを読み進んでしまい、我に返りました。目次を見ると、解説を書いているのは、尊敬する作家、佐野眞一さんです。迷うことなく、本を持ってカウンターへと急ぎました。


  「戦後最大の誘拐事件」と聞いて、皆さんはピンとくるでしょうか。


  その誘拐事件とは、かれこれ半世紀以上たちますが、昭和38年の331日日曜日。東京都台東区の入谷南公園で起きました。時刻は、夕方の5時から6時の間と言われています。このあたり、一帯は下町で、狭い場所に大家族の一家が軒を連ねていました。村越工務店は、まだ若い社長が嫁の豊子と結婚して設立しました。


  村越工務店には、夫婦と2人の子供、両親の6人が同居しており、さらには住込みの使用人6人と通いの使用人3人を雇う大所帯だったのです。


  この日の夕方、4歳の吉展ちゃんに「ねえ、茂ちゃんと公園へ行ってもいい?」と聞かれ、まだ明るく、姪っ子の栄子が公園に行っているため、母親の豊子は、吉展ちゃんに許可を出したのです。しかし、その後、吉展ちゃんは、一晩中待っても家に帰ってこなかったのです。


  本田氏は、この第一章を、誘拐の舞台になった公園の描写から始めます。警察の調書によれば、このとき、39人の人々がこの日の公園で思い思いの時間を過ごしていました。公園に集う人々を描写していく中で、氏は昭和38年という時代と、入谷と言う下町に生活する人々を的確に紹介していきます。


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(事件があった台東区の入谷南公園)


  このノンフィクションは、2年3カ月にも及んだ誘拐事件の顛末を、6つの章を使って描きあげていきます。それは、公園を描くことから始まる「発端」、身代金を盗取されてしまう「展開」、真犯人に至ることができず警察、そして被害者の家族が苦しむ「捜査」、事件が新たな展開を迎える「アリバイ」、ついに犯人が落ちる「自供」、逮捕・交流の後、死刑に至るまでの犯人の行動を追った「遺書」。


  ノンフィクションの古典の言葉にふさわしく、稠密な取材に基づいた緊密な記述が我々を真実の世界へと連れ去ってくれます。


【描かれていく真実】


  「吉展ちゃん誘拐事件」は、犯人が捕まらず2年3カ月がたち、迷宮入り寸前で逮捕に至るという、劇的な展開を遂げました。昭和38年は、東京オリンピツクが開催される前年です。巷は、「高度成長時代」の真っただ中で、景気は右肩上がりに上昇していきます。マスコミは、「すでに戦後ではない。」と語り、一億総中流化がはじまろうとしていました。


  吉展ちゃんは、私よりも1歳上ですが、同学年であり、私の両親はとても他人ごとではなく、とても心配していたので、その後の騒動もよく覚えています。


  確かに昭和38年から40年にかけて、景気はオリンピック特需もあり、経済は活況を呈しました。しかし、高度成長の裏側で、必ずしもすべての人がその恩恵にあずかったわけではありません。


  著者の本田氏は、昭和30年代に新聞記者としてこの事件の時にはサツ周りをしていたと語っています。16年間、新聞記者を経験して、強く思ったことは、事件を新聞記事にすることは、速さとスクープであることが求められ、その根底にあるものまでは記事にできない。様々な犯罪には、簡単にその動機や原因を記せるものではない、と感じていたそうです。


  この「誘拐」は、犯人の死刑が執行されてから6年後の昭和52年(1977年)に上梓されましたが、本田氏の取材は、徹底しており、おそらく事件当時には公開されていなかったたくさんの事実がこの本には詰まっていたことでしょう。さらに、この本は、その構成に効果的な工夫が仕組まれています。


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(本田靖春著「誘拐」 ちくま文庫 amazon.co.jp)


  例えば、吉展ちゃんが連れ去られた瞬間ですが、第一章の「発端」では一切語られていません。逆に、この章の2つ目の項では、いきなり犯人の小原保の経歴が語られます。福島県の石川町の農家出身の保が、どれだけ底辺の暮らしをせざるを得なくなったのか。2時間も歩いて学校で通う中、その地域の子供たちは草鞋を大切なものとしており、冬でも裸足であぜ道や山道を歩いていました。


  当然、冬になれば足にあかぎれが多くできてしまいます。子供達のあかぎれは暖かくなれば、治っていくわけですが、不幸なことに保のあかぎれは広がり、そこにばい菌が入ってしまうのです。保の足ははれ上がり、医者に見せるのですが、当時は薬もなく、ほとんど手当てがなされませんでした。


  さらに傷は膿み、ばい菌は、股関節にまで至り、一時、保は完全に歩行不能となってしまいます。しかし、保の父親は厳しい人でした。そこでそのままにしておけば、まったく歩くことができなくなると。毎日、保に転んでも転んでも歩いて前に進むように、厳しいリハビリを課したと言います。


  この本の構成は、真実と時間をみごとに組み合わせ、警察の捜査陣、被害者の家族、犯人の一族、そして、犯人そのものの動きや思いをとても効果的に記述していくのです。


【ノンフィクションの凄み】


  この作品が古典と呼ばれることには、理由があります。


  それは、「吉展ちゃん誘拐事件」をノンフィクションの作品とする過程で、人間の持っている様々な「真実」を我々に見せてくれるところにあります。


  まず、この時代の警察組織の真実です。このとき、日本の警察には、誘拐事件捜査のノウハウが全くない状態でした。実際に、犯人からかかってくる身代金要求の電話を録音することもせず、吉展ちゃんの父親が録音器を仕掛けて、必死に録音します。


  また、電話の逆探知や声紋による本陣確認の技術もまったく確立していません。さらに、身代金引き渡しの時の張り込み体制や、犯人への備えも稚拙で、まんまと50万円を持っていかれてしまいます。しかし、警察は、自らの失敗を認めることはなく、なんと、非公開捜査から公開捜査に切り替える際、身代金を奪取されたのは、被害者の言動に問題があったように発表します。


  そして、事件発覚時から長い間指揮にあたる堀警部補と、最後にエースとして登場する帝銀事件などを解決した名刑事平塚警部との個性の違いは、事件は担当した捜査官たちの物である、という古風な考え方と、それでは事件は解決しないという新しい風の確執を生みます。


  そこには、この時代の警察の「真実」が描かれます。


  また、吉展ちゃん事件が公開報道されたのち、村越家に降りかかった様々な苦労も、この時代の日本人のメンタリティーの真実を語っています。クリーニング屋、酒屋、米屋の団体は、会員20万人が捜査に協力します。また東京都民生局は4400人、東京青年会議所は13000人、郵政省は全国26万人の局員を使って、吉展ちゃんと犯人の情報収集を行うのです。


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(当時全国に配られた警察の協力依頼チラシ)


  こうした大いなる善意とはうらはらに、村越家には、手紙や電話がひっきりなしに飛び込みます。電話は、毎日毎日、3から4回以上鳴り響き、手紙は、1カ月に350通を数えたと言います。その中には、悪質ないたずらや中傷する内容のものもあり、自分が嫌いな人間を犯人として摘発するいたずらが後を絶ちません。また、傷心の母親や祖母をねらってたくさんの宗教団体が入信を誘いに村越家にしつこく訪れたと言います。


  そこには、今も変わらない日本人が持つ「メンタリティー」の真実が描かれます。


  そして、最後には、日本の社会にある格差と閉鎖社会という「真実」。それが、この「戦後最大の誘拐事件」の真相に横たわっているのです。確かに、最後の1行は限りなく重いものでした。


  皆さんも、ぜひこのノンフィクションの古典的名作を味わってみてください。日本人とは何なのか、との答えの一部が理解できるかもしれません。確かに傑作です。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2018年02月25日

第3のチンパンジーは幸せを生むのか?


こんにちは。


  人は、好奇心によって成長します。


  なぜか?と疑問に思うことに対して、つきつめて答えを出すことは、非常に難しいことです。しかし、我々、人は疑問に対する答えをさがすことで進歩してきたのではないでしょうか。


  例えば、我々は何のために生きているのか?という素朴な疑問に対して人は様々な答えを出してきました。哲学、宗教、科学は、有史以来何千年にもわたってその答えを探してきたのです。


  今週は、人とは何か?という疑問を分子生理学、進化生物学、生物地理学の知見から解き明かそうとする本を読んでいました。


「若い読者のための第三のチンパンジー」

(ジャレド・ダイアモンド著 秋山勝訳 草思社文庫 2017年)


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(文庫「第三のチンパンジー amazon.co.jp)


  ジャレド・ダイアモンド氏と言えば、1998年に「銃・病原菌・鉄」という著作によってピューリッツァー賞を受賞し、一躍有名になった科学者です。氏の専門分野は、生物学、生理学ですが、その研究の幅は広がりが大きく、分子生理学、進化生物学、生物地理学など複合的な見地からその研究を進めています。


【疑問を持つことからはじまる】


  氏の本は、いつも素朴な疑問から始まります。我々は、日常生活で様々な疑問を持って生きていますが、その答えをとことん考え抜くことはほとんどありません。せいぜいグーグル先生で検索して、その答えで満足し、日常の生活を続けていきます。しかし、ジャレド・ダイアモンド氏は、その疑問を様々な知見を駆使して科学の目でとことん解き明かしていくのです。


  ベストセラーとなった「銃・病原菌・鉄」も素朴な疑問から出発しています。


  氏は、鳥類の研究に大きな興味を持っており、その研究をニューギニアでのフィールドワークで進めていました。ニューギニアの人々と会話する中で起きた疑問が「銃・病原菌・鉄」を書いた動機となっているのです。それは、「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにはならなかったのか、」という疑問でした。


  氏は、16世紀、南アメリカで繁栄を誇ったインカ帝国4万人の人々が、なぜ、ピサロが率いるたった168人のスペイン人に征服されてしまったのか、との問題を著書の中で提起します。20万年ほど前、ホモ・サピエンスはたった一人のアフリカのイヴから生まれました。その新人類、ホモ・サピエンスは、生命の歴史から見れば、アッという間に全世界へと移動していき、世界中にその生活圏を広げていきました。


  いわいるグレート・ジャーニーで世界を覆い尽くした同一の種である新人類は、なぜ征服する側と、征服される側へと別れたのか?それは、白人がモンゴロイドやインディアンよりも優秀だったからなのか?白人が南アメリカに居住していたならば、白人は南アメリカからヨーロッパを征服していたのか?この疑問に、様々な科学的知見を動員して答えを出したのが、「鉄・病原菌・鉄」だったのです。


  ヨーロッパ人が、アメリカ大陸を「発見」し、オーストラリアに新たな国を打ち立て、東南アジアを植民地化したのは、人種や優劣の問題ではなかった。それは、早くからの定住化と交易の歴史の中で、争いを重ねて武器を発達させ、様々な病原菌への免疫力を発達させ、さらには鉄によって更なる生産性の拡大を図ることが可能になったためだ。その環境的な要素を書名として、その著書を上梓したのです。


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(名著「銃・病原菌・鉄」下巻 amazon.co.jp)


  今回、ご紹介する「第三のチンパンジー」は、ジャレド・ダイアモンド氏の処女作であり、素朴な疑問に満ちていると同時に、その疑問を、科学的知見を重ねて解き明かしていく、スリリングな著作です。まさに、その後、氏が解き明かしてきた人の不思議の第一歩。そのエッセンスとアイデアが詰まった入門の書なのです。


  まずは、目次をご覧ください。


第1部 ありふれた大型哺乳類

(三種のチンパンジーの物語/大躍進)

第2部 奇妙なライフサイクル

(ヒトの性行動/人種の起源/他)

第3部 特別な人間らしさ(言葉の不思議/芸術の起源/他)

第4部 世界の征服者(最後のファーストコンタクト/他)

第5部 ひと晩でふりだしに戻る進歩(黄金時代の幻想/他)


【人はなぜ人間なのか】


  我々、現人類は、確かに動物の中でも特異な存在です。


  いったい我々はなぜ人間なのか?この素朴な疑問には、様々な答えが想定されます。哲学、宗教、物理学、どの観点で考えるかによって、その答えは異なります。この本は、まず、この疑問を提起しますが、氏は、自らが専門である生物学、生理学からその答えを探っていきます。


  生物としての人は、生物の中のひとつの種でしかありません。地球の豊かさは奥深く、地球上の生命種は、現在名前が付けられているだけでも125万種を数えると言われています。さらに、未知の生物種は870万種に及ぶとの推計もあります。その中で、人は相当に特異な生命体であると語られます。


  ジャレド氏は、まず、人間の種を解き明かすところから、この疑問を解き明かしていきます。


  第一部では、人が人である進化の歴史を考えます。まずは、生命体の設計図ともいえる遺伝子から話は始まります。進化の系統樹を考えたときに人の先祖がどんな動物だったのか。それは猿の仲間です。その中でも、遺伝子の相違を考えると最も近いのは、チンパンジーです。人とチンパンジーの遺伝子は、98.4%が全く同型で、その違いはわずか1.6%だと言います。


  それでは、チンパンジーから人に枝分かれをしたのはいつごろか。そこに、遺伝子(DNA)の時計が登場します。遺伝子の突然変異が生まれるのにどの程度の時間経過が必要なのか。鳥類の遺伝子研究から変異が起きる(進化する)時間軸を知ることが出来る、というのです。それによれば、遺伝子1.6%の変異は700万年前に起きたとされるのです。


  ところで、700万年前に二立歩行が行われ、猿から人が出来たとしても、そこからホモ・サピエンスに至るまでの道のりは670万年以上に渡ります。現代に一番近いヒトは、旧人類であるネアンデルタール人と新人類であるクロマニヨン人でした。クロマニヨン人は、用途ごとに種類の異なる石器を使いこなし、洞窟に色彩豊かな壁画を残しています。


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(ブランス ラスコーの洞窟画 wikipedia)


  我々ホモ・サピエンスは、今やホモ属の中の唯一の生き残りですが、その遺伝子はチンパンジーとわずかに異なるだけ。とすれば、我々ホモ・サピエンスは客観的にはコモンチンパンジー、ボノボに続く、第三のチンパンジーに他なりません。いったい、何がチンパンジーと我々を分けたのでしょうか。


【ホモ・サピエンスの大躍進】


  新人類は、ネアンデルタール人よりも脳は小さいにもかかわらず、他のヒト属が絶滅した後も世界中に広がり、たった5000年の間に地球から月、宇宙にも活動の領域を広げています。


  第三のチンパンジーは、なぜ生き残ったのか?


  ホモ・サピエンスは、数百万年かかる遺伝子のある突然変異を経て、その後、急速に進化を遂げました。ジャレド氏は、その爆発的な進化を「大躍進」と呼びましたが、その「大躍進」は言語の発明によってもたらされたと語ります。


  様々に進化した動物たちは、皆、声を使ってコミュニケーションを行っています。ジャレド氏は、チンパンジーや鳥類が声によって危険を知らせたり、求愛したりしている事例を紹介します。なぜ、我々だけが言語を使えるようになったのか。氏は、直立したホモ・サピエンスの口腔と咽頭腔に変化が起こり、舌や声帯、筋肉の動きが言葉を語ることを可能にした、と考えます。


  それまで、数百万年という遺伝子の変異により進化してきた我々は、言語を持ったことで遺伝子の変異を待たずに文明を発展させることが可能になったのだ、というのです。言葉は、社会の形成を促し、知の伝承を可能とし、知識を積み重ねていく手段となり、次々と文明を発展させることを可能にしたのです。


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(鳴声によりコミュニケートするベルベットチンパンジー)


  一部で、第三のチンパンジーの大躍進を語ったのち、ジャレド氏は、我々が他の種と異なった特異な生命体であることを明らかにしていきます。


  なぜ、我々は一夫一婦制を取ることになったのか。なぜ、我々は交尾をプライベートな秘めたる行為としたのか。なぜ、我々の平均寿命は90年前後なのか。なぜ、人は死んでいくのか。第二部では、こうした他の生物とは異なる人間の習性の謎を解き明かしていきます。


【科学的探究とは何なのか】


  皆さんは、あなたの弱点は何ですか、と聞かれて客観的に正しく把握できるでしょうか。


  人は、これまで哲学や科学を通じて、次々に新しい発見を重ねてきました。しかし、これまで「進歩」とされてきた発見が、客観的に進歩であったのか。この本の第三部以降では、ジャレド氏の素朴でフラットな目によって我々のこれまでの「発見」がいかに偏ったものであったのかを知らされます。それは、生理学、進化生物学、生物地理学、考古学、分子生物学など、最先端の科学の知見を統合し、学際を超えて自由に駆使できた氏によってはじめて可能となる考察なのかもしれません。


  例えば、人は農業革命(農耕の発明)によって、人口を爆発的に増加させ、都市を作り、法律を作り、創意工夫によって発明と発見と拡大を遂げてきました。それでは、農耕のもたらしたものは発展だけだったのでしょうか。


  氏は、農耕による定住は、生産性を向上させたことで余剰の搾取と支配階級の成立を生み、さらには軍隊の成立と侵略と略奪を生み出したと言います。さらには、農耕は穀物依存の進行による栄養の偏りを生み出し、一定の穀物が不作となった時には、飢餓による大量死滅と言う災いを巻き起こします。また、牧畜は、人の知らない病原菌の蔓延を招きます。


  さらに、第四部、第五部では、我々ヒトがこの地球に及ぼした影響を語っていきます。


  6万年から1万年前のホモ・サピエンスによるグレート・ジャーニーがもたらした大型哺乳動物の乱獲による大量の種の絶滅。孤立していた土地への外来種の持ち込みによる種の絶滅、を語ります。アメリカやオーストラリア、ニューギニアの発見が種の絶滅を招いた事実はよく知られており、古代を環境破壊のない黄金時代として称える意見があります。ジャレド氏は、科学的な事実から人は生まれた時から環境を破壊してきたことを明らかにします。


  また、歴史の中にたびたび現れるジェノサイド(大量殺戮)は、なぜ繰り返されるのか。それを起こすのは、ヒトだけなのか。そして、ヒトの様々な表層をフラットに分析した先に、氏は、現代のホモ・サピエンスがこの地球上で直面する二つの危機を語っていくことになります。


  

  ジャレド氏は、学際の知見を総動員し、これまで我々に見えていなかったヒトの特異な能力と、それが生み出す正の側面と負の側面をフラットにあぶりだします。それは、過去を科学的に分析することによって、ひとりひとりのヒトが、明日を作り上げていくために何が必要かを考えていかなければならない事実を提示してくれるのです。


  皆さんもこの本で、是非ともヒトの不思議を味わってください。これまでの物の見方が変わることに間違いありません。そのワンダーをお楽しみください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2018年02月18日

原田マハ 沖縄とアメリカの心の邂逅


こんばんは。


  本屋さんを巡っていて、読んでみたいと思える本がないときに、以前は司馬遼太郎の本か宮城谷昌光さんの本を購入しましたが、最近は原田マハさんの本をながめるようになりました。


  平置きの棚には、今や原田マハさんの文庫本があふれています。


  「本日はお日柄もよく」、「総理の夫」、「独立記念日」、「風のマジム」などなど、どの作品も読めば面白く、生きる力をもらえそうな作品です。絵画ものでは「楽園のカンヴァス」、「ジヴェルニーの食卓」は、表紙を見れば単行本で読んだときの感動がよみがえります。


  そんな中で、他の表装とは全く別の、いかつい男の肖像画が目に飛び込んできました。


  その帯には、「原田マハにしか書けない、アートと沖縄の物語」と書かれており、その裏側には、解説の佐藤優さんの言葉が。「私は日本人が書いた沖縄をテーマとした小説で『太陽の棘』が一番好きだ」。いったい、どんな小説なのかと、数あるマハ作品の中から今回はこの作品を選んだのです。


「太陽の棘」(原田マハ著 中公文庫 2016年)


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(「太陽の棘」 医師の肖像画 amazon.co.jp)


【原田マハさんと沖縄】


  沖縄と言えば、原田マハさんのデビュー作、「カフーを待ちわびて」は沖縄を舞台に描かれた恋愛ストーリーでした。こちらの作品は、2006年に始まった宝島社の日本ラブストーリー大賞に応募する形で、原田マハさんが書き下ろした小説で、みごとに第1回の大賞に輝いた作品です。この賞は、大賞を受賞した作品が映画化されるという特典が付いており、この作品もエイペックス社によって映画化されています。


  デビュー作の舞台に沖縄を選んだマハさん。「カフー」とは、主人公が飼っている犬の名前なのですが、古い沖縄の言葉で「良い知らせ」を意味していると言います。この小説は、題名がとても良くできていて、小説は、主人公の元に全く知らない女性から「お嫁さんに行きます。」という手紙が舞い込むところから始まります。


  小説は、平成らしく与那喜島に住む主人公とリゾート開発をもくろむ幼馴染との物語をからませた、温かい恋愛ドラマとなっていて、ラブストーリーにふさわしい、ふんわりとした雰囲気を持っていました。


  確かに現在の沖縄は、癒しの場所でありリゾートに相応しいのかもしれません。しかし、それは、沖縄の一面を現しているに過ぎません。


  沖縄にはいくつもの顔があります。


  沖縄はかつて独立した王国でした。15世紀、尚氏という一族が琉球地方を統一し、琉球王国を建国します。琉球王国は、地理的には日本に近かったのですが、歴史的には東アジアの諸国と同じく、中華の国に朝貢を行い、中国に従う形を取りましたが国は王国として独立していました。


  その後、琉球王国は薩摩(鹿児島)の島津氏に侵略され、破れましたが、王国としては、清国と薩摩藩の両方に貢物を差し出すことでその血脈を維持していました。その王国が明治政府の廃藩置県によって、琉球処分の名のもとにその存在を否定され、沖縄県となったのは、1879年でした。


  日本としては、その領土権を主張して日本国の内部行政区としたわけですが、約400年続いた琉球王国としては、それは侵略行為以外の何物でもなく、琉球と沖縄は、文化としても名称としても二つの顔を持つ地域となったのです。


  さらに1945年。太平洋戦争で、疲弊し敗戦を覚悟した日本は、沖縄での本土決戦を日本の最後の砦として死守する覚悟を見せました。沖縄の人々は、日本本土の中で、唯一戦争を生身で引き受けた人々だったのです。


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(沖縄戦跡公園から臨む摩文仁の丘 wikipedia)


  沖縄戦での戦没者は、20万人と言われ、そのうち、94000人は民間人であったそうです。また、兵士のうち122000人が沖縄出身者であり、この決戦で沖縄の人々は、13万人以上の方が犠牲となったのです。一方で、米軍も12520人の方が亡くなっています。


  こうした犠牲を強いられた琉球・沖縄の人々は、終戦を迎えて、さらなる侵略の犠牲になります。無条件降伏した日本を占領したアメリカ軍は、沖縄を日本本土と切り離し、アメリカ領土として統治したのです。戦後、沖縄は、アメリカのもとで日本から見れば外国となったのです。


  沖縄が日本本土に返還されたのは、1972年でした。その後も沖縄には米軍の基地が配置され、今も日本の米軍基地の74%が沖縄に集中していると言われています。


  原田マハさんは、「太陽の棘」を上梓した後にコラムで次のように語っています


  「沖縄の物語によって幸運にも作家デビューを果たした私の中には、実は強い違和感が残っていた。確かに沖縄は「癒しの島」である。多くの観光客が訪れるリゾート地であり、若者たちがのんびりした暮らしに憧れて移住する新天地でもある。その一方で、凄惨な戦争を経験し、米国の支配下にあった歴史を持ち、いまなお基地問題は解決していない。何度も沖縄に通ううちに、本土に対する沖縄人の複雑な思いも知らされた。」


  「これらの史実や事実に蓋をして、私は可能な限り「夢のようにきれいな」物語を書いた。しかし、沖縄をあまりにも美化し過ぎていないか、沖縄の真実から目をそらしてよかったのだろうか、という想いを消せずにいた。」


【沖縄の絵画との邂逅】


  そんな思いを抱いていたマハさんは、偶然にもNHK日曜美術館で放映された「ニシムイ 沖縄・知られざる美術村」という番組を眼にします。そして、那覇の沖縄県立博物館・美術館で「ニシムイ美術村」の展覧会が開催されていることを知り、すぐに翌日、沖縄に飛び、この美術展を訪れたと言います。


  ニシムイ美術村とは、戦後間もない1948年に当時沖縄に在住していた沖縄の画家たちが、それぞれ自宅兼アトリエを首里の丘の上に自らの手で建築し、そこで描いた絵画をアメリカ兵に売ることで糊口をしのいでいた、芸術家たちの集落です。そして、そこに集った画家たちは、のちに沖縄を代表することになる芸術家たちだったのです。


  この展覧会は、当時の「ニシムイ美術村」で彼らの絵画を買ったアメリカ兵たちが、自らのコレクションを沖縄へと帰還させ、それらの絵画が里帰りをした形で展示されたものでした。


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(ニシムイ美術村 戦後撮影されたポートレート)


  当時の日曜美術館の解説をご紹介します。


  「(絵画には)、決して土産物ではない、画家の自画像や。占領下の風景を現したものが多く含まれていた。数々の作品からは、新しい表現を切り開こうと格闘しながら、沖縄の現実を刻みつけようとした熱意が浮かび上がってくる。」


  「当時、画家たちはどのような思いで描いていたのか、そして、この美術村が沖縄に何を残したのかを探る。占領下の限られた状況の中で、芸術家は何を表現できるのかー。その問いかけに真剣に応えようとした人々の物語である。」


  マハさんは、美術館に向かう途中に、これこそが私が書きたかった物語、書かなければいけない真実の物語だ、と感じていたと言います。そして、美術館で、当時のアメリカ兵の「肖像画」と画家の描いた「自画像」を鑑賞しているうちに、時を超えて、ゆっくりと、しかし、確実に物語が動き始めたのです。


【アメリカと沖縄の心の邂逅】


  原田マハさんと言えば、まっさきに頭に思い浮かぶのが、以前にご紹介した「翼をください」(角川文庫 上下巻)です。マハさんは、史実をもとにして、そこから状況や表現をゆっくりとふくらませて、人の心が動いていく物語を創っていくことが大変上手な作家です。


  「翼をください」は、1938年、日中戦争の最中に毎日新聞社が、日本独自の航空機によって世界で初めて世界一周飛行に成功した史実に基づいて書かれた小説です。そこでは、当時、アメリカで単独世界一周に挑戦した女性飛行士、アメリア・イアハートの活躍を踏まえて、独自の小説世界を構築し、我々に大きな感動を与えてくれました。


  今度の「太陽の棘」は、マハさん自らが、自分の中から湧き上がる想いを史実に乗せて、小説世界へと昇華させた作品です。その感動は、我々の心に染み入ります。


(以下、ネタばれあり)


  1948年。太平洋戦争最後の激戦の地、沖縄はアメリカの統治するアメリカ領土となっていました。サンフランシスコ、スタンフォード大学医科大学院を修了し、精神科の医師となった「エド」ことエドワード・ウィルソンは、その年沖縄に駐留するアメリカ軍の従軍医師として、沖縄への赴任を命ぜられました。


  京都での研修期間を経て、真夏の沖縄に到着したエド。そこには、アルコール中毒、麻薬依存症、うつ病、ホームシック、など、ありとあらゆる精神症の兵士たちが待っていました。沖縄のアメリカ軍に配属されている精神科医は、5名。


  チーフのウィル。ブロンド髪のテッド、人付き合いのよいジョン、繊細で日本文学に興味を持つアラン。エドは、一番年下ですが、メンバーは全員が20代。粗末なコンセット(かまぼこ型の仮兵舎)に作られた診療室で、毎日がアッという間に過ぎていく日々が続いていきます。


  エドは、沖縄に赴任するにあたって、両親に自家用車を送ってもらうように頼んでいました。沖縄という未知の世界であっても車があれば自由に走ることができる、エドは、自家用車の到着を心待ちにしています。そして、待ちに待った車が、沖縄の基地に到着します。その車は、真っ赤な色をした最新のポンティアックです。鄙にも稀な真っ赤なオープンカーに医局のみんなが驚嘆します。仲の良いエドとジョン、そしてアランは、休みの日。真っ赤なオープンカーで沖縄のドライブへと出発します。


  荒れ果てた沖縄の土地。そこにそぐわないポンティアックで、三人は真夏の沖縄を走っていきます。途中で、アメリカ兵に群がってくる子供たちに囲まれますが、アメリカ兵を危険視するおばさんがやってきて子供たちを叱りつけます。三人は、自分たちが歓迎されない訪問者であることを痛感させられます。


  暗い気持ちで運転するエドは、いつの間にか道に迷ってしまい見知らぬ丘の道を頂上に向かって進んでいきます。オープンカーが丘を越えると、そこには青い海が広がっています。そして、そのまま通り過ぎようとしたときに、一つの看板に目が留まります。


NISHIMUI ART VILLAGE」(「ニシムイ・アート・ビレッジ」)


  その看板に興味を持ったアランが、「ねえ、エド、ここに寄っていこうよ。」と提案しました。それは、若きアメリカの精神科医師が、沖縄の心を持った芸術家、セイキチ・タイラ、そしてニシムイ美術村と運命の出会いを果たす瞬間だったのです。


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(セイキチ・タイラのモデルとなった自画像)



  マハさんは、終戦直後のこの沖縄の物語を、アメリカ軍医の視点から淡々と語っていきます。それは、小説家が物語を作っていく、というよりも、実際にあった奇跡のような心と心の触れ合いを、語り部として語っていく、という覚悟が感じられます。


  そして、それは沖縄の物語以外の何物でもありません。アートを巡る想いは、国境や過酷な出来事をはるかに超えて、我々の心に強く響いてくるのです。


  皆さんもこの小説で、ぜひ人の心の確かさを確かめてください。心が動きます。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 22:31| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

映画「キングスマン ゴールデン・サークル」


こんばんは。


  1985年にソ連共産党の書記長に就任したゴルバチョフ氏は、ペレストロイカと新思考外交を掲げ、ソビエト連邦及び東欧の共産同盟国に次々と情報公開と自由化を推進していきました。その流れから東欧革命が生まれ、ソ連邦が崩壊し、1989年にはベルリンの壁が打ち壊されました。その年の12月、ゴルバチョフ書記長とアメリカのブッシュ大統領は世界に冷戦の終結を宣言したのです。


  007シリーズを始めとするスパイたちは、冷戦時代に両陣営の存続をかけて、命を懸けた諜報戦を繰り広げました。そして、冷戦が終わり、スパイたちの時代が終わりました。


  というと、マジにとる方もいるかもしれませんが、今回はエンターテイメントの話です。


  スパイ映画と言えば、007シリーズが嚆矢ですが、この映画の果たした役割は、スパイ映画を娯楽大作に仕立て上げたことでした。イギリスの対外諜報機関であるMI6で、00番号は殺人を犯すことを許されています。ジェームス・ボンドは、紳士の身だしなみや教養を身に着けながら、格闘技の技は趙一流、数か国語を操り、女性にはめっぽう強く、マティーニをはじめ酒や食へのこだわりは超一流です。


  この設定自体が、男性にとっても女性にとってもあこがれでした。


  冷戦が終わって、スパイの役割は変化しましたが、007には、スペクターという世界を征服しようとする悪の組織が立ちはだかっていました。そのおかげ?で、007のネタはつきることなく、50年以上経た現在でもダニエル・グレイブの主演で作品は撮り続けられています。


  しかし、最近のスパイ映画は、007シリーズを筆頭にどうも真面目な映画に代わっていないでしょうか。ダニエル・グレイブの007も、近年はMI6のMを中心にした人間劇や007の出自やその人生の謎に迫る話が続いていて、人間ドラマの要素が大きくなり、昔のように純粋なエンターテイメントとしてのスパイ映画ではなくなってきています。


  そんな中で、2015年に公開された「キングスマン」は、まさに往年のスパイ映画の楽しさを全編に詰め込んだスカッとするスパイ映画でした。


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(映画「キングスマン」ポスター)


  それもそのはずで、この映画は原作者のマーク・ミラーとプロデューサーのマシュー・ボーンが、最近のスパイ映画がシリアスな内容ばかりであることを嘆き、「楽しいスパイ映画を創ろう。」と話し合ったことが映画製作の始まりであったと言います。


  ロンドンのサヴィル・ロウでイギリス伝統の紳士服店を営む「キングスマン」。表向きは、テーラーですが、そこはすべての組織から独立した正義を守るスパイ組織「キングスマン」の本部だったのです。この映画に出てくる小道具たちは、まさにスパイ映画の保守本流であるワンダーな道具たちです。


  キングスマンのメンバーたちは、リーダーであり本部で指揮するアーサーをはじめ、諜報員としての腕と技量を持った面々です。メンバーがメガネをかけると、そこにはネットワークに繋がれた映像が現れます。その会議は、アーサーのもと、イギリス各地のキングスマンたちがメガネを掛けると本部の会議室にヴァーチャルなメンバーたちの姿が現れます。


  さらに、手りゅう弾となるライターや鋭いナイフが仕込まれた革靴、イギリス紳士のトレードマークとなっている雨傘は、完全防弾性となっており、中にはライフルが仕込まれています。


  「キングスマン」には、往年のスパイ映画の楽しさが満載でした。


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(「キングスマン」 スパイグッズ)


 【キングスマン続編登場】


  「キングスマン」の第一作目は、コリン・ファース扮するスパイマスター、ハリーが、自らが犠牲となって亡くなった先輩リー・アンウィンの息子エグジーをスカウトすることから物語が展開していきます。過酷なスパイ養成コースで次々に試練を克服し、成長していくエグジーとハリーの師弟関係の構築が一つの見どころとなります。


  そして、同時に世界の人口爆発を憂い、一気に世界人口の壊滅をもくろむ大富豪のリッチモンド・ヴァレンタインの野望。ハリーはその正体を追うとともに、その野望を打ち砕こうと秘密裏に行動を開始します。


  「キングスマン」は、15Rの指定を受けています。それは、人が平気で死んでいくシーンが多く、見方によると暴力的でグロテスクなシーンが満載されているためです。ヴァレンタインを追うハリーが罠に落ち、脳を乗っ取られて教会で大虐殺に至るシーンは、全米で賛否両論を巻き起こしました。また、ラストで、あるパーティーに参加した数百人の頭が次々に吹っ飛んでいくシーンも相当に強烈なシーンでした。


  この映画は、映画好きな連れ合いと一緒に見たのですが、彼女はそのあまりにもグロテスクな映像にショックを受けて、続編は絶対に見に行かないと拒絶していました。一方、娘は、コリン・ファースの大ファンで、続編の公開に狂喜乱舞して、なんと公開初日に見に行っていました。


  私は、「キングスマン」が描くスパイ映画へのトリビュートに魅せられて、その面白さに喜んだ方でした。先日お話しした、王様のブランチで第二作目を特集しており、その設定が前作を踏まえ、派手なスクリーンプレイもさらに倍増していると聞いて、続編を是非とも見たいと映画館へと足を運んだのです。


(映画情報)

・作品名:「キングスマン ゴールデン・サークル」(2017年・英・140分)

      (原題:「Kingsman The Golden Circle」)

・スタッフ  監督:マシュー・ボーン

        原作:マーク・ミラー

・キャスト  ハリー:コリン・ファース

         ポピー:ジュリアン・ムーア

        エグジー:タロン・エガートン

               マーリン:マーク・ストロング

        エルトン・ジョン:エルトン:ジョン


【ゴールデン・サークルとは?】


    続編は、その始まりから素晴らしいテンポで我々を映画の世界へと引き込んでいきます。


(ここから、ネタばれあり。)


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(映画「キングスマン」第二弾 ポスター)


    前回、キングスマンの採用試験に不合格となり、悪の手先となったチャーリーが初めから登場します。紳士服店「キングスマン」を出たエグジーは、すっかり紳士の身なりで立派なエージェントとして歩き出します。そこにいきなり、強力な義手を付けたチャーリーが現れ、エグジーを車に拉致しようとします。


  エグジーは、チャーリーとともに「キングスマン」が送り迎えに使っているタクシーに乗り込みますが、そこからチャーリー一味が運転する数台の車とのカーチェイスが始まります。車内では、エグジーとチャーリーの命を懸けての取っ組み合いが繰り広げられます。オープニングから繰り広げられる派手なアクションシーンに手に汗を握ります。


  「キングスマン」仕様のスーパーカーの仕掛けもアッと驚きますが、その驚きのネタをばらすほど無粋ではないので、このシーンのワンダーは、ぜひ映画でお楽しみください。


  と言いつつネタばれとなりますが、このチャーリーとの闘争が伏線となり、今回「キングスマン」は、オープニングから、そのエージェントたちとともに文字通り、灰燼に帰すことになります。


  そして、「キングスマン」を壊滅させた犯罪組織がスクリーンに登場します。


  今回の悪役は、世界最大の麻薬組織「ゴールデン・サークル」です。監督のマシュー・ボーンは、悪役の設定をとても重要視しています。愛嬌があり、リアルで筋の通った極悪人。それが、「ゴールデン・サークル」の美貌の女性ボス、ポピー・アダムスです。


  彼女は、全国に麻薬組織をいきわたらせて巨万の富を手にしています。そして、人が入り込むことのないカンボジアの密林の奥深くに壮大な邸宅とリゾート施設「ポピー・ランド」を立ち上げて人生を謳歌しています。ポピーは、自らが販売する麻薬を合法化することを実現するためにアメリカ大統領を脅迫するのです。麻薬は、十分に世の中の役に立っており、酒やタバコよりもよほど合法化されるべき、医薬品であるとの信念が彼女を突き動かします。


  彼女は、欲しいものは何でも手に入れなければ気が済まないタイプ。そのアジトには、なんとあのグラミー賞歌手の超大物 エルトン・ジョンが拉致されていたのです。エルトン・ジョンのライブを独占する。なんともうらやましい話で、そこで演奏されるヒット曲に感動し、テンションがあがったのは私だけではないはずです。


  といっても、彼女は巨万の富を手に入れて大富豪である自分が、世界中に名前が知られておらず、非合法であるために自己顕示が果たされないことに不満を持つ、単なるパラノイアとして、滑稽に描かれています。彼女は、世界数億人のジャンキーたちを人質に世界制覇をもくろみます。


【キングスマンのアメリカの兄弟?】


  一方、たまたま爆破された自宅におらず、生き残ったエグジーは、呆然と自宅跡に佇んでいました。そこに現れたのが、エグジーの教官を務めていた事務官のマーリンです。エグジーは、裏切者が生き残ったマーリンと考えて、彼を問い詰めます。しかし、意外なところから「キングスマン」の情報はハッキングされており、マーリンは単に事務官としてマークからはずれていたことが判明します。


  「キングスマン」で生き残ったのはエグジーとマーリンの二人。マーリンは、キングスマンの緊急指令「最後の審判の日」を実行すべく、エグジーを連れて指示にある金庫へと向かいます。はたして金庫の中の緊急指令とは?


  なんと金庫には、一瓶のバーボンが置かれていたのです。


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(「ステイツマン」エージェント ウィスキー)


  バーボンのラベルに描かれた名前は「Statesman」。二人は、拍子抜けして今は亡きキングスマンのメンバーを偲んで、酒盛りを始めます。そして、エグジーは、そのボトルに描かれた場所に気が付きます。それは、アメリカのケンタッキー州。酔っぱらったマーリンは、あのフライドチキンは絶品だと、とぼけますが、二人は、ケンタッキーにある「Statesman」の醸造所へと向かいます。


  醸造所のツアー客に紛れた二人は、ある醸造保管庫に潜入します。エグジーの腕時計には、電子機器をハッキングする装置が仕込まれており、保管庫の電気錠をなんなくハッキングし、二人は醸造保管庫へと潜入します。この腕時計は伏線、今回の秘密兵器です。


  そこは、「キングスマン」の兄弟組織、独立諜報機関「ステイツマン」の本部だったのです。そして、そこには、第一作で頭を打ち抜かれ、死んだはずのハリーが生きていたのです。エグジーは、ハリーを見て狂喜乱舞しますが、なんとハリーは記憶喪失にかかっており、生前にあこがれていた蝶の研究者となっていたのです。


  ここから映画は、怒涛のように、ラストまでノンストップで駆け抜けていきます。



  今回の続編では、前作のハリーとエグジーの人間ドラマは鳴りを潜めて、その面白さは、くすぐりユーモアと大胆なアクションに集約されています。前作で、悪玉ヴァレンタインに囚われてエグジーに救われるスウェーデン王女のティルデは、今回、エグジーの恋人として登場します。スウェーデン王と王妃であるご両親との会食シーンは、思わず笑えるイギリス的エスプリにあふれています。


  エルトン・ジョンの「土曜の夜は僕の生きがい」の水曜日版とハリーを救う大活躍、久しぶりの復活でちょっと頼りないハリーを演じるコリン・ファースの演技は、本当に楽しめました。この映画は、無心で楽しむのにもってこいの快作です。皆さんも、ぜひこの映画をお楽しみください。クスッと笑えて、スパイ映画の面白さが詰まった小粋なイギリス的映画です。


  映画は本当に面白い。それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 21:44| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

出口治明 人類の歴史を語る


こんばんは。


  本屋さんでこの本を見た時に、歴史学者が書いた世界史本とばかり思って購入しました。


  著者紹介を見てビックリ。なんと出口さんは、今テレビで宣伝しているライフネット生命という保険会社の創業者であり、現役の社長だそうです。世の中には、教養人という人種がいるとは知っていましたが、さすがにビジネスマンにもかかわらず、人類の歴史を語る方がいるというのに驚きました。


  さらに驚いたことは、氏は2016年に「『全世界史』講義」(新潮社)という2巻に渡る著作を上梓していることです。この本の読者から「もっと詳しい世界史を読みたい。」という声が寄せられ、その声にこたえるために新書で、5000年の世界史を5分冊で語ろうとしたのが、この本なのだそうです。「1年に1冊ならばかけるかもしれない。」という氏の言葉にも驚きです。


  購入するときに書き出しを立ち読みし、ついはまり込んで10分ほど読み進みました。氏の語りはそれほどなめらかで、しかも面白い。


  今週は、そんな世界史の本を読んでいました。


「人類5000年史T 紀元前の世界」(出口治明著 ちくま新書 2017年)


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(新書「人類5000年史T」 amazon..co.jp)


【学説ではない通史】


  まずは、この本の目次をご覧ください。


1章 文字が生まれるまで(「ルカ」から「ホモ・サピエンス・サピエンス」の登場まで他)

2章 第一千年紀の世界(BC3000年からBC2001年まで)

3章 第二千年紀の世界(BC2000年からBC1001年まで)

4章 第三千年紀前半の世界(BC1000年からBC501年まで)

5章 第三千年紀後半の世界(BC500年からBC1年まで)


  目次を見るとまるで世界史の教科書のようですが、内容はまるで異なります。それは、教科書では専門家の学説で定説になった部分が羅列されているだけですが、氏の本は、歴史の専門書から教養書までを読み進んだ、自らの知識取得体験から編み出された歴史概論であり、その知見が縦横に展開されています。


  その教養人としての凄さは、参考文献を見ると良くわかります。参考文献は、世界史全集、各文明歴史の総論、単行本の3つのカテゴリーに分類されていますが、海外の本も多数あり、その読書量に愕然とします。その全集のカテゴリーには、「塩野七生全著作」、「杉山正明全著作」、陳舜臣「中国の歴史」全15巻、との記載まであり、その読書量に驚嘆します。


  杉山正明とは誰?と想い調べると、氏は、京都大学の名誉教授で、「モンゴル帝国史」の泰斗であり、学術研究の書はもちろん、一般向けの著作も多数執筆しています。著者とは同じ京都大学の出身であり、どこかでご縁があるのかもしれません。


  また、参考文献には、学術書だけではなく、「新潮選書」や各社の「新書」までが網羅されており、教養としての歴史書も楽しみながら自らのものとしていることが良くわかります。


  その中には、オバマ前大統領も絶賛している世界的ベストセラー、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」やジャレド・ダイヤモンド氏の名著「銃・病原菌・鉄」なども含まれています。


  さすがは、現役のビジネスマンかつ経営者です。その幅広い視野と最新の情報を紹介していく手際の良さ、さらには相手に分かり易く伝える技術は非常に話術的で、「です、ます」調で進んでいく展開には、思わずページをめくる手もなめらかに動いていきます。


【その幅広い知見が面白い】


  芸術家の処女作には、その芸術家のすべてがつまっている、と言いますが、この本の第一章には著者の幅広い知見がつまっています。そして、その知見がその後も第5章まで、ずっと続いていきます。


  第一章は、「文字が生まれるまで」ですが、その緒は人類の始まりではありません。まず語られるのは、40億年まえの地球です。題名は「人類」なのですが、まず、生命のはじまりから書き始める所に早くも氏の知見の幅広さが表れています。題名に「オッ」と思って立ち読みをした途端、この書の記述に引き込まれてしまったのは、まさにこの著述の面白さのためです。


  40億年前に生命がこの地球に宿ってから、約700万年前にチンパンジーから人類が生まれるまでの記述が、なんとたった3ページに集約されているのです。しかし、その3ページの記述は、簡にして要を得ていて、生命から霊長類の人に至る過程をキチンと語っているのです。


  そこでは、この地球上に奇跡のごとく無から有が生まれた生命が深海底の熱水噴出孔で誕生したことが語られ、全生物最終共通祖先の名称である「ルカ」と呼ばれる生命の進化へとつなげていきます。その後の進化は、有害な太陽の放射線が弱まり、深海から浅い海へと移動した原始生物が、光合成を行って酸素を創りだすシアノバクテリアへと進化するに至ります。


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(深海底の熱水噴出孔 wikipediaより)


  まだ、地上は生物に有害な紫外線で満ちていましたが、海中で生成された酸素が空気中に大量に拡散したことにより、現在の空気が地上を覆い、オゾン層を形成。有害な紫外線が遮蔽されたことにより生命は、ついに地上へと進出することが出来ました。


  さらに、氏は、我々生命が長い年月の間に爆発的な進化を経験したことを語ります。5.5億年前に起きたカンブリア大爆発によって、現在生きているすべての生物の元となる生命体が整ったとされていることは有名です。


  氏は、カンブリア大爆発より前の進化大爆発にも触れています。そこでは、細胞内の核を持つ真核生物の誕生が語られていて、ピーター・ウォード氏が提唱している地球全凍結が起きたことによる最初の進化の爆発が下敷きになっていることを思わせます。


  また、氏は、進化の大爆発とともに、我々生命の試練となった5回の大量絶滅についても時代を追って語っています。特に2億年ほど前に起きた「P−T境界」と呼ばれる大量絶滅では、地球上の生物の95%が絶滅したと言われており、それが、プレートニクス(大陸の移動)によって起きたとの説も紹介しています。


  氏は、学説が大きく分かれて定説となっていない場合には、そのことをわかり易く述べており、「P−T境界」と呼ばれる大量絶滅が起きた要因についても複数の説が提起されていることをフラットに記載しています。本当に読みごたえがあり、わかり易い3ページです。


【ホモ・サピエンスは頂点か?】


  我々は、チンパンジーやゴリラの仲間から猿人へと進化し、さらに原人、旧人類、新人類へと進化したわけですが、氏は、この進化をわかり易く表によってまとめています。その表によると、我々新人類は、ホモ・サピエンスと呼ばれますが、その表には、ホモ・サピエンス・イダルトゥという名前が出てきます。


  その横にホモ・サピエンス・サピエンスとの記載がありますが、ホモ・サピエンス・イダルトゥは、我々の亜種である人類(一説では、我々の一番近い先祖)と言われていて、正確に記載すると、我々、現人類は、ホモ・サピエンス・サピエンスと呼ぶのが正確なようです。氏は、このことを踏まえて、わざわざ「ホモ・サピエンス・サピエンス(以降ホモ・サピエンスと言います。)」との注釈を加えています。こうしたところに、さりげない氏の知見が潜んでいて驚きです。


  さて、我々ホモ・サピエンスは、東アフリカで誕生し、10万年前から6万年前頃に地球上のすべての大陸に移動し、世界中に生息することとなりました。この大移動は、以前ご紹介したアリス・ロバーツ氏の「人類20万年の旅路」で実証的に詳しく記述されていました。この大移動を指す、「グレート・ジャーニー」との言葉を出口さんも紹介しています。


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(ホモ・サピエンスへの進化の道)


  この本は、学術書とは異なる著者の知見がそこここに垣間見えます。


  我々、ホモ・サピエンスは、一人のアフリカのイヴから生まれた兄弟です。氏は、言語や民族、肌の色によってあたかも別の人間のように区分する考え方をあからさまに否定します。いわく「黒人と白人の違いなどと言う本に出合ったら、眉に唾をつけて対処したいものです。ユダヤ人や日本人の優秀性などといった話も、同工異曲です。」


  また、人間が進化し、地球全体を覆ったことに対しても厳しい知見を披露します。「多種多様な地球上の生物の中で、決してホモ・サピエンスが頂点に立っているわけではありません。トマトやキリンやカブトムシも、それぞれの環境に適応し最高度に進化して現在に至っているのです。その意味では、すべての生物は40億年前の同一の祖先、ルカからスタートして、現在では、横一線に並んでいると考えるべきでしょう。」


  さらに、人類は狩猟文化から農耕と牧畜を行うことで定住型に変化し、人が集まりヒエラルキーが生まれたと言います。狩猟文化は「いかに自然と共存するか」という文化だったのに比べて、農耕や牧畜を行うようになり、我々は「いかに自然をコントロールするか」という文化に変わったと語ります。


【そして文字から歴史が始まった】


  そして、著者はいよいよ第二章から我々にもなじみ深い人類史を始めるのです。


  第二章以降も著者は、最新の知見に基づいた人類の歴史を語ってくれます。それは、チグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明のシュメール文化。ナイル川の肥沃な土地に発展したエジプト文明。モヘンジョダロなどの焼きレンガによる大都市を築いたインダス文明。黄河の流域で土器を発達させた黄河文明。この四大文明を基礎として、それぞれの文明がどのように発展していったのかを語っていきます。


  文明の始まりのとき、我々はこれまではそれぞれの文化が独自に営まれたように思っていますが、氏は、早くからそれぞれの文化には交流があったと言います。例えば、BC4000年ころには、馬が家畜化されますが、最初は食肉あった馬が、その馬力が注目され、メソポタミアから伝わった車輪と結びついて、チャリオットが生まれます。


  馬が引く軽戦車であるチャリオットは、BC1700年前後にはヒクソスと呼ばれる人々が軍事的に利用し、エジプトを制圧したと言われます。チャリオットは、全く間にエジプト、ギリシャ、ローマ、中国、インドに伝わって、青銅器時代の最も革命的な武器となりました。宮城谷さんの中華でもチャリオットは大活躍しました。


チャリオットインダス01.jpg

(インダス遺跡から発掘されたチャリオット像 wikipedia)


  氏は、人類の遺産である各地の神話についても、それぞれの特色を解説してくれます。文字として現れる最初の物語と言える神話は、メソポタミア文明の最初に担い手であるシュメール人から始まっています。最高神と言われる天空神アン、神々の王と呼ばれるエンリル、粘土から人を作り出したという水神・知恵の神エンキ。そこに登場するたくさんの神々は旧約聖書の物語の原型を形作ったと考えられているそうです。


  人類の発展は、「農耕により定住する人々」と「畜産により定住(移動)する人々」によって行われた、という氏の史観は、紀元前の世界中の文化を概観していくこの本の中で、しっかりと息づいています。ユーラシア大陸の草原を駆け巡るスキタイや匈奴と四大文明の地に定住する人々のせめぎ合いが紀元前を形作っていった。


  その史観をみなさんもぜひこの歴史本で味わってください。


  これから約1年で一冊、人類の5000年の歴史がかたられていくそうですが、この第一巻の豊かな知識と幅広い見識を読むと、これから上梓される続編が楽しみになります。


  暦の上では春ですが、今年はまだまだ寒波が日本を襲いそうです。日本海側では大雪がひどくなりますが、気象情報に十分に気を付けて、事前の備えをお願いします。どうぞお大事にお過ごしください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 20:49| 東京 ☀| Comment(0) | 評論(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

町山智浩 恋愛映画は教えてくれる


こんばんは。


  ここ5年ほど、すっかりテレビドラマを見なくなってしまいました。


  世の中では、相変わらずドラマの視聴率合戦が芸能ニュースをにぎわせていますが、なぜか、テレビドラマの世界に夢中になれないように感じるのです。


  しかし、ドラマの脚本やスクリーンプレイがお粗末かというと、決してそんなことはありません。先日も金曜日のドラマ枠で、弘兼憲史氏の劇画、「ハロー張りネズミ」が10回シリーズでドラマ化されていました。かつて愛読した劇画だったので、なつかしく鑑賞しましたが、脚本と言い、スクリーンプレイといい、配役といい、良い味を出していました。


ハロー張りネズミ01.jpg

(漫画「ハロー張りネズミ」 amazon.co.jp)


  確かに、最近のテレビドラマは、年々面白さが増加してきています。しかし、どうしても数をこなさなければならないためにその深さは、一定の水準までで止まっています。時間をつぶすのにはもってこいですが、人生の時間を計算できる年頃になると、そこに時間を費やすのはもったいない気がしてしまうのです。


  そんなわけで、最近テレビを見るときには、ドラマよりも、最新の知らない世界を教えてくれるドキュメンタリー番組を選んでしまいます。


  ところで、映画の場合です。


  近年、フィルムがデジタル化されたことにより、シネマコンプレックスが隆盛となり、映画産業は大いに盛り上がっています。映画を観賞すると、いつも映画のエンドロールに数えきれないほどのスタッフの名前が並んでいます。良い監督、良い脚本のもとに、これだけの人々の夢と想いが込められているから、映画は面白く、ときに芸術の域にまで達することがあるのだと思います。


  今週は、映画評論家、町山智浩氏の映画本を読んでいました。


「ドラウマ恋愛映画入門」(町山智浩著 集英社文庫 2016年)


【フィクションかノンフィクションか】


  本好きの人たちと話をすると、時々フィクションとノンフィクションのどちらが面白いか、との論議になることがあります。


  最近の映画は、「この映画は実話に基づいています。」との宣伝が良く目につくようになりました。


  つい最近では、アメリカの有人宇宙衛星の打ち上げを描いた映画「ドリーム」は、NASAにおいて黒人女性が差別を乗り越えて自己実現を手にする姿を描き、感動的な実話を映画化しています。(原作は小説であり、この映画にも脚色がなされていますが。)


  その他にも、トム・ハンクスが主役を演じた「ハドソン川の奇跡」、アカデミー賞を受賞した「英国王のスピーチ」、ホームズシリーズのカンバーバッチが天才数学者を演じた「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」(ベタな題名ですね。)、フェイスブックの成り立ちを描いた「ソーシャル・ネットワーク」など史実に基づいた名作が数多く生まれています。


  「事実は小説より奇なり」と言われる通り、実際の人間の努力と情熱と才能は、実社会でも様々なドラマを生み出しており、我々に感動を与えてくれます。


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(映画「ドリーム」 ポスター)


  学生時代に私は「フィクション派」でした。それは、文学好きで、カフカやトーマス・マン、カミュなどが様々な技法と言葉を駆使して小説世界を構築し、我々に人生の「真実」を提示してくれていたからです。逆に、学生時代、ずっと一緒に部活動を取り仕切っていた友人はジャーナリスト志望であり、完全な「ノンフィクション派」でした。


  彼にとって、作り物はどう作ろうが所詮は作ったものであり、現実の人間の感情や状況に見いだされる「真実」には遠く及ぶものではない、というのが持論でした。二人とも酒飲みだったので、いつも大学の近くの飲み屋に行っては、「文学」VS「ジャーナル」論争を延々と繰り広げていました。


  しかし、卒業して私は普通のサラリーマンとなり、彼は共同通信の記者となり、しばらくして再会した時には、なんと主張が逆転していたのです。私は、本多勝一や柳田邦夫、沢木耕太郎、堺屋太一などの本を読み漁っており、世の中の事実から「真実」を見出すワンダーに魅入られていましたが、友人は三島由紀夫や大江健三郎、井上ひさしなどの作品に込められた「真実」を絶賛していたのです。


  その友人は、酒が大好きで、そのせいか、十数年前に若くして亡くなってしまいました。今では、その論争を懐かしく思い出し、そのたびに悲しみを覚えます。


  この論争は、フィクション、ノンフィクションという形式の問題ではなく、それを作り上げる人間が、どれだけ人の真実に迫れるかが重要であり、そこに至る手段は異なったとしても、フィクションでもノンフィクションでも、偉大な作品は我々の心にワンダーを届けてくれる素晴らしいレガシーである、とうことに気付かなかっただけなのです。若気の至りでした。


【男のための恋愛映画入門】


  さて、なぜこんな話題になったかと言えば、今週読んでいた映画本に触発されたからなのです。


  町山さんは、映画評論家としてはかなり異色な存在です。前回ご紹介した本では、映画に出てくる本やセリフに焦点を当てた映画紹介で我々を魅了してくれましたが、今回のお題である「恋愛映画」についても、一筋縄ではいかない視点から、映画を紹介してくれるのです。


  この本には、恋愛映画22本が紹介されていますが、その作品はただの「恋愛映画」ではありません。まず、紹介される作品は、ほぼすべてが男性監督による作品。つまり、男の視点がひとつのポイントです。そこには、名作と言われる古い映画から最近の映画まで、さまざまな恋愛映画が並んでいます。そして、キモになるのは、本の題名にもなっている「トラウマ」なのです。


トラウマ恋愛映画01.jpg

(文庫表紙「ブルーバレンタイン」 amazon.co.jp)


  町山さんは、この本の前書きで、トリュフォーの映画から「男は恋愛については、アマチュアだ。」という言葉を引用しています。まあ、確かに男は奥手と言われます。また、男なら誰でも最初の恋愛には臆病であり、また、初恋は失恋となり、それが「トラウマ」となります。逆に、ドンファンのように様々な相手と恋に落ちたとしても、それは、本当の恋愛が怖くて、そうならないために相手を変えて深みにはまることを避けているとも考えられます。


  この本のまえがきには、トルストイの言葉も引用されています。「多くの女性を愛した男性よりも、たった一人の女性を愛した男性の方が、よほど深く女性の事を知っている。」


  確かに、たくさんの女性と浮名を流した男性は、結局うわべの付き合いを数多くこなしているにすぎず、相手がどんな女性なのかには興味がないのかもしれません。


  町山さんもこれまで恋愛映画は評論することを避けていた、と言います。それは、男にとって、「恋愛」が過去に傷ついた「トラウマ」以外の何物でもないからなのです。それ故、この本で、男の「トラウマ」として紹介される22本の恋愛映画は、恋愛に傷を負った男たちの物語なのです。


  では、恋愛に傷を負った男(監督)たちは、その「トラウマ」をどのように映画にしてきたのか。


  映画とは作り物なのですが、この本に紹介される恋愛映画には、実際に監督、原作者、脚本家が自ら経験した恋愛が記録されているのです。そして、そのすべてが、恋愛の失敗や不倫の恋の顛末、もしくはドンファンの行く末を描いている映画なのです。


  恋愛は、人の生物としての本能に根差しています。しかし、人には理性があり、我性があり、知性があります。さらに男と女は別の生き物です。そこに横たわる溝には、所詮人には飛び越えられない幅と深さがあるのだと思います。


【恋愛映画のもつ力】


  この本のために22本の映画を見た町山さんは、前書きの最後に語ります。「優れた恋愛映画はどんなホラーよりも怖くて、どんなコメディよりも笑えて、どんなミステリィよりも謎で、どんなAVよりもエロティックで、どんなアクションよりもエキサイティングだ!」


  その心は、町山さんの恋愛映画紹介にすべて語られています。


  それにしても町山さんは、映画マニアです。この本に収められた映画は、古くは1945年、デビッド・リーン監督の古典的名作「逢びき」から、2010年、デレク・アンフランス監督「ブルーバレンタイン」まで、およそ60年間に制作された映画から、男と女の深い溝を様々な形で世に問うた作品が22本並んでいます。


  ここで紹介される映画は、フィクションですが、ウディ・アレンの「アニー・ホール」やヒッチコックの「めまい」、フェリーニの「道」、をはじめとして、ほとんどの映画には、監督の恋愛経験が色濃く反映されており、力強いフィクションの底には、作者のノンフィクションが横たわっていることが良くわかります。


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(フェリーニ監督 映画「道」 ポスター)


  かのトリュフォーは、その生涯でたくさんの恋愛映画を撮っていますが、この本で取り上げられたのは、晩年の1981年に公開された「隣の女」です。映画のキャッチコピーは、「一緒では苦しすぎるが、一人では生きていけない。」です。


  この映画は、確かに「トラウマ」にふさわしい。


  フランス グルノーブルの郊外で幼い息子と妻と共に幸せに暮らすベルナール。あるとき、お隣にフィリップとマチルドという年の離れた夫婦が越してきます。ベルナールは、お隣の若き妻マチルドを見て驚きを隠せませんでした。マチルドは、若き日に恋に落ちた相手だったのです。古い街では隣人は良きお付き合いをせざるを得ません。二人は、その過去に触れずに隣人として過ごそうと努力します。


  しかし、運命に引き寄せられるように二人の恋には再び火が灯り、その火は二人の焦燥、抑制にもかかわらず炎のごとく燃え上がってしまうのです。不倫の情念。そして、その結末は。


  町山さんの評論は、映画の構成に忠実に、語り部の視点を紹介します。二人の住む家の近くには、スポーツクラブとレストランを経営するマダム・ジューヴが住んでいます。彼女は、若き日に恋に破れ建物の7階から飛び降り自殺を試み、片足が不自由なのです。映画は、このマダム・ジューヴの語りで進んでいくのです。


  この映画のキャッチコピーは、映画のラストでマダム・ジューヴが語る言葉なのです。


  町山さんは、この映画で語られる数々言葉が、監督トリュフォーが同棲していたカトリーヌ・ドヌーブが実生活で語った言葉であることを紹介します。そのことによって、最後に悲劇を迎えるベルナールがいかに身勝手であるかを浮き彫りにします。そして、この映画が、基本的にトリュフォーのわが身を語る映画であることを暗に語るのです。


トリュフォー隣の女01.jpg

(トリュフォー監督 映画「隣の女」ポスター)


  この本で紹介される映画は、恋愛映画でありながら、町山さんの言葉通りホラーも、コメディも、サスペンスも、エロティックも、すべてがそこに包含されています。そして、どの映画も男という生き物のさがが悲しいものであることを物語ってくれるのです。


  しかし、私が最も深いと感じた映画は、1965年のフランス映画「幸福」です。この本の中では珍しく女流監督であるアニエス・ヴァルダ氏が脚本も手掛けた作品です。そこに込められた謎は、深い。男性監督ではなく、女性監督によって描かれた、その底知れぬ怖さは、ぜひこの本で味わってください。


  この本の町山さんの語りは見事です。まだ見ぬ映画はぜひ見たくなり、すでに見た映画はもう一度見たくなります。男性は、反省と自重を込めて、女性は、男性の不可思議さを感じて、ぜひこの本でその映画を知ってください。人生の楽しみが増えること間違いなしです。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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