2020年02月12日

ついに完結!「スター・ウォーズ」シリーズ

こんばんは。

  いきなり閑話休題なのですが、戦後プロ野球の歴史を長嶋さん、王さんとともに作り上げてきたレジェンド、野村克也氏が亡くなりました。

  このブログでも野村さんの著書は数えきれないほど紹介してきましたが、日本のプロ野球に数々の新たなページを書き加えてきた氏の功績は何物にも代えがたいものだと思います。ニュースでは、その教え子たちのコメントが次々に述べられていましたが、同時代に切磋琢磨してきた人々の語りもさることながら、監督時代にその教えを学んだ高津監督や島選手の涙は我々の心を打ちました。

  3年前に奥さまを亡くしてからすっかり元気がなくなりましたが、同じ病状で亡くなったその仲睦まじさをそのまま天国でも続けていくものと、心からのご冥福をお祈りしています。

  野村さんの選手晩年と監督時代の活躍を同時代に味わうことができ、野球ファンとしてこれほどの幸せはありません。西武での生涯現役捕手時代、その後のID解説者時代、ヤクルトの黄金時代を築いたヤクルト監督時代、阪神監督時代、マーくんを育てた楽天監督時代、とすべての時代で我々に野球の奥深さを教えてくれました。その人間観察の確かさと弱者が勝つためのマネジメントは、これからも我々の指針として役に立つことに間違いありません。本当にありがとうございました。感謝です。

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(1995年 日本一のトロフィーを掲げる野村氏)

  さて、野村さんの話は一度おいて、今回は「スター・ウォーズ」の話です。

  ジョージ・ルーカス氏が壮大なサーガを構築し、そのサーガをもとに最も面白いエピソードを画像化するとのコンセプトで制作された映画「スター・ウォーズ」シリーズ。その大ヒットシリーズが、40年の時を超えてついに完結しました。

  「スター・ウォーズ」シリーズは、1977年から1983年にかけて制作公開された3部作が「オリジナル・トリロジー」。1999年から2005年にかけて作られた3部作が「プリクエル・トリロジー」。2015年から2019年まで作成され、ついに昨年末に最終作「スカイウォーカーの夜明け」が公開された3部作は「シークエル・トリロジー」と呼ばれています。「プリクエル」とは本編に対する前編を意味しており、「シークエル」とは後編を意味しています。

  つまり、最初の3部作は「オリジナルストーリー」であり、ルーカスが作成したアナキン・スカイウォ―カー(ダーズベイダー)の物語が「オリジナル」の前日譚であり、ディズニーが制作した直近の3部作が「オリジナル」の後日譚となるわけです。

  「オリジナル」からのスター・ウォーズファンとしては、年末に公開された完結編を見逃すわけにはいきません。先日、満を持してついに11回の上映となってしまった「スター・ウォーズ」最終完結編を見に行きました。

(映画情報)

・作品名:「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」(2019年米・142分)

(原題:「Star Wars The Rise of Skywalker」)

・スタッフ  監督:J.J.エイブラムス

       脚本:J.J.エイブラムス

          クリス・テリオ

・キャスト  レイ:デイジー・リドリー

       カイロ・レン(ベン):アダム・ドライバー

       フィン:ジョン・ボイエガ

       ポー・ダメロン:オスカー・アイザック

       ランド・カルリシアン:

                    ビリー・ディー・ウィリアムス

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(「スカイウォーカーの夜明け」ポスター)

【オールスターキャストの豪華さ】

  今回の「シークエル・シリーズ」の題名を見てみましょう。

  第1作目が「フォースの覚醒」、第2作目が「最後のジェダイ」、最終作は「スカイウォ−カーの夜明け」となっています。参考にこれまでの題名も見てみましょう。「オリジナル・トリロジー」は、1作目が「新たなる希望」、2作目は「帝国の逆襲」、3作目が「ジェダイの帰還」です。「プリクエル・トリロジー」は、第1作が「ファントム・メナス」、第2作が「クローンの攻撃」、第3作が「シスの復讐」となっています。

  題名を追っていくとよくわかりますが、銀河世界をすべて手中に収めようするシス一族とそれぞれの民族の自由独立を守ろうとする共和国軍の闘いという大きな流れの中で、「フォース」という精神力(気)を持つジェダイと呼ばれる共和国の騎士団がシス一族と相対する物語が紡がれていくことになります。ここで非常に重要な要素は、ジェダイの騎士が操る「フォース」は、暗黒面としての側面も有しており、シス一族も暗黒面の「フォース」を操ることができるという点です。

  「オリジナル」では、ジェダイの騎士の最後の生き残りは2人いて、その一人がオビ・ワン・ケノービーであり、もう一人がヨーダでした。一方、シス一族の帝国軍ではダース・ベイダー卿という将軍が暗黒面の「フォース」を操ります。「オリジナル・トリロジー」では、様々な謎が、物語の進行につれて我々に明かされていくことになります。まず、2作目で主人公であるルーク・スカイウォーカーの実の父親がダース・ベイダー卿であることが明かされ、我々に衝撃を与えました。

  いったい敵と味方に分かれて争う「フォース」の持ち主たちが親と子であるとはどうゆうことなのか。その驚きが継続されたまま、作品は第3作目へと突入します。さらに第3作目ではそれ以上に驚きの事実が明かされることになります。それは、共和国軍の王女であるレイア・オーガナ姫が、ルーク・スカイウォーカーの双子の兄妹であるという、これまた衝撃の事実です。次々と明かされる謎に我々は驚くのですが、これこそがジョージ・ルーカスが作品に仕掛けたワンダーのひとつだったのです。

  そして、「オリジナル」で明かされた衝撃の事実がなぜ生じたのか。それを解き明かしたのが21世紀の幕開けに制作された「プリクエル・トリロジー」だったのです。

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(エピソード1「ファントム・メナス」ポスター)

  こうした物語を踏まえて、その後を描こうとする「シークエル・トリロジー」の構想は、物語の構成からして非常にハードルが高かっただろうと想像されます。まず、驚いたのは新たな主人公の創出です。ファミリーネームを持たないレイという女性。第1作目は、彼女にリアリティと存在感を与えるために作られたといっても過言ではありません。そのリアリティは、フィンという帝国軍からの脱走兵によって強調されています。この二人を創出したことで、「シークエル・トリロジー」はやっと動き出すことができたのではないでしょうか。

  レイにはなぜか「フォース」が宿っているようです。その存在は、第2作目に進んで彼女は世捨て人であったルーク・スカイウォ−カーを発見し、ジェダイの修業を受けるようになっても、依然謎のまま最終作へと突入します。一方で、「オリジナル・トリロジー」の人々の人生もレイと同時並行で進んでいきます。

  「シークエル」では、ルーク・スカイウォ―カーもレイア・オーガナ姫もハン・ソロもそれぞれ年齢を重ねて登場します。レイア姫は、シス一族の流れをくむ「ファースト・オーダー」と名乗る新帝国軍に対抗し、今や共和国軍を率いる将軍となっています。ハン・ソロとは別れていますが、その間にベンという一人息子を設けました。ところが、ベンはまるでダース・ベイダーのように暗黒面の「フォース」の力に取り込まれ、何と帝国軍の将軍となっているのです。

  ここで、「シークエル」に過去の歴史が繰り返されることになります。ベンは、カイロ・レンと名を変えて、シスの手先となって母親であるレイア姫率いる共和国軍と対峙することになります。こうして、1作目ではハン・ソロが殺され、第2作ではルーク・スカイウォーカーが渾身のエネルギーを使い果たして地上から消え失せ、レイア姫も第3作で帰らぬ人となります。そして、物語はシス一族対レイの闘いをクライマックスとして壮絶な最後が描かれることとなります。そして、ここに至って、最後に残されたレイの出生の秘密が明かされることになるのです。

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(帝国軍の戦艦 スターデストロイヤー buzz-plus.com)

  今回は、「オリジナル」の2作目からハン・ソロやルークに力を貸したランド・カルリシアン将軍も登場し、まさにオールスターキャストの映画となりました。完結編には、亡くなったハン・ソロやルーク・スカイウォーカーも登場し、物語で重要な役割を演じることになるのです。

【ディズニー・スター・ウォーズとは?】

  これまでも、「フォースの覚醒」、「最後のジェダイ」をご紹介した回でディズニー映画となった「スター・ウォーズ」がいかにノスタルジー映画になっているかを語ってきました。今回の最終話もやはり「壮大なノスタルジー映画」であることに変わりがありません。

  これ以上深入りすると、第3作目の最終映画のネタばれとなってせっかくのワンダーを削ぐことになってしまうので、具体的なシチュエーションは語らずに話を進めます。

  この物語の進行から言えば、当然ラストは「シークエル・トリロジー」の主人公であるレイと帝国軍を率いるシス一族の首領との対決となります。シスの本拠地はこれまで謎に包まれていましたが、今回、ついに銀河の奥深くに隠されたシスの本拠地が判明し、帝国軍の数万に及ぶ大編隊に共和国軍が全兵力を動員して最後の決戦を挑みます。帝国軍では、これまでも惑星を吹き飛ばすパワーをもつスーパーレーザー砲が惑星基地「デススター」に搭載されて登場しましたが、今回はそのスーパーレーザー砲が装備された戦艦が登場します。

  今回描かれる最後の決戦は、これまでとは比較にならないスケールで描かれます。数万の艦隊である帝国軍に対して、共和国軍の艦隊は数えるほどの艦隊でしかありません。敵の弱点に対してワンポイント攻撃を試みるのですが、多勢に無勢。少数精鋭の部隊で帝国軍の旗艦に乗り込んだフィンたち一隊も苦戦を強いられます。

  「オリジナル」でデススターに追い詰められたルークたちにはエンドア星の住人であるイウォーク族の加勢があり、民族を超えた連帯の力強さが描かれていました。その連帯が我々に大きな感動を生んだのですが、今回も最後の決戦に臨んで生命の大きな連携がカギを握ります。しかし、その連携の描かれ方に今ひとつリアリティがないのです。

  もちろん、リアリティを出すための工夫が随所でなされていることに間違いはありません。シス族が潜む星を見つけるためにレイとフィン達は部隊を編成して、ヒントとなるシスの言葉を解読するためにキジーミという星に潜入します。そこは、共和国軍のポー大佐が昔悪事を働いていた星で、昔なじみのゾーリ・ブリスという女性が仲間として登場します。そこのやり取りは泣かせるエピソードなのですが、このエピソードが最後の決戦のにくい伏線となっており、リアリティのための工夫の一つなのです。

  ポー大佐が世話になったキジーミ星は、帝国軍が新たに建造した旗艦船に備えられたスーパーレーザー砲によって木端微塵となり、宇宙の藻屑と消えてしまうのです。

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(究極の兵器 デス・スター wired.jpより)

  しかし、こうした周到に用意されたエピソードでリアリティを醸し出そうとする演出にもかかわらず、ラストシーンが終わったときに涙が出るような感動は湧き出てきませんでした。なぜなのでしょうか。それは、映画の展開があまりにも忙しすぎたせいだと思います。この映画は、レイという新たなジェダイの後継者とルークたち(カイロ・レンを含む)の物語の2本だてとなっています。しかし、その伏線の描き方が丁寧ではありません。これまで、ファンが知っている「オリジナル」を意識するあまり、あまりに多くのエピソードが詰め込まれて、エピソードのリアリティが希薄になっていると思えるのです。

  映像としてのワンダーも黒沢映画のワンダーを踏襲したジョージ・ルーカスのような驚きを醸し出すこともなく、脚本も破綻のない物語展開を意識するあまり、オリジナルのワンダーを出し切れていないという印象でした。

  さすが、ハリウッド映画として最高のエンターテイメントになってはいるのですが、「スター・ウォーズ」としては、前作以上に「壮大な二番煎じ」との印象は鑑賞後に湧き出てきた感想です。それでもさすがはディズニーです。2時間20分。映画としては十分に楽しむことができました。

  この「シークエル・トリロジー」は、独立したシリーズとして3本をまとめて見ればより大きな感動を感じることができるのかもしれません。いつか、時間があれば味わってみたいものです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 21:50| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月06日

権藤博 二宮清純 投げ勝つか、打ち勝つか

こんばんは。

  今年もいよいよ各球団が国内でのキャンプインへと動き出しました。

  最近はサッカーやラグビーとスポーツ人気も多様化しています。おまけに今年は東京オリンピック、パラリンピックの開催を夏に控えて、プロ野球もシーズンを中断することが決まっています。野球人気は衰えるのか、との危機感もあるようですが、日本人の野球好きは変わりません。

  この時期は、巨人ファンもヤクルトファンも阪神ファンも広島ファンも横浜ファンも中日ファンも、日本ハムファンも西武ファンもソフトバンクファンも楽天ファンもロッテファンもオリックスファンも、同じ気持ちでキャンプインを迎えています。シーズンが始まると、ペナントレースの勝敗に一喜一憂し始めるのですが、今は、どの球団にも優勝、日本一の可能性があり、いくらでも期待を語ることができるからです。

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(西武キャンプに入る松坂投手 sankei.com)

  セリーグでは昨年巨人に原監督が戻ってきて、3年ぶりのリーグ優勝が期待されました。このブログでもこれまでの実績から言って百戦錬磨の原監督の手腕は期待できると語りました。シーズン終盤に一時苦戦したこともありましたが、さすがは名監督。キチンと勝どきをわきまえて勢いを復活させリーグ優勝を果たしました。

  本当に残念だったのは、広島カープでした。昨年引退した新井兄貴、そして、FA宣言により巨人に移籍した丸選手の穴は容易に埋められるものではありませんでした。夏には一時、巨人に1ゲーム差にまで迫り、セリーグを大いに盛り上げましたが、失墜。終盤に奇跡の逆転劇を演じた阪神に追い上げられ、最後にはBクラス、第4位でシーズンを終了しました。緒方監督は引き際もみごと。今シーズンが楽しみです。

  私が好きなヤクルトでは、大リーグから復帰した青木宣親選手の大車輪の活躍がすべての試合を盛り上げたことに間違いありません。個人的には山田哲人選手の4度目のトリプルスリーを期待していたのですが、わずかに及ばず悔しい思いをしました。しかし、19歳の新鋭村上宗隆選手が36本塁打を放ち、高卒2年目の新記録を打ち立てた活躍には心が躍りました。今年は、村上選手も20歳となり、優勝のビールかけで初めてのビールを味わいたい、との頼もしいコメントを表明し、今年の活躍も楽しみです。何といっても今年は、野村ヤクルトで大活躍した抑えのエース、高津臣吾氏が監督に就任するので、快進撃を期待しています。

  野球の話になると止まりませんが、こんな話になったのは、今週読んでいた本当に面白い野球対談本のせいなのです。

「打者が嫌がる投手論 投手が嫌がる打撃論」

(権藤博 二宮清純著 廣済堂新書 2019年)

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(権藤博野球対談第二弾 amazon.co.jp)

【野球は奥の深いスポーツだ】

  権藤さんと言えば、1998年にハマの大魔神を擁して横浜ベイスターズを38年ぶりの日本一に導いた監督として有名ですが、1960年代には最多勝投手として一世を風靡した投手だったのです。近年では、日本代表サムライジャパンの投手コーチや中日の投手コーチに返り咲くなど、日本一の投手コーチと呼ばれています。すでに今年82歳となりますが、この対談を読むとまだまだその野球頭脳は健在で頼もしい限りです。あの野村克也氏も85歳にしてまだまだお元気ですので、このお二人の野球談議には目が離せません。

  実は、この本には前作があります。ブログでもご紹介しましたが、その対談本の名前は「継投論」。権藤さんは、横浜ベイスターズ時代に佐々木主浩投手をクローザーに抜擢し、先発、中継ぎ、クローザーという現代野球を作り上げたことで日本一となりました。なぜ、分業制を取り入れたのか。この本はその戦略の「心」を語りつくした本で、スポーツジャーナリスト二宮清純氏のみごとなリードと相まって、野球の面白さをふんだんに味あわせてくれる名対談でした。

  本屋でこの本を目にしたときに、「継投論」の面白さが胸によみがえり、即座に手に取ってレジに向かいました。

  そもそも皆さんもこの題名に目を引かれませんか。野球はピッチャーが投げた球をバッターが打ち返して、得点を取ることでゲームが成立します。前作は、大投手であり、日本一の投手コーチであった権藤氏がピッチャー目線で野球の「勝つ戦略」を語ったわけですが、今回は投打にうんちくが広がっていきます。対談のはじまりから、権藤節がさく裂します。

  考えてみれば、野球においてピッチャーほど打者のことをよく見ている選手はいません。ことに権藤氏が現役の時代。投手は先発完投型ですから、完投したとすれば一試合で最低でも27回バッターを見ています。さらに選手交代があれば、30回以上のバッターを見ているわけです。それが、5球団を相手にするわけですから、単純に計算しても150回、さらに交流戦があれば330回バッターをみていることになります。

  とすれば、ピッチャーは投手のことを語ることができるのは当然として、それ以上に打者のことを語る資格があることになります。今回の対談では、二宮さんがこうした観点で権藤氏の打者論を引き出していきことになるのです。

  さて、先ほど昨年のセリーグについて語りましたが、昨年のパリーグは複雑でした。パリーグでは、工藤監督率いるソフトバンクホークスが日本シリーズに勝利し、3年連続日本一という快挙を成し遂げました。しかし、ペナントレースでは2年連続でリーグ2位と後塵を拝しました。この2年、パリーグを制したのは辻監督が率いる西武ライオンズです。辻監督は、ライオンズ黄金時代の名手。打順は1番の巧打者との印象が強く、日本シリーズでは相手を翻弄する巧打を何度も目にしました。辻監督は、明るく楽しくがモットーで、山川選手、中村選手、森選手など、常に華々しく打ち勝って2年連続リーグ優勝を勝ち取った野球はとても魅力的です。

  埼玉ライオンズのファンとしては、打の強さはそのままにピッチャー陣の防御率や被安打数を抑えることでリーグ優勝のみならず日本一に輝いてほしいと期待しています。

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(辻西武パリーグ二連覇  yahoo.co.jp)

【目からうろこの権藤野球】

  前作の「継投論」でも目からウロコがたくさん落ちましたが、今回の対談も引き続きウロコは落ち続きます。権藤氏は、投手コーチの仕事を「いかにバッターに打たれずに試合に勝つか」を考えることだと言い切ります。バッターに打たれないためには、バッターのことをよく知らなければなりません。その意味では、投手コーチほどバッターを観察し、バッターを考え続ける仕事は他にないわけです。ましてや権藤氏は日本一と言われた投手コーチです。つまり、打者を語るのに氏ほどふさわしい人はいないということなのです。

  まず、冒頭からユニークな野球論が切り広げられます。キーワードは、3割。野球のバッターは、打率が3割を超えれば超一流です。つまり、ピッチャーの投げる球を10回受けて、そのうちの3回ヒットを打てば目標達成です。それではピッチャーはどうでしょうか。ピッチャーは、逆に7割以上打者を抑えなければその仕事がなりたたないことになります。3割打ちたいバッターと7割抑えたいピッチャーと比べてみればピッチャーの方がバッターのことを四六時中考えていなければ抑えられないということになる、というのです。なるほど。

  さらに権藤氏は、これまで日本野球で常識であった考え方に大きな疑問を呈します。

  我々は、少年野球から始まって高校大学まで、ずっと野球に親しんできました。その中で、「低めの球は打ちにくい。」とは常識でした。プロ野球の解説でも「ピッチャーが低めに球を抑えることができたのがよかったですね。」とか「球を低めに集めたのが勝因」だとか日常的に語られています。ところが、氏は、現代野球では「低めに投げろ」は大間違いだというのです。

  それは、今や時代が違うということなのです。皆さんは、「フライボール革命」という言葉をご存じでしょうか。これは、統計的な話に基づきます。大リーグで、一定のバットスピードである角度のフライを打つと、安打率は5割、長打率は1.5倍に増加することがわかりました。このことにより、適正な角度(26度〜30度)を意識してフライを打てば、安打、ホームランが増加することが証明され、大リーグではどの打者もフライを打つことに専念するようになったのです。

  かつて、野球では「ボールを転がす」ことが安打の秘訣と教わってきました。ランナーがいてもボールを転がしさえすれば、イレギュラーや捕球動作の時間によってランナーもバッターも生きる可能性が高い、とされていたのです。であれば、打者はダウンスウィングを徹底してボールをたたくことに専念することになります。ところが、フライボール革命後、フライをあげるために打者はアッパースウィングを心掛けるようになります。

  そうすると何が起きるのか。低めの球はすくい上げることによってホームランになる確率が高い球となったのです。逆に胸元の速球は浮き上がることによってアッパースウィングではとらえにくい球となったのです。

  昨年、西武の菊池雄星投手が、イチローがプレーしていたシアトル・マリナーズに入団し、大リーガーを相手に先発投手として活躍しました。しかし、入団してしばらく菊池投手はなかなか勝ち星を挙げられず、初勝利を挙げたのは6試合目の登板でした。権藤氏は、この不振の原因を「低め文化」のなせる業だといいます。フライボール革命後の大リーグ選手は、低めをホームランすることを得意としている。菊池投手は、「困ったときは低めに投げる。」という昔ながらの教えが身についており、そこをやられた、というのです。

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(菊池雄星投手 大リーグデビュー bunshun.jp)

  80歳を過ぎて、時代の最先端を見る目は確か。その見識には脱帽です。

【ピッチャーにとって嫌な打者とは】

  この本は、どこを読んでもプロ野球を見る目が変わる情報が満載されています。

  その中でも、昔からの野球ファンにとっては「嫌なバッター」といして名前が挙がる第4章は思わずうなずきながら読める、楽しい1章です。西部の黄金時代、権藤氏は近鉄バッファローズや福岡ダイエーホークスのピッチングコーチを務めており、西武とは真剣勝負を演じていました。このときには、石毛選手が3番バッターとして活躍していたのですが、この石毛選手のエピソードは本当に面白い。それは、石毛の三打席目には苦労した、という話です。

  それは、一打席目、二打席目、石毛は普通のバッターだが、三打席目には恐ろしいバッターに変身するというのです。それには2つの意味があります。ひとつは、打率的に言って、石毛選手は3打席目には安打を打つためにその形相が全く変わります。そのため、集中力が高くなり、勝負師となり必ず塁に出るのです。もうひとつは、石毛選手の三打席目には決まってチャンスが訪れる、ということです。

  権藤氏いわく、強いチームというのは勝負強い打者の前に必ず得点につながる場面が回ってくるものだ。またいわく、弱いチームは逆にその日に調子の悪いバッターのところに得点チャンスの場面が回ってくる、そうです。つまり、当時の西武は石毛選手の三打席目に必ず得点につながる場面が回ってきたということなのです。そのときの石毛選手は最も嫌なバッターだったといいます。

  ネタばれ、となりましたがご安心ください。石毛選手以外にも、嫌な打者は次から次へと語られていきます。石毛選手と同じ時期にプレーしていた、今や監督である辻選手。巨人では伝説だった篠塚選手。今やベテランとなったソフトバンクの内川選手。ベイスターズ優勝時にマシンガン打線の一角を担った石井琢朗選手、今や巨人の顔となった坂本勇人選手。なぜ、彼らがピッチャーにとってそれほど嫌な選手なのか。その理由はぜひこの本でお楽しみください。

  バッターの話も面白いのですが、ピッチャーの話はもっと楽しめます。先日亡くなったレジェンド金田投手から大リーグで日本人第一号であった野茂英雄投手、かみそりシュートの平松投手。ベイスターズの現在のストッパー、山崎投手。今や日本のエースといってもよい菅野の投手、etc。そこで飛び出す権藤節はみごとです。

  野球の話は本当に楽しいですね。皆さんもぜひこの本で野球の今を味わってください。時間を忘れて読みふけること間違いなしです。ああ、開幕が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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posted by 人生楽しみ at 21:27| 東京 ☀| Comment(0) | スポーツ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月30日

更科功 絶滅の次は残酷な進化!?

こんばんは。

  ひところ、「人類の進化」が流行っていた時期がありました。それは、ネアンデルタール人よりも小さな脳を持つ我々ホモ・サピエンスは、なぜ唯一の人類として生き残ったのか、との疑問をNHKの特集「人類誕生」が取り上げたことがきっかけのひとつです。そのときに読んだのが、更科功氏の本「人類の絶滅史」でした。

  この本のワンダーは、700万年前、我々ホモ・サピエンスがこの世に誕生するまでに、地球上には25種類以上も人類がいることが確認されていたという事実。さらには、そのすべてがネアンデルタール人を最後に絶滅し、1万年前に共存していたネアンデルタール人が絶滅してからは、我々ホモ・サピエンスが唯一の人類だ、という事実でした。

  我々が生き残り、この地球ですべての生命の頂点に君臨すると思っているのはなぜなのか。その理由が食料を調達するため、また、子供を育てるため、であったことが分かり易い語り口と意外な例示で示されていき、本当に面白い本でした。それ以前に読んだ「化石の分子生物学」は、講談社科学出版賞も受賞しており、その語り口はとてもなめらかです。

  先日本屋さんで新書の棚を眺めていると、またまた「更科功」の文字が目に入りました。いったい今回は何を語ってくれるのか。楽しみにレジへと向かいました。

「残酷な進化論 なぜ『私たち』は『不完全』なのか」

(更科功著 NHK出版新書 2019年)

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(更科功「残酷な進化論」amazon.co.jp)

【ワンダーを紡ぐ語り口】

  この本を読んでいて思い出したのは、福岡伸一ハカセです。今やその著作がスッカリ有名になりましたが、ベストセラーとなった「生物と無生物の間」はハカセの郷愁を感じる描写とこれまでの生物学の発見と進歩を解き明かすワンダーが相まって、最後まで一気に読み終わってしまう素晴らしい著作でした。思い出したのは、どちらも分子生物学の研究者であるところが共通だからです。

  もっともその専門分野は異なっており、福岡ハカセが現在の分子生物学を研究し、我々は新陳代謝によって毎日生まれ変わることで生きている、といってもよい「動的平衡」との概念を我々に教えてくれます。一方の更科功氏は化石や古生物の分子を研究してまさに進化の謎を解き明かそうとする研究者です。

  福岡ハカセが研究の道を志したのは、ルドルフ・シェーンハイマー。片や更科功氏が探求しているのはかのチャールズ・ダーウィン。とその研究対象には違いがありますが、生命の分子的研究によって「生命」とは何か、「生きる」とは何か、を究明するとの姿勢はまったく変わりがありません。

  「動的平衡」によれば、我々生命は、自らのすべての細胞を日々新たな細胞に更新することによって生命を維持するのであり、人は1週間もすればすべての細胞が更新されて、まったく新しい命になっていると言います。

  子供のころ姉と一緒にふろに入ると、姉がいつも「あかすり競争」を仕掛けてきました。それは、体を洗うときに体を洗ったタオルをゆすいだ時に、どちらがたくさん「アカ」が落とせたかを競う遊びです。当然、いつも私が勝つわけですが、今思えば、お風呂が大嫌いだった私をふろに入れる作戦だったわけで、姉の戦略には今更ながら脱帽です。

  シェーンハイマーのたんぱく質入れ替え理論や「動的平衡」と聞くと、いつも昔懐かしい「あかすり競争」を思い出します。

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(福岡伸一「動的平衡」amazon.co.jp)

  福岡ハカセは置いておいて、今回は「進化」の話です。

  更科さんの語り口は、分かり易く、なめらかです。なぜ分かり易いのかといえば、話の枕がとても興味深い例示や質問になっていることが大きな特徴です。プロローグで、氏は語ります。仮に遥かなる未来、地球が消滅する前に地球生物は地球を脱出し、様々な星に避難民として移民します。ある星には、人間と松の木とミミズが移住しました。

  最初のうちこそ異星人たちもその境遇に同情して優しく接してくれますが、時がたつにつれて居候に嫌気がさしてきます。何か役に立ちたいと思っていた松の木は、光合成という能力を発揮して、その星の二酸化炭素を酸素に換えて空気の浄化に役立ちました。異星人は、なかなかよく働く木だと見直します。それを見ていたミミズは、私もと、その星の土壌を耕して滋養豊富な土に換え、異星人たちに豊作をもたらします。異星人たちは、ミミズの働きに感謝しました。

  はたして人間は何をしてくれるのか。人間は、「バカにするな。我々は地球でもっとも繁栄した生物で、特別だったんだ。松の木やミミズと一緒するな。」と腹を立てます。それでは、いったい何ができるのか、と聞かれて、「我々は足し算ができる。」と答えました。しかし、足し算はその星の住民でもできることなので、役には立たなかったのです。

  こんな話から始まる本は、それで次は?と先を読みたくなるわけです。確かに人間は、自分たちを進化の最高位にいる生物だと思い込んでいるフシがあります。果たしてそうなのでしょうか。我々は、ダチョウのように地上を高速で走ることもできなければ、カラスのように空を飛ぶこともできません。昔は仲間であった猿のように木登りもできません。にもかかわらず、我々は、他の生物より優れていると思っています。

  それは、「進化」という言葉を正しく理解していないからなのではないか。では、進化とは何なのか。それは、我々の細胞が毎日入れ替わっていく「動的平衡」の先にある「自然淘汰」によってもたらされる生命行動そのものなのです。この本は、我々にそのことを教えてくれます。

【ダーウィンと進化論の間】

  さて、この本の目次を覗いてみましょう。

序章 なぜ私たちは生きているのか

第1部 ヒトは進化の頂点ではない

 第1章 心臓病になるように進化した

 第2章 鳥類や恐竜の肺にはかなわない

 第3章 腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」

 第4章 ヒトと腸内細菌の微妙な関係

 第5章 いまも胃腸は進化している

 第6章 ヒトの眼はどれくらい「設計ミス」か

第2部 人類はいかにヒトになったか

 第7章 腰痛は人類の宿命だけれど

 第8章 ヒトはチンパンジーより「原始的」か

 第9章 自然淘汰と直立二足歩行

 第10章 人類が難産になった理由とは

 第11章 生存闘争か、絶滅か

 第12章 一夫一妻制は絶対ではない

 終章 なぜ私たちは死ぬのか

  面白そうですね。この本には、これまで著者が研究し、様々な場所で発表してきた内容がギッシリと、しかも分かり易く詰まっています。そして、すべての章がたとえ話と想定問答、それに対する意外な答えによってワンダーを感じながら進んでいきます。

  皆さんの中には、牛乳が苦手な方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の友人たちにも牛乳が苦手で、飲むとおなかがゴロゴロ言っておなかを壊すとか、おならが止まらなくなるとか、飲めない人がたくさんいます。この本を読んでびっくりしたのですが、人類はもともと大人になると牛乳が飲めなくなるようにできている、というのです。

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(ピンクフロイド「原子心母」amazon.co.jp)

  母親は子供が生まれる前からお乳が張って、ミルクが出るようになります。最初の子供ができたときに連れ合いが、子供が母乳をのまないと胸が張って痛くなると苦労して搾乳していたことを思い出します。母乳や牛乳は、子供に必要な糖分が乳糖としてたくさん含まれているそうです。この乳糖はラクターゼという酵素によって分解され、吸収されます。

  生まれたての赤ちゃんは、乳糖を栄養に換えるためにこのラクターゼを体内で作り出すのですが、成長して母乳を飲まなくなるとラクターゼは不要となるため無駄な生産を取りやめるというのです。つまり、母乳を飲まなくなると人間はラクターゼを分泌しなくなるので、牛乳が消化できなくなるのです。ということは、牛乳を飲んでおなかを壊すのは、人として当たり前のことだったのです。

  ところが、紀元前6000年ころに人間に「ラクターゼ活性持続症」なる症状が発症しました。牛乳を飲んでそれが栄養となる人は、この「ラクターゼ活性持続症」を発症した病人?だそうなのです。この病気は北欧で特に多いようですが、仮説としては酪農によって人間が動物のお乳をのむようになってこの症状が発症するようになったのでは、といわれています。(ただ、アジアに住む人は10%程度の人しかラクターゼを持たないが、モンゴル人は昔から家畜の乳を飲んでいるとの事実もあるようです。こちらは、腸内細菌の活躍によるのかな?)

  進化というと、100万年単位で突然変異によって起きるとのイメージがありますが、大人になってもラクターゼが活性しているという進化は、数千年単位で起きたものであり、進化は常に起きつつあるとの証左であるとわかります。

【進化のすごさとダーウィンの誤謬】

  ダーウィンの進化論は、人間の優位性や唯一性を信じる19世紀の人々には受け入れがたい説でしたが、今でも宗教的な理由や信念として進化論を拒む人たちもいるようです。そうした人々の一つの論拠として人間の目のような完全な機能は進化では作り上げようがなく、目はもともと備わっていた器官であり、進化論では説明できない、との主張をこの本では取り上げています。その語りは本当にワンダーですが、その楽しさはぜひご自身で味わってください。

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(ダーウィン「種の起源」amazon.co.jp)

  ところで、更科氏はこの本とは別にダーウィンの進化論に関する本も上梓していますが、この本でも分かり易くダーウィンの誤謬についても触れています。ダーウィンの進化論での主張は、生命は自然淘汰によって環境に適用するように進化を遂げる、としており、その進化は常により環境に適用するように進んでいくように理解されています。

  しかし、進化が常に前に進むものだとすれば、生きている化石と呼ばれるシーラカンスやカブトガニ、オウムガイなどが数億年前と同様な姿で現在も生きているのはなぜなのでしょうか。この本では、そのことも教えてくれています。生きている化石のみならず、地球上に住む最小の菌たちは、分裂することによって死ぬことなく生命誕生以来40億年も生きながらえていると言います。

  ここで興味深いのは、「進化」には2種類あるとの指摘です。ひとつは「方向性選択」による進化。もうひとつは「安定化選択」という進化です。我々がダーウィンによって知らされた進化は「方向性選択」による進化です。自然淘汰が働いて突然変異が起きたとき、その変異が生きていくのに有効な変異であれば、進化はその方向に進んでいきます。いわいる進化のアクセルが踏まれます。

  一方、自然淘汰による突然変異が生きるために不利に働いたとすればどうでしょう。その変異はすぐに取り除かれて進化はそのまま止まります。つまり、「安定的選択」とは進化しない進化と言えます。このように進化は、アクセルとブレーキを使いながら進んでいくので、ゆっくりと進むように見えますが、牛乳が飲める「ラクターゼ活性持続症」という進化にはブレーキを聞かせる必要がなかったので数千年と言うアクセル全開のスピードで進化したと言います。


  さて、進化とは生きることと同義なのですが、生命が死ぬことは進化の結果だと言います。それは果たして本当なのでしょうか。その答えは、ぜひこの本で解明してください。この本は科学を探求する本なのですが、なんだか宗教の本のようにも思えるから不思議です。ワンダーに楽しめること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2020年01月26日

稲葉振一郎 銀河帝国興亡と現代の闘い

こんばんは。

  SFの世界で古典的作家といえば、アイザック・アシモフの名前が挙がります。アシモフは学生時代からたくさんのSF作品を発表し、その72年の生涯で、科学者としても著作を残すと同時にノンフィクションライターとしても多くの著作を発表しました。その著作は500作以上とされており、SFのみならず、現代の知者の一人といってもよい作家です。

  同じくSF作家では、「地球幼年期の物語」のアーサー・C・クラーク、「夏への扉」のロバートA・ハイランインと並べてSF御三家と呼ばれています。こうした著者のSFはどれも面白く、かつてその作品たちのセンス・オブ・ワンダーに夢中になりました。

  アシモフと言えば、一連のロボット短編集と最大のロマンである「銀河帝国興亡史」が最も有名な作品群といっても過言ではありません。先週、恒例の本屋さん巡りをしていると新書の棚で、「銀河帝国」、「ロボット」という文字が目に飛び込んできました。思わず手に取ってみると、どうやら社会学者の方が書いたロボット本のようでした。なかなか興味深そうなので他の本と一緒に購入しました。今週は、SF世界から人類の未来を語ろうとする本を読んでいました。

「銀河帝国は必要か−ロボットと人類の未来」

(稲葉振一郎著 ちくまプリマー新書 2019年)

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(「銀河帝国は必要か?」amazon.co.jp)

【アシモフに見る未来】

  まず、結論をお伝えしましょう。

  この本はアシモフのファンにはとてつもなく興奮する本ですが、そうでない読者にはどこに焦点があてられているのか、理解しにくい内容となっています。

  さて、アシモフと言えば、「われはロボット」という短編集がすぐに頭に浮かびます。私も最初に読んだのはこの本でした。この本がアメリカで上梓されたのは1950年といいますから、まさに古典といってもよい作品です。ロボットは、チェコの作家、チャペックが人間に変わって使役的作業を行う機械を小説に登場させ、その名をロボットと名付けたことがはじまりと言われていますが、自分で考え自分で動く自動人形(ロボット)は、SF世界では代表的な一分野を築いています。

  特にアシモフが有名なのは、ロボットSFの基本となるような概念を作品に持ち込んだからです。それは、「ロボット工学三原則」と呼ばれ、その後のロボットSF作品に大きな影響を及ぼしました。その三原則とは、@ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。Aロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、@に反する場合は、この限りでない。Bロボットは、前掲@およびAに反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。というものです。

  この三原則が「アシモフの三原則」と呼ばれることに関してアシモフは、自分は科学者の端くれなので、架空の科学分野における架空の原則で後世に名を残すのは本意ではない。将来現実のロボット工学が発達して三原則が実用されれば真の名声を得られるかもしれない。仮にそうなるとしても、どのみち自分の死後のことだろう。と話したといいます。アシモフが亡くなったのは1992年。確かにその後ロボット工学は驚異的に発展しましたが、現実世界で三原則の話はいまだ聞いたことがありません。

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(アシモフ名作「I ROBOT」amazon.co.jp)

  今回の本の主題は、すでに現実となっているAI技術を含めたロボット工学の世界で、人類がこれまで築いてきた様々な倫理学が今後どのように変化していくのかを、SF世界を分析することで見極めようとする試みなのです。

  その目次を覗くと、この本でいうSFとは正にアシモフ世界のことを指しているのです。

1章 なぜロボットが問題になるのか

2章 SF作家アイザック・アシモフ

3章 宇宙SFの歴史

4章 ロボット物語−アシモフの世界から(1

5章 銀河帝国−アシモフの世界から(2

6章 アシモフと人類の未来

  さて、アシモフのファンは、そのSFがロボットシリーズとファウンデーションシリーズに二分されていることをよくご存じと思います。この本の第1章での問題提起を読むと、人類の未来とロボットの関係を社会学的に論じるつもりであることが語られていますが、第2章以下を読み進むにつれて、この本の著者である稲葉氏が、SFとアイザック・アシモフを分析しようとする社会学的な意志を感じます。

  著者は、第4章でアシモフのロボットシリーズを分析し、さらに第5章ではファウンデーションシリーズの分析へと取り掛かります。アシモフファンにはたまらない展開。なつかしさとその目の付け所にワンダーを感じます。

  「ファウンデーション」というとアシモフの読者でない方は、けげんに感じると思いますが、ファウンデーションシリーズの日本での翻訳は「銀河帝国の興亡」または「銀河帝国興亡史」という名称で上梓されています。日本語の題名を見て、世界史を専攻した方は歴史家ギボンが記した「ローマ帝国衰亡史」を思い出すと思います。若きアシモフは、まさにその本を読んでこの500年間にわたる銀河帝国を物語る小説を構想したのです。

  作家で科学者であったアシモフは、初期の作品群でロボットシリーズとファウンデーションシリーズを全く別の小説として構想し、小説にまとめています。近未来を描くミステリーの傑作「鋼鉄都市」では、ロボット刑事であるダニールが登場し、謎に満ちた殺人事件を人間の刑事であるベイリとタッグを組んで解決していきます。ロボットシリーズは、その後、この二人を主人公として続いていくことになります。

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(アシモフ「鋼鉄都市」amazon.co.jp)

  最初の「銀河帝国(ファウンデーション)シリーズ」は、宇宙ものSFの傑作でしたがそこに記された未来にロボットはまったく登場していません。一方のロボットシリーズは、ロボット工学三原則を基本とした推理小説仕立てのミステリィであり、その内容は銀河帝国とは関係のない物語でした。その後、アシモフは科学やノンフィクションを書くことに興味を抱き、さらに現代ものの推理小説も上梓します。しばらく、ロボットもファウンデーションも執筆されることはありませんでした。

  しかし、ファウンデーションシリーズを1953年に上梓し、ロボットシリーズの続編を1957年に上梓してから25年後、アシモフはファンの要請にこたえてシリーズの続編を構想します。1982年に「ファウンデーションの彼方に」で再びシリーズをスタートしたアシモフは、ロボットとファウンデーションをつなぐ物語の構想を想起しました。それは、「銀河帝国」の物語になぜロボットが登場しないのか、とのなぞを解明する物語だったのです。

  ちなみに日本語訳の「銀河帝国興亡史」は、ファウンデーションと呼ばれる人類の永遠にわたる存続を目標とする組織と相対する銀河帝国の興亡を描いており、最初の三部作の題名としてはふさわしかったのですが、1982年以降の作品と「銀河帝国」はそぐわない題名です。なぜなら、前期と後期をつなぐ500年にわたる物語は、銀河帝国ではなくファウンデーションが主役だからです。

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(アシモフ「銀河帝国興亡史」amazon.co.jp)

【アシモフを巡る未来への議論】

  著者は、第1章で現在2045年にシンギュラリティ(無限値)を迎えるAIに焦点を当てます。これまで、SFは近代の科学的発展を先取りする架空世界を展開してきました。その中心は、ガンダムや鉄腕アトムに代表されるロボットたちです。しかし、これまでSFで描かれてきたロボットと現在のAIには、決定的な違いがあるとの指摘はそのとおりです。

  それは、現在のAIはネットワークにつながっていることが常態となっているとの指摘です。

  我々がこれまでイメージしていたロボットは、アトムのように独立した頭脳を持ち自ら考え、自ら行動を起こす機械でした。確かに、現在でも独立したコンピューターが頭脳となり、その中で人間の脳を再現するニューロンとシナプスを増やしていき、そこに人間の脳と同じように情報を流し込んで学習させていくとの手法がAIを発達させてきました。

  しかし、今やインターネットに代表されるネットワークはほぼすべてのコンピューターにつながっています。さらに世の中ではクラウドコンピューターの技術が進化を続けており、あるAIが人間の脳を超えれば、すべての端末でシンギュラリティが実現することが容易に想定されます。こうした技術は、これまでのロボットSFの枠組みを超える現在科学の大きな変革です。

  SFのもう一つの主役は、宇宙です。無限に広がる宇宙では、我々が生きている銀河系や太陽系と同じ環境の星系が数多くあると言われています。そのことから、人間は、この宇宙の何処かで我々と同様の知性を持った異星人との接触があるのではないか、との期待に胸を躍らせています。SFでは、「火星人襲来(宇宙戦争)」以来、「未知との遭遇」や「E..」など功罪ありまぜた異星人との接触を夢見てきました。

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(H.G.ウェルズ「宇宙戦争」amazon.co.jp)

  ところが、最新の研究では我々人類が生存している間に異星人と接触することはないだろう、との学説が有力になっていると言います。

  もしも異星人との接触がないとすれば、残る選択肢は宇宙というフロンティアの開拓です。すでに国際宇宙ステーションを使ったあらゆる科学分野の実験が、宇宙空間で展開されていますが、さらにその発想が進んでいけば、人間は太陽系の別の惑星に移住するとの行動が現実となる可能性が高くなります。

  そのときに考えられるのは、ネットワークでつながっているロボットや攻殻機動隊のようなサイボーグ人間が真空の宇宙空間や、別の惑星で開拓を行っていく未来です。こうした未来が想定される中で、アシモフに代表されるロボットと宇宙人類の未来は我々にどんな倫理観を期待するのでしょうか。著者は、そうした問題意識で、科学者であり、SF作家でもあり、さらにノンフィクションライターでもあったアシモフの作品を分析していくのです。

  もう一つ、著者の議論のポイントとなっているのは、光速による恒星間移動の現実性です。スター・ウォーズでもスタートレックでも宇宙船による移動の手段は、ワープなどの光速を超える速度での空間移動です。しかし、著者はここでも疑問を展開します。それは、技術的な問題(例えば瞬間で惑星や彗星小惑星の一が揺れ動いている宇宙で、出現する場所での安全性の確保は不可能である。)とネットワークの問題から実現は難しいという考え方です。

  つまり、現在のネットワーク技術は極めて限定された物理的な距離の中で実現された技術であり、人類はこの利便性を捨ててまで光速で移動しなければならないような別銀河にまで進出することはないだろうとの未来予想です。

  こうした現在我々が置かれた人類社会とアシモフが描いた未来社会。この二つの世界から我々はどのような未来を描けばよいのでしょうか。そこでは、アシモフが描いたロボット工学三原則に加えられた新たな原則、第零原則が大きくクローズアップされることになるのです。


  その議論には、ぜひこの本を読むことで参加してください。最後には、社会哲学に突入する議論が展開されることになりますが、アシモフが好きな方には楽しめることに間違いありません。お楽しみに。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2020年01月20日

550回を迎えてますます感謝です!

こんばんは。

  先日、500回のご挨拶をしたばかりですが、皆々様のおかげで「日々雑記」も550回を迎えました。

  こうして毎回、新たな気持ちでブログが続けられるのも、いつもご訪問していただく皆様のおかげです。回を重ねるごとに、皆さんのご訪問に改めて感謝する今日この頃です。

  本当に、いつもありがとうございます。

  この50回を振り返ると、最近の「日々雑記」は日記の登場が多くなり、相対的に本の紹介が減っているというのが印象です。自分で記事を書いていて言うのもなんですが、この50回で「日記」として書いた記事は15回を数えます。それは、「人生楽しみ」の時間の塩梅(あんばい)が思ったようにいかないことの証左ですね。

  というのも、最近人生の楽しみが増えたせいもあり、なかなか時間の配分がうまくいきません。本を読むことは今でも一番の楽しみなのですが、昨年はそれに加えて見に行きたい美術展が目白押し。さらに連れ合いと二人の旅行も行きたい場所だらけ。大好きな音楽ライブやコンサートもネタが尽きません。そのせいで、あおりをうけているのは映画です。今年は、映画を見る機会が減りました。特に、シアター系の映画はこちらから情報を得て上映館を探して見に行く必要があり、どうしても機会が減ってしまします。

【テナーサックス奮闘記】

  さらに還暦を機に新たな取り組みに手を染めたいと考えて、テナーサックスを習い始めました。学生時代にはギターをたしなんでいて、しろうとバンドで楽しんでいたのですが、あくまで遊びで、五線譜や音符とは無縁でした。その意味で、新たな楽器を演奏することはまさにチャレンジです。

  なぜ、テナーサックスがと言えば理由は簡単です。私の最も好きなアーティストがマイケル・ブレッカーだからです。テナーサックスは最も人間の声に近い音を奏でる楽器、と言われていますが、はじめてレッスンでドミソを吹いた時、その音色のすばらしさに心から感動しました。この話を始めると、またいくら紙面があっても足らなくなるのでほどほどにしますが、習い始めて4か月でヤマハのYTS-82Zを手に入れたときには、その体全体に響き渡る低音に、大袈裟なようですが「生きていてよかった。」と心が震えました。

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(マイケル・ブレッカー LIVE  amazon.co.jp)

  テナーサックスは、ピアノやギターなどのハ調(C)を基本にした楽器と異なり、ロ調(B♭)で作られた楽器なので、移調楽器と呼ばれます。そのため、ジャズなどでは半音階が多用されてすべての指を瞬時に動かす必要が生じ、フラットとシャープに翻弄されます。ピアノの黒鍵でおなじみですが、音階は全音と半音で成り立ちます。例えば、ドの上はレですが、その間にド♯の音が入り込むわけです。そこで、楽譜を読むときに恐ろしいことが起きます。それは、ドの半音階上の音は、レの半音階下の音と同じ音であるという当たり前のことです。

  つまり、ド♯とレ♭は、表記は異なるにもかかわらず音符では同じに書かれ、鳴らす音も(当たり前ですが、)同じなのです。楽譜が読める方には「だから何なんだ。」としかられそうなのですが、楽譜が読めない人間は、サックスを吹くときに音符の下にカタカナで音を表記し、それを見て曲の練習を行います。すると曲が変調するとド♯と書かれていた音符表記が、レ♭に変わるのです。

  サックスを抑える指使いは、ド♯もレ♭も同じであり鳴らす音も同じなのですが、人の生業からして表記が変われば指使いも変わるのが当たり前、と脳は理解しています。ドとレだけならば、まだ脳みそもうまく対応してくれますが、この現象は、ミにもファにもソもラにもシにも生じる現象なのです。今取り組んでいる課題曲は、「煙が目にしみる」と「いつか王子様が」なのですが、前者ではソ♭と表記されている音が、後者ではファ♯と表記されているのです。

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(低音器 YAMAHA YTS-82Z)

  曲が変わると「アレッ」と考えてしまい、息が止まります。

  そのたびに先生はニヤニヤして、「難しいですよね。」と言ってはくれますが、その目は明らかに「これが普通に吹けないと曲は吹けません。」と語っています。バンドでテナーサックスを吹いていた友人にそのことを話すと、「確かにサックスを吹くと、なんでこんなに♯と♭ばっかり出てくるんだ、と嫌になるね。」となぐさめてくれますが、♯や♭と仲良くなるまでには、もう少し時間が必要なようです。

500回以降のベスト10は?】

  さて、話を戻すと、最も大きな悩みはどうやって時間をやりくりするかです。突発的な出来事に対応するのであれば、寝る時間を減らすとか、食事を抜くとか、やりくりがきくのですが、日常的なことなので、なかなか妙案が浮かびません。あまつさえ、エリック・アレキサンダーやダイアナ・クラール、キング・クリムゾン、プラハ管弦楽団、樫本大進などが来日すると最優先でチケットを確保するわけですから、ますます時間は無くなります。

  という具合で、なかなか1週間に2度ブログを更新するのが難しい状況が続いているのです。早く仕事をリタイヤして「人生楽しみ」に専念したいのですが、とかくこの世は住みにくい。しばらくサックスは仕事がお休みの日に通うしかありません。週休4日の暮らしをしてみたいものです。

  550回記念が嘆きのブログで申し訳ありません。気を取り直して、550回のまとめに入りたいと思います。読書の方は、もともとが本屋巡りとセットとなった楽しみですので、読む本はアドリブ的に多様なジャンルの本となります。今年も、野球、映画、音楽と面白い本もありましたが、こうした分野の本は趣味が偏りがちです。

  読んだ本のすすめベスト10を語ろうとすると、どうしてもスポーツ本、音楽本は圏外となってしまいます。今年も同様となりますが、前置きはこのくらいにして本題に戻りましょう。(いつものように「題名」をクリックするとブログにリンクします。)

10位 「下山事件完全版-最後の証言」(柴田哲孝著 祥伝社文庫 2007年)

  ノンフィクション分野は、これまでにも沢木耕太郎さんや佐野眞一さんなど素晴らしいライターの本をご紹介してきましたが、この本もまたノンフィクションのワンダーを我々に教えてくれる面白い一冊です。下山事件といえば、GHQ占領下の19467月、東京で起きた国鉄総裁下山定則の拉致殺害事件です。この事件は犯人を特定することができず、迷宮入りとなったのですが、そこにまつわる戦後を彩った様々な人間模様から何者かの指示により暗殺されたとの憶測がまことしやかに流され続けてきました。

       著者はノンフィクションライターですが、実はこの事件の実行犯の一人として疑いがあった人物の孫だったのです。自らの祖父は犯人だったのか。幼いころの祖父の印象は、殺人者からは程遠いものでした。この本は、自らの出生から端を発した迫真のルポルタージュです。ぜひお読みください。

9位 「モダン」(原田マハ著 文春文庫 2018年)

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(原田マハ「モダン」amazon.co.jp)

  原田マハさんの美術小説は、すべて傑作ぞろいです。この作品は、マハさんの美術の原点といってもよいニューヨーク近代美術館を舞台に繰り広げられる物語です。マハさんの絵画にまつわる物語は、その絵画にかかわる人間ドラマが描かれて感動的なのですが、ここに収められた5編の主人公たちもみな美術館と美術を愛する人々です。ぜひさわやかな読後を味わってください。

8位 「須賀敦子の旅路」(大竹昭子著 文春文庫 2018年)

  この本は、2つの物語が同時に並行して進む小説のような趣を持っています。それは、美しく流れる文章で我々を読むたびに魅了してくれる須賀敦子さんの描く世界とその須賀さんが描いた世界を自らの足でたどっていく大竹昭子さんの気持ちが寄り添うように描かれていくからです。大竹さんの文章は須賀さんの言葉に呼応するように記されており、その想いが重なるようで心を動かされます。

7位 「生死(しょうじ)の覚悟」

   (高村薫 南直哉著 新潮社新書 2019年) 

  現代の日本では、立ち止まって自らを考えることがとても少ないのではないでしょうか。本来、人と人が共鳴するのは、互いが自らのことを認識し、自らの情報を確認し、その情報を分かち合うことからはじまるからです。SNSが本来の共鳴と異なるのは、分かち合うことをしないことが大きな要因なのではないでしょうか。分かち合うとは相互作用ですが、SNSは自己満足の連続が場を支配していく世界です。

  この対談は、文学や宗教を通じて自らの異質さを認識してきたお二人が、その認識を相互に確認し合うことで対話の価値を高めていきます。この本の中には、間違いなく現代社会が失いつつある共鳴が鳴り響いており、我々に今を考えさせてくれます。良書でした。

6位 「日本問答」(田中優子 松岡正剛著 岩波新書 2017年)

  皆さんは、「日本」が何からできているのか、考えたことがありますか。この本は、「日本」を様々な視点から考え続けてきた知のマイスターお二人が、日本を徹底的に問答する対談です。最高の対談は、ネットサーフィンのように関連する話題が次々に繋がっていき、広がると同時にテーマの掘り下げがどんどん深まっていく会話が連なります。お二人の対談はまさにそれで、ボーッと読んでいると、チコちゃんに叱られること間違いなしです。ぜひ、お楽しみください。

5位 「ドナルド・キーン自伝-増補新版」(ドナルド・キーン著 角地幸男訳 中公文庫 20193月)

  「碧い目の日本人」というと、キーンさんは私の目は碧くないよ、と返されるに違いありません。いったい日本とは何なのか。「源氏物語」に魅せられて、1953年から65年間にわたって日本を愛しつづけてくれたキーンさん。その愛情が、この本にギッシリとつまっています。軽妙な語り口、時に見せるウィットとアイロニーは、我々日本人も見習いたいニューヨーカーです。これほど日本に魅せられた人物は、日本人にも稀有なのではないでしょうか。今、テレビのコメンテイターは、日本語を話す外国人で連日盛り上がっていますが、その草分けがキーンさんだと思うと感慨もひとしおです。

4位 「呉越春秋 湖底の城 八」(宮城谷昌光著 講談社文庫 2018年)

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(宮城谷昌光「湖底の城八」amazon.co.jp)

  文庫好きの宮城谷ファンに昨年は嬉しい年でした。この50回のなかでも久しぶりに秦による中華統一後を描いた小説が文庫となり、また、呉越春秋も伍子胥編の後を受けて始まった范蠡編、第7巻。さらにその続編である第8巻と宮城谷ワールドを満喫しました。宮城谷さんの小説は、どれを読んでも面白いのですが、今回はいよいよ范蠡がその才能を発揮しはじめる第8巻としました。こうして振り返ってみると、小説「劉邦」と「呉越春秋」には不思議な共通点があります。それは、主人公の背景に250年の時を超えて大きな「楚」の国が横たわっているということです。紀元前450年を描いた呉越でいえば、呉の宰相として越を迎え撃つ伍子胥は、もともと「楚」の宰相の息子でした。そのライバルである越の宰相范蠡は「楚」の賈(商人)の出身なのです。「劉邦」で描かれた項羽は、言わずと知れた「楚王」の子孫で秦への復讐のために立ち上がったのです。皆さんもこうした観点で、宮城谷さんの本を読んでみると、一味違った楽しみが湧き出てくるかもしれません。

3位 「オリジン」(ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 上中下巻 2019年)

  ダン・ブラウン氏の作品は前作「インフェルノ」がとても面白く、また映画化された作品もフィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールとその世界遺産そのものの映像も含めてエンターテイメントとして一流の作品でした。まさか、それを超える面白さの作品が登場しようとは思いませんでした。今回ラングドン教授が活躍する舞台は、あこがれのスペインです。そこには、ダン・ブラウン氏らしく、最新のスペイン近代美術館から世界遺産のガウディまで、スペインの名所が次々に登場します。さらにテーマが「神はいるのか」ですから、その小説がつまらないはずはありません。これまで、イタリア以外を描いた小説は映画化されていませんが、スペインを舞台としたこの小説は映画化されるでしょうか。ぜひ、映画化を期待したいものです。

2位 「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

  これまで、海外小説がベスト32冊も入ることはありませんでしたが、やっぱり007の魅力には偉大なものがあります。確かに1960年代が舞台の小説を第2位とするのは単なるノスタルジーなのでは、との疑問もごもっともです。しかし、エンターテイイメントとスパイ小説が合体するときに007の力は絶大でした。この小説は舞台から言っても年代から言っても映画化されたときには、ショーン・コネリーしか演ずることができないと思います。それほど、当時の007小説に男のロマンがやどっていたといってもいいと思います。ここに登場する007は、女性から見てもアイドルではないでしょうか。皆さん、だまされたと思って一度この小説を手に取ってください。第2位の理由に納得すると思います。

1位 「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著 幻冬舎文庫上下巻 2019年)

  今回のダントツ第1位はこの小説です。その分厚さも第1位なのですが、読み始めてから読み終わるまでの時間は最も短いに違いありません。それほど、恩田さんのプロット、キャラクター、舞台設定が素晴らしく、読み始めれば一気に最後まで読み続けてしまうのです。この小説は、ある年のピアノコンクールの模様を4人のコンテスタントの人生と重ねて描いていくのですが、その4人のコンテスタントの造形が見事です。スポーツものならいざ知らず、普通、芸術系のコンクールは羨望と嫉妬と中傷のるつぼとなることが想像されます。しかし、恩田さんの世界は違います。なぜならば、ここに登場する4人は皆、音楽の神様に祝福されており、世俗と人知を超えてピアノを弾いているからです。そうはいっても、この4人にはヒエラルキーがあります。

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(映画「蜜蜂と遠雷」ポスター)

  音楽の神から最も祝福されているのは、風間塵。ピアノという楽器の落とし子のような塵は、自らの中にあふれる、風のような音をそのままピアノの音として鳴らしてしまうのです。そのあまりの才能に、聴く側は驚いてしまい、この才能を持て余してしまうのです。しかし、他の3人は音楽の神に近い塵を同じ演奏家として受け入れていきます。塵はコンクール第3位となります。

  風間塵の次に神に近いのは、天からいくつもの贈り物をあたえられているようなマサル・カルロス・レヴィ・アナトールです。マサルは、現代のピアニストが演奏に特化してしまったことに疑問を持っており、作曲家としても一流のピアニストをめざす青年です。幼馴染の亜夜との再会と一流の恩師の教えを受けて彼は、人知の及ぶ最高の音を奏でて、みごとコンクールに優勝します。

  そして、マサルと紙一重のところで我々に近いのは、唯一の女性主人公、栄伝亜夜です。彼女は幼い時からピアニストとしての技量に恵まれていましたが、その心の糧であった母親を失って、演奏することの意味を見失ってしまいます。亜夜は、このコンクールで自らの原点を探ろうとしてコンクールに参加します。彼女が、3人のピアニストの狭間で自らを取り戻し、コンクールに挑む姿はこの小説のハイライトのひとつです。コンクールでの順位は、第2位です。

  もう一人の主人公、高島明石は楽器店の従業員でありながらピアニストでもあり、自らの夢をつらぬこうと「生活者のピアノ」を掲げて、コンクールに挑戦しています。このコンクールではオリジナル曲として作曲家、菱沼忠明の作品「春と修羅」を演奏することが二次予選の課題曲となっています。高島は、宮沢賢治の詩を深く解釈して楽譜を自らの音楽として展開します。そして、コンクールでこの曲のために設定された賞、菱沼賞を受賞します。

  この4人の造形は見事です。ところで、実は今ここに書いたコンクールの順位や個人賞は、小説では語られていません。小説の終了後、結果は記事として掲載されているだけなのです。この小説のすごさは、音楽の神様と我々人間のせめぎ合いを全編で示すことによって、結果に対しての興味を感じさせないところにあります。我々読者は、恩田さんの仕掛けと筆の力によって、4人の人生に引き込まれ、結果は二の次になるのです。小説が終わった後に「ああ、そうだったのか。」とホッとするところが、この小説のすばらしさといってもよいと思います。

  ぜひ、この素晴らしい小説を楽しんでください。


  それでは、これからも「日々雑記」をよろしくお願いいたします。皆さんどうぞお元気で、またお会いします。


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2020年01月13日

鳴神響一 脳科学と心理学の関係とは?

こんばんは。

  本屋巡りをしていると、時々サスペンスものや犯罪小説を読みたくなる時があります。本来は、インテリジェンスものが好きなのですが、著者の力量さえあれば警察物は面白い小説があふれている分野です。先日、本屋さんでサスペンス系を思い描いて本を眺めていると、文庫本の棚に「脳科学捜査官」という文字をみつめました。どうやらシリーズ化されており、4冊目が上梓されたようです。シリーズ化されるということは重版されるということで、売れているということ。

  しかも名前が女性なので、これまで読んだ乃南アサさんの音道貴子や深町秋生さんの八神瑛子をイメージしてしまいます。その題名に思わず魅かれて手に取ってしまいました。

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(角川文庫「脳科学捜査官 真田夏希」amazoncojp)

「脳科学捜査官 真田夏希」

(鳴神響一著 角川文庫 2017年)

【現代版 女性警察官小説】

  警察小説といえば、一時期直木賞の常連でしたが、警察官と犯罪者それぞれの人生が交錯し、生きることの難しさと人の心の不思議さを描き出して、感動とワンダーを醸し出すことが期待されます。かつて、名作とは思い小説でした。しかし、SNSが世の中を席巻し、誰もがチョー短い文章で一発ウケを演出するような世の中では、重厚な小説が若い人たちの心をとらえるのは難しくなっていることは確かです。何といっても、アメリカの大統領をはじめ、世界の指導者たちからして、自ら言いたいことだけを一方的に表明して終わってしまうのですから、世の中あきれてしまう短絡さが蔓延するわけです。

  しかし、いくら昔はよかったと嘆いても、それは単なる愚痴に過ぎず、なぜこれだけたくさんの人間がSNSを便利に使いこなしているかに思いをいたす必要があると思います。

  この小説の主人公、真田夏希は31歳。これまで、心理医療を専門に研究し脳科学の学位も含めてカウンセラーや精神医療を仕事としていました。しかし、ある出来事をきっかけに臨床医療の現場を去り、神奈川県の心理分析官募集に応募し警察官になったという女性です。この著者の筆致はとても軽やかで、小説はサクサクと進んでいきます。

  最初の章は、初登場となる夏希の紹介となりますが、なんと彼女の婚活から物語が始まるのです。確かに31歳という年齢は適齢期には違いないのですが、女性警察官がどんなデートをするのか、興味が尽きない滑り出しとなります。彼女は容姿端麗といってもよい美人と自分で語っていますが、本当にそうなのかはよくわかりません。デートの席、友人の紹介で会うこととなった織田という男と横浜で食事をする場面からはじまります。語り部は、基本的に夏希自身ですので、夏希から見た織田の印象が続いていきます。織田は落ち着いたイケメンで、そのおだやかな語り口や教養あふれる語りも申し分ありません。

  二人は、ホテルの上層階にあるラウンジで改めて酒を飲むことにしますが、織田の隠れ家というバーで美しい夜景を見て、互いの仕事へと話が及ぼうとしたとき、はるか下界で爆発が起きるのです。しばらくすると、そのバーにも警察官が聞き込みに回ってきました。そして、その警察官は同じ神奈川県警。かつて、一緒に研修を受けた警察官だったのです。聞き込みが終わるや二人の警察官のうちひとりが、夏希に敬礼をして去っていきました。夏希の素性は、織田にバレてしまいます。

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(横浜みなとみらいの夜景 travel-notedjp)

  その軽い展開は、まさに現代のエンターテイメント小説そのものです。

  真田夏希の婚活紹介はひとまずおいて、夏希は翌日から心理分析官としてこの爆破事件の捜査本部に派遣されることになるのです。

【脳科学捜査官とは何者】

  さて、警察の心理分析官とはいったい何をするのでしょうか。

  実は、神奈川県警本部において、心理分析官は夏希が初めての採用となります。近年の犯罪はあらゆる意味で複雑化した社会のゆがみが人の心に様々なストレスを与え、その結果、人の心が変容して発生します。犯罪心理学とは心理学の一分野ですが、脳科学から犯罪に切り込むというのは斬新です。人間の脳は、1千億の神経細胞(ニューロン)の間を数兆もの電気信号(シナプス)が行きかうことで体と心の活動を成立させています。

  我々の脳は、大脳と小脳が活動野をなしていますが、どの活動野がどんな活動を担っているのかが様々な研究から明らかになってきています。それと同時に脳内で分泌される各種神経伝達物質の働きも注目されています。

  最近よく話題となるのは、セロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質です。人間の感情がどこから湧いてくるのか、かつては心理学や文学がそれを分析するための手段でしたが、今では、ニューロンとシナプスの活動の中で生じる神経伝達物質が我々の感情と密接なつながりがあることがわかってきています。

  ドーパミンは、脳内の報酬系と呼ばれる神経系統と関わっており、喜びや快楽などを感じさせる神経伝達物質です。そして、ノルアドレナリンは、交感神経と密接に関係しており、人が精神的、肉体的にストレスを感じたときに分泌され、交感神経を刺激して血圧を高くして脈拍は早くなります。セロトニンは、脳内の視床下部や大脳基底核と呼ばれる場所に分布しているそうですが、この物質にはわれわれの精神を安定させる働きがあります。セロトニンは、日常、ドーパミンやニルアドレナリンの分泌を適度に抑制して精神を安定させています。この物質の分泌が乱れると、ドーパミンやノルアドレナリンが不足したり、過剰となることにより、不安症になったり、パニック症、総うつ症などが引き起こされることがあるのです。

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(体内に行交う体内分泌物質 nhk-ondemand.jp)

  一方で、脳には扁桃体と呼ばれるとても古くからある1対の神経群があります。扁桃とはアーモンドのことで、その形がアーモンドに似ているのでこの名前となったそうです。偏桃体は原始的な脳神経で、感情を司ります。つまり、扁桃体によって人は感情をもってものごとを評価します。「好ましいもの」か「不快なものか」の判断を我々は扁桃体で行っているのです。しかし、扁桃体が嫌悪の評価をしたときにすべてがそのまま反射してしまうと生活に大きな支障が生じることになります。我々は、嫌だと思う人とでもいっしょに仕事をしなければならないこともあります。(その方が多いかも。)そのときに扁桃体の評価を抑える役目を果たすのが「前頭前野」です。

  「前頭前野」は、我々の脳の前にある領域で前頭葉の一部分です。人はこの分野で理性的な思考や感情のコントロール、判断、記憶などを行っています。扁桃体の発する評価(感情)をコントロールしているのがこの領域なのです。感情の抑制は、自動的に行われる場合と意図的に行われる場合があります。我々が嫌な人を見かけても、その人をすぐに殴らないのは自動的抑制のおかげなのかもしれません。

  今回登場する心理分析官である真田夏希は、こうした脳科学や心理学で犯罪者と闘っていくのです。小説では、大脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる大脳の状態が描写されています。それは、脳が静かにアイドリングしている状態を言います。つまり、脳に何の情報も入ってこない状態で、覚醒しているにもかかわらず働いていない状態を言います。天才たちのひらめきはこの状態で生まれると言われています。犯罪現場で、夏希は自らこの状態を創って、ひらめきに備えるのです。

  また夏希は、毎日、その日のストレスをその日のうちに解消し、いつでも脳が疲れのない状態で稼働できるように生活を規律しています。その意味で、彼女は脳科学捜査官として、自らの思考を意図的にコントロール(抑制)しているのです。その脳科学と心理学のスキルは、犯罪者のプロファイリングを行うときに、プロとしての力を発揮することになるのです。

【正体不明の爆破予告】

  この小説は、とても軽いタッチで描かれており、サクサクと読み進められるのですが、キャラクターとプロットはよく練られています。

  横浜の新高島駅近くにある神奈川県警高島署。その5階に「西区商業地域爆破事件捜査本部」が設けられ、夏希は、婚活デートの翌日にこの捜査本部に特別捜査官として派遣されることとなります。その使命は犯人のプロファイリングなのですが、爆破の翌日の捜査本部では、まだ何の材料も集まっているわけではありません。

  犯人は、今回の爆破について神奈川県警のホームページにメールで爆破の予告を行っていました。「2100、みなとみらい地区で爆発を起こす。マシュマロボーイ」、SNSでなされた予告に基づき、県警は爆発物の捜索を開始しますが、爆発までの時間はわずか15分。さらにみなとみらい地区はあまりに捜査範囲が広く、突き止められないまま爆破が実行されたのです。

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(映画「ゴ-ストバスターズ」マシュマロマン)

  県警の警備部には、デジタル環境に対応するカウンター部門が設置されています。そこから派遣されている小早川警部補は、犯人のメールの送られてきたアドレスのIPプロトコルがスペインのバスク解放同盟のものであることを突き止めました。しかし、それは犯人の証拠隠滅と捜査かく乱のためのわなだったのです。

  捜査本部では、周辺地域の聞き込みと爆発物製造の経路、そして、メールの足跡を追うことで捜査を開始します。いつたいマシュマロボーイとは何者なのか。幸い爆発は、再開発地域の空き地で起きたので人身被害はありませんでしたが、この予告はこれから始まる犯人の本格的な爆破事件の幕開けにしか過ぎなかったのです。

  この小説には、魅力あるキャラクターが数多く登場します。

  夏希は心理分析官として初動の現場捜査に同行します。ところが、指定された車で待っていたのは、不愛想でぶっきらぼうな小川と後部座席に座っている警察犬だったのです。夏希は幼児時代に犬にかまれた体験から、犬が大の苦手です。後部座席を指定された夏希は高層ビルから飛び降りるような気持ちで後部座席に乗り込みます。

  警察犬の名前は、アリシア。鑑識課の小川はこのアリシアを使って現場で爆発物に連なる証拠を捜索していきます。このアリシアが警察犬として採用されたのには、一つの物語がありました。その物語は涙を誘いますが、それはこの本で味わってください。

  この小説は、筆致こそ軽快で気持ちよく読み進めますが、その登場人物の設定とプロットにはただならぬものがあります。捜査本部をあざ笑うようにマシュマロボーイが第二の予告を送り付けてきます。「今日の21時に横浜市内でふたたび爆発を起こす。」。あまりにも広い地域での予告に警察はただただ右往左往するばかりです。

  犯人の自己顕示欲に直接接触を試みるため、夏希は「かもめ★百合」というハンドルネームのメールで犯人に呼びかけを行います。そのメールに不敵にも回答してきたマシュマロボーイ。夏希対マシュマロボーイの闘いの火ぶたが切って落とされます。そして、心理分析官の夏希は、「マシュマロボーイ」に秘められた意味に行きあたります。それは、「ゴーストバスターズ」のマシュマロマン・・・、とは関係なく、ある心理実験につながっていたのです。そして、マシュマロボーイは夏希に横浜を舞台とした爆破予告ゲームを仕掛けてくるのです。


  この小説は、魅力的なキャラクターと脳科学、というよりも心理学という捜査手法が秀逸で気が付くと小説世界に引き込まれています。犯人のキャラクターの掘り下げがもうひとつだったり、登場人物の名字がすべて戦国武将だったりと、ものたりなさやお遊びもありますが、夏希と犯人との対決には手に汗を握ります。すでに小説はシリーズ化されていますが、次の作品を読むのが楽しみです。

  ライトノベルが気にならない方、ぜひ夏希の婚活にもご注目ください。なかなか楽しめます。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2020年01月07日

ドナルド・キーン自伝 氏を偲ぶ

こんばんは。

  アメリカ出身の日本文学者ドナルド・キーン氏が97歳の生涯を閉じてから、来月で1年になろうとしています。

  氏は、中央公論社、朝日新聞などで日本語での執筆者として、数々の評論を執筆することはもちろん、日本の文化をこよなく愛し、コロンビア大学、ケンブリッジ大学などで教鞭をとり、日本文学を広く世界に紹介してくれました。氏が初めて日本の地を踏んだのは1953年、31歳のときでした。そこから60年以上も氏はアメリカと日本を往復して、日本人以上に日本文化を深く研究し続けました。

  2011年の東日本大震災の時には、日本人とともに日本を襲った未曾有の災害に心を痛め、亡くなった方、被災した方々に寄り添ってくれました。氏は、これを機会に日本国籍を取得することを表明。9月にはついに日本への永住のための来日を果たしました。2012年には晴れて日本国籍を取得。最後には、愛する日本の地で生涯を終えたのです。

  1周忌を目前にして、キーンさんがどのように日本を愛したのかを知りたくて本屋さんでキーンさんの本を探しました。本当は、氏の作品を読むべきと考えていたのですが、あの笑顔を思い浮かべると、まず読んでみたいのは自伝だと気づいたのです。文庫でも何冊か自からを語る本がありましたが、補追として最近年に記した2つの文章が収められている中公新書の新版を手に入れました。それは、素晴らしい自伝でした。

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(「ドナルド・キーン自伝」amazon.co.jp)

「ドナルド・キーン自伝-増補新版」(ドナルド・キーン著 角地幸男訳 中公文庫 20193月)

【八月十五日に吹く風】

  ドナルド・キーンさんは、外国人として日本文学の研究を本格的に行った草分け的な人物でした。ことに川端康成や三島由紀夫とは人として友情をはぐくみ、親友と呼ばれる仲でした。ひと月の半分は日本で過ごし、日本人よりも日本的な日本語を話し、評論やエッセイも日本語で記す、日本通でした。日本でも読売文学賞をはじめ多くの賞を受賞し、2008年には外国人の日本研究者としてはじめて文化勲章を受勲しました。

  1982年からは10年間、朝日新聞社で客員編集委員も務め、朝日新聞には多くの論考を掲載していました。もちろん、当時はオンタイムでその文章を読んでいてその謦咳に接していたのですが、キーン氏の印象を強く意識したのは、一編の小説からでした。

  その小説は、松岡圭祐氏が上梓した「八月十五日に吹く風」です。

  この小説は、太平洋戦争で日本が劣勢に立った19435月を舞台としています。その年、日本軍の精神的支柱と言われていた山本五十六連合軍司令長官が戦死し、勢いに乗ったアメリカ軍は、アリューシャン列島で唯一日本軍に占領されていたアッツ島とキスカ島の奪回作戦を敢行したのです。この2島では日本軍の兵士7800人余りが日本の最前線基地を守備していました。

  アメリカ軍の襲来を知った軍部は、キスカ島が先に上陸されるとの目算から多くの兵士をキスカ島へと移動させました。しかし、その移動を知ったアメリカ軍は侵攻先を手薄になったアッツ島へと変更したのです。2600人余りでアッツ島を守備していた日本軍は、物量で圧倒的なアメリカ軍に対し、一歩も引くことなく最後の隊までも「バンザイ」突撃を敢行し、文字どおり全滅しました。

  物語は、アッツ島で日本軍が玉砕した戦闘後、キスカ島を守る5200人の日本軍を見殺しにするのか、撤退に導くのか、究極の作戦遂行を描くのです。その小説で、カギを握るがドナルド・キーン氏だったのです。この小説が上梓された当時、キーン氏はまだご存命でしたので、小説上の名前はロナルド・リーンとなっていましたが、その人物は間違いなくキーン氏でした。

  この小説は、現代とキスカ島戦闘当時の二つの時制で語られますが、キーン氏はその両方をつなぐ日米の絆として重要な役割を担っていました。過去の時制では、劇的なキスカ島救援作戦が遂行されるのですが、キスカ島での戦闘は日本軍とアメリカ軍の両面から語られることになります。  

  このとき、キーン氏は日本語翻訳将校としてアメリカ軍とともにキスカ島にいたのです。その経緯は、この自伝に語られています。

  当時、アメリカでは日本語を学ぶ学生はごく少数で、通訳は急造の状態だったようですが、「源氏物語」に魅せられたキーン青年は日本への想いを胸に通訳を志望したのです。キスカ島の奇跡については、ぜひ「八月十五日に吹く風」で味わって欲しいのですが、小説を読むと松岡氏が小説執筆にあたってこの自伝を参考とし、ロナルド・リーンを造形したことがよくわかります。

  この小説のラストシーンで、キスカ島作戦の従軍記者であった菊池雄介が流浪の末に朝日新聞社の記者となったとき、アメリカ軍の従軍記者であったリーン氏が朝日新聞社の客員編集委員となり、歴史の偶然によって再会する場面は、この小説のクライマックスとして感動的でした。

【日本を愛し、日本に愛されたキーン氏】

  キーン氏は、自伝の中で人生の分岐点について触れており、自らの意思で歩んできたことを語っていますが、随所に触れられているのは人との繋がりと知り合うことができたすべての人への限りない感謝の念です。日本では、文部大臣も務めた永井道雄氏、中央公論社の社長、嶋中鵬二氏、小説家、三島由紀夫、川端康成、安部公房などなど、時代を作ってきた人々との深い交流が描かれています。

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(日本文学者たちを描く amazon.co.jp)

  キーン氏は、31歳ではじめて日本に留学するまでは、アメリカのコロンビア大学、ハーヴァード大学、イギリスのケンブリッジ大学で日本研究を行い、その後は、月の半分をコロンビア大学で日本文学研究の教授として学生たちへの教鞭をとっていました。

  自伝では、数々の賞を受賞した日本文化の著作についても語られていますが、学生に日本文学を教える教師としての仕事にも触れています。日本学について各大学で学ぶ中、キーン氏の観察眼の鋭さに感銘を受けます。コロンビア大学では、角田隆作教授の話が印象的です。当時、コロンビア大学で日本文学を専攻する学生は数少なく、キーン氏が専攻したときには、学生が氏一人であったといいます。

  教授は、自らの研究を学生に教える際には事前の準備を怠らなかったそうですが、キーン氏は教授の研究分野にかかわらず日本文学に関する数々の質問を投げかけました。角田教授は、キーン氏の質問に対してできる限りの知見を尽くして答えてくれたのです。あまつさえ、キーン氏が希望する浄瑠璃について、専門外にもかかわらず深く準備し、講義を行ってくれたといいます。キーン氏の教授としての生き方は、角田氏という氏がいてこそ成立したのだ、と感動します。

  また、ハーヴァード大学では、日本文学の講義をセルゲイ・エリセーエフ教授が行っていました。この教授は日本研究の第一人者として名声があったそうですが、その講義に対する姿勢についてキーン氏は完全に失望したと語ります。その失望は強烈で、徹底的なのですが、最後には教授に出会って幸運だったと収めます。その心は、これから学生に教えるときにエリセーエフ教授のやり方と反対のことをすればよいと気づかせてくれたからだ、そうです。

  キーン氏のユーモアとアイロニーに思わずにやりとさせられます。

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(自ら日本語名を発表 asahi.com)

  自伝は、4つの章に分かれています

第一章は、ブルックリンで生まれてから大学生になるまで

第二章は、コロンビア大学での学究と兵役、日本留学まで

第三章は、著作者として、また三島、川端、安部との交流

第四章は、1980年代から手掛けた数々の仕事の話

  さらに増補新版には、「日本国籍取得決断の記」、「六十年の月日との終生の友人たち」が補追されています。

  この本はどこを読んでもキーン氏の人柄がにじみ出て感動的です。

【作家たちとの友情の記】

  昨年は、旭化成名誉フェローの吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞し、その快挙に日本中が沸き立ちました。日本人のノーベル賞受賞者は吉野さんが28人目となります。その中で、ノーベル文学賞の受賞者は3名。直近では、2017年に英国籍ではあるものの日本で生まれたカズオ・イシグロさんが受賞し、本屋さんはその著書であふれました。それ以前の受賞者といえば、1994年に受賞した大江健三郎さん、そして、ノーベル文学賞を日本人として初めて受賞した川端康成さんは1968年に受賞しています。(以下、敬称略)

  1953年31歳で日本に留学し京都に下宿したキーン氏は、そこで永井道雄と知り合い強い友情をはぐくむことになります。永井はキーン氏に中央公論社の嶋中鵬二を紹介し、嶋中は碧い目の日本文学研究者に日本の現代作家たちを紹介します。その中で、川端康成と三島由紀夫はドナルド・キーンにとって無二の友人となったのでした。

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(ドナルド・キーンと三島由紀夫 note.com)

  三島由紀夫と川端康成の関係は、戦後間もないころに始まります。1946年、三島は当時21歳でまだ大学生でした。川端は26歳年上ですでに文壇で名を成していましたが、三島が自作「中世」を川端に見せ、以前から三島の作品を知っていた川端がその才を認めて、三島を文壇に紹介しました。三島由紀夫は生涯、川端を、自らを世に出してくれた恩人として敬っていたのです。

  三島由紀夫は、その後「仮面の告白」、「潮騒」、「金閣寺」と次々に名作を上梓し、日本国内のみではなく世界に紹介されるようになります。1957年、「潮騒」、「近代能楽集」が英訳された機に三島はニューヨークに招待されました。三島は、現地の演劇プロデューサーから能の上演をオファーされました。この上演のために三島は半年間滞在するのですが、自伝にはこのときの三島の姿がリアルに描かれています。

  それから10年。数々の作品が世界に紹介された三島は、ノーベル文学賞の候補としてその名前が挙がるまでになっていました。自伝の著者もこのときのノーベル賞の最右翼は三島であると思っており、さらに、選考委員からも直接三島が有力であることを聞かされていたといいます。しかし、実際にノーベル文学賞に選ばれたのは、川端康成でした。1968年、川端康成はノーベル賞を受賞。その2年後の1970年、三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地を占拠し、演説を行った後に壮絶な自決を決行します。三島はまだ45歳でした。そして、さらにその2年後、1972年、川端康成は逗子マリーナの部屋で自ら命を絶ちました。享年72歳。

  このことを知ったうえでこの自伝を読むと、ドナルド・キーンが語る二人の文学者との交流に胸が熱くなります。

【日本人よりも日本らしく】

  キーン氏は、司馬遼太郎氏がはなった「朝日は駄目だ!」「今、朝日を良い新聞にする唯一の方法はドナルド・キーンを雇うことだ。」との言葉がきっかけで朝日新聞の客員編集委員になったそうです。そこから、キーン氏は「日本」に迫る著書を次々に上梓していきます。その著作の裏舞台はぜひこの本で読んでほしいのですが、この自伝で感じるのは、彼が日本人よりもはるかに日本に愛情を持っていることです。

  そのことは、この本に頻繁に登場する日本に住む自らに対するウィットに富んだ表現によく表れています。

  例えば、31歳で来日した頃、京都のバーで年齢を聞かれると、ときに「18歳」、ときに「55歳」と言っても誰も異を唱えなかったと言います。いったい何のことかと思えば、次のセンテンスで、先日街を歩いているとある婦人が自分に地下鉄の駅への行き方を訪ねてきたことを語ります。そして曰く、「それはまさに喜びの瞬間だった。」「その婦人は私の外見にお構いなしに、私が駅の場所を知っていると判断したのだ。」60年かかって日本人が外国人を受け入れるようになった、との喜びは、キーンさんならではです。

  その日本に対する愛情が我々にドナルド・キーンという贈り物を届けてくれたに違いありません。

  淡々とした自伝の語り口にかかわらず、その人生には熱い想いが常にみなぎっていました。この自伝は日本人にこそ読んでほしい一冊です。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2020年01月01日

令和二年 明けましておめでとうございます。


令和二年 

 明けましておめでとうございます。

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新春を迎え、
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

日々雑記も今年10年目を迎えました。
これもひとえに皆様方のご訪問のおかげです。
誠に有難うございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



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posted by 人生楽しみ at 21:41| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月31日

令和初めの年越しは第九ライブ

こんばんは。

  皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

  今年の漢字は「令」。今年は令和初めの年でした。天皇陛下が新たに即位され、日本の新たな歴史が元号とともにスタートしました。なんといっても盛り上がったのは、日本で開催されたラグビーワールドカップです4年前、イギリスで開催された大会で、日本は当時世界ランク3位の南アフリカ代表を逆転で破り「奇跡」と言われました。

  当時、日本代表を率いていたエディー・ジョーンズヘッドコーチは、この勝利の瞬間、「歴史は変わった」と語りました。プールBでは、南アフリカ戦の勝利に続いて強豪サモアも下した日本は、アメリカも撃破してなんと3勝を挙げる快挙をなし遂げたのです。ところが、3勝1敗の日本はなぜか予選リーグで敗退してしまったのです。ラグビーでは、勝ち点のカウントが独特であり、負けても4トライ以上を挙げるか、もしくは7点差以内であれば勝ち点1が加わるのです。この大会で日本は3勝を挙げたにもかかわらず、勝ち点差で3位となり、決勝進出を逃したのです。

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(日本代表ベスト8! spread-sports.jp)

  この悔しさを胸にラグビー日本代表はすべてをラグビーにささげて4年間を過ごしてきたのです。そして今年、日本で開催されたワールドカップ。日本代表は予選を全勝で勝ち抜いてみごとベスト8にコマを進めたのでした。対ロシア戦30対10、対アイルランド戦19対12、対サモア戦38対19、対スコットランド戦28対21。試合は、スクラムで打ち勝ち、ジャッカルでボールを奪い、オフロードパスで逆転のトライを奪うという、まさにワンチームで勝利した戦いでした。

  やはり今年のニュースNO.1は、ラグビー日本代表のベスト8への闘いでした。

【令和最初の1年は?】

  さて、個人的に今年はとても充実した1年でした。海外旅行はお休みしましたが、国内では様々な景色を味わいました。4月には、桜が満開の青森の弘前城と秋田の角館を楽しみました。生憎天気は雨で気温が10度前後と寒かったのですが、弘前城では人がまばらで、地元のボランティアの方の案内で2時間も弘前城内を案内してもらうことができました。満開の桜の間にハートが見えるインスタ名所があり、さすがにそこだけが写真待ちだったのが印象的でした。ただし、ボランティアのおじさんは「個人的にはここは案内したくない場所なんだけれど、ここに案内しないと怒られるんだよね。」と伝統とインスタの葛藤を間近に見て不謹慎ながら笑ってしまいました。

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(弘前城内 ハート桜 インスタ名所)

  5月にはブログにも書いた伊豆のジオパークめぐり。7月には立山アルペンルートを長野側から入って富山に抜け、黒部ダムの絶景を満喫。宇奈月温泉からトロッコ電車に乗って欅平の渓谷散策も味わいました。

  11月には、久しぶりに栃木県の奥日光から日光、さらに平家の落人で知られる湯西川温泉に行ってきました。例年、湯西川は360度、山が黄色く紅葉して絶景のパノラマを見ることができるのですが、残念ながら今年は長期の雨のせいで不作でした。それでも平家の里に植えられたもみじはみごとな紅葉をみせてくれ、美しさに心が洗われました。さらに帰りに通った那須のもみじライン(日光塩原有料道路)では、峠を越えて塩原側に入ってからの紅葉が素晴らしく、あざやかな赤と黄色のグラデーションを満喫しました。

  仕事では、広島には月に一度、その他では福岡、高松、静岡、金沢、岐阜と様々なところに出張しましたが、そのついでの寄った場所では、瀬戸内海の直島が素晴らしいところでした。直島は、安藤忠雄さんがそのコンセプトを担った美術の島です。ベネッセミュージアムを中心に地中美術館やリュウハン美術館などがあり、町全体がアートにあふれています。実は町役場も穴場で、知る人ぞ知る石川和紘氏の設計によるモダンでレトロな建物なのです。直島に渡ったのは朝早かったのですが、美術館の開館が10:00だったので、宮浦港から地中美術館までゆっくりと歩いて、海の景色を満喫しました。その素晴らしい景色とモネをはじめとした美術館のすばらしさは一生の思い出です。

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(直島 地中美術館までの道からの風景)

  他にも福岡出張の時に見学した古伊万里の里や岐阜に行ったときに見た関ケ原の合戦の古戦場や首塚など、日本の名所を味わうことができました。

【そして、令和元年の締めくくりは】

  さて、人生楽しみな話として、音楽話を外すわけにはいきません。

  年末と言えば、何といっても忘れてならないのは第九です。12月には日本中で数え切れないほどの第九が演奏されます。実を言うと、クラシックコンサートに目がない私ですが、ベートーベンの交響曲第九番は生まれてこの方、まだ生演奏で聞いたことがなかったのです。特に理由はないのですが、亡き父がクラシックの大ファンで我が家では物心ついた時から家でクラシックが鳴っていました。そして、第九と言えば、かのフルトヴェングラー指揮のバイロイト祝祭楽団の演奏がいつも流れていたのです。

  この第九は、通常の第九の演奏時間が65分前後と言われる中で、74分の重厚長大な音楽世界なのです。フルヴェンの第九はデモーニッシュと言われますが、その人間の精神性を究極まで高めて表現する第九は確かに感動します。その後、いろいろな第九を聴いて、今ではピエール・モントゥーの第九が一番好きなのですが、海外のオーケストラの作品ばかりを聴いていたので、日本のオーケストラが演奏する第九を聴くのがつい億劫になってしまいます。

  第九のコンサートは、できればウィーンやベルリン、ザルツブルグに行って地元のオーケストラで聞きたい。いつの間にかそんなロマンを胸に秘めていたのです。ところが、ヨーロッパに行って有名オーケストラの第九を聴くには驚くほどの費用を用意する必要があるのです。チケットはネットで取ればなんとかなるのですが、日本と違い、ヨーロッパでベートーベンの第九は特別な時にしか演奏されません。そして、特別な時には往復の航空代金やホテル代が高額なのです。

  ここ2年程、その夢を胸に年末に第九を聴くことができるツアーを探したのですが、どれも法外な旅行代が組まれています。家族に相談すると、周到に計画してチケットを予約し、その日に合わせて旅を計画することが必要で今年は無理との話になりました。

  長年の夢であった生で聞く第九。今年は何としても生で聞きたいと本気になりました。12月に日本で第九を聴くのは簡単です。しかし、これまで永年第九の生演奏を我慢してきた身としては、いつでも聞くことができるオーケストラを聴きに行くことにためらいがあります。そこで、ネットを使い12月に来日するヨーロッパのオーケストラで第九の公演を検索しました。すると、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のコンサートが見つかったのです。

  ウクライナと言えば、近年ロシアのプーチン大統領とクリミヤの領土権について紛争中の国です。オーケストラの歴史を調べてみると、その歴史はそうそうたるもので、かのチャイコフスキーが指揮したのみならず、ラフマニノフやショスターコービッチも指揮したこともある伝統ある管弦楽団だったのです。これは聞きに行く価値が十分にあると思い、さっそくチケットを手に入れました。

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(ウクライナ国立歌劇場フィル第九 ポスター)

【年末はやっぱり第九が似合います】

  12月27日19:00。上野の東京文化会館大ホールは満員の聴衆で満たされていました。今回は、早い時期にチケットを手配したので座席は6列目真ん中の通路脇という絶好の席でした。目の前には、チェロ奏者が座る椅子。その左には、今回の指揮者ミコラ・ジャジューラ氏の指揮台が見えています。場内の照明が落ちてくると、劇場の右側からオーケストラの面々が登場します。最初の演目は「白鳥の湖」。このオーケストラの地元であるチャイコフスキーの名曲です。

  あの誰もが知る旋律が会場に響き始めます。コンサートマスターは、30代にも見える美しい女性ですが、そのヴァイオリンから流れ出る音色は美しく、これまでにない繊細で力強い響きが会場中を魅了していきます。指揮者もロマンあふれる指揮ぶりで、ロシアのオーケストラの伝統の音色はかくも美しいのかと感動します。

  その音色に聞きほれている間に組曲「白鳥の湖」は幕を閉じ、会場は休憩時間となります。

  そして、いよいよ第九がはじまります。会場に入ってきたのは、まず40人を超える合唱団の面々です。合唱は、日本の名門と言ってもよい晋友会合唱団です。合唱の指揮は清水敬一氏。期待に胸が膨らみます。その人数に驚いていると、管弦楽団のメンバーが拍手とともに入場してきます。そして、美貌のコンサートマスターの弓からチューニングがはじまり、その音が静まるといよいよ指揮者の登場です。

  弦とホルンの長い響きが流れ徐々に輻輳していくと、力強いアクセントで第1主題が響き渡ります。これぞ第九。感動に胸が打ち震えます。第1ヴァイオリンの引き締まった美しい音色は管弦楽の流れの中に溶け込んで、一段となった戦慄が、我々の心に響き渡ります。やはり、そのテンポは現代風の速さを保っています。早いながらもしっかりとしたコントラバスの音色に重く響き渡る木簡の音が重なっていきます。

  第1楽章は第1旋律の力強い響きと美しい第二旋律がまくるめくような変奏を繰り返しで終わります。そして、ティンパニィが軽快で印象的なリズムを刻む第2楽章がはじまります。ベートーベンは、リズムが大好きで現代で言えばドラムに当たるティンパニィを多用することで知られています。交響曲第7番は、クラシック界のロックンロールと言われるように、この第2楽章のリズムは本当に魅惑的です。そして、このオーケストラが醸し出す、その旋律とリズムは我々聴衆を第九の世界に引き込んで行きます。

  これまで数え切れないほど第九を聴いてきましたが、これほどみごとな第2楽章を聴いたことがありません。あまりの感動に思わず胸が熱くなりました。

  感動の激しいリズムが終わると、美しい調べに体が流れていくように優美な第3楽章がはじまります。第2楽章の早いスケルツォと第3楽章の緩やかなロンド、まさに計算されつくしたベートーベンの芸術世界に引き込まれていきます。美しい旋律とその変奏は我々を夢の中へと連れていってくれます。そこは、喜びに満ちた平和な世界のようです。

  癒しの旋律が終了し、息を整えた指揮者は一瞬のスキをついて腕を天に振り上げます。

  人類の歓喜を歌い上げる「歓喜の歌」の幕が切って落とされました。第3楽章が始まる前に登場したソリスト4人が大合唱団の前に座っています。第九をライブで聞いて初めて分かったのですが、ベートーベンは「歓喜の歌」の旋律をオーケストラで奏でるときに、感動的な重奏を語らせていました。はじめにコントラバスとチェロで奏でられる歓喜の旋律は、そこにビオラが重なることで重厚に響きます。さらに、木管と金管がそこに旋律を重ねていくことによって旋律は幾重にも重なっていきます。最後に加わるヴァイオリン。ここで、折り重なった旋律は絹のようなしなやかさを身にまとわせ、歓喜が完成するのです。

  そして、オーケストラが主題に戻った刹那、いきなりバスのソロが会場に響き渡ります。「おお友よ、この調べではない。」ここからはじまる、ソリストが奏でる歓喜の声と大合唱はまさに「自由と勇気こそが我々に喜びを生み出すのだ」というシラーとベートーベンの想いを我々に届けるのです。オーケストラが4重の弦と幾重にも重なる木管と金管の調べで変奏を醸し出せば、そこに連なる合唱が「生きる」ことの歓喜を謳いあげます。

 その大円団は、ベートーベンが伝えたかった数十人による歌声が響き渡って完結します。

 第九の感動は、100人を超えようかという人々が心の限り奏でる歌声と旋律によって永遠の詩(うた)として我々の心に生き続けることになるのです。今年の年末は、ウクライナの第九で幸福な想いで終わることができそうです。

 年末の第九は本当に格別です。皆さんも、心豊かによいお年をお迎えください。

 それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年12月22日

コートールド美術館は印象派の宝庫(その2)

こんばんは。

  コートールド美術館展、第二章の最後を飾るのは、この美術館展のアイコンと言ってもよい「フォリー=ベルジェールのバー」です。

  コートールド美術館は、美術研究を主務とするコートールド美術研究所に付随する美術館です。今回の美術展では、こうした美術館の特性を生かして、展示されている名画の特徴や芸術的な進取性などを解説しているところが大きな特徴となっています。

  マネ晩年の名作であるこの絵にも様々な解説がなされています。

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(マネ「フォリー=ベルジェールのバー」)

  マネはこの絵を再作するにあたって自らのアトリエに、当時大人気であったパリのミュージックホール「フォリー=ベルジェール」のバーを創り、そこに実際のバーメイドを連れてきてモデルとしたと言います。このバーメイドの後ろは前面鏡張りとなっており、その鏡には観客席が写っています。このバーメイドの物憂げな表情も魅惑的ですが、その後ろ姿は鏡に映っており、さらに鏡に映る紳士を見ると、メイドはこの紳士と会話していることが分かります。

  つまり、この絵を見ている我々はこの紳士の視線と同様の場面を目にしていることになります。しかし、この鏡の中は幻想的な世界です。まず、この角度から見るとメイドの後ろ姿や紳士の姿は非常に不自然な角度となっており、マネが故意に鏡の角度をゆがめていることが見て取れます。さらには、メイドの姿に焦点を合わせるために鏡に映る観客席の群衆はぼやかされていて、マネはそうすることで、この絵の効果を引き出そうとしていることがよくわかります。

  実際の絵は圧倒的な迫力を持って我々の心に当時のパリを映し出しますが、晩年のマネは尽きることなく新しい文化と新しい技法に挑戦していたのだと改めて感動します。

【印象派の奥深さを知る】

  数々の絵から得る感動で心を満たされながら美術展はいよいよ最終章へと向かっていきます。最後を飾る第三章は、「素材、技法から読み解く」と題されています。

  この章では、19世紀に発明されたチュ−ブ入りの絵の具やカメラの発明と普及などの技術革新を画家たちが自らの作画にどのように取り入れようとしたか、その痕跡に焦点を当てていくことになります。さらにこの章では、印象派の次の世代へと進んでいくとともに、タヒチに渡った画家ゴーガンの絵を見ることができます。

  まず目に飛び込んできたのは、くすんだ茶色の風景の中にぼんやりと描かれた馬上の主従の姿です。タイトルは、「ドンキホーテとサンチョ・パンサ」。作家はオノレ・ドーミネ。ドンキホーテは、御姫様であるドルシネアを守る騎士として、幻想の中の怪物に挑んでいく奇態な男ですが、凛々しく描かれたドンキホーテは、表情こそ描かれていないものの理想に向かう姿が象徴的に描かれていました。

  この絵も未完の作品でしたが、ここからしばらく絵画展は未完の作品を紹介していきます。

  ドガの未完作品は、窓辺の椅子に座る真っ暗な女性が描かれた「窓辺の女」、そして傘をさしてうつむく女性をななめ上の視点から描いた「傘をさす女」です。前作は、新しい絵の具を自ら調合して描こうとした作品でただ暗い印象ですが、傘をさす女は、貴婦人が傘をさしてうつむいている姿が習作的に描かれていて、ドガのセンスが光っている作品です。

  未完の作品の中では、セザンヌの作品に目を奪われました。

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(セザンヌ「曲がり道(未完)」)

  「曲がり道」と題された絵は、72cm×92cmの大きなキャンバスに尖塔のある田舎の遠景が描かれています。この作品が感動を生むのは、描かれたすべての事物の輪郭がぼやけていることです。さらに色使いも田畑や森や草原と思われる風景の緑や青と画面の上部半分以上を占める空の淡い青で満たされており、尖塔である教会へと続く道が白と黄土色であがかれています。それは、まるで心の中の色をカンヴァスに映し出したようで、その淡さに心が洗われるような気がします。ピカソなどキュビズムの画家たちがセザンヌに影響を受けたと言われる所以が分かるような気がしました。

  そして、次に現れるのはポスト印象派の代表ともいえる点描画の世界です。

  点描画と言えば、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日」が思い出されますが、コートールド氏が手に入れたのは、「クールブヴォアの橋」と題された作品です。この絵は、スーラが点描手法を全画面に用いた初めての作品と言われているそうです。この作品には豊かな水をたたえるセーヌ川河畔の風景が点描によって淡く描かれているのですが、その景色があの名画、グランド・ジャット島からの眺めだと知ると一層の感慨がわいてきます。

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(スーラ「クールブヴォアの橋」)

  この作品に続いて、小さなカンヴァスに描かれた点描画以前のスーラの作品が展示されています。「釣り人」、「船を塗装する男」、「水に入る馬」は、前作と同様にセーヌ川の河畔で描かれた作品と思われますが、画法はまさに印象派の油絵そのものであり、点描画以前のスーラのタッチを知ることができ、興味深い展示でした。スーラでは、小さいながらもさらなる点描画の意欲的な作品「グラブリームの夜明け」と題された美しい作品を見ることができました。

【ゴーガン その絵画の魅力】

  スーラの次に現れたのは、ポスト印象派を代表するポール・ゴーガンの作品でした。

  最初に展示されているのは、なんと絵画ではなく彫刻です。真っ白い大理石でできた彫刻は人の頭像です。凛とした若く魅惑的な表情の頭像は、なんとゴーガンの妻、メット=ソフィー・ガッドの姿を映したものでした。この作品は、ゴーガンが30歳ころの作品で、このころ彼は株式仲介人の仕事をしており、その傍らで芸術作品を作っていたと言います。その作品は、とても丁寧で美しく造形されており、ゴーガンの志がほの見える作品でした。

  ゴーガンの最初の作品は、ゴッホとのアルルでの生活と決別したゴーガンがフランスのブルターニュ地方を描いた「干し草」です。この作品は、一面黄色で塗られた干し草を積む多くの人々がえがかれていますが、そこにはゴッホに似たタッチが感じられ、まだ印象派の影響が強いゴーガンの筆致を見ることができます。

  ゴーガンといえば、南太平洋のタヒチ島で描かれた絵画が思い出されます。次の作品は、130cmのおおきなカンヴァスに描かれたタヒチ島の「テ・レリオア」です。この絵に描かれているのは、部屋の中に座る二人の女性とその横に猫。画面の左下には、幼い子供がうつぶせに眠っています。女性の奥にはタヒチ等の風景が描かれていますが、それが窓からの風景なのか画中画なのかは判然としません。

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(ゴーガン「テ・レリオア」)

  この絵の題名は、タヒチ語で「夢」をあらわしているそうです。描かれている女性二人も猫も全く別の方向を向いており、左右に掛けられたタペストリーに描かれる絵も民族的であり、その非現実性は題名そのものともいえます。ここの絵にはゴーガンが紡ぎ出した個性が前面に表出しており、心を動かされるのです。

  そして、その画の衝撃は、次の絵に引き継がれていきます。その画は「ネヴァーモア」。

  縦60cm×横116cm。横に長いカンヴァスには、横たわる全裸の女性が描かれます。ベッドに横たわる若い女性は左半身を下にして左手を頬に当てて両足をそろえて横たわっています。その表情は、タヒチ島の住民であり、何かを思案しているようです。ベッドの後ろには部屋の外で話をしている二人の女性の後ろ姿。さらに左の窓枠には、カラスのようなぶきみな鳥がとまっているのです。そのアンバランスな世界は、この世の不安を独自の映像と筆致で表現しており、その題名とも相まって妙に心をざわつかせます。

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(ゴーガン「ネヴァーモア」)

  この絵を見ると、ここにゴーガンの個性が極まっていると思いが強く感じられ、心が揺さぶられるような感動が沸き起こりました。

【印象派に続く作家たち】

  ゴーガンの筆致に魅入られたまま歩を進めると目に入ってくるのは、ボナールの絵画です。

  ボナールの作品は、フランスのヴェルノンに購入した家とそこから見た景色を描いた「青いバルコニー」、椅子に座る恋人の姿を描いた「室内の若い女」、課題のとおりの題名の「オリーヴの記と教会のある風景」の3点が続いて展示されています。中でも「青いバルコニー」に描かれた緑の木々の美しさは、ボナールの筆遣いをよく表わして心に残る作品でした。

  ボナールに続いて展示されるのは、スーティンの「白いブラウスを着た若い女」。そして、その先に待っていたのは、一目でその作家とわかる「裸婦」でした。

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(モディリアーニ「裸婦」)

  その作家はモディリアーニ。モディリアーニと言えば、個性的な輪郭を持つ女性の肖像画がすぐに頭に浮かびますが、ここで展示されていたのは、一糸まとわぬ女性の半身像です。このときに描かれた5点の裸婦のうち2点はショウウィンドウに飾られたと言いますが、1917年当時、この絵は公序良俗に反するとして、警察から撤去を求められたそうです。なるほど、それほどこの作品が女性の裸体の魅力を的確に表現していたということか、と納得しました。この絵は、顔と体でまったく筆遣いが異なることが分かっており、モディリアーニの絵画の秘密の一端が込められた絵だということがよくわかります。

  この章では、こうしたポスト印象派の絵画に囲まれるようにして、展示室の中心に多くのブロンズ像が展示されていました。なんといっても感動するのは、ロダンの作品たちです。

  ロダンの作品は「静」と「動」をみごとに創り分けていますが、ここに展示された5作品を見るとそのどちらもが素晴らしい作品です。「叫び」と言う作品は、青年が不安そうな表情で大きく叫ぶ顔が描かれた造形ですが、そこにはリアルを超えた真実が表現されています。さらに「ムーヴマン」呼ばれるダンスを造形した3作品の躍動感は人間が瞬発する瞬間を切り取った造形美にあふれる作品です。ヨーロッパで活躍したという日本の女優「花子」を描いた作品は、不可思議な表情が魅力的な「静」の作品です。

  そして、ブロンズ像の最後には、ドガの作品が展示されています。ドガは、たくさんの踊り子を描いた作品で有名ですが、このブロンズ像も踊り子を描いた作品です。この作品の踊り子は、とても変わった姿勢を取っています。その題名は、「右の足裏を見る踊り子」。題名の通り、右足を背中の方に持ち上げて、振り返って自分の右の足の裏を見ている踊り子。このポーズを描くのにドガ゙は10年以上の歳月を費やしたといいますが、やはり人の造形は美しいと改めて感じられる作品でした。

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(ドガ「右の足裏を見る踊り子」)

  こうして、すっかり魅入られる作品に出会うことができた美術展は終了しました。

  今回のコートールド美術館展は、はじめてみる名画が次々に現れて、感動の連続に心が震えた美術展でした。あまりにも多くの名画に出会ったので展示室から出たあとにはしばし放心状態となっていました。この素晴らしい美術展を企画した多くの皆さんに心から感謝します。ロンドンには大英博物館やターナー美術館が有名ですが、これほど豊かな美術館があったとは、うれしい驚きです。


  この美術展は、上野での展示を終了し、これから愛知、神戸で展示が行われます。名古屋、関西の皆さん。ぜひコートールド美術館展に足を運んでください。芳醇な芸術の世界にひたれること間違いなしです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年12月07日

コートールド美術館は印象派の宝庫

こんばんは。

  マネの絵画、「フォリー=ベルジェールのバー」にピンとくる方はどれくらいいるのでしょうか。

  9月10日から東京上野の東京都美術館で開催されている「コートールド美術館展 魅惑の印象派」もいよいよ1215日(日)に最終日を迎えます。開催期間が長いのでついつい油断していましたが、12月に入ればアッという間ですので、意を決して師走初日に上野の美術館に足を運びました。

  この美術展は、開催前から評判が高く。これまで目にすることがなかったモネ、マネ、セザンヌ、ルノワールの名画が日本にやってくるということで、印象派が大好きの日本人が待ちに待った美術展でした。かくゆう私も印象派といえば、矢も楯もたまらずに見に行きたいと思っていました。幸いにしてお天気も良く、上野公園は寒くもなく紅葉もだいぶん進み、散歩日和です。美術館についたのがちょうどお昼前ということもあり、美術館は珍しく人が少ない状況でした。

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(マネ「フォリー=ベルジュールのバー」)

  ところで、コートールド美術館とは聞きなれない美術館です。場所を見ると、まさにロンドンのシティの西側テンプル教会の近くにあります。美術館の発祥は、人工絹糸の製造で巨万の富を築いたサミュエル・コートルドの絵画コレクションに寄るものです。彼は収集のみでなく、美術史や美術保存を探求するためにコートールド美術研究所を設立。美術館は研究所に付属する施設として1932年に開館したといいます。

  コートールド氏は、保守的なイギリスでは受け入れられなかったフランスの印象派絵画の価値に早くから心を寄せ、自らの審美眼を信じて奥様と一緒に絵画を買い集めたといいます。そのコレクションは、印象派、ポスト印象派の名だたる画家の作品に及んでいます。コートールド美術館は、現在リニューアル工事が進められており、その間、門外不出の名画たちが日本を訪れているのです。東京都美術館は入り口が地下になりますが、入口を入り、正面にミュージアップショップを見て、左に向かうと、企画展の入り口が見えてきます。

  入り口の横には、いつも長蛇の列が幾重にもつながっているのですが、この日はガランとしており、今回の美術展の顔ともいえるマネの「フォリー=ベルジェールのバー」がその威容を見せてくれています。何人かの人たちがその前で記念撮影をしており、我々も写真を撮ってからいよいよ美術展に入場しました。

【作家が絵を描くのはなぜ?】

  受付を過ぎて展示室に進むと、第一章は「画家の言葉から読み解く」と題された展示となります。さすが、コートールド美術館は美術研究所に付随する施設であるだけあって、美術史を踏まえた展示に興味をそそられます。画家は、それおれ想いを持って自らの絵画を完成させます。その想いを知ることはできませんが、この章では、画家たちが残した手紙や手記からその想いを紐解いていくのです。

  展示会はホッスラーの「少女と桜」からはじまりますが、その次には早くもゴッホの「花咲く桃の木々」が登場します。ゴッホは1888年、画題の風景を求めてアルルに移り住みますが、この絵はそのアルルの風景を映し出します。ここでは、ゴッホがポール・シニャックに宛てた手紙が紹介されます。「この地のすべては小さく、庭、畑、庭、山々でさえ、まるで日本の風景のようだ。だから、私はこの主題に惹かれたのだ。」この絵は、桃の果樹園とそのはるか向こうの山々、そして広く輝く空を湛えていて、とても明るいタッチで描かれています。

  ゴッホは、本当に浮世絵にあこがれていたのですね。

  晩年のタッチの片鱗を感じながら進むと、いきなりモネが登場します。画題は「アンティーブ」。モネといえばノルマンディーの海岸で描いた「エトルテ」は名画ですが、こちらの絵は地中海に面するリゾト地アンティーブから見た美しい海と空を描いていいます。画面の左中央には華奢な幹の松がアクセントを加えており、モネ独特の青い空と青い海、そしてはるかに連なる山脈が見て取れます。本当にモネの絵には心が洗われます。

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(モネ「アンティーブ」)

  「アンティーブ」に続いては、大きな花瓶に生けられた美しい花が画面いっぱいに描かれた絵に目を奪われます。この作品は1881年に着手されたそうですが、長年秘蔵され晩年に筆を入れたうえで売却したといいます。確かに全体としては淡く明るい印象ですが、華やかな花々の中に複雑な陰影が見え隠れしており、晩年のモネの手が入っていると聞くと確かにそう思えます。

  いきなりのゴッホとモネで感動した後に目に入ってきたのはセザンヌでした。作品は「アヌシー湖」。緑にぬり込められた湖に映るモリト城を描いたこの作品は、絵画の可能性を独自に追求したセザンヌらしい作品です。この絵について、セザンヌは「若い女性の旅行アルバムのような風景」といいながらこの絵を描いたとのこと。描く自らを楽しんでいたのか、自虐的に見ていたのか、想像が膨らみます。

  そして、驚くことにここから9枚ものセザンヌの名作が続くのです。その作品は、「レ・スール池、オスニー」、「ノルマンディーの農場、夏」、「ジャス・ド・ブッファンの高い木々」、「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」、「鉢植えの花と果実」、「カード遊びをする人々」、「パイプをくわえた男」、「キューピッドの石膏像のある静物」と続きます。

  風景画では、セザンヌが織りなす緑の豊かな表現に目を見張りましたが、展覧会で焦点を当てていたのは、「カード遊びをする人々」です。セザンヌは、1892年からこの題材に臨んでいたそうですが、何枚もの同じ作品が各地の美術館に保管されているといいます。今回の絵は、「パイプをくわえた男」に描かれた農夫が別の男と二人で向かい合ってカードをしている姿が描かれています。

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(セザンヌ「カード遊びをする人々」)

  セザンヌは、一見何気ない風景に見える構図でも人間の目が持つ特性をよく理解して、ことのほか自然に見えるように工夫を重ねているのです。二人がカードに興じているテーブルは、水平ではなく左に傾いていますし、カードを持つ男の胴はよく見ると不自然に長くなっています。さらに腰かけている椅子も言われてみれば不自然に短く描かれています。セザンヌは、絵を描くにあたり、目の前の対象を写生するのではなく、複眼を使って自らが納得できるように見える構図を創造して作品を描いていたのです。

  「キューピッドの石膏像のある静物」でも石膏像の隣に置かれたリンゴを載せた皿は水平に描かれているものの、バックに描かれた静物?が異様に傾いて見えます。セザンヌは、「リンゴ1つで、パリを驚かせたい」と語ったといいますが、彼にとってリンゴは、ただのリンゴではないようです。

  この美術展は、様々な工夫がなされており、作家の手紙やコートールド氏が絵を買ったときの領収書、コートールド美術研究所の本などが展示の合間に紹介されています。その中には、作家と作品のつながりを動画で紹介するコーナーがあります。ここでは、セザンヌの「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」が紹介されていました。この山はセザンヌの故郷に聳え立つ神に近い山であり、セザンヌはこの山の姿を何度も描いています。動画では、セザンヌの絵と全く同じアングルでヴィクトワール山を映していますが、それを見ると彼の心に映った山と実際の山の対比が浮き出て、彼の描いた絵の個性が際立つ思いがしました。

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(セザンヌ「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」)

印象派を感じる審美眼

  展覧会は第二章「時代背景から読み解く」へと進んでいきます。

  19世紀末から20世紀。フランスでも近代化が進み、人々は都市から汽車に乗って近郊の緑地や川辺、そして海へと移動して様々な楽しみに身を投じるようになりました。そうした変化をこの章では絵画から読み解いていきます。

  第一章でも印象派の大家の絵に魅了されたのですが、第二章でも我々は次々に感動と出会うことになるのです。ブーダン、マネ、モネ、ピサロ、シスレー、ルソー、ルノワールと名前を聞くだけでうっとりしてしまうような名画が一歩進むごとに登場するのです。

  モネの師でもあった風景画の大家ブーダンの「ドーヴィル」はいきなり我々の心を射抜きます。この絵は、ドーヴィルの砂浜と山、海と空を、画面いっぱい使って描きあげているのですが、絵の上半分以上を占める雲が沸き上がる空の描写は、我々の心を空へと誘うようです。ブーダンは、絵画の世界で「空の王者」と呼ばれているそうですが、その面目躍如です。その絵に並ぶ弟子モネの「秋の効果、アンジャントゥイユ」。モネがアトリエ舟によって川面の上から描いた絵画ですが、モネが感じた秋の光がみごとな効果を上げており、引き込まれます。

  この章の絢爛さは格別です。シスレーやピサロ、そしてルソーの絵に感動していると、その流れに登場するのがルノアールです。まず、「春、シャトゥー」。ルノアールの風景画は淡く明るく心がすがすがしくなるのですが、この絵はまた格別な感動を味わうことができます。濃淡様々な緑と白があふれかえるように広がっている中に、麦わら帽子の人物がまるで花弁のように佇む構図。その向こうにはセーヌ河がわずかにのぞいています。素晴らしい。

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(ルノワール「春、シャトゥー」)

  さらにルノワールは、秋を描く「ポン・ダヴェンの郊外」、「アンプロワーズ・ヴォラールの肖像」、「靴紐を結ぶ女」、「洗濯する女」(ブロンズ像)、「桟敷席」と続きます。ルノアールの創ったブロンズ像にも驚きましたが、何といっても圧巻は「桟敷席」。当時、パリの劇場で桟敷席は貴婦人たちのファッションショーの現場のようです。本来、遠景でしか見えないはずの桟敷席にいる貴婦人を超アップでとらえたこの作品は、ルノアールにとっても冒険であったに違いありません。そして、それは単なる冒険ではなく、夫人の上品な美しさを描いて画家の個性を際立たせています。

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(ルノワール「桟敷席」)

  ルノアールに魅せられた次には、踊り子が印象的なドガの絵が登場します。「舞台上の二人の踊り子」は、中心に広い舞台空間を描き構図の右手に登場したところでしょうか、つま先台をしてまさに踊り始めたバレリーナが描かれます。その緊張感と美しさが見事なバランスを醸し出していて、引き込まれます。そして、展示室の中には、そのドガが造形したブロンズ像「踊り始めようとする踊り子」が展示されています。まさに美術研究所的な展示に興味をそそられます。

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(ドガ「舞台上の二人の踊り子」)

  ドガに感動し、歩みを進めるとロートレックが登場します。ロートレックと言えばムーラン・ルージュですが、今回はムーラン・ルージュの踊り子やレストラン「ラ・モール」の個室にいる娼婦の素顔を描いており、いつものロートレックとは違う表現を味わうことができます。

  そして、第二章のハイライトは、この展覧会と言えば登場する絵画です。

  その前に、意外な絵が目に飛び込んできます。それはマネの「草上の昼食」です。この絵は森の中で昼食を取る男女が描かれていますが、物議を醸しだしたのは、描かれた女性が一糸も纏わぬ姿だったからです。なぜ、この絵がここにあるのか。近づいてみると、その解説にこの絵が2点あることが書かれていました。以前に見た「草上の昼食」は、オルセー美術館が所有する作品だったのです。言われてみれば、描かれた女性や紳士たちの表情がなんとなくのっぺりしています。どうやらこの作品は、オルセーの作品を描くにあたって、背景となる森の木々をどのように構成するかを確定するための習作だということです。

  それにしてもこの有名な作品に習作が存在するとは、コートールド氏の収集心が偲ばれるようなコレクションです。

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(マネ「草上の昼食」)

  そして、我々の目に飛び込んでくるのは、マネ晩年の大作、「フリー・ベルジェールのバー」です。さすが、作品の前は黒山の人だかりです。それでも、少し並べば絵を目の前で鑑賞することができる程度の人ごみでした。絵は、縦96cm、横130cmという大きさですが、作家の力量と迫力から実際の大きさ以上に迫力がありました。絵画では、バーのカウンターに佇んで男性の相手をしているバーメイドが我々をじっと見つめています。


  さて、美術展ではこの絵を様々な角度から分析してくれており、その魅力をぞんぶんに解説してくれているのですが、残念ながら紙面が尽きてしましました。この続きは次回(以降)にお届けしたいと思います。

  今回の美術館展は、門外不出の作品を一堂に会した貴重な美術展です。東京都美術館での開催は今月15日で終了しますが、その後、愛知県美術館、神戸市立博物館で開催の予定です。絵画好きの方もそうでない方もぜひ一度足を運んでください。絵画の魅力に心を奪われること間違いなしです。

  美術はやっぱり実物を見なければ本当の感動に行きつくことができません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2019年11月28日

西山浩 日本のジャズはこうしてできた

こんばんは。

  日本ジャズのレジェンドといえば、まずは渡辺貞夫さんです。

  その生まれは1933年ですので、今年は86歳となりました。渡辺貞夫さんのすごさは、今だに日本全国をライブパフォーマンスで走り回っているところです。先月10月のパフォーマンスは、10月の2日は浜松市ゴルフクラブ、4日から7日まで東京丸の内のコットンクラブ、10日は高崎(群馬)市芸術劇場。さらに今月は8日に長崎大村市「シーハットおおむら」、9日と10日は下関の「Jazz Club BILLIE」、12日が大分市「BRICK BLOCK」、14日には高松の「SPEAK LOW」、15日は松山の「MONK」でライブパフォーマンスを繰り広げています。

  12月にも長野、神戸、大阪、札幌、横浜と日本を駆け回り、15日の日曜日には毎年恒例のクリスマスライブが、東京渋谷のオーチャードホールで開演となります。

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(渡辺貞夫 クリスマスギフト LIVE ポスター)

  ジャズの世界では、世界的にも80歳を超える演奏者が活躍していますが、一般的には80歳を超えてライブを行っているプロフェッショナルは、加山雄三さんくらいしか思い当たりません。昨年の東京ジャズでは、日曜日のラストステージでビッグバンドの演奏を繰り広げ、衰えを知らない素晴らしいパフォーマンスを披露してくれました。渡辺貞夫といえばビパップですが、「カリフォルニア・シャワー」に代表されるフュージョンやボサノヴァでもその名前は世界に轟いており、渡辺貞夫さんと同時代に生きることができたことを神様に感謝したいと思っています。いつまでもお元気で素晴らしいジャズを聞かせてほしいと願うばかりです。

  今週は、その渡辺貞夫さんとさらなるレジェンドといってもよい秋吉敏子さんを描いた本を読んでいました。

「秋吉敏子と渡辺貞夫」(西山浩著 新潮新書 2019年)

【日本のジャズのはじまり】

  ジャズは、アメリカで生まれた音楽です。もとはといえばニューオリンズで生まれた誰もが楽しむことができるラグタイムのような演奏です。日本のジャズは、戦前にすでに日本に上陸していましたが、太平洋戦争がはじまるや敵性音楽としてすべて禁止されました。しかし、1945年に終戦を迎え、アメリカの進駐軍が日本に押し寄せてきたときに、日本にジャズが復活します。

  というのも、東京内幸町の旧第一生命ビルがGHQに撤収されマッカーサー元帥が来日すると同時に日本各地に進駐軍が駐留することになります。アメリカ軍人はみな音楽好きで、娯楽といえばジャズの演奏を聴き、ダンスすることでした。銀座や横浜には駐留軍専門のジャズクラブができ、そこでは毎日ジャズが演奏されます。その演奏者は、にわか仕込みの日本人だったのです。

(以下、敬称略)

  秋吉(穐吉)敏子は1929年生まれ。渡辺貞夫は1933年生まれです。終戦の時には、それぞれ16歳、13歳でした。二人は子供のころから音楽にあこがれを持ち、秋吉敏子はピアノ、渡辺貞夫はクラリネットとアルトサックスを演奏していました。終戦後、日本に駐留した米軍の影響で、二人はジャズに目覚めます。そして、この本のオープニングに描かれるように、1953年の夏、横浜の進駐軍クラブ「ハーレム」で秋吉敏子と渡辺貞夫は、お互いの演奏と出会うことになるのです。

  この出会いが、日本のジャズの幕開けの一つになったのです。

  題名のとおり、この本では日本のジャズの発展に大きく影響を与えたお二人の軌跡をたどるわけですが、著者の視点は広く、お二人を語ることが同時に日本のジャズ界全体を語る、との構成になっているのです。そこに登場する人物たちはジャズファンにとっては、おあなじみの人たちで、その名前が語られているだけで心を動かされます。

  日本の洋楽ブームは、戦後、ジャズから始まりました。歌謡曲のバックで指揮を執る原信夫とシャープ&フラッツ、クラリネットの第一人者北村英二、ジャズ歌手からキャリアを始めたペギー葉山や江利チエミ、今のジャニーズに負けないほどのアイドルだったジョージ川口(ドラムス)、小野満(ベース)、中村八大(ピアノ)、松本英彦(テナーサックス)がメンバーだった4人組、ビッグ・フォー、とにかくこの本にはその後の日本音楽界を代表する人たちの名前が次々と登場します。

  さらに現在にも通じる日本のジャズミュージシャンたち。渡辺貞夫教室で学んだ、菊池雅章、増尾好秋、富樫雅彦や日野皓正、渡辺香津美など、錚々たるジャズミュージシャンが顔を出し、読む人の胸を熱くしてくれます。著者の意図には、お二人を描くと同時に日本のジャズから派生した音楽文化全体を俯瞰したいとの想いがあったのだと思います。そして、この本でその想いは成功しています。

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(日本のジャズを語る amazon.co.jp)

  この本の目次を紐解いてみましょう。

序章 出会い

1章 ピアノに魅せられた少女

2章 アメリカにあこがれた少年

3章 ジャズで生計を立てる

4章 黄金時代の主役たち

5章 シンデレラガール

6章 「ナベさん、バークリーで勉強してみない」

7章 不遇と栄光

8章 フリージャズからフュージョンへ

9章 「世界のナベサダ」の誕生

10章 呼ばれればどこにでも

11章 歩みは続く

終章 二人の役割

おわりに

【ジャズを創る人】

  秋吉敏子と渡辺貞夫。このレジェンドお二人を結ぶキーワードは、2つ。「コージー・カルテット」と「バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)です。

  まずは「コージー・カルテット」。「コージー・カルテット」は、ジャズバンドの名前です。1949年、九州から東京へと上京してきた秋吉敏子は、進駐軍相手に日銭を稼ぐジャズプレイからアイデンティティ豊かなジャズジャズプレイへの変化を求めて、自分が主催するバンドを結成します。1951年に結成されたバンドは、当時は珍しい月給制のバンド。自分たちの求める音楽をお金に煩わされることなく追求するためには、安定した収入が必要と考えたのです。

  バンド結成から2年。1953年に横浜の「ハーレム」で渡辺貞夫の演奏を聴いた(見た?)秋吉は、その演奏力を買ってバンドへの加入を申し入れます。こうして、「コージー・カルテット」は、宮沢昭、原田長政、白木英雄、秋吉敏子に渡辺貞夫を加えたスーパーバンドとして日本人のジャズを展開していきました。

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(秋吉敏子 コージーカルテット仲間とのLIVE盤)

  しかし、秋吉敏子は自らのジャズピアノをより高めるために常に挑戦を続けていたのです。渡辺貞夫が加入した1953年、アメリカの名プロデューサーであるノーマン・グランツが来日しました。そのときにピアニストであったのはあのオスカー・ピ−ターソンです。略歴によると、「来日中のオスカー・ピ−ターソンに認められて(アメリカ盤録音)」と紹介されていますが、そのときに起きた出来事は驚きの出来事です。それは、秋吉敏子でなければ起きなかった出来事でしょう。

  何が起きたのかは、ぜひこの本を読んでほしいのですが、とにかくこの出来事によって秋吉敏子の録音したジャズアルバムがアメリカで紹介されることになります。このことが、渡辺貞夫の音楽人生を大きく変えることになるのです。

  さて、「バークリー音楽院」といえば、日本のミュージシャンも数多く輩出しています。はるか後年の話になりますが、ビブラフォンのゲイリー・バートンが音楽院の講師をしていたことはよく知られています。今や日本のジャズをけん引しているといっても過言ではない小曽根真もバークリーに留学していました。小曽根は、ゲイリー・バートンにゲイリーバンド加入を勧められ自らのキャリアをスタートさせたといっても良いのですが、はじめて顔を合わせたとき、ゲイリーは小曽根を自分とは関係のないミュージシャンだと思ったといいます。

  そのときの小曽根真はオスカー・ピーターソンにあこがれていたのですが、とにかく速弾きのテクニック習得を目指していたといいます。つまり、ジャズピアノのテクニックを身に付けることが目標で、その演奏はとにかく速弾きだったと自ら語っています。その後、ゲイリーは改めて小曽根の演奏をじっくりと聴いて、彼の中の音楽をともに育てようと考えたのかもしれません。

  2017年、川口リリアでゲイリー・バートンと小曽根真のデュオライブが開催されました。ゲイリーは、このとき74歳を迎え、現役最後のライブは小曽根と行いたいとの希望を持ち、このライブに臨んだといいます。ライブは、お二人の数十年の間に培った様々な想いが行きかう、素晴らしいものでした。強く、リリカルに交わされるインタープレイに思わず眼がしらが熱くなりましたが、お二人の心温まるMCにも心が洗われました。

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(ゲイリー・バートン LASTLIVE ポスター)

  「バークリー音楽院」と聴くと、いつもこのライブのことを思い出します。

  話を戻します。

  秋吉敏子は、常々バークリー音楽院への留学を希望し、願書を提出していたそうですが、音楽院からはなしのつぶてだったと語っています。ところが、アメリカでアルバムが発売され、その取材記事が有名雑誌に掲載されると、音楽院から連絡がきたのです。そして驚くことにその内容は学費免除で入学を認めるという申し入れだったのです。そして、1956年1月、秋吉敏子は単身ボストンに渡り、バークリー音楽学院に入学しました。

  バンマスがバークリーへと渡ってしまい、「コージー・カルテット」はいったいどうなったのでしょうか。なんと、秋吉敏子は自らのバンドを渡辺貞夫に託したのでした。進駐軍の占領が終わり、ジャズマンの収入がなくなる中、秋吉敏子の信念で給料制を取っていたバンドの維持は並大抵ではありません。バンドの維持のために渡辺貞夫は奔走します。最終的にバンドは解散し、彼はジョージ川口が主催するビッグ・フォーに参加することになります。

  ところが、バークリー音楽院を卒業し、日本に帰国した秋吉から渡辺貞夫に驚きの申し出がなされることになります。それは、秋吉の次の留学生への指名でした。1961年に初のリーダーアルバムを世に出し、次のステップを探る渡辺貞夫にとって、バークリー音楽院への留学は願ってもない話でした。1962年、彼は秋吉敏子からの推薦を受けてバークリーに旅立ちました。

  「コージー・カルテット」と「バークリー音楽院」。こうして日本のジャズはかけがえのない二人のジャズミュージシャンをその歴史に刻むこととなるのです。

  

  この本は、あまりにも面白いので、その接点を語ってしまいましたが、それはほんの触りにしかすぎません。ジャズファンならご存じの通りここからお二人のジャズが花開き、日本のジャズの歴史が刻まれていきます。ニューヨークでサックス奏者のチャーリー・マリアーノと結婚しバンドを結成する秋吉。さらに後年には、テナーサックス奏者のルー・タバキンと再婚してビッグバンドを結成します。秋吉は、作曲家としても活躍。「すみ絵」、「孤軍」、「みなまた」と次々にオリジナル曲を発表していきます。

  一方、渡辺貞夫はバークリーから帰国後、従来のジャズの枠、ビパップの枠にとどまることなく次々と新たな感性を広げていきます。ゲイリー・マクファーランドやチャーリー・マリアーノからボサノヴァやラテンへの広がりを学び、ブラジル音楽を取り入れます。さらに「マイ・ディア・ライフ」では、リー・リトナーやデイブ・グルーシンとあらたな境地へと進みます。1978年に発表した「カリフォルニア・シャワー」では日本にフュージョンブームを巻き起こし、一躍時の人になるのです。

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(渡辺貞夫「カリフォルニア シャワー」)

 

  音楽を語ればキリがありませんが、この本ほどジャズを楽しみながら語ってくれる本は久しぶりに読みました。音楽好きのあなた、一気読み間違いありません。ぜひ、お読みください。ジャズが聞きたくなること請け合いです。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2019年11月21日

007(ゼロゼロセブン)は殺しの番号

こんばんは。

  公開後、全作品をオープニングからエンディングまで鑑賞した映画シリーズは、007シリーズとスターウォーズシリーズのみです。

  007はすべて映画館で見た、と言いたいところですが、第1作 ドクターNO(邦題「007は殺しの番号」)が日本で公開されたのは、1963年です。東京オリンピックの開催は、1964年ですから私はまだ5歳でした。ちょうどそのころにはじめて映画を見ましたが、それは東宝映画「わんぱく王子の大蛇退治」でした。まあ、両方ともアクション映画ではありますが、中身はだいぶん違います。

  初代ジェームズ・ボンドは、言わずと知れたジョーン・コネリー。今年89歳になるといいますが、お元気なのでしょうか。私が映画の魅力にはまったのは中学2年生の時でしたが、その頃に封切られた007は、ショーン・コネリーが主演した最後の作品、「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)でした。このシリーズでは、主題歌も大きな話題となりますが、シャーリー・バッシーが歌ったこの映画の主題歌もソウルフルでスマッシュヒットとなりました。

  正式な007映画としては、この作品がジョーン・コネリー最後の作品なのですが、実はその後、ファンや本人の希望があり、1983年に「ネバーセイ、ネバーアゲイン」という映画で、カムバックして007を演じました。題名は、「(007を)もうやらないなんて言わないで」という意味です。この映画は、「007 サンダーボール作戦」のリメイクですが、当時、007シリーズの映画化権はすべてアルバート・R・ブロッコリの手にあり、この作品だけが映画化可能なものだったそうです。この映画は、まさに007へのオマージュに満ち溢れていて、何度見ても楽しい映画でした。

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(映画「NEVER SAY NEVER AGAIN」ポスター)

  ショーン・コネリーは、あまりにジェームズ・ボンドのイメージと重なっていたために制作サイドは、後継者選びに苦労したと思われます。事実、「007 ダイヤモンドは永遠に」の前作「女王陛下の007」では、007をジョージ・レーセンビーが演じたのですが、興行成績が振るわず次作でショーン・コネリーが復帰するとの事態が起きたのです。その後、イケメン俳優のロバート・ワーグナーが候補に挙がりましたが、彼は、自分はあまりにアメリカ的でイギリス人のジェームズ・ボンドにはふさわしくない、と辞退し、ロジャー・ムーアを推薦したといいます。

  現在、007を演じているのは、6代目のダニエル・グレイグとなり渋いジェームズ・ボンドを演じています。最近のハリウッド映画のはやりですが、人生を背負う側面を醸し出すために背負っている過去に焦点を当てた脚本が映画を盛り上げます。ダイエル・グレイグの007もその路線を走っていますが、007に過去の足かせはそぐわないと思っています。確かに人間ですから様々なしがらみを背負うのは当たり前ですが、それが暗くて重いものとなると「007」とは異質に変容してしまう気がするのは私だけでしょうか。

  今週は、古き良き007を描いた小説の最新版を読んでいました。

「007 逆襲のトリガー」(アンソニー・ホロビッツ著 駒月雅子訳 角川文庫 2019年)

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(文庫「逆襲のトリガー」amazom.co.jp)

007シリーズの魅力】

  007シリーズの原作は、イアン・フレミングの大人気小説です。かのケネディ大統領もこのシリーズの愛読者だったのは有名なお話です。はじめてジェームズ・ボンドが登場したのは、1953年に上梓された「カジノ・ロワイヤル」でした。イギリスの諜報機関を題材とすること自体も当時としては斬新でしたが、それもそのはず、イアン・フレミングは第二次世界大戦中にイギリス諜報機関で働いていた本ものの諜報部員だったのです。

  諜報機関を退職後、ジャマイカの別荘に移り住んだ彼が、諜報機関時代の経験をもとに執筆したのが007シリーズだったのです。

  実をいうと、恥ずかしながら映画のフリークでありながらこれまでイアン・フレミングの小説は一度も読んだことがありません。特に理由はないのですが、映画があまりにも面白かったため、小説を読むと全く別のジェームズ・ボンドが出てきそうで億劫だったという感じです。考えてみれば、ハリー・ポッターも映画は見ても本は読んでいないし、スター・ウォーズも本を読もうとは思いません。

  それが、この本を読もうと思ったのは、いつもの本屋巡りで「007」という文字にひっかかったことがきっかけです。原作者のイアン・フレミングは、1965年に心臓麻痺で亡くなり、その後007シリーズは書かれることがありませんでした。しかし、イアン・フレミング財団なる団体はこれまでにも何度か007シリーズ新作の執筆を有望な作家に依頼していました。一度007を読んでみたいと思っていたところに新作です。思わず手に取ってしまいました。

  今回、白羽の矢が立ったのはシャーロック・ホームズの続編を執筆したイギリスの作家、アンソニー・ホロビッツ氏でした。シリーズの大ファンであった著者は、財団からの執筆依頼を受けてアイデアを練ります。氏は、生前イアン・フレミングがテレビ映画のための脚本を何篇か執筆していたことを知り、その草稿を手にします。今回のボンドの活躍は、イアン・フレミングのアイデアに基づく内容となりました。

  007の魅力は、何といっても男のロマンをくすぐる設定の数々です。

  まず、ジェームズ・ボンドのダンディな生き方。「男」に限定するのは今様ではありませんが、そのこだわりは、衣食住にとどまらず、生き方、女性観、車、小物まで徹底しています。ボンドは、常にスーツとネクタイに身を包んでいますが、愛用の銃にワルサーPPKを選んでいる理由もホルスターに収めたときにスーツが型崩れしないから(外から見て銃がわからないから)と言われています。さらにスーツに合わせる革靴は、紐靴というのもこだわりです。ボンドといえば、マティーニですが、「マティーニを。ステアせずシャエイクして。」とのセリフは映画史にも残る名セリフです。

  次なる魅力は、彼の職業です。男が憧れる職業といえば、大統領と指揮者と言われていますが、スパイもその最たる職業です。常に命の危険にさらされていますが、紙一重のところで国や人を救うというアドレナリン全開の職業です。「神々が打ち滅ぼさんとしたまいしもの、退屈なり。」とは、ボンドがささやいた独り言ですが、常に「退屈」を嫌って新たなミッションへと挑んでいく姿は、ほれぼれとする生き様です。そこに絡んで登場するメカニックも大きな魅力です。シリーズには、諜報機関でメカニックを担当するQが登場し、常に新たな武器をボンドに渡します。ナイフや金貨が仕込まれたアタッシュケース。機関銃や巻き菱を内蔵したアストンマーチンなど、血沸き肉踊ります。

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(アストンマーチンとジェームズ・ボンド)

  そして、何といってもボンドを取り囲む美しい女性たちは極めつけです。

  007の映画監督は、皆、ボンドガールのキャスティングに頭を悩ましたことと思います。小説では、その魅力が言葉で表現されますが、それが視覚化されたときに言葉のイメージが目の前に実現することが求められるからです。それでも映画のボンドガールは、皆、魅惑的です。第1作では、ジャマイカ沖の絶海の孤島に出現する妖艶な女性ハニーをウルスラ・アンドレスが演じ、観客の目をスクリーンに釘付けにすることに成功しました。真っ白いビキニに小刀を携えたグラマラスな容姿は見事でしたが、さすがに小説に忠実には描くことができませんでした。

  なぜなら、小説で登場するハニーは、腰の小刀以外は一糸もまとわぬ全裸だったからです。

  映画第2作となった「007 ロシアより愛をこめて」で暗号機とともにロシアから亡命するタチアナ・ロマノヴァを演じたダニエラ・ビランキは、美しさももちろんですが、そこに知的な魅力も加わり、シリーズのヒットを決定的なものにしました。タチアナがボンドの泊まるホテルのベッドルームに全裸で忍び込むシーンは、一瞬の影ではありましたが、妖艶な色香を醸し出していて思わず息をのみました。すべてを見せないことがいかに人の想像力を掻き立てるかを知らされたシーンでもありました。

  本当に007シリーズの魅力は語りつくすことができません。

007の新作 ボンド復活】

  007映画の定番は、プロローグにあります。オープニング、ボンドは必ず遂行不可能と思えるミッションを完遂する場面から始まります。そして、一仕事を終えたのちイギリス情報部、上司のMのもとを訪れます。そこでボンドは帽子をコートハンガーに投げ上げて、帽子はみごとにハンガーのトップへと収まります。その横には、Mの秘書であるミス、マニー・ペニーがボンドを待っていて、必ずボンドに嫉妬をまじえたひとことを投げかけます。

  今回の小説では、映画でプロローグにあたるエピソードが第一章で語られていきます。

  小説が描き出すジェームズ・ボンドの舞台は、何と冷戦まっただ中の1960年ころ。ボンドの敵は、当時のソビエト連邦の秘密組織であるスメルシュです。ボンドファンが喜びに震えるのは、なんと小説があの「ゴールドフィンガー」の後日談にあたっているからです。「ゴールドフィンガー」で、最後のどんでん返しを演出したのは、ゴールドフィンガーの部下である最強の下士官のごときプッシー・ガロアでした。

  ボンドは、命の恩人でもある金髪の美女プッシー・ガロアと一夜を共にしただけではなく、彼女をイギリスへと連れて帰り、一緒に住んでいたのです。一筋縄ではいかない女性を見ると口説き落とさずにはいられないボンドですが、なぜ。アメリカでは居場所のない彼女を救うべくイギリスに連れてきたのか。一風変わった展開に興味は尽きません。

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(ガロアを演じたオナー・ブラックマン)

  しかし、そこはボンド。イギリス紳士らしくガロアに気遣いながらも、すでに彼女と一緒にいることに後悔を感じ始めていました。そこにMからの呼び出しがあり、早くも次の事件が幕を開けることになるのです。今回、007に降りたミッションは、ソ連の秘密結社スメルシュに狙われたイギリス人を守ることでした。そのイギリス人は、世界一のF1レーサー。その場所は、ドイツ、ニュルブルクリンクの世界で最も過酷と言われるサーキットです。

  実は、ホロビッツ氏が発見したイアン・フレミングの草稿とは、007のテレビシリーズ用の草稿で、なんとボンドはそこでレーサーに身を投じることになるのです。この小説で描かれるボンドはその草稿通りにレーサーとして大活躍を演じるのです。

  小説の第一部、「空高く」は、こうして幕を開けることになります。レーサーとなるためにボンドにレースのすべてを教えるレーサーもほれぼれするような美女。さらにボンド好みの一流の腕を持つ利かん気の強いグラマラスな美人なのです。ハラハラとドキドキが次々に展開される粋なジェームズ・ボンドの活躍。007の魅力満載で小説は息もつかせず進んでいきます。

007対悪の対決】

  007と言えば、登場する悪役もそのスケールの大きさに唖然とさせられます。今回、ボンドを危機に陥れる悪役も半端ではありません。詳しくはぜひ小説で味わってほしいのですが、舞台となるのはアメリカとソ連が技術開発で先んじようと競い合う宇宙衛星の打ち上げです。今回の悪役の名前は、ジェイソン・シン。

  アメリカの大富豪ですが、驚くなかれ彼の本名は、シン・ジェソン。韓国からアメリカに渡ってきたシンは、アメリカで人材会社を立ち上げて大富豪に成り上がったのです。思い出すのは、「007 美しき獲物たち」で、敵となったゾ−リン産業を率いる大金持ちのマックス・ゾーリンです。彼は、アメリカの象徴であるシリコン・バレーをこの世から消し去るために空前絶後の大犯罪を計画するのですが、ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケンの冷静で酷薄な悪役には背筋がゾッとしました。

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(ゾーリンを演じたクリストファー・ウォーケン)

  今回登場するジェイソン・シンもゾーリンに勝るとも劣らない冷静で酷薄な名悪役です。

  第二部「地下深く」では、ボンドがまたまた知的な美女である謎の女ジェパディ・レーンとともに大活躍を演じます。もちろん、お約束の命の危機に何度も何度も遭遇し、からくも脱出、そしてタイムリミットが刻一刻と近づく中、ボンドは完全なる破滅を防ぐべくジェイソン・シンに挑んでいくのです。

  久しぶりの本格ボンド小説。皆さんもぜひお楽しみください。あの007の緊張とカタストロフが皆さんを襲うこと間違いなしです。最後の一行まで、目を離せません。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 22:12| 東京 ☁| Comment(0) | 小説(海外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月11日

人類の起源=宗教の起源?ですか

こんばんは。

  先日、いつもの本屋さん巡りをしているとき、おもわず表題にひかれた本がありました。その題名は、「人類の起源、宗教の誕生」です。

  ブログに訪れていただいている方はご存じですが、「人類の起源」にまつわる本をみると読まずにいられない性分です。それが考古学でも歴史学でも社会学でも解剖学でも化学でも、なぜ人類が生まれたのか、との謎ほどスリリングでワンダーな謎はありません。近年は、DNA研究によってアフリカで最初の人類が立ち上がり、その後、世界中へとグレートジャーニーによって広がっていったとの説が強く支持されているようですが、それだけが真実なのではありません。

  我々ホモ・サピエンスは唯一の人類でないことも事実のようです。

  猿から猿人、類人猿、人類への進化。そこからホモ・サピエンスまでの道のりは絶滅の歴史である、と言われています。定説では、700万年前に霊長類は、人とチンパンジーに分かれたといいます。そして、700万年の間に人は人として進化し、チンパンジーはチンパンジーとして進化したと考えられています。チンパンジーは、よく人と比較されていて同じ仲間なのになぜこんなに違うのか、と語られますが、700万年前の別れたときに比較するのならまだしも、700万年進化した後の生物を並べてみてもその比較自体がナンセンスと言われても仕方がありません。

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(有名チンパンジー「プリンちゃん」asahi.com)

  現在、考古学的研究ではホモ・サピエンスと同じ枝にいた人類は、少なくとも25種はいたと考えられています。ところが、我々、ホモ・サピエンスのみがこの地球上に生き残り、他の種族たちはことごとく絶滅してしまったというのです。我々と最も近い兄弟といわれるネアンデルタール人は、最も近年まで生きていた人類です。ホモ属がこの2種になったのは約5万年前、さらにネアンデルタール人が絶滅したのは、約4万年前といわれています。

  ネアンデルタール人は、我々よりも大きな脳を備えており、その大きさもホモ・サピエンスより大きく力もあったようです。なぜ、我々は生き残り、彼らは絶滅したのか。やっぱり、「人類の起源」は最もワンダーな話題なのです。

  さて、そんなことで今週は京都大学の総長である人類学者と同志社大学神学部の宗教学者による最新の対談本を読んでいました。

「人類の起源、宗教の誕生‐ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき」

(山極寿一 小原克博著 平凡社新書 2019年)

【宗教は人間独自のものなのか】

  宗教とは何か。あまりにも広大な設問ですが、私にはまったく答えを見つけることができません。日本人の場合には、「鰯の頭も信心から」といわれるように八百万(やおよろず)の神をすべて神と崇めている多神教で、この世のものにはことごとく神様がいるわけですから、これを宗教と呼べば、ますます得たいが知れなくなります。ただ、どんな神であろうと、信じることが原点であり「ありがたや、ありがたや」との言葉そのものが宗教ではないか、とも思います。

  無節操な日本人に比べて、一神教は壮絶であり、残酷です。同じキリストを信じる宗教でも、カトリックとプロテスタントに分かれ、争いを起こして何年にもわたりあまたの人を殺してしまいます。キリスト教とイスラム教に至っては、十字軍やヨーロッパ侵略、インドのムガール帝国まで、まるで世界を奪い合うような長い歴史を持っています。どちらの神が正しいのか、が戦争に至る文化は日本人には永久に理解できないのかもしれません。

  ただ、宗教に政治が絡んでくると殺し合いが起きることはうなずけます。日本でも信長や秀吉ははじめのうち、異質で珍しい文化が交易として有効だとの考えからキリスト教を受容していましたが、キリスト教徒が為政者に逆らったとたん、キリスト教徒を弾圧し、鎖国にまで至ったのです。さらに、仏教の歴史としても信長は一向一揆を禁止し、盾突く一向宗を根こそぎ焼き殺すという暴挙までを起こしています。仏教は神を信じるわけではありませんが、自らが悟ることで極楽浄土が開けるとの信仰は、特異な位置づけにある宗教だと思います。

  さて、宗教の定義は不明ですが、ますは「信じる」ことが宗教の要件であることは間違いないようです。よくわからないのは、「信じる」とは苦悩から救われる、とか幸せが訪れる、とか願いが叶うとか、なにか現世的なものが伴うから信じるのではないのでしょうか。無償の祈りや信心というのは現代人にはわかりにくいものです。一神教の場合には、神はどうやら絶対のもののようで、そのことが現世のご利益とは関係のない「信心」を生み出すようです。

  ただ、「幸せになる」ことが現世の利益であるとすれば、すべての宗教はそこに行きつくことを目的にしているのかもしれません。

  この本を読もうと思った動機は、人類の起源への好奇心もさることながら、定義不明の宗教のことが少しは理解できるかもしれないとの思いもあったのです。

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(「人類と宗教対談」amazon.co.jpより)

  この本の目次を紐解いてみましょう。

1章 人類は「物語」を生み出した

2章 暴力はなぜ生まれたか

3章 暴走するAIの世界

4章 ゴリラに学べ!

5章 大学はジャングルだ

(補論)

◎人間、言葉、自然――我々はどこへ向かうのか  山極寿一

◎宗教が迎える新しい時代  小原克博

  大学の研究者の対談というと、堅い話を想像しますが、このお二人の対談は一味違って最新の知見に基づいた自由な語り合いが繰り広げられます。第1章は、題名そのままにホモ・サピエンスがなぜ唯一の人類として生き残ったのか。そこに宗教はあったのか、が語られます。

  皆さんは、渋谷の駅前に鎮座する忠犬ハチ公の物語をよくご存じだと思います。人が何者かを信じ、祭り、祈ることが宗教のはじまりとすれば、犬は何かを信じることがあるのでしょうか。ハチは、毎日夕方になると大学から帰宅するご主人、上野教授を待って渋谷駅に通っていました。ところが、ある日上野教授は大学での講義中に脳溢血で帰らぬ人となってしまいました。そのことを知らないハチは、毎日渋谷駅で上野教授の帰りを約10年に渡って待ち続けました。

  果たして、犬は何かを信じて渋谷駅で約10年もの間ご主人を待ち続けたのでしょうか。

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(東京大学のハチと上野教授 asahi.com)

  我々人類は、その昔長らく狩猟生活を続けていました。その中で、子供を育てるために相互に協力し、集団生活を始めたことが生き残りの大きな分岐点であったといわれています。集団は、洞窟を住処として生活していましたが、彼らは洞窟に素晴らしい壁画を残していました。先史時代の洞窟壁画は世界各地で発見されていますが、最も有名なものは2万年前に描かれたとされるラスコーの洞窟画です。その中には、みごとな写実画もあれば、デフォルメされた象徴画にみえる画もあるのです。

  象徴的な画は、そこにはアミニズムやシャーマニズムの匂いが漂います。アミニズムは、動物に霊魂を見出して祭るものであり、シャーマニズムは、巫女が霊的なものに祈り憑依することによって儀式を行い、祈りをささげるものです。宗教のはじまりを明確にすることは難しいようですが、お二人は少なくとも人類は狩猟時代には宗教的な意識を持っていたのではないか、と語ります。

【宗教のもたらすもの】

  ホモ・サピエンスが集団化していく過程で、宗教は共同体の倫理として形作られたと言います。最初は、集団の狩猟により移動生活していた我々も、農作物を育てる生活がはじまると、集団で定住するようになります。すると、共同体の人数は倍々ゲームで増えていくことになり、大集団を統率するための規範が必要となります。人が共同体をうまく統率できるのは、150人が限界だそうです。それを超える集団になると、何らかの規範が必要で、宗教はその1つになったのです。お二人は、それを「共同体のエシックス(倫理)」と語りますが、それは確かです。

  人が農耕牧畜により大集団で定住すると、そこには境界が生まれます。境界が生まれ、農作物による蓄財がはじまると、その富を狙って境界を越え強奪する行為が生まれます。狩猟時代、ホモ・サピエンスは槍や弓などの武器を使って狩猟を行っていましたが、武器を同じ人間に向けるようになったのは、農耕牧畜による定住以降のことだそうです。

  宗教が共同体のエシックスだとしても、そこに争いを戒める教えがあるにもかかわらず、なぜ宗教が戦争を引き起こすのでしょうか。対談では、明確な答えが用意されています。それは、宗教が政治や権力に使われたときに争いが起きるとの答えです。もともと宗教は、時の権力者の通年とは異なる教えを説いてきました。ところが、権力が宗教の力を利用しようとしたときに、そこには争いが勃発するのです。なるほど、宗教自体に戦いの要素があるのではなく、宗教が手段となったときに人は争うということです。なるほど納得です。

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(ベラスケス作「ブレダの開城」80年戦争より)

  この対談に面白い話がありました。それは、サルの話です。サルは、群れで生活しており、ボスが異なる群れ同志では、なわばりや食べ物を巡って争いが勃発する場合も多くあります。いがみあう2つの群れが争っていた時に、その間を年寄りのおばあさんザルが通過をしました。闘争中の群れは、おばあさんザルに手を出さないばかりか、おばあさんザルが通ると争いが止んだというのです。

  人間の場合でもいさかいの原因となった出来事について、年寄りは過去に同様の原因で争いが起きたことを経験しています。その年寄りが、経験に基づいて争いの仲介を行うと、当事者はそのことが過去に解決していたことを知り、争いが収まるというのです。含蓄のある話だと思っていたら、そのおばあさんザルは、喧嘩をしていたボスザル、両方の祖母だったのかも、とのオチで思わず笑ってしまいました。

  さて、人類学と宗教学の、汲めども尽きぬ対話は縦横無尽の広がりを見せて進んでいきます。人は、科学によって驚くべきスピードで進歩を重ねてきました。科学は、あらゆる現象の原理を明らかにし、すべてを見える化していきます。お二人の話題は、宗教が担っていた共同体のエシックス(倫理)は、科学の見える化と資本主義によるグローバル化によってその役割と意義を失いつつある、との方向に進んでいきます。

【人類と宗教はどこに行くのか】

  そして、お二人の話はAI社会となっていく我々の未来へと進んでいきます。

  対談の終盤でキーとなるのは、西田幾多郎の哲学、「善の研究」です。人間は、言葉を編み出した時からものごとを抽象化することを覚え、抽象化した言葉を語り伝えていくことであらゆる事象を共有化する術を身に付けて発展してきました。抽象化するとは、言い換えれば仮想化すること、つまりヴァーチャル化することです。

  科学の発展は、実証できない仮説を信じない世界を生み出しました。つまり、科学的に証明されないような事象を我々は不信感をもって見るようになります。人工知能は、我々が言葉で著わすものについて、それを膨大なデータとして蓄積し、分析することによって、これまで人間にはできなかったシミュレーションや未来予測を可能にしました。しかし、人工知能には我々が肉体で感じる意識を持つことはありません。そして、お二人の対談は、今、ホモ・サピエンスが直面している言葉による抽象概念の極大化というとてつもなく大きな危機へと進んでいくのです。

  この対談は、最後に「大学」という場が持つ可能性についての話に至り、読み物的に終了してしまうのですが、最後に用意されたお二人の論考が拡散された対談をもとの場所に引き戻してくれます。そして、そもそも命は何を求めてきたのか、との深遠な話に向かっていくのです。


  今年は、台風や豪雨のせいで日光の紅葉も元気がありません。被災した地域の皆さんも、まだまだ復興には程遠いと思います。世界じゅうのたくさんの人々はいつも被災している皆さんを応援しています。一日も早く生活が戻ることを心よりお祈りしています。

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 21:45| 東京 ☀| Comment(0) | 評論(対談) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月29日

宮城谷昌光 呉越宰相の明暗

こんばんは。

  昨年の台風はまるで西日本をターゲットに定めたように雨と風によって、九州各地、広島や岡山、岐阜愛知に甚大な被害をもたらしました。東日本の人々は、その支援に心を尽くしました。今年は、台風15号に続いて台風19号が東日本と東北地方を直撃。河川の氾濫は57の河川に及び亡くなった命も100人に迫るという悲しく厳しい事態となっています。その後、台風21号に刺激された秋雨前線がその被災地に大量の雨をもたらし、千葉県や福島県では、さらに冠水被害が発生。多くの車が水没し、亡くなる方までもが生じました。被害のあった地域の皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

  異常気象は日本だけではなく、世界中で観測されており熱波や寒波で命を落とす方々が後を絶ちません。台風やハリケーンの威力が増大したのは、海水の温度が高まったことが原因だそうです。それを聞くと、二酸化炭素の排出による地球温暖化はこうした異常気象の要因となりえると思います。地球の酸素濃度は、常に21%を保っており、なぜ常に21%なのか、その理由はいまだに解明されていません。二酸化炭素の濃度が上がり、地球が温暖化してもその酸素濃度は変わらない。我々人類は、生命の星の不思議に生かされていることは間違いありません。

  我々は、自然災害に備えて自らの命を守るべく、準備することが必要です。この地球の息吹に比べれば、人類の矮小さは際立っています。そうした意味で、我々は謙虚に宇宙生命の一つである地球の環境を傷つける行動を今すぐに改めなければならないと感じます。

  先月、16歳の環境保護活動家スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、ニューヨークの国連気候行動サミットで演説し、世界各国の首脳が気候変動問題に対して行動を起こしていないと非難しました。世界の若者たちは、これからの地球で生きていく世代です。その演説は世界の若者たちの行動を誘発し、世界各国のティーンエイジャーがデモを行いました。

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(国連で演説するグレタさん HUFFPOSTJP)

  これに対して、トランプ大統領はツイッターにて「彼女は明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子のようだ。ほほえましい。」と暗にその世間知らずな行動を皮肉りました。すると、彼女は自らのツイッターのアカウントプロフィールを、「アスペルガー症候群の16歳の環境活動家。」から「明るく素晴らしい未来を夢見るとても幸福な若い女の子」に変更したのです。

  さらに、ロシアのプーチン大統領は、「私は彼女の発言に対する熱狂に共感しない。若者が環境問題に関心を持つことはよいが、世界が複雑であることを誰も彼女に教えなかった。途上国はスウェーデンのように豊かになりたいと望むが太陽光発電で行うというのか。コストはどうするのか。」と述べ、マスコミはプーチン大統領が彼女を「優しいが情報に乏しい若者」と批判したと報じました。すると、グレタさんは、またもプロフィールを「優しいが情報に乏しい若者」に変更しました。

  この勝負は、余裕をもっていなしたつもりの世界に冠たる二人の大統領が、行動する一人のティーンエイジャーにしてやられたとの印象をあざやかに見せつけました。環境問題への対応は、すでに目標検討レベルではなく行動レベルであることを我々に教えてくれる出来事でした。

  現在世界には、73億人の人間が生きていますが、一人として同じ人間は存在していません。トランプ大統領やプーチン大統領、そしてグレタさんのやり取りを見ると、人の存在の大きさとは何かを改めて考えさせられます。

  今週は、2500年前の中国を舞台に人の持つ個性と徳の大きさを描いて我々を唸らせてくれる宮城谷昌光さんの歴史小説の続編を読んでいました。

「呉越春秋 湖底の城 八」

(宮城谷昌光著 講談社文庫 2019年)

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(「呉越春秋 湖底の城 第八巻」amazon.co.jp)

【人は何のために生きるのか】

  話は変わりますが、広島空港は本当に不便な場所にあります。1993年まで広島空港は街の中にありました。広島空港に着陸するときには広島市の中心地に向かって大型の飛行機が突っ込んでいく形になるので、窓から見ると住宅地の中に不時着するようで、とても怖かったのをよく覚えています。その反面、空港から街中へのアクセスは素晴らしく、空港を出るとそこはすでに市内でした。それが、今や空港から広島バスセンターまではリムジンバスで1時間以上かかり、羽田空港で離陸してからでも2時間半以上がかかります。

  移転当初、空港から市内までは鉄道の敷設計画もあったようですが、採算の問題からか中止になったようです。新幹線では東京駅から約4時間かかるので飛行機の方が早いように思えますが、羽田空港までのアクセス、さらに離陸時間から1時間前には空港に到着しなければならないとの制約を考えれば、新幹線にするか飛行機にするかは、時間的な観点からは変わりません。ただし、費用的な面から言えば、1泊付きのツアーでは飛行機を選べば、25000円から30000円台のパックツアーがあるので、飛行機の方が圧倒的に安い実態があります。

  ということで、バスで1時間以上の移動はつらいのですが、私は会社の旅費を安く抑えるために飛行機で出張することにしています。

  と、こんな話題になったのは他でもありません。先日、広島空港からリムジンバスで市内に向かう途中、何気なく窓の外を見ていると、お寺の入り口から境内にかけての小道が目に入りました。そこには、竹細工で表装された立て看板が置かれており、そこに大きな文字で「今月の一言」として書かれた言葉があったのです。

  曰く、「他人と過去を変えることはできないが、自分と未来はいつでも変えることができる。」

  その瞬間は、当たり前のことが書かれているなあ、と思っただけなのですが、その言葉を反芻するうちにその奥深さに思い至りました。仕事でも、研修でも、家族とのやり取りでも、我々は何事も自分のこととして捉えずに他人のこととして語ることがあまりに多いことに驚きます。例えば、満員電車の中で、大きなリュックサックをおなかに抱えて乗っている人がいます。リュックを前にしているとどんなに満員でもその上でスマホゲームを楽しむことができます。

  リュックを棚に上げるなり、足元に置くなりすれば一人分のスペースができるのに、と腹立たしいのみならず、超満員にかかわらず楽しそうにスマホをやっている姿にはイライラさせられます。しかし、考えてみれば満員電車に乗っていてリュックを棚に上げられるわけもなく、足元に置けばかえって邪魔になることは間違いありません。であれば、眼前に空間がありそこでスマホをやっても何が悪いのでしょうか。考えてみれば、「電車内読書」を生業とする私も、満員電車にもかかわらず文庫本を片手で開き、隣の人からにらまれることもあるのです。

  こうした毎日の生活で腹の立つことを考えると、「他人は変えられないが、自分はいつでも変えられる。」というのは、毎日向き合うべき課題だと思い当たったのです。

  さらに、この言葉を繰り返しているうちに松下幸之助さんの言葉を思い出しました。それは、「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」というものです。つまり、いま、現在に最善を尽くすことが、結果として未来を切り開くことになるのだ、という真実です。人は、つい過去の出来事にくよくよしたり、まだ起きてもいない出来事を心配したりしますが、今を充実して生きなければ人生に幸せはこない、そのことに間違いはありません。

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(経営を語る在りし日の松下幸之助氏 PHP.co.jp)

  そんなことを考えているうちにこの言葉がどれほど人の真実を語っているのか、に思い当たったのです。これまで私の座右の銘は、「誠心誠意」だったのですが、これからはこの言葉にしようかと本気で考えています。

  生きがいをもって生きるとは、自らを常に塗り替えて現在を未来に向かって真摯に生きることに他ならないと改めて、思い当たりました。考えてみれば、宮城谷さんの古代中国小説に登場する人物たちは、皆、人としての奥深さを備えていますが、見事に生きる主人公たちは、みなこの言葉で著わされる徳を身に付けていると思います。

【凄まじき呉越の戦い】

  宮城谷さんの小説「呉越春秋 湖底の城」は、春秋時代の最後の時代、南中華で覇を唱えた「呉」と「越」の50年以上にも渡る戦いを描いた大河小説です。史記に描かれたその戦いからは、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」などの誰でも知る慣用句が生まれています。これまで、第一巻から第六巻までは、大国「楚」に父親と兄を殺され、その復讐に燃える伍子胥を主人公として物語が展開してきました。

  伍子胥の人としての大きさと徳の深さから、彼の周囲には世の逸材が集まり、長い旅路の末に「呉」にたどり着き、クーデターを起こした公子光の片腕となって見事に呉の宰相に収まります。呉の軍師として孫武を招き入れた伍子胥は、王となり、闔閭と名乗った呉王に仕え、ついに「楚」に攻め入ってその首都を陥落させたのです。「楚」の首都、郢に入場した伍子胥は、父と兄の仇である平王と宰相の費無極の墓を暴かせて、その遺体を鞭打ち、父と兄の無念を晴らしました。

  伍子胥と呉王、闔閭の想いはここに結実を見せました。しかし、春秋時代の争いはその結実を終わらせませんでした。ここに呉越の闘いの幕が切って落とされるのです。

  呉の南には、東の楚と強いきずなを持った越の国が存立しています。呉が大軍を整えて楚に攻め込んでいる間に、越王、允常は留守同然となっている呉の首都を攻め落とそうと虎視淡々と狙っていたのです。さらに亡命した楚の王は、呉王の不在を守る闔閭の弟、夫概に呉王と名乗るようそそのかしたのです。闔閭と伍子胥は、楚に駐屯兵を残して軍用を整えるや呉に取って返します。その場をなんとか凌いだ闔閭と伍子胥でしたが、越との闘いはここからが始まりだったのです。

  伍子胥の流転と成長を描いた宮城谷呉越は、その楚への復讐劇によって伍子胥編の幕を閉じます。ここからの呉越の戦いでの主人公は入れ替わり、越の名宰相との誉れも高い范蠡が、主人公となり范蠡編が始まったのです。

  一時は、呉から撤退した越でしたが、呉の闔閭がたびたび楚を責める間に越はその戦力を充実させていきます。そして、越王の允常が亡くなり、息子の勾践が王位に就いたとき、闔閭は喪に服している勾践のもとに攻め入ります。呉の大軍の前に小国の越は滅亡する運命でした。ところが、勾践は奇策を用いてみごと闔閭を撃退します。このときに負った矢傷がもとで、闔閭は春秋に覇をとげること亡くなってしまうのです。

  闔閭と允常から始まった呉越の戦いは、それぞれの息子、夫差と勾践へと引き継がれていきます。

  今回の第八巻は、闔閭の死を弔うために呉に攻め入ろうとする夫差の宣戦布告から物語が語られていきますが、宮城谷さんの描く伍子胥と范蠡は、その知略の大きさと懐の広さを我々に見せてくれます。

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(「湖底の城08」しおりの春秋関連地図)

  今回の呉越春秋を読んでいくうちに宮城谷さんの名人芸のような小説の深さの謎が、垣間見えたように思えたことがあります。それは、史実に隠れた謎を、「人」の持つ奥行きの深さと複雑さによって読み解いていくパワーです。前作の7巻から主人公は越の宰相である范蠡へと変わっています。歴史書によれば、闔閭と伍子胥が允常の死に乗じて越に攻め込んだとき、奇策によって打ち負かしたのは范蠡であるように記されているようです。

  しかし、宮城谷さんはこの戦いで范蠡を立案者としてではなく、まだ成長途上の宰相の見習いとして描いているのです。この戦いで策略を練ったのは喪に服していた王の勾践と前王の軍事顧問であった胥犴でした。宮城谷さんは、范蠡を描くにあたってはじめから英雄として描くのではなく、宰相として成長していく姿を描きたかったに違いありません。伍子胥と范蠡は、どちらも一国の宰相として国を勝利に導きますが、最後に勝利したのは范蠡でした。

  この二人を描く宮城谷さんの筆の違いに大いなる興味を覚えます。

  伍子胥の成長を描くときに、その前提となっているのは伍子胥が一国の宰相の息子であるという血筋です。伍子胥は、長い旅路で様々な逸材を部下として集めていきますが、その懐の大きさには将の器の大きさを感じさせる豊かさがにじみ出ています。伍子胥に褒められ、目をかけられること自体が誇りになるという人格です。一方で、范蠡の魅力は変幻自在、無限であることです。それは、范蠡の出自が賈(商人)であることに起因します。

  今回の第8巻で范蠡は、いよいよ宰相として活躍することになります。夫差との戦いで勾践は大敗北を喫しますが、その敗北のわけも小説の中で丁寧に描かれています。そして、范蠡はこの大敗北を機に宰相として無類の手腕を発揮することになります。宮城谷さんの歴史小説は本当に面白い!皆さんもぜひその面白さを「呉越春秋」で味わってください。秋の夜長も短く感じられること間違いなしです。第9巻が待ち遠しい!

  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


📖今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 20:55| 東京 ☁| Comment(0) | 小説(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする