2017年11月15日

映画「ブレードランナー 2049」の話


こんばんは。


  久しぶりに映画の話はいかがでしょうか。


  年末になるとスター・ウォ−ズ最新作を始め、お正月映画が多く公開されますが、その前哨戦で最近見た映画をご紹介します。


  今回、ご紹介するのは「ブレードランナー 2049」です。


【伝説の「ブレードランナー」】


  「ブレ−ドランナー」と言えば、1982年に公開された作品は、公開当初にはアメリカでの興行収入が約36億円強と、それほど成功した作品ではありませんでした。私も35年前にこの作品を見た時には、その世界観に驚嘆したものの、映画としては何度も見る気にはなれませんでした。


  原作は、SF界の巨匠フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。しかし、映画は、原作とは全く別の作品でした。


  時は2019年。人類は宇宙への移住を実現し、地球の環境は乱れて酸性雨が降る薄暗い世界へと変貌しています。その宇宙では、人間の代わりに「レプリカント」と呼ばれる人造人間が、奴隷として重労働に従事させられていたのです。


  「レプリカント」は、遺伝子工学によって創造された人間そのもの。その生存期間は、4年と決められていましたが、誕生してしばらくすると人間同様に感情を持つようになってしまいます。そして、人間に反旗を翻す事件が多発し、そうしたレプリカントを摘発するために「ブレードランナー」と呼ばれる警察官が取り締まりを行っています。


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(映画「ブレードランナー」ポスター)


(映画情報)

・作品名:「ブレードランナー」(米・116分)(原題:「Blade Runner」) 1982

・スタッフ  監督:リドリー・スコット

       脚本:ハンプトン・ファンチャー デヴィッド・ピープルズ

・キャスト  リック・ディガード:ハリソン・フォード

        ロイ・バディ:ルトガー・ハウアー

        レイチェル:ショーン・ヤング


  さて、ストーリーを語るのはある意味簡単なのですが、この作品には説明的なシーンはほとんどありません。人間の持つ感情に目覚めたレプリカント。宇宙のコロニーで反乱を起し、地球に侵入してくるレプリカント。映画のシーンの中からこのことを理解するまでに、映画の表現する2019年の世界観に圧倒されます。


  リドリー・スコットと言えば、この作品の3年前に「エイリアン」で世界に名前を轟かせた監督です。この「エイリアン」も脚本と映像+HR・ギーガーが造形したエイリアンで観客を映画の世界に引き込んだ名作でした。とことん説明的なものを省き、すべてを映像で見せる。「ブレードランナー」でもその手法は生かされています。


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(映画「エイリアン」 DVD amazon.co.jp)


  この映画は、オリジナリティーにあふれています。「レプリカント」、「ブレードランナー」などの言葉もオリジナルですが、荒廃した地球の映像には息をのみます。監督は、この企画以前に来日した時に新宿の歌舞伎町の夜景に触れ、この映画の街の原型をイメージしました。映画の舞台となる街は、日本的なエキゾチックさにあふれています。


  ブレードランナーであるデッカードに扮するハリソン・フォードが訪れる寿司屋での会話は、この世界観を象徴しています。さらに、街の電飾サインは日本語。そこには、「ワカモト」の宣伝がデカデカと光り輝いています。


  そして、常に降り注ぐ酸性雨に包まれた暗い街。この映画には太陽の光がまったくありません。それは、レプリカントが置かれた暗く厳しい環境と生き様?を象徴しているのです。


  この映画を見たときに、その世界観の暗さに閉口しました。その後のマニアな盛り上がりには、なるほど感がありますが、映画としては心躍るものではなかった、というのが正直なところでした。


【アメリカでは大コケか?】


  その続編である「ブレ−ドランナー 2049」の日本公開は20171027日。全米の公開日は106日でした。日本公開を前にして、アメリカでの評判は2分していました。その興行収入が、予想された5000万ドルに比べて、3275万ドルと大幅に下回ったのです。その日に公開された映画の中では興行収入は第1位でしたが、製作費が15000万ドルであったこともあり、コケたとの評価もあったようです。


  制作会社では、観客層が壮年の男性に偏っており、予想された女性や家族層が取り込めなかったとコメントしています。アメリカではR指定となったことも影響したようです。確かに前作の世界観を踏襲していたとすれば、相当暗い映画となるはずで、いわいる「ブレードランナー」マニアのための映画との側面も否めないのかもしれません。


  そんな評判を耳にしつつも、SF映画ファンにとっては必見の映画であることは間違いなく、公開早々映画館に足を運びました。公開に併せて、前作に引き続き出演したハリソン・フォードがインタビューで、脚本を読んで魅力のある作品だと感じて出演を決めた、と語っているのを見て、期待を込めて映画館の座席についたのです。


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(映画「ブレードランナー 2049」ポスター)


(映画情報)

・作品名:「ブレードランナー 2049」(米・163分)(原題:「Blade Runner 2049」) 2017

・スタッフ  製作総指揮:リドリー・スコット

       監督:デゥニ・ビルヌーブ

       脚本:ハンプトン・ファンチャー マイケル・グリーン

・キャスト  K:ライアン・ゴズリング

       リック・ディガード:ハリソン・フォード

       ジョイ:アナ・デ・アルマス

       ラブ:シルヴィア・フークス


  映画全体の印象としては、よく練られている映画だ、というものでした。(この先はネタバレありです。)


2049年の世界観は?】


  まず、映像で見せる世界観が前作をみごとに継承しており、荒廃した世界、酸性雨が常に降っている世界、灰色の高層ビルが密集しているジャパニッシュな異文化感、がワンダーです。


  映画は、オープニングからブレードランナーである主人公“K”が、仕事を遂行する場面から始まります。灰色の空を飛行するプレードランナーの車両が画面に現れると、目的とみられる巨大農場が俯瞰され、Kはその車を農場へと着陸させます。


  Kは、石造りの茶色い農家の前にある広場に車を止めると、車を降り立ち農家へと入っていきます。扉を開けて中に進むと奥の部屋は暗がりのキッチンとなっており、ガス台のうえでは湯気を上げて鍋が煮立っています。


  いったいここで何が起こるのか。カメラは切り替わり、農場のビニールハウスのような作業場の中で作業する、潜水服のようなコスチュ−ムを着た大男が映し出されます。その男の手には、カブト虫の幼虫のような大量の虫がウヨウヨと群がっているのです。ひと段落した男は、コスチュームを脱ぎ、ビニールハウスを出て、農家へと向かいます。


  先ほどKが入っていった部屋に入ると大男は手を洗います。そして、振り向くとそこにはKが座っているのです。どうやらKは、その大男を逮捕しに来たようです。突然、大男はKに向かって殴りかかります。激しい格闘が繰り広げられ、最後に大男は倒されます。そして、その眼球にはレプリカントとしての登録NOが刻まれているのです。


  その眼球を携えてKは、警察本部へと帰投します。警察本部に到着すると、本部に入る前に認証を受けるため、Kはカメラの前に座ります。そして、機械から投げかけられる質問の数々。前作を見た方ならピンとくるわけですが、この装置は人間とレプリカントを見分けるための識別装置なのです。ここで、我々は、ブレードランナーであるKも、2049年の世界ではレプリカントであることに愕然とします。


  まずは、前作から30年を経た世界のレプリカントたちを映し出す映像に、我々はこの世界に戻ってきたことを実感するのです。


  Kは、警察本部の上司であるジョシ警部補に報告し、その日は自らのワンルームに帰宅します。ワンルームの建物までの道路は暗く荒廃しており、やさぐれた男たちがたむろする薄汚れ建物の古いドアを開けてKは部屋に入ります。部屋に帰ると、女性がシャワーを浴びている声。??? レプリカントに恋人がいるのか?


  2049年の世界では、前作でレプリカントを製造していたタイレル社は倒産。その後、天才科学者ニアンダー・ウォレスが設立したウォレス社は、タイレル社の資産を引き継ぎ、2036年に生存制限のないレプリカントの製造を始めたのです。ウォレス社は、レプリカントの製造だけではなく、人工知能を使ったバーチャル3D造影機(ホログラフィーAI)も開発していました。


  Kのワンルームでシャワーを浴びていた女性の名は、ジョイ。彼女は、ウォレス社が開発したホログラフィ―AIなのです。


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(レプリカント”K”とAIのジョイ yahoocinema)


【新たなレプリカントの謎】


  映画は、2049年の世界観を十分に映像として見せてくれるとともに、新たなストーリーがゆっくりと進んでいきます。そこに提示されるのは、30年前のレプリカントに関する謎です。Kは、再度訪れた農場の大きな木の下で、あるものを発見します。その発見は、レプリカントに関するスキャンダラスな事実を指し示していたのです。


  この世界は、2022年に「大停電」と呼ばれる大災害に見舞われています。その謎をさぐっていくためKは、ウォレス社に引き継がれたタイレル社のデータベースにアクセスしようとします。しかし、大停電より以前の記録は、データが破壊され残っていません。ところが、格納された古いデータを再構築していくと、謎を解くデータの断片が残っていることがわかります。


  そのデータとは、2019年にブレードランナーであったディガードが、レプリカントであったレイチェルを尋問した時の音声を録音したものだったのです。


  ここから物語は急展開を見せることになります。


  全編で2時間43分という長丁場ですが、この世界観と謎解きの面白さはその長さを感じさせません。

  (ただし、脚本に秘められた様々なお遊びを楽しめない方には、途中、退屈な場面もたくさんありそうですが。)


  なかなか楽しめるのは、謎解きに走り回るKと常に一緒にいるホログラフィーAI ジョイの存在。AIですが、魅力的です。Kのワンルームでは、まるで恋人のように振る舞い、本当にKに恋しているように見えます。あまつさえ、本物の女性と同化してKに迫る場面は驚きです。さらにKが危機に陥った時の献身的な働きには、思わず感動してしまいます。


  Kがその謎を解き明かしていく過程は、秀逸な場面映像とテンポの良い脚本のおかげでスリリングな展開を楽しむことが出来ます。さすがに、30年後のディガード(ハリソン・フォード)にあまり活躍の場がないところが残念ではありましたが、SF好き、映画好きには十分に楽しめる映画となっています。


  特に最後に仕掛けられたKの謎に対するどんでん返しは、みごとなワンダーでした。



  さて、最近見た映画でオススメなのは、この映画の他にもNASAの宇宙開発で活躍した黒人女性たちを描いた「ドリーム」、飼い主への深い愛情を秘めて何度も生まれ変わるワンちゃんを主人公にした「僕のワンダフルライフ」。いずれも大きな感動を味わうことが出来るすばらしい映画でした。


  早いもので今年も残すところ1カ月余りとなりました。これから一層寒くなりますが、朝晩の冷え込みにご注意ください。それでは皆さんお元気で、またお会いします。



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2017年11月12日

知が解き明かす人類の未来


こんばんは。


  モノづくり大国日本の劣化が心配です。


  解散総選挙で安倍晋三氏が率いる自民党が圧勝し、株価が連日高騰していました。


  与党は、選挙中に求人率と株価を基にアベノミクスの成功を喧伝していましたが、一方で地道に働く人たちの収入が実質的に目減りしていることも事実です。世の中では、リーマンショック以降、日本の終身雇用制度が崩壊し、正社員でも処遇は成果と連動する仕組みが定着しました。


  しかも、正社員の数は減少し、非正規労働者の数が増加しています。今では、日本の技術が高齢者層に集中し、技術の伝承度合いは非正規労働者の数と反比例しているように思えます。製造業の現場では、ロボットやマニュアルが横行し、技術の裏打ちのない非正規労働者がものを作っている現実があると思われます。


  現場感覚としては、これまで熟練の技術者が行っていた作業をアルバイトのお兄さんが行うこととなり、必要な「安全・安心・信頼」の元となる技術が次世代に継承されていないのです。そして、このことが、モノづくりの劣化に直結していると大いに懸念されます。


  今回、自民党が公約として掲げた「教育無償化」のために、安倍首相は経済界に3000億円の拠出を依頼しました。日本の企業は、会社の存続リスクを軽減するためにインフラ投資や人件費を効率化して内部留保を厚くしています。その余裕を拠出することは可能でしょうが、企業のお金の使い方としては今一つなのではないでしょうか。


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(経団連会長の記者会見 yahoo.co/jp)


  資金の内部留保が厚くなれば、経営リスクが減り、業績の体面が保たれて企業の株価は上がります。投資家は喜ぶのかもしれませんが、我々労働者にとっては、収入が増えるわけではありません。正規労働者の数と収入が増えなければ、非正規労働者が増加し、さらにモノづくりは劣化します。また、収入が増えなければ個人消費は慎重となり、景気が良くなるはずはありません。


  教育無償化のために3000億円を拠出するよりも、人件費を厚くする方が、技術が引き継がれ、格差是正が進み、個人消費が伸びて景気が高まると思います。世の中にお金が回って景気がよくなれば、税収も上がり、より効果的に教育無償化の費用が捻出されるのではないでしょうか。


【すべてが相対化される時代】


  ここ数年の世界は、グローバリゼーションが進み、民主主義や自由経済が進むと見えながら、逆の世界へと潮流が向かっています。イギリスではEU離脱が決まり、オーストリアでは右派政党が第一党となり、アメリカでは、アメリカファーストのトランプ大統領が登場しました。


  民主主義は、多数決です。人類のあるべき姿が見えているときには、人々はその指針に向かって賛成反対が鮮明になります。しかし、相対性が高まり、複雑系が横行する世界では、賛成反対の基準が目の前の苦しさを取り除くことだけに特化してしまいます。


  移民によって仕事を奪われる、医療費が高騰して医者に行けない、いつ爆撃され殺されるかわからない、その不安を取り除こうとすれば、それを実現すると公言する人間がモラルを持っていてもいなくても、その言葉を支持してしまうのです。


  政治も経済も紛争も宗教も相対的になったとき、人はどんな未来を想い描いて生きればよいのでしょうか。


  今週は、人類の知を代表する人々に、「人類の未来」についてインタビューを行った本を読んでいました。


「人類の未来−AI、経済、民主主義」(吉成真由美インタビュー・編 NHK出版新書 2017年)


  この本のインタビューを行ったのは、吉成真由美氏。こうした本は、質問者が的を射ていなければ良い回答を得られることはありません。氏は、MITを卒業し、ハーバード大学大学院で修士課程を修了したとの経歴の持ち主です。元NHKのデレクターで、現在はサイエンスライターという才女です。さらに、ご主人は、ノーベル賞を受賞した利根川進氏というから驚きです。


  氏は脳研究の専門家ですが、回答する知の巨人たちも、とても楽しそうに語っています。


  5年前に出版されたベストセラー「知の逆転」も名だたる英知の持ち主にインタビューを行った、本当に面白い本でしたが、今回の本も勝るとも劣らぬ面白さでした。


  今回、インタビューに答えた知の巨人たちは、


・モーム・チョムスキー:「知の逆転」にも登場した言語哲学者。

・レイ・カーツワイル:2045年にシンギュラリティが起きると提唱する未来学者・AI研究者

・マーティン・ウルフ:元世界銀行のチーフエコノミスト、フィナンシャルタイムズの論説主幹

・ビャルケ・インゲルス:デンマークの世界的に有名な建築家

・フリーマン・ダイソン:アインシュタインの後継者と言われる数学者、宇宙物理学者


  この顔ぶれを見ただけでも期待に胸が膨らみます。


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(「人類の未来」 amazon.co.jpより)


【シンギュラリティは起きるのか】


  人工知能は、現在のテクノロジーの中でも今最も話題に上ることが多いテクノロジーです。


  以前にも、松田卓也氏の人工知能を語る本を紹介した際にレイ・カーツワイル氏の仮説を紹介しましたが、この本ではその内容がご本人からグローバルな視野で語られています。


  その仮説とは、現在のテクノロジーの発展は指数関数的に発展してきており、その法則に従えば、2045年にコンピューターから発展した人口知能は、そのキャパシティが人間の脳のニューロンとシナプスの数に追いつくこととなり、人工知能は人間の脳を超える、というものです。


  「シンギュラリティ」とは、数学的な特異点のことを指しています。もともとは、∞(無限大)のことを語る言葉ですが、宇宙物理学の世界ではブラックホールの内側の世界を語るものとなります。つまり、理論上そこまでは計算ができるが、その先に何があるのかは不知である、という意味です。カーツワイル氏は、人工知能が人間の脳と同じ能力を持った後に何が起きるのかは不知である、つまり、誰にもわからないと言っているのです。


  2045年と言う年号は、ある法則から導き出されています。


  インテルの創業者の一人、ムーア氏は集積回路上のトランジスタの数の増加(進歩)を「ムーアの法則」として説明しました。それによれば、集積回路上のトランジスタの数は、18カ月で倍になり、その後も18カ月ごとに倍になっていくというのです。この法則によれば、集積回路上のトランジスタの数は、20年で1万倍以上に増加し、コンピューターは同じスピードで進化することになります。


  この法則は、提唱されてからその通りに推移しているわけですが、カーツワイル氏は、この法則をさらに進めて、「収穫加速の法則」を提唱しています。それによると、テクノロジーの進歩は、新たな技術革新が起きるたびに、指数関数的に進歩するというのです。農業革命、産業革命、エナルギー革命、コンピューター革命と、エポックがおきるたびに進化の速度は、2×244×41616×16256・・・・・・と言う具合です。


  そうして計算していくと、人工知能の進歩は2045年には人口知能が物理的に人間の脳を超えるところに達するというわけです。


  カーツワイル氏のインタビューは、とても刺激的です。


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(レイ・カーツワイル氏 wikipediaより)


  2045年の前には、ひとつのエポックがやってきます。それは、コンピュータが人間の行うすべての作業を超えるときは、2029年だというものです。2029年になると何が起きるのか、カーツワイル氏は、二つの未来を提示します。ひとつは、医療分野でのナノテクノ化です。例えば、人間の体内にある抗体をナノテクによって人工抗体として体内に送り込むというものです。


  そして、もう一つの未来は、攻殻機動隊の世界。人間が、人工的に作られたスクリーンやコンピューターデヴァイスを体内に埋め込むことにより、人間の能力を飛躍的に拡大させる、という考え方です。果たしてそうした未来は実際にやってくるのか。


  カーツワイル氏は、現在70歳ですが、氏は、2029年には、テクノロジーによって人類の寿命を1年延ばすのに1年以内で成果が出るようになり、人間の寿命が飛躍的に伸びると予想しています。そして、2029年まで生きるために寿命を延ばすためのたくさんのサプリメントを毎日飲んでいる、というのです。驚きですね。


  「シンギュラリティ」について、吉成さんは言語学者のチョムスキー氏と今最も先端を行く建築家のインゲルス氏にその「特異点」が本当に来るかを質問しています。チョモスキー氏もインゲルス氏もそれには極めて懐疑的でした。なぜか、その答えは皆さんこの本で探求してください。お二人とも自らの「知」において、答えを出しており興味が尽きません。


【人類の未来への知】


  この本のインタビューは、本当にどの章をとってもとても刺激にあふれています。


  マーティン・ウルフ氏の世界経済に対する見識は明確です。その明確さとは、高い見識で「わからないこと」とその問題点を明確に語ります。例えば、日本の1000兆円を超える債務超過について、政府が国民に対して負っている負債は、政府の支払い能力を超えている可能性がある、と語ります。


  しかし、政府が支払い不能を宣言する必要もなければ、破たんを宣言する必要も全くない、と言います。国民が、その負債の認識を異常と思わない限り問題はなく、処方箋としては政府が国内の総需要を喚起して、好景気を持続していくことこそが大切だと言います。


  それでは、この財政負債の増加はいつまで続くのか?氏は、それがいつかはわからないと明確に応えます。しかし、負債増加が止まるときは、日本国民が国債に投資しなくなった時だ、と言うのです。この一連の質疑回答は、とてもスリリングです。


  デンマークの建築家インゲルス氏へのインタビューも面白い。


  彼の率いるグループは、世界各地でまったく新しいコンセプトの建築物を創造し続けています。例えば、現在、ニュヨークの世界貿易センタービル2やカリフォルニアでのグーグル本社をてがけているそうです。その建物の斬新さは、そこに住んでいる人間を中心として、新たなテクノロジーと発想によって刺激と共生を生み出しているのです。いったいどうやれば、そんな建築物を創造することができるのか、その答えがインタビューの中に見えるのです。


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(住宅建築「the8-house」 wired.jpより)


  さらに、最後の宇宙物理学者ダイソン氏とのインタビューは最後を飾るにふさわしい面白さです。


  サイエンスと物語について語る言葉は、まさに現在の最先端を明確化するわかりやすい言葉にあふれています。現代の物理学の最先端を行く、「ひも理論」と「素粒子の標準理論」に対する見解は、あまりにも見事な解析に思わずうなってしまいます。


  さらにパラダイムシフトにつながるサイエンスの大発見は、今の発想の延長線上にはない、と語る言葉には未来に向かっての力強い決意が感じられるのです。


  果たして人類の未来はバラ色なのか、はたまた暗黒なのか。カーツワイル氏は、未来に対して楽観的ですが、それ以外の識者たちは一様に未来のために大切なのは今である、と感じているようです。今起きていることを的確に捉えて認識すること、そしてそれを着実に未来へとつなげていくことが、未来を作るのだと語っているのです。



  いやぁー、この本を読み始めると脳みそにアドレナリンが走り回るように興奮します。みなさんも、ぜひとも最先端の知を味わってみてください。数ページごとに思わず考えてしまい、その刺激に時を忘れること間違いなしです。


  それでは今日はこの辺で。皆さんお元気で、またお会いします。



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2017年11月09日

宮城谷昌光 春秋の呉越を描く!(その4)


んばんは。


  トランプ大統領のアジア歴訪がはじまりました。


  トランプ大統領の支持基盤は、労働者を中心としたアメリカファーストに賛同する人々です。労働市場を脅かす移民の制限やアメリカの貿易赤字の元凶となっているアメリカへの廉価な輸出国への貿易不均衡の是正は、これまでの移民の国アメリカや自由貿易主義を否定するパラダイムシフトです。


  しかし、今回のアジア歴訪で、トランプ氏はアジアの脅威となっている北朝鮮の核保有問題に焦点を当て、その他のことについては一旦脇に置いている感があります。


  特に安倍総理大臣とのパートナーシップはとても強固との印象です。ゴルフ外交も含めて、滞在中の食事はほとんど安倍総理が同席していました。貿易不均衡問題についても、TPPやFTAには直接触れることなく、アメリカの戦略へ機器の購入を前向きに行う、との同意に留まりました。さらに、拉致被害者と対面することで、日本国民へのアピールも忘れませんでした。


  それに比べて、韓国のムン・ジェイン大統領との関係は微妙です。安倍総理と一緒の席では終始笑顔であったトランプ氏が、ムン大統領と同席している間、常に鉄仮面のように表情がないことが印象に残ります。


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(韓国での首脳会談 asahi.com) 


  それにしても韓国政府は、トランプ氏との晩さん会で、竹島近海で取れたエビ料理をふるまったり、前パク大統領が将来に渡る解決を約束した慰安婦問題を蒸し返すように、晩さん会に元慰安婦の女性を招待するなど、日本に対しての遺恨をアメリカ大統領との晩さん会に持ち込みました。


  菅官房長官もこの行為に牽制球を投げていましたが、韓国の反日感情のあおり方は相変わらずえげつないと言わざるを得ません。確かに韓国では、国内の世論を反日によって固めてきた歴史があり、代々義務教育の場で日本の侵略戦争を教え込んでいる背景もあり、世論の支持を得るのに反日感情に訴えることが政治的に有利であることは理解できます。


  しかし、ムン大統領は日韓首脳会談に臨んで、「日韓関係を未来志向で進める。」。日韓合意についても、「(日韓合意を)わが国民の大多数が情緒的に受け入れられない現実を認め、両国が共同で努力し賢く解決していく。他の関係発展に障害になってはならない。」と発言しています。


  今回の竹島問題や従軍慰安婦問題をアメリカとの外交の場に持ち込むやり方は、日米首脳会談での確認事項に泥を塗るようなものだと思われます。韓国の国内での世論の問題をアメリカとの外交の場に持ち込むことは、理性ある行動とは思えません。このような行動で、世論のガス抜きを行わなければならない状況なのだとすれば、ムン大統領の政権運営も危ういものと言えるのかもしれません。


  さて、次の訪問先は中国となりますが、習主席は、もっぱらトランプ氏との個人的な信頼関係の構築に重点を置いています。前回ご紹介した本の中で山本氏は、習近平氏は外交がヘタであると述べています。習氏は、太子党であり国内の勢力争いに力を注ぎ、主席就任まで海外との接点はほとんどなかったといいます。


  もちろん、党の幹部であり過去には海外訪問を行っていますが、党の研修での留学先もアメリカの農場でのホームステイであり、外国語も苦手です。また、習氏は、一度離婚していますが、前の奥様は元英国大使を務めた人物のお嬢さんで英語が堪能でした。1982年には奥様が英国に留学しましたが、習氏は同行せず、国内にとどまりました。


  今年の4月。習氏はトランプ氏のフロリダの別荘で夕食会に招かれました。この席で、トランプ大統領はシリアのアサド政権への攻撃を習氏に伝えました。習氏は、しばらく沈黙した後、「もう一回言ってくれ。」と返し、「女性や子供を殺すことは許されない。」としてアサド政権へのミサイル攻撃に理解を示した、と言われています。アメリカ側は、アサド政権への攻撃を伝えることで、北朝鮮への攻撃があり得る事を暗に示唆したわけですが、習氏にはまったく伝わらなかったようです。


  習氏は、外交の場ではもっぱら党が用意したシナリオに沿った行動に終始し、自ら外交の場でオリジナリティーを顕示するには至っていないようです。


  しかし、今回は自らのテリトリーでの外交となります。世界遺産である故宮を貸し切りにしてトランプ氏を喜ばせたのはさすが共産党の総書記です。今回は、北朝鮮問題と経済的な相互利益が会談の焦点になると言われていますが、両者がどのような駆け引きを行うのかに注目が集まります。世界の2大超大国のトップ二人の会談には目が離せません。


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(貸し切り故宮での両首脳 yahoonews)


  ところで、つい世間話に走りましたが、前回からの中国つながりで、今週は古代中国の春秋時代を描く宮城谷昌光さんの小説を読んでいました。


「呉越春秋 湖底の城 六」(宮城谷昌光著 講談社文庫 2017年)


  現代中国の習近平国家主席は、中国皇帝を模して中興の祖として着々と布石を打っています。中国の思想的な基礎は孔子が祖となる儒教思想ですが、孔子が活躍したのは周王朝の流れを汲んだ魯の国でした。魯は、春秋時代に大国である晋・斉・楚に取り囲まれて翻弄され、孔子が亡くなった紀元前479年の後、紀元前249年に楚に併合されて消滅します。


  しかし、孔子の思想は「論語」などの著作により継承され、「儒教」として漢代には国家の教学として採用され、その後「五経」を経典として中華の思想の中心となりました。


【呉越春秋 伍子胥を描く】


  宮城谷さんが描く呉越春秋は、孔子が壮年期を迎える時代が舞台となります。


  この大河小説の前半は、伍子胥を主人公に物語が語られていきます。時代は、春秋の大国「楚」の平王の時代。紀元前528年から楚は平王の時代となります。伍氏は、その王の宰相を勤めた家系であり、伍子胥の父親である伍奢は、平王の太子建の太傅(家庭教師?)を勤めていました。


  平王は、兄霊王の留守中にクーデターを起こして王に即位した人物で、帰還できなくなった霊王は一人山中をさまよって亡くなったと言われています。


  その平王は、太子建の妃を秦から迎えることとしますが、その妃の美しさに目がくらみ自分の妃としてしまいます。さらには、太子建がそのことを恨みに思うことを恐れて、太子建を遠方に追いやってしまいます。太子建の太傅であった伍奢は、平王に「わが子を信じるべき」と進言するもかえって疎んじられ、投獄されてしまうのです。


  紀元前522年。伍奢と長男の伍尚は、ついに処刑されてしまいます。


  宮城谷さんの呉越春秋は、こうした史記の記述を踏まえて、伍子胥の半生を小説として語っていきます。第一巻から第二巻は、伍子胥が父と兄のもとで人格を磨いていく物語となります。伍子胥の懐深い人格形成とその徳を慕って集まってくる人々。さらに元盗賊である永翁から船の操作術を学ぶなど、宮城谷さんの筆は偉丈夫の伍子胥の骨格の成長を追っていきます。


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(呉越春秋第6巻 amazon.co.jp)


  平王とその宰相は、五奢の処刑に当たって長男である伍尚と次年である伍員(伍子胥)をおびき出して、もろとも処刑してしまおうともくろみます。そのことを知った伍子胥は、処刑の当日、仲間たちと共に父と兄を救いに監獄へと侵入します。しかし、その監獄の備えは固く、救出劇は失敗。父と兄は処刑され、伍子胥は流浪の人となるのです。


  伍子胥が流浪の人となってから数年の間、伍子胥は楚の周辺国を巡ります。ひとたび宋の国に入った伍子胥は、亡命した太子を追ってさらに鄭の国へと向かいます。宮城谷さんの名著「重耳」にもつながる流浪の日々。その中で、伍子胥は様々な人と会い、大きな徳を積んで成長していきます。この中では、託す人と託される人を描く宮城谷さんの筆が見事です。


  さて、鄭の国に匿われていた太子と涙の再会を果たす伍子胥。しかし、太子は鄭の国内でクーデターを企てて志半ばにて処刑されてしまいます。太子を失った伍子胥でしたが、危地を脱し、呉の国へとたどり着きます。


【伍子胥の復讐への道】


  今回の第6巻は、呉越春秋 伍子胥編のクライマックスとなります。


  呉の将軍であり、呉王の叔父でもあった公子光の右腕となった伍子胥。楚の平王に父と兄が殺されてから苦節7年。紀元前515年。仕えていた公子公がクーデターを起こします。公子光は、クーデターに成功。呉王 闔閭として即位します。その手に汗握る経緯は、ぜひとも第4巻でお楽しみください。


  伍子胥は、流浪の旅の途中で偶然、行き倒れとなっている男を救います。その男の名は、孫武。その兵法は、その後「孫子」として語り継がれることになります。伍子胥は、斉の国で兵法を教えていた孫武を迎えに行き、その教えを記した手記を闔閭に献上します。そして、呉国は、伍子胥と共に兵略の天才である孫武を将軍として迎えることになるのです。


  この第6巻は、楚への復讐を誓った伍子胥の想いがついに実現することになるのです。


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(伍子胥の像 wikipediaより)


  宮城谷さんの物語において、その戦いは最も生き生きと語られます。この巻では、兵法の天才孫武と楚の内情と地理を良く知る伍子胥が、楚に攻め入る呉軍を率いてめざましい戦いを繰り広げます。戦いの舞台は、大別山。いわいる紀元前506年の柏挙の戦いです。


  宮城谷さんは、その戦いの筆を戦いに至るきっかけから語り始めます。この時代、楚の国の近くには蔡という小国がありました。


  蔡は、周から分かれた伝統ある国でしたが、何度も楚に責められ、楚の属国となっていました。あるとき蔡の昭王は煌びやかな衣装を貢物として楚の国に朝献のため訪問します。当時、楚では吝嗇な子常が宰相として権力をふるっていました。昭王は、貢物とした衣装と同じものを身に着けて楚を訪れていました。


  その衣装に目を付けた子常は、その衣装を自分にも貢いでほしいと暗に匂わせたのです。そして、それに応じなかった昭王を楚の国に監禁してしまうのです。昭王の側近は、監禁を解いてもらうためにその衣装を子常に貢ぐことを進言します。ついに折れた昭王は、高価な衣装を置いて楚から出国しますが、そのことを恨み、2度と楚には足を踏み入れないと誓います。


  その後、楚に追い詰められた蔡の昭王は、呉に救援を求めたのです。


  呉の伍子胥は、同じく楚の隣国である唐が同じように楚から圧力をかけられているところに目をつけて、楚への攻略に加担するよう唐に持ちかけます。蔡と唐からの要請を受ける形で、呉はいよいよ楚に攻め入ることになります。


  宮城谷さんの筆は、ここから一気に佳境へと突入します。


  孫武のすべてを見渡した戦略のもと、伍子胥を右腕とした呉の闔閭は、数万の軍勢を率いて楚に攻め入ります。その見事な戦いは、宮城谷さんの流れるような筆遣いでお楽しみください。


  この巻の面白さは、それだけではありません。闔閭が留守の間に呉の首都に越の允常の軍勢が押し寄せてきます。しかし、将軍である孫武は、すでにそのことを見越していました。


  さらに、楚の首都である郢を陥落させた闔閭軍は、随へと逃げた楚王を許します。しかし、そこに楚の時代に伍子胥の親友であった申包胥が登場。自らのすべてをなげうって秦の国に救援を乞いに楚王の親書を持って渡ります。


  秦は、楚王を救援するのか。さらに楚では、闔閭の弟であるやんちゃな扶概をそそのかして、呉の首都で自らが呉王として立つように仕向けるのです。


  息をつく暇もなく展開する呉の戦いの物語。間違いなくこの巻は、この長い物語の白眉を飾ります。ちなみにかの有名な「死者を鞭打つ」の故事も宮城谷さんの筆によって、この巻で描かれることになります。


  本当に宮城谷さんの古代中国は面白い。皆さんもぜひこの湖底の城で、宮城谷ワールドをお楽しみください。夜が更けることを忘れること間違いなしです。


  それでは皆さん、今日はこの辺で。季節は冬へと向かいますがどうぞお元気で。また、お会いします。



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2017年10月31日

山本秀也 習近平と中国を読む


こんばんは。


  2012年に習近平氏が最高指導者となってから5年、国家主席就任のときに掲げた「中国の夢」は夢ではなく現実味を帯びてきました。


  1018日に中国共産党大会が閉幕し、習近平総書記(国家主席)が二期目の政権を発足させました。党大会は、中国共産党の最高決定機関(つまり、中国の)であり、この大会によって習政権の今後が固まったことになります。


  大会の開催に当たって習近平氏が行った演説は、なんと3時間23分。9時から12時半まで延々と自らの政権について語ったのです。会議には、91歳の江沢民氏、前国家主席の胡錦濤氏も出席していましたが、江沢民氏はその長さにあくびをかみ殺し、演説が終わり席に戻った習氏に胡錦濤氏が腕時計を見せて「長すぎるよ」とアピールしました。


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(習総書記の党大会演説 asahi.com)


  しかし、この演説は、習氏がその権力基盤を盤石のものとする決意表明となったのです。


  今週は、この習近平国家主席を語った本を読んでいました。


「習近平と永楽帝 中華帝国皇帝の野望」(山本秀也著 新潮新書 2017年)


【第二期 習政権の決意】


  本の話はさておき、共産党大会における習国家主席の決意について見てみたいと思います。


  まず注目は、「中国の特色ある社会主義は新時代に入った。これは我が国の新たな歴史的方位である。」との発言。中国の社会主義の創始者は、最も偉大な国の創始者毛沢東、そして、現在の中国社会主義(新経済主義)を形創ったケ小平。この発言は、中興の祖、ケ小平の次の中国を創るのは、習近平その人であることを表明した言葉なのです。


  次に演説では、中国の二つの百年への目標が語られます。


  二つの百年とは、中国共産党成立100年となる2021年と中華人民共和国成立100年に当たる2049年のことを指しています。習政権は、2021年までに小康社会を実現し、GDPと年・農村部住民の所得を2010年対比で倍増するとしています。さらに2049年には、富強・民主・文明・調和をかなえた社会主義現代国家の建設をめざす、としています。


  その最終的な姿を、「中国は、総合国力と国際影響力が世界の指導的国家となり、全人民の共同富裕を実現し、我が国人民はさらに幸福で健康な生活を享受でき、中華民族は、世界民族の林に更なる昂然と屹立する姿を見せることになる。」と語ります。まさに世界民族の中に君臨するとは、世界のNO.1民族となるとの宣言に他なりません。


  習主席は、小康社会の建設を2020年までに完了し、その後の15年を、社会主義現代国家を建設する基礎となる期間と定めます。この言葉から、習主席は毛沢東のように生涯主席を目指して、2035年まで中国に君臨するのではないか、との憶測がなされています。


  中国共産党の政治体制は、ヒエラルキーにより成り立っており、主席の下には、チャイナセブンと呼ばれる7人の政治局常務委員が君臨します。この7人の最高指導部は、党の政治局員25人の中から選ばれ、党のすべての重要政策や幹部人事の方針を定めることになります。


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(新チャイナセブンのお披露目 asahi.com)


  今回もこのチャイナセブンに誰が選ばれるのかが、習主席の権力基盤を見定める有力な情報になると言われていました。ちなみに第一期政権では、習派閥は、習近平氏を含めて2名、江沢民派が3名、胡錦濤派が1名、無派閥1名という布陣でした。第二期となり、習派閥は3名、胡錦濤派は2名、無派閥2名と圧倒的な習近平体制に変貌したのです。


  さらに25名の政治局員をみてみると、第一期政権では習派閥の人数が5名、胡錦濤派が11名、江沢民派が5名、無派閥4名でしたが、第二期政権では、習派閥の政治局員は15名と3倍に増加しています。25名のうち15名を占める習派閥。これはほぼ独裁政権と言っても過言ではありません。


  先日のNHK NEWS9では興味深い解説がなされていました。かつてチャイナセブンの中には、次世代を担う50代の若手が選抜されていたそうです。江沢民主席の時代には、当時50代の胡錦濤氏が選ばれ、胡錦濤主席の時代には、当時50代だった習近平氏が選ばれたというのです。今回の布陣では、最も若いチャイナセブンは62歳です。ここから、習近平政権は、政権を後継者に譲ることを考えていないというのです。


【中国の夢の正体とは】


  さて、こうした背景もあって、今週は習近平氏を語る本を読んでいたわけです。


  習近平氏は、政権の座に着いた時から「中国の夢」の実現をその政策に揚げていました。それは、わかり易くいえば「中華民族の復興」です。中国の歴史が好きな方は、「中華民族」との言葉から歴代の中華王朝の歴史を思い起こすかもしれません。


  中国の歴史の中で、中華民族が中国を支配していなかった王朝が二つあります。一つは、チンギス・ハンに率いられたモンゴル民族が皇帝を名乗った「元」。もう一つが、直近の中国を治めていた「清」です。


  「清」は、女真族を率いていたヌルハチが率いた「後金」が、明の滅亡に乗じて中国を制覇し、「清」を立てて皇帝として中国を治めたのです。清は、17世紀から18世紀にかけて、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代に最盛期を迎え、その版図を最大としました。


  確かに清は繁栄しましたが、「中華民族の復興」と言えば、「明」の皇帝による中国支配が一番近い中華民族による統治であったと言えます。中華の基本思想とは、中華の皇帝が世界における天下であり、中華を中心として周辺の国は異民族であり、「夷狄(いてき)」または「蛮夷」として、中華に貢物を送り(朝貢)、皇帝にひれ伏すべきもの、という考え方です。


  日本では、飛鳥時代に聖徳太子が中国外交を行うために遣隋使を送りましたが、その国書に「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。」と記したために、隋の煬帝が激怒した、との話は有名です。「明」の永楽帝は、皇帝として版図を拡大し自らの権力を高めるために、宦官である鄭和に大艦隊を編成させ、インド洋、東南アジア、アフリカ東海岸まで遠征させて、朝貢を求めました。


  この話。習近平氏が提唱する「一帯一路」と相通じるものがあるという気がします。


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(「習近平と永楽帝」 amazon.co.jp)


  この本の著者である山本秀也氏は、現在、産経新聞の解説委員兼論説委員であり、ニコニコ動画でもニュース解説を放映しています。まだ50代の後半ですが、その経歴はアジア圏を中心に各国の駐在員を歴任し、ワシントン支局長も勤めています。この本の中でも北京支局時代の話が語られています。


  この本は、そうした経歴の氏が、明の中祖と呼ばれる永楽帝をプリズムに使い、今を時めく習近平氏の中国を透視しようとする試みです。


【歴史と現代史の狭間で】


  まずは、この本の目次を見てみましょう。


序章 帝国の残照と現代中国

第一章 水楽帝誕生

第二章 習近平の半生

第三章 王朝創始者の椎威利用

第四章 粛清の時代

第五章 「盛世」の夢

第六章 「天下」の拡大と「大一統」

終章 習近平は永楽帝たり得るのか


  各章の表題を見ると、明の歴史を築いた永楽帝と習近平の生涯の近似点から始まり、その理念や行動までを史実に寄りながら共通点と相違点が語られていきます。さすが元ジャーナリストの筆者だけあって、習近平を語る中では、直近でニュースとなった出来事もその意味も含めて語られていきます。


  例えば、2年前の9月、習主席は中国人民抗日戦争勝利70周年に当たって、北京市内の天安門広場で大々的な軍事パレードを催しました。驚いたのは、その軍事パレードを閲覧する習主席の横に当時韓国大統領であったパク・クネ氏が寄り添っていたことです。(ロシア大統領のプーチン氏も同席)


  北朝鮮のあの人がいるならば、多少理解が出来ますが、自由主義体制である韓国の大統領が、共産党が誇る軍事パレードを閲覧したのですから驚きです。いったい何故?この本の第六章では、「天下」の拡大という文脈の中で、この韓国大統領の訪中をひも解いています。


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(抗日勝利70年軍事パレード nikkei.co.jp)


  それは、歴史的な経緯と共に中華思想と李氏朝鮮の歴史が深くかかわっていますが、もう一つ、日中戦争時代の反日運動という共通の国策がかかわっているのです。中国も韓国も70年前の日本の侵略政策への反日感情を国民教育として浸透させることにより、国民の目を反日へと向けることで、国内の政治から目をそらそうとする点で共通しています。


  習近平氏と永楽帝との共通点とは?


  習近平氏は、太子党と呼ばれる中国共産党の幹部の子弟という派閥に属しています。その父、習仲勲は早くから中国共産党に入党し、中国人民解放軍の軍務で貢献しました。中華人民共和国設立後には、党の宣伝部長を始めとして、国務院秘書長などを務め、国務院の副総理となっています。その意味で立派な太子党です。


  永楽帝も明の開祖である光武帝の4番目の息子ですから当時の太子党ですが、光武帝の後を継いだのは、孫である建文帝でした。建文帝は、各地の長官であった叔父たちを抑圧し、自らの権力を強めようとしました。北西地域を治めていた燕王(永楽帝)にもその魔の手は伸び、大きな危機を感じた燕王は、ついにクーデターを起こします。燕王の軍勢は数万、建文帝の官軍は50万人という兵力でしたが、実践に勝る燕王の軍勢はみごとに官軍を破り、永楽帝となります。


  実は、習近平氏にも永楽帝のような苦しい時代がありました。


  文化大革命の時代、父仲勲は反党集団と認定されすべての党務を解任されて拘束されてしまうのです。1962年に拘束されたときに近平氏は、まだ9歳でした。仲勲氏は、16年間拘束され党から手ひどい仕打ちを受けました。この頃に近平少年は過酷な労働を強いられる母親の姿を強制収容所で見るや大きなショックを受け、二度と母親には会いに行けなかったといいます。


  父親が党から迫害されていた16年間は、近平氏が少年から青年へと育つ多感なときです。このころの経験が、その後の習近平氏の人生にどのような影響があったのか。確かに永楽帝と通じるところがあったに違いありません。1978年に父親は再び党の書記として復活。その後、広東省を任されるまでになりました。そこから習近平氏も太子党として頭角を現すことになるのです。


  この本を読むと、知られざる習近平氏の生涯やその寄って立つ中華思想を歴史の面から知ることが出来ます。かつての中華民族が中国皇帝として君臨した時代。習近平国家主席は、自らの名前を党規約にも明記し、新しい中華民族の皇帝になろうとしているのか?



  さて、この本の印象ですが、ジャーナリストである著者は、様々な知見を披露して「明」の皇帝と習国家主席を語ります。しかし、報道に携わってきたためか、その書きぶりは無理に客観性を保とうとしているように読めて、今一つ表面的な感じが否めません。それでいて、中国共産党の人権侵害や軍事的拡張は糾弾しており、全体が不安定な印象です。


  この手の本にしては、著者の真の主張が良く見えてこないところが、とても残念でした。


  それにつけても、習国家主席の中華には目が離せません。国際裁判所判決を紙クズと語るメンタリティーは、現代社会には受け入れられることはありえないと思うのは私だけでしょうか。


  今年は10月というのに、急に寒さが本格化しています。皆さん、お体にはご自愛ください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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2017年10月26日

感謝!! 日々雑記 450回です。


こんばんは。


  いつも拙ブログにご訪問頂き、本当にありがとうございます。


  皆さんのおかげで、このブログも無事450回を迎えることが出来ました。400回のときには、イロイロと人生の節目となる出来事が重なり、50回のブログ更新に30カ月かかりました。今回は、少しペースを取り戻して、13カ月で450回を迎えることが出来ました。皆さんのご訪問に改めて感謝いたします。


  このブログを始めた当初、年間100冊以上の読書を目標としていましたが、通勤時間が短くなったために読書の時間が減り、約半分のペースになりました。今年は、本の紹介以外に連れ合いと行ったクロアチア旅行記もブログに掲載しています。近年、クロアチアは人気の観光地となっていますが、その風景には確かに心を洗ってくれる美しさと歴史がありました。


  ヨーロッパ旅行と言えば、昨年はチェコのプラハとオーストリアのウィーン(ついでにザルツブルグも)に行ってきました。今年のクロアチア旅行は、2年連続の欧州旅行だったのです。


【プラハ訪問の話】


  昨年のプラハ旅行の目的は、チェコの小説家フランツ・カフカゆかりの場所をたどることでしたが、お陰様で45年間の念願であったカフカが生きた街を訪れることが出来て、感慨もひとしおでした。カフカと言えば、グスタフ・ヤノーホという詩人志望だった人物がカフカとの会話を記した「カフカとの対話」という本があります。


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(「カフカとの対話」 amazon.co.jpより)


  カフカは、1908年から1922年までの14年間、ボヘミヤ王国労働者傷害保険協会に勤務していました。カフカにとっては晩年となる1920年、カフカの同僚であったヤノーホの父親が、詩を創作していた息子をカフカに紹介しました。それ以来、ヤノーホは頻繁にカフカの事務所(カフカには同僚と共有する個室で仕事をしていた。)に訪れて、様々な話をしてもらっていたのです。カフカもヤノーホには暖かく接しており、当時、文通していた恋人ミレナ・イェチェスカへの手紙の中にもヤノーホが登場しています。


  ヤノーホは、第二次大戦後に無実の罪で投獄されますが、その獄中でカフカとの会話を出版しようと思い立ち、昔の記憶やメモなどをたどって「カフカとの対話」を執筆します。そして、1951年に最初の本を上梓したのです。この本には、ヤノーホのこうであってほしいという理想的なカフカが描かれており、後世には創作が含まれているとの批判もありました。


  それでも、生前にカフカの親友であり、遺稿を託されたマックス・ブロートは、この本を読んで、「フランツ・カフカが目の前にいて話しているような気がする。」と評しています。確かに20年以上前の会話を正確に覚えているはずもないので、メモ書きで残っていた部分以外では、不正確な会話もたくさんあるのかもしれません。


  しかし、この本はカフカの伝記ではなく、文学を志していたヤノーホの青春の記録であり、私はひとつの文学作品としてこの本を読みました。この本で描かれるカフカとの会話も、カフカを彷彿とさせ感動的なのですが、なんといってもプラハの街を散策する二人の姿が印象的なのです。そして、プラハの街並みは、今でもカフカが毎日散歩していた当時と全く変わっていないのです。


  カフカが小説を執筆していた場所としては、プラハ城内にある黄金小路(錬金術通り)にある小さな家が有名です。ここは、現在、カフカにちなむ本屋さんとなっており、プラハの観光名所となっています。また、カフカが通ったカレル橋の近くには、カフカ博物館があり、Kをかたどったオブジェが飾られ、博物館の中にはカフカの人生にまつわる様々なものが展示されています。


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(カレル橋近くのカフカ博物館)


  カフカは、その40年強の人生で、最晩年の数か月以外は旅行でプラハを離れる以外、生涯プラハで人生を過ごしました。プラハの街を散策していると、そこここにカフカが住んだ家や散歩した街並みを見ることが出来ます。それは、「審判」に描かれた裁判所や職場に至る石畳の道や路地、建物がそのままそこに存在しているまさにカフカの描いた世界なのです。


  カフカが、14年間勤務した「労働者傷害保険協会」の建物は、現在ホテルになっていますが、その前に佇むと、あの「カフカとの対話」の様々なシーンが心に蘇り、大きな感動が体中を駆け巡るようでした。 


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(14年間カフカが勤務した協会の建物)


  残念ながら、昨年はツアーで東欧を回ったので、プラハの自由時間は3時間。連れ合いの協力で、ほとんどをカフカ巡りに費やしましたが、一度、ゆっくりとプラハで心行くまでカフカ巡りをしてみたいと思います。(連れ合いは、市庁舎前のカフェでのお茶を楽しみにしていたのですが、カフカの犠牲になりました。感謝です。)


450回までの本たち】


  さて、大好きな本の話に戻ります。


  今回も401回目からご紹介してきた本の中で、ベスト10を選びたいと思います。今回はスポーツ本が、オリックスブルーウェイヴ二軍監督の田口壮さんの本1冊のみとちょっとさびしい感じです。ことしは、ハリルジャパンがワールドカップ本戦への出場を決め、野球も波瀾万丈でしたので、これからその手の本もぜひ読みたいと思っています。


  少し横道にそれますが、今年のクライマックスシリーズは、セパともに本当に手に汗握る展開で、時間を忘れて見入ってしまいました。


  パリーグは、楽天の梨田監督が2年目。これまで梨田監督は、近鉄のときも日本ハムのときも2年目で優勝を飾ってきました。今年も開幕から前半は、リーグ1位を続けていましたので、やっぱり2年目のジンクスは生きているのか、と思いました。ところが、後半戦、パワーが大きく減じて連敗が止まらなくなりました。結果はペナントレース3位。


  しかし、CSファーストステージからファイナルステージの第3戦までの戦いぶりは見事でした。すべてのピッチャーが持てる力を出し切り、1点差ゲームをものにしていきました。さすが、梨田監督の短期決戦のさい配は一味違いました。第3戦で逆転直後、中継ぎのピッチャーが後続を断ちきっていれば、楽天は日本シリーズに進出していたと思います。本当に、素晴らしいゲームを見せてくれました。


  一方のセリーグのCSも素晴らしいゲームでした。特にファイナルでは、DeNAは、次から次へと若い選手がニューヒーローとなり、野球における勢いとは何かを改めてファンに教えてくれました。それにしても筒香選手は、ホレボレするほど良い男ですね。日本シリーズでも手に汗を握る試合が繰り広げられることを大いに期待しています。


  スポーツ本の話から話が横道にそれましたが、ここでいよいよベスト10です。(「題名」をクリックするとブログに飛びます。)


10位 「さらばスペインの日々」(逢坂剛著 講談社文庫上下巻 2016年)


 「カディスの赤い星」を読んで、すっかりはまってしまった逢坂剛作品。このイベリアシリーズは、第二次世界大戦前夜から終戦まで、実際ヨーロッパに派遣された日本人インテリジェンスオフィサーは、何を考え、どう諜報活動を行ったのか。エスピオナージとしても、サスペンスとしても本当に面白い小説でした。全部で7作に渡った北都昭平とヴァニジアのはるかな物語は、毎回発売が楽しみなシリーズのひとつでした。逢坂さん、長い間楽しませてもらい、本当に有難うございました。


9位 「人類20万年 遥かなる旅路」(アリス・ロバーツ著 野中香方子訳 文春文庫上下巻 2016年)


  今やこの地球上に72億人以上の人口を誇る我々ホモ・サピエンス。これだけ繁栄した我々が、たった一人のホモ・サピエンスから進化した兄弟姉妹であった。世の中には「コペルニクス的展開」という言葉がありますが、この事実はまさにそれです。たった一人のアフリカのイヴは、いったいどんな経路をたどって世界中に広がっていったのか。息もつかせずに展開していく古代の謎が鮮やかな一冊でした。


8位 「よみがえる力は、どこに」(城山三郎著 新潮文庫 2017年)


  城山三郎さんは、どのようにして近代日本の英傑を主人公とする小説を次々に執筆していったのか。そこには、主人公として描いた英傑たちの気概を直接取材してわが身のものとして感じとる城山さん自身の生き方が反映されていたのではないか。この本の講演と対談からは、その秘密を知ることが出来ます。そして、先立たれた連れ合いに対する深い愛情。この本には、城山三郎さんのエッセンスが凝縮されています。


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(「よみがえる・・・・・」 amazon.co.jpより)


7位 「三国志外伝」(宮城谷昌光著 文春文庫 2016年)


  宮城谷さんが描く古代中国は、歴史書に記された稀代の英傑を主人公に人間としての魅力を存分に描き出します。「三国志」は、史書としての三国志を12年間にわたって描き続けたライフワークと言えるのではないでしょうか。この長い歴史の中で本流からははずれるものの、人間として魅力あふれる人物があまたいたことは間違いありません。描きたかったのに傍流であるために描けなかった人物の魅力を、宮城谷さんはこの本に込めてくれました。本領発揮の面白さです。


6位 「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著 新潮文庫 2016年)


  最近発売される歴史本は、奇をてらったものが多いと感じるのは私だけでしょうか。どの時代にも歴史には謎がつきものですが、完了した歴史の真実を浮かび上がらせるためには、空想だけでは足りないと思えます。日中戦争や太平洋戦争は、戦争を知らない子供たちには摩訶不思議な歴史です。負けるに決まっている戦争は何故行われたのか。この本は、その命題を若者たちへの授業という形で問い詰めていきます。加藤教授のわかり易く正統派の授業に感服しました。歴史とは何かという問いに答える一冊に身が引き締まりました。


5位 「司馬遼太郎に日本人を学ぶ」(森史朗著 文春新書 2016年)


  私を含めて、司馬遼太郎さんの小説に魅了された方々は数えきれないほどたくさんいると思います。この本の著者は、編集者として司馬さんに長い間関わり、その人柄に魅了されてきた方です。この本は、司馬さんの小説の読み方を指南してくれますが、その行間に横たわる司馬さんへの限りない愛情に心を打たれます。まさにこの本は、司馬遼太郎さんへの最良のレクイエムでした。


4位 「ビブリア古書堂の事件手帖7−栞子さんと果てない舞台」

(三上延著 メディアワークス文庫 2017年)


  近年、このシリーズほど新刊の発売が楽しみだった本はありません。本好きの本好きによる本好きのための本、とはこの小説のことではないでしょうか。途中、テレビドラマとなり、世に一大ブームを巻き起こしましたが、この小説の面白さは、この小説を読むことによってしか語ることが出来ません。最終話となるこの巻は、著者の登場人物たちへの愛情があふれていて、すべてがハッピーエンドとなるその手腕に唸りました。素晴らしいシリーズでした。


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(「栞子さん最終巻」 amazon.co.jpより)


3位 「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤泰弘著 中公新書 2017年)


  ルーヴル美術館ではじめて「モナリザ」を見たときの衝撃は、40年近く経った今でも鮮やかな記憶として脳裏に焼き付いています。あの衝撃を生み出した作者はいったい何者だったのか。この本は、500年の時を超えてその一端を教えてくれました。もちろん、この本一冊でレオナルドを語るのは無謀と言えるに違いありません。それでも、これだけの資料に触れつつも、軽妙かつ大胆にレオナルドその人に迫った本は新書本では他にないのではないでしょうか。最終章にたどり着くのがとても残念な、素敵な本でした。


2位 「リヴィエラを撃て」(高村薫著 新潮文庫上下巻 1992年)


  これほどインテリジェンスの不毛さを感動と共に描く本を他に知りません。暗号名「リヴィエラ」に翻弄され、消えていったあまりにも多くのインテリジェンスオフィサーたち。しかし、その一人一人にはその生を生きた人生があるのです。日本人の著者が、イギリスを舞台にインテリジェンスオフィサーの人生をこれだけ見事に描き出す、そのこと自体が感動的です。まだ読んだことのない皆さん。ぜひ一度読んでみてください。驚き、悲しみ、衝撃、感動で時間を忘れること間違いなしです


1位 「村上海賊の娘」(和田竜著 新潮文庫全四巻 2016年)


  さて、この50回の中でもっとも面白かった本は、まぎれもなくこの小説です。著者は、「のぼうの城」を始めとして、まるで映画のような小説を発表し続けていますが、この本もジェットコースターのように次々とシャープなカットが続いていきます。日本人離れした顔立ちの娘、景の自由奔放で清々しい魅力が、血で血を洗う戦いの中で、ひときわ輝きます。景を気に入ったがゆえに宿敵となる真鍋七五三兵衛(まなべ しめのひょうえ)は泉州侍らしい豪快な大男、さらに不死身の海賊。そのキャラクターの魅力も光ります。


  全四巻と長い小説ですが、読み始めればアッと言う間に時間が過ぎていきます。おそらく、この本のおかげで徹夜して寝不足となった人は数えきれないのではないかと想像します。歴史と映画と小説が好きな方は、ぜひ読んでみてください。人生、得した気分を存分に味わうことが出来るはずです。



  そして、450回目も紙面が尽きました。これからも、人生の楽しみを積み重ねて、このブログにて一緒に充実した時間を過ごしていきたいと思っています。今後とも日々雑記をどうぞよろしくお願い申し上げます。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


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2017年10月22日

斎藤泰弘 レオナルド・ダ・ヴィンチの探求


こんにちは。


  皆さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチの本名をご存知でしょうか。


  そのフルネームは、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチといいます。彼は、生前にその出身をフィレンツェと語っていたそうですが、この名前の意味は、「ヴィンチ村出身のセルの(息子である)レオナルド」となります。つまり、彼を呼ぶときには、レオナルドと呼ぶのが最も納得感があるということになります。


レオナルド01.jpg

(レオナルド・ダ・ヴィンチ像 wikipwdia)


  当時のイタリアは、一つの国というよりもいくつもの領主により国が分かれており、ヴィンチ村はフレンツェ共和国内にあったので、フィレンツェ出身と言っても決して嘘とは言えないようです。


  今週は、ルネッサンス期のイタリアの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎を探求した本を読んでいました。


「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤泰弘著 中公新書 2017年)


  著者は、今年71歳となる京都大学の名誉教授。あとがきでは、この本を執筆した動機について、長年レオナルドの手稿を研究して来たが、研究書としてその成果を出版しても今や誰にも読んでもらえない。そこで、研究を発表するには多くの人が読んでくれる形で上梓するのが良いと思った。と述べています。


  この本には、あっちこっちに「質問・疑問」が問われ、斎藤氏は、それにこたえる形でレオナルドについて、様々に語っています。例えば、第二章のはじまりは、「さて、レオナルドが生まれ故郷ヴィンチ村近くで描いた、風景素描のことから話を始めようと思ったら、『すみません。その前の生い立ちから話してもらえませんか?』という声が上がった。なるほど、それももっともな話だ。それでは、彼が生まれた時の話から始めよう。」とレオナルドの出生から話が始まります。


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(レオナルド絵画の謎 amazon.co.jpより)


  ところどころで、こうした質問がなされ、斎藤氏はそれを解説していくわけですが、その内容は決して堅苦しくなく、軽妙です。とても70歳を超えた研究者が著者とは思えず、引き込まれるうちに、話は次々と展開していくことになります。その謎かけと回答は、まるで推理小説でも読むような面白さとワンダーを我々に味あわせてくれます。


  絵画を語る本で、これほどアッと言う間に楽しく読み終えてしまった本は久しぶりでした。


【レオナルドの手稿とは】


  レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年にヴィンチ村で生まれ、1519年に67歳で亡くなりました。イタリアでは、当時ルネッサンスの最盛期で特にメジチ家の本拠地であったフィレンツェでは、人文運動が隆盛を迎え、宗教、芸術の中心地となっていたのです。


  さて、第2章では、確かにレオナルドの生い立ちが語られます。


  まずは、レオナルド出生の秘密から生い立ちが語られますが、その秘密については斎藤氏の本を読んでのお楽しみです。


  14歳のレオナルドは、当時フィレンツェで最も優れた職人を抱えていたヴェッキオ工房に弟子入りし、職人として技術を学びました。当時、工房は絵画や彫刻だけではなく、様々な工芸品を手掛けており、芸術以外にも今でいえば、設計、化学、機械工具、冶金、金属加工、革細工、土木など、幅広い技術を身に着けていました。


  当時の徒弟制度は、優秀な職工は20歳で独立して親方を名乗ることが出来たそうです。レオナルドも20歳のときには、親方として独立し、聖ルカ組合の一員となっていました。その後、レオナルドは、フィレンツェからミラノ、ヴァチカンなど、各地で活躍しています。


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(聖アンナと聖母子と子羊 wikipedia)


  ところで、レオナルドは40年間に渡り、自ら考えたことや様々な覚書を手稿として残しています。その分量ですが、この本でも質問として、「いったいレオナルドの手稿は、何冊あったのか?」と聞かれています。手稿はいくつにも分かれていますが、愛弟子のメルツィによって編まれた「絵画の書」と呼ばれる手稿集では、編まれた時点で手稿は18冊あったといいます。そのうち現存する手稿は8冊。つまり、44%程度が現存するのでは?と推定しています。


  ちなみに、ウィキペディアでは、その分量は13000ページで、現存するものは5000ペ−ジと記されています。その手稿は、哲学、地質学、物理学などの思索から、人体の写生図、自然界の写生、道具や武器の図面など、多岐にわたります。


  この本の著者である斎藤泰弘氏は、長年にわたってレオナルドの手稿を研究してきた先生でした。その研究を生かして、氏は、生のレオナルドの声である手稿の記述を通して、彼の絵画の謎を解き明かしていくというワンダーな手法でこの本を生み出したのです。


  まずは、この本の目次を見てみましょう。


はじめに

1章 『モナリザ』は女装したダ・ヴィンチか

2章 最初の風景素描と『受胎告知』

3章 フィレンツェ時代の自然観

4章 ミラノ公国付きの技術者

5章 スコラ自然学との出会い

6章 ミラノ時代の地質学調査

7章 『聖アンナと聖母子』の謎

8章 大地隆起理論への疑問

9章 世界終末の幻想

10章 「どうぞ其処を退いてください あなたはいつも遮るのです」

11章 わたしがどうしてあなたに向かって微笑んでいるのか、分かる?

12章 ザッペリ説にも問題が

最終章 晩年のレオナルド

あとがき


【レオナルドはオタクなのか】


  レオナルドの手稿を研究した著者によると、そもそもレオナルドは私生児であり、母親の愛情を知らない孤独な人であったそうです。レオナルドの手稿は、鏡に映したときに普通に読める鏡文字によって記されているものが多く、こうした鏡文字での記載が得意になったのも他人に迎合しない人柄の表れであるのかもしれません。


  名画「モナリザ」や「最後の晩餐」を見ると、レオナルドが工房で独り立ちする以前から絵を描かせれば右に出るものがいない腕を持っていたことも不思議ではありません。にもかかわらず、レオナルドが完成させた絵画で現存しているものは、数えるほどしかありません。


  レオナルドは、孤独な完全主義者だった。


  この本を読むと、変わり者であり天才であったレオナルドの姿が浮かびあがります。鏡文字もそうですが、フィレンツェで自らマエストロとして注文を受けていた時代。レオナルドの元には、その評判からたくさんの注文が舞い込んできました。ところが、その注文を受けたレオナルドは、いつまでたっても受けた注文の絵を完成させることがなかったというのです。


  あまりにも未完の受注が多かったために、フィレンツェではレオナルドは絵を完成させない(つまり、契約を履行しない)マエストロとの風評が立ち、そのうちに注文自体がこなくなりました。そのときに、ミラノ公国から声がかかり、レオナルドは自らを戦争のための武器や設備を企画・製作する技術マエストロとして売り込み、ミラノへと移ったのです。


  レオナルドの契約不履行が単なるなまけ癖なのか、完全主義を貫こうとした結果なのかは不明ですが、変わり者のレオナルドは、絵画の技術を高めるためには、すべての物事を正しく記録することが必要であると考えていたようです。この本を読むと、その「正しい」という言葉が相当に深い言葉であることが良くわかります。


  レオナルドが、人を正しく描くために体のあらゆる部分をスケッチし、母親の中の胎児や人体の骨までもそれぞれのパーツごとにスケッチしていたことは良く知られています。


【絵画に描かれた地球の神秘】


  そのレオナルドは、絵画の背景となる自然をも正しく理解したいとのオタクにも近い欲求を持っていました。そのことは、現存するもっとも古いレオナルドのスケッチからもわかります。第2章で語られる1473年の風景素描の分析は、とても興味をそそられます。


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(1473年の風景素描 wikipedia)


  ヴィンチ村の近郊の風景を描写したかに見える素描は、右半分の風景と左半分の風景は、同じ景色を描きながら、まったく違うパースペクティブを持っているといいます。右側は、遠景ではありますが、川に浸食されていく岩山の姿が描かれており、左側には、まるで鳥の目が見たように俯瞰した山裾の風景が描かれています。


  ここから、著者はレオナルドの自我が見出した自然への独自の観察眼を語っていくのです。


  この第2章から、レオナルドの自然に対する研究観察が解き明かされていきます。ある日、化石を見つけたレオナルドが、なぜ貝殻の化石が山上の地層から発見されるのか疑問に思うところから物語は始まります。当時、山の地層に貝殻の化石があるのは、ノアの方舟伝説の大洪水のときに運ばれたためだ、と言われていました。しかし、異なる地層からも化石は発見されます。


  ノアの方舟伝説だけでは、複数の地層から化石が発見される事実を説明することができません。レオナルドは、その貝殻の化石から化石が発見される山の地層は、もともと海であったのではないかとの仮説をたてます。そして、陸地が隆起し、川によって浸食されていき、また隆起するという地質学的発想がもたらされます。


  レオナルドが残した絵画の背景は、こうしたレオナルドの観察し、探求する志が反映されていくことになる、と著者は具体的な証言を挙げて語ります。レオナルドの手稿をたどることによって、レオナルドがこの大地がどのように成り立ち、どのように消滅していくのかを解き明かしていく過程がまるで謎解きのように語られていきます。


  そして、第10章からはいよいよ「モナリザ」の謎へと進んでいきます。第10章と第11章の表題は、まさに「モナリザ」に秘められた謎そのものに繋がっていくのです。


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(世界の名画「モナリザ」 wikipedia)


  絵画から発せられる魅惑の光と影は、現物をこの目で見なければ味わうことが出来ません。ルーブル美術館で見た「モナリザ」の微笑は、見る者のすべてを魅了する恐るべき力を発していました。その感動は、いったいどこからくるのか。


  この本を読むと、その謎の一端が明かされるのです。


  中公新書は、絵画や旅行本など、テーマによってカラー版で出版されます。このレオナルド絵画の謎解きも、カラー版だからこそ、迫力をもって我々に迫ってきます。



  今年の秋は、秋らしくなったと思えば冬の寒さとなり、あまつさえ台風までが日本を狙っています。それでも秋の夜は長くなります。皆さんも、秋の夜長にレオナルドの絵画の謎解きを楽しんでみてはいかがでしょうか。改めて、「モナリザ」の隠された魅力に触れることができるに違いありません。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 14:35| 東京 ☔| Comment(0) | 評論(文芸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

クロアチアは光と太陽の国(その10)


こんばんは。


  クロアチアの旅もいよいよ最終日の午後となりました。時間は1400過ぎ。ストンにて塩田、城壁、民族舞踊を堪能して、我々はドゥブロヴニクへと戻ってきました。この日は、2100発の飛行機でドゥブロヴニク空港からANA1962便で成田へと向かう予定です。ドゥブロヴニク旧市街観光を選択したメンバーには、1700にバスが迎えに来てくれることになっています。


【最後のドゥブロヴニク散策は?】


  連れ合いと最後の旧市街でお土産屋探索を行おうと、西のピレ門から旧市街へと入ります。おなじみとなったプラツァ通りを東へと向かいます。昨日ガイドのミハエラさんが、プラツァ通りに面して美味しいアイスクリーム屋さんがあると教えてくれたので、探しながら歩きましたがみつかりません。1店あったお店は、昨日クルーズの前に食べたお店と同じ店だったので、別の店を後でさがすことにしました。


  そこで、まず目指したのはグランドゥリチェブ広場の市場です。ここに広げられている露店は民芸品、ストール、革製品などお土産を何でも売っています。ところが、クロアチアのクーナは残りわずかとなっています。これから両替するとクーナを使いきれないかもしれず、悩みどころです。


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(にぎやかなドゥブロヴニクの市場)


  連れ合いが露店を見て回り、クーナに気を使ってくれてにおい袋をお土産に買うことになりました。さて、ちいさなにおい袋が5つセットとなっていますが、お値段は75クーナ。持っていたお金はちょうど70クーナ。露店にいるおじいさんは、とても人がよさそうで、つたない英語で値段交渉をすると、70クーナでOKが出ました。通じているのかが心配で何度も念を押してしまいましたが、最後は、「わかった、わかった」という感じをかもしだしていて、ちょっと恐縮してしまいます。


  後で聞くと、市場の露店では値切るのが通例になっているそうで、別に変ったことではなかったようです。


  さて、次なるお目当ては、クロアチア一古い薬屋さんで売っているという美肌クリームです。この薬屋さんの名前は「マラ・ブラーチャ薬局」。西のピレ門わきに建つフランシスコ会修道院の中で営業しているといいます。


  せっかく西門に戻るのであれば、まだ通っていない裏路地に行ってみようということで、二人でルラツァ通りの北側の路地に行ってみました。北側は大分高くなっており、路地は割と長い階段となっています。石造りの階段を上って北側の路地に出ると、そこはレストラン街となっていました。そう言えば、前の日にツアー手書きの地図にあったおすすめレストランは、このあたりにありました。どのお店も戸外にテラス席を設けており、店ごとに赤や黒のパラソルを置いて、その下にテーブルとイスが設えてあります。


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(旧市街の路地裏にあるテラス)


  二人でその雰囲気を写真に収めて、次来るときはこの辺で食べようか?などと夢のような話をしながらもとの階段をプラツァ通りへと降りていきました。さらにプラツァ通りを横断すると、こんどは南側の路地に出てみます。こちらは、あまり広くない路地ですが、通りの両側には所狭しとお店が連なっています。コンビニあり、お土産物屋さんあり、宝飾店あり、キャンディ屋さん、立ち食いピザ屋さん、装飾店などなど、じっくり見ていると日が暮れてしまいます。


  にぎやかな通りをつらつらと眺めつつ西門へと急いでいると、右側に不思議な建物を発見しました。それは二つの塔を持つ荘厳な建物ですが、白亜の石造りでドゥブロヴニクではおなじみの建物とは色も形も異なっています。地図を見ると正教会となっています。(後で知ったのですが、ここはセルビア正教会と言い、セルビア人の信仰のための教会だそうです。)中には自由に入れるのですが、礼拝堂は黄金で彩られて、数々のイコンが周りにおかれています。静謐にして荘厳。思わず見とれてしまいました。


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(裏通りに突然現れたセルビア正教会)


【おいしいジェラート発見】


  偶然にも異次元に入り込んだ感じですが、教会を出るとすぐに世俗に染まります。にぎやかな通りを抜けると、そこはすでにおなじみとなったオノフリオの大噴水です。そこからプラツァ通りを渡れば、そこがフランシスコ会修道院。修道院の横に扉があり、石造りの通路をたどっていくと正面に博物館へと抜ける扉があります。そこまでの通路の左に薬屋さんのドアがあります。


  すぐに見つからずしばらくウロウロしましたが、それもそのはず、この日は土曜日のせいかなんと薬局はお休みだったのです。ウーン、残念!


  さて、気を取り直して再びプラツァ通りに出て、今度はアイスクリーム屋さんを探すことにしました。ミハエラさんが教えてくれたお店は、たしかこの辺、と通りの北側を探していると、路地の前にアイスクリームの看板が出ています。どうやらお店は路地の奥、階段を上がったところにあるようです。階段には、テラス席が並べられ、ほぼ満席状態になっています。


  お店の名前は、「ドルチェ・ヴィータ」。テラス席には、クロアチア近隣の家族づれもいれば、アジア系の観光客もいてにぎやかです。テラス席を横目に階段を上がってお店の前まで行くと、これまたお店には列ができていて、中に入ることが出来ません。これだけ人気がある店ならば、ミハエラさんご推薦の店に間違いありません。


  あまりの混雑で店にも入れないので、しばらく散策をして再び店を訪れました。すると、長い列が落ち着いてお店に入ることが出来ました。クーナを使い果たしたので、ユーロが使えるかを聞いてみると、「No Problem」との返事。安心して、ジェラートを頼みました。昨日は、カップのジェラートを食べたので、今回はコーンを試してみます。


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(路地裏のジェラートの味は絶品)


  美味しそうなジュラートが10数種類も並べられていて、どれを味わうかなかなか選ぶのが難しい。レモンもメロンもピーチ、チョコレート、チーズケーキ、バニラ。どれもこれも美味しそうです。迷った末に選んだのは、ブルーベリーとバニラ。コーンの上にうす紫色のジェラートと真っ白なジェラートが盛られます。店の中にはイートインのスペースがあり、そこに腰かけてゆっくりと味わいました。


  コーンに乗ったジェラートは、ジューシーで控えめな甘さの絶品。さすが、混雑している店はとても美味しいジェラートを出してくれます。このお店がミハエラさん推薦のお店だと納得しました。お店の中には無料の化粧室もあり、お得です。お店は一瞬の空白ののちには、再び人があふれ、ジェラートの余韻に浸りながらお店を後にしました。


  さて、プラッツァ通りに戻ると時間は1600を過ぎています。バスが来るまでにはまだ時間があり、まずは西門近くへと移動しました。先ほど薬屋さんを探して入った細長い入り口とは別に、フランシスコ会修道院の礼拝堂に入る扉があります。扉を開けると、礼拝堂は外の焼けるような暑さとは違って涼しさを感じます。


  通りの喧騒とは打って変わり、聖堂は静かで敬虔な空気に満たされています。ロマネスク様式の礼拝堂は高い天井と数十列もある礼拝をする人々のための椅子が設えてあります。その両壁には、いくつもの絵画が飾られており、中世の香りが漂っています。奥におかれている祭壇には、ロマネスク様式の白い柱の前に、大きな彫像が十字架を手に佇んでいます。


  ドゥブロヴニク最後の時間を敬虔な礼拝堂の中で過ごす。この時間が何とも贅沢でした。


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(フランシスコ会修道院の礼拝堂)


  表通りは相変わらずの暑さですが、まだ少し時間があります。寸暇を惜しんで目の前のお土産屋さんに立ち寄ります。中には、民芸品から装飾品、宝飾まであらゆるものが並んでいます。連れ合いが、娘のお土産に宝飾を選んでいます。棚には赤、青、緑、白と、色とりどりの石が首飾りや腕輪に加工されて並べられています。連れ合いは、大分迷っていましたが、最後には薄い緑の石でできた腕輪に決めたようで、レジに向かいます。最終日、クーナもユーロもなくなって、最後の手段、クレジットカードが威力を発揮しました。


  お店を出ると、大噴水を右手に見ながら、石畳の通りをピレ門へと向かいます。振り返ればプラツァ通りと石造りの建物が遥かに続いていて、たくさんの観光客が思い思いに旧市街を楽しんでいます。名残惜しい旧市街を後にして、我々は城壁の外へと向かいました。


  時間は、あと10分で1700。ピレ門の外は、広場となっており、海に面したバルコニーからはアドリア海を臨むことが出来ます。アドリア海の右は断崖、左手には、ピレ門を守るボカール要塞がその雄姿を見せています。青い海と白く浮かぶ雲。そのはるかな景色に思わず心を奪われます。たくさんの人がバルコニーで写真を撮っていますが、我々も最後の思い出にその風景をしっかりと心に刻みました。


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(アドリア海に面した断崖とボカール要塞)


【ドゥブロヴニク空港は近代的】


  旧市街からバスに乗って一度ホテルへと向かった我々は、手荷物を確認して帰国のためにドゥブロヴニク空港へと向かいます。直行便の快適さは、この手軽さにあります。ホテルから空港までは、海岸線をバスで約1時間程度。1900過ぎには空港に到着し、飛行機に搭乗するまで約1時間を空港で過ごすことが出来ました。


  それほど大きくない空港ですが、近代的で機能的な設備、造作となっています。免税店も食品を中心に充実しており、簡単な食事をできるカウンターも完備しています。免税店で、美味しかったワインの銘柄を探し、チョコレートの名品や民芸品などを見て回ります。並んでいる品々を見ていると、リュブリアーナからザグレブ、シベニク、ドゥブロヴニクなど、それぞれの都市でのワンダーな思い出が蘇ってきます。


  有料トイレ用に残していたクーナがあったので、飴とスナックを購入しました。軽食のコーナーに足を運びましたが、オーダー用のカウンターが一つしかないので、長蛇の列。飲み物はあきらめて、待合の椅子に腰かけて買ってあったチョコレートを食べることにしました。


  取り出したのは、モスタルの帰りに寄ったスーパー「ネウム」で買った、クロアチア土産の定番「バヤデーラ」です。あまりに有名なので、試食用に買った3個入りのチョコレート。キャラメルクリームを何層か重ねてチョコレートでコーティングしたお菓子です。銀紙をあけて食べてみると、甘さがきわだちます。オーストリアで有名なチョコレートに「モーツァルトチョコレート」がありますが、それにそっくりな味。


  好みの問題なので、甘いチョコが好きな人には美味しいチョコなのかもしれませんが、残念ながら我々の口には甘すぎます。試食用だけにしておいて良かった、と二人でうなずき合いました。


  いよいよ時間も2000を過ぎ、一番奥の搭乗口へと向かいます。搭乗が完了すれば、いよいよクロアチアともお別れです。8日間でお馴染みとなった人たちと旅の想い打話に花が咲きます。今回、ずっと付き添ってくれていた添乗員さんとも一緒に写真を撮って旅の終わりを惜しみました。


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(ドゥブロヴニク空港の近代的なオブジェ)


【一路日本へ、機内でのお楽しみ】


  全員が無事に搭乗を終え、我々は一路成田に向かうANA1962便で機上の人となりました。昨年、オーストリアに来た時には、スイス航空に乗りましたが、アテンダントで日本語がわかる人は一人しかおらず、なんとなく気づまりでした。それに比べて、ANAの直行便はすべて日本語で事が足りるので、とても快適です。


  ヨーロッパの旅行は、飛行機に乗っている時間が半端ではなく直行便でも行きは12時間、帰りは11時間もかかります。乗継であれば、ここに乗継空港での数時間が加わることになります。


  往復の機内での楽しみは、何と言っても映画鑑賞です。国際線にはたくさんのプログラムが用意されていて、気軽に映画を楽しむことが出来ます。スイス航空に乗った時には、日本語吹替え版がなく、字幕もすべて英語でしたので、会話についていくのが一苦労でした。今回は、さすがにすべての映画が、日本語吹替え版か日本語字幕。嬉しいことこの上なしです。


  今回の直行便も最新の映画がプログラムされています。国内では、なかなか見に行けなかった映画が並んでおり、どれから見るか迷います。成田からの機上で見たのは、かの大ヒット作「君の名は」、毎度多くの観客動員数を誇るコナン映画の最新作「名探偵コナン から紅の恋歌(ラブレター)」、マーベル映画の無頼な船長もの「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」、そして、ご存じ攻殻機動隊の実写版、スカーレット・ヨハンソンが主演した「ゴースト・イン・ザ・シェル」の4本でした。


  「君の名は」は、2016年の8月に公開されてから驚異のロング・ランを記録。約1年間も映画館で公開されていました。興行収入は約200億円。海外で公開された映画の興行収入では歴代1位を記録しました。これだけ世間を騒がせながら、公開された情報としてはめずらしくネタバレしていないところが、日本のファンの矜持だったのかと、妙な感心をしています。


  実は、主人公の立花瀧という男の子と宮水三葉という女の子が、ある日入れ替わってしまうとのプロットはテレビのCMで知っていましたが、具体的なストーリーは全く知らず、ANAの機内で鑑賞してはじめて全貌を知りました。基本的にSF大好きの私にとって、この映画のストーリーは涙物のワンダーでした。感動した!この感動も今回の旅の大きな収穫でした。


  さて、帰りの機内で鑑賞した映画は、ディズニーアニメ映画で4つ星半に輝いた名作「ズートピア」、ノンストップアクション映画、ワイルド・スピードの最新作「ワイルド・スピード ICE BREAK」、そして、怪獣映画の原点キングコングの最新作「キングコング 髑髏島の巨神」の3本でした。


  何と言っても「ズートピア」がワンダーでした。まず、その設定自体が我々の想像をはるかに超えています。「ズートピア」は、あらゆる動物たちが共存共栄するユートピア。主人公のジュディは、田舎で農業を営む野うさぎ一家の娘です。彼女は正義感にあふれ、警官となって世界の安全を守っていきたいという大きな夢を持っています。


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(ズートピアのジュディとニックとフラッシュ)


  しかし、警察官は大型動物が幅を利かせる階級社会。奮闘努力の末に警察学校に入学、様々な差別を跳ね返してトップの成績で卒業したジュディは、胸を張ってズートピアの警察署に初出社を成し遂げます。しかし、動物界は人間界の縮図。警察署では、小さなジュディに出る幕はなく、命ぜられた仕事は駐車違反の切符切りでした。


  そこで知り合った詐欺師のキツネ、ニック。ユーモアと風刺あふれる脚本は、この二人の世界に我々を引き込んでくれます。そして、ズートピアで大事件が発生します。皆さんは、動物界のユートピアに不思議を感じませんか。そうです。動物界には連鎖があるはず。草食獣と肉食獣は天敵同志です。なぜ、彼らは「ズートピア」で仲良く暮らしていけるのか。


  この映画は、ジュディのまっすぐな生き方が我々に大きな感動をもたらしてくれるのですが、その感動は人間社会の不条理をみごとに動物界にカリカチュアしてくれるところからもたらされるのです。まだ見ていない方は、ぜひ、この感動を味わってください。超おすすめです。



  と、素晴らしい映画を鑑賞して感動を味わううちに飛行機は無事に成田空港に到着です。813日日曜日、時刻は午後300過ぎ。我々を乗せたANA1962便は定刻に成田に降り立ちました。懐かしい日本。パスポートに入国のスタンプを押してもらい、関税を通って到着ロビーへと抜けました。半日前にはドゥブロヴニクでアイスクリームを食べていたのが、夢のようです。


  海外の旅はいつでもそうですが、アッと言う間の9日間。しかし、これほど充実した日々はなかなか経験することはできません。10回に渡ったクロアチア旅行記も今回が最終回です。今度いつ海外旅行に行けるのか、今のところ決まっていませんが、時間を見つけてぜひワンダーな旅を経験したいと思っています。


  その日を楽しみにして、今回はここでお別れです。最後までお付き合いいただき、本当に有難うございました。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。



本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 21:38| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

エフライム ハレヴィ 元モサド長官の告白


こんばんは。


  いつの時代も解散総選挙は、与党VS野党の総力戦となりますが、今回は民進党が希望の党に合流を決めたところから、様々な流れが生まれました。


  キーポイントは、前原代表と連合の神津会長の思惑と小池都知事の思惑がかみ合わなかったところにあります。前原氏の「政権交代のためには手段を選ばない。」との基本コンセプトは、神津会長の考え方と一致していたと思いますが、小池さんの考え方とは相いれなかったようです。


  小池さんは、前原さんとの会談の後で、1994年の社民党村山政権の時の連立を例に出して、首班指名には様々な手段があることを語りました。どうも、村山政権時代の自民党に比べれば、自分が「安保法制維持、憲法改正」を踏絵にしたことは筋が通っている、と言いたかったのはないでしょうか。


  確かに小池さんが民進党のリベラル派の合流を阻んだことは、筋が通っていたのかもしれませんが、裏を返せば、のちに語っているとおり、自民党との連立を視野に入れての排除だったと理解できます。ということは、小池さんは結論として第二自民党を自らの力で作りたかっただけなのか、と思えます。たしかに小池さんは、かつて小泉さんや安倍さんの郎党でした。


  民進党は、もともと保守とリベラルが共闘を組んだ党なので、小池さんがこの共闘に理解を示さない限り、本当の合同にはならないことは明らかでした。自民・公明VS希望の党VSリベラル野党との構図になったことで、自民党はホッとしたことでしょう。


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(枝野代表の街頭演説 asahi.comより)


  ただ、希望の党はその懐の浅さを露呈したことで、自民党と同じ穴のムジナとなったと感じる人が多くなったのではないでしょうか。これでまた、投票率は下がりそうです。


  我々日本国民にとって大切なことは自らの選挙区の候補者が、どのような政策を実行しようとしているのかを見極めることです。比例区については、政党を選択するので、保守か新保守かリベラルかを明確にするわけですが、小選挙区では我々の人を見抜く力が問われます。


  ひとりでも多くの人が、未来の民主主義と自由経済の発展を見据えて、権利である一票を行使することを願ってやみません。日本人の80%が選んだ議員で構成される国会を期待しています。


  さて、今週は待望のイスラエル 元モサド長官の回顧録を読んでいました。


「イスラエル秘密外交:モサドを率いた男の告白」

(エフライム ハレヴィ著 河野純治訳 新潮文庫 2016年)


【プロフェッショナルのインテリジェンス】


  著者のエフライム・ハルヴィ氏は、1998年から2002年までの4年間、モサド(イスラエル諜報特務庁)の長官を務めた人物です。


  モサドの成立は、1948年のイスラエル独立後、それ以前から諜報を司ってきた外務省政治局、イスラエル保安庁、イスラエル参謀本部作戦局諜報課という3つの組織が統合された1949年の12月とされています。その組織は、首相府の直下にあり、イスラエルのトップと直接つながっているインテリジェンス組織です。


  昨今では、インテリジェンスという言葉が当たり前となっていますが、一昔前はスパイ組織と言った方がわかり易かったようです。事実、小説や映画では、007 ジェームス・ボンドを筆頭にナポレオン・ソロやスパイ大作戦など、諜報機関やスパイを題材としたフィクションは絶大な人気を集めました。


  代表的な組織といえば、旧ソ連のKGB、アメリカのCIA、イギリスのMI6、そしてモサドがすぐに話題に上ります。


  このブログは、インテリジェンスが大好きで、これまでにも25冊のインテリジェンス本をご紹介してきました。その中には、元外務省分析官の佐藤優さん、元NHK報道局の手嶋龍一さん、ジャーナリストの池上彰さんの本も含まれています。


  日本では、戦前に中野陸軍学校という本格的なインテリジェンスオフィサーを養成する機関がありましたが、戦後には諜報を司る組織は存在していません。(各省庁には、内閣調査室を始めそれぞれ情報分析組織がありますが、国益に資するためのインテリジェンス組織とは言えないようです。)


  少し変わったところでは、吉野準氏が書いた「情報機関を作る 国際テロから日本を守れ」(文春新書)が、国際社会の情報コミュニティーと相互関係を築くためには、インテリジェンス組織が必要であることを説いており、とても面白い本でした。また、外交官という意味では、日本のシンドラーとして有名になった杉原千畝のインテリジェンスセンスが見直されています。


  この本のPOPには、インテリジェンスというと必ず登場する佐藤優氏が、「私はこの人からインテリジェンスのすべてを教わった。」という文句が記載されています。さらに解説では、氏がハレヴィ氏から直接、インテリジェンスに関して様々な会話を交わしたことが記されています。


  ハレヴィ氏は、単にモサドにおいて長官職を勤めただけではありません。氏は、1934年生まれですので、イスラエルが独立した時には14歳。イエルサレムのヘブライ大学で法学修士号を取得したのち、1961年にモサドに入庁しました。とすると、入庁したのが、27歳のとき。そこから28年間モサドに在籍していたとされています。


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(「イスラエル秘密外交」 amazon.co.jpより)


  この本の中にも出てきますが、モサドから離れている間にはイスラエルの駐米大使や駐EU大使も務めています。公式な記録では残りませんが、外交官の多くは、インテリジェンスオフィサーですので、実質的にハルヴィ氏は、40年以上もインテリジェンスオフィサーとして過ごしてきたことになります。そして、組織の頂点まで上り詰めたということは、イスラエルの歴代首相に仕えてきたイスラエルの歴史の体現者でもあるわけです。


【スパイ物語とは別の告白本】


  フィクションの世界で、インテリジェンスオフィサーは暗号、変装、偽装工作、暗殺、ニセ情報、心理戦、詐欺、などの技術を駆使して、国益のために戦いを繰り広げます。もちろん、インテリジェンスの現場では、実際にそうしたアクションが起こされ、成功と失敗を繰り返してきました。もしも、皆さんがそうした現場でのインテリジェンスを求めるとすれば、この本は大分趣が異なります。


  ハルヴィ氏の告白とは何か。それはまず目次から読み解くことが出来ます。


序章 闇の外へ

1章 イラン・イラク戦争の終結

2章 戦争への秒読み

3章 湾岸戦争の足跡、その光と影

4章 中東紛争に対する国際的関心

5章 プロフェッショナル・レベル

6章 イスラエル・ヨルダン和平条約

7条 和平条約締結までの三か月

8章 さまざまな指導者と国の思い出

9章 時代の変化と優先事項の変化

10章 メシャル事件

11章 新長官の最優先事項

12章 傲慢、尊大、自信過剰

13章 新時代の到来

14章 情報の政治的操作

15章 シャロンの功績

16章 責任を負うことと責めを負うこと

17章 現在の新たな視点

18章 外交 可能なことを実行する技術 諜報 不可能事を達成する技能


  この目次から読み取れる通り、この本はモサドがイスラエルという国家の存続のために中東世界と世界をどのようにバランスしてきたか、を語ります。題名にある、「秘密外交」とは、イスラエルが関わった戦争と平和の歴史の裏で、モサドまたはハレヴィ氏がどのようにイスラエルという国を存続させてきたのか、を意味しています。


  その意味で、20世紀の後半から21世紀にかけて中東で起きた出来事に関わってきた人たちにとって、この本は暴露本のように読めるかもしれません。また、イスラエルやパレスチナの人々にとっては、ニュースやジャーナリズムで知っている歴史的出来事の裏で、どのような力学が働き、何が起きていたのかを知ることができます。


  同じモサドを語りながら、この本と以前にご紹介した「モサド・ファイル」(小学館文庫)は、現場のオペレーションと首脳による外交という全く別の観点から語られるノンフィクションなのです。それは、アメリカや旧ソ連が大きくかかわってきたイスラエルとパレスチナ問題とは何だったのかを知る、という意味で我々にとっても大いに示唆に富むものです。


【インテリジェンスとは国益】


  イスラエルにとって、国を存続させることがいかに困難なことだったのか。この本の前半は、ハレヴィ氏がモサドやEU駐在大使としてかかわった国家としてのオペレーションが語られています。


  イスラエルを囲む中東の国々は、日本人にとって決してなじみ深いとは言えません。イスラエルは、地政学的には極めて複雑な場所にあります。イスラムであり、アラブであるパレスチナを国の中にはらみ、エジプト、ヨルダン、レバノン、シリアに囲まれています。イスラエルは、アメリカと密接な関係にあり、イラン、イラク、クエートとも様々な場面で国の存亡をかけた駆け引きを繰り広げています。


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(1993年ラビン首相のオスロ合意 wikipediaより)


  我々には遠い国の出来事のようですが、20世紀から21世紀の初頭、1990年のイラクのクエート侵攻に端を発した湾岸戦争、そして、2001年の9.11.同時多発テロに端を発したイラク戦争は、国連軍の名を借りたアメリカ対イラクの戦争でした。


  イラン・イラク戦争から数々の戦いが繰り広げられる中で、元モサド長官の著者は、歴代のイスラエルの首相に仕えて、イスラエルの存続をかけて各国との交渉を担います。


  特にこの本の中でも最も手に汗を握る場面は、第6章から第8章にかけてのヨルダンとの平和条約の締結です。ヨルダンは、その領土の中に多くのパレスチナ難民を抱え、常にイスラエルとパレスチナの間で仲介役を務めていました。ヨルダンは、アラブを代表するイスラムの国であり、ユダヤの国であるイスラエルとの和平は、国内にいるイスラム過激派たちにとって決して許される交渉ではなかったのです。


  しかし、ヨルダンは自国の存続のためにアメリカを仲介者としてイスラエルとの和平の道を探ります。当時、モサドの副長官であったハレヴィ氏は、数十年かけて培ったヨルダンのフセイン国王の弟であるハッサム皇太子との密接な人間関係とフセイン国王との信頼関係によってこの和平交渉の先鋒を務めるのです。


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(ヨルダン フセイン国王 wikipediaより)


  イスラエル国内の反発、イスラエルのラビン首相との赤裸々なやり取り、仲介役であるアメリカのクリントン大統領の思惑。特に当時ラビン首相のライバルであったペレス外相からの圧力は、この和平がいかに綱渡りのような状況で成り立っていたかを如実に物語ります。まさに手に汗を握る交渉が展開されたのです。


  さらに、ハレヴィ氏が仕えた歴代のイスラエル首脳たちのプロフィールやイスラエルを巡るアラブ各国首脳のプロフィールには、氏の見識が満載です。そして、モサド退任後に襲ったモサドの危機。急遽、モサドの長官として白羽の矢が立ったハレヴィ氏は、モサドの再興にいどみます。インテリジェンス機関にとって必要なことは何か、第11章からはそのことが語られていきます。


  そして、新たなテロリストたちとの闘いの時代。21世紀の戦争とは何か。最後には、テロリストたちとの闘いへの処方箋が語られていきます。


  この本は、インテリジェンスに関する深い洞察に富んでいます。具体的なオペレーションが語られるわけではありませんが、歴史の中でインテリジェンス機関が果たしてきた役割、果たすべき役割が実際の歴史の裏側から語られており、興味が尽きません。歴史とインテリジェンスに興味のある方には、オススメの一冊です。



  来週はいよいよ総選挙の投票日がやってきます。皆さん、責任を自覚し、必ず投票所に足を運びましょう。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 17:23| 東京 ☔| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

クロアチアは光と太陽の国(その9)


こんばんは。


  クロアチアの旅7日目。我々は、夕暮れ前のドゥブログニクのジャズバーでご機嫌な演奏を楽しんでいました。スルジ山の展望台、アドリア海、城壁と旧市街の宝石のような景色を満喫しましたが、いよいよ夕日が見られる時間が迫っています。暑さはひとしおですが、この日も絶好なお天気です。この日の日没は1950分。今は、1900を過ぎています。


  夕日を見るのは、やはり旧市街とアドリア海が一望できる場所が一番です。我々は、もう一度スルジ山から夕陽を見るべく、ケーブルカーの駅に向かいました。旧市街から東門を抜けて、再び住宅街の急な傾斜を上るには30分近くかかります。ケーブルカーは10分程度で展望台に着くので、何とか間に合うはず。


  東門から通りを渡り、朝見た日本料理店を右手に見ながらドゥブロヴニクの住宅街の坂と階段を上っていきます。道は、ほぼ一本道なので迷うことなくケーブルカー駅の階段に出ました。さあ、ケーブルカーに乗ろう、と思った時に唖然としました。朝には、すぐに乗れたケーブルカーですが、なんと道路わきにケーブルカーを待つはるか長い列ができていたのです。


  時間は、1940分。日の入りまではあと10分しかありません。残念ながら道路からはアドリア海を見ることはできません。二人は、ガッカリしながらあきらめて列に並ぶことにしました。太陽が沈んでも、薄暮の旧市街とアドリア海の遠景は見る価値があります。並ぶこと20分。我々は、やっとケーブルカーの乗り口までたどり着きました。


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(ケーブル駅から見る薄暮の旧市街)


【ドゥブロヴニクの夕暮れ】


  駅の乗り口は高台になっており、ドゥブロヴニクの街を臨んでいます。すでに夕日は沈んだ後でしたが、うっすらと赤い水平線にドゥブロヴニクの街が映えています。やはり、美しい。薄暮の街を見ながら、我々はケーブルカーに乗り込みました。ケーブルカーがスルジ山へと登っていく間、ウィンドウからは徐々に遠のいていく薄暮の街が見えています。暮れなずむドゥブロヴニクの旧市街、見事な風景です。


ドゥブロヴニク30.JPG

(ケーブルカーからの眺めは夢のよう)


  朝、ガイドさんに教えてもらった通りに十字架のモニュメントまでたどり着くと、展望台には夜のとばりが降りてきます。沈む夕日を見ることはできませんでしたが、遠くに輝くドゥブロヴニクの旧市街は、まさに宝石です。星のように瞬く街の姿にすっかり見とれてしまいました。再び崖の下まで降りていき、二人で写真を撮影します。アドリア海の宝石とは、この姿をいうのだな、とここに来ることが出来た幸せを噛みしめたのでした。


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(夜のドゥブロヴニク旧市街 宝石の街)


  さて、旧市街の宝石のような瞬きに見とれて、ふと気が付くと時間は2030を過ぎています。夕食をたべなければなりません。ところが、夜のスルジ山は観光名所のようで、帰りのケーブルカーを待つ列はとてつもなく伸びていました。まあ、仕方がない。二人でじっくりと列に並ぶことにしました。遠くにテレビ塔が建っていて赤く輝いており、人の多さを気にしなければ、ロマンティックな夜です。


  ケーブルカーの駅にはレストランもありますが、その前にはケーブルカーに乗る列が伸びており、時折、レストランに入ろうとするお客さんもいますが、満席のためにあきらめていました。やっとケーブルカーに乗れたのは2100過ぎ。我々が旧市街へと戻ってきたのは、2130頃でした。


  城内に戻ると、この時間にもかかわらず旧市街にはたくさんの人がいます。昼に比べればまばらではありますが、どこで夕食を取るかしばし考えます。時間もないので、お昼を食べた港の見えるレストラン「ロカンダ・ペスカリヤ」に行ってみることにしました。お店に着くと、ちょうど家族ずれが引き上げる時間で、席が空いています。


  さて、今度は何を食べようか。そういえば、ドゥブロヴニクではタコのサラダが名物と聞きました。ワインに続いて、タコのサラダを頼みます。さらにシーフードと言えばエビが王道。海老のグリルを注文しました。


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(「ロカンダ・ペスカリヤ」の日本語メニュー)


  お昼の牡蠣のスープやリゾットもお美味しかったのですが、海老のグリルは超お勧めです。大きめの鉄鍋に尾頭付きの海老が大盛りで出てきます。二人で一尾ずつ片づけていくわけですが、その濃厚な海の香りとエビの旨みが素晴らしく、海老をむいて食べる手がもどかしいほどです。タコのサラダも新鮮なタコの切り身の味と触感がレタスに良く合い、二人とも会話も控えて一心不乱に食べました。


  本当においしいシーフードに満足して、ふと気が付くと、時間は2300近くになっていました。レストラン近くのお店でミネラルウォーターを購入して、バスやタクシーに乗れる西門を目指して歩きます。さすがに帰る人の波はすさまじく、まるで初詣(暑いけど)のような人ごみです。この時間では、タクシーに乗る以外にホテルに帰る手段がありません。しかたなく、タクシー乗り場に並びます。


  すると、連れ合いが列の前の方から手をこまねいています。あれ?どこかで見た人が。前の方にツアーでご一緒していた30代のご夫婦がにこにこと応対してくれます。「ご一緒にいかがですか。」やっぱり、世の中には仁徳のある方がいらっしゃる。嬉しい限りでお礼を言うと、「いやあ、タクシー代がシェアできて有難いです。」とこれまた神対応。お言葉に甘えて、無事にホテルまでたどり着いたのでした。ありがとうございます。


【最後の一日は、ストン観光】


  812日土曜日。いよいよクロアチアの旅も最後の日を迎えます。最終日は、嬉しいことに2100のチャーター便で帰ることになっており、9日目は機内泊となります。このツアーは、ANAのチャーター便の威力で、初日はリュブリアーナ空港に1400時到着、最終日はドゥブロヴニク空港から2100時出発と時間を有効に利用することが出来ます。


  本当に気持ちよく過ごした「グラン ホテル パーク」でしたが、その朝食もいよいよ最後。この日は、最後のオプショナルツアーを申し込んでいます。ツアーは、ドゥブロヴニクからそれほど遠くない城壁の街、ストン観光です。


  例によって盛り沢山なバイキング。お隣のテーブルには、良くお話しするようになったご夫婦がいます。聞けばお二人は、昨日の午後、やはりオプショナルツアーでボスニアヘルツェゴビナの街、コトルに行ってきたそうです。今回のツアーは恵まれていて、国境越えに苦労したことがなかったのですが、昨日は大変だったそうです。国境にツアーバスが鈴なりになっていて、国境審査の順番待ちで1時間半以上もかかったとのこと。ホテルに帰ってきたのが夜中の000過ぎだったそうです。本当にお疲れ様でした。


  ご夫婦は、今日のストンツアーにもご一緒するとのことで、国境を超えないツアーなので安心、と笑っていました。さて、いよいよホテルもチェックアウトとなります。朝食後にはホテルの中庭を散策して名残を惜しみました。部屋のベランダから見えるアドリア海の景色も十分に味わった後、荷造りをして、いよいよストンへの旅に出発です。


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(グラン ホテル パーク の美しい中庭)


  ストンは、昔から牡蠣の養殖と塩田が有名です。特に塩田は先史時代からの特産品であり、この塩を守るために14世紀から16世紀にかけて長大な城壁が築かれたといいます。このオプショナルツアーは、本ツアーに組み込むことが企画されているそうで、クロアチア現地の観光企画会社の方も同行してくれました。


  バスは、ドゥブロヴニクから西に向かって進みます。距離は35km、海岸沿いの風景を楽しみながらバスは快調に走り、1時間ほどでストンの街に到着します。まずは、広大な塩田の入り口からツアーはスタート。海から直接海水を塩田に引き込み、乾燥させて塩を創る工法は、昔からから変わっていないとのこと。中に入ることが出来ないのが残念でしたが、その風景は広大なものでした。


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(ストンの塩田経営所)


  塩田と通りを挟んで、向かい側にはストンの小さな街の入り口があります。街に入るとすぐに広場がありますが、広場に小さな教会を見ることが出来ます。石造りの教会を見学した後、一行は街の中へと入っていきます。石造りの建物には、色とりどりのお土産物屋さんやストールなど装飾品を売るお店が軒を並べています。


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(ストン町中のカフェテラス)


  ドゥブロクニクのプラツァ通りの人でごったがえした景色とは異なり、その物静かな佇まいは、我々の心を癒してくれます。通りには、パラソルの下にカフェのテーブルとイスが並んでおり、何人かのお客さんが思い思いに飲み物を楽しんでいます。右に曲がって細い通りに入ると、そこで暮らしている人たちの息遣いが感じられ、落ち着いた暮らしが感じられます。


  右手に塔のある修道院が見えてきます。歴史を感じる建物ですが、現在は老朽化のために使われていないといいます。さらに街中を歩いていくと小さな石畳の路地が重なっており、時折カフェが目につきます。ストンで最も有名なのは、5.5kmも続く城壁です。もちろん城壁は有料ですが、券売所のあるところまでは無料だそうです。城壁は山を登るように伸びていて、登り切った先には展望台が見えています。


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(今は使われていない修道院)


【ストンの城壁からの眺めは】


  この展望台からの眺めが良いとのことで、おすすめだそうです。そういえば、広場の石造りの壁に「ストンマラソン」のポスターが貼られていました。確かに5.5kmもある城壁のうえではマラソンも可能なのですね。城壁を見学したのち、我々はさらに路地を通り抜けて広場へと戻ります。そして、ここからは小1時間の自由時間です。


  お土産か城壁か。悩みましたが、ドゥブロヴニクの城壁からの眺めを思い出すと、ここでも城壁を歩くのが良いとの結論に達しました。先ほど無料で見学した場所までも戻り、城壁の入場券を購入。山の上に見える展望台を目指しました。


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(ストンの城壁を辿る階段)


  ストンの城壁の通路はかなり狭く、人が行き違える程度です。少し登って振り返ると、眼下には小さなストンの建物の屋根とその背景に広大な塩田。そして、塩田に海水を引き込んでいる湾を見ることが出来ます。ドゥロヴニクとは違ってほのぼのとする素朴な景色に心が和みます。展望台は、近いように見えて登りがいがあります。写真を写しながらゆっくりと登っていき、展望台へとたどり着きました。


  そこから見えるストンの街と塩田は、はるかな絶景でそのながめには感動します。本当にこぢんまりとした石造りの赤い屋根と入り江になっている湾と広い塩田。この景色を見ていると時間を忘れてしまいそうです。展望台の先にはまだ城壁が続いていますが、自由時間には限りがあり、我々はその景色に後ろ髪をひかれながら城壁を引き返しました。


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(城壁展望台から見る市街と塩田)


【マリストンでの民族舞踊】


  ストンの街から移動するとすぐにマリストンの街があります。ストンとマリストンは城壁で繋がっているそうですが、マリストンは小さな港に面しています。そこに見える小さな砦と入り江の景色がまた心和む風景。すぐ横の建物の脇から入り江に下りることができ、海面に手を伸ばすとアドリア海に手を触れることが出来ます。


  しばらく眺めていると、中から呼ぶ声がします。なんとその建物がお昼のレストラン「ヴィラ・コルナ」でした。レストランの中は、縦長の空間で長いテーブルとイスが長々と並んでいます。今日は、お昼ご飯を食べながらクロアチア郊外からわざわざきてくれた民族舞踊(フォルクローレ)を見ることになっていたのです。


  ツアーの全員が席に着くと、まずはスープがふるまわれます。このスープは、ストン名産の牡蠣でだしを取っています。その風味は海の香りと牡蠣の香りがします。その器は大きな貝殻となっており、海の風景をテーブル上に再現しています。スープの後には、2種類のリゾット。イカ墨のリゾットとシーフードリゾット。こちらも貝の器の工夫と2つの味のコラボが嬉しい限りです。


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(大きな貝殻に盛られた牡蠣のスープ)


  美味しい食事に舌鼓を打つ中、長いテーブルの前にあるスペースには、民族衣装に身を包んだ二人の男性がアコーデオンとギターを手に登場します。奏でられた音楽は、クロアチアの民謡。アコーデオンとギターの音色をバックに二人の息の合った民謡がお店を包んでいきます。イタリアのカンツォーネを思わせる歌声は、素朴ながら力強く、レストランに大きな拍手が巻き起こります。


  お二人は、楽器を奏でながらテーブルの間を歩き、見事な喉を披露します。曲が終わるごとに拍手がレストランに響きます。そして、最後の曲は有名なクロアチア民謡との紹介で、恋人を思う歌だそうです。流れるように朗々とした歌声は、美しいハーモニーを奏でて、我々もすっかり聞きほれてしまいます。再びレストランは大きな拍手で満たされました。


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(クロアチアの民族歌曲を歌うデュオ)


  食事も進み、いよいよメインディッシュが運ばれてきます。この日のメニューは白身魚のソテーです。ストンで採れたのでしょうか、魚は身が締まっていてしっかりとした味付けがとても美味しく感じられます。付け合せのサラダも彩り豊かです。


  そして、入り口からは民族衣装に身を包んだ男女が大勢レストランに入ってきます。我々のためにわざわざこのお店までやってきてくれたクロアチアの民族舞踊団の方々です。その衣装は白い刺繍のあるブラウスと男性は上下、女性は黒いスカートで身を包んでいます。そこには、クロアチア独自の鮮やかな幾何学模様が刺繍されていて、とても華やかです。


  年の若い女性が、リートを手にして、音楽を奏でます。先ほどのアコーデオンとギターも加わり、リズミカルな音楽に乗って、なごやかに民族舞踊(フォークロア)が始まります。全員が輪を描いて踊る姿は美しく、軽やかなステップがその場を盛り上げていきます。ドゥブロヴニクの近郊にあるチリピ村が民族舞踊では知られていますが、わざわざそこから来てくれたのかもしれません。


  全員での舞踊が続いた後には、男性と女性がペアになり、何組ものペアがフォークロアを踊ってくれます。楽しい楽曲にあわせて、繰り広げられる輪舞ははなやかでみんな手拍子と共に晴れやかさで満たされます。ツアーに同行してくれた企画会社の男性が、軽やかに輪の中に入って一緒に踊ります。彼の誘いで、ツアーの人たちも踊りの輪に加わり、レストランは民族舞踊で大いに盛り上がりました。


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(クロアチアの民族舞踊(フォークロア))


  大きな拍手に包まれて、はなやかな民族舞踊も終了。にこやかな笑顔を残して、民族衣装に身を包んだ皆さんがレストランを後にします。こんなに楽しいひと時を味わえるとは、今回のオプショナルツアーで我々はすっかり晴れやかな気持ちになりました。


  食事の最後には、デザートのチーズケーキも出てきて、フルコースのランチもとても美味しく頂くことが出来ました。ストンとマリストンのツアーは、城壁も食事も民族舞踊も大満足です。我々は、楽しいひと時を過ごしたマリストンを後にして、ドゥブロヴニクへと戻ります。


  時刻は1400。バスは、ドゥブロヴニクの旧市街を経由してホテルに戻るそうです。最後の数時間を旧市街で過ごすも良し、ホテルに戻ってゆっくりするも良し、との粋な計らいです。我々二人は、最後の数時間を旧市街で過ごすことにしました。


  ワンダーの連続だったクロアチア旅行もあと数時間。というところで今回も紙面が尽きてしまいました。そして、いよいよクロアチアの旅も次回が最終回となります。皆さん、次回をお楽しみに。


  日本では、いよいよ秋たけなわとなります。スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋、旅行の秋。何をしても過ごしやすい秋です。皆さん、くれぐれも体を大切にして秋を満喫してください。


  それでは皆さんお元気で、またお会いします。


本今回も最後までお付き合いありがとうございます。
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posted by 人生楽しみ at 22:39| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

原田マハ 「ジヴェルニーの食卓」余録


こんにちは。


  安倍晋三総理大臣は、臨時国会の冒頭に伝家の宝刀を引き抜いて、ついに衆議院を解散しました。83日に第三次安倍内閣が発足したばかり。発足時の安倍総理の会見では「結果本位の仕事人内閣」と命名していました。河野外務大臣や野田総務大臣など、楽しみな大臣もいましたが、まともな仕事に取り掛かる前に解散となり、本末転倒となってしまいました。


  自民党としては、安倍政権の基盤を盤石とするためには、野党第一党が混乱し、新たな受け皿となる小池新党の準備が整う前に解散総選挙に打って出ることが最善、と考えたことは明らかです。確かに9月解散、10月選挙であれば、野党勢力は力を出す暇がないはずでした。


  しかし、民進党の前原代表はさすがに切れ者です。「政権交代のためには手段を選ばない。」との基本コンセプトのもとで、なんと民進党を解体して小池新党に合流するとの大英断を下したのです。


  前民主党政権は、経済、外交、内政で日本を元気にすることに失敗し、選挙で惨敗しました。今回の代表選も前政権で墨のついた前原元外務大臣と枝野元官房長官の争いですから、政治家としての実力とは関係なく、ラベルとしての新鮮さはまったくありません。


  一方都議会選挙で自民党を大敗に導いた小池都知事。国政選挙を踏まえて新党の立ち上げをほのめかしていましたが、新党では国からの政党助成金も得られず、組織もないため、急な選挙を戦うことは難しい状況です。


  この二つの勢力が合流するとどうなるのか。新党は、「希望の党」として立ち上がり、そこに民進党のお金と組織が加われば、選挙を十分に戦うことが出来ます。あとは、戦略です。しかし、希望の党は、安保法制賛成、憲法改正推進が基本方針です。一方の民進党のリベラル派は安保法制廃止、憲法改正反対をかかげています。


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(新党立ち上げ記者会見 asahi.comより)


  前原さんらしいウルトラCはみごとですが、果たして理念は追いつくのでしょうか。


  懸念は多くありますが、このウルトラCで投票率が跳ね上がれば、旧組織票に頼りきっている自民党の票数は相対的に落ち込みます。すると、10代、20代や30代の票がどんと増えれば自民党が過半数を割って、安倍政権が下野する可能性も出てきます。


  民進党にも希望の党にも維新の会にも社民党にも自民党にも、国政を担うにふさわしい高潔さと決断力を備えた人物が必ず存在します。しかし、我々が警戒しなければならないのは、耳触りの良い公約フレーズです。「しがらみ政治からの脱却。」「政治をリセットする。」とは、耳触りは良いですが、次のビジョンはかけらもない言葉の遊びです。


  今回の選挙の候補者には、民主主義と自由経済をどのようなシナリオで蘇らせるのか、そこへのかかわり方を語ってほしいと思います。そして、我々に求められているのは、地元の候補者の実力と人間性を見抜いて、棄権することなく、今最もベターな一票を投票することです。


  今回の衆議院選挙は、久しぶりに楽しみです。


  余談となりましたが、今週は原田マハさんの名作「ジュベルニーの食卓」がどのように生まれたかを語った新書本を読んでいました。


「モネのあしあと」(原田マハ著 幻冬舎新書 2016年)


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(「モネのあしあと」 amazon.co.jpより)


【「ジュベルニーの食卓」の感激】


  原田マハさんが、元キュレーターであったことは今や有名となりました。原田さんの小説は、元気で前向きな女性の視点から様々な人生を描いて、我々の心を温かく包み、いつも前を向かせてくれます。2003年のデビューから様々な作品で我々に感動をもたらしてくれましたが、2014年に上梓した「楽園のカンヴァス」は、ちょっと毛色の違った作品でした。


  それまでの作品は、キュレーター時代の絵画からは距離を置いて、働く女性を主人公として、人が生きること、人が心を動かす瞬間を物語として綴っていました。もしかすると、これまで上梓してきた作品の数々は、最も好きだった絵画に関する小説を書くための助走だったのかもしれない。


  そう思えるほど、「楽園のカンヴァス」と続く「ジヴェルニーの食卓」は素敵な小説でした。


  その面白さは群を抜いていて、「楽園のカンヴァス」は山本周五郎賞を受賞し、直木賞候補に。続く「ジヴェルニーの食卓」、「暗幕のゲルニカ」もそれぞれその年の直木賞候補に挙げられています。こうした小説で描かれる絵画と画家は、きっとマハさんが心から書きたかった題材だったのだろうと思えます。


  「楽園のカンヴァス」は、謎とサスペンスを織り交ぜたちょっと変わった作品です。この作品では、美術の教科書でも有名なアンリ・ルソーの絵画を中心として、三つの時代が描かれます。まず、現代。主人公の早川織江の2000年の現在。そして、二つ目は、1980年代に展開されるフランスでルソーの研究家として名を成したオリエ・ハヤカワとニューヨーク近代美術館のティム・ブラウンのルソー作品の真贋を見極める対決。そして、アンリ・ルソーが絵画に没頭していた19世紀末から20世紀初頭のパリ。


  時代を超えて、ルソーの謎に迫る小説のワンダーは格別でした。この作品で、マハさんの絵画を愛する心が本当にワンダーであることを知りました。


  そして、この作品のためのパリでの取材からマハさんの絵画を愛する心が作品へと昇華されていきます。日本で最も人気の高い印象派の画家たちを描いた「ジヴェルニーの食卓」は、前作と全く異なるアプローチで、印象派の4人の画家の絵画に対する愛情を我々に教えてくれました。その画家とは、マティス、セザンヌ、ドガ、そしてクロード・モネです。


モネ01.jpg

(モネ「散歩、傘をさす女」 wikipediaより)


  「ジヴェルニーの食卓」の素晴らしさは、以前にこのブログ←クリック)でも紹介しましたので、ぜひご参照ください。


  日本では印象派の絵は大人気で、フェルメールとともに美術展の常連となっています。私も印象派の絵画には目がなく、印象派展やモネ展が東京で開催されると、一も二もなく鑑賞に訪れます。モネの光と色彩は何よりも好きで、これまでも様々な美術館展で感動を味わってきました。


  もちろん、晩年にジヴェルニーの庭で描かれた「睡蓮」の連作もみごとですが、その他にもジヴェルニー時代の「積みわら」の連作や印象派展時代の「サン・ラザール駅の線路」、「散歩、日傘をさす女」、こちらも連作となる「ルーアン大聖堂」、など、思い出すとその光の魔術が目に浮かぶようです。特に心に残るのは、ノルマンディー地方の海辺、エトルタを描いた作品です。


  そんなこんなで、先日本屋さんを巡っている時にこの本を見つけて、嬉しさと共にすぐに手に入れて読んだのです。


【原田マハさんのモネ】


  さて、今回の「モネのあしあと」は、マハさんが様々な美術展や美術館に招かれて行われた講演の内容を基本としています。講演の記録ですから、その表現は話し言葉となっており、その語りは優しくわかり易いものとなっています。


  その内容をご紹介すると、


プロローグ 私とモネとの出会い

第一章 モネが生きた新しい時代

第二章 印象派絵画の新しさ

第三章 モネのあしあとを追って

第四章 小説『ジヴェルニーの食卓』について

第五章 マハによるモネのあしあと案内

エピローグ いま、改めてモネと出会う意味


  モネが本当に好きな人は、その86歳までの人生をよく御存じなのかもしれません。また、風景画から始まった画家としてのスタートから、既存の画家たちの登竜門であるサロン(アカデミー)の伝統的な絵画とたもとを分かち、ドガやマネたちと新たな画壇として印象派展を開催し、印象派の名前の由来ともなった「印象-日の出」を出展したこともよく知られています。


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(モネ「エトルタ」 wikipediaより)


  この本では、当然ながらこうしたモネの歩みも語られていますが、なによりも読んでいて心が温まるのは、どのページをめくってもマハさんのモネへの愛情が行間につまっているところです。さらに心が躍るのは、モネに出会うための旅や小説の取材の旅で実際に訪れたパリやアリジャントゥイユ、ジヴェルニーに訪問したときの写真や印象を語ってくれているところです。


  この本の基本となった講演は、2015年から2016年にかけて東京都美術館、福岡市美術館、京都市美術館、新潟県立近代美術館で行われました。ご紹介した章立ては、この講演でのテーマが基本となっています。


  例えば、第一章では、19世紀の末から20世紀にかけて、モネが印象派の絵画を志した時代。ヨーロッパ、とりわけパリとその周辺で何が起きていたのか。その時代を受けてモネは何を目指して絵画に取り組んだのか、が語られていきます。


  マハさんは、モネの人生における3つのエポックから語り始めます。


  第一のエポックは、34歳のとき。モネはアカデミー入選を果たしていたにもかかわらず、その後のサロンでは落選が続きます。そして、1874年に第1階印象派展が開催されます。ここからモネはこれまでの絵画とは異なる道へと踏み出しました。


  第二のエポックは、38歳のとき。モネ一家は、それまで住んでいたアルジャントゥイルからヴェトゥイユに転居しました。この時にそれまでモネへの出資者であったエルネスト・オシュデが破産し、モネの家に同居することとなります。このことで、モネは、狭い家に11人の家族で住まうことになります。マハさんの「ジヴェルニーの食卓」の語り部となるのは、このオシュデ家の次女であるブランシュなのです。


  そして、第三のエポックは43歳。ジヴェルニーへの転居です。モネは、光と色彩を求めてこのジヴェルニーに移り住みますが、ここに色彩豊かな庭園を造り、その池のハスの花を終生の画題としました。マハさんの小説は、この家が舞台となります。


モネルーアン大聖堂01.jpg

(モネ「ルーアン大聖堂」夕日 wikipedeiaより)